仮想空間

趣味の変体仮名

大塔宮熊野落 第一~第三

 

読んだ本 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2539732

 

 

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六段物目録
一、酒呑童子  二、和田酒盛  三、なごや山三  四、塩屋文正  五、現在松風
六、大しよくはん  七、紅葉がり  八、楠湊川  九、色小町  十、光源氏袖鏡
十一、難波物語  十二、源氏十二だん  十三、当世落書  十四、融大臣  十五、遊読抄
十六、定家  十七、土佐日記  十八、一の谷八嶋  十九、女眉間尺  二十、中将姫
廿一、三世二酒白道  廿二、大塔の宮  廿三、小野道風  廿四、全盛くらべ
廿五、せみ丸  廿六、美人桜  廿七、花鳥大全  廿八、お国かぶき 廿九、廣飾難波鏡
三十、万巌頼政  卅一、転多?太郎  卅二、洛陽寿  卅三、蓬莱源氏  卅四、源氏六条通
卅五、同続源氏  卅六、柏木右衛門  卅七、泰平篁  卅八、芳野内裏  卅九、皐月十二段
四十、相生源氏  四一、対面曽我  四二、牧狩曽我  四三、??  四四、養花
四五、似城三国志  四六、ぞく三国志  四七、平か大全  四八、大だけ丸  四九、今川かづら

 

蘭曲物目録
色竹  全
久音竹 全
後撰集 二冊
千代竹 全
和歌竹 全
大竹集 五冊 右之合?


家伝秘密の奥旨は木下氏に伝て
章句を世上に弘む是一流を翫(まな)ふ人
まきらわしき節々にまとはす正風
なれと願ふものなり
 土佐少掾橘正勝


3
近来土州の一曲は俗を離れ風をたて声は梁(うつばり)の塵
をたらしめ節は利休の茶??よりもしほらしく都鄙
なべて風をなすも亦楽しからずや 予も此道を数寄て今
高徳の太夫にちなみ章句を弘むるに数年に有 身を
たて名を發(おこ)すは一藝の徳なり 書は萬代(ばんだい)の鏡 一字の
違(たがひ)百万の誤りを恐れ千度(ちたび)?合し百度(もゝたび)琢磨して
清濁を撰ぶも道を思ふが故也 然るに頃間(このごろ)類板の塵芥
衢に満ち或ひは筆跡紙数を減少し 値の軽(かろ)きを以て
あやぶめんとす 其書たるをみれば節章の誤りかぞづるにたらず
依也(これによって)愚が板行の正本には
今改め斯(かくのごとく)印し出之?(これをいだす)
    小伝馬町三丁目 木下甚右衛門

 

 

(これより本文)
  
 大塔の宮熊野落 第一
扨も 其後爰に本てう九十五世 後だい
ごの天わうの御時 比叡山大塔の門跡を
は 兵部卿しんわうとてめてたきみやにてお
わします されば当ぎん此みやと御心を
ひとつにし 御いんぼうありつれ共 事すで
にろけんして 日野中納言すけとも くらんど
のべんとしもと 関東へとらはれ給へは 主上


4
宮もちからなく時のいたるを待給ふ 御まへ
しこうの人々には 光林房げんそん あか
松りつしそくゆふ こでらさがみのりつしや 武
士には村上彦四郎よしてる 片岡八郎 平
賀の三郎 矢田の彦七なんどゝて 大かうの
つわもの 宮に頼れ奉り 御そはをはな
れずして日夜に合戦の評定す
是はさて置 六原にはときわするがの守

のりさだ けんだん人をめしあつめ くわんとう
よりの仰には若御いんぼう有し事 持明(ぢみやう)
院の本院より いさい仰下されたり 此上
はあづけ人 すけともとしもと両人を へん
しもはやくちうりくし 帝をばせうきう
のれいにsたがひ えんとうにうつし奉り 大
たうのみや尊うんを うしなひ奉れとの
御事なりとぞ申さるゝ まんざの人々なり


