仮想空間

趣味の変体仮名

日本振袖始 第三

 

読んだ本 http://archive.waseda.jp/archive/index.html

      ニ10-00299 
 

42(左頁)
  第三
あしはらやあめつち人もひらけそめ さかえにけりなさかほこ
の しづくのたま水のかゝるときしもうまれきて たみもゆたか
に田かせは 稲はやつかにあは麦も にぎはひまさる秋津洲(す)や きび
の国の百姓食保(うけもち)の長(おさ)が惣領 巨旦将来近郷一の田地持あまた
の家子(けご)下男 まだしのゝめのくらかりより引出す牛のからすきや かたげ
て出る鋤鍬の苦は人間もかはらめや 巨旦将来養子宇賀石


43
いざなひ 油断させぬ人仕(づかひ) ヤイ/\男共 田も畠もくいさいた様ではかゞいか
ぬ 樋の口通りの八反田けふ昼迄にすき仕廻ひ 山つゞきの麦畠水ためるな
畦々(うね/\)一鍬いれずいふん水に油断すな あさも追付撒き時分東の岡に鍬の
刃を絶やすな 茶園のくさひけまめ小豆のめを雉にくはすな 苗代の鳥
おへ わろ共は牛のはみ物ことかゝぬ様に堤へりのくさかれ これ宇賀石
百姓の子はちいさふても ぞべ/\と旦那顔して埒明かぬ しりひつからげうご
かたげ大根引て持ならへと 何の用捨も七つ子のすそ捻上 跣(はだし)で突出す

ふともゝは引大根よりほそからめ つまの五百機(いほはた)走出何程大じの大根に
てあの子がひかねばかなはぬか 五年此かた夜泣して色わるふやせる子
を かぜにあて露をふませてよい物か 内との者共はやういけいとし者
をなんの畠へやりましよ 是おくへいてあたゝかにしてあそびややいの
と押やれば いや/\そだてがあまさに病者に成 只養ひしようより
畠にたゝせ 鳥おどしにでもしてのけたがよいわいと 愛嬌なき夫の顔見る
めの中は涙くみ 今更いふではなけれ共つれないさもしい心かな 夫婦中


44
の子ならばさぞ寵愛を見る様な 弟御蘇民徂将来様の独子をやしなふ
て たね腹はかはれ共水いらずの甥子ぞや そだてに物が入ことの 父御さま
の養ひのと 弟御の田地も上田残らずねだれ取 其うへにおごりもの
えよう者 譲りの田畑も失ふたと 耳も聞ぬ父御様へ弟御をざんそうし
親子中をさきながら さらばこなたが孝行でも有ことか きるい食物(しよくもつ)ふ
じゆなめを見せまして 罰も冥加も思はずか 殊に我身此ごとくくはい
たい身持に成しより 人共水共しれぬ者を惣領に立たさ 宇賀石が

うとましく科ない子をにくみたて いけふがしなふが有なしにそたてゝは 人は
おろかくさも木も雨かぜをふせがねは 色よい花はさかぬ物 そみん様は
兄親と虫をころし給ふ共 嫂の恨み世間の口夫の慙?(ざんぎ)つゝむ故 共に邪見
の浮名を取めいわくは我独り 田地もかへし弟御の身代たてば 父御の孝行其
身のいせいで有まいか しんじつの異見する者は女房ならで外にない 少しは
聞入あれかしといさめ かねてぞ泣いたる ヤア聞共ない又してはおなしこと 人
にほめられ兄弟思へば損がいく 弟の蘇民将来が道だてひろいて貧乏


45
かはく 此こたんは人がにくみそしつても持たが病 仕合とおやぢは聾(つんぼう)何が
どうやら聞ずにすむ 内義の御異見聞手間に野を見廻し 一寸成共地
をひろげふと立出る門口 弟嫁の賤機(しずはた) にこ/\ほや/\えしやくこぼし
て 御きげん取のついせう顔 ムウ是は御夫婦ながら内かたにか少しお見廻
とやすらへが よふこそ/\余所他人でも有ことか 遠慮なしにサア爰へ 蘇
民様はおまめなか こつちにもてゝご様始かはりことはなけれ共 只宇賀石
の夜泣が今においてとまらぬ アゝおまへのいかひ御くらう アゝなんのいの 腹

