仮想空間

趣味の変体仮名

義経記 巻第三

読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1287994

 

 

2

義経記巻第三目録

くまのゝべつたうらんぎやうの事

べんけいむまるゝ事

へんけい山門を出る事

しよしやさんえんしやうの事

べんけい洛中にて人の太刀を取事

よしつね弁慶と君臣のけいやくの事

よりともむほんの事

頼朝むほんにより義経おうしうより出給ふ事

 

 

3

義経記巻第三

  くまの別当らんきやうの事

よしつねの御うちに聞えたる一人当千のかうの者あり

ぞくしやうを尋ぬるにあまつこやねの御べうえい。中の関

白たうりうのこういん。くまのゝ別当へんせうかちやく

子さいたうのむさし坊弁慶とぞ申ける。かれ出くるゆ

らいを尋るに二位の大納言と申人は。きんだちあまたも

ち給ひたりけれ共。おやにさきだちみなうせ給ふ年(とし)た

けよはひかたふきて一人のひめ君をまうけ給ひたり。天

下第一のびじんにておはしければ。雲の上人我も/\と

のぞみをかけ給ひけれ共さらにもちい給はず。大臣も

ろなかねんころに申されければさるべきよし申されけ

 

 

4

れ共。ことしはいむべきことありひかしのかたはかなはじ。明(みやう)

年のころいかなるしゆくぐわんにか。五条の天神に参り給ひて

御つやし給ひたりけるに。たつみのかたよりにはかに風

吹(ふき)きたりて御身にあたると思ひ給ひければ。物くるはしく

し参らせ給ひける程に。今度のやまひたsyけさせ給へ

明年の春の頃はsんけいをとげて。王子/\御まへに

てしゆくぐわんをほどき候べしと祈られければ。程なく

へいゆうし給ひぬ其つぎのとしの春。しゆくぐわんをはら

させ給はん為にさんけいあり。もろなが大なごん殿よりして

百人同者つけ奉りて。三の山の御さんけいを事ゆへなく

 

とけ給ふ。本宮せうしやうでんに御つや有けるに別当

入堂したりけりはるかに夜ふけて。内陣にひそめきたり何

ことならんとひめ君御覧する所に。別当の参り給ひた

るとそ申たり。別当かすかなるともし火の影より此

ひめ君を見奉り給ひて。さしもしかるべき行人にておは

しけるが。いまたせんぼうだにも過ざるにいそかい下向して。

大しゆをよびていかなる人そとゝはれければ。是は二位の

大なごん殿のひめ君右大臣殿の北のかたとぞ申ける。別当

しれはやくそくはかりにてこそ有なれいまだちかづき

給はず候ときくぞ。さき/\大しゆのあはれくま野に

何事も出きよかしと。人の心をも我心をも見んといひ

しは今ぞかし。出たちてあしきのなからん所に同者をい

 

 

5

ちうして此人を取てくれよかし。別当がちごにせんとそ

の給ひける。大衆これを聞てさては仏法のあた。王法

てきとや成給はんずらんと申ければ。おくびやうのいたる

所にてこそあれかゝることをくはたつるならひ。大納言殿

もろなが院の御前へ参りそせう申給はゞ。大なこんを大

将として畿内のつはものこそむかはんずらめ。それは思

ひまうけたることなれしんぐうくまのゝちへできにあし

をふませばこそとその給ひける。さき/\のひが事と申

は大衆のをもむきを。別当のしづめ給ふだにもやゝも

すれはしゆとはやりき。いはんやこれは別当おこし給ふ

事なればしゆともつはものをすゝめけり。我も/\と

かつちうをよろひさきさまにはしりくだりて道者をまつ

 

