仮想空間

趣味の変体仮名

御所桜堀川夜討 第三 弁慶上使の段

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html

       浄瑠璃本データベース  イ14-00002-308

 

41(左頁)

   第三

風の勢は大海の浪を動せ共 井の内の水を動す事あたはず 九郎判官

義経公梶原父子が讒言にて 御舎兄(しやきやう)右大臣家ノ御不審日々にいや増す

京鎌倉と隔つて親々(しん/\)矛楯の折からに 北の御方卿の君はや五月の御懐妊

御腹帯の御祝儀も外様の聞へを憚りて 御譜代昵近の面々斗思ひ/\に

出仕有り めでたき例を取結ぶ帯の祝ひぞ賑はしき お次の間より女中の声

卿の君の御めのと侍従太郎森国が 妻の花の井打かけ姿しとやかに

 

 

42

列座をおめず打通り御前に手をつかへ サテ我君様へ申上ます けふの御祝儀い

くちよかけて末なかき お腹帯の儀式も相済み 卿の君様にもお里にてそれは

/\事ないお悦び 御めのとの役なれば夫侍従太郎参らるゝ筈なれ共 今鎌倉ゟ

いぢはるの梶原が上洛して 有事ない事 かあい男へ忍び妻が日文を書てやる様に

頼朝様へしらするげな 夫故にめだゝぬ様に わたしが参上いたしましたと披露する ヲゝ

さも有なん/\此義経 梶原づれを恐るゝには有ね共 鎌倉殿を敬ひおぎなふ心

より 今日の寿もひそかにと云付たりとの給へば 夫に付此おめでたを幸に 卿の君

 

様のお願ひは 去年(こぞ)の春より行衛のしれぬ伊勢三郎義盛殿の事 誤りを御

赦免有元の通り御家来となし下されかし 此間毎日/\お里へ来て お詫なされ

て給はれと あの一人当千な侍の身すぼらしいを見るめもきの毒 いとしさにお次迄道同

致ました お腹帯の祝ひに持かけ 伊勢殿の帰参の願は大きな吉左右(きつさう) 伊勢の

二字を偏と傍(つくり)を引わくれば 人平(たいらか)に生(うまる)は丸が力とよむと有ば 当る十月にずる/\/\と 御

平産の瑞相と色も香も有花の井が言葉に花を咲せける 判官始終を聞

給ひ やゝ黙念としておはせしが 伝へ聞伯夷叔斉(はくいしゆくせい)は 其罪をにくみ 其人をにくまず

 

 

43

といへり すけなく追かへすも物の哀をしらぬににたり 殊に武盛といひし頃ゟ一かたならぬ

よしみの者 先々是へ呼出せとありければ 花の井額を畳に付け有かたい御仁心 使のきぼも

立所に御対面有んと有 サア/\是へとしらすに程なく 立出るいせの三郎義盛が主の

威光に跼(せぐゝまり) 身に鰭もなきさめ小紋麻上下に垢?(垢穢?あかづき) どてら布子も打しほたれ携へ

持る一の箱 案上(あんじやう)にすへ置て 遥下(さが)つて平伏す ヲゝ珎しや義盛 汝主に暇も乞

ずちくてんして一旦見限りし義経を又候やしたひ来 所存いかにとの給へば いせの三郎承り

恐有申ひらきなれ共 君牛若の御曹司たりし時 五条の橋にて千人切の則 我父伊

 

勢の左衛門俊盛といつし者を 御手にかけちれしと発憤に思ひ込み 恨をはらさんとすれば 三

代相恩の主殺しの罪に落る 所詮討れぬ敵討とあきらめ 倶不退転の父が仇を忘

るゝからは 武士を立ても益なしと身退き縊れても死なんづ命を 老たりし母が為とながらへ

有しは 弓矢神のひかへ綱 此程誠の親の敵に廻り逢 敵にてなき御主人を暫しもうと

見し天罰の勿体なさ 身にしみ/\゛と思ひしり御詫願ひ奉ると 涙にくれ/\゛云上す 花

の井も取繕ひ何かは白木の此箱入 帰り新参の手柄始めにかん上と 御座近くさし出せ

ば 御手づからふた押ひらき 一巻を御読有より御気色替り ヤア是こそ今詮議する

 

 

