仮想空間

趣味の変体仮名

菅原伝授手習鑑 第二

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html

      浄瑠璃本データベース ニ10-01216

 

 

32(左頁)

  第二 道行詞の甘替(あまいかい)

サア/\子供衆買ふたり/\ 飴の鳥じゃ飴の鳥 夫がいやならしる飴鑿切(のみきり)泣く子の口へは

地黄煎玉 扨其外(ほか)平野飴 桂の里には徳飴 西の宮には飴の金 其品々は往て

買たり 拙者が自慢で売弘める 桜飴を買はつしやい桜飴/\桜々と 己が名を

いへ供包む頬かぶり 木綿頭巾に袖なしの 羽織は軽き身なれ共 忠義は重き牛飼

の桜丸はいつぞやより 加茂の川浪立出し 斎世の宮と姫君に漸と廻り逢ひ

一日ふた日は我家にも忍ぶに何と菅原の 伯母君頼み参らせんと 行は

 

 

33(裏)

 

 

34

車の供ならで跡と 先とに打落ふ飴の荷箱のかた/\に 御二方を入参

らせ浮世を土師(はじ)の里へとて 飴のとり/\゛売て行 こゝろづかひぞ

せつなけれ 都をば夜を深草に出ても道はあやなくて 御香(ごこう)の宮に明け

渡る 道を芹川淀もこへ 町を過れば爰ぞよし 誰かは何と石清水(いはしみづ)

サア/\お出と荷をおろし箱をひらけばうづ高き 姿あらはにかりや姫 暫らく

拝む日のかげに目なれぬ山やしらぬ里 思ひなくてぞ見まほしし なふ宮様と有ければ

さればとよ そなたの父菅丞相いかなる事の誤りにや 押籠の身と成けるも我々

 

出し跡なる故 正しくはしらね供やがて赦され有ぬべし 兎にも角にも我が身は

今売飴のごとくにて 傘に覆へる日かげの身 いつかとけなん心そと 御仰に

桜丸 左様にては候はず御忍びましますも 飴をば上に君を下 取も直さずあめ

が下しろしめす瑞相にて候と 申上るに宮は猶勿体なしと身をすべる野路

の畦道そろ/\と蕨が裾に手を入れて裾ひるがへす裏模様とめ木に草も

芳しき 春の野面(のづら)に群る蝶 袖にとまらば羽摺りて鏡絶(たや)せし けはひせん 爰に

我名をかりやの里 今苗代の時を得て民の手業も遠目には いとめつらかに

 

 

35

引靏(ひきづる)の声に千歳もかはらじと 契りし今の閨の内宵よりしめてぬる夜さへ

月は出るやら曇るやら 枕とる手に寝て解く帯の いかいお世話/\枕とる手に

寝てとく帯のいかいお世話/\結ばぬ夢を覚せとや春の風 ぬるみし空の快く

行く手の森の人音に見付られじと手ばしかく 又忍ばする飴売が片手に太鼓片手

に撥 声おかしくも拍子どり こんりや/\/\/\是は天子の始めなされた神武飴迚神武

天皇は飴がお好でねらしやりましたる名物飴をば こちも仕なつて嬶抔(かから)や嫁抔(ら)が もみ

の襷綶(たすき)をしんどろもんどろかけてしんどろり もんどろりとねりやりましたを買(かを)

 

なら今じや/\と売声の 子供あつめに子の親が 袖のみやげを買に来

て認める間の取沙汰に 惜しや都の菅丞相筑紫へ流され給ふ故

津の国安井に風待ちしておはしまするはいたはしと所縁としらず告て行

跡の驚き悲しみは箱を細目に顔斗 何道真は左遷とや 父上安井にまし

ますとや せめてお顔が拝みたい どふぞお船の出ぬ先に逢せてたも桜丸頼む/\もしどろ

にてわつと斗に泣給ふ声をも人に しらせじと喇叭の笛に紛らして夫ゟ道を横切に

一荷の涙擔(担)ひ行 先は何国(いづく)ぞ津の国の安井の岸の安からぬ思ひ重ぬる 〽哀れさよ

 

 

36(安井汐待の段)

世につれて海の面(おもて)も風さはぐ湊に御船とゞめしは菅原の道真公 終には讒者の舌

強く覚へなき身に罪極り 筑紫宰府へ流罪の籠船 津の国安井に着きしかば

警固の武士は法皇の旧臣院の廳判官代輝国 逢坂増井に陣幕打たせ見るめ厳

敷(しき)鑓長刀 数多の官人四方を圍(かこ)ひ出船を松の下かげに日和見合せ居たりける 判官代輝国

海の面を見渡し 巻く絞らせて丞相のおはします 籠輿の本(もと)に手をつかへ 沖の様子を窺ふ

所に 五鑽日も御出船の日和共相見え申さず 此所に御逗留有ふより 河内の国土師の

里へお越し有て 伯母君覚寿(かくじゆ)公共御暇乞候へかしと 申上れば菅丞相おもやつれたる

 

御顔ばせ 物見より顕はす給ひ 院の御所に使はるれば 上を学ぶ下々迄情有る武士(ものゝふ)よ 斯く囚(とらはれ)

と成し身を赦し送らは我よりも おことが罪はいかにせん 思ひ寄ずとの給へば コハ有がたき御

仁心 左程尊き御方のお為に成て咎めにあはゞ死後の面目子孫の誉れ 殊に私わざ

ならず法皇兼ての仰には 土師の里に伯母有りと聞及ぶ 若し津の国にて汐待の隙あらば

暇乞させよと密々の御仰 何憚る事もなし御心置なく土師の里へ御出と すゝめ申せば菅

丞相 都の方を打ながめさせ給ひ 世に有がたき法皇の御心や 天子に父母なしといへ共現在

の御父君 其御主税に及ばずして斯囚と成事はいか成罪の報ひぞや はかなの浮世や浅まし

 

