仮想空間

趣味の変体仮名

祇園祭礼信仰記  第二

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
      イ14-00002-225

参考にした本  http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/876606 (字が読みにくいんだもん)

 


27(左頁)
   第弐
秦に長城を築て鉄の堅きに比ぶとかや 小田上総の太守信長の居城 外廓破損の修復斧の音
も撰(さい)槌も一度に鎮る柝(ひようしぎ)に スリヤ昼飯よ昼休皆打連て入にける 柴田権六勝重が出仕を出向ふ
森の蘭丸 互に一揖(やふ)是は/\ 蘭丸殿 早出仕召れたの 北国浅倉退治の内談 弥夜前申合せし
通り 信長公にも其趣いかにも/\左様でござる 先年今川を一戦に討取しも 君兼々御信仰厚き
津嶋の社祇園牛頭天皇の御利生 去によつて京都感神院の祇園へ 御代参を立られたお使
は気に入の中間此下東吉 発足したは七日以前毎度四日を限つて帰る日取 今において帰らぬ


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故 彼が女房を呼出し 詮議致さんと存 只今呼に遣はしたりと噂取々取あへず 東吉が妻のお
菊夫が帰りの遅いから 其尋の品よりも外に覚は内(ない)玄関 テモ御普請が有やらして 此取ちらして
有る事はいと云つゝ庭に畏る 柴田権六は詞をかけ 御代参に上京せし東吉が女房よな 毎度の日取
に三日の延引 信長公にもお待兼 帰国の日限延る故 旅立の日に相違の有なし 覚あらば聞たしと
詞の下 ハツト摺寄成程御尤のお尋 大切なお使なれば 其朝は七つに内を出られましたが 今日暑
気に赴く時分なれば若し急病急難はしらぬ事 したが常々から養生のよい人 先の食事は
覚束ない迚 一時に貯へて今度は往戻り四日の旅じや 白搗きを二升焚け 心得ましたと夜半に

起 米を炊やら下焚やら出来上つたは丑の時 もふそろ/\と旅脚絆草鞋は手作りで十日廿日
履た迚 いつかなそゝける気遣ない ソレヤ七つか今鳴るとついと出られてけふで七日 女房の事なりや皆
様より案じも一倍三日の日述 きのふの晩から癪が発(おこつ)てアゝしんきやと普請場の茶をば茶碗に
がぶ/\息次あげずしやべりける 様子を聞程濘(ぬから)ぬ東吉いか様遅いはふしぎやと 互に見合す顔
と顔 吐息つく間もすつた/\ 戻る此下東吉が状箱首にひつかけて 菅笠片手にいつきせ
き 只今帰国っとかつ蹲ふ ナウこちの人待兼たといふ女房に目もやらず 御両所様嘸お上にもお待
兼 三日の日取延引の子細委しく書認めお守札の此箱へ封込で罷有早々と御前御披見の


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御取次と指出す 蘭丸受取 委細の義は披露の後 暫く夫に権六殿後刻/\と箱携へ 御前をさし
て急行 跡見送て東吉は扨々図ない汗かいた 権六様お赦しと足投出し草鞋とく/\気転の
お菊が茶を指出し ぢふで様子の有そな事 何として遅かつたと尋ればイヤ申権六様 お聞なされて下
さりませ 何が大切な御代参 夜を日についで登た所 京都には大騒動 京都の騒動とは ??/\
信長公へ指上たる密書に委しく候へ共かい抓(つまん)でお咄し申そふ 兼て松永大膳が反逆 花橘といふ
傾城を義輝公へすゝめ込折を窺ふ時も一昨九日 義輝公には不慮の御最期室町殿は灰
燼の煙の中 鉄砲矢叫び馳せちがふ人馬の声の夥しさ かゝる折に参り合余所に見んも本意にあらず

と 煙の中へとかけ入て一々次第を見る中に 御母君と家の籏敵の手へ奪取は ばい返さんと働く人々 三好修
太夫存保殿も終には討れ 幼稚にまします若君も行方知ず皆ちり/\゛ 一方ならぬ都の騒動
まだ此外に忠義の品々 残らず書留候と今見る如く語るにぞ 扨はと驚く女房お菊 権六も仰天し
扨々思ひ寄ざる珍事 信長公にも嘸御驚き 去ながら出かしたり東吉 一大事の注進手柄/\ イヤもふ
歩(ふ)中間風情の私 心一ぱいの働きでござります イヤ申権六様 見ますれば未だ普請も呆ぬ様子 私
が旅立の以前よりかゝつた修復 どこが一つ出来た共見へぬが ばか/\しいせんさく 室町の御所と号(なづけ)て要害
第一の館さへ不意にあふては一炬の煙と成時節 近江に佐々木 伊豆に北条 北国に浅倉 四国


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九州敵なら国もないに 普請奉行の山口殿 何を緩々構へてぞ と独りつぶやく後の方 いつの間にかは
九郎次郎 ヤアどいつぞと思へば 猿松の一文奴め二合半の頤から千五百石頂戴する 九郎次郎が聞共
しらず不敵の雑言最一度ぬかさば手は見せぬと 切刃廻せばイヤサおせきなさるゝな 成程千五百石と二
合半 懸隔の違いなれ共皆信長公の御家来 主君のお為に成る事なら千五百石は愚か何程の大
身でも遠慮はせぬ此奴め 戦国の砌べん/\だらりの長普請 不用心と存るから申したが誤りか ヤア
まだ下郎の存外者 元来儕は遠州浜名の浪人 松下志賀頭が草履掴んだ素丁稚め 主
の金を横取し国遠したる横道者 今信長公に奉公し うぬが手柄に人を褊(さみ)する腮(ほうげた)いがめてくれんと立