所に又あとより大せいときをつくりてをつかけたり。はぢを

はづへきさふらひ共みなにげける。しゆとこしをとつて帰り別

当に奉る。わがもとは上下の行(ゆき)所なりければもし京かたの者

有やとて。まん所にをき奉りもろともにあけくれひきこ

もりてぞおはしける。もし京より返しあはする事もやと

用心きびしくしたりけり。されともわたくしのはからひに

てあらされは。いそき都へはせのほりて此よしを申たりければ。

右大臣殿大にいきとをり給ひてうつたへ申されたりければ。

やがていんぜんをくだしていづみ。かはち。いが。いせの住人共を

もよほして。もろなが大納言殿を両大将として。七千よき

にてくまのゝ別当をゝひ出してすなはち別当になせと

てくま野にをしよせ給ひてせめ給へは。しゆと身をすて

 

 

6

てふぜく京かたかなはじとや思ひけん。きりべの王子にぢんを

とつて京へはや馬をたて申されければ。かつせんちゝする

子細あり其ゆへは公卿せんぎ有て。平宰相(へいさいしやう)のぶなりの御

むすめひじんにておはしましかば。内へめされさせ給ひしを

今此事によつて。くまの山めつばうせられん事本朝の

大事なり。宇陀陣には此姫君を内より返し奉り給はゝ。何

お御いきとをりか有べき。又二位の大納言の御むこくまのゝ

別当何かくるしかるべき。年たけたるばかりにてこそあれ

あまつこやねの御べうえい。中の関白たいりうの御しそん

なり。くるしかるまじとぞせんぎ事をはりて。きりべの

王子にはや馬をたて此よしを申されけれは。右大臣公卿せん

きのうへは申におよばすとて。内すてゝ帰りのぼり給ふ。

 

 

7

二位大納言は又我ひとりしていきどをるべきならすとて

打つれ奉りて上洛ありければ。くま野も都もしづかなり

といへども。やゝもすればつはもの共我らかする事は。せんじ

いんぜんにもしたがはこそとしたんして。いよ/\代(よ)を世と

もせざりけり。さてひめ君は別当にしたがひて年月をづ

る程に。別当は六十一ひめ君になれて子をまうけんずるこそ

うれしけれ。男子ならは仏法のたねをつがせてくま野を

もゆづるべしとて。かくて月日をまつほどにかぎりある月

にむまれずして。十八月にぞむまれける。

 

 べんけいむまるゝ事

別当此子のをそくむまるゝ事ふしぎに思はれければ。さ

んじよに人をつかはしていかやうなるものととはれければ。

 

 

8

むまれおちたるふしぎはよのつねの二三さいばかりにて。かみ

はかたのかくるゝ程におひて。おくばむかばはことに大きにお

ひてぞむまれけれ。別当に此よしを申ければさてはきじ

んこさんなれ。しやつをゝいては仏法のあたと成なんするぞ水

のそこにふしつけにもし。深山(しんさん)にはつけにもせよとぞの給

ひける。はゝはこれを聞(きゝ)それはさる事なれともおやもなり子

となる事も。此世一つならぬ事ぞと承る。たちまちにいかゞ

うしなはんとなげい入てぞおはしめる所に。山の井の三位

といひける人の北のかたは。べつたうのいもうとなりしが別当

におさなき人の御ふしんをとひ給へば。人のむまるゝと申は

九月十月にてこそきはめて候へ。すでに此ものは十八月

にむまれて候へはたすけをきゝても。おやのあた共なるべ

 

く候へばたすけをく事候まじとの給ひける。おば御ぜんきゝ

給ひてはらの内にて久しくしてむまれたるもの。おやのた

めにあしからんには候はず。それもろこしの黄石(くはうせき)が子ははらの

内にて八十年のよはひをゝくり。しらがおひてむまれける年

は二百八十さい。たけひきく色くろくして世の人にはかはり

かり。されども八まん大ぼさつの御しやあら人がみといはれ

給ふ。たゝみづからに給はり候へ京へぐして上り。よくは男に

なして三位殿へ奉るべし。とうの身となりてはかへつておや

をもみちびくべしと。打くどき申されければさらばとて

おばにとらせける。さん所に行てうぶゆをあびせておにわか

と名をつけて。五十一日すぎければ京へぐして上りめのと

 