 

37(裏)

 

 

38

の身の果やと 三世を悟る御身にも世をつらしとの御述懐 哀れにも又いたはしし 日和見

の船頭罷出 今朝の天気合っまだ二三日も御逗留と存ぜしに 思ひの外立直り風

治り候へば 御出船の御用意 といふより輝国ヤアだまりおろ 立タオルまじき日和立直つたと

ぬかすからは よき日和の悪しく成も儕が眼(まなこ)にかゝるまい イエ/\左様じや御ざりませぬ 二八月は

船頭の俹(あぐみ)時 得手は手の裏かへします ソレまだぬかす 左様な手の裏かへす日和に大切な

流人の船出さるゝ物か イエサ是は慥に ヤア狼狽(うろたへ)者向ふに雲がかゝつてまだ四五日も御出船の日和

はない いらざる儕が奉公ぶりと 叱付くれば恟りし いかな巧者な船頭でも此暴風には仕様が

 

ないとつぶやき/\入にける 菅丞相は輝国が志 法皇の御心の有がたさに河内の国へ

赴んと 仰豊かに安々と御輿とゞまる所迚 井の字を居(いる)と書かへて安居の宮と末の世

に仰ぐも神の威徳かや かゝる折から桜丸 宮姫君を御共申し 先に進んで馳来り 菅丞相御流

罪と承はり 縁類の者暇乞の願 又一つには科の様子も承はりたし 御役人へ直談と立寄を

数多の官人ヤア直談とは慮外者暇乞とは無法者 油断ならずと取巻を 夫と悟りて輝

国 ヤア聊爾すなと押しづめ 科の様子聞たくばいふて聞かさふ イエより咎めの条々具(つぶさ)に云開き

給へ共 斎世の宮とかりや姫密通んぼ言訳 御存なき迚あかり立たず是非なく科に落給ふと 聞て

 

 

38

悲しくかりや姫宮諸共にかけ出給ひ 何我々故囚れとや 情なや浅ましや不義は二人が誤り

ぞ 流しなり共切成共罪に行ひ丞相を助得させよ 父上に逢せてたべ助けてたべ 対面

させよと二方は泣さけび給ふにぞ 輝国遥かに頭(かうべ)をさげ 恐れながら御対面有ては弥(いよ/\)

丞相の罪重く成る道理 元此おこりは去頃君天子に成かはり御姿を唐僧に写させしは

菅丞相の計らひ 唐土迄天子と思はせ我娘を后に立て外戚とならん下工みと 讒者の舌

にかゝる内宮姫を連れ御出奔 弥それと叡聞に達し罪なくして罪に沈む 殊に姫君

とは親子の中 是天子への恐れ有ばよもや対面候まじ 兎角此上菅丞相の為を思召

 

は 是よりかりや姫と御縁を切れ 二度(たび)禁庭へお帰り有て 謀叛なき趣きを仰わけられ

丞相帰洛を御願ひ候へかしと 申上れば斎世の宮 我故罪に沈むも悲し 又我をのみ恋

慕ひ付添来たる契りをば 見捨てて何といなれうぞとかこち給へば姫は猶更父の為には怨敵 我

を罪して御流罪を赦してたべ人々と伏沈み/\消入斗に泣給へば 媒(なかだち)したる身に取て つらさ

苦しさ桜丸 骨にも身にもしみ渡り 思へば/\我なくば此恋誰が取持ん 科人は外なら

ずと悔めど今更詮方も 涙先立ばかりにて とかふ詞もなかりしが 立直つて宮のお傍

に恐れ入 私元は土百姓の世伜(せがれ) 御扶持を下され君の舎人を勤るも皆菅丞相様のお

 

 

40

かげ 其恩有る方を流罪させのめ/\見ては居られず と申てから我々風情の及ばぬ

所 輝国殿の仰のごとく 是より姫君と御縁をお切なされ 他人と成てお願ひ有らばよもや

叶はぬ事も御ざりますまひ 再び丞相様御帰洛有て後 表向の御縁結び暫しの間のお別れ

御聞入下されよと 身にかゝつたるせつなさに土にひん臥願ふにぞ 斎世の宮は猶涙 一旦館を出し身

の面恥かし二度の恥と 仰に輝国詞をかへし 御館へこそお帰りなく共 法皇の御所へお越あらば

猶以て御願ひの能き便り ひらに是非にと勧むるにぞ 兎角涙にくれながら姫君に指し向ひ

我恋草の思ひに迷ひ 丞相の帰洛を願はずば天道怒り給ふべし 契は尽きずかはらね共親の為と

 

諦めて別れてたもかりや姫と涙と供に宣へば コハ勿体ない お歎きをかけるも元は自らゆへ

いつそこがれて死だらば今の思ひは有まいに お名残惜やと御顔を見るも涙 見らるゝも涙かた

手に又逢迄は随分まめで おまへ様にも御機嫌でと 跡は涙のすがり泣わつと絶入給ひける

かゝる折節いづれ共しらぬ女中の乗物つらせ おめず臆せず判官代に指向ひ 私事は土師の里

立田とて菅丞相の伯母の娘と 聞に嬉しきかりや姫 コレ姉様ナフ立田様のと 取

付給ふを突退け刎ね退け 母の覚寿左遷の様子を聞及び 年寄ての悲しみ御推量下さり

ませと いふ内に又姫は取付 其お歎きか身に取て猶悲しいと 歎くをふり切 何卒此所の汐待を

 

