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浄瑠璃本データベース ニ10-01216
103(左頁)
第五
雲井長閑(のどけ)に大内山早立かはる水無月下旬 日毎/\に時違(たが)へず電光雷火
霹靂(はたゝがみ) 打続いての天変只事ならず 玉体安全雷除(らいよけ)の加持有んと勅使三
度の召しに応じ 法性坊の阿闍梨参内有り 紫宸殿に壇を構へ幣帛
押立て 独鈷三鈷鈴(れい)錫杖ふり立/\祈らるゝ 擁護(おうご)も嘸としられける 寛平
法皇の御使として判官代輝国 斎世親王苅屋姫菅秀才を伴ひ御階(みはし)の
もとに伺公する 僧正壇よりおり給ひ能こど参内ましませしと 親王の御手を取
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上座に移し参らすれば 輝国階下に天窓をさげ 兼て法皇貴僧に談じ給ひし通り菅
秀才に菅原の家相続 天機宜しき次手を以て御沙汰有て給はりしか 承はつて
参れとの使ぞふと述ければ 親王も僧正に向はせ給ひ 此度の天変察する
所 無実の罪に沈んだる菅丞相の所為なるべし 此霊魂を鎮めんには法皇の仰の
ごとく 菅秀才が勘当を赦され 菅家再び取立て給はゞ亡魂も恨を晴し 天下
万民の悦び是にしかじ 偏に貴僧を頼み入 次には麿が虚命の逆鱗 申晴して
給はれと事丁寧に述給へば 仰のごとく菅丞相恨は晴ぬ天変不順 愚僧元来菅丞
相とは師弟の中 霊魂の怒りを休むる菅原の家相続宜しく奏し奉らん法皇御所へ
も此通り 輝国申上らるべし各はこなたへと 打連れ奥に入給へば判官代大きに悦び 僧正の御請合
法皇に申上追付参上仕らんと心いそ/\立帰る 斎世親王菅家の兄弟密に参内致せし
と 春藤玄蕃がしらせによつて 時平の大臣大きに驚き 希世清貫前後に随へ逸散に
かけ来り 寝殿遙かに窺ひ見れば 実も玄蕃が申に違はず 時平が怨と成やつばら片端
討殺し天皇法皇を遠島させ我万乗の位につかん 清貫希世ぬかるなと八方へ眼を配り
事を窺ひ待共しらず判官代は帰りしかと 奥ゟ出る菅秀才ソレと時平がかけ声に 左中弁
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つつと寄小腕取て捻伏たり 時平の大臣から/\と打笑ひ蝿同然の小躮なれ共生け置ては後
日の怨首討たると思ひしに小ざかしくも我を謀り今日迄存命せしは松王めが計ひよな 贋首喰
たうつそりめと春藤玄蕃が肩骨つかみ不忠油断の見せしめと 首引抜てかしこへ投捨 ヤア/\両人
此小躮は丸に任せ斎世親王かりや姫引立参れと下知するにぞ 清貫希世心得しと奥をさし
て行く所に俄に晴天かき曇り風雨發つて絶間なく電光虚空にひらめき渡り 天地も
崩るゝ大雷ばち/\/\/\ぐはら/\/\ 二人はがち/\胴震ひ色青さめて逃まどふ 時平の大臣はびく共
せず ヤア臆病な腰抜共 鳴ばなれ落ちば落ちよ雷神電火も足下にかけ踏消てくれんず物と菅
秀才を小脇にかい込 虚空を睨んでつつ立たり 猶もはため震動雷電希世は生たる
心地なく 御階の下にかゞみ居る頭の上に車輪の火の玉 落ると見へしが左中弁五体炎に燃爛(もへたゞれ)
天罰目の前師匠の罰心地よかりし最期也 是にも屈せぬ強気(がうき)の時平 三善の清貫いづくに
有丸に敵する雷神なし こはくば爰へ来れよと 呼を力に立寄清貫 あはやと三善も雷火に打れ
即時に息は絶果たり二人が最期にさしもの時平 心臆して膝わな/\ 擒(とりこ)にしたる菅秀才逃て