蹴に蹴上る足首掴み ヘゝへゝ ヘゝゝゝ 松下が金横取すれば山口殿の此脚(すね)で踏といふ触れでも有たかコリヤ御大
身に似合ぬ近頃卑劣に存ますと 掴だ足首引くり返し見向もやらぬ大丈夫 傍に始終 
を見て取権六イヤなふ山口殿 智者も千慮に一失有 慮者も千言に一得有と申す戦国の
此時 城外修復を隙取るは 不用心と申た彼が一言は 即ち慮者の一得でもござらふ 某只今
出仕の次手 信長公へ言上し是非は宜しく御沙汰有んと云捨奥へ入跡に 訳をお菊かハア/\おふ
/\ コレ東吉殿 山口様大身めつたにつか/\物いあはしやんな ハテそち迄が大身小身 ソヤいふ
に及ばぬ雉と鷹 其鷹てもナ 時によると土くれ鳩にも取らるゝ 雉めは又蛇(くちなは) に体を


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巻かして羽たゝきし 微塵に砕いて餌食にするまつ其ごとく 貴賤上下と隔つ共 魂にかはりはな
いと 山口を尻目にかけ 嘲弄舌打舌鼓腹にすへ兼九郎次郎 身に当付る存外過言 堪
忍ならぬと刀の鯉口こなたも一腰反り打てぬかば切んと詰寄れば お菊か中に分け入て 夫を宥むる其
所へ 御上意と呼はつて立出る柴田権六双方を押鎮め いかに東吉只今差上し密書逐一に
御覧有て当座の御褒美墨附頂戴せられよと押開 此下東吉へ下す状其趣 此度松
永大膳が逆心によつて室町殿の騒動に参り合 比類なき働きかんずる余り 千五百国の知
行宛行ふ者也 永禄八年丑五月信長判と読み終り 東吉が手に渡せば夫婦は夢に夢

見る思ひ コハ有かたき御恵と大地に頭を三拝九拝悦ぶ事は限りなし 権六重てナフ東吉 此一腰は信
長公のお差替 御取立の賜 頂き召れと指出し 重ねての仰には山口殿に加役せしめ普請早々成
就致すべしとの御事 此柴田は横目役 九郎次郎殿其旨心得らるべしと いへば返事も渋い顔 東吉刀を押 
戴き ナフ山口殿 只今お聞の通 千五百石のお取立 以後は同格同役でござる イザ先あれへお通りと挨拶す
れ共不肖/\互にかゞめる二腰の礼義にしづ/\打通れば 柴田も脇へたばこ盆さげて片寄る横目役
お菊も俄に衿繕ひおかもじふうはり前垂を取て捨ても毛綿物 小袖に紛ふ居すまい也 東吉
山口打向ひ 是迄は貴殿のお指図 いつ頃成就と思召す サレバ今月中には出来(しゆつたい)致さふ シテ大工人歩は


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幾人(いくたり)かけ召れた 六百人かゝつております ハテナ左程の人数ではもそつと早くできそふな物 トハなぜな ハテ高
が破損の綴り普請 凡外塀を打こほち 新たに建て直しても夫程の日数はかゝらぬ筈 イヤコレ東吉
殿 此山口には目も口も有まいか どふやら油断も致す様な云分ナフ柴田殿 成程油断の有ふには存ぜ
ぬが 東吉殿の了簡とは雲泥の違ひ コリヤ大工日雇を呼出し とくと御吟味なされてよからふ いかにも
左様 ヤア棟梁日雇頭早く参れと呼声に ハツト答て立出る棟梁作兵衛 日雇の市介が東吉を
見て興覚顔 ハゝアあれ/\お中間の猿冠者が山口様の傍に居ると目引袖引打笑へばお菊か傍から
コレ/\/\東吉殿は今日只今 千五百石の知行 山口様共同然のお奉行様 慮外いふたら免さぬと叱ら

れて又恟する 二人を山口ぐつと睨付け大切な塀の破損出来が遅いと有てナ 尓(なんじ?)か油断もする様に申
上る者が有 棟梁共が油断から見に批判を受さす憎(にっく)い仕方 言訳あらば目通で真直ぐにぬかしおらふ
是は/\思ひがけもないお叱り 毛頭油断は サア仕らいでも仕 さ様に此東吉は思はる さつぱりと言訳せいサア何と
/\ ハイ先北面間斗の高塀に大工三百人手伝も三百人 都合六百人の人数を以て 油断なく仕れ
と 常体の普請とは違ひ 外堀の石台足代(しろ)迄 中々麁抹には成ませぬ 去によつて ヲゝもふよいは/\
念に念を入ねばならぬ御破損 此東吉が指図せふ ソ?両人共つつと出お/\/\ アノ外玄関の見付の
矢倉 其石台は凡何程有 ハイ十間四方もござりませふ ムゝ其十間を十(とを)に割ば一間の土台 其一


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間の土台をたて直すには人歩(にんぶ)は幾人(いくたり) ハイ一間ならば大工三人手伝三人 ムゝ其六人ではでかするか アイ慥に
出来致します ?作兵衛殿 ヲゝできる共/\ ハゝゝゝ 御両所お聞なされたか 此東吉か工夫を以て外塀
残らず土蔵迄 明日中には成就致させお目にかけふ ヤ何と/\ 貴殿が工夫で明日中にや柴田殿
何と思召す いかにも/\ イヤ何東吉殿 山口殿は今月中 貴殿は又明日 イヤハヤ是は大きな違ひ シテ其
工夫はどふでござる 只今申付けて見せませふ コリヤ/\作兵衛市介 左いふた割方 一間に六人の人歩 十
間では六十人 百間なれば六百人 其中へ今二百人を増加(ましくは)へ 都合八百の人歩を以て 明日中に急度でか
せい エゝイ そりやめつそふな中(ちう)積り 譬二百人三百人手伝を増した迚明日中には何として/\ ヲゝ夫レ/\