44

平家の回文 我館へ忍び入盗取し曲者は 扨は三郎儕よなと 思ひがけなき咎に義盛

コハ情なき御疑ひ 其回文其が手に入し子細 他聞を憚る密事なれば 最前御式台

にて武蔵坊弁慶に 潜(ひそか)に語り置候追て御聞下さるべし イヤ猛々敷偽り 誰か有 アレ引

立よと御諚の下 西塔(さいたう)の無細胞弁慶 梨打烏帽子引立て輪棒すつたる大紋の 袖

まくりてに御広間の 大火鉢をたづさへしづ/\と御前に出 コハ仰々敷御憤り 先刻回文

持参仕ると 此御疑ひ有んと存彼が面ぱれ用意致候 コレ/\義盛いにしへの高良(かうら)の

臣は湯起請を取て君の御疑ひをはらしたる例も有り 御目通りにて鉄火を握り身の

 

申訳立られよと 火鉢にくべたる雁股(かりまた)の大矢一本 鏃を火焔に焼立て飛ちる火花を相

はらひ指し出せい いさぎよく伊勢三郎義盛か 平家の回文盗とらざる正直心 是御らんぜよ

と既に焼鉄(やいかね)手に取所を ヤレ待弁慶早まるな義盛疑ひはれて元のごとく 主従成ぞとの給ふ

こへに 三人夢の覚たる心地ハゝハツト飛しさり 悦びいたむ折こそあれ 当番の奏者罷出 鎌倉

の御上使梶原渋谷道同にて只今是へと申上れば 大将暫く御思案有 ヤア伊勢の三郎 さ

つする所此回文渡瀬と有催促ならん 其時に汝心へ持参せよ 先夫迄は休足すべしと 君の御機

嫌義盛はつと領掌し 伺公の人々諸共に 御前を立は花の井嬉しく 此様子を卿の君様へお咄も

 

 

45

申たし 蚰蜒(げぢ/\)と飆(つぢかせ)には あはぬがとく/\お暇と お里をさして立帰る 鎌倉の上使梶原平次景高

渋谷土佐坊昌俊を伴ひ入来れば 礼儀正しく義経公弁慶諸共出向ひ 上使と有はかた/\゛は

鎌倉殿も同前と 上段の間へすゝめやり御身は席をさがり給ひ 饗応殊にこまやか也 梶原

平次会釈もなく 先達て仰こされし二ヶ条の御不審 日往(ひゆき)月来れ共翻々(べん/\)と御申ひらきなきに

よつて 右大将家以の外の御怒 急北の方卿の君の御首討て 回文に相添渡されよとの御諚意なりと

にが/\敷相延れば 物に騒ぬ御大将謹で聞召れ 去頃腰こへにて 神文迄指上しに 御疑ひは

れざるによつて暫く時節を見合せ 申ひらきを立んと思ふ所に 存の外の諚意 追て返答申上ん

 

と仰もあへぬに渋谷昌俊 イヤ此上に御返答延引致さば ゆゝ敷御大事ゆびをかぞへて

ちかきに有 右二ヶ条の御不審今日中に申す開き有べし 了簡づよい梶原はとも有れ 其は用捨

仕らぬと 口にはつれなく心には 我手より渡し置たる回文にて 申ひらきを立給へといはぬ斗にいひ

廻す ヤア此景高を了簡つよいとは 熟柿(じゆくし)を笑ぶしふやの云分手ぬるし/\ 諚意を守り卿の

君の首討ふとの仰なければ此通を 鎌倉へ申遣すぶんの事と すんと立を末座にひかへし武蔵

坊 アゝ暫くお待下されよと 押しつめたる其所へ 伊勢三郎義盛映(はなやか)に装束改め 回文の一

巻をうや/\敷臺にすへ 御前に直せは 判官座上に移らせ給ひ ヤア梶原 上使の一通り相

 

 

46

済だれば あれへさがつて平家へ一味したる者共の名を一々によみ立よとの給へば 鎌倉殿の上覧にさへそ

なへられぬ回文を 拙者に イヤサよめといふには子細か有 早とく/\よ仰に景高立寄て 連判状

の紐ときひらきコリヤどうじや 口の文言我らが寺にはすちきりない字 年号月日もしれた事

と くり明/\東国八平民の旗頭大場の平太景信 同次郎景兼 古部左衛門保忠と 読さして

きつちりつまれば シテ其次の名は サアそれは サアなんとゝ 問つめられてうろたへ廻れば 判官こらへす回

文もぎ取 去一の谷の合戦の時 其に不覚をとらせんと 儕ら一家がすゝめにて 平家へうらがへつたる

侍幾(いくはく)そや いやといはせぬ証拠は是見よ 自筆にて梶原平三景時 同源太景季(すへ)同

 

