読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/pid/2567566
1
はなのえん
2
きさらきの廿日あまり南殿のさくらの宴せ
させ給ふ。后春宮の御つほね左右にしてまう
のぼり給。弘徽殿の女御は中宮のかくておはす
るをおりふしごとにやすからずおぼせど物見
にはえすぐし給はて参り給ふ。日いとよく
はれて空のけしき鳥のこえも心ちよけ
なるに。みこたち上達部よりはじめてその
みちのはみなたんいん給りて文つくり給ふ。宰
相中将春といふもじ給はれりとの給ふ声
さへれいの人にことなりつぎに頭中将人のめう
つしもたゞならずおぼゆべかめれど。いとめやすく
3
もてしづめてこはつかひなともの/\しくすぐ
れたり。さての人々は皆おくしがちにはな
しろめるおほかり。地下の人はましてみかど春
宮の御ざえかしこくすぐれておはします
かゝるかたにやむごとなき人おほく物し給ふ
ころなるに。はづかしくてはる/\゛とくもりな
き庭にたちいづるほど。はしたなくてやすき
事なれどくるしげなり。年おいたるはかせ
どものなりあやしくやつれて。れいなれたる
もあはれにさま/\゛御らんずるなむおかし
かりける。がくどもなとはさらにもいはずとゝ
のへさせ給へり。やう/\いり人になるほど春の
鶯さへづるといふまひいとおもしろくみゆる
に。源氏の御紅葉の賀のおりおぼし出られて
春宮かざし給はせてせちにせめ給はするに
のがれがたくてたちてのとがみ袖かへす所を一お
れけしきばかりまひ給へるに。にるべき物なく
みゆ。左のおとゞうらめしさも忘れて涙おとし
給ふ。頭中将いづらをそしとあれば柳花苑と
いふまひを。これはいますこしすして。かゝること
もやこと心づかひやしけん。いとおもしろければ御
ぞ給はりていとめづらしきことに人思へり。上達
4
部みなみだれてまひ給へば夜にいりてはことに
げちめもみえず。文などかうずるにも源氏の君
の御をばかうじもえやらず。句ごとにすんし
のゝしるはかせともの心にもいみじう思へり。
かうやうのおりにもまづこの君をひかりにし
給へれば。みかどもいかでかをとかにおぼされん。中宮
御めのとまるにつけて春宮の女御のあながち
ににくみ給ふらんも。あやしう我かう思ふも
こゝろうしとぞ身づからおぼしかへされける
おほかたに花のすがたを見ましかば露も心
のをかれましやは御心のうちなりけん事い
かでもりにけん。夜いたうふけて事はてける
上達部をの/\あかれ后春宮かへちせ給ぬれば
のどやかになりぬるに。月いとあかうさし出て
おかしきを源氏の君えひ心ちにみすぐしが
たくおぼえ給けれは。うへの人々もうちやすみて
かやうにおもひかけぬほどにもじさりぬべき
ひまもやあると藤つぼわたりをわりなうし
のびてうかゞひありけど。かたらふべき戸ぐち
をもさしてければ。打なげきてなをあかじに
弘徽殿のほそ殿にたちより給へれば三のくち
あきたり。女御はうへの御つほねにやがてまうの
5
ぼり給にければ人ずくなゝるけはひなり。おく
のくるゝ戸もあきて人音もせず。かやうにて
世の中のあやまちはするぞかしと思ひて
やをらのぼりてのぞき給ふ。人はみなねたるべし
いとわかうおかしげなるこえのなべての人とは
聞えぬ。おぼろ月夜ににる物ぞなきとうち
すして。こなたざまにはくる物がいとうれしくて
ふと袖をとらへ給。女おそろしと思へるけしき
にてあなむくつけこはたそとの給へドあか
うとましきとて
(源氏)ふかきよのあはれをしるもいる月のおぼ
ろけならぬ契りとぞ思ふとてやをらいだき
おろして。とはをしたてつ。あさましきにあ
きれたるさまいとなつかしうおかしげなり
わなゝく/\こゝに人との給へどまろはみな人に
ゆるされたればめしよせたりとも。なでう事
かあらんたゞ忍びてこそはとの給ふ声に此
きみなりけりときゝさだめていさゝかなぐ
さめけり。わびしとおもへるものからなさけな