〽行衛もしらばこそ 此上頼むは法力と壇上にかけ上り 両手を覆ふて踞(うづくま)る 左右の耳より尺余の
小蛇 顕はれ出れば問絶しうんとのつけに反(そり)かへれば 二疋の小蛇は抜出て壇に立たる幣帛(へいはく)
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に 入よと見へしが忽に此世を去し桜丸夫婦が姿と顕れ出 かげのごとく壇上に
すつくと立 腹立や恨めしや 汝故に菅丞相 無実の罪にうきしづみ 心
筑紫に果給ふ其怨念は 晴やらぬ 空に轟き鳴神の炎変して紅(くれない)桜と
供にちらさん来れや来れと頭を 掴んで引立る 音に驚き法性坊紫宸殿
にかけ出て見給へば 物の怪(け)の姿はあり/\有明桜 祈り加持して退けんず物と 数珠
さら/\と押もんで 千年の陀羅尼くりかけ/\ 祈いのれば時平は夢供現供
思はずしらぬ立上れど 桜夫婦が妄執の 雲霧に隔られ形は 見へて手に
取られず 逃んとするを 逃さじと向ふにたちまち八重一重 刃にかゝり此世をさり
かばねは終に呵責の火桜 此身を焦(こが)す塩釜桜 いかに僧正祈る共 此怨
念はいつ迄も 付まとはつて糸桜 退かじ放れじ幻はうて共さらぬ犬桜死霊を去ら
さで置べきかと 揉かけ/\祈り給へば夫婦が霊魂 イヤ/\/\/\/\いか程いのる共 我々諸共冥
途の苦患(くげん)見すべしと寄ば いのり祈れば形は見へつ隠れつ九重の 彼岸桜とちり
/\゛に僧正の数珠先人恐れて寄ぬぞ不思議なる 紫宸殿に僧正あれば
弘徽殿に夫婦の姿 弘徽殿に移り給へば 清涼殿に死霊の形 清涼殿に移り
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給へば なしつぼ梅つぼ夜の御殿(おとゞ)昼の御座 行違ひ行廻り 祈るは僧正 去ぬは
怨霊もみ合/\祈り伏せられ桜丸 ヤア/\僧正 菅丞相を讒言し 帝位を奪ふ
時平を助け給ふは心得ず 扨は貴僧も朝敵に力を添給ふかと 聞より僧正大きに
驚き ヤアかゝる天下の怨共しらで 数珠をけがせし勿体なやと法座を立去り入給へば
時平も恐れ諸共に御座の間さして逃入を たぶさを取て引戻し 今こそは思ひの
儘 冥途の闇路に伴はんと 桜の枝のしもとをふり上追立/\追廻し笞(しもと)を
持て丁/\/\ 打れて現空蝉の蛻(もぬけ)の體 扨こそ恨晴たりを死霊は時平を庭上に
そふと蹴落し嬉しげに 形は花の散るごとく 消て見へねば丞相の 㚑も鎮まり空晴て日輪
光り輝けり 斯(かく)と見るゟ菅秀才かりや姫庭上に走り出 父上の敵遁さじと用意の懐剣
抜放し 恨の刀思ひしれと 指し通し/\悦び給ふ折こそ有 宮様夫婦若君の安否いかゞと松王丸
輝国伴ひ参内すれば 白太夫梅王も宰府ゟ立帰り御階の下に伺公して 桜丸夫婦
が怨念時平が悪事を顕はせし 仔細を聞より人々嘉悦 供に悦び法性坊親王を
伴ひ立出給ひ 人々の願ひのごとく 菅秀才には菅原の遺跡(ゆいせき)を立てさせ 菅丞相
に正一位の贈官有 右近の馬場に社を築き 南無天満大日在天神と崇め 皇居の守護
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神(じん)たるへしとの宣旨也と述給へば 皆一同に悦びをきくに北野の千本松 栄へ栄ふる御社は
千年万年朽せぬ宮殿 錦の帳(とばり)玻璃の柱 瑪瑙の梁(うつばり)瑠璃の垂木 廻廊
拝殿有り/\と縁起をあら/\書き遺す筆の冥加や御伝授の 伝はる和国に炳然(いちゞるき)威徳を崇め奉る