仮想空間

趣味の変体仮名

伊達娘恋緋鹿子(四の巻)

 

読んだ本 https://www.waseda.jp/enpaku/db/  
     イ14-00002-513


36(左頁)
    四の巻
羨ましからぬ物とは悪口や 浮世の塵に交はらず 濁りに染まぬ蓮葉(はちすば)の花の経紐
解きて ツイ転び寝の睦言も八百屋 お七は親子共過ぎし類火の頃よりも 爰に仮
居を頼み寺吉祥院の小座敷に 小姓吉三が挽く茶臼 誰も濃茶の繻子鬢
に 女殺しの目のはりや 針手利いたる縫い仕業(しごと)年は二八の端手娘 お七は下女の杉諸共
引き広げたる伊達小袖 人のない間を見合して 挽木(ひきゞ)の手先針の先 アイタゝゝゝ 是はしたり
お七女郎 又邪魔をさつしやるかいの 万屋の武兵衛殿が世話にして 焼け跡の普請も


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大方 親様久兵衛殿御夫婦は此間から先へ逝んで 内普請の店出しのと取受た
其中でも 武兵衛殿へ嫁入の談合が出来るげな 今迄とは違ふて最(も)主の有る
お娘御 じやらついて貰ふまいと身を摺退いた口舌の序開き フウきのふから傍へ
寄ると 俄にすんとさしやんすは其事を聞はつゝてじやな ほんに廻り気も程が有る 又跡
月の差し入りから 類火に逢て焼け出され親子三人杉迄も此お寺へ掛かり人 まだ其つゝ
と前方から お顔見初めて恋の闇 迷ひくらして居た中に 同じ所に住む様に成た嬉し
さ 程もなふ願ひ叶ふた手枕は どふした神の引合せと 内の焼けたも苦にならず

火元を 拝んで居たはいな 夫レ程思ふお前をば捨てて嫁入する様な 私が心と思ふて
か 聞へぬはいなと縋り付き落葉に有らぬ恋中の涙は落て 挽き溜めも湿りがち
にぞ見へにけり アレ又泣かしてお呉れはるはいな お七様に如在のないは橋渡しした杉
が受合 万民様は愚か天狗様が貰ひかけても本人がいやと云に 無理に嫁入さゝれる
物か 其疑ひを晴すのはソレ さつきの物をといふ中から お七は袖より取出し 是見て疑ひ
晴してと 差出すを吉三郎手に取て包紙 開けば内はこりや起請 エ忝い 此心
とは知ては居れど 嫁入の噂聞きや聞捨て云ふた転業(てんがう)コレ堪忍 諸悪所か疑ひさへ晴


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たらば わしや嬉しいと抱付く心聞かしてあちら向き 表の方を見やる杉 アレ/\今門這入たは旦
那様 ヤア/\/\ほんにとゝ様 久兵衛殿 是はならぬと狼狽へ廻り 吉三は縫物挽臼は お七
と杉がやたら引き お七が爺親八百屋久兵衛 焼けたればこそさつぱりと継もあたらぬ木
綿物 気軽にひよこ/\入来り ホウ吉三様 こりや仕業の手がはりじやな アゝ扨 長々
お寺の御役害に成ました所 同じ檀那と云い町内の武兵衛殿の世話に成り 斯宅
も早速出来 此間から女夫連れで帰りましても未(まだ)訳はござりませねど 若い娘や
下女の杉 べん/\とお寺に置くは余りな不躾と存まして 今迎ひに参りました サア/\お七 杉も

早ふ逝ぬる拵へせい おりやお上人様に逢て何角の礼と 行を引とめコレとゝ様 なんぼ
遅ふても大事ないに 早ふ迎ひにござんしたの わしやまだ五六年も七八年も 爰に居るの
かと思ふたに ハテとつけもない事云はい 三月越しの掛り人(かゝりうど)是がほんの寺から里 アゝイヤ/\
其御遠慮は外様向き 内普請庭迄も 未片付かずば今暫く 何かおつしやります
ぞい 片付ぬから連れて逝で手伝はしますナア杉 そふじやないか ハイ 私はお供して帰り
ませふが お七様は大分仕残した様も有り ハテサテ女がお寺に何の用 サア其用はナ 早ふ
普請の出来る様にと祖師様へ願立て 其お礼のお題目が五百万遍 お自(じ)