いたまずにこなたに産で貰ふた子 それ程の苦をせいではと ?中
のむつましさ巨旦将来鼻にしはよせしさい顔 これ賤機 百姓の
いそがしいさい中 爰等へ来てべら/\と隙入て?(もろ)ふまい いふことすんだら
おかへりやれとあひそうなき詞付 いかにも御意の通り人の手も我
手にしたい時分 此方の蘇民殿作るべき田畑はおまへにとらるゝ 残て
半畝(せ)か一反にたらぬ所 一日か日中にはついすき仕廻 永の日をあそんでい
て行末のつまらぬこと どうぞお情に半分ならずば せめて三分一田地


46
戻して下さる様に 五百機(いをはた)様迄申せとの事 まだ此うへに添て進上と
申さば御きげんもよいはづ 取かへすと申は御気にいらぬとしりつゝも いは
ねばならず申もめいわく 我物ゆへに骨を折とは我々夫婦 ヤ何がなお
みやと思ひよるめづらしき物もなし 此お守りは聞もお及なされたか そさの
おの尊様宝剣とやらを失ひ 大内を追出されるらうのお姿で 二三日此
方にお宿をめされ 明日か明後日いづもの国へお立とのこと 則是は尊
様のお宝厄神の誓紙の手形 是をてうだいせし人は 悪病難病を

のがれ 万の災難を払ふお守 宇賀石の夜泣御老体の父御様夫婦も
いたゞきてそく才延命成様に 暫しが中申おろしかり受て参りしと指し出す
ふしぎのふくろ 巨旦将来悦び三度いたゞき 是ぞ内裏につたはる三つの
神宝の其一つ 神爾と申す天下の宝 四五日いぜん雨かぜはげしき夕ぐれ
みのかさしほれし旅人夜の宿と頼しを 非人かまたは盗人の引入かと思ひ
たゝかぬ斗にしかりこくつて追出した エゝ残り多い 聞ばそさのおの尊そみん
が方にとめたげな 蘇民のたわけ 此宝をうばひ取 帝へあぐればほうび


47
恩賞方図はしれぬ 是をぬつくりともたせて置其律儀からびん
ぼうする 今巨旦が手に入は招かぬ福徳 此宝を以て我も巨旦大王
とよばれ 大国所領の主と成時 むしろ二三枚敷の田地は すそわけ
しようと帰つていへとつゝと立 いらんとするを五百機おどろきわゝり付
あんまりな無理むたい きたない欲心もたふより いつそきれいに盗みしたがよ
いわいの サアかやしやるかサアどうぞ エゝ男をもどく出過者とはつたとけのめし
入ければ ヲゝふまれうがぶたれうが非道をさせて見てはいぬ 賤機様恥

かしい常住我まゝばつかり 明てもくれてもいひあふているはいの 待て
下され 取かへしてやらふぞやとつゝいておくに入にけり 賤機あきれ気もの
ぼり エゝくやしいことをした 心をなだめ田地を取けいはくに だいじの/\天下
にひとつの御宝をかり参らせ ふか/\゛と手に渡せしは何ごとぞ 此身を寸々(ずん/\)
にきざまれうがみぢんにくだかれうが 取戻して尊様へ指し上いておく
物か 多年の恨み夫婦が胸につもれ共 独り子をやしなはれむごふつらふあた
らふかと 無念をおさへ打過しは宇賀石といふ質をとられいるゆへ 其むどく


