仮想空間

趣味の変体仮名

火水風災雑輯(一)46~49コマ

 

読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2592140?tocOpened=1

 

 

46

江戸丁々火用心道具品数附

(上段)

宝町一丁目 

一はしこ(梯子)二丁 

一りうこし(竜骨車:りゅうこし)二つ 

一ておけ(手桶)三つ

一けんは(玄蕃:げんば桶)二つ

一かこつるへ(籠釣瓶)二十

一高はり(高張提燈?)二つ

(以下道具省略)

同弐丁目 同三丁目 本舩丁 同下がし 同米がし くき店 安針丁 同所 長浜丁一丁目 同二丁目 小田原丁壱丁目 同ニ丁目 深川丁 北鞘丁 通壱丁目 同二丁目 同三丁目 中橋広小路 南伝馬丁一町目 同弐丁目 西川岸丁 ?寿屋丁

(二段目)

瀬戸物丁 駿河丁 伊勢丁 同裏がし 同横がし のだ平 本両替丁 同川岸 本葦屋丁 金吹町 本丁壱丁目 同ニ丁目 同三丁目 同四丁目 十軒店 岩附丁 江戸橋蔵屋敷 元四日市丁 青物丁 萬丁 与作屋敷 銀座壱丁目 同ニ丁目 同所 同所

(三段目)

本石丁一丁目 同ニ丁目 同三丁目 同四丁目 鉄砲丁 本銀丁一丁目 同ニ丁目 同三丁目 照降丁 本銀丁四軒屋敷 後藤屋敷 元乗物丁 神田鍛冶丁一町目 新石町野嶋屋敷 鎌倉丁 同所としま屋 銀座弐丁目 同所 同所 しんば 本材木丁三丁目四丁目 福しま丁下まき丁 はくや丁岩くら丁 檜物丁 桶丁

(四段目)

養安院屋敷 三河丁一町目 同ニ丁目 同三丁目 同四丁目 永富丁一町目 同三丁目 「永富丁二町目 新かわや町 皆川丁 蝋燭丁」 新銀丁 上白壁丁 神田紺屋丁一町目 同二丁目 同三丁目 元岩井丁 同上納地 亀井丁 三十間堀壱丁目 同四丁目 同五丁目 同六丁目 北紺屋t丁 南紺屋丁 休伯屋敷 弓丁 尾張丁弐丁目

(五段目)

小伝馬丁一町目 同二丁目 同三丁目 大伝馬塩丁 同ニ丁目 通度籠丁「南側店中 北川店中」 たか張三つ「大丸店中」(略)弥兵衛丁 横山丁一町目 同ニ丁目 同三丁目 馬喰丁一町目 同二丁目 同三丁目 同四丁目 西尾張丁弐丁目 南新堀壱丁目 南新堀ニ丁目 同九軒持 北新堀 小網丁壱丁目 同二丁目 同三丁目 葦屋丁

(六段目)

豊島丁 久右衛門丁一町目 久右衛門丁二橋本三 橋本丁壱丁目 同ニ丁目 同四丁目 吉川町 橋丁壱丁目 同ニ丁目 同三丁目 村松丁 久松丁 元濱丁 富沢丁 高砂町 長谷川丁 堺丁 新和泉丁 同四方 田所丁 難波丁 同裏川岸 堀江丁一丁目 同ニ丁目 同三丁目

 

 