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我偈(がげ)が七百万遍 ソレイノ 鬼子母神様へは八百万遍と九百万遍 エゝ夫レが五年
や十年で埒の明く物か 内へ逝で何ぼ唱ふと儘じや あほう云ずと逝る拵へ 杉は
早ふ先へ逝ね 内が気疎(けうとふ)閙(いそが)しい 娘はおれがと云捨てて方丈さして急ぎ行 二人は跡に
うつとりと俄に 力落した顔 杉は気をせきサア/\/\ 性急に成て来た 内へ逝で
はツイよい首尾も出来にくかろ 恋の師匠へお礼やら 暇乞をば圍の内 ちよつと/\と
突やる後ろ 見たぞ /\と小僧の弁長 内仏壇の常香盤もりさしてぬつと出 寺
の飯を喰て居て 後生は一つもねらばはず 小姓を規(ねら)がふお七様 遉八百屋の娘だけ

莟の松茸握ろでの お師匠様へ告るぞやと 小いき過たる小坊主天窓 はりたい所を上
手者杉は體を隔ての垣 いつ見てもゝ可愛らしいお小僧様 けふ逝る置土産と
縫て置た巾着に 粒や玉銭たんと入れてさつさりと上ふぞへ イヤ/\/\女の手から物を取れ
ば 五百生が其間手のない者に生れます 悟り切た此清僧 巾着ほしい事はない
シタリ いか様お前は仏様 御出家といふ者は人の為にならぬ事は 見ても見ぬふり聞ても
聞き捨て 夫レが尊(たつと)い出家じやげな 弁長様もそふ見へると 登せば登され知れた事 おれは
見た事見捨にせふが 此目が兎角見たがると袖の下から差覗くを ちやつと押さへ


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てこりや尤 其目は斯して置が出家と 手拭ひ取てめんない千鳥 サア是を解か
ぬが正真の仏様」アゝ有難や/\ソレ有がたひめに ヤレちやつとゝ 二人を圍(かこい)へ押込で 嬉しやまん
まと仏にしたと 裾引上てちよこ/\走り 本門さして立帰る アゝコレお杉 仏はきつう不
自由な物 モウ仏イヤ/\と 手拭ほどひて見廻す目先 ハアさつきにちらと覗ひた起
請 お師匠様の目にかゝつたら大抵の事じや有まい 隠してやろと懐に納る跡へ万屋
武兵衛 油屋の太左衛門 コレ弁長 今拾ふた物くれんかい かはりは何なと望次第 好きの
お染の浄瑠璃本只し武者絵の本なりとナ太左 ヲゝ 夫レはきついかへ徳じや

坊主が持て入らぬ物と ぶつくり掛くればかぶり振り おりや何にも拾やせぬ 一部八巻に
眼をさらす出家が浄るり本何にせふ テモませる/\よいは呉ずば寺の前へ行て お七
と吉三が色事の取持を弁長がするかして 起請を隠して出しやりませぬと云ぶん
じや アゝそれ云たら二人の難義 そんなら起請をやる程に こなさんが見る斗 必人
に 何のいやい 念頃にする八百屋の娘 浮名を立ててよい物かと 欺せば小心気
も付かず 内懐からこて/\と探つて取出し ソレやると云捨仏間へ走り行 味(うま)い/\と仕
済まし顔 鼻紙入にしつかり納め 太左衛門 祝ひ事に今魚屋で取て来た 鶏卵(たまご)


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三つ四つ割込で熱燗で引かきよかい ヲゝ寒さ凌ぎに能からふが 住持が
見たらほくろぞよ そこらは合点 同宿部屋でと點頭合い連れ立勝手へ入にける
門番の下(しも)男 十内様の御出と しらする声に吉祥院 袈裟打かけて一間より出向ふ
間もなく戸倉十内 主人の師匠と敬ひて小腰かゞめて入来れば 珎らしや戸倉氏
先頃出府の由 早速参詣致されし所折悪敷他行 国元にもおかはりなき
やと 挨拶有れば両手をつき 御院主にも御機嫌能先ず以て恐悦至極 拙者出
府の其子細は 先達て末々は出家となし下されよと 遣はし置いたる主人が?吉三郎