5
さすがてんのうの事なれば 申出すもおそ
ろしく 口をとぢて有中に 斉藤太郎さへ
もんぜう すゝみ出て申やう 仰もつともに
て候也 先年土岐がうたれし時 さやうにぞんし
候へ共 覚し召をはかりかね申いださず候ひ
き げにもかやうのみだれのもと 上一人にて
ましませば とく/\ながし奉り 大塔の宮
尊雲をうしなひ申ほどならは 武運長久

たるべしと にが/\敷ぞ申ける 次田高橋を
始として おの/\是に同じつゝ みつ/\に伴
定してとうしをこそは 待にけれ 悪事
しよきやうを召れ此事 いかゞあらんと
りんげん有 ふじふさの卿なり まことにもつて
時ならぬ とうしをのぼすはきづかわし まづ
兵部卿しんわうと えいりよをあわさせ給ひ


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て 然るべしとぞそうもん有 主上げにもと
思し召 それ/\との御事にて 頓てとよくしを
下さるゝ 兵部卿しんわう 取物も取あへす
いそぎさんだいなされけり 主上みやを 御
れんちかく召れ かやう/\の次第也 いかゞせんと
のりんげんなり 宮せんじを承り あつはれせつ
なる御大事 今此時にきわまれり 事すでに
きうなれば こなたよりおこさるへし其 はかり

ことゝいつは きんしんを一人 天子のごうを
ゆるされ 山門へ りんかうのよしひろう有て
君は笠木のせきしつに しのびてくわう
きよましますべし 左ほどならばしゆと共にも
わが山をおもふゆへ かせんすじつに及び
なん そのせつ諸国の武士共に りんしを
なし下されて ぎやくとをちうりくあらん事
何のしさいか候はんと手にとるやうにぞ 仰


7
ける 主上えいぶん有て 是に過たる事なし
然らば大納言もろかたに 天子のごうをめん
じて 山門へおくるべし さに又笠ぎのせき
しつは せうりあるべき所ぞと かねて
はかり望つらん とてもの事にようがいを え
いぶんあらんとせんじ有 兵部卿 さん候笠
木へは 村上のよしてるを さしつかわして候也
無位無官の者ながら 御めん有べく候はゝ

召よせかの地のようがいを だんぜさせ申
さんや 主上えいぶん有て あかはくるし
かるべき いつきうをすゝめよとて よし
てるをなんでんの 大ゆかちかくそ
召れける 時にふじふさ ちよくしとして
いかによしてる 笠木のいわやのあんない
つまびらかにそうすべし とく/\との御事
にて 当座に えふのぜうにぞなされける


8
よしてる かしこまつて候と まごひさしにし
こうして 一々次第をのべにけり そも/\
かさぎと申は 五とくさうおう仕り 日本ぶ
さうのようがい也 まづひんがしはこんがうせん
みんなみは光明山 にしは木津川きたは
又なしまの里一のべ山あいつゝき山はけわし
くたかふして一へんのはくうん びやう/\とし
て谷にうづみ 鳥もかよわぬけんざんなり

そのうへ一段高き所あり ひようふをたて
たることくにて かゝたるがんせきつらなりて
こせう枝をたれせいたい露vなめらかなり
谷 ふかうしてばんじんの せいがん道をさ
へぎり つゞらおりなるほそ道を よぢ
のぼる事十八町 岩を切てはほりとなし
石をたゝんでびようぶとせば たとわば
みかたじやくにして ふせぎたゝかふ者なく


9
共たやすくおつる 事あるまじ 是にて数
日さゝへられ 諸国へりんしをなされなは
御味方申へき つわものに取ては先みのゝ国に
は ぜんほうときか一そく共 ごせすしてはせ
参らん 近江の国には西こり判官 三河の国
にはあすけのしげなり 坂東の源氏にはにつた小
太郎義貞也 しやていに次郎よしすけ 一ぞくに
取てはそも せらだ堀口え田大たち 里見鳥山

おいたの冠者 ぬかた一の井山名の三郎 ふなだ
の入道ゆら長浜 皆是せいわのうてなをいで
満中あそんがこういん 八幡太郎がるいそんにて平
氏をそむく者共也 下野には ゆふきのちか
みつしなのゝ国ゝは てしがはらの丹三郎 かい
の国には小笠原 たけた五郎みつのぶ也
びんごの国にはさくら山 びぜんの国には
小嶋の三郎 今木大ごみ松ざきとう はり