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心からは定て宇賀石もころしてかな捨つらふ サア其守り戻しや 但そ
れへふみこんでれうじをするが合点かと 思ひ切たる面色にも我子はいか
にとあたりにめをぞくばりける 巨旦将来宇賀石小脇にひつさげ こ
りや 此がきめやしなふも田地とらふため 女房の腹に惣領が目づくつた きや
つはいらぬつれてかへれと投出すを ヲゝかへさず共つれていく 此子をとれば気が
広いもう楽じや これ巨旦(こたん)殿けん御殿 蘇民将来を弟と思ひあなどつ
ても魂が有ぞや 今の宝は申に及ず 田も畑もやぶもはやしも 今の間に取

かへして見せう待ていやとかけ出る 五百機走出宇賀石が両足しつかと
だき 待て下されしづはた様 惣領にたてんとけいやくで貰ふた子 今戻りして二
人の親世間へ顔が出されうか 身にやどりし子種をゆ水とながし捨る共
世継は此子其儘置て我々が 一分立て下され守りも何ものみこんだ 此五
百機がかやさずと引とゞむれは なふ恐ろしや大事の子 火焔の中からひろひ
上たと思ふ物 片時(へんし)も爰におかふか サアそこをはなしや イヤはなさぬと両方
義理と恩愛に 涙手づめの宇賀石がかゝ様のふと嘆き声 巨旦将来守


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刀ひつさげヤイ 女め 胎内に惣領持ながらきやつをとめて何にする 放して
やらずば此がきめ胴中から切はなす サアなんと サアなんとこりや/\/\とひら
めかす 刃も危うしはなしもやらず只はあ/\と身をひやす エゝあためんどう
なと振あぐる刃の影 さすかは産みの母心我子を悲しみたへかねて 放す拍子
きり拍子二つ柏子の間ちがひに 緒を切たる切先えんがまちに切こんで ぬ
かん/\ともがく間に母どつこいとかいくゞり 嫂の手をもぎはなし頭(かしら)のかたき
宇賀石と だきしめ/\ こけつまろんづ走行心 嬉しや 「ざい所じよろ衆は

皆よひ声で一に麦歌二にちやつみ歌 三にさなへ歌四にしごと歌
歌で石うすかろ/\゛と サンヤレさ かろ/\と すきくはのえやながき日に畑打
賤もかたぬぎて あたゝかげ成春の水井出の 樋の口せき入て 爰にかしこ
に小田かへず 東田も五反田 にし田も五反田 中のあぜ道 くる人は
巨旦そみん兄弟の父食保(うけもち)の長(おさ) よはひもことし米(よね)麦の田畑見ん
とて鳩の杖 まだ足もとはわかくさに あがるひばりの水かゞみ顔は 老ても目性能
耳こそ少とを山松の 霜雪経てもひさこしは ねばりつよ成柳影四方を 詠めて


50
やすらへは 嫂五百機しき物かたげ おうい/\ 是はまあ/\お年寄のいつのまにやら
人もつれずあぶなや/\ 爰て少しおやすみさゝはあがらすおなぐさみにせんじ茶でも
ちや弁当いひ付ましよといへ共耳の余所に吹く ヲゝかぜもなふてのどかな 去年(こぞ)の
いつからか久しう田畠を見ぬゆへに よろり/\と出たれば又わつさりと気がはれた
堤の芝が青々とつゝじさつきがはやさいたの されば/\梅や桜がちればすみれ
たんほゝ花はたへぬ 気の養生に成まする ヤア/\なんといやる アゝしんきやの 是梅や
もらや桜がちればすみれたんほゝ花はたえず 気の養生と申事 ヲゝ/\よふしつて

じや 梅干を酒塩でくへば痰の薬さりながら もう此年で養生して何にしよ
腰ひざぬけず心おもしろい時 ころりとやればくはほう/\ イヤ/\まだ十七八年も置
まし 腰ひざたゝずばだいてあるきます ヤなんじや十七八の腰本置てだいて
寝さしよ ハテわけもないとでもないこといやんな いかな虫つよい腰本も此ぢいと寝
たらば やぶれ障子でほね斗味もしやゝりもおじやるまい なふ恥しや/\と笑へば
嫁も吹出し 畑(はた)打賤も鍬を捨はらをかゝへて笑ひけり やれ/\おかしいおやち様
あんまり笑ふて胸きもひるさがり やすみ時いざこいと皆々「打つれ立帰る


