仮想空間

趣味の変体仮名

火水風災雑輯(一)60~64コマ

 

読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2592140?tocOpened=1

 

 

60

  年魚瓢箪人浮状之事(なまづひやうたんにんうきじやうのこと)

一此震(うご)九郎?申者生国は常陸の国要石郡(かなめいしごうり)地潜(ぢもぐり)村出生にて慥

成動々(ぶか/\)者に付燃上りこの火事抔共(らども)燃人(やけにん)に相立危難加多(がた)え

御麁相に震(ゆり)上候処物騒也難義の儀は当卯十月二日の晩

お眠気時ゟ翌(あくる)三日四つ這迄に相定御損金として損両損分(ぶ)

損朱惜(おしく)も焼取れ申候御仕着(きせ)の義は夏は震電雷鳴白両光物(ごろかみなりのゆふだちしまひかりもの)

一つ冬は焔巌粉布(ひのこのふるぬの)子一枚可被下候事

一御関東様御八州の義不及申諸国一統為相動(あいゆるがせ)申間鋪(まじく)候万一

此者御臺所勝手ヶ間敷(がましく)氷仕女(おさんどん)方へ参り大摺木(おゝすりこぎ)を震立(ふりひたて)摺鉢を

破(こわし)這々の上内々の地震致候歟亦は動逃壁落致メ(ゆりにげかべおちいため)候はゞ高梁(こうばり)を以(もって)

取繕急度したる大工左官差出早速埒明(しゃかんさしいだしさつそくらちあけ)可申候

一愁障(しうせう)の義は鐘(つりがね)の難題宗にて寺は小震(ゆれ)川散々橋ぢやんぐわら寺(じ)暫

時に崩(くづれ)家少候御八方を震支丹焼宗門(ゆりしたんやけしうもん)には無之候若(もし)此物音儀に付

日合(ひやはひ)ゟがらくら動振抔(ゆすぶりとう)無之候万一震返し津浪抔致候はゞ要石に判人(はんにん)の

堅我抔(かたいわれら)地しんに早速曲出(かかりいで)ぎうと押付野田へ転寝(ごろね)御苦労小屋掛差

懸申間敷候地震の後材木買て値段の高し

 安心ニ年 是から〆この卯の十月 

請人 天井張下水仕事新井丁 ふしん屋でき介店 家根屋大九郎

  人入主 へたくた壁塗門内左官は早智光院地内 こまい屋角左衛門店 つた屋煤兵衛

積田金蔵河岸(つんだかねくらがし) 無事田繁昌郎様

(下段)

其陰陽混克して地気天降(てんごう)の時を得て埋(うづも)れらる気を發

し物和順するが故俗世なをしとふ此云すてべからず人和合順敬を

元とすべし是を孝とす孝は百行のつかさなれば人孝なきを木石と

いふしかある時は親に善事をきかすべし必麁略に思ひ給ふなみづから

もとむる災ひは悔みても詮なし天災をのがるゝも孝徳の余慶なれば

早く故郷の父母につげて安心さすべし頃は安政ニ卯年十月二日すこし

くもりけれど風いとしづか成けるに俄に鳴動して地震一時に夥敷家倒

けがする人数しれず此故に出火して新吉原丁不残此内けが人かずしれず

田丁山の宿聖天丁三芝居不残やけ花川戸浅草かんのん地内やけて

十八面?堂ばかりのこる駒形並木すは丁黒船丁にてとまる下谷は三のわ

坂本火除地まで池のはた仲丁一めん松平豊之丞様榊原蔵部太夫

御やしき小川丁まないたばし御やしき丁家ともごしいん原地さける

又上の広小路ゟおなりかいどふ石川主殿守様井上ちくごの守様

小笠原左京太夫様か仲やしき神田ばし内松平紀伊守様小出

信濃守様酒井左衛門様森川信濃守様大名小路大小名方

所々崩れる和田倉内松平肥後守南御やしき松平下総守様

小笠原左衛門様林大学様松平相模守様半やけ日比谷御門

内永井肥前守様松平主殿頭様土井大炊頭様本多中務

大輔様さいはい橋御門内丹羽長門守様有馬備前守様夫ゟ

さつま様せうぞくやしき少々やける山下御門内は松平甲斐守様

伊東修理他流様亀井隠岐守様南部美濃守様松平肥前

守様又品川辺振ゆれ芝神明前地しんにて家倒るゝ事夥し

芝口京ばし南伝馬丁辺鉄砲洲佃島深川諸々すさきまで

本所は中の郷原丁いし原辺又弐つ目ゟ三つ目迄林丁とく川丁

六間ぼり森下丁霊がん島大川ばたはま丁此外すこしづゝ

の出火地しんゆり倒れ諸々にあれども略す此時これ火しづ

まりしは翌朝四つ時過全く泰平になりけれは人々あんどの

思ひをなし御代のゆたかはんじやうよろこひけり

 