此度の御勘気御免則御家老鈴木氏の息女 雛と申すに婚姻
致させ 安森の家督と仕べき由 御前よりの差図に随ひ 吉三殿の迎ひとして
遙々と罷り下る久々御憐愍(れんみん)御世話の段忝き仕合せながら 右の子細を聞し召分けられ吉
三郎へ御暇 下し置れ候はゞ有がたき御厚恩と 皆迄聞ずアゝイヤそりやならぬ事 一旦
愚僧が弟子となし 仏門に入たる吉三郎 源次兵衛殿に世継がない迚其儘で戻されふ
か 釈門(しやくもん)の徒(と)と成ては 此世を去た人同然 安森の家に実子はないと思はるゝが
利の当前 立帰つて其通り 源次兵衛殿へ伝へ召され 成程 仰御尤なれど 一かた


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ならぬ殿の諚意 吉三か帰国相叶はぬと申されぬが武の格式 理を非にまげ
て今日只今主人を誘ひ帰りたしと おして願へば気色を損じ 高嶋家の勘気を
受け 国に置かれぬ其時は 出家になれと江戸三界へ追下し 愚僧に振向け養育させ 今
又急に戻せとは余(あんま)りな得手勝手 武の家に格式有れば出家にも法式有り いつ
かな吉三は帰さぬ/\ 早お立ちやれと云捨てて居間の内にぞ入給ふ 十内は白地(あからさま)
いふては釼詮議の妨げ いかに出家のもぎどふも 理非をわかたぬ住持の
逸徹 此上は吉三殿引立て連れ帰る 妨げ有らば出家とは云さじものと立上り 仡(きつ)

相(そう)かへてかけ込む向ふへ 立ふさがつて八百や久兵衛 マゝゝゝマア待たお侍様 是非お住持か
ならぬと有れば 切ても仕廻そふな其顔付き そりや御短気と申す物 サゝゝマアお待ち
なされませ 私は此寺の檀那 八百屋久兵衛と申す者 商売の料理につかふ煎り
酒を拵へるも 火を強ふ気短かにやりかけると 中へ燃へ込み甘身も少ない 長々吉三様の
世話をして 今荒だてゝ貰ふては 酒盛つて尻とやら マア仮名でいへば恩を仇じやござり
ますまいか ハテそこへ挨拶が入り 了簡が付くと美しづくで 連れ立ていなれそふな物じや
ぞへと?(くゝめ)て喰はす切刻み 実にも八百屋が料理塩梅 十内は誤り入 此方に気


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のせく儘 狼藉にも及ぶ所 御異見の段忝い 迚もの事のお世話次手 宜しい
様に御挨拶と 頼む折から二人の悪者 鶏卵酒のほろ酔(えひ)顔 ヤ久兵衛殿爰にか
跡追て一遍尋ねた ガ別の事でもない 此間名主を頼んで云入れたお娘の事
やらふとの返事なれど 直々の返事が聞たさ 弥武兵衛が所望したぞや 成程/\
ふつゝかな娘を懇望は親も大慶 殊に何角世話に成た武兵衛殿 進せいて何と
せふ ヲツトよし そんならけふからお七は女房 サア進ぜるは進ぜふが 家移りをした斗でまだもや
/\と片付かぬ中 拵へも出来にくひ 来春にも成てからゆる/\と アゝコレ そふべら

/\として置ては 油断のならぬ徒ら娘 ひよつと外へ?(かた)げられては此武兵衛男
が立たぬ ヤまた密夫(まおとこ)しかねるお七じやない イヤコレ武兵衛殿 心安いは内証 あれに
余所のお侍様もござるに 久兵衛が顔を潰して一人娘に疵を付け 徒者とは
ナゝ何が徒 ホゝこなたは世間の評判や音頭や祭文に作つて諷ふが耳に入らぬか
今も来る道でちよんがり坊主がナア太左衛門 ソレイヤイ 錫杖をしやご/\/\といは
そて ヤレ帰命頂礼(きめうてうらい)どら如来 ヤレこりや/\ちよぼくれちよんがれ ヤレコレ坊(ぼん)様聞でも
くれない こちの近所の八百屋の姉はお寺の胡椒(こせう:小姓?)と互に菠薐僧(ほうれんそう)にはせぬ