 

9

を付てもてなしかしづきける程に。おにわか五さいにてはよ

の人十二三ほとに見えける。六さいのとしはうさうといふものを

していとゞ色もくろく。かみはむまれたるまゝなればかたよ

り下へおひさがりて。かみのふせいもおとこになしてかなふまじ

法しになさんとて。ひえの山のがくとうさいとうさくらもと

の僧正のもとに申されけるは。三位殿のためにはやうしにて

候がくもんのために奉り候。見めかたちは参らするにつけて

はぢ入て候へ共心はさか/\しく候。文の一巻もよませてた

ひ候へ。心の不定(ふちやう)に候はんはなをさせ給ひて。いかやうにも御

はからひにまかせ候とて上せけり。さくらもとにてがくもんす

る程に。せい月(かつ)日のかさなるにしたがひて人にすくれてはか/\

し。がくもんよにこえてきようなり。さればしゆともかたちは

 

かれかくもんこそ大せつなりとていよ/\しなんし給ひける。か

くてがくもんに心をだにも入なばよかるべきに。ちからもつよ

くほねもふとくたくましくなるまゝに。師の仰にもしたがは

ずちごほうしばらをかたらひて。人もゆかぬ御堂のうしろの

山のおくなどへともなひ行て。うでをしくび引(ひき)すまうなとそ

このみける。しゆと此事を聞てわが身こそいたづらものなら

め。人の所にがくもんする者をだにすかし出して。不定にな

す事いはれなしとて。僧正のもとにそせうのたゆる事な

し。かくとつたへきたるものをはかたきのやうに思ひて。其人の

かたへはしり入てしとみつま戸をさん/\に打やふりけれ

共。あくじもぶようもしづむべきやうぞなき。其ゆへはちゝは

くまのゝ別当なり。養父は山の井殿。おほぢは一位の大な

 

 

10

ごん。師匠は三千坊のがくとうのちごにて有間。手をも

さしてはよき事有まじとて。たゝ打(うち)にまかせてぞくるはせ

ける。さればあひてはかはれともおにわかはかはらず。

いさかひのたゆる事なし。こぶしをにぎり人をはりけ

れば人/\路しをもすぐにとをりえず。たまた

まあふものもみちをよけなどしければ。そのときは

いぎなくとをしてのちあふたるとき。とつてをさへて

さもあれすぎしころはゆきあひまいらせて候に。

みちをよけられしはなにのいこんにて候かるそと

とひければ。おそろしさにひざふるひなどするものを。

かひなねぢこふしをもつてをしたをし。ねぢたをし

などするほどに。あうものゝふしやうにてぞありける。

 

 

11

しゆとこれをせんぎして。僧正のちごなりとも山の大事

にて有ぞとて。大しゆ三百人いんの御所へ参りて申け

ればそれほどのひか事のものをば。いそきをひうしなへと

いんぜん有ければ。大しゆよろこび山上へ仏所にくぎやう

せんぎ有てふるき日記み給へば。六十一年に山上にかゝる

ふしきの者出きければ。てうかのきたうになることあり。

いんせんにてこれをしづめつれば。一日のうちに天下ふ

さうのぐわん所(しよ)五十四か所ぞといふことあり。ことし六十一

年にあひあたるたゝすてをけとぞ仰ける。しゆといき

とをり申けるはおにわか一人に。三千のしゆとゝおぼしめ

しかへられ候こそいこんなれ。さらば山王の御こしをふり奉

らんと申けれは。神には御れうを参らせ給ひければ。

 

 

12

しゆと此うへはとてしづまりけり。此事おにわかにきか

すなとてかくしをきたりしを。いかなるをのこものかしらせ

けんこれはいこんなりとて。いとゝさん/\にづるまひける

僧正もてあつかひて。あらばあると見よなくはなしと

見よとて。めもみせ給はざりけり

 