51
あたりを見廻しアゝ思はぬ笑ひに老のうさを忘れしぞ なふ面は笑へど心のそこは
おかしうない 此堤の四方八町に五町 家につたはる我田地いんきよの時三つにわり
二ぶんは惣領役そなたの夫巨旦将来に譲り 三分一は弟の蘇民将来 あの樋の口
からむかふの松迄一霞ゆづりし上田 口にえよう身におごる皆他人の手にわたし
身代ちんふらりと聞より内へもせつけず 田地を見るも情なく此邊足は
むけね共 けふぶら/\と是へ来て アゝ重代の田地余所の物になしたよな 此
地のそこにまします埴安(はにやす)地神(ちぢん)にも見はなされ参らせしと あゆみくる蹠(あしのうら)釘

針をふむごとく 一入脚(すね)もよろめきて 無念におじやる悲しいと 涙に老を噛
まぜて声をも咽につまらせり 五百機ひつしと身にひゞきおいとしや道理
や夫の欲心ひとつより 弟御のうきめ親御の嘆き いへば夫の悪名つゝむが道かいふが
道か 誰にかたりてちえをかる 人も涙にくれけるが いや/\夫を世上にそしらせ女
の道はよも立まじと 思ひさだめて是申 そみんさまの譲りの田地一寸も他
人へ渡らず 親御様の異見にて兄御より弟御へ あはれみあれば御一家すなほ
にむつまじし 是よふお読なされやと地をかきならしゆびを筆 書きつくすなの


52
こま/\はする墨よりもあり/\と 一字のこさぬありのまゝつきぬ 真砂も
夜つくし 父はおどろく鳥の跡(誌?) 誰がよぶこ鳥いつのまにかは巨旦将来 後ろの畔(ぐろ)
のしがらみにつゝ立 きつと見付る眼はさらにそれ共しらぬ嫁舅が 鼻の先
ついたる鍬迄取のべ がはと打立土砂かきまぜる土けふり はつと飛のく顔に砂 かゝる
子を持ち男持嫁舅こそ笑止なれ こらへせいなき無法者 女房の頬さきはりこかし
何もしらぬ聾に男の身のうへよふつげ口ひろいたなあ 砂に書て見せう
とは其わるちえを身がもてば まだぶげんに成はい 物書ほで打おつてくれん

と飛付所を父つかみ付 もと首おさへてこりやちく生め たつた今聞ておとろ
ひた 数年ぬつほりと親をよふだましたなァ 女房をうらみす共うぬが大悪大
欲の 魂はなぜうらみぬ 弟の田畠むさぼり取 やしなふとはどの親 此親をやしなふ
に何程の田畑がいる きせる着物の中入は薄あしの穂さもしいことながら 朝
夕の膳部も五穀は有かなし 皆とちの実野老(とうろ)の根 親にさへ是なれば身の始末
さぞあらめ わかい者のよいがてんと にがひ口をあまひ顔して見せつるは おのれを
人と思ひしゆへ かはいや弟のそみんを裸にし いきるまもない親にうとませ中を断つ


53
さぞやそみんが親をうらみん不便さよ 宇賀石をかやさればねだれ取た大ぶんの
田畠 なぜつけてはかへさぬぞ 人をそこなひ独り世に立たいとてたゝれう
か 神の鳥居の二柱ひとりはたらぬ数とかや 天子の御宝八咫の鏡と申は
善悪を照し給ふ神の御心 だいりに斗有と思ふか八咫の鏡は面々がいたゞく
あの天にまし/\て 善悪を明きらめ罰(ばち)も利生も頭(かうべ)の上に 忽くるとはしら
ざるか 我せなかの垢けがれ我は見ね共人は見る 心の内も其通根性を直し
てくれ 親は他人の善人より子の悪人がかはいひと いかつゝ泣いつ気をもみあげ