平次景高と おや子三人の血判有 かゝる旧悪を隠さんが為に 諚意ごかしに此回文ばいとらんとは

ふて/\敷巧よな 此外の連名に及ずと 一つに丸め前成火鉢へ打込給へは 折ふしさそふ山かぜに

焔々として連判は 忽(たちまち)尉(ぢやう)と成にける せきにせいたる義盛弁慶詞を揃へ 鎌倉殿へ御申ひらきの

たね共成へき 一巻を焼捨給ひしは いぶかしき御賢慮と憚なく申にぞ ヲゝ驚くは断とふ迄もなし

我心腹を明さん 昌俊是へとちかく召れ 只今焼捨し回文の事は とくにも鎌倉へ渡すへきを

其が手にとゝめ置しは 全(まったく)舅時忠をいたはるにあらず 今源氏に随ふ東国の大小名の中にも 連

判したる輩(ともがら)少からず 事治りし上なれば御咎なきにもせよ 回文御手に入しと聞ば身に覚有者

 

 

47

共は しぜんと心隔り 終には鎌倉の騒動とならん 鎌倉の騒動は天下の大事 そこを思ふて焼

捨たり 是も我誤にならばなれ  天下の為兄の為是程に迄思ふ弟を 佞人讒者の偽りにまど

はされて兄ながらも 鎌倉殿のつれなき御所存 誠に他人の始りとはよくもたとへし世の諺 今義経

が身の上にひしと思ひ当しと 猛(たけく)うさめる御目の内 涙うつまく斗也 切(せつ)成君の御悔思ひやつて

伊勢武蔵 かんるい催し土佐坊もとこふいらへもなかりける 梶原はへらず口 其親子は平家

を欺く 知略の連判 誠に一味した者の為には 結構なお情と ひやうまづけば気早き大将

ぐつとせき立御はかせに手をかけ給へば 弁慶中にかけ隔り アゝ御短慮成御振舞 梶原に御

 

遺恨は私事 鎌倉への御返答くるしからずば御免を蒙り 其宜敷仕らん 君には先々御座の

間へいざゝせ給へと諌(いさむ)れば 尤とや思しけん ヲゝ忠臣は危きに顕るゝ 汝がふる舞主の難義を

身に引受んと けなげ成心ざし然らば我になりかはり 万事よきにはからふべし 義盛来れと引

連て 帳台 ふかく入給へば 梶原平次えつぼに入 サア弁慶焼けた回文はせひもなし 其代りには

あす共云せぬ 卿の君の首討て渡されよと 又ねちかゝれば イヤサ先達て時忠卿をのとの国

へ流れし上は 最早卿の君におかまひはない筈と いはせも果ずヤア其言訳くらい/\ 平家方の

娘をぐせらるゝからは 鎌倉へたいして謀反といはんにぬきさし成まい 卿の君の首討て申ひらき有か

 

 

48

但は判官殿にいたい腹切せるか 二つに一つ手短返事承らんと詰寄せ/\ 遁ぬ手詰ぞ是

非もなし 弁慶拳を握り 思案にくれていたりしが ハアゝ夫よ 愚夫顛倒迷之(ぐふてんどうめいし)と

聞時は 善も悪も迷ひの前 北の方の御首討は 不忠ににて主君を助くる大忠信 いかにも

諚意の趣 相心得候と述ければ ヲゝ其筈/\ 流石天台坊主のはて程有て尤な気の付け所

然らば今日八つの鐘を相図に めろさいが死にしやつつら 梶原が受取に参るべし 罷帰るとつゝ立

ば昌俊もつゞいて立 必卿の君の者に犬死させぬ工夫か大事 合点かと 善悪ふたりか詞詰

独(ひとつ)の心に取納め気遣有な 北の方の御首必討てよ 念にや及ぶと目礼するもにらみ合 反り

 