  べんけい山門を出る事

おにわか僧正のにくみ給へるよしを聞て。たのみたる師

の御ばうたにかやうに思はれんに。山にありてもせん

なしめにも見えざらんかたへゆかんとおもひたちて出かゝ

るが。かくてはいづくにても山門のおにわかとぞいはれん

ずらん。がくもんにふそくなしほうしになりてこそゆか

めとおもひて。かみそりころもをとりそへてみまさか

 

のぢふきやうといふものゝゆどのにはしり入て。たらひの水

にて手づからかみをあらひ。ところ/\をしそりにしたりけ

る。かの水にかげをうつして見ければ。かしらは円く見えけ

る。かくてかなはじとてかいみやうをばなにとかいはまじと思ひ

けるが。むかし此山にあくをこのむ者あり。さいたうのむさ

しばうとて申ける。廿一にてあくをしそめて六十一に

てしにけるが。たんざがつしやうしてわうじやうをとげ

たるときく。我も其名をついてよばれたらは。かう

になる事もあらめさいたうおむさい坊といふべし。じ

つみやうはちゝの別当はべんせうとなのり。其しやう

はくわんけいなれば。べんせうのべんとくわんけいのけい

とをとつて。べんけいとぞ名のりける。きのふまではおに

 

 

13

わかけふはいつしかむさいばう弁慶とぞ申ける。山上を

でてをはらの別所と申所に山ほうしのすみあらしたる

ばうに。たれとむるとはなけれともしばらくはたつと

げにてそいたりける。されどもちごなりしときだにも

見めわろく心いさうなれば。人もてなさずましてとひ

くる人もなけれは。これをもいくほどなくあくがれでて

しよこくしゆぎやうにとて又出て。津のくに河しりに

くだりなにはがたをながめて。ひやうごのしまなどいふ所

をとをりてあかしのうらより舟にのりて。あはのくにゝ

ついてやけ山つるがみねをおがみて。さぬきのしどの

どうじやういよのすかうに出て。とさのはた又をがみけり

かくてむ月もすえに成ければ。又あはのくにへぞ帰りける。

 

  しよしやさんえんしやうの事

へんけいあはのくによりはりまの国にわたり。しよしや山(さん)

に参りしやうくう上人の御えいをおがみ奉り。ずでに下

向せんとしたるがおなじくは一度こもらばやと思ひける。

此度と申は諸国のしゆぎやうじやじうまんしてよね

んもなくつとめける。大しゆはがくとうの坊にしゆえししゆ

ぎやうしやをこなひ所につく。夏僧(けそう)はこくさうの御堂

にて人について夏中(けちう)のやうを聞て。がくとうの坊に

入ける。弁慶はすいさんしてなげしの上ににくげなる

ふせいして。がくたうのざしきをしばらくにらみていた

りけり。がくとう共これを見ておとゝひきのふのざしき

にもありともおほえぬ。法師のすいさんせられ候はいづ

 

 

14

くよりのしゆぎやうとゝひけれは。ひえの山のものにて候と

申けれは。ひえの山はどれよりさくらもとよりとと申。僧正の

御でしかと申せはさん候。そくしやうはととはれてこと/\

しげなるこえをして。あまつこやねの御べうえい中(なか)の関白

たうりうのすえ。くま野の別当の子にて候と申ける

か。一夏(け)の間はいかにも心に入てつとめ。たいてんなくをこな

ひていたりける。しゆともはじめのけいき今のふぜいさう

いして見えたり。されは人にはなれて見えたりをんびんの

ものにて有けるやとぞほめける。弁慶おもひけるはか

くて一夏もすき。秋のはじめにもなりしかば又国に修

行せんとぞおもひひける。されともなごりをおしみて出もや

らでいたり。さてしも有べき事ならねば七月下旬に

 