此山口が下知をもどき 若し其人数て出来ぬ時は ハテしれた事此腹々 手前が指図御合点が参
らずば 微細に云て聞しませふ コリヤ汝等もとくと聞 先下地揃ふた六百の人歩は其儘置 加増
した二百人の内 四十人は雑用煮焚 八十人は東西南北 廿人宛(づゝ)手分けして 縄釘万事の小
使役 跡八十人も又廿人宛四方へ分けて 食物何か加勢の役軍の陣所同前に 兵糧煮
焚を続けねば 士卒のかけ引全からず 緒職人も同じ事 万事に気を付け手廻し能してあてがへば
細工も自然とはかいきに 朝夕(てうせき)三度は握飯?(へぎ)にもつて持運び柝(ひやうしぎ)も打つ事なく 足場の高低
おり上り 是も運んでそれ/\にかけ渡して進むれば 面々勝手の取賄ひ 食後のたばこも


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三ぶくつぎ 火縄を持て廻れば済む 一時の懈怠は一日の懈怠と成 頭の者共心得たか 此割方さへ
考れば 城の五つや十四五は一日にも成就する 東吉が割普請工夫は斯の通ぞと 詞よどまぬ
かけ引は万事に渡る後学の才智をかんずる斗也 山口は明た口手持ふたさに棟梁頭庭にましくし
手をつけば 権六声かけコリヤ/\両人 東吉殿の指図の通り 明日中に仕立上い 違背せは曲事
たるべし 罷立てと有ければ ハイ/\畏りましたと連れ立跡から市介が山口に目と目を見合せ普請場
さして出て行 時しもお成とさゝめく声 スハ御主人とそれ/\に席を改め待間程なくしづ/\と
立出給ふは大将ならで 信長の御台几帳の前 数多の嬪取々に続て出る守蘭丸 威儀

(書き換え)
を正して押直り
ナフ東吉殿一間を隔て信長公始終を聞し召し候所
古来稀成割普請を考神明也知行千五百石の上
今五百石を加増せしめ都合二千石あて行へとの仰
ハア/\まだ直に云付る事有りと殊の外御きげん
皆同道して早ふ奥へナフ菊とやらは此几帳かお目
見へをさしませぐ皆々こちへと几帳の前お菊を伴ひ


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入給へば跡に権六山口に打向ひ明日中に普請の手
つがい万事差図を御合点か イサ東吉殿こなたへ出
打つれ 山口様コリヤシイ今聞通り猿冠者めが口を
まつ故普請に事よせ日を延したこつちの工み喰ぬ
東吉生置ては後日の邪魔きやつめを手短にコリヤ
斯/\イヤモぬからぬ用意此通りアゝコレヨシ/\

仕済たりと九郎次郎侍り窺ふ奥の間より上下
衣服改て立出る此下東吉お菊も供に裲の裾を
引せる長縁づたい勝手口より柴田権六 ヤナニ東吉
殿今日は御苦労千万ヤ是はしたり山口殿まだ是
にかいよ/\普請は明日中成程急に仕立申さふ
エゝ扨々此下殿結構な御紋付の身の廻り草履


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取から弐千石早い御出世目出たい/\が鼻の
先の智恵をふるい口先で知行を取ても武士は
武芸を鍛練せねばまさかの時の役に立まい アハゝゝ
是は/\御尤な御挨拶 拙者も山口殿程弓矢
打物手練致さば最そつと早く立身を致さふ
物以後は貴殿に御指南を受ませふ ヲゝ望なら

只今でも真剣でお目にかけよふそれは一段
柴田殿も見分なればちよつとお相手に アゝコレ/\
御両所真剣と有れば見分ならず御上也?願ひ御下
知かさがらずはヤ是は御尤成れ共此東吉中々九郎
次郎殿へめつたにりよふじは仕らぬサア山口殿御仕
度一見合せ サア斯握り上た刀の下くゝちるゝなら


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くゝつて見よ 立合通お手隙見事/\
アハゝゝゝ併し東吉殿斯して直れぬ山口殿成程
生を入て帰しませふ ムゝヲゝ此下殿山口
殿先つお先へヲゝおさらばさらばの式礼は庭に
立木の裲やお菊を伴に此下が出世の門出で
   「勇ましき (書き換えオワリ・元に戻る)

を正して押直り ナフ東吉殿 一間を隔て信長公始終を聞し召所 只今の割普請工夫と云頓
智と申し 甚だ御感浅からず 重ねて下さる御墨付と押開此下東吉義古来稀なる割普請
を考へ居城の破損早速成就致すべき段 末代迄重宝共成べき工夫神明也知行千五百石
の上今五百国加増せしめ都合二千石宛行ふ者也 今月今日信長判 ナフ聞れたか東吉 自は
几帳といふ者 信長様諸共残らず聞て居ました 勝れて頓智発明な家来を持は主の亀鏡(きけい)と
殊ない御機嫌 また直に云付る事有とおつしやつた 皆同道して早ふ奥へ ナフそもじは内室お
菊とやら 此几帳が案内してお目見へをさしませふ ホンニ麻につるゝ蓬とやら 烈しい夫に連添