 

41

土師の里にて御一宿あらば 心よく暇乞も致し度(たく)願ひ あすをもしらぬ老の身の

少しは歎きもとゞめたく無体な御訴訟 夫(おっと)直祢太郎(すくねたろう)が参る筈なれ共 郡役も勤る身て

身勝手な事申もいかゞ 女の慮外は常の事と 不調法も顧ずお願ひに参りし お役人の御了簡

偏に頼み上ますと 願へば輝国イヤ一家の願ひ叶はぬ事 大切な囚人浪打際の一宿心

元なく 只今用心の為土師の里へ立越る 一宿は覚寿の元と 聞て嬉しく エゝ夫はマア結構な御

用心と 悦びいさむ立田が袖 姫はひかへて コレ申 迚もの事に父上にお目にかゝるお願ひと

頼む袂をふり放し 恐れ多い 丞相様へどの頬さげて逢ふと思召ぞ 元あなたに菅秀才といふ

 

お子のない 先母様ご前をば藁の上より遣はされ 私が為に妹でも今は菅原の姫君様

勿体ない宮様へ恋仕かけて今此大事になつたでないか 恋は心の外でもな コレはあんまり外過て

姉のわし迄人々へ顔か出されぬ 恥かしと叱る心も曹輩(はらから)の遉よしみと知られける 輿の内には菅丞

相 態と詞をかけ給はず 事を量るは判官代 ヤア立田殿今更御異見益なき事 コリヤやい桜丸何を

うつかり 一時も早く宮を法皇の御所へ御供申せ 立田殿はかりや姫を御同道は必無用 ナ 合点か

コレサ土師の里の親元へ急度お預けなされよと表を立てて心は情 立田が持せし乗物へ菅丞相

を召かへさせ 跡を先とは警固でかため御乗物はゆるやかに 常の旅行同然に輝国が引添て

 

 

42

土師の里へと急ぎ行 ナフ是父上 丞相と宮諸共に欠行給ふを桜丸が引とゞめ 立田か押へて引わくる

名残盡せぬ妹背の別れ おふきの別れと遉又 姉が情で引合す いとゞ思ひは増井の濱

目は泣はらす忝けの水 いつか安居と逢坂の 水の哀れや泣別れ さらば さらばと〽声残る

(杖折檻の段)菅丞相の御別れ対面有たき覚寿の願ひ 流人預かる判官代輝国の用捨を以て 河内

の屋敷へ入給へば 老の悦び大かたならず 馳走の役人夜昼のわかちもしらぬ閙(いそが)しさ 立田の前は船

場にて思はず逢たるかりや姫 密かに伴ひ帰れ共 家来も多くはしらぬかち 隠し置たる小座敷

の襖をそつと押ひらき 嘸淋しからふ精も盡(つけ)ふ 顔見にきたいは山々なれと 去迚は何や角や

 

用事の多さ 母様の傍放されねは得参らぬ 今が能(よい)透(すき)誰も来ぬ気晴らしにサア

爰へと心つかひも曹輩(はらから)の姉の情をかりや姫 一間を出る目は涙 斎世様に分かれてより

段々お世話に預かる上 父上様にもお目にかゝりせめて不孝の申訳も叶はぬ物ならばと

我身の覚悟極めても 産みの母様覚寿様 今の母様都の弟 親王様の御事は 猶も

忘れぬ得忘れぬ 心を推量してたべと歎けば 供に涙くみ 悲しいは道理/\ 去ながら丞相様に逢

ぬ迚 短気な事などかんまへて思い出しても下さんすな 母様のお願ひ立て此屋敷に

御逗留 どふぞ首尾を見繕ひ母様のお耳へ入 お指図請てと余所ながら 口むしりかけて

 

 

43

見たればな こちの思ふた坪へはいかず母様の堅くろしさお果なされた郡領様に少しもかはらぬ行儀

作法 我が産だ子でも人にやれば 先こそ親なれこちは他人 それを親じやの娘じやと思ふは町

人百姓の 訳をばしらぬ子にあまさと 幸先悪い訴訟もならず 外の事に云紛らし其

場は済でも始終か済まぬ お宿申もけふで三日 時気(しけ)空も吹晴て 下り日和に直つたと

船場から注進故 今宵八つがお立迚 輝国殿の旅宿よりしらせに寄てお立の用意

今やなんどゝ思ひの外手詰に成たがどうしてよからふ 膝共談合コレ泣ずと よい智恵

出して下さんせと とつつ置(おい)つの胸算用 後ろにすつくと直祢(すくね)太郎 よい分別者(しや)爰に有

 

ヤア太郎様いつの間に ムゝいつの間にとはコレ立田 連添ふ男の目をぬいてこつそりと

取込で だいそれた身の上咄し かりや姫はそなたが妹 藁の上から養子の子細知ては

居れど京と河内 武家と公家とは位も格別 菅丞相の伯母風吹かし 聟めかし

てもいつかなめかれぬ位負け名斗聞て逢たは今てんと御器量 斎世とやら様とやらが現(うつゝ)

様にならしやつたも道理じや/\ 姫の顔見ぬ先はおれが楊貴妃じやと思ふたが 競べ

て見れば無楊貴妃 そなたの名もかへねばならぬ ソリヤ又何とへ ハテしれたお次の前 エゝ

ずは/\と出ほうだい 母様へも隠している 此訳何共云しやんすな それは気遣仕給ふべからず

 

 