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ぞへ 坊主にや茄子まいかいわり菜んすな 何のかの迚圍の隅でナ近江蕪で
いふ事聞けばナ お前とわつちはいんがな縁かな 二世も山椒も帯紐解いてナ茸の子
抱たら其子にかゝろか とんだこんだはホウ ヤレこりや胡瓜てうろぎ葡萄尊 ヤレコリヤ/\
まだ/\ありのみ/\ お七が色事親たちや越瓜(しろうり)木耳つかふて婿を鶏冠と思ふて見て
もナ 子に甘苔(あまのり)では行かぬ娘が かだのりいふてナ 外の男はいやの苧子(おのみ)と柚(ゆ)うと
儘よ さたゝき牛蒡で合点さや豆 夫レが芙蓉(みつば)の為で有ふぞ笑止なこんだはホウ アゝ
もふよいわい/\ 何と聞かしやつたか 小性吉三が八百屋の娘を 榧か銀杏噛み割る

様に 悲しやぱつちりいはしたはいの 但ししつてもしらぬふりか 吉三めが親元は近江
の高嶋の家中 安森源次兵衛といふ歴々の侍と聞て 聟に取ていりまいを
楽しむ気か 其歴々も今はきれ/\゛殿の宝物を盗んで いたや磔に成たとい
の ヤ武兵衛殿/\ 其道行聞たふない 吉三殿と娘が不義といふには何ぞ慥な証
拠が有るか ヲゝ証拠所か 肉附きの密夫(まおとこ)を 爰へ引出し死なずかいと 二人は囲ひの
障子引明け 太左はお七を引立れば 武兵衛は羽織かぶつた吉三 首筋掴んで
引ずり出し アタしたゝるい昼中に 囲ひに滾(泌?)る釜のちん/\ 面目ないか此羽織と


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引たくれば吉祥院 ヤア南無三違ふた こりやどふじやと 二人は呆れる顔と顔
四角な十と釈迦の十 かはつて事と成にけり 吉祥院顔ふり上 お七が不義の相
手は愚僧といふも面目次第もない 久兵衛殿嘸立腹 大事の娘に疵付けた科
人 腹いせにはぶちなりと切なりとサア存分 出家のあられぬ事ながら 類火に逢て
の寺住居(すまい)お七のえならぬ姿に迷ひ無体な恋に堕落の身 いやがる娘に科
はない 罪は愚僧が身に引受け 破戒の仕置木の空の 最期もそちが不便から
犬死にならぬ様に此後ふつつり思ひ切 親の家を立るが孝行 ナコリヤお七 愚僧

か事を思ひ切れ ナ思い切れと お七にいふて底心は圍の後ろへ異見の慈悲 弟子
子を防(かば)ふ師の情 十内久兵衛は心底を推量したる労はし涙差俯ひて詞なし
ハゝゝゝ 今時の坊主は作者もどき そんな甘いふきかへの趣向にや乗らぬ此見物
不義の相人はどふでも吉三 そりや武兵衛無体といふ物 目前しれた此し
だら 見ながら吉三を相人とは ヲゝ慥な事はお七から吉三へやつた起請が証拠 コレ此紙
入にと取出せば お七ははつと胸に釘 武兵衛はめつたに睨め廻し サア今読むぞよ どいつも
こいつも耳の穴をさらへて聞けと 上包の紙取て捨 開て見れば ヤ ヤ ヤアこりや御頼(?おめ)


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?(こ)の紙袋(かんぶくろ)じや エゝけたいな 眼へはいる様な小坊主めに すつぱり一番やられて退け
たとふくれ頬 サア武兵衛証拠が有るか ヲゝ証拠はない 証拠なければ不義の男は
愚僧じやな ヲゝ身がはりの蛸坊主 密夫料理に手足を粒切 酢蛸にする
が腹いせと 襟首取て引倒す其手を十内しつかと取り 町人待て お上人を何故
打擲 ハテ知れた事 密夫じやによつてさいなむのじや イヤサお七とやらを妻女にと
約束はたつた今 其以前より云かはしたは上人にもせよ 吉三郎にもせよ 互に妻(め)
なし夫なし 密夫などゝは ハテ麁相な男と突飛ばせば エイハ 密夫でなくばない分