打かへればまん中に義有土佐坊 佞有武蔵ぼうぜんと立別れ てこそ

〽行空の 天さがる ひなにはあらぬ卿の君 雲井を出ていつしかに 義経の北の御方と

なれてはへ有武家の妻 殊更に御くはいたい御腹帯の御祝儀も相済 お上座敷は公(おゝやけ)の

事しげく お心にさはる事もやと御めのと 侍従太郎がやかたに暫しかりの先々迄 公家ぶ

け方の見舞の使者 門前市をなしにける 爰にお嬪しのぶが母親 おわきといふお物ぬ

い御機嫌窺ひとて来りける 侍従太郎が妻の花の井女房達 よくぞ/\あがら

れし けふはことなふおさもじさう故誰をかなお伽にと思ひしに 嬉しや/\いざとてお前

 

 

49

へつれ出る 珎らしや此程は何として見へざるぞ 定て四方のもみぢ見に あなたこなたと嘸お

もしろき事斗 浦山しやとの給へは 御意の通り高尾栃(とち)の尾嵐山 わけてことしは稲荷山の

薄もみぢが いつ/\よりも見事と世上の噂 ほんに/\はりのみゝずで聞斗 あなた

からは早ふこいこなたからはとふこいと 参るも/\紅葉見のおはれ小袖の仕立物 夜を昼に

京いながら打まじつて 夫は/\賑かな秋でござりますげな 是と申も義経様が

京にござなさるゝ故じやと申を聞ば弓も引かた判官様びいき 嬉しいやらめでたいやらお祝

にあかりたい けふよあすよと思ふ内娘が方から帯のお祝ひもすんだ なぜお悦びに

 

参らせぬとしかつておこした 文をろくに見るや見ず何か捨置取あへぬお悦び 何ぞ上たいと

思へどけつかうな物はあなたに有余る せめて是をとさし出す袂の内のふくさ物 是は海馬(かいば)

と申て文字には海の馬とやらかくげな めんやうきたいの御さんのまじない 私が曽祖母(ひばゝ)

が十九人祖母(ばゝ)はおとつて十三人 母から私が手に伝へあの忍ぶをうむ迄に 一度もふかくのさんを

せずまんそくにうみならべた 腹覚の有さゝげ物おつ付御さんの月満て 此海馬にひら

りとめし 検非違使五位尉源の義経様の若君我なりと 大手の門をさつとひらき

やす/\と御誕生 おめてたや/\へゝゝゝゝホゝゝゝゝハアしんどやとしやべりける ほんにつべこべ

 

 

50

/\と長口上息がはづむ 娘お菊一つくんでたもと申せば君もおかしさの 気がるにわさ/\

と物いやる おわさとはよふ付きやつたと袖打おゝひ給ひける かゝる所へ奥使いの女中申々花

の井様 君よりのお使に弁慶様がお出なりと 申上れば女房達 サア/\女嫌ひの武蔵

殿が見へたといの ぬれかけていやがらせおなぐさみにせまいか よかろ/\と立さはぐ 是々皆の衆

君よりのお使なればいつもとはちがふぞや 必々なぶるまい先つれ合をよんで下され おわ

さ女臈(らう)弁慶といふ人見てか まだならこゝにいておあいなされ かんまへて皆の衆くつ/\吹

だすまいぞやとつま諸共に出向ふ いつに勝れて武蔵坊へりぬり取て打かづき 大紋

 

の袴ぐみしたきしつ/\と奥に入 むづとざして一礼し ヲゝ存たと違ふて御顔色もみづ/\と

御機嫌の体先安堵仕る 是と申も夫婦の衆の御介抱 大切になさるゝ御くらうのかいが見

へて 祝着に存るよ 是は/\忝い御あいさつ 御主人ながら御平産有迄は此所に預りの卿

の君 殊に御存のごとく御母君 娘が平産祈りの為願ひを立 伊勢参宮のるすの内 弥

我々が心づかい御推量 義経公の御前幾重にも御取なし いや/\取なしに及ばぬ 物ことの取

なしといふは かあんれ八合な事を十分に云が取なし 弁慶は夫嫌い 見た通を罷帰りまつすぐに

申さば 君も嘸御満足 扨是は御夫婦への咄ではない かうがくの為卿の君への御物語 惣じて

 

 

51

勇士の戦場へおもむく時は 三忘(ぼう)と申て忘るゝこと三つ有 国を出る時家を忘れ さかいを過る時

妻子(つまこ)を忘れ 敵陣にのぞんで我身を忘るゝ 婦人のくはいたいもなつ其ごとく 一気腹にやどる所

取も直さず勇士の国を出る時 御腹帯をなさるゝ所が勇士の妻子を忘るゝ所 既に月

満ちすは 御さんの紐をとかるゝは勇士の敵陣へかけ入て 是ぞよき敵ござんなれのがすまじとひつ

組で 首を取かとらるゝかよい子をうむか得産ぬか 生るか死るか生死(しやうじ)のさかい 爰をよふ御合

点なされ兼てなき身と思召ば 其ごにのぞんでふかくをとらぬ ナフ御夫婦ぞふでござらぬか ヤ

我申事斗 肝心肝もんの御内談遅なるか 爰は端近ひそかに御意得たし 女中方も遠

 