44

明日のお立しらされし輝国の旅宿へ参り 此間御逗留心づかひの一礼申し いよ/\刻限

相違なく一番鳥の鳴くのが相図 申合せにいてこいと覚寿の云付 只今参る道でよい思案

が出たら コレ戻つていかふお次の前 アレまだじやら/\転業(てんがう)口 ヲツト閉口いてこふと表の方へ出

て行 跡を見やりてかりや姫 あなたがお前のお連合い身の上の事に取紛れ 御挨拶も

得申さぬ アゝこれ挨拶はいつでも成る事 こちの願ひは延されぬ アゝどふがなと案じ煩(わづら)ひ

ヲゝそれ/\ 所詮母様にいふた迚埒の明かぬはしれて有る 連合いも留主(るす) 母様もお傍に

ござらぬおりからなれば お前を私が連ていて 叱られふがどふならふが跡は儘いな サアこなたへと

 

姫の手を取る後ろより不孝者とづちへ行と 襖ぐはらりと母の覚寿杖ふり上

飛かゝるを 立田ははつと抱(いだき)とめ お前に明けていはなんだ隠したお腹が立ならば此立田打ちも

擲(たゝ)きもなされませ 此中も宣はぬか 人にやれば我子てないとおつしやつての折檻は

母様共覚へませぬ 丞相様の御秘蔵姫 杖棒(つえぼう)あてゝよいものか サア自らを/\と姫に

かはつて身を厭はず イヤお前に科はない不孝な自ら打給へと 立田を押やる杖の下 いや/\

お前は打たされぬ イヤこな様と折檻の杖を争ふおとゞい思ひ 老母は猶も怒りの顔色(がんしょく)

コリヤ立田 おりや他人には折檻せぬ 養子にやつちゃ丞相殿はおれが為には甥の殿

 

 

45

子にやつた姫は甥孫 親も赦さぬ徒(いたづら)して 大事の/\甥の殿流され給ふは誰が業(わざ)

憎ふて/\コレ此杖折る程擲(たゝか)ねば丞相殿へ言訳立たぬ 六十に余つて白髪天窓(しらがあたま) 連合いに

別れた時剃るをそらさぬ立田の前 尼に成ては頼りがない 力がないと留められて法名

覚寿と呼ばれ 邪魔に思ふた此白髪けふといふけふ役に立田 天窓を剃て衣を着れ

ば打擲(てうちやく)の杖は持たれぬはい 傍杖望む立田からと走り寄て丁/\/\ 打るゝ姉妹(おとゞい)打つ母も供に

涙の荒折檻 アゝこれ/\伯母御前(ごぜ)卒爾の折檻仕給ふな 斎世の君の御不便有る

娘に疵ばし付給ふな 父を床しと慕ひくる かりや姫に対面せん 是へ伴ひ給はれと障子

 

の内ゟ丞相の 御声高く聞やるにぞ 老母は杖をからりと投捨て わつと叫んで臥転(ふしまろ)び

暫し答へもなかりしが 産の親の打擲は養ひ親へ立る義理 養親の慈悲心は産の

親へ立る義理 あまき詞も打擲も 子に迷ふたる親心 逢てやろとは姫よりも母

が悦び 詞には云尽されぬかりや姫 結構な親持た 持た/\と目に持た涙の限り声

限り 二人の娘は何事もお慈悲/\と斗にて泣より外の事ぞなき コレのふ爰から礼をい

はふより こいと有ばいざ傍へと隔ての襖押明くれば菅丞相は見へ給はず 逗留の中作られし

主(ぬし)の姿の木像斗 コハそもいかにとかりや姫 逢てやらふと宣ひしは母様の折檻をとゞ

 

 

46

めん為 兎に角不孝な自ら故お逢なされて下されぬか 今物をおつしやつたは父上に違ひ

はないに 木で作りし父上様が但しは物を宣ひしか 又は何所ぞへ隠れてかと 立て見居て見

うろ/\/\ のふ騒がしやかりや姫 丞相の逗留中 御馳走申は奥座敷爰へは余程間

数も隔たり 先程声のかゝつた時爰へはどふしてござつたと思ひながら 嬉しさに弁へなく見れば

此木像斗 次手ながらかりや姫咄して聞かさふ 逗留の中に主の像(かたち) 画(えがい)て成共作て

なりと 伯母が筐(かたみ)に下されと願ふた日から取かゝり 初手に出来たは打破捨二度目に作り立てられ

しを 同じくコレも打砕き 三度目に此木像作り上ておつしやるには 前の二つは形ばかり

 

勢魂(せいこん)もなき木倡人(もくしやうにん) 是は又丞相か 魂残す筐迚下されし主の姿 物をいふまい共

いはれず 帝への恐れ有れば逢たふても逢れぬ親子 木とな思ひそかりや姫 物おつしやつた

父上に逢つて嘸嬉しかろ母も本望遂ましたと 親子三人悦びの中へのさ/\立帰る

太郎が爺親(てゝおや)土師の兵衛(はじのひょうえ) 覚寿是におはするか お客人のお立も明朝出立の拵へ嘸取込 役

に立ずとお見廻申し手伝ひでも仕らふと 参りがけに輝国殿の旅宿へもちよと付け届け

躮が幸おり合せ 用意も大かた出来たと聞先づは大慶 兎角する内もふ暮相 一まづ

帰つてお立の時分又参るのも老足なれば お邪魔ながら是におろ 心づかひ成し下されな 兵衛

 

 