かけ構ひもせぬ事を出しやばつて差配ばる 貴様はどこの牛の骨ホゝ吉三が家来
戸倉十内 ヤア主人吉三郎を不義者と 証拠もない悪名何で無実を云かけた
サア夫レは つい口が滑つて思はぬ麁相 ヤモ緩りと是にとかけ出す二人 どつこいそふはこ(と?)
両手に首筋 もんどり打せ刀の宗打ちりう/\はつしとぶちすへ/\ うぬらぶち放
すやつなれど お寺の穢れ助けくれる 以来を急度嗜みおらふ ハイ/\ 云かけではなけれ共
斯仕くぢつたりやナフ武兵 イヤモ 何にも云ずに 皆サバエ(?)と立上る 両人とも待ち
おらふ エゝまだかへ 主人安森源次兵衛殿 宝を盗んで磔などゝ跡かたもない虚説は


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何意趣有て云歩行(あるく)アいへ/\ 意趣遺恨で云のじやない 余所/\で そん
な咄しが有たといふ事 エ人といふ物は口の悪い者じやてや フウ シテ 其噂致したは何
町の誰と云者 そいつ捕へて急度詮議 サア身共を夫レへ同道せい アゝいやさ夫レはナ
サ何者じや 夫レは エゝとつとゝ ヲゝそれ/\ 太左衛門 ソレ吾儕(わがみ)が云たじやないか 是は又胴欲な
おりや微塵もそんな覚はないが ソレ先度風呂屋で其咄し ノソレ合点か ヲゝそふじや
銭湯は諸方の入込み 何所の者やらねつから知れぬ 黙り上れ泥坊めらと 又蹴倒し
て続け打ち 膂(せぼね)骼(こしぼね)砕けよと 打拉がれてひい/\片息脉取て見る 額をかゝへ エゝ聞へ

ぬぞや武兵衛 埒(らつち)もない口叩いて おれ迄をひどい相伴 ハテマアえいわいの/\
吾儕もおれも今度の類火を遁れたかへ下 マアえいわいの/\ エゝ何のえい事が
有ぞい 口へもはいらぬ色事の立て引きで すべもないやつ アゝイヤ すべもないお方に
お腹を立てさし こつちは腰も足も立たぬ ヨイ/\ 其かはり爰から直ぐに代官所 住
持が不義をぶちまいて 牢へ入るか此仕かへし 武兵おじや イヤ往かれぬ 何で サア坊主を
牢へ入れるはよけれど 相人なればお七も牢舎 夫レがどふ見て居られふぞ 必世間で此事は ふつ
共沙汰ずせぬ様に エゝいま/\しい 是も又つほへ行かぬ いか様罰(ばち)は早い物 寺で鶏卵酒呑だ


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報ひ早ふ逝で瓢箪酒 ほんに身中に此痛み 直すが勝ちと手を引合ちがら /\ /\
と帰りける 圍の後ろに吉三郎 師匠の慈悲の縛り縄ほどく弁長諸共に 走り出
ても面目なく 師匠の恵みの忝涙顔も得上ず伏ししづむ 久兵衛娘を引ずり寄せ
ヤイ爰な徒者いつの間に此様な大胆な事を仕出し 親に頬恥かゝすのみか お上人様迄ない
ナを立て よふお寺を開かそふと仕おつたなと 拳をふり上げ荒折檻 お七は詞も泣入れば イヤ/\
科は此吉三 大事の娘御そゝなかし 憎い共口惜い共引きさく斗のお腹立 お詫には御存分恨み
とは存ぜぬと身を覆ひたる吉三が衿がみ 十内取てぐつと引寄せ 扇の親骨丁々々

打すへ/\どつかと座し 今打つ杖は十内が折檻ならず 親旦那源次兵衛様 御無念を
込められし切腹の此扇と 聞て恟り ヤア スリヤ天国の釼の紛失 役目の越度
と親人が 御切腹なされたか ハア はつと斗の跡声も涙にむせび居たりけるヤア
其涙呑込まぬ 親御の事を思召す心か露塵有るならば 末は出家と仰られた 主
人の詞反古にして 不義徒はなぜなされた 其お身持は御存なく 御労はしや御夫婦
共 此吉三郎は何とした 殿の詞を返せしも黒量(こくりやう)からと 心に誉めても主人の手
前 国を遠ざけ江戸住ま居 生涯の中今一度無事な親子の対面をと 朝夕