くこは/\゛しういみえじと思へり。えひ心ちや
れいならざりけん。ゆるさん事はくちおし
きに女もわかうたをやぎてつよきこゝろも
6
えしらぬなるべし。らうたしと見給ふに
ほどなくあけゆけばこゝろあはたゝし女は
ましてさま/\に思ひみだれたるけしき
なり。なをなのりし給へいかでか聞ゆべき
かうてやみなんとはさりともおぼさじとの
給へば
うき身世にやがてきえなばたづねても
草の原をばとはじとや思ふといふさまえんに
なまめきたりことはりや聞えたかへたるも。し
かなとて
いつれそと露のやどりをわかんまにこざゝ
がはらに風もこそふけわづらはしくおぼず事
ならずはなにかつゝまん。もしすかい給ふかと
もいひあへず人々おきさはぎ。うへの御つほね
に参りちがふけしきどもしげくまよへば
いとわりなくて。あふぎばかりをしるしに取
かへて出給ぬ。きりつほには人々おほくさふ
らひておどろきたるもあれば。かゝるをさも
たゆみなき御忍ありきかなとつきしろひ
つゝそら寝をぞしあへる。入給てふし給へ
れどねいっられずおかしかりつる人の様かな
女御の御おとうとたちにこそはあらめ。まだ
7
世になれぬは五六の君ならむかしそちの宮
の北方頭中将のすさめぬ四の君などこそよし
ときゝしが中々それならましかば。いま
すこしおかしからまし。六は春宮に奉らんと
心ざし給へるをいとおかしうもあるべいかな
わづらはしう尋ねん程もまぎらはし。さて
たえなんとは思はぬけしきなりつるをいか
なれば事かよはすべきさまををしへず。な
りぬらんなどよろづに思ふも心のとまる
なるべし。かうやうなるにつけてもまづかの
わたりの有さまのこよなうおくまりたる
はやとありがたふ思ひくらべられ給ふ。その日は
後宴の事ありてまぎれくらし給ひつ。さう
のことつかうまつり給ふ。きのふの事よりも
なまめかしうおもしろし藤つぼはあかつきに
まうのぼり給にけり。かの有明出やぬらん
と心も空にて思ひいたらぬくまなきよしきよ
惟光をつけてうかゝはせ給ければおまへより
まかで給ける程にたゝ今北のぢんよりかね
てよりかくれ立て侍つる車どもまかりいづる
御かた/\゛の里人侍りつるなかに四位少々右
中弁などいそぎいでゝおくりし侍りつるや
8
弘徽殿の御あがれならんとみ給ひつる。けしう
はあらぬけはひともしるくて車みつばかり
侍りつと聞ゆるにもむねうちつぶれ給ふ
いかなしていづれとしらんちゝおとゝなど効いて
こと/\しうもてなされんもいかにぞや。又
人のありさまよくみさだめぬ程はわづらはし
かるべし。さりともしらであらむはたいと口
おしかるべければ。いかにせましとおぼしわづらひて
つく/\゛とながめふし給へり。姫君いかにつれ/\゛
ならむ日ごろになれば。くしてやあらんとらう
たくおぼしやる。かのしるしの扇はさくらかさね
にてこきかたにかすめる月をかきて水にうつし
たる心ばへめなれたれと。ゆへなつかしうもてな
らしたり。草のはらをばといひしさまのみ
心にかゝり給へば
世にしらぬ心ちこそすれ有明の月の行えを
空にまがへてとかきつけ給てをき給へり。お
ほい殿にも久しうなりにけるとおぼせど。わか
君も心ぐるしければこしらへんとおぼして二
条院へおはしぬ。みるまゝにいとうつくしげにおひ
なりてあいぎやうづきらう/\しき心ばへいと
こと也。あかぬ所なうを御心のまゝにをしへなさん
9
とおぼすにかなひぬべし。おとこの御をしへな
ればすこし人なれたる事やまじらんと思ふ
こそうしろめたけれ。日ごろの御物語御ことなど
をしへくらして出給ふを。れいのどくりおしう
おぼせどいまはいとようならはされてわり
なくはしたひまうはさず。おほい殿にいれいの
ふともたいめんし給はずつれ/\゛とよろづおぼし
めぐらされて。さうの御琴まさぐりてやはら
かにぬる夜はなくてとうたひ給。おとゞわたり
給て一日のけうありし事聞え給ふ。こゝらの
よはひにてめいわうの御世四代をなんみ侍ぬ
れどこのたびのやうにふみどもぎやうさく