10
まの国には赤松入道 つきしたかふ一ぞく
には木寺きぬがささよましま めが孫三郎
長宗は 日本めいよの大りき也 美作には
かんけの一ぞく 出雲の国にはえんやのはん
ぐわん 同ふぢなのよしつな いなばほうき
に かなぢあさ山石見の国にはみすみの
一とう あきの国には小早川 四国には土
井とくのう 九州に取てはそもせうに

大友きく地の入道此者共はこと/\く
平氏をうらむるやから也 此たびえいりよ
うごかされ 公家一とうのみよとなしばんせ
いらくをうたわん事 しゆゆのまたたく
内ならんと ことふきしるきいさめのほどを
きせん上下おしなへて皆かんぜぬもの
こそなかりけれ
           第二


11
其後 宮の御けいりやくにしたがひ 大納
言もろかたに 天子のごうをさづけられ 山
門に くわうきよのていをなし給へば 一山
のしゆと日吉のしやし よきにしゆごし
奉る 爰に 浄林坊のあじやり がう
よといへるしゆと有 此法師たもん ぶけ
に心ざし有けれは 大きにしうしやうし
取ものもとりあへす 六原さしてぞ 参りける

六原に成しかば するがの守にたいめんし か
やう/\とちうしんす のりさだ大きにおどろき
時をうつしてかなふまじ それ/\といふまに 佐々
木かいだうを大将とし むねとの大名六人に みの
おはり丹波但馬 四ヶ国のせいをつけらるゝ
人々かしこまつて承り 山門さしてそ おし
よする 左ほとに 兵部卿しんわうは 此よしを
聞し召 光林房をはじめとし こでらあか松


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其外の 人々をめされ がうよ法師がちう
しんにて 六はらよりむねとの大ぜい せめ来る
と聞て有 こゝちしてはかなふまじと そ
れ/\に手わけ有 志賀から崎によいがだけ
八瀬しづはらに打て出 時の声をそ
上にける たかひの声もしづまれば 矢い
くさせう/\時過て てきみかた入みたれ
火花をちらして たゝかひけり いくさ中

はのことなるに よせてのかたより年の頃 三十
あまりと打みへて さもおそろしき どう
ぎやう二人立出 そも/\是は浄林房に
かくれなき 杉若竹若と申て がうよあじ
りのひざもとさらぬかつしきなり いで手
なみを見せんとて 大ぜいにわつていり 十
文字にかけ通り八もんじに打やぶり はらり/\
となぎふする いまだ時もうつさぬまに くつ


13
きやうのつわものを七八十騎なぎふせて
残りしものをは むら/\はつとおつちらし
しばらくいきをぞつぎにける 村上のよし
てる 此よしを見るよしも一文字にはしり
出 何おのれらは がうよ法師がかつしきとや
あつはれ見事のびどうかな いでけんざん
と打てかゝる 杉若見て すいさんなる侍
やと 弓手に相つけ引くみ 只一ひしぎと

おしつくるに 少もさらにはたらかず だい
ばんじやくのごとく也 竹若見て浅ましと
くみあぐんだると覚へたり いで/\たすけ
えさせんと おなじやうにくむ所を 村上
物の数共せず 二人共に取ふせ くひ
一々にねぢ切て につことわらつてひかへ
けり かゝる所へ いぜんのちごより一かさす
ぐれしかつしき ほうゆうのかたきなり のがさじ


14
ととびかゝり つつと入てむずとくむ 村
上やさしのせうにやと かいつかみてすてん
とするに ふんばつておしもどす よしてる
げに/\なんぢはほねらしや 然れども
それがらには ならへんとてもかなふまじ ねん
ぶつ申せと取てふせ つらぬきしてこど
すてにけれ かゝる所へそく祐が手の者 あわたゝし
くはせ来り 村上に打むかひ いまだし