くどき嘆の親心思ひ やられて哀なり こたんまゆをしかめ 女めよふほうげたゝ
いたなァ 是おやぢ かう生れついた巨旦今更うみもなをされまい よしない子の
世話やまふより聾を苦にめされと さけんでもわめいても耳へはとう/\
瀧の音 せきのほせば猶聞へず なんしや其顔(つら)付待ておれ 蘇民にしらせ
一国にいき恥かゝせんとよろほひ出る畦道 サア通つてみやと鍬横たへたち
ふさがり おのれがやらぬとていくまいか 此道からと立もどれば又行さきを立
ふさぎ ならば手柄に通つてみやと振廻す鍬の先 父が胴骨はつたとうたれて


54
畔のがけよりどうと落 たへ/\喘ぐ息づかひ 女房鍬にすがり付 狂乱か巨旦殿
親御に疵でもついたらば雲のうらでもいひわけ有まい はなしや/\とねぢ
あふまに 父起なおりしがらみを便に取付這あからん /\とする所を女めはなせと
突のけ ふつておどすも不孝の罰の腕さきくるひ 父が耳の根がはと打
こむ鍬のかねや冴たりけん おぼえずえいと引力水もたまらず親の首 すん
はときれてとんだるは釼にかけたることく也 女房夢の心地にてはあと斗に
絶へ入ば ばうじやくぶじんの巨旦もあきれて顔の色ちがへ わな/\ふるひうつとりと

気もうろたへて見へてけり エゝうらめしい罰もとがめもない物と 女房の異見
を余所に聞今思ひあたつてか 刃もない鋤鍬で人の首が落るとは 日来(ひごろ)
の悪業悪心がつもつて鍬も釼と成 親ころしの咎人とは天道よりなし給ふ
又此つみが胎内の 子に報はん浅ましやとくどき 泣こそむさんなれ こたん
ずんと立て裾ねぢからけ脚ふみしめ よい/\胸がすはつた 皆女めが口ばし
からと取て押ふせ 腰の手ぬふひ口にねぢ込押込 おとがひかけてひつくゝり
帯ひつほどき後ろ手に縛りあげ こりやとても悪人の名をとつた此巨旦 てゝの


55
しがいを蘇民めが畠に埋 咎を弟にぬつてくりようと鍬ひつさげ 善
悪二つのあぜ境 はては我身のかたき石地をほりかへし/\ ほるよりふかきつみとが
の 土も砂も身にかゝる後の報ひぞ恐ろしき 土かきあくるむかふの道 うし
追ふてくる人は弟の蘇民将来 ヤア是はならぬと胸さはぎ 體を取て引
ずりよせ 血性がぬけてはやい骨のこはばり様と手足押まげほねうちおり
首なげいれるこけの下 漸うづみふみ付/\かきならし 足跡かくす畠土 これ悪
業のたねまきと思ひしらぬぞおろか成 猶も近付牛の声そぶりでも見られ

ては 身の一だいじいづくにかくれん木陰なし 道は一筋行もゆかれずいぬるにも
いなむらのわら引のけ女房ひつ立押入て うへにはわらを引つくろひ我もこかげを
かりばの雉の命「だいじと身を忍ふ忍はぬ世さへ まづしきに そみん夫婦がなさけ
ふかく そさのおの尊にかりの御宿まいらせ けふいづもぢに雲立 道も野がひの
牛のくら お腰をしばしかけまくも 冥加の為とおくり行 夫が牛の綱とれば しづはた
御笠みのを持 主君のごとくうやまひし 心の内ぞ頼もしき 蘇民牛を引とめ
見へ渡つたる此野べじゃ残らず親の譲りの我地にて候ひしを 兄巨旦にかすめられ