に。まひがく物の音どもとゝのほりてよはひ
のぶることなn侍らざりつる。みち/\の物の上
手どもおほかるころほひくはしうしろしめし
とゝのへさせ給へるけなり。おきなもほど/\まひ
出ぬべき心ちなんし侍しと聞え給へばことに
とゝのへおこなふ事も侍らずたゞおほやけ事
にそしうなるものゝ師どもをこゝかしこに
たづねて侍しなり。よろづの事よりも柳花
苑まことにこうたいのれいともなりぬべく見
給べしに。ましてさか行春に立いでさせ給へ
10
らましかはよのめんぼくにや侍らましと聞え
給ふ。弁中将など参りあひてかうらんにせ
なかをしつゝとり/\゛に物の音どもしらべ
あはせてあそび給。いとおもしろし。かの有明
の君ははかなかりし夢をおぼしいでゝいと物
なげかしうながめ給ふ。春宮はう月ばかり
とおぼしさだめたればいとわりなうおぼし
みだれたるを。おとこもたづね給はむにあとはか
なくはあらねどいづれともしらでことにゆるし
給はぬあたりにかゝづらはむも人にろく思ひ
わづらひ給ふに。やよひの廿日右の大殿のゆみ
のけちに上達部みこたちおほくつどへ給てやが
て藤の花のえんし給。花ざかりはすぎにたる
をほかのちりなんとやをしへられたりけん。をく
れてさく桜二木ぞいとおもしろきあたらしう
つくり給へる殿をみやたちの御裳ぎの日み
がきしつらはれたり。はな/\とものし給とのゝ
やうにてなにごともいまめかしうもてなし給
へり。源氏の君にも一日内にて御たいめんおつ
いでに聞え給しかどおはせねば。くちおしう
物のはへなしとおぼして御子の四位の少々を
たてまつり給ふ
11
(右大臣)わかやどの花しなべての色ならば何かはさ
らに君をまたまし内におはする程にてうへ
にそうし給。したりかほなりやとわらはせ
給てわざとあめるをはやう物せよかし。女みこ
たちなどもおひいづる所なればなべての様には
思ふまじきをなどの給はず。御よそひなど
ひきつくろひ給ていたうくるゝほどにまたれて
ぞわたり給ふ。桜のからのきの御なをし忍び
ぞめのしたがさね。しりいとながくひきて。みな人は
うへのきぬなるにあざれたるおほ君すがたの
なまめきたるにて。いつかれいり給へる御さま
げにいとことなり。花の匂ひもけをされてなか/\
事ざましになんあそびなどいとおもしろう
し給て。夜すこし更行ほどに源氏の君いたう
えひなやめるさまにもてなし給てまぎれ
たち給ぬ。いん殿に女一宮のおはします
ひんかしの戸ぐちにおはしてよりい給へり
藤はこなたのつまにあたりてあれば。みかうし
どもあげわたして人々いでいたり。袖ぐち
などたうかのおりにおぼえてことさらめきもて
いでたるをふさばしからずとまづ藤つぼわたり
をおぼしいでらる。なやましきにいといたう
12
しいられてわびにて侍り。かしこけれど此お
まへにこそはかえにもかくさせ給はめとて。つ
まどのみすをひきゝ給へばあなわづらはしよか
らぬ人こそやん事なきゆかりはかこち侍なれ
といふけしきを見給に。おも/\しうはあらねど
をしなべてのわかうどゞもにはあらず。あてにお
かしきけはひしるし空だき物いとけづたう
くゆりてきぬの音なひいと花やかにふるまひ
なして心にくゝおくまりたるけはひはたち
をくれ。いまめかしきことこのみたるわたりにて
やん事なき御かた/\゛物み給とて此戸ぐち
はしめ給へるなるべし。さしもあるまじき事
なれどさすがにおかしうおもほされていづれ
ならぬとむねうちつぶれて扇をとられてから
きめをみると。うちおほとけたる声にいひな
してよりい給へり。あやしくもさまかへたるこ
まうど哉といらへふるは。心しらぬにやあらんいらへは
せで。たゞ時々うちなげくけはひするかたに
よりかゝりて。木丁ごしにてをとらへて
あづさゆみいるさの山にまどふかなほのみし
月のかげやみゆるとなにゆへかとをしあてに
の給を。えしのばぬなるべし
13
こゝろいるかたならませばゆみはりの月
なき空にまよはましやはといふこえたゞそれ
なり。いとうれしきものから