ろし召れずや 山門のしゆと達 もとかた
きやうを見出しすでにいへんじて 宮に
弓引奉る さるによつて 宮方の御せい
そくゆうをはじめとして 八方へかけめぐり
ふせぎたゝかひ候へは 今はみやの御命も
何やう/\みへさせ給ふ也 とく/\爰をす
ておき 宮をすくわせ給ひて 然るべし
とぞ申ける 村上聞て よくしらせたる


15
男やと いふよりはやくかけ出し 山上さし
てそ いそきける 山にもなれば 後
陣のてきをおつはらひ 宮の御まへにかし
こまり さてもきうなる御大事 此時に
かぎるまじ 十津の濱より舩にめし
南都の方へ一まづも おちさせ給ひかべし
それがゝは 是にとゞまり御それながら
そんうんなりと名のつて てきをあざむき

候べし はやとく/\とすゝむれば みや此
よしを聞し召 なんでうさる事有べき 海
と一所に討死せん 村上聞て あらゝか成
声をあげ えゝいゝかひなき御所存か
な 是ほどの小事に うち死せんとは何事
ぞ さまでおろかにまし/\て かやうなる御大
事を 若し召立給ふか いそぎおちさせ
給ふべし それがしは 頓て追付奉らん はや


16
とく/\と云けれは その儀ならばともかくも
なんぢがいけんにしたがふべし あとをばたの
むろのたまひて 十津の濱より舩にめし
なんとの方へと心さし おちさせ給ふそいたわし
き 村上心安しと又山下へ切て出 大おんじや
うをあらわし いかにかたきのやつばら ことも
おろかや 兵部卿しんわうなり かゝれ手なみ
を見せんとて 大長刀をふりまはし たせい

が中へ割て入 西からひかし北みなみくも
でかくなは十文字 八つ花がたといふものに
さん/\゛になぎふせて しばらくいきをぞ つ
ぎにける 浄林房是を見て すでに以て
此宮は 七尺のへいふをも のりこへ給ふはや
わざ也 手つめのせうぶかなふまじ とを
矢にいよといふまゝに 十方にむらがつて
さしとり引つめいたりけり され共さねよき


17
ものゝぐを 二りやうかさ手たりければ 一つ
もうらはかゝざりけり よしてる手をおふたる
ていにして うつぶしにかるはとふす 浄林房
がうよ はるかに是を見るよりも みやの
御首たまわるて 我が高名になさんとお
もひ 太刀ぬきもつてさしかざし 首を取ん
とはせよよるを 村上まぢかくよせさせ うし
おきにおきければ がうよはつと肝をけし

取てかへし迎ゆくを よしてる長刀取なをし
こしのつがひを切はなち さて/\おのれ
は いかにむさぼる事なりとて 三門をづり
すて 六原へは よくもちうしんしつるよな
首をとらんとおもへ共 さぞな命のおしか
らん 日頃のよしみに しば/\命をたすくる
ぞと 又耳はなをそいですて ちかづく
かたきを十方へ はら/\はつと追はらひ 宮


18
の御あとしたひつゝ 南都をさして急きけ
りは よしてるが其はたらき しんへいぎ
しうもかくやらんときせん上下おしなへて みな
かんぜぬもおこそなかりけれ

        第三
其後 兵部卿しんわうは 南都へおちてはん
にや寺に ふかくしのびておわします かゝる所
へ 追手のせいと覚しくて はんにや寺に乱れ

入 事すでにきうなれは 宮じゃせんかたまし
まさず じがいせばやと思し召 御れんに御
手をかけられしが いやまてしはしわがわが心 死
をかろしむるはかぐのほう 思ひさだめて
有うへは人手にはかゝるまし かなわぬ迄も
一まづは 忍ばばやと思し召 かしこをきつと
見たまへば よみかけて置たる大はんにや
のひつ有 一つのひつには 御きやうなかば


19
取出し ふたをあけてぞ置にける 是こ
そはくつきやうの かくれがなりと思し召 この
中へいらせ給ひ 御身をしゞめ其上に 御経
を引かづき いんきやうのしゆをとなへ 氷
のやうなる御けんをぬき 御てもとにおしあて
すわ共いはゝつきたてんと 声を待てそ
おはします あんのごとくつわりの共 ぶつでん迄
みだれ入 こゝかしこをたづぬれ共 宮はさらに