がくたうにいとまこはんとて行たりければ。ちこ大しゆ

さかもりしてそあありける。えんけい参じてせんなしと

おもひて出けるが。あたらしきしやうじ一けんたてたる

ところあり。こゝにひるねせばやとおもひてしばらく

ふしけるに。其ころしよしやにあひてきらはぬいさかひこ

のむものあり。しなのばうかいえんとぞ申ける。へんけいが

ねたるを見ておほくのしゆぎやうじや見つれとも。さや

つほどのくわうげんしてにくげなる者こそなけれ。さや

つにはぢをあたへて寺中(じちう)をゝひ出さんとおもひて。す

ずりのすみすりながしむさし坊がつらに二くだり物を

かきたりけり。かたつらにはあしだとかく。かたつらには

しよしやほうしのあしだにはくとかきて。べんけいはひら

 

 

15

あしたとぞなりにけり。つらをふめどもおきもあからずとか

きつけて。小ぼうしはらを二三十人あつめていたかべをた

たいてどうをんにどつとわらはせける。むさしばうあし

き所にすいさんしたりけるやとおもひて。ころものたも

と引つくろひてしゆとの中へそいでにける。しゆとこれを

見てめひきはなひきわらひけり。人はかんにたへてわ

らへとも我はしらねばをかしからず。人のわらふにわら

はすばへんけいへんしゆににたりとおもひ。ともにわらひ

かほしてぞわらひける。されどもざしきのていに見えけ

ればべんけいはわか身のうへとおもひて。こぶしをにぎ

りひざをたてゝなにのおかしきぞと。まなこにかどをたて

てにらみまはしけり。がくとうこれを見給ひてあはや

 

此ものけしきこそそんじて見え候へ。いかさま寺の大事

となりなんとの給ひてせんなき事に候。御身のことにて

は候はぬぞこその事をわらひ候。なにのせんかおはすべ

きとの給へばざしきをたつて。たじまのあじやりと

いふものゝばう。其間一町(ちやう)ばかりありこれもしゆぎやう

じやのよりあひところにありければ。かしこへゆき

あふ人/\もべんけいをわらはぬ人はなし。あやしとお

もひて水にかけをうつして見れば。つらに物をぞ

かゝれたるさればこそこれほどのはぢにあたつて。一と

きなりともありてせんなし。いづかたへもゆかんとお

もひけるか又うちかへしおもひけるは。われ一人が

ゆへに山の名をくださんことこそ心うけれ。諸人をさん

 

 

16

/\にあつかうしてとがむるものをばならはして

はぢをすゝぎて出はやとおもひて。人々の坊中へ

めぐりさん/\いあつかうす。がくとう此事を聞てな

にともあれしよしやほうしつらをはりふせられぬと

おほゆる。このことせんぎして此中にひがことの者あら

ばそれをとりて。しゆぎやうじやにとらせて大事を

やめんとて。しゆともよほしてかうだうにてがく

とうせんぎす。されどもべんけいはなかりけり。がくとう

使者をたてけれ共らうそうのつかひのあるにも出ざ

りけり。かさねてつかひ有に東坂(ひかしさか)の上にさしのぼきて

うしろのかたを見たりければ。廿二三ばかりなるほうし

の衣のしたにふしなはめのよろひはらmききてぞ出来(きた)る

 

 

17

べんけいこれを見てこはいかに。けふはをんひんのせんぎ

とこそきゝつるにきやつがふぜいこそけしからぬ。ない/\き

くぞしゆひかことをなすならばかうをこへじゆぎやうし

やひがっことあらば。小ぼうしばらにはなちあはせよといふ

なるに。かくて出大ぜいの中にとりこめられかなふまじ。

我もさらばゆきて出たゝばやとおもひて。がくとうの

ばうにはしり入て。こはいかゞと人のとふ返じをもせす

人もゆるさゞりけるに。いつあんないはしらね共おさめ殿

につとはしり入て。からひつ一かうとつて出かちんのひた

たれに。くろ糸おどしのはら巻きて。九十日そらぬかしら

にもみえほしにはちまきし。いちいの木のもつてけづり

たるぼうの八かくにかどをたてゝ。もとを一尺はかりまろく

 