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程有て中々発明そふな 姫ごぜ同士目も只ならぬ身なれば何かの事を頼にやならぬ サア/\
爰へ組手を取にいこふかと打とけて宣へば 是は/\有がたいお詞たつた今迄中間風情の女房が 殿様
へお目見へ 奥様がお引合せ遊すとは余り冥加恐ろしいと会釈こぼるゝ女同士 嬪共か指寄て手
を取進むる広庇 皆々こちへと几帳の前お菊を伴ひ入給へば権六蘭丸続て立 山口殿は大
工人歩を呼寄せて 明日中の普請の手番(つがひ) 万事指図を御合点か いさ東吉殿こなたへと 打
連てこそ入にけれ折を窺ふ市介か邊見廻しつつと出 山口様先程は ヲゝ待ていたと小声に
成 今聞通り猿冠者めか口まつ故普請に準(ことよせ)日を延したこつちの工が皆すつかり とかく生け

置ては邪魔な東吉 きやつめから手短に仕廻ふ工面は コリヤかふ/\と囁けば打點き垬(ぬから)ぬ用意此
通りと筵に巻いたる一腰ぼつ込其中に畳引上ねだこぢ明 竊(しのひ)を入て山口かきせるをかち/\打叩
紛らし窺ふ奥の間より 上下衣服を改めて立出る此下東吉お菊も供に裲の裾を引せる長縁伝ひ
帰るを送る権六蘭丸 東吉殿御苦労 何事も又明日 是は/\御叮嚀いさ御所に御門迄同道致
そふ ヤ 山口殿まだ是にか弥普請は明日中 成程急に仕立申そふ 扨々結構な御紋付の身の廻り
草履取から二千石早い御出世めでたいが 鼻の智恵をふるひ口先で知行を取ても 武士は武
芸を鍛練せねば まさかの時の役に立ぬ ホゝゝゝ是は/\御尤な御挨拶 拙者も山口殿程弓矢


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打物手練致さばもそつと早く立身を致さふ物 以後は貴殿に御指南を受ませふ ヲゝ望なら只
今でも真剣でお目にかけふ 夫は一段 御両所見分に入る為一寸お相手に サゝ望む所と抜放しかふ振
上た刀の下 潜て見るが遅速の最初 ヲゝ合点と猶予もなく蹴上る畳は真二つ ひらりと飛入
刀の柄もぎ取はづみに真の当うんと斗に山口が口に似合ぬ真倒(さかさま)庭へどつさりころ/\/\ コリヤさせぬはと
出る市介直にしやつふり大きさ切遖お手際見事と両人が誉ればお菊も嬉しげに 口程にも
ない山口殿 能気味とは云ながら仕廻はどふでござんすへ ソリヤちつ共大事ない彼に聞さぬ密事の相談
浅倉退治の軍術は又明日 松永大膳久秀が在城は大和の志貴兼て??表にも 某が一味

徒党の者共数多伏置たれば 慶寿院をばい返す発足は明々日 今目前に山口が 我を謀る 
工の裏 そこを察してあの通り最早生て帰さんと庭におり立死活の生け うんと一息九郎次郎 傍(あたり)
詠めて面目の砂打払ふ不首尾さを 繕ふてやる東吉が落せし刀拾ひ上げ 山口殿のお手討に 市
介めが無残のさいご 血を拭ふて納められいと渡せば取て遉にも 返答しかなの目礼斗 森も
柴田も一同に おさらばさらばの式礼は 庭に立木の裲や お菊を伴ふ此下が出世の 門出ぞ「勇ましき
領内は心の続の一構へ 信長の下屋敷庭の花壇に咲く芥子の 花を友とや物好は日本目なれぬ 
涼み床 唐木の卓のくり脚に繧繝縁(うんげんへり)の蝉畳 盧生ならねど一睡の転(うたゝ)枕の伽小姓 蘭


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丸が御傍にあふぐ団(うちは)のそよ/\と いとゞ鼾や増さるらん 山鳥の塒隔る 几帳の前 東吉が妻の園
菊諸共に 殿を見舞と夕日かげ嬪達が提げ重を 包む葺巾紗(ふくさ)や紫のかゝへ取々入給ふ 遠目に森の
蘭丸が 夫と見るより是は/\奥様 園菊殿よふこそお出なされました 女ぎれのない下館(やしき) 御馳
走には芥子畑の花盛 今家来衆が水打てすんすりとよござりますと 饗(もてなせ)ば園菊が 誠
に奥様は度々お越なされて御覧もや 私は初めての事なれば珎らかな花の眺め アノ釣花生けに迄 白いと赤
いと一つの茎に咲き分けたは珎らしい芥子の花ナア申几帳様 さればいの 釣舟に梶のあしらひ 殿様のお
手づからの投入てかな テエナアあのお鼾は 傍(あたり)には本を散らかしてお風でもめさふ物 お裾に是をと

持したる 被(かづき)をそつと奥様の 心つかひに園菊も裾に取々立騒ぐ 音に目覚す小田信長欠伸交り
に起直る 几帳の前園菊 久々顔を見ぬ故に見舞に来たとな 几帳は取分け懐胎の身 歩(かち)を
歩むも身の養生能ぞ/\ いか様もふ廿日余り帰らぬ故気遣ふは尤 当春参内の砌 義輝公
に逢奉り思はさる官位昇進 二品(ほん)上総の太守に補(ふ)せられしは信長が大慶 其上義輝公の御母
君慶寿院 我を我と思召し 小鍛冶が作の長刀迄下され 都の事を頼との御詞心魂にこたへ忘がたく
敵大膳に一味の武士 北国の浅倉義景 都にて討て捨て直ぐに彼が本国へ 出陣と思へ共 音に聞へし
越路の雪幸い時節も夏に赴く時を得て一合戦と思ふより 山口九郎次郎を是へ伴ひ軍の評定