 

61

「一ふくでこり/\薬 妙ゆり出し がた/\るふへるに妙なり」

但し 質やの内 でいりなく候ゆへ 一名 不自由散と申候

  気ばかりながらつよひかうぜう奉申上候

一抑此妙ゆりだしくづれの義は先ねん信しうにてゆりひろめ

候所大ゆれ大なんじう仕候間けつしてたこくへせりゆりおしゆり一切

いださず候所きゝん年しよこくにまきらはしきにせくづれ相みへ申候べつして

京大坂東かいとふすじをおしゆり致又々江戸おもてまてもにせくづれおしゆり

仕そのうへ火事木とうをあげしごくぐらちの義に付きつとゆりどめ申付私かた

いつほうゆりに仕候尤もふたんとはゆりもふさず当十月かぎりにゆり子へ申渡候間

にげだしのじゆくの御さはぎなく御あんしん被成らく/\とごふうふ中よく夜なかの

ゆりごしは大じしんにてまいよ/\ニ三ぶくつゝ御用ひて成候はゞ御しそんはんじやう致し

のらぐらの御子どもしゆは無御座候間しつかり御だき付と成アゝもふいつそいゝ世の中と

       御評判と成御求可被候以上

  効能

一目のまはるよふに いそがしひ職人 一目のかすむのは 張合さし引材木屋 一ねつのやうに あせをかく車力(しやりき) 一かたのはつた日雇

一よあかしで 風をひいた人入(ひといれ) 一づつうに やんだ借金 一なんじうの やまひに施行(ほどこし)

   禁物

一高利座頭 一地面持(もち) 一株持 一かけ取 なんでもとりるい 一さいをいむ也

一諸芸人参 一猫のへん/\草 并に大だいこ小だいこ 一土蔵粉(こ)にしてみなこの類忌べし

○用様(もちひやう)二日のばんにぐはら/\と一度大きくゆりだしあとは度々ゆら/\とゆりだして

   人の手をかりずぢしんに用ひし又せんじるには火の用じんを第一とすべし

本家取押糾明所(とりおさへきうめいどころ)こゝはどこ/\゛かしまのかいどうすじ しつかりといけあつたまち百丁目 ????

(下段略)

 

 

62

相模国地震

頃は嘉永六癸丑どし二月二日

ひる九つ時相州小田原御城下

町々をはしめとして東は

田村川辺厚木萩の山中淘綾

郡神戸井こ大磯宿中村金子

すゝ川みのけかすや伊せばら

子やす辺大山辺大住郡

近辺山々上村谷村

おか本早川石はし山

二子やま箱根并に

七湯の湯場こと/\く

湯本畑宿山中

三ツ谷辺西は伊豆

のくにあたみ辺み

しま宿海尻

岩渡とうは峠

するが国はぬます

辺まで尤原宿

よし原宿辺迄

も中々の

ひらきなり

北は愛甲郡

三増川むら

此へん山々

大にあれる

津く井郡

青の原とう

し川「下へ」

「上ゟ」鼠坂はし本へん少しあれるよしの

小はらへん関のへんまても大かたの

ひらきにて夜九つ時過まて都合

いく度といふ数を知らずといへども

大ゆれにいたせしを五度にして

やう/\ゆり止り諸人あんどの

思ひをなしにけるよつて

此よし諸国の親類

えん者へ知らせ

ん為一紙に

くわしく

しるす

(地図内略)

 

 

63

じしんのいりはじめは おほかたあさの 四ツ谷

おろしや舩がつなみにまかれ たといふのはうそかねそれは 本所

大地しんに三日もkられ しんはおとろへ目が 久保丁

つなみでけとうじんはしんだ ろふといふ人の 神田

此地しんでは みんなかほが 青山

ふじの山が地しんでつぶれ たといふのはほんとふかねそれは 鉄砲洲

大地しんではてあしが すくんでめが 丸の内

地しんのおちついたこく げんは大かた夜の 八ツ山

  どをけ 三十六歌仙

(一段目)

てんちてんもう あきれたね又 東海道は大 地しんわがにやう ほうはとこへにげつゝ

山べのあか人 どこの浦も 内より出て にげいづるこへは 高ねでこしをふりつゝ

きせんほうし わが家は下田の おきにながれつゝ みな内なしで 人はいるなり

そう正へん正 はまつなみ わか内こそ は山の上 てをはそろへて しはしとゝめん

(二段目)

ぢとう天王 あるくにもて足は すくむ地は われるわがあし だにはあせをかく山

春丸太夫 おく山に道を ふみわけにげ いりて山がくづ れてなくぞかな しき

小のゝ小町 かほのいろは かはりにけりな 大じしんてん でにかほを ながめせしまに

さんきたかむら かゝのはらのりし しじんはよけれ とも此じしん

ではきんかつりふね

(三段目)