 

18

したるをひきつえにして。たかあしだをはいて御堂の前に

ぞ出きたる。大しゆこれを見てこゝに出きあtる者はなに

者ぞといひければ。是こそ聞ゆるしゆぎやうしやよ。

あらけしからぬ有さまかなこなたへよびてよかるべきか。す

てをきてよかるべきかすてをきてもよかるまじ。さらば

めなみせそと申けるべんけい是をみて。いかにともいはんか

とおもひつるにしゆとのふしめになりつるこそ心え

ね。ぜんあくをよそにてきけは大事なり。ちかづきて

きかばやとおもひはしりよつて見ければ。かうだう

にはらう僧ちごどもうちまじりて三百人はかりいな

がれたり。えんの上には中居の者共小ぼうしばら一人も

のこらずもよほしたり。のこる所なく寺中上を下にか

 

へして出きたる事なれば。千人ばかりぞ有ける其中

にあしく候ともいはず。あしだふみならしかたをもひざをも

ふみつけてとをりけり。あともそともいはく一定(ちやう)ことも

出きあtりなんとおもひ。みなかたをふまれてとをしけ

り。きだはしのもとにゆきて見ればこそでともひし

とぬぎたり。我もぬぎてをかばやとおもひけるが。わざ

はいをのぞくににたりとおもひたきながらからめかし

でぞ上りけり。しゆともとがめんとすれば事みだれ

ぬべし。せんずる所とりあひてせんなしとてみな小門

のかたへぞかくれける。弁慶はなげしのきはをあしだ

はきながらかなたこなたへぞありきける。がくとう見

ぐるしきものかなさすが此山と申はしやうくう上

 

 

19

人のこんりうせられし寺なり。しかるべき人おはする

うへおさなき人のこしもとを。しだはいていでとをる

やうこそきくはいなれととがめられて。弁慶つい

さつて申けるはがくろうの仰はもちろんに候。さや

うにえんの上にあしだはいて候だにも。らうぜきなり

とゝがめ給ふ程のしゆとの。なにくわんたいにしゆき

やうじやのつらをばあしだにしてははかれけるぞと

申ければ。だうりなれば衆徒をともせず。中/\はなり

あはせてをきたらばがくとうのはからひに。いかやうに

もすかして出すべかりしを。わざはひにおこりけるしな

の坊これを聞てけうなるべし。修行法師めがつらやと

いだけだかになりて申ける。あまりに此山の衆徒はき

 

やうこうがすきて。修行者めらにめを見せて。すでに

こうくわいし給ふらんものを。いでならはさんとてつとたつ。

あは事出きたりとてひしめく。弁慶これを見ておも

しろしきやつこそあひてきらばすのえせものよ。をのれが

かいなのぬくなか。弁慶がなづきのくだくるか。思へば弁慶

がつらに物をかきたるやつかにくいやつかなとて。ばう取

なをし待かけたり。かいえんが寺の法しはら五六人。ざ

しきにありけるが是をみて見ぐるしく候。あれほど

の法しえんより下にけおとして。くびのほねふみをつ

てすてんとて。衣のそでをとつてむすびかたにかけお

めきさけんでかゝるを見て。弁慶えいやとたちあがり

ばうをとつてなをし。なぎうちに一度にえんより下へ

 

 

20

なきおとしける。かいえん是を見てはしり立てあたり

をみれともうつべきつえなし。ばつだを見ればくの木を打

きり/\くべたるもえさしをおつとり。すひつをしにじり

て一定(ちやう)かわ法しとてはしりかゝる。べんけいしきりには

らをたてゝもつてひらいて丁どうつ。かいえんはしりち

がひてむずとうつ。弁慶かしとあはせてくゞり入て

ゆん手のかいなさしのへ。かうをつかんでえいとひきよせ

めてのかいなをもつて。かいえんがもゝをつかみそへてめ

よりたかくをしあげて。かうだうの大にはのかたへ行。

しゆとこれをみて修行者御めん候へ。それはぢたひ

さかぐるいする者にて候ぞと申けれは。べんけい見く

るしく見えさせ給ものかな。日ころのやくそくには

 