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松永大膳は志貴の城に籠る共 又は泉州或ひは京都に徘徊する共取々の風説 此下東吉に云付け
発向させしも 皆義輝公の仇を報はん其為 先年今川を退治せしも両所津嶋の社祇
牛頭天王の 神力によつて打勝やる例に任せ 是より程近き津嶋の社へ祈り三七日の潔斎も今宵
に満ずる我大願 昼とても此ごとく読みかけしは戦国策 秦の始皇が勢をかる此信長諸国を平均し
天子の宸襟をもやすんぜんと 思ふより外他に事なし 几帳も園菊も今夜は是に一宿せよ 馳走
は後程蘭丸用意を云付よと 心おかせぬ大将の詞に園菊横手を打 奥様は聞遊したか 中々烈し
い信長様 東吉が目利きして御奉公に参られしも尤かい ?申几帳様 今宵是にお泊りなされ

立行遊ばす殿様の お伽申そじや有まいかへ 成程/\ こんな事が有ふかと持て来た寝覚のさゝふ嬪共
持てこい アイ/\間の障子の内皆引連て入給ふ早暮かゝる夏座敷風がちゝめく銀燭をてん手に
運ぶ山口九郎次郎 御傍に手をつかへ三七日の潔斎も早成就の今晩 思ひ寄ざる几帳様の御入来 御
馳走は某蘭丸に任されいつものごとく津嶋の社へ参詣もやと伺へば 実々我もさは思ふ ヤア山口 毎
夜/\出て行を弥社参と思ふて居な コハ改つた御尋 いかにも参詣と存罷有 ハゝゝ ぬけめなき汝なれ共
欺(だま)すに手なし 神詣でとは大きな偽り 誠は人知れず隠し置たる忍び妻 几帳が手前を穏便にせん為汝等
迄深く包としらざるなと 宣ふ詞の先折て孫子秘術を伝へる時 呉王寵愛の妃を殺せしとは


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事かはり 軍評定の我々に隠し給ふは大きに相違殊更今晩の潔斎も相調ひ 明日は浅倉退治柴
田権六を召連られ御門出の手筈成に不浄にまみれ給ふ事軍神の恐れ有 御嗜候へと席を
打たる諫言に大将浦面を変じ給ひ ヤア聞たくもない唐人の引き事 夫しらぬ信長ならず 天子には十二
人諸候に八人は古人の掟 妾(おもひもの)二人三人置けば迚 山口づれか批(ひ)太刀は受けぬ 左程苦しからずば几帳様の
御方へなぜ穏密(おんひん)には ヤアまだぬかすか馬鹿者 儕に対す詞はない 蘭丸アレしやつ顔(つら)はれ/\と せきに
せいたる下知の下 ハイといへど立兼て打兼れば 何を猶予 早くぶて/\と重ねて怒頻りなれば ハツト
答て腰扇 眉間真顔(つら)七つ八つぶたれて無念を堪る山口 モウよい/\ 出かしたうい者控へて居

よ ヤイ九郎次郎 蘭丸が手を借て信長が打擲 嘸心外に有んな 何が扨緒傍輩の見る前か 又は
歴々の殿中ならば恥恥辱共存ずべき いはゞ主人のお手打畢竟お心を引見ん為のされ言 御耳に立しは
君の御短慮 不肖なれ共知行にかへる此體 打擲は急命の御用に召申共 御恨には存ずまじと平伏す
ヲゝさこそ/\ ヤア蘭丸は奥へいて女共が饗(もてなし) 必爰へ出る事無用早いけ/\の目遣ひに はつと諾(いらへ)て入にけり
跡見送て何山口 たゞまとひの心がたきは色欲也と 兼好坊主が云た通り 弓矢の道も投やり三宝 忘れがたき
は夕部の睦言 旁(かた/\゛)侍との約束なればいかねば成まい ハア左様ならば若し跡で サアそこが談合 三七日行をする
といふたりや まん誠にしている几帳 幸い爰に几帳が被(かづき) 是を汝がかぶつて居りや事は済む アノ私にや


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コリヤ興がる ハテ隙の入る事じやない ひよつと奥が来たと儘 物もいふなかふりと點く斗でよいと 被打させちよ
こ/\はしり アゝ申/\/\ ハアもふかげが見へぬ ひよんな役目に当つた事 ハア儘よ主と病に形代の犠に
備はろうと すつほりかつくは伏せ籠の化物鼻息もせず守り居る 几帳の前はかくぞ共いさ白臺に
土器(かはらけ)も神に備へる心にて銚子持手も園菊が 障子の内を差覗 アレたつた独り御窮屈な立
行(ぎやう)殊に暑気の最中にお煩ひでも出よふ物 酒といふては上るまい祇園様へお備の三寸(みき)と申て上 
ましよと 障子そろ/\指寄りて 几帳様のお心ざしお備の三寸少し斗きこし召れて下さりませ と云へどいつ
かな返答は頭ふら/\振廻せば アレ申いやと御意なさるゝか かぶり斗なさるぞへ それいのう そして又お気も

盡(つけ)ふし酒がいやならおたばこでも 夫もいやかへ此暑い時分蚊のさすに とりやあふひてなと上ましよと 二人
が団(うちは)でばつたばたあふぐ拍子に薄衣が 脱げて見合す顔と顔 ヤア山口殿か 九郎次郎 南無三宝こはや
と逃るを引留コレまちや/\ とふでもろくな事じやない 殿様はどこやりやつた 有やうにいや/\と せき立
給へば園菊が 奥様そふでござんす共 コリヤ大抵の事じやない 一つ穴の狐殿化のかはを顕はしたと傍か
ら腰おす嬪役 汗を流すは九郎次郎 てつきりかふで有ふと思ふた必いふなとの御意なれど てんほのかはいふ
てのきよ大殿はお妾狂ひ 何といやるゝ /\/\/\ 其様に早角のはへさふな額付 夫レがいやさに隠しなされた
しつかり所は存ぜぬが 此館へござつてから一夜もかさずに こふでも今咲花には目の付ならひ 今