47

殿の義理/\しい 嫁子の所は内同然断りに及ぶ事か 用が有らば遠慮なくおつしやつたがよい

わいの 刻限迄はコレ立田 そなたの部屋にお寝間をとりや 後程お目にかゝらんと姫を

連れ立ち入給へば 跡は親子は小声になり コリヤ道々しめし合した通り太郎ぬかるな 気遣なさるな

親人と 奥と部屋とへ別れ行 座敷/\は燭台てらし 今宵限りの御奔走とり/\゛さはぐ斗なり

東天紅の段)土師の兵衛は一間ゟそつと抜出前栽の 勝手覚へし切戸口錠捻切て押ひらけば 外から相

図の挟箱出す中間(ちゅうげん)徒(かち)若党 コリヤやい云付た人数の装束 丞相を迎ひのはり輿 スハと

いふ時間に合せと家来共先へ帰し挟箱引だかへ 月かげもるゝ木(こ)の間/\うそ/\窺ふ同腹(ふく)

 

中 親人お首尾は 件(くだん)の物は参りしか 躮(せがれ)気つかひ仕るな コリヤ此中に計略の彼一物 大事の

談合爰へ/\と大庭の池の邊りて囁く親子 宵からそぶりに気を付て 直祢太郎に

目放しせず 立田の前が物かけより聞共しらず直祢太郎 先程お聞なさるゝ通り 判官代輝

国 迎ひに参るは八つの上刻 時平公ゟ頼みの菅丞相殺す工面 贋物仕立て迎ひと偽り

請取て途中でくつと いふはいふ物の 一番鶏がうたはねば 始の片意地名残惜んで渡されまい

八つ鶏の啼(なか)ぬ先に宵啼する鶏 コレに有かと挟箱より取出し ホゝ皮膚のよい白相国(しろせうこく) とかふ

する内もふ夜半(よなか) 一調子はり上げ存分にうたふてくれ 一声聞ねば落付ぬ 親人なぜ鳴ませぬの

 

 

48

イヤ其分では鳴ぬ筈 宵鳴きは天然自然極めては鳴ぬ物 夫を鳴すが秘密事 大竹

の中へ熱湯(にへゆ)を入 其上にとまらすれば 陽気の廻るを時節と心得時をつくる とまり竹も挟箱

に入て来た 台子の湯もたぎつてあろ 釜ぐりそつと取てこい ホゝ取てくるは安い事

湯を仕かけても鳴ぬ時はハテくど/\ 鳴ぬ時は又分別と親子が工み なむ三宝一大

事 先へ廻つて母様へおしらせ申てイヤそふしては イヤいはいでは又こちらが いふてはあちらがこちらかと

心迷ひし胸撫おろし 直祢様 太郎様は何国(いづく)にと尋る声にはつと二人が廃忘(はいもう)け

でん(怪顛:はいもうけでん) 鶏隠す挟箱 あたふたしめてさあらぬ風情 ヤイ事々しう呼立るは 何ぞ

 

急な用でも有か さもない事なら不遠慮千万 親人も此直祢も 肝にこたへ

て恟りしたと いふ顔つれ/\打眺め お前方の恟りより わしに恟りさゝしやんした

聞へぬ連合い舅君 贋迎ひを拵へて菅丞相様殺さふとは あなたに何ぞ恨みが有

か 但しは時平に頼まれし欲には馴染の女房も捨 母様の義理も思はずか お前は捨てる爰と

でもわしや得捨ぬ太郎様 コレ申親父様思ひとまつて下さりませと 舅を拝み夫を拝み 声

も得立てぬ貞女の思ひ涙操を顕はせり 兵衛は直祢に眴(めくば)せし イヤはや真身(しんみ)の異見に逢

て親も躮も面目ない 向後心改る 嫁女此事聞流しに アゝ勿体ない 聞流さいでよいものか

 

 

49

御得心と有からは 此世ばかりか味来迄かはらぬ夫婦舅君 まだ如月の余寒も烈し

巨樹に膚(はだへ)温め酒 一つ上たいサアお出と 先に立田がそれそこを 心得太郎が後ろ袈裟

肩先四五寸切れながら 振返つて掴み付き エゝ是人でなし卑怯者 一人の手にも足らぬ者 欺(だま)し

殺しが本望か 女の義理を立て過ごし悔しや無念と罵る声 おどぼね立なと直祢が下着

裾先(つまさき)口へ押込捻ふせ肝先ぐつと一えぐり 兵衛は前後に心を配り 躮息は絶たか 気づかひ

めすな只今とゞめ 扨此死骸は 問に及ばぬ此大池 體を浮さぬ手ごろの石袂や帯

にくゝり添深みへやれと二人して投込む死骸は紅の 血汐に染る池迄も立田が名をや流すらん

 

コレ親人 是は是でも済ぬは鶏 台子の湯を取て参らふ 太郎夫にはもふ及ばぬ 鳴す仕

やうは身共に任せと武士の嗜む懐中松明手ばしかく燈し立 池の中へ明りを見せ 挟

箱の蓋仰向(あをのけ)鶏を上に乗せ浮める池の水の面 刀の鐺指し延ばす腕一ぱいに押やれば

動かぬ水も夜嵐に立や小浪の容裔(うねり)につれ半端斗流れ行 親人何をなさるゝ事

挟箱の蓋を船にして 子供のする業おとなげない あれが何の役に立ハゝゝゝゝ 訳を知ずばいふて

聞けふ 惣別渕川へ沈んでしれぬ死骸は 鶏を船に乗せて尋れば 其死骸の有所で時を作る

鶏の一徳思ひ出し 池へ沈めた立田が死骸 今一役に立て見るうまい手番(てつがひ)拍子まんが直つて

 

 