56
我らの地とては是がかぎり 兄の地を我斗にふませんもいかゞ也 是よりは御かち
にて何国迄も御供と存ずれ共 兄にとられし悪鬼の手形を取かへし 跡より追付
奉らん いづもの国皺(ひ)の川手摩乳(てなつち)が妻足摩乳(あしなつち)は此しづはたがおばなれば かくと
告て御宿めされ候べし 暫しも別れ奉る御名残こそつきせねど 夫婦かうべ
を地につくれば 尊牛より下御成て アゝ扨も世の人の心には品々有 過し雨の夜た
びつかれこたんに宿をもとめしに つれなくも追出せし其恨 いかなれはおこと夫婦
かくとふかき心ざし いつの世にわするべき 我宝剣を取かへし三種の神宝揃へ

なば 此恩は報ずべし それ迄のけいやく一つの我事をつたへんと 畔の柳を手おらせ
給ひ是を削り小札となし 紅の房を付蘇民将来子孫也と書き付 おさなき者の
襟に付よ 疫病瘧(ぎやく)病ほうそう赤疹(はしか) 一さいの悪病をまぬかるべし 無道の
巨旦が掠めとつたる疫神の手形 かれらが為には守りとならず 其身に災難来る
こと三日は過まじき 正直の人にこそ守の印も有としれ 百姓をさしてあめ
の下の御宝とは天照神の御神託 農業林作おこたりな さらは/\とみのかさ
たづさへ出給へば 夫婦はつきぬ御名残 御きげんよく御本望やがて/\と見おくる


57
も声も 霞に別れけり なんと女房 有がたいふしぎに高位のお宿を申 蘇
民将来子孫とあらば悪病なん病払ふとのお詞 末代の宝とは此こと 殊
に百姓を御宝と大神ぐうの御たくせん 耕作おこたるなとけつかうな教 かせぐ
に追付びんぼうなし サアゆだんならぬとからすきの 斗と思ふな牛の尾もべらつきやお
そひ 牛の角文字いそげはいそぐさせいほうせいだせば のらのあれ地も上田とつ
まの しづはた立よりて 身の上に引田のくさもしげるなたねのうね合す 一鍬
かへす土の下是のづこちの人 それ其畠に人の手足がはえ出た やれ麁相いふ

な女房と ふりかへつて横手を打 こりやどうじや だいじの畠何者のしわざと
鋤鍬入て刎かへすやせからだ 我親ぞ共しらが首鋤にはねられそみんが身に は
たと当て落けるをよく/\見れは我父也 ハアはあと斗に鋤鍬すて からだにだ
き付わつと泣 顔を見てはわつと泣いか成やつが手にかけしと かけ出しては立
戻り走出てはどうと臥し ふうふ足ずり身をもだへ 畠の土にころび打 大声 上
てぞなげきける 巨旦将来おとろひたる顔付にて ヤア/\そみん ゆふべより父が
見へず人をくばつて尋しに 見付た/\ 親ころしの大悪人後日の罪科あらかふな


58
とぞひしめいたる ムゝウ兄じや人 我ころして我畠へ昼中にうづまふか 世話やき
やるな其五音でころし手はしれた/\ しれたとは誰がころした ヲゝころし
てはわごりよじや ヤア孝行第一の巨旦にぬつたとてぬらしようかと
あらそふ中稲群(むら)ゆるぎ つんだる藁はどさ/\と 崩るゝ中に嫂か声立て
られぬ身のしがらみ 賤機これはと立寄口の轡も縛りめも かなくり捨れば
片息に 是蘇民様のわざでなし夫の不孝悪逆 せうこはつれそふ女房
是はだいじの宝の守是をもどせば心にかゝることもない さぞにくからふ巨旦

どの 人を恨むることはない 皆こなたの欲心から 身にも及ぬ帝の宝を押とつて
巨旦大王といわれうなどゝは口ずさみにもいふことか ねざめにも思ふことかいの
其欲心の報ひが つもりつもつてきれまい鍬で親を切 其欲心のもとはといへば
胎内の此子ゆへ 此子はいか成悪人ぞ 手を出してころさねど腹の内からおや
殺しぢいころし うらめしい子をやどしたと 思へはかきやぶつても捨たい物 まだ/\と
月日を待産落して嬉しからふかめでたからうか こなたの敵は此子じやが合点か
おりしもいなむらに鎌のありしは つらなつた親子夫婦がつみほろぼせとの神の教