44
夜は几帳様も来てござる 御無用と留たれば 夕部の睦言が身にしみ/\゛ ぜひにいくとおつしやる故明日
は軍の門出 唐の倭の引事いふて諫言申せば夫レが曲事迚これ/\ 此様に腫る程扇でふちす
へ ついと走て跡白波 尻に帆かけて今頃は湊入の最中エゝ羨しい事では有と ない事有事いひ
ならべ 焚付らるゝ几帳のほむら 胸押なてゝ息をつぎ 何を云にも恨めふにも 殿様はこざつた跡 何か
いふ間にお帰りあらば此体もいかゞなり 此被(かづき)を几帳が着てお帰りを待受お諌め申て見る思案 ヲ
夫レは一段上分別 園菊殿も先ず奥へ我等次にて窺はんと先に立ば園菊が 奥様必
お垬(ぬかり)なふ口では斗おつしやらずと お顔のすぼりもとこやらも御吟味が肝心と 笑ふて是も入にける

几帳は跡に脱捨し もぬけの衣の恨めしく 又妬ましと打かづく角を隠しの姿とはしらぬ夫の帰り待
月さへ曇る村雨の音も頻りて 庭の面はまだ飽かぬに夕立の 空さりげな すめる
月かなとつゝねたは頼政が 一代の秀逸とや アレ/\/\空にも月が笠めせば我も情の雨やどり
桂男が通ひ路の帰るさ送る此笠は 君が手づからさしかけて一人は濡ぬ夕立の雨のあしぶの 乱
るゝ酒機嫌あなたこなたへくるり /\くる/\ヤツくる/\と 笠がまふか目がまふか アゝ申其足元
ではあぶない夜道 せめて是をといひ筒守りをふら/\/\と かけて結んで付け?(まど)いれて猶も思ひ
が柾(まさき)のかつゝ たぐりくる/\ いつともなしにモウ内じや夫レよ/\ 九郎次郎が嘸待兼んとひらく障子の


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内の様子 しらぬが仏無言の行 アゝ窮屈に有たで有ふ 几帳は爰へは来はせぬか ムゝかぶりふるば来
なんだか ムゝ夫レは満足 したが誠に思ひ内に有ば色外に顕はると 今宵といふ今宵しつぽり
と契りし様子 汝に咄して聞したいが顔を見ては恥しい 窮屈ながら其儘に聞てくれ ムゝ合点/\
扨彼君の方へ行内の様子を聞てあれば やさしや君の小歌てな灯火消てくらふして いと物凄き
折節に 君がきたろにやといふたそこで妻戸をほと/\と 叩ば又君が たそや 妻戸を叩く水(く)
鶏(いな)かとうたふた 其時我もむつとして 雨のふる夜にたか濡てこふ候に たそよと咎むるは人ふた
り待身かのといふたれば 其儘立てかけがねをひんとはづされ其時に某は 妻戸をきりゝと

押ひらく 御簾の追風匂ひくる 人の心の奥深き 其情こそ都なれ花の春紅葉の秋 たが
思ひ出と成ぬらんト ひつたりと抱付たれば かいでの様な美しい手で 某が手を取て 奥へ連れ行るゝ
程に 参る/\/\/\/\/\/\と通つたれば 早酒肴を調へて さいつ さゝれつたへつ押へつ呑程に 早ぼつて
と酔(えふ)てざゞんざの浜松とうたふた 天竺震旦(したん)我朝三国一じやとの 酒に成すましたしやん/\
酒もよい頃しつほりと 又もや雨がふるの神杉夜半も過きん いさやいなふといふたれば 大事の殿に悪
事災難のない様にと 付けてくれた守り 忝い/\ 其跡を聞てくれ ハワハ ハゝゝゝいやもふどふもいはれ
ぬ/\ いつそ殺せと正体も泣つ笑ふつ横にころりはくゝり枕の独り寝よりも 二人寝よふと


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抱付たる衣の香の被を取て ヤアゝ几帳 アイといひ様胸づくし取て引寄 どれへござつた/\ アゝ夢
になれ/\ アゝ何ものよ 信濃善光寺へ参つた エゝつがもない 一夜の内に善光寺へ参らるゝ物か
いなァ そんなら筑紫の五百らかんへ参つた アゝ夫レも一夜にいかるゝ物か エゝ正体なやと引寄せヒキすへ何にもか
も聞ました 大将の御身から妾(てかけ)めかけは有ならひ 左程に包給はず共なぜとくよりもの給はぬ 夫レをいな
と申にこそ祈誓じやの行じやのと神や仏を勿体ない日頃にも似ぬお心やと腹立涙のくどき
泣 信長が諾(いらへ)なくずんど立て 花生けの芥子手に取上 周茂叔(しうもしゆく)が愛蓮東坡(あいれんとうは)が竹皆隠逸
の玩(もてあそ)び 是は是一莖(けい)に赤白の咲分け 時しも此庭に咲たるは 吉凶をしらしむる天の表示 花物