50

来た あれ/\太郎羽たゝきするは死骸の上か そりやこそ鳴たは東天紅アリヤ又うたふは

とんてんかう ちにもならぬ宵鳴の声さへかへる春の夜や 庭木の塒に羽たゝきして一鶏(けい)

鳴けば万鶏うたふ 函谷関(かんこくかん)の関の戸も 開く心地に親子が悦び 是から急ぐは菅丞相 迎ひの

拵へ気がせくと 兵衛は出て行切戸口 直祢太郎は工みの仕残しだめを聞して入にけり

宿禰太郎詮議の段)早刻限ぞと御膳の拵へ 銚子土器(かはらけ)昆布 嬪(こしもと)共に嶋臺持たせ 伯母御座敷へ出給ひ 百日

千夜留めたる共 別るゝ時はかはらぬつらさ 此上頼むは御免の勅諚 帰洛を松の此嶋臺行末祝ふ

熨斗昆布 菅丞相も此間心づかひの御一礼 互に尽きぬ御名残 直祢太郎罷出 御立の刻限迚

 

早門前迄迎ひの官人 判官代輝国は路次の用心辻固め 只今旅宿を立申され 輿

舁(かき)の官人に譜代の家来を相添られ 只今是へ参上と怪しの張輿舁入て 時刻移ると

せり立る 菅丞相は悠々と大広間より出させ給ひ 輿に召す迄見送る老母 人前作つて

にこ/\と 泣ぬ別れぞ哀れなる 直祢太郎も御見立て門送りして立帰り ヤレ嬉しや仕廻

が付た 覚寿様もお気休め 寝間へござつて イヤ寝たふてもねられうわいの ねられぬとは

御気色でもアゝまだいの 客を立てて嬉しいと 一道な聟殿の悦び 一つ屋敷に居ながらの暇

乞も得せいでの かりや姫が悲しかろ 人の逢のもけなりかろと かけ構はぬ立田さへそれで態(わざと)

 

 

51

呼出さなんだが 機嫌よふ立たしやつたを悦びにはなぜこぬぞ 誰ぞいて見てこいと 云にきよろ

付く直祢太郎 嬪共は立戻り 輿にござるはかりや姫只お一人 立田様はござりませぬ 何じやいぬ

内を放れてどこへいきやろ 今一度見てこい座敷の隅々かくれ/\尋々と吟味の厳しさ 提燈

手んでに若党中間幾人(いくたり)有ても行届かぬ 花壇築山手分けして尋る奥の池のはた 芝

に溜つた生血(なまち)を見付 コリヤ/\此血の流れ込む池を捜せと声々に 水心得た奴共飛込

/\水底より かづき上たる立田が死骸 驚き騒ぐ家内の騒動太郎は鼻も動かさず殺し

たやつは内にあろ詮議済む迄門打て 家来共動かすなとわめきちらせば母覚寿

 

姫もかしこへ転(まろ)び出 コハ誰人の所為(しはざ)ぞや 先からお顔を見なんだは伯母様のお傍にと

思ひ設けぬ此死骸 父上には生別れお前には死別れ 時もかはらず日もかはらず悲しさつら

さ一時に かゝる例も有事かと老母に取付き 悔み泣 ヲゝ道理/\ そなたはおれが傍にと思ひ おれ

はそなたが傍に居ると思ひ違ひが娘が不運 母が因果でおじやるかとかつぱと伏して正体

なし 太郎傍へ立寄て涙が死人の為にはならぬ 女房共への追善には殺したやつをひつぱり切

是にて詮議仕らんと縁端(えんはな)に大あぐら 男女に限らず家来のやつばら片端から詮議する

マアとつ付きにかゝる宅内め 身が前へ出あがらふ ナイ/\ないと御前にかつつくばひ 人はしらず拙者

 

 

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めにお疑ひはござない筈 お死骸を取上た御褒美を下されうで一番にお呼出し

忝い義でごはりまするでごはります ヤアまが/\しい褒美とは横着者め 立田が死

骸池に有を儕はどふしてしりおつたサゝゝ夫ぬかせ イヤあの尻も天窓も見やう筈はご

はりませぬ 池の深みへ芝から伝ふた血を証拠にヤアぬかすな 提燈の灯明(ひあか)りで それが

それとしれる物か うぬが殺して沈めた池 外の者がどふしてしらふ 血の分では言訳立たぬ

是はお旦那無理おつしやる 言訳が立ふが立まいが池が血へ流れ込だ其外は存じませぬ ヤア

池が血へ流れたとは 血迷ふて何ほざく きやつ詮議場で水くらはせ 白状さするそれ

 

引立と 直祢も続いて立所を老母押とめ イヤせめるに及ばぬ詞の展転(てんで) 嬉しや娘

の敵がしれた ハアせめなとは天晴お目高 科極つた罪人 女房共へ手向ける成敗大げさに

打放す 腕を左右へ引ぱれと力引っさげ立寄直祢(すくね) イヤ是成敗は常の科人 けさに切ては只一

思ひ 苦痛させねば腹がいぬ 娘の敵初太刀は此母 跡は聟殿刀を借ると かい/\敷も裾

引上向ふ目当ては奴にあらず 油断太郎が弓手の豁(あばら)突込刀に宅内は 命拾ふて逃て行

直祢太郎は急所をさゝれもがき苦しむ息の下 身共に何の科有て老耄めがといはせも

果ず 覚へないとはいはさぬ/\ 我科を人にぬり 成敗をして見せだて 裙(すそ)はせ折た下着のつま先

 

 