59
天のあてがい しんで見せる是て心あらためて 親子の者にむだじにさせてくだ
さるなと 腹に突立て引廻す 母が誠の左がま賤機是はとかけ寄て とゞむるかい
も涙の雨くさ葉の露ときへにける 蘇民も鋤横たへ是女房 命にかへぬ御守
持てのけと声かくれば 賤機心得身にひつそへ宿所をさしてそ走ける つらい
むごい曲もない兄じや人 とつつく恨いふことは此そみんもしつたれ共 兄弟の礼といひ父
に苦をかけまひと 我身独り誤ておくる月日にじせつも来て 一度(たび)父のきげんよい
顔見よう/\の 頼もけふにふつゝときれ 今日からあかの他人 真剣で出合ふか但し鋤の

刃をくらふかと詞をあらしてのゝしつたり ヤおのれにせんをせられふかと 打かくり鍬
の柄からりと受て打払ひ ひらりと廻つて打鋤に 巨旦がこびん打さかれがけ
より下に」どうとおつ うは手よりかさねかけうたんとする弟が むかふ脚(ずね)くはらりと打
さき 小膝をついておりさまに 兄がふともゝ?(しし・けものへんに児)の口程切さげられ のつけにかへせば
つゝかゝり 臼つき打に打鋤があまつてむかふへこす所を 起なおつて弟が頬さきより
かた口迄引かけて引鍬に よろ/\とよろめきながら 兄が天邊を打さけば弟も
眦(まじり)を打破られ 両方数ヶ所の手疵を受 両眼に血は入たり 眼はくらやみ身は


60
くれなひあぜのしがらみふみくづし つゝみをくだりにころ/\どうと落かさなり たゝき合
つかみ合はいあがればころび落 他人まぜすのいどみ合命かきりと「見へけるが 兄は
やう/\はいあがれば弟もいきつぐ堤の原 つゝじの花を引むしり/\ 口にかんでのど
うるをし命をつなぐ花の露 兄はかた息くさにくひ付息ついだり おのれ親ころし子
ころし女房ころし やらぬ/\とはいあがるを 畠の土砂つかみかくるを事共せっず しがらみ
に手をかけ真砂まじりのつちくれを 両方つかんで打合しは雨かあられの「ことく也
賤機有にもあられず走来て 業人めまだしなぬかと打かくる 鋤に恐れ

つゝみをさしてはいくだる 蘇民もすかさずはいおりて堤のはらを西東にぐる
も追ふもふか手によはり うへにはしづはた鋤をよこたへ待かくれは にくるにわき 
ひら水なき井出の小川をこへてにげんとす そみん声をかけ やれ樋の口ぬけ
女房樋をぬけ/\ ヲゝがつてんと走廻つて女ぢからも一世一代 くはんの木に両手
をかけ えいや/\と引程に樋の口さつとさつ/\/\ さかまきおつる 水とう/\
川はせばし水はたかしあまつて瀬枕波枕岩も つんざくはやせ川 わたらん様もあら
悲しやともとの畠にはいあがる そみん追付はいあがり取てひつふせたゝきふせ のどぶへ


61
にとゞめのかま すなわちおのれが妻子のかたき 神はつの程ぞあらた成
そみんふう婦はなく/\もかなしみは親うらみは兄 二つの涙に五百機(いおはた)が あはれ
もともにもちごもる 三つのうつせをひとつ野に のこすかたみや残りても
かひなき ふう婦が立帰る道は涙にまよへ共 身は正直の道つくる鋤と鍬
とはかうさくの 家のほうけん御たからの 手がたを尊の御みやげと跡を したひ
ていづもぢや 神のこゝろもちうかうのふたつをまもるますかゝみ 扨
こそそみんしやうらいのしそんと めくみたまひける