いはねど源平の色香争ふ花形を見よ 枝に取ては連理共又兄弟夫婦共離れぬ中に譬し
物 おことが腹にも我種を孕(みごもつ)て 臨月に望では生きるか死ぬるか二つの境 千花万木おのが様
々咲かはれど 分けて此芥子か散際の涼しき花 信長が胸中是を以て思案せよと 花を渡し
て悠々と帳臺深く入給ふ 跡を見送る賤の方 様子は聞たと立出る九郎次郎追取刀ぬく手も
見せず 芥子のかた枝を切放せば コハ何故と驚く几帳を りう/\はつしと刀のむね折 打すへ/\ヤイ
妹 此兄が云含め入込した宮仕へ 信長が寵愛にほだされ 大事を忘るゝ不所存者徒ら者 此芥
子を謎にかけたは我々が身の上けどつたると覚たり 左あれば此所に足はとめがたし 今切た此花の


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赤きは小田の籏印 信長が首をまつ此様にナ妹 今宵中に合点か サア何と/\と気をせく程
つらさ重なる几帳の前 胸に釼をさす思ひ 兄様のお腹立尤共道理共 今更侘る詞もなし お
差図を受てより御傍近く傅きて けふはお首をあしたや討て見せふ物と 思ひくらす其中にやゝ
迄懐(やど)す身の因果 迚も是迄延や事せめて此子を産迄は どふぞ了簡してたべと手を合せ
詫ければ ならぬ/\ 其根性では得討まい と有て手廻にして置は却て不覚 腰ぬけの妹持た
ぬと思へば一本立 九郎次郎が踏込で信長が首とらんとかけ出る ナフ/\短気な情ない 縁を切ると
は胴欲な 父上共母様共力に思ふている兄上 ひよんな事いはず共やつぱり元の妹じやと いふてた

べ赦してたねとすがり嘆くをはつたと蹴退け 吼る程縁切がいやならば首討て渡すか サア夫は 夫は
いやならふつはり勘当 サアどふじや」アイ/\討ましよ聢(しか)と討か首取るか成程討て見せませふ 出かした
/\ コリヤ手引さへすりや身が一太刀 呑込だか アイわしもおまへの妹じや物 何の後(おくれ)を取ませふ
手引の相図が此片枝 障子へ移るをしらせと思ひ待ち給へ ヲゝ合点 必待ぞと夕露の芥子の
こかげに身を忍ぶ 跡に妹はとつ置つ今更何と詮方も涙かた手に取上る花さへ哀しる顔に さは
らば散らん此芥子の跡に残るも花の種 ヲゝそふじや迷ふたり 信長様の身がはりに立て死るが身
の言訳 イヤ待しばし わしが死だら此おなかのやゝ迄供に可愛やなァ 月の光も日の光も此世


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からなる無明の闇 一人と思へど二人の命 思ひ切ても切兼る 女心のぐど/\/\と ほんに誠の此芥
子の花 思案せいとて給はりしは やつぱり此身を気味が一日の情には 妾(せう)が百年(もゝとせ)の命を捨よの詞の謎
とけて悔しき岩田帯なかゝれとこそ祝ひしに 短き親子か契りやと声を立ねば口の内 涙
は咽にむせ返り身を打ふして嘆きしが 漸心を取直し 嘸兄上の待兼と 又取上る此花も死出の友とは
白芥子のすご/\と立上り しほれ入こそいたはしき 九郎次郎は息を詰め妹がしらせを松の貫(ぬき)板縁
裏に 隠し置たる片鎌鑓 目の鞘ぬからぬ相図のしらせ灯かげと供に時こそ移れと指し足
抜足 芥子を目当に突込穂先 ほつきと折れば南無三宝仕損ぜしと柄を投捨刀ひら

りと右手の障子一度にひらけばコハいかに 相図の花は蘭丸が 妹を高手にくゝり上中央には大将
信長小鍛冶が薙刀片手に握る鑓の穂先あたりを睨んで立給へば 山口大きに顛倒(てんどう)はい
もう 妹を見捨引返すを ヤア/\明智十兵衛光秀 待て/\やつとの御声に恟りしながらふり返り
某は九郎次郎時定 明智十兵衛光秀とは麁忽成御仰と 云せも立ず愚か/\ 今突かけたる
此穂先 片鎌鑓を鍛練して 北国浅倉に身を寄たる十兵衛光秀 のつ引させぬは此鑓先
当春都祇園において数多の非人を手にかけ 我に阿(おもね)る汝が所存 アラ心得ずと思ひながら
主従の役をなし心を付て窺ふ中 妹の几帳に手引させ 信長を討んず謀計とつくより知たる


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故 蘭丸に頬をぶたせしは短兵急に汝が工 今宵中に顕はして不意を討んず我計略一々肝にこたへし
かと眼中尖(するど)き大将の詞は胸にこがへながらも動ぜぬ光秀 君臣の約をなし奉りしは 立身を
望む武士の本意 其時非人を討捨てし 路次の難儀を救はん為 イヤいか程に諫しても慥な証跡
ソレ蘭丸と御目配 はつと諾へて呼つぐにぞ あいの返事も間の戸に控へて様子を園菊が襠姿
引くかへて 赤前垂に手拭ひも額にちよつと置く露の白書院にぞ畏る 光秀見るより ヤア
こなたは東吉の内室 シテ其形が証拠とは アイ御不審でござんせう 跡先はしらね共かふ/\せい
と囁て 金を非人に賄賂(まいない)し御参詣の妨げさせ 夫レから取入る手段迄 慥に聞た葭簀の茶見せ

哥占の短尺は宇治の川霧たへ/\゛に 今顕はれたお前の工 何と違ひは有まいがな哥占の此お園 東吉
殿の女房とは次手に不審をいふかへ 信長様の名代に祇園様へ代参り 私が出茶屋が休床 茶
??(しゃく)のえにしの奉公始 几帳様の御傍に月の座所花所 都の事のあらましはよふ知ていると思はん
せ まだ其上に几帳様を入込せ 殿の首切腰折哥顕はれ渡る網代木の歌が証拠て御座
すと 弁舌さつぱり菊水や祇園のお園が形ふりに口を明智が云句も出ず頬(つら)真赤にしよ
けりいる 几帳の前も身にかくる縄目に浮む涙声 なふ兄上 悪の勢ひは目の前にかく有ふと
思ひし故 今宵は延して下さんせと申せしは爰の事 誠浅倉へ義が立ずば私が身を切刻み 腹


