仮想空間

趣味の変体仮名

絵本太功記 六月三日

 

読んだ本 http://archive.waseda.jp/archive/index.html
      イ14-00002-093

 


23(左頁)
  同三日の段               あはれなり
董卓(とうたく:三国志の悪人武将)は漢室を焼捨伯知は水を以て趙(てう)をひたす 例を爰に真柴が軍師名に高松の
城郭も 若死の合戦強勇も手に汗 握る斗也 武家の家でも姦き 嬪共は寄こぞり 何
とあげは 毎日/\ふる雨で水の増るが癪の種 是といふも尾田勢の皆仕業 中でも憎いは
真柴とやら松葉とやら 突さがしてやりたいのふ コレ/\其突次手においたはしいは 妹御の玉露
様 浦辺山三郎様にきつい惚れ様 大方坊の明く時分に成て 山三郎様の爺御杢之進様アノ林
丈左衛門にお討れなされた故 此程はふら/\と恋病ひ ヲゝそふはかいのふ こちらも覚の有事


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どふそ首尾して上ましたいと 遉やさしき女の情(じやう) 打連一間へ入にける 思ひ内に有は 其
色眼中にすゝむとかや 父の最期に乱れ髪 無念のあだを角額 浦辺三郎
利氏 主の留主うぃ窺ふて 林を一太刀恨んと 屋敷へ入込む生死の境 斯と白歯の玉
露が 出合頭に見合す顔 はつと驚き引返す 袂にすがりコレ待てたべ浦辺様 お前は深い
お望が 有てのお越と 見たは違はぬ形りかたち 其お姿に恋こがれ 送る千束(つか)の返事さへ ない
はつれないお心ぞ せめて一夜の添伏うぃ 赦してたべと取付て しつと しめたる手の内に心 餘つて
見へにける コレ/\声が高い 推量の上は包むに及ばず かくまい置かるゝ敵丈左衛門 何卒今日中に手

引して 勝負をとげさせ下さらば こなたの心もむそくにせじ サゝ何とゝせいたる面色 玉露
胸をすへ 成程/\ わたしが為にも舅御の敵 折を見合せアノ垣越に ナ御案内申しま
しよ ホゝ其詞に違ひなくは なだ云聞す子細も有 こなたの部屋へ そんならこふと手 
を取て 顔は上気にちつ花の 玉露姫は情の露 濡にかしこへ入にける 折りもこそ有れ
立帰る 館の主清水長左衛門宗治智勇を兼し其骨柄 跡に従ふ 女房はまだ
十九二十(つゞはたち)二つ三つ雪の白粉やり梅が紅花色そふ 緑子を いだきいたはり立帰る 宗
治は眉をしはめ ヤイやり梅 晩春の末より三家へ人質 伜諸共遣はせし所 いまだ合戦


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の勝利も決せず 敵にかこまれたる此城中へ 帰されしは仔細が有ふ何と/\ ハア尤のお尋
此度三家御加勢に向ひ給ふといへ共 手を空しくして日を送り 水の手一つ切事叶はず
無念さは夫迚も同じ事 もし討死致されては大事と成 手立を以て一時の合戦は
遠からじ それ迄は英気を養ひ置かるゝ様 うさを晴らすはコレ此若 随分/\やり梅も
心を付よとはげしき御諚 此子の顔も見せたき 見たさとえくぼに愛持つやり梅が
色ぞこもりて 見へにける 義にはり詰し宗治は 指折て日をかぞへけふは早六月三日
皐月の末より敵方に大変有凶星を見極め置つるに 土俵を突上優長なる

仕かた 間者を以て敵方の様子 聞出さんと思へ共 是そといふ謀なく 空しく入水する時は後々
諸人への物笑ひ降参するは家名の恥辱是迄度々の合戦に不覚をとらぬ
宗治が 猿冠者如きの計略 斯口惜き籠城も天より我を責給ふか 何とせん
かとせんと 名に秀でたる武士も傾く運と突息も天をにらんて いたりける
あはたゞしく庭先へ 士卒一人かけ来り 何か談ずる筋有と郡家よりの使として 安徳
寺和尚只今本陣へ参着せり 殿にも早く御越と云捨家来は引かへす ムゝ汝が帰
城の上安徳寺の使の様子聞捨かたし 是より諸士に対面致し 事の子細を申聞ん


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其方は郡より預り有丈左衛門 囚人(めしうど)同前なれば 万事心を付よ サ行け/\ 心得ましたと立上り奥
と 表へ引別れ三の丸さして出て行 雨吹払ふ松風の 憂山こめし 虫の音をしるべに 濡ふ
うらづたひ裾も 小つまもかい/\゛しく 夫を道びく健気の玉露 花も木草も
花狼藉 互に切合ふ穂先とほさき汗にひたする斗也 いらつて辺り込太
刀先を しつかと請留丈左衛門 ヤア小賢しい浦辺山三 儕が親の杢之進 評議
の席にて某に悪口吐きし入耳虫(にうにちう) 討て捨たを恨みに思ひ 刃向ひ立は及ばぬ
事 ヤアぬかしたり丈左衛門 左いふ儕は 冠山の落城をよそに見て 当城へ迎