修行者のさかくるひは大しゆしづめ。衆徒のさかくるひを

ば修行者しづめよとの御やくそくと承候しかば。いのちを

はころすまじといひて一ふりふつて。えいやといひてかう

だうのゝきのたかさ一丈一尺ありける上になげあけた

れば。一たまりもたまらずころ/\ところびおち。あま

おち石たゝきにどうどおほる。とてをさへてほねはく

だけよすねはひしけよとふみたち。ゆん手のこかいなふ

みおりめてのあばらぼね二まいそんず。中々にいふいか

ひなしとていふはかりもなし。かいえんがもちたるもえ

さしをさらはすてもせで。もちながらなげあけられて

かうたうのゝきにうちはさむ。折ふし風はたにより吹

あげたり。かうだうののきに吹つけてやけあがりたり

 

 

20

九けんのかうだう七けんのらうか。たほうのたうもんじゆ

だう五ぢうのたうに吹付て。一うものこらずしやうくう

上人の御えいだう是をはじめて。堂塔やしろ/\のかず

五十四か所そやけたりける。むさし坊是を見てげん

ざいぶつほうのあたとなるべし。とがをだにをかしつる上

はまして大しゆのばう/\どもは。たすけをきてな

にゝかせんとおもひて。にしさかもとにはしりくだりた

いまつに火をつけて。のきをならべたるばう/\に一々

に火をぞ付たりける。たによりみねへそやけて行山をき

りてかけ作りにしたる坊なれば。なにかは一つものこ

らすやう/\残るものとては。石ずへのみ残りけり廿一

のみの時斗に。むさしばうはしよしやを出て京へそ行ける。

 

 

22

其日一日あゆみ其夜おあゆみて。廿二日のあさに京

へぞつきにける。其日は都大風ふきて人のゆきゝも

なかりけるに。べんけいしやうぞくをぞしたりけるなかひたゝ

れにはかまをばあかきをぞきたりける。いなにしてか上り

けんさよふけ人しづまりて後印の御所のついぢに上り。

手をひろげて火をとほし大のこえにてわつとをめきて。

ひかしのかたへぞはしりける。又とつてかへしもんの上につ

いたつておそろしげ成こえにて。あらあさましいかなる

ふしぎにてか候やらん。しやうくう上人の手づからみつから

立給ひししよしやの山。きのふのあした大しゆと修行者

とのこうろんによりて。堂塔五十四か所三百坊一時(じ)に

けふりとなりぬとよばゝつて。かいけすやうにうせ

 

 

23

にけり。いんの御所には是を聞召(きこしめし)なにゆへしよしやはや

けたると。はや馬を立て御尋ねあり。誠にやけたらばがく

とうをはじめとして。しゆとをゝひ出せとのいんぜんなり。

寺中の下へもかひて見れば一宇も残らすやけゝれば。

まつたくときをうつさず参りてちんじ申さんとてはせ上

り。いんの御所にさんしてちんじ申ければ。さらばざいく

わの者を申せと仰下さり。修行者にはむさし坊衆徒

にはかいえんと申。くぎやう是を聞給ひてさては山門

に有しおにわかゞ事ごさんなれば。是かあくじ山上の

大事にならぬさきにしづめたらんこそ君ならめ。かい

えんがあくじぜひなし。せんする所かいえんをめせ。かいえ

んこそ仏法王法のをんできなれ。しやつを取てきう

 