47

嘉永七甲寅十一月新板

「諸国 大地震

 地震の辯

抑地しんと云寒暑(かんしよ)温冷の平順なるときは安全にして

異変震雷等有ことなしいん気陽に押いれ発成

する事なりがたしきにより大小のぢしん有はその気の

強ぢやくによるところなり惣じてふじゆんのせつは天雷

ぢしんのきう変あつて其気の甚しきところは

つなみとうあつて村里をかい中へ引入大舟を山岳へ折上

古代の江川流地とうを埋みあらやに泉わき出池裂(さけ)て

火気出て民家をやく抔有ば諸人心得あつてりんじ

のあくさいをのかるべしすでに今度嘉永七寅年十一月四日

五つ時大ぢしん大つなみの入し国々を委細しるす

東海道をはじめ先さかみの国は小田原大久保加賀守様

御城内少々そんじ宿中は土蔵三十余くずれ町

家大はんそんじけが人ておい多し箱根は少々

そんしけげにんすくなし山中は人家大はん

つふれ三つ谷崩れ御関所そんじ山々しんどう

なし大石大木うち折湯もとをへん

はしめ人家大ひにつふれそんじめる

三島宿は人家をたをし其上新町

はしさはより出火いたし明じん前

伝馬町久保町方へ三丁ヨ(余?)やける

ぢしんはます/\つよくなり死人

けが人七十ヨ人きう馬迄

やけしす又うつまり死するも有

あはれといふもおろか也伊豆の国

大しまかんず三倉三宅其外しま

/\大ひにゆれいろをかさき戸田河津

いなし赤さはいとう北条にら山仁

田しゆぜんじあたみへん一同につぶれ

死亡のもの多くけがにん少なからす下田は

千弐百けんよの人家つなみにて押ながし

あと十五軒程のこる人々大てい山上へ

にげあがりたすかるもの少なからすと云

あしろ大せん四十そうよ小舟かずしれ

ず大つなみにて引れ大はんゆくへしれす

又は山上へうちあけ破そんの舟おゝく候

しらすかも大あれにてゆりつふす

人家五百ヨつなみにしかれ死亡けがにん

すくなからすふしのこしは二三百石づみの舩二

そう十二三丁ほどくがちへうちあけるするがの国

沼津水羽出羽守様御城下大そんじにて

家はつぶれ出火となり又も濱手は大つなみに

人家そんほうおひたゞしく凡このところにて

二百人よておいけが人ありあるひは牛馬迄死

かん原宿由井おきつは人家そんし出火

なし七分とふり焼失なすえしり宿は清水

のみなと町家不残つふれ大火となりてをい

けが人は少からす老若男女八方へさんらんいたし

そのこへて地にしひきまことめもあてられことなり

同日おなしこくけんふし川のがげくつれ二丁ヨ埋ル

川水わうくわんに流れるさつたとうげくずれ

三保の松原甚つよく吉田辺も同断なり

府中の御城下大はんそんじやけるなり弥勒

へんあへ川まん水にてこまる小嶋一万石

松平丹後守様御じんや下まるこ宿うつのや峠

みね大あれにてくつれおかへ宿藤枝宿甚つよく

田中本多豊前守様御城下大そんし人家は

大はんつぶれ焼失に及ぶせと川まん水にて留

三けんやしまだ宿つふれ大井川古今の大

水ためし少し金谷大はんつぶれ日坂同断

さよの中山大地ごく小ぢごくこと/\゛く崩れ

しんとうなすかけ川太田様津守様御城

下大はんそんじ宿中大ひにつふれしゆつ火

となり六分どふりやける袋井宿見付宿は

同断池田いづれも大そんし大てん龍小てん龍

此川一つになるにもたらず五百軒程つゝみ切

人家あまたそんする也横須賀西尾おきの守様

御城下大そんじ人家つぶれうつまるなる袋井見

付宿ゆりくすし出火となり三分どふりやける

濱松井上河内守様御城内人家そんじる舞さか

あら井大はんつなみにながすなを又七里のうみは大あれ

 