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の神信心 烏の鳴かぬ日は有れど 仰出されぬ日迚はござらなんだはいの 夫レをも知らずうか
/\と 大切な人の娘 そゝなかすのみならず勿体ない其科を 大恩有師匠にぬり
よふまぢ/\と 影を隠してござつたなふ 不所存共道しらず共云ふ様のない人を尋ね
下つて供々に 釼の行衛詮議させ お雛様と夫婦にして 父御の家督を立て
さそふと思ふたが口惜い 所詮其所存では安森の家も是限り ヘエゝ残念と 拳を
握り忠義にくらむ目は涙 吉三は傍成る扇子取上げ 押戴き/\ 御存生に一日の孝行
なく 今此時宜をお目にかけ 面目もなき不孝の段 お赦しなされ下されかし おなつかしやと身

に添へて 生きたる人に云ごとく先非を悲しむ詫涙 上人も眼をしばたゝき 双方腹立は尤
なれど そこは若気と心の外 最前吉三は帰さぬと云たのも 二人の者が不便から 合点も
させず引分けては 突き詰た若い気で若しや怪我でも有ふかと有様は気遣いさ
武兵衛がもや/\云出すとにじり上りを忍び込み 見付けた色事叱る段か 不義
の相人に入りかはるを聞入れぬ吉三郎 引くゝつて猿轡 水屋の後ろに猿繋ぎも 弟
子子を庇ふ愚僧が術(てだて)邪魔させまい為斗 恩には着せぬが忝いと思ふなら けふから
心改めてお七の事を思ひ切 云号の娘と夫婦に成て 家を立るが親孝行 お七


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も吉三を思ひ切 八百屋の跡を継ぐが孝行 ナフ十内殿 久兵衛殿 何とそふでは
有まいか ハゝア重々厚き御恵み 七尺去ても恐れ有る師匠の御恩忘れぬ様 そふで
ござります共 誤つて改めるに憚らず 茶碗や鉢とは違ふて ひゞき入れて貰ふたてゝ
跡の売れぬ娘でもなし 是迄の事はさらりと流し 吉三様 お七殿 さつぱりと思ひ切
たと云て互の生き別れと 師匠と親と家来と三人 心はあへど引分くる 不憫の涙 労はし
涙 笑止涙と三つ頭(かしら)洑(うづまく)波に両国の橋もたゆたふ斗也 (これより此・君・綱太夫のかけ合っぽい本文参照)義理にせまつて吉三郎
お七に顔を見合しても いやじや/\は手先と仕かた 無下にもならず指し俯き 返

事なければ 気をいる十内 お師匠様や九兵衛殿 数ならねど十内迄是程に
申しても 思ひ切る御所存ないか ヤイ爰な物しらずめ 吉三様は得心そふなに かぶり
振たり手をふつたり どふでもいやならお二人の言訳 おりや此細引で首くゝる 冥途
の主人へ言訳に 十内も切腹致す 愚僧も本意立たぬ上は 寺を捨てて此通りと
傘引提立出給へば マゝゝゝお待ちなされて下さりませ とゝ様も短気な事を
十内も早まるまいぞ フウ退院をとゞむるは 吉三様も娘も 御得
心が参つたり 是非に及ばぬお七殿 せふ事がない吉三様 ふつつり思ひ切まし


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たと 当座遁れも心の苦しさ ヲゝ出かした お出かしなされた 出来た
/\と 三人も眼には涙を持ちながら若し隙どらば又未練と 兼て用意の竹輿(かご)二
挺 住持の詞に従ひて 舁き込む庭へおり立つ四人 弁長も?(かい)作り 吉三様が
逝なしやつたら 友達がなふて今夜から淋しかろ 心斗の餞別(はなむけ)と 吉三に渡すは
以前の起請 子供心に二人の難儀 救ふ深切誰々も見て見ぬ顔に
感ずる涙 十内久兵衛夫々に 二人を竹輿に乗移らせ 早舁上くれば
吉祥院 両人聞分けてくれて満足/\ アレ見よ庭に冬木の桜も

又来る春は花盛り 義理と孝とに一旦縁を切る迚も 空行く月の廻り逢ふ
時節も有るまい物でなし 必ず短気を出して呉れなと力を付けるしめしの詞
アゝ勿体ない上人様に たんと御苦労かけまする 申吉三様 今のお詞が
わしや楽しみ 随分お健で そなたも達者で 親御達へ孝行尽くしや
ヲゝ帰らば早々無事な便りを 恐れながら是からお暇 おさらば さらば
さらば さらばも曇り声 十内久兵衛は数々の礼の詞に尽きせぬ名残
比翼の鳥の両翅(もろつばさ)ひ き 放されし籠の鳥 泣く/\ 別れて「出て行