慮めされ奥へ参らふか いさお通り御案内と卿の君をいざない先に立はなふ御夫婦 兼てなき

身と存せねば 其跡に必みれんが出るではござらぬかと 鎌倉殿の難題をつい打明ていへば

えを 暫く心奥の間に打つれ伴ひ入にける 年若けれ共利発者しのぶさはいしナフ皆

様 何事の御内談お隙がいらふもしれまいに お盃でも出してはの 夫々マアおたばこぼん

お茶持いくぞや よからふ/\おくはしもついでに頼ぞや さらば此間にちよつとかゝ様此頃はお

顔も見ず おなつかしやと立寄ば そなたもそく才に有たの 明くれ傍に引すへて見れ共あか

ぬ一人子を 手離して置く親心親なつかしと思ふより 百千ばいとはしらぬかや たとへ御前の御意

 

 

52

に入共 必々ほうばい衆をそでにすな かけ口つげ口たしなんで諸事を内はにひかへめに でかし

立してそねまるゝな 林の中にも高い木は風が枝をば折ぞとよ 一人ねざめの度ごとにあはゞ

どふいふかふいふと ためて置た数々もあへば嬉しうて口へ出ぬ 何をいふもかをいふも身を大

事に煩ふてばしたもんなと手を取かはしなでかはし 心をつくす親と子のわりなきふぜいぞ

道理なる やゝ有て侍従太郎奥より出るくつたく顔 おわさめ早く是は/\侍従様 お

顔の色わるふおめの内もうるんで 気のうかぬ御様体御内談といふは何ぞ いや/\/\気遣

の気の字もない 気のうかぬ事みぢんもなく 心がしよぎ/\と盆を持兼る ヤよいつい

 

てじやわざといてもあはふと存た幸じやちよと物語致さふ 別の事でもない物でご

ざる 拙者そもじの息女此しのぶに大しう心 エイとおやこが奥さまし娘は母の後かげ ちいそふ

成て身を忍ぶ 是々さましてもらふまい ほれて/\けふ八つ迄の内にもらはねば 此方のくめんが

ぐはらりとちがふ 今おくの時針を見たが九つ迄 半時にはまだならぬ 秋の日は短い八つに成は手

間隙入ず サアおつといふてもらいたい 時忠の執権侍従太郎 年に不足もない男 うは気で

ない虚言申さぬ サア下さるかサアどうじやと ましめになればけら/\と嘲り笑ひ ア有がた

い忝い 太山(みやま)の斧のこけらくず誰取上る人もなく 徒にうづもるゝ我娘を御しうしん 進ぜまし

 

 

53

たら何となされます ハテ女房にしますはいの あの花の井様といふ うつくしい奥様の有

上に いやてや花の井は隙やつて しのぶを奥様にするはいの 侍冥理愛宕白山偽り

ないと いふ後ろに立聞く花の井くはつとせき 顔は上気のつまべに血筋はしり寄り なんじや花

の井は隙くれる 何をどうして隙下さる子細が有ふ 訳を聞ねば自も武士の娘 終くつ/\と

暇はとらぬ其訳聞ふ ヤアしやらくさい 昔より女房は衣服にたとへ あいたればいつでも脱

かへて 外の着物をきるはい 是より外の子細はないこゞといはずと帰れ/\ ムウ聞へた あかれてそづ

ては面白ふない隙とつた 実正しのぶを女房にもちやるの くとい/\ 持て見や 持て見

 

せふぞ見るぞや見せふとがをはつて まけずおとらずあらそへば 見兼ておわさ押隔 あきれ

て太郎様にはいつそ手が付られぬ 慮外ながらはしたない奥様 たとへいかやうにおつしやる共

お前をさらせてそんならばと 娘をしんぜそふなおわさじやと思召か 女御后に成とても 道

ならぬ栄花を悦ふ様な私共ではござんせぬ 気遣ひせす共早ふ直らしやんせしつ

かい気ちがいのさたじや迄とあざければ スリヤ気ちがひの様に見やるかや 様な段ではござ

りませぬまきちがひてござりますはいの ハアはつと夫婦は顔見合せ暫く 詞もなか

りしが やゝ有て花の井 実や思ひ内に有れば色外に顕はるゝ 気違共狂人共見ゆる筈 心は

 