にて人家大はんなかすしらすか二川三分とふりそんし

吉田松平いづの守様御城内少々そんし町や大はん

につふれや多し御油あかさかふぢ川大あれ宿/\はそん

しなりおかざき御城下人家少々そんしる也

同こく田原三宅對馬守様御城内町家そん

しるなりちりうなるみ宮の宿長しまへんそんじ

桑名松平越中守様御城少々人家もsんし

少々四日市つづれ家四十三げんはまて大つなみ

神戸本多いよの守様御城下白子上の

三分とふり大そんなり津藤堂いつみの守様

御城下大ゆれなれどもそんじ少し

くもつ月本六けん松坂くしだ小はだ山田

丁は家蔵大ひにそんじ宇治ばし二見かうら

大そんじ忝も内宮外宮御別条近へんの

人々少もけかなく恐れ尊べし石やくし庄の宿

亀山石川日向守様御城下そんし町家は

大ひにくつれ伊賀の国はそんじすくな

尾張みやの宿大はんそんしる也

濱手は二十三間つふれ土蔵は

くづれ御役しよそんし

かめざき半田大つなみ

名古屋清須少々そんじ

摂津国大阪安倍川ぐち

すじあち川ばし大仏

じま九条嶋このへん人家

大はんそんしる御舟奉行

御蔵御番所舟つばし大そん

山田町兵庫丁みなとばし六

左?丁みな?ばし常安へん大つなみにて

ながす仁兵衛丁床村新田良丁次郎

べいてうふくしま天神正せんじ本町狐辻

あはち丁大ちわれすな水ふきあげ町家は

二十けんほどながすせとのまちかく川道

ふき丁江戸ぼりしんさいばし三まいばし

二十けんよつぶれあぢ川大つなみにて大舟

小ふねおひたゞしく押上はし/\゛三十八なかす

又は大黒ばし迄大舟四五そうゆりあげ

てんまふね小舟とうは大ふねにあたりて

大はんみぢんと成死人けが人かず多し

天保山大そんしるいけたいたみにしの

みへん兵庫大そんなりあまがさき

松平とを/\みの守様御城下そんしる

三田九鬼長門守様御城下へんそんじ

あさ田青木かいの守様御しんや大そん也

山城国淀の御城下伏見京都玉と河内は

大ぢしん也紀伊国はくまのくら大つ浪

家々大ばんそんじるわか山紀伊様御

城下そんじる田辺安藤飛騨守様新くら

水野土佐守様御城下大ひにそんじる

人家大半つふれ惣て九十九浦黒江日方

藤代大つなみにてゆか下三尺斗り汐上

同廣うらとふり流失いたし候河原箕

まゆらのみなとなかれる大しま有田の

加太目寺辺大そんし泉しうきしのわだ

大そんじさかいの丁大坂同やうにそんじ

城前ふく井の御城下大そんしるなり

同つるが辺丹後神山同そのべ四こくぢ

一えんあしう徳しま御城下大

にそんじ其上五百らかんへんは

大はんそんじ土佐のくには大そん

しるあはじ島大つなみ丸がめ

京極土佐守様御城下そんしる也

いよのくに少々播しうは赤かう

森えつ中の守様御城下そんじる

びせんたの口下むらへんひつちうくら

敷玉しまへんびんご尾の道鞆ふく

山 阿部いせの守様御城下へんは

少々そんじ靏さきそんじ少肥後の

くま本御領分大ちしんつなみにそんじるなり

この外同時しんしうわた峠辺下のすは福しま

御関所へん上ヶまつすはらの尻へんいたつてつよく

そんし飯田の御城下大そん也松本御城下大はん松城御城下

つふれ家多しなか/\筆紙につくしがたくこゝに略す

(下図内省略)

 

 

48

嘉永七寅十一月五日朝五つ時ゆり出し

東海道 大阪辺 大地震津波図」

(上段)

嘉永七寅六月十四日大

地震ゆり出し候へ共市中

無別条候に付氏神へ御礼

之御千渡いたし目出度

祝居候所又十一月四日の朝

五つ時大地震ゆり出し

所々損じ候へども格別

の事も無候又五日七つ

時に前日同程の地しん

ゆり夫より後止事

なるゆり夜五つ時に大

地震ゆり都合三度の

大地しんにて終に所々夥しく損じ申候併怪我人は十人斗り

の由に御座候尤門口に固いたし毎夜野宿いたし申候誠に

前代未聞成事に御座候損じ候所荒増を左にしるす

天王寺清水舞台

一塩町さのやばし

一汐津ばし近辺

一京町堀三丁目

一あわざ戸や町近辺

 都合弐十軒斗

御池通五丁目四軒

 ばかりくすれ

(二段目)

一座摩宮鳥居

一御霊社井戸家形

一天満天神井戸家形

一順けい町丼池角

一玉造二軒茶や十

 軒ばかり

一あみだ池横門すじ

一橘通三丁目

(三段目)

北久太郎町丼池北

 家二三軒

一福嶋五百らかん

一籠屋町

一なんば新地みぞ

 のかは

一住吉とうろふ六部

 通こける

此外所々少し?損じけれども数多く筆に

尽しがたく候也

(下段)