ましまさず もの共あまりにたづねかね 是
こそあやしき物なれとて かの大はんにやのひつ
をあけ 御経を取出し さがし申せどま
しまさず 扨はおちさせ給ふらん ふたの
あきたる此ひつは 見るまでもなし あゝ
むだほね折たるねんなさよと つぶやき
寺中を出たりしは あやうかりける次第なり
宮はひとへに夢ぢをたどるこゝちにて ひつ


20
の中におわせしが 兵共立かへつて くわしく
さがす事もやと さがせしひつに入かわり
いぜんのことくふし給ふ 御けいりやくこそあ
さからね あんにたがわす兵共 又仏でんに立
かへり ふたのあきたるからひつを さきに見ざ
るはおぼつかなし それ/\といふまゝに かの
ひつを打かへし 見れ共其かひなかりけり
兵ともあきれはて 大塔の宮はましま

まさで 大唐のげんじやうさんぞうのまします
と どつと笑て出けるは おろかなりける
次第也 今ははやほども へだゝりなんと思し
めし 宮はひつより御出あり 是ひとへに
まりしてん十六善神の御かごぞと 信
心きもにめいしつゝかんるいみそでをうるほ
せり かゝる所へ 光林房をはじめとして 木寺
相模赤松 村上のよしてる かれこれ八人 はん


21
にやじにはせさんじ 宮を拝し奉り 悦
ふ事はかぎりなし 此上はなんとの御す
まひかなふまじ 山ふしすがたに御さまかへ
られ くまのゝ方へ御しのび候べしと みな
一同に申さるゝ 宮げにもと覚し召 笈
取てかたにかけ 以上九人の同行にて こん
がうつへをつきつれて くま野をさしてそ
おちらるゝ しんきうきやうしやの内にして

人ならせ給ひしより ちやうどをしのく御かち
路 なれもならはせ給はさる たひの衣は
すゝかけの つゆけき 袖やしほるらん その
玉ほこの道すがら やしろ/\のほうへいを お
こたらずまいらせて やう/\いそかせ 給ふにそ
是かや そねのよしたゞが 行末もしらぬと
詠しけん ゆらのみなとを見わたせは おき
こぐふねのかぢをさへ浦のはまゆふいくへ共


22
しらぬなみぢになく千鳥 きのぢの遠山
へう/\として 藤城の松にかゝれるいその浪
あしへにたづの 明わたる和歌ふきあげ
をよそに見てやんことなしや ちはやふる 神
のおしへのすぐなりし 道のみちたる敷嶋の
心をよせて久かたの月に見けけるたま
つ嶋 ひかりも今は さらでたに てうていき
よくほのたひの道 心をくだくならひには

雨をふくめる こそんのきえんじにひゞく
かねのこえ 人の ゆふへをおくるやとあわれ
もよほす 時しもはおきふしぬるゝたひ衣
きりへのわうしに つきたまふ それよりも
ごんげんの御まへにて ほうへいをたてまつり
のりをすゝめしめ給ひけり きん上さいはい/\
両所ごんげんの御本地は むりやうじゆ
こくの本しゆにて 御しんたいはいざなぎ


23
いざなみの ふたはしらと承る わが君其御すへ
たり 和光のひかりくもらずは げきしんた
ちまちめづぼうして てうていふたゝびかゝやく
事 とつくえさしめ給へかし なむ十万の御
けんぞく 八万のこんがうどうじと五たいをち
になげ一しんに たんせい無二の御いのり
しんりよにやつうじけん いづく共なく どうじ
一人あらわれ出 宮にむかひたてまつり くま野

三つの山々は 人の心もふわにして たいぎのけい
りやく成かたく候へは 是より十津川のかたへ
御わたり候て じせつを待せ給ふへし それ
までの御道しるべ申せとて ごんげんよりつけ
られて候と申もはてず けすがごとくにうせ
にけり 宮をはじめ奉り 御供の人々 あり
がたし/\と こくうを三度ふしおがみ それよりも
引ちがへ とつ川さして入給ふ 此人々のその有様


24
をきせん上下おしなへて みなかんぜぬ ものこそ
なかりけれ