53

切れて有る 其切はコリヤ立田が口に声立させぬ無理殺し 歯をかみしめ放さぬ裙(つま)先 切た事を打

忘れ 儕が科を儕が顕はす極重悪人 死骸の前で敵を取る母が娘へ手向の刀 肝先へこたへ

たかと 大の男を仕とめる老母 遉に河内郡領の 武芸の筐残されし後室とこそしられ

けれ 稍(やゝ)時移れば判断輝国只今是へ御出と 家来が申に老母は驚き 丞相は先程お太刀

誰を迎ひに 心得ぬ事ながら此方へ通しませい かりや姫は奥へ行きや こいつはまちつと苦痛を

さすと刀を其儘體押退け 出向へば (丞相名残の段)輝国も早入来り お迎ひの刻限 御用意よくば早

お立と 申詞の先折て イヤコレ輝国殿何おつしやる 丞相の迎ひに足下の家来が先程

 

見へ請取て帰られたはもふ一時も先の事 ヤアこれ/\伯母御 身が家来に渡したとは

旁(かた/\)以て心得ず 鶏の声に刻限量り 只今鳴た旅宿の鶏八つに参る迎ひの

約束家来といふが 直に身共が参つた迚 刻限も来らず鶏も鳴ぬ先 渡したといふ

ては済むまい 船がゝりの其間伯母御に逢すは此輝国か情の用捨 今日の今になつて

名残も一倍 嶋へはやらぬ渡したといへば夫で済と 鼻の先な女子の了簡 菅丞相の怨に

こそなれ為にはならぬ 偽りな申されそ イヤ偽りは申さぬ 庭で鳴た鳥の声 そこへござつた迎の衆

渡したに違ひはないが 請取ぬとおつしやるので 娘か最期聟めがあのざま 思ひ合せばさつきに

 

 

 

54

来た贋迎ひ コレ伯母御 内の騒動死人の有かへ贋迎嘘では有まい 讒者共の所為

で有ふ 時違へば三里の後れ ぼつ付いて取返さんとせきにせいてかけ出す輝国 ヤア/\

漢江先ず待れよ 菅丞相は是に有と一間ゟ出給ふ 覚寿は恟りさつきに別れた菅丞

相 そこにはどふして/\と不審の立つも道理也 漢江輝国打笑ひ ぬけ/\とした伯母

御の偽り暫時の仰天 丞相是にましませば輝国が安堵/\ 見へ渡つた此御難儀

訳も聞たし力に成て進ぜたけれど 私ならぬ警固の役目 早刻限も移りぬれ

ば いさ御立と勧むる所に 先程見へた警固の役人 たつた今門前迄 何じや警固

 

がハテよい所へ戻られた 嘘つかぬ覚寿が証拠是へ通し 輝国殿へ見せませう イヤ身が

名を衒つた贋役人 直に逢ては悪しかるべし 忍んで様子を窺はんと丞相諸共一間の障子

引立内に隠れ居る 輿に先立警固が大声 老母 輝国の名代とけあなずり とでもない

物身共に渡し能ぬつけりさゝれたの 是は迷惑 菅丞相を請取ながら とでもないとは何

おつしやる アレまだぬつへり 丞相は丞相でも木で作つたはこつちにいらぬ 肉付の菅丞相

替る気て持て来た木像 コリヤ此輿にとふに覚寿も心付エゝ忝い 扨は魂(たま)を込められし

木像で有たかい 猶も証拠を見届けんと心の悦び押隠し こなたの云ぶん合点がいかぬ

 

 

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其木像見せさつしやれ ヲゝしやちこばつた荒木作り サア今見せんと明ける戸の輿に召

たは木像ならぬ優美の姿 菅丞相につtこと笑ふて立出給へば 警固はぎよつと軻れ顔

覚寿も違ひし心当障子の内と今見る姿 心どきまぎ疑ひながら アゝよふ戻して下さつた 慥に

伯母が請取ました ヤアどこへ/\そりやならぬ ならぬとはいふ物の 連て帰つて見たのは木像

すりかへられたと気が付て かへに戻つた爰ではほんの菅丞相 おれが目の悪いのか見所に寄てかは

ろかい イヤ替らふがかはるまいが戻された菅丞相 いざこなたへと立寄る覚寿 ヤア箆太(のぶと)いと突飛し

丞相を又輿に乗せ 戸をヒ引立て家来に向ひ コリヤわいらも様子を見る通り いかにしても

 

怪しい事共 此分では替えられず念の為家捜しすると 踏込先に直祢太郎 半死半生

のた打つ苦しみ なむ三宝太郎様が切られてござる 旦那/\と呼声に警固の中から親兵衛

前後もさらに弁ず走り寄て引起し コリヤ躮 此深手はどいつが所為相人(あいて)をしらせと気を

せいたり のふ兵衛殿相手は姑アゝわしが手にかけた ヤア聟を手にかけ落付き自慢 何科有て身が

躮を ヤアとぼけさしやんな婭(あいやけ)殿 そいつが立田を殺した時 こなたも手伝ひ仕やろがの 娘の

敵切たが何と 贋迎ひの棟梁殿 何も角も顕はれ時 さつぱりといふた/\ エゝ残念/\ 躮

めが出世を思ひ 時平公に一味して菅丞相を殺さん為 鶏に宵鳴させ 十(とを)が九つ仕課(おほ)せた

 

 