 

54

とふから気違に成ている其訳は けふむさし殿の参られしは 卿の君の首討て渡せと鎌

倉よりの御難題 其為に梶原平次景高 土佐坊昌俊の上洛 討て出さねばかな

はぬに極り 悲しや卿の君様のお首を取に見へたはいの おちいさいからふうふの者が手しほにかけ

そだて上たあのお子 畏た御勝手になされとそもや首が切されうか 殊更只ならぬお

身の上 弁慶殿も切兼てとつつおいつしあんの上 昔よりないならひではなし人の見しつ

たお子でもなし 見がはりを立まいか其身がはりは誰彼と詮議の上 年頃みめかたちも

相応した此しのぶ 夫とてもお家譜代相伝の人でもなく 命を下されといふ程の恩を

 

見せたといふではなし むたいには殺されずがてんしてはよも死まい 何とせうどふせふかう

せふでは有まいか 幸おわさも来ていやるおとなげなけれど太郎殿 しのぶにしう心な

といひかけて むりに女房におもらひなされ そこで私が悋気するは にくいやつじやと隙

が出る心得たと隙取るは サア今日の只今かうしのぶは侍従が女房じやと こん/\の盃し

た其上で 女房共まつかふ/\じやと訳をいふて 我女房に成からはそちが為にもお

主の身がはり 死でくれとのつ引させず 命をおもらひなされぬか 是よかろふと談合づ

く 不調法な女夫喧嘩もお主の命助けたさ そんならおれが娘は殺しても大事ないか

 

 

55

身がちな事をいふ道しらず物しらずと さげしみも恥かしけれど正真の背(せなか)に腹とやら コレ

おわさ女郎了簡は有まいか 夫婦の者のくるしみを思ひやつてと斗にて かつはと伏て泣

ければ 夫もざしたる膝を改 浮世の中の無心といふに是に上こそ無心も有まい 其返報

には夫婦の者を 八つざきにもなされちつ共おしまぬ 惜まぬ命は二つ有共一つもけふの役に立

ぬい 本意(ほい)なさ無念さ悲しさを 推量有と斗にてはら/\と泣ければ しのぶすゝみ出扨も

/\神ならぬ身は そんな事とは存ぜいで 年ににあはぬ恥しらずと思ひ侮りし 十年廿年

の宮仕へもたつた一日御奉公申ても お主様にちがいはない 其御なんぎが何と聞ていられふぞ 私

 

がやうな者の首でもお役にさへ立ならば 願ふてもお身がはりに立たい サア首切て

御用に立て下さんせ 申かゝ様 四年跡の大煩ひ聵(つんぼ)程薬はきかず 死る命をお

まへの精力(せいりき) たつた一つでたすかつたれど 其時死だなと明らめて下さんせ 私はお身が

はりに死ますと 聞きもあへず飛かゝりだきしめ/\ 是つか/\と物いやんないのだま

つていよぞ 是々此子はな 一人出来た子ではござんせぬ 顔もしらず名もしらねど父(てゝ)

親が有 其人を尋て渡す迄は指もさゝせぬ そつじにきらしやつたらきくこつちや

ござんせぬぞ コリヤやい/\ いかにうろたゆればとて 母おや斗でできる子が三千世

 

 

56

界にあらふか 其上顔もしらず名もしらぬ父おやを尋 手渡しするとは何をし

るしに尋るぞ 偽り者ひやうり者 得心せぬ者むりやりに身がはりに立ふとはいは

ぬはい 小心(こごゝろ)にさへ主従の道を弁ふるに 見限り果たる女目娘をつれて早帰れ 心

いそがし立てうせふ女房こちへと立上る なふ申マ待てたべ 偽り者といはれては親

故此子が頬よごし 顔もしらず名もしらぬ 夫を尋る印は是と 上の一重をおし

ぬけば右はかはらぬ詰袖に 左斗がふり袖のこきくれないの染もやう 橘ならぬ

袖の香の昔床しく忍ばしく 是を御覧なされても子細をいはずば御がてんが参る

 