かきの本人丸 足よはがたす けてくれと 頼めども 命ほしさに 人はかまはん

中なごんやかもち あさ草の 芝居町から 山のしくひろきを みればよるふけに けり

せみ丸 これやこのいきも かへりもあつ まりてしりも しないで大かた のせめ

中なごんあきたゞ 大地しんすみし あとにて なか/\に 人のしゝたるかすはしれまじ

(下段の一段目)

平のかねもり 下田をきゆら れにけりなおろ しや ぶねみなよひ きみと 人のいふまで

けん徳公 あはれともいふべき とこは三嶋じく 家がつぶれて こまるべきかな

中なごんかね平 みならへたをれ いるのをなが むればわが ていしをば くひしかるらん

大弐の三み ありま山火 のみのうへは ひとかろふたつた ひとりでこはいかをする

左京の太夫みち政 今はたゞをう らいたへて八日 より一人たちを とふすよしもかな

うみのおとたへつ 久しくなり ぬればまた つなみかと人は にげけり 大なこんきんとう

藤原清すけあそん なきながら ていしは 二どの大 ししん湯もとよりも 畑がかなしい

源のむねゆき 山ざとはゆるぞ 久しくかぎり なく人もその 身もしすとおもへば

(二段目)

かんけ 此たびは大工 しやかんのかねの山 もちばのしごと きうのまに/\

西行ほうし なあげきつゝ神や ほとけをいのりても こういふときは きかぬものかな

文やのやすひで ゆるからに秋はの 町もしをれて 山も地しんと 人はいふらん

清正なごん 夜をふけて 鳥のなくまで 子ぞうさんどうぐの ばんはきつとゆるさじ

中なごん行平 たちいでゝにけ ゆくとこは山の うへをちつく時は またかへりこん

さきの大僧正きやうそん もろともに あはれと おもへ大地 しんやふよりほかに あるとこはなし

かはらの左大じん 道なかへたをれ ふしたる大 じしん地こそ ひらいてわれ ならなくに

みぶのたゞみね ありがたき つゞく天下 のおひざもと 水道のとよで江 戸はけがなし

(三段目)

そせいほうし 今に又いると おもふて人々が したくこそして まちいづるかな

しゆ徳いん せのはやく岩で くだけしひがき ぶねもふこれからは 入らんとぞおもふ

藤原よしたか きみがたの おしからさかし 命でも此 じしんでは にげにけるかな

右大じんみちつなのはゝ なげきつゝ役者は みんなやすみいる いかに久しき ものとかはしる

三じやうのう大じん なにしおふ ふた子の山も あれぬればいしが ころげてくる よしもがな

やうせいいん つりがねもうへ よりをつる 大地しんおとぞ ひゞきてみゝへなりぬる

大江の千さと いりぬればひゞに 心もかなしけり わが身ひとりの 事にはあらねど

きゆん徳いん もゝ引や古き じばんでかけ いたしあまりに つよきじしんなりける

 

 

64

頃は嘉永寅七年十一月

四日早五つ半時より丸ノ内備前

様倉拾間こわれるぎすん

さくら田あいた御屋敷弐三間

すこしつゝいたむ鍋嶋さま

こしまきおちる南部さまけん

すし拾四五間長家たふれ甲

斐さまやれの瓦おちる柳沢

さまげんかんこわれる久保町

本郷六丁目代地やねの瓦おちる

伏見町?信町丸竹倉いた

む町内やかず拾弐万やねの瓦

おちる赤坂黒田さましやう

いたむ田丁四丁目五間やね瓦

おちる弐丁目?心寺うあねの

瓦おちる?にた老男女人々

あはて衣??上へ下へそうどう

半時はかり四つ時?しとし

づまり人々あんどうの出立

しつまりたり

(下段)

 口演

御町中様益々きもを御つぶし被成はきのとく

奉存候慥に此度ぢしん大ゆり終と申家わみな

つぶしあんに仕りあぢわつなみのしほあんばい

つよくまづいをぢまんにさし上申候間御すいけう

御方様道中通り一ぺんつゝ御ゆられ可被成候うpふぃ

ひとへに奉声上候以上

一大ぢしん大もりもち  一五七雨あられおこし

一大つなみまきせんぜい 一かしま要もち

一下田みぢんこらくかん 一にげ出しよふかん

一所々焼まんぢう    一まんざいらくかん

一壱度でこり/\糖   一ぐら/\ぴつしやり糖

一此外夜中は目さまし夫婦せんべいぢしんるいにて

是は御風味よろしく御座候

寅十一月四日 ゆり出シ申候

当日せけん一とふ おどろき申候  四ツ谷日でり横丁 なま津屋ほら右衛門