56

兵衛が方便(てだて) 腐り婆めにかぎ出され殺された躮が敵覚悟ひろげと飛かゝるを ヤアさは

させじと漢江輝国 こかげより顕はれ出覚寿をかこふてつつ立たり ヤアどなたが出てもひく共

せぬ 兵衛が工みの破れかぶれ死物狂ひの働き見よと切てかゝればかいくゞり持たる刀踏落し 利き

腕つかんで引くりかへし 足下に踏付大音上げ ヤア輝国が家来共 贋物めらを片端からくゝれ/\と

いふ声に始めのぎせいぬけ/\に一人も残らず逃失たり 覚寿はとつかは輿の戸の明る間嘸

やお気詰りと 内を見ればこはいかに筐の木像又恟り 是はいかにと立帰りこなたの障子

押明れば 伯母御騒がせ給ふばと 菅丞相の御詞 爰でも恟りかしこでも 恟りびくりに

 

心の迷ひどちらがどふじや輝国殿目利きなされて下されと 問るゝ人も問人も軻れ果たる斗也

丞相重ねて 輝国の迎ひ遅参故 睡(まどろ)む共なく暫時の間 物騒がしく聞へし故窺ひ見れば

兵衛が工み太郎が所為 立田の前ははかなき最期是非もなし 伯母御の心底さこそ/\ 某

是へ来らずばかゝる歎きも有まじと今更悔みの御涙 イヤ娘が命百人にも かへがたき大事の

お身 怪家過ちのなかつたを悦びこそすれ何の泣こ 何の/\といふ目に涙 のふ輝国殿 悪事

の元は其兵衛 此世の隙を早ふ/\ 太郎も供にと立寄て髻(もとゞり)引上げ丞相の堅固の有様

儕親子に見せたが本望 娘が恨みも晴つらんと刀を抜ば息絶たり 憎いながらも不便な死ざま

 

 

57

有為転変の世のならひ 娘が最期も此刀 聟が最期も此刀 母が罪業消滅

の白髪も同じく此刀と取直す手に髻払ひ 初孫を見る迄と 貯(たくは)ひ過ごした恥白髪

孫は得見いで憂き目を見る 娘が菩提逆縁なから弔ふ此尼種々因縁而求(にぎう)

仏道 南無阿弥陀仏と唱ふれば菅丞相も唱名の 声も涙に回向有る 判官

輝国大きに感じ 伯母御前に先とられ跡にさがつた儕が成敗 強欲非道の皺

頭(かしら)と水もたまらず打落す 覚寿は木像抱き抱へ菅丞相の右手()めて

の方 御座を並べて直し

置 兵衛親子が工みも顕はれ何も角も納りし 此木像の不思議な働き かゝる例も

 

有事かや いやとよ最前もいふごとく 匹夫/\が工みも顕はれ 我急難を遁れしも暫

時の睡眠前後をしらず 木に彫(きざみ)筆に畫(えがく)例は本朝名高き絵師 巨勢の金(かな)

岡が畫たる馬は 夜な/\出て萩の戸の萩を喰ひ唐土にも名画の誉れ 呉道子(ごだうし)が

墨絵の雲龍雨を降せし例も有 又神の尊像木仏などの人の命にかはらせ給ふ例

はかぞへ尽されず 菅丞相が三度迄作り直せし物なれば木にも魂備はつて我を

助けし物やらん 讒者の為に罪せられ身は荒磯の嶋守と 朽果る後の世迄筐と

思召れよと 仰に荒木の天神 河内の土師村道明寺に残る威徳ぞ有がたき

 

 

58

輝国四方を打眺め 思はざる義に隙(ひま)を取 夜も明はなれ候へば御立ぞふと申に

ぞ 又改る暇乞 伯母が寸志の餞別(はなむけ)せん用意の物こなたへと かりや姫の上着

の小袖かけたる伏籠諸共に 御傍近く取直させ 浪風あらき楫枕余寒を凌かせ申さん

為 伯母が心を薫(たき)しめた小袖を嶋迄召るゝ様に 輝国のお世話ながら頼ますると有

ければ 是は宜しき進ぜ物2 苫の香防ぐとめ木の小袖家来に持たせ参らんと 立寄り伏籠に手

をかくる 丞相しばしととゞめ給ひ 御恩を厚く込給ふ伏籠にかけし此小袖 中なる香(こう)はきかね共

名(めい)は大方伏屋かかりや 伯母御前より道真が申請し女子の小袖 我身にはあはぬ筈

 

身幅も狭き罪人がたゞ此儘にお預け申 我子袖と思し召 立田の前が

追善の仏事も供にと伯母御前の心を悟る御詞 骨身にこたへ忍び

兼思はずわつと声立てて 歎くに扨はと輝国も心を感じしほれ入る 覚寿が心は

伏籠の内 泣たは結句あの子が為 別れにちよつと只人目伯母が願ひを叶へてと

立寄袖を引とゞめ お年故のそら耳か 今鳴たは慥に鶏 あの声は小鳥の音(ね)

小鳥が鳴は親鳥も鳴は生(しやう)有ならひぞと 心の歎きを隠し歌 鳴けばこそ 別れを

急げ鶏(とり)の音の 聞へぬ里の あかつきもがなと詠じ捨て 名残はつきずお暇と

 

 

59

立出給ふ御詠歌より 今此里に鶏なく羽たゝきもせぬ世の中や伏籠

の内をもれ出る 姫の思ひは羽ぬけ鳥 前後左右をかこまれて父は

元より籠の鳥 雲井のむかし忍ばるゝ 左迂(さすらい)の身の御歎き夜は明け

ぬれど心の闇路 照らすは法(のり)の御誓ひ 道明らけき寺の名も 道明寺

迚今も猶栄へまします御神の生るがごろき御姿爰に残れる物語り 尽き

ぬ思ひにせきかぬる涙の玉の木玄樹 数珠の数/\くりかへし 歎きの

声に只一目見返り給ふ顔ばせ 是ぞ此世の別れとはしらで 別るゝ別れなり