まし 娘が聞まへ恥かしきむかし咄しなれ共 私はもと西の国の在所者 親は所

の何がし 十八年いぜん頃は夜も長月の 廿六夜の月待ちの夜 私が所は諸

方の入こみ 誰とはしらず袖をひかれてあのゝものゝをいふ間もなく くらがりま

ぎれのついころびね つらや人の足おとにおどろひて 其人はおき行袂をとら

ゆる拍子行拍子 ちぎれて我手に残りしは此振袖 かり寝の情はたつた一度

の浅けれ共 いもせの縁やふかかりけん 其月より身もおもく懐胎し友

達衆の介抱にてうみ落せしは此しのぶ てゝなし子うんでは家の恥 子を捨

 

 

57

て嫁入せよと親々のいけん 御尤とは思ひながらふたりのつまはかさねまし 縁

有はこそ子までうんた物 此袖をしるべに尋あはんと 国を出て銃し知念水子

抱かゝへさまよひ さま/\のうきかんなんあの年迄そだて上ても 此子が縁のうす

いのか我身の縁のうすいのか 今に尋あはね共此上にまだ五年が十年で

も 女の念力是こそ娘よ父御よと 名乗あはするそれ迄は のみにも喰せぬ

大事の娘 相応に物の道理も忠義もしつたれど お役に立ぬは右のわけ

ひかうでない未練でない申分け 永々と嘸お気がせこふ サアお入なされ娘た

 

ちやお暇申そふ コレたちやいのといへど立かね見捨かね 親子心の隔の一重

誰とはしらずしのぶが背骨障子ごし ぐつtpさいて一えぐりうんともだゆる

くるしみに 是はと驚く母の親侍従夫婦もげうてんし ヤア殺し人はむさし

坊 かゝるらうぜき心得かたしいかに/\とつめかくる 母は泣やら気は狂乱 扨は

夫婦の衆とぐるになつてころしやつたのきかぬ/\ 本のやうにしてかへしやと

すがりわめけばこりややい 声びくに物をいへ いやたかふいふなぜ切りやつた 夫は

段々しさいが有 まあておひをいたはりかいほうせよ なんじやいたはれ いたはれと

 

 

58

いふ程なら切ぬがよいと離さねば 待(まて)々見する物有と押はだぬけばこはい

かに 下着の衣(きぬ)のくれないに大振袖のだてもやう是見たか 此かた袖はそつ

ちに有ふが 播州姫路の福井村十一(といち)兵衛が所の月待ち 廿六夜のかり寝はそ

なたで有たな エイ其時のおまへの名は ヲ書写山(しよしやさん)の鬼若丸 すればおまへ

は娘がてゝご 其てゝごが又娘をば ヲ殺したは身かはりお主の役に立るはい ハア

悲しけれ共夫なれば恨はない 是なふ娘尋たそなたの父ごといふは弁慶様 御た

いめん申あぎやいのと 抱おこせばおこされて かゝ様何ぞおつしやるそふなが 耳が

 

聞へぬもふ目が見へぬ 必弁慶がそばにいておまへもころされて下さんな

アゝずつないくるしいといふ声も次第/\にせぐりきて 早玉の緒も切はてゝ

此世の縁は絶にけり ハア悲しやもはや息がせぬはいのと 聞てみな/\立さ

はぎ見れ共ほとをり斗にて 其かいさらになかりけり 母は膝にいだき上 扨

も/\浅ましやいか成因果な生れ性ぞいの 父ごを尋そめたは五つの時 申し

かゝ様 よその子供衆にはとゝ様も有かゝ様も有 私にはなぜとゝ様がござら

ぬ あはせて下されといひ初めて此かた 一年/\ちへの付に随ひ 訳を聞て猶あい

 

 

59

たいとせがむ故 在所にも有にもあられず其夜は都の衆も有た物 もし

やと都へ上つて尋ても しれなんだこそ道理こな様で有た物 かはいや此子は一生

父ごを恋したひ 一生物を思ひ詰けふといふけふ尋あひ せめて一時半時も我子か

とゝ様かと一所にもいる事か 詞もかはさずしかも父この手にかゝり 弁慶が傍に

いてかゝ様も殺されなといふて死だ心の内いか斗くるしかりつらん父ごのしかたもむご

たらしい 同じ殺す道ならば互におやよ娘よと 顔も見たり見せたり納得させての

上ならば 是程には思ふまいヤレ娘よ父こぜこそつれなく共 母に恨は有まいにたつた

 