もうせよとて。津の国の十人こやのゝ太郎承て百きの

せいにてはせむかひ。かいえんをめして院の御所に参る

なんぢ一人がはからひか。くみしたるものゝ有けるかと尋ね

らる。さうもんきびしかりければとてもいきてはらはん

不定(ふちやう)なれは。日頃にくかりしものをいれはやとおも

ひて。くみしたる衆徒とては十一人まてそはく状にい

れたりける。又こやのゝ太郎はせむかふ所にかねて聞えけ

ればさきだて十一人参りむかふ。され共はく状にのせたり

とてめしをかる。ちんずるにをよばすかいえんはついにせ

めころさる。しゝける時もわれひとりのとがならぬに残り

をばうしなはれすば。しす共あくりやうとならぬとぞ

いひける。かくいはざるだにもあるべしさらばきれとて十一人

 

 

24

もみなきられにけり。むさし坊みやこにありけるが是

をきゝて。かゝる心ちよき事こそなけれ。いなからかたき思

ふやうにあたりとる事こそなけれ。弁慶が悪事は

てうの御祈りに成けるとて。いとゞあくじをそしたりける

 

  べんけい洛中にて人の太刀を取し事

弁慶思ひけるは人のちやうほうは子そとへてもつそ。お

うしうのひで平はめいば千びきよろひ千ちやうもつ。

まつらの太夫はやなくい千こしゆみ千ちやうがやうに

ちやうほうをそろへてもつに。我々はかはりのなけれは

かいてもつべきやうもなし。せんする所夜に入て京中

にたゝずみて。人のはきたる太刀千ふり取て我ちやう

ほうにせんと思ひ。よな/\人の太刀をうばひとる。しば

 

しこそ有けれ。当時洛中にたけ一ぢやうはかり有天

狗ほうしのありきて。人の太刀を取とぞ申けれかくてこと

しもくれければ。つぎのとしの五月(さつき)のすえみな月のはじ

めまでにおほくの太刀を取たり。ひぐちからす丸の御だ

うの天井にをく。かぞへみたりければ九百急十九こし

こそ取たりける。六月十七日五条の天神に参りて夜

と共にきねん申けるは。今夜の御利生によからん太

刀をあたへてたび給へときせいし。夜ふかければ天神

の御前(まへ)に出。みなみへむかひてゆきければ人の家のつ

いぢのきはにたゝずみて。天神へ参る人の中によき

太刀もちたる人をぞまちいたり。あかつきがたに成て

ほり河をくだりにゆきければ。おもしろくふえのねこそ

 

 

25

聞えけれ。弁慶是を聞ておもしろやさよふけて。天神

へ参る人のふくふえはほうしやらんおとこやらんよからん。

太刀をもちたらばとらんと思ひて。ふえのねのちかづ

きければさしくゝ見てみれば。いまだわかき人のしろ

きひたゝれにむないたを白くしたるはらまきに。こがね

作りの太刀の心もをよばぬをはかれたり。弁慶是をみて

あはれ太刀や。なにともあれとらんずるものをと思ひて

まつ所に。後にきけばおそろしき人にてぞ有ける。べ

んけいはいかでかしかるべき御ざうしは見給ひて。あたり

に目をもはなたれず木のもとをみ給ひければけしからぬ

うしの太刀わきはさみて立てたるを見給へば。きやつは

たゝものならず此頃都に人の太刀をうばひ取者は

 

きやつにて有と思はれて。すこしもひるまずかゝり給ふ。べ

んけいさしもけなげなる人の太刀をだにもうばひ取ま

して是ほどなるやさおとこ。よりてこはゞすがたにも

こえにもおぢて出さんずらん。げにくれずはつきた

をしうばひとらんとしたくして。弁慶あらはれ出て

申けるはたゝ今しづまりててきをまつ所に。けしか

らぬ人のものゝぐしてとをり給ふこそあやしく存じ

候へ。さうなくえこそとをすまじけれしからすば其太

刀こなたへ給てとをられ候へと申ければ。御ざうし是

をきゝ給ひてこの程さるをこのもの有とは聞をよび

たり。さうなくえこそとらすまじけれほしくはよりて

とれとぞおほせられける。さては見参に参らんとて太

 

 

26