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いせにして下さんせち託ち嘆くを蘭丸せいして ヤア/\光秀返答猶予に及ぶから 浅倉が一味の
余党此座は立さぬ何と/\と反り打て 詰寄る間も嵐に連れ貝鐘太鼓乱調に鬨(かちどき)三度つぐ
る声々 コハ何事と呆れる明智が庭前へ小田家の定紋瓜(くは)の紋付けたる赤籏を真先に 高提
燈を押立/\神輿(しんよ)をてん手に衆徒の出立縁先へ舁据させ 次第に入来る大将分 着込に腹
巻小手脛当 衣を結んで玉襷頭に宝冠りゝしくも いさみに勇む大音上 軍師東吉
の指図に任せ山法師の姿に窶し 浅倉を欺き彼が奪ひし神爾の御箱を奪返し 神輿
に納め守り奉り ヤア山口九郎次郎 本名は明智光秀 御邊が手跡を謀て神爾は元より義景迄

叡山へおびき寄せ生捕て帰りしと 光秀が鼻と鼻突あふ斗引すへさせ 斯いふは柴田
権六なりと宝冠取捨 汝が頼義景かくの縄目命惜くは降参せよ いかに/\と呼はりしは
目さましかりける有さまなり 信長悠然といかに光秀 汝を此別業へ引入置き 跡へ廻つて
かくのことく 某が手もおろさず浅倉を生捕る事 皆東吉が教へし智謀 几帳は又懐妊
なれ共仇する汝が妹なれば 我手にかくると薙刀取のべずつぱと切たは件の縄目 兄と一
所でない事は最前とくと見届た 胎内の子は我惣頭 左孕は男子の印 随分いたはり
平産せよと 仁愛深き恵の程皆々頂(なづき)をさげにける 中に義景無念の歯がみ エゝ


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にくいは光秀 小田の家にたらし込れ二心をはさむ禄盗人 計略に乗せられて縄目の恥
辱奇怪やと じだんだ踏で身をあせる 光秀から/\と笑ひヤア禄盗人とは舌長也
我武者修行の其次手 汝が国を徘徊せしに 兵術の師範に頼其上に 小田信長こそ
国の仇何卒討てくれよといふ 受がひしは武士の一旦 夫より兄弟入込しが花も実も有信長公
眼前妹が命迄助け給はる仁徳には中々刃向ふ釼はなし 今より実(まこと)の臣下と成忠勤を尽し
奉らん 仇も恨みも是切の印は是ぞと抜き打に水もたまらず浅倉山椒 可愛といひ人の
なかりし最期 落たる首を提(ひっさげ)て 権六殿の取次にて実検願ひ奉ると しさつて敬ふ明

智が本心 信長安堵の御思ひ しづ/\と立寄て 御輿の扉押開 内よえい出る慶覚法師是?
僧衣を引かへて」烏帽子直垂花やかに袖に捧る神爾の御箱 信長はつと恐れ入ヤアレ光
秀 是こそ先君義輝公の御舎弟 南都一乗院の慶覚にて渡らせ給ふ去京都騒
動の砌此下東吉 室町殿の宝蔵より伴ひ帰り奉りしが 猶松永が怨敵を恐れ津嶋
の社司に預け隠し 毎夜/\妾が本へ通ふといつしは 几帳を始め汝にも深く包む御隠れ家
より/\御還俗を勧め奉り 今月今宵御得心候故 私に将軍の束帯を粧ひ源の
義昭公足利の御代は万々歳と 敬ひ深き饗(もてなし)に 有あふ人々ハアはつと一度に祝し


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奉る 義昭袂をかき合せ いかに旁 足利重代二つ引両の御箱に袖の鎧 慶寿院
諸共に 松永が手に奪ひ取たる詮議には 此下東吉彼地に赴き 不日に吉左右
有迄は津嶋の神社に忍ばんず 早夜も明はあしかりなんと既に御座を立給ふ 信長暫しと
押とゞめ 某兼て信仰せし都感神院の御社 祇園牛頭天王は津嶋の社に一体我
願望(ぐはんもう)の故有ば絶て久しき祇園舎を此悦びに再興せん 夫をまなびて是よりも津嶋
の社へ此御輿 送り届る道すがら行列の営みをいで計はん此長刀こそ 慶寿院より給はつ
たる三条小鍛冶が名作にて 几帳が縄目を助かるも胎内の子が守りの名剣 いましめ切

た其謂れ 御注連(みしめ)の縄を薙刀で切て通るは此時の因縁謂れをしらする為 蘭丸か真
先にふりかたげたる長刀鉾 御輿に付る家の紋 瓜はあこだの阿古波鉾二行にならぶ犬神人(つるめそ)が形
は其儘法師武者 祇園の守り筒守り笠に付たは義昭公 諸国の軍勢催促の御手(しゆ)
印なりとて給はりしを 戴くかさ鉾函谷鉾(かんこぼこ)八声を告ぐる鶏鉾 空に明鉾有明月 館
に残る信長の義心は堅き岩戸山再び発(かこ)す足利の敵は松永討亡す先陣凱陣
舟鉾に神をいさめる市殿は赤?(まへたれ)を緋の袴お園が気転菊水鉾 几帳の前は操
の鏡和光の神力ますらをの 軍に勝重光秀が 心一度に義昭の御供申出て行