込し人畜生 父の怨(あた)旁の恨 思ひしれよと刎かへす刃尖き双方が請つ流しつ烈し
き争ひ 見る玉露は心も空 山三が念力通しけん林は刀打落され 逃んとするを切ふせ
/\ 父の敵覚へよと のつかつてとゝめの刀 首引切て大地に打付 ハテ嬉しや/\コレ玉露殿
礼は未来でおさらばと 腹かき切んとする所 戻りかかりし長左衛門 やり梅諸共走り出 ヤレ死ぬる
とはうろたへ者 赦しもなき敵を討し言訳の切腹ならば 某が計らひを用ひ まさかの時
の討死こそ武士の道 城外の水をくゝり 久吉の陣所へ馳込 偽りならざる次第を頼み かく
まひもらふが術(てだて)の第一 敵の空虚変の次第 相図を以てしらされよ 折も有は真柴を討取


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名を末代に残されよ サゝゝ一時も早く/\とせき立清水 ハアゝコハ有がたし 武士の数にも入べき大
功 命を的に仕負せて立帰らんと欠出す ヤレ山三様お待なされ玉露様とのわりなき
中 最前ちらりと ナイヤ申宗治様 お妹様と浦辺様との二世の御縁 ホゝすき合た二人が
中 門出を祝する 扇も時の嶋臺土器(かはらけ)松は元来常盤木の絵にはあらざる松竹梅 末広
びろと夫婦のかため ハアゝ重々の御恵 玉露殿も随分無事で お前もお怪家のない
様にと 立派にいへどなま中に 馴し枕のもつれ髪はなれがたなき両人を わさとせい
する宗治夫婦 扇屏風やあふぎの別れ 心定めて城外へ飛が如くに かけり行

嚢沙背水の謀を廻らし 見ぬ唐土の元師も 舌を巻くべき希代の軍術 水かさ増る
大河の流れ せきとゞめたる土俵岩石 大木運ぶ地車の 木やり音頭もちんば馬 揃はぬ
肩も降参の すき腹節しられける 加藤は土手の高みに上り ヤア者共 汝等はこと/\゛く降参
の者共成に 此度の勤功 大将始某迄満足せり 此合戦終りなば 屹度御扶持有
べきぞよ アレ兵糧を遣ひ終らば 暫時は休足致すへしと 下知を伝ふる其内に 向ふ
に何か騒ぎし人声 正清きつと打詠め 合点の行ぬ 高松の城外にあやしき取合 何
にもせよ心得ずと 瞬きもせず見渡す向ふに 我組留んと数多の軍兵 小船に打乗


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右往左往に追廻せば 山三郎は水中を くゝつつ抜つ働けば 鵜よりも早き水連水魚 そこよ
爰よと組子共 うろ付中に 舳先を持 えいやうんと打返せば 水はまん/\小船の組子浪の
もくずと成にける 此有様に残りの兵船 進みかねてぞ見へにけり こなたの岸には正清が何
者成そ心得ずと 手ぐすね引て待所へ 血気の浦辺は抜手を切り 忠孝二つを額に当て
飛鳥の如く遥かの堤 一声諸共飛上れば 何者成ぞと取巻雑兵目もかけず 加藤が前
に両手を突 某は郡家の家臣浦辺山三郎利氏と申者 高松の城内において 親の
敵を討取 立退んとせし所 城中より討手にかゝり手詰の難義何とぞ武士のお情に御かくまい

下さらは生々世々の御厚恩と 敬ひ入てぞ願ひける 加藤正清声をあららげヤア紛らは敷願ひ
の筋誠親の敵を討は武門の誉と 郡家より恩賞も有へき筈返つて搦捕んとする
高松勢 紛は敷御辺の偽り 真直に申されよと 疑ふ詞に ハゝア御尤成御仰 某が討取し
親の敵と申は 冠の城を抜出し 林丈左衛門と申者 我父杢之進を聊かの論により 父を欺し
討に討たる事 其無念止事を得ず 何とぞ怨を報せんと主人へ敵討を願へ共 軍中
とて取あへなく 剰へ敵丈左衛門は清水宗治殿に預けと成は心に任せず 空しく月日を
送る内 此度の合戦に付 久吉公の計略にて 一城諸共兎の如く 水底のもくずとならんは


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治定 然れば父の欝憤を散ぜん時節なしと 透を窺ひ本望は達したれ共 御赦しなき敵
討 いか成咎有んも知ず 惜むべき命にはあらね共 亡両親の跡をもいとなみ 其上にて
切腹致す我存念 暫しが程の御恵 御聞届下されば 忘れ置しと手を摺て 頼めば正清
につtこと笑ひ ホゝ事明白成汝が願ひ 尤其理なきにはあらね共 敵々たる此時節  諸卒
の疑念もいかゞなり 万事は主人の賢慮に有ん 日も早西に傾けば イサ同道と 正清が
深き心の計らひや 士卒来れと夕ばへの 下知の詞にはつと 立上れ共内心は 久吉討ん
血気の若者毒蛇の口の 水筋を伴ひてこそ行過る 向ふ遥に 漕渡る主は

誰共白浪を振と衣の恋無常 急ぐ船路や行空も浮世 なりける 次第也