寅十一月五つ大地震ゆり通しの中へ湊口仲手

より大津波打込川口に碇泊有之大舩小舩とも

不残安治川橋上手へ打上げ安治川ばしかめばし

打流れ申候其大舩帆柱立たる儘橋より上へ打上げ

申候道頓堀川にては大黒橋迄はし残らず落申候て

大黒ばし迄大舩小ふね共打込又材木抔も沢山に打上げ

何れの川筋も舩并に材木にて押詰り破舩抔之数

知れず大然見聞したる所にては常々碇泊の舩九部通りは

破損に相成流人の数何程とも不知此度此津波の有

さま筆紙に書尽しがたく前代未聞せず大変なり

其場所へ行見たる人は能御存じ人の咄しと申は五寸

ばかりの事壱尺にもいふものなれ共今度の事斗りは

壱丈の事が五尺によりいふ事不出来位の事にて誠に

存知もよらぬ大変也湊口図にしるしたる川/\残らず

津波打込町家は流れ申さず舩斗りに御座候尤も

舩はみじんにくだけ申候落たる橋々左にしるす

からかねばし

安治川橋   高ばし   水わけばし

日吉ばし   かめ井ばし 黒がねばし

住よし橋   汐見ばし  幸ばし

かなやばし  大黒ばしにて止り申候

「大坂 湊口 之図(図内省略)」

 

 

49

嘉永七甲寅十一月四日五つ半時ゟ

「諸国 大地震津波 三編」

(一段目)

御公儀様難有

御仁誠に依る市中

の人々是を悦び寔(まこと)に

有がたく思わぬもの

壱人もなし然るに

諸色米萬端何に

不寄直段追々下直に

相成悦ぶ事限りなし

依て市中の人々第一

火の用心大切に相守り

万事の事心を懸物

事諸人に至る迄相慎

候事

「大坂川口大津波の大略」

安治川尻近辺死人凡

三百人ヨざこば近辺死人

凡弐百人ヨ寺嶋同死人凡

五百五十人ヨ堀江川近辺

同三百人ヨ道頓堀木津川

近辺にて凡三百人ヨ其ほか

所々廿人三十人あるひは

十人五人と即死いたし候

事は世にはめづらしき事也

もつともけが人は其数し

れず即死の数凡弐千余

に聞へ候此人々一度に声

をあげなきわめき其

あわれさはなすにはなし

きれ申さず候

十一月五日くれ六つゟ夜

五つ時過までの事に御座候

(二段目)

「伊勢山田并志州鳥羽」

右月日大地震大あれ

にて人家大躰半分

はくずれ大いなる

こんざつなりその

あわれさ申にたへず

こゝに御気のとく成は

御さまは年頭の

したくをいたされ

大坂表へのぼり此度

の大坂のつなみにて暦

抔進物のたぐひ難

船せし御方もあり

まことに/\前代未

聞の事也太神宮

御社并に末社社家の

家々地震がために少々

いたみ候所数多く

▲志州鳥羽辺は同日に

地震一通りならず

大ゆりとて人家くずれ候

事は大体其国は半ぶん

はかりくづれ候所へおお

津波打来り御家中

町家とも大半ながれ

人々の難義致し候はあはれ

なり其大変文面の

しらせのうつし是にしるす

尾州路 書しるす事数 多有とも略す」

同日同刻大地震にて

町家損じたる事その

数をしれず寺院名古や

御城下御家中は申に不及

地震にて大崩言語に

のべがたくまことに/\

あわれなる次第なり

(三段目)

「伊勢四日市 十一月四日 辰ノ半刻ゟ」

地震ゆりはしめ其

おそろしさ弁述にのべがたくもつとも

家かず三十けん斗り

ゆりくづれ男女

子どもにいたる迄その

混雑おそろし事成に同日

申ノ刻に迄に又ゆり大地われ

益々強くゆり人々其中へ

落込候事は其数しれず

又同日いせ津へん同様なり

尤家かず二十四五けんも

くづれそんじたるは

其数しれず外に白子

かんべ松坂桑名へん

大じしんなれども

少々のいたみ