ま一どかゝ様と いふてくれよと斗にて 空しきしがいをだきしめ/\くどき立声も おし

まず泣いたる 弁慶も諸共にむせふ涙を押かくし よしない母が悔み事 咄を聞と

ひとしく扨は我子と飛立斗 生頬(いきづら)も見たかりしが なまなか見つ見せては未練の

心もおこらんかと いきぬ様にえ上りし物一たまりもこたよふか 弁慶とても木竹では

なし 生れてより此年迄跡にも先にもたつた一度 てんがうな事して生れたる 我

子と聞てにくからふかかはいかるまいか 其やうに泣くを見て太郎御夫婦のいやらずばと 泣

より泣ぬくるしさは鳴く蝉よりも中々に 泣ぬ蛍の身をこがす小歌も我身にしら

 

 

60

れたり 是に付ても恩のふかき事 今取分て思ひしる唐土(もろこし)の樊噲(はんくはい)が母

の小袖を母衣(ほろ)と名付け 戦場迄持たりといふ夫を学ぶにはあらね共 此下着は母の

手づからぬい仕立て下されし 汝に片袖を取れたれ共 なき母にそふ心して縫いも直

さず 振袖の此儘四国九国の戦場 けふの今迄肌をはなさず持たればこそ 名

しらす顔もしらぬ親と子の印と成て十七年めにめぐりあい 主君の絶対

絶命の 大事のお役に立る事 偏になき母の此小袖に手を通し おや子を一所に

引合せ給ふ広大無辺の親の慈悲 子故に親は名を上る よふ死だなでかした

 

な とはいひつゝも息有内是こそ尋たてゝじやはやいと こんな頬でも見せ

たらば嘸嬉しがらふ物 是斗が残り多い親も一生子も一しやう 云初めのいひ

おさめ せめて一口とゝ様かいのといふてくれと うまれた時のうぶ声より外には泣ぬ

弁慶が 三十余年の溜涙一度にせきかけたくりかけ 侍従夫婦がもらい泣 四人

の涙八つの袖八つの時計を打ちませで 悲しひ事の数々をいひつくすこそ果し

なき 弁慶はつと心付 なむ三ぼう歎きにまぎれしか 半時の時針も聞ざりしに

早八つ 御首討て渡さんと梶原にけいやくの刻限 時移つては事むつかし サア

 

 

61

太郎殿卿の君の首討て渡されよ 是より我は検使の役と せきを改め

座しければ 実(げに)/\公事(こうじ)に私の歎きかへがたし 只今卿の君の御首討申と身つく

らひ しのぶがしがい引よせてあへなく首を落し サア受とられよとどつかとざし

かへす刀を我身の弓手のこはきにつき込 きりゝ/\と引廻す 物に動ぜぬ武

蔵がおどろき妻はあはてゝすがり付き とかくの詞も泣斗 ヤアさはぐまい武蔵殿

切腹御合点がいかぬか 是なふ御辺が細工の君の此にせ花 尤大がいはにた

れ共 実は雲の上人と地下人の色かのちがひ 梶原が邪智つよきまなこ

 

に見とがめ 詮ない事になつてはと思ふに付 卿の君のめのととは 鎌倉殿も

しろし召たる 此侍従太郎が首そへて渡されば 天地を見ぬく梶原もよも

作り花とはいふまい 誠の花と見せふ物 しのぶに犬死もさせまい物と思ふ

故 ごへんがさいくにそへてやる 心斗の色香ぞや ほゆるな女房是まで

御存じない事を それ泣て奥へwしらするか 万事武蔵殿の差図を受け

おわさと中よふ御平産の跡々まで 心を付るがおつとへの忠せつ こゝ

ろへたるか泣な/\ サア武蔵殿時移る首うつてたべ ヲゝことはりを聞

 

 

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上は辞退申さぬくはん念有れとぬきはなし ひらりと見へし刀のかげ首は前

へぞ落にける 直ぐに袂を押切/\二つの首をつゝむにあまりむにも

るゝ 涙よ歎き果しなくさらば/\と首を左右にかきいだき 立上れば

是なふしばしと取付て 我は未来の約束せん 我はおや子の一世

の限り共に名残に今一度 なき顔見せてたべなふと泣どしたっへとこが

るれど 心づよくもふり捨て見せぬもつらし見ぬもうし 返らぬ道に あこがるゝ

夫の別れ子の別れ 二つ歎きを一筋に見捨て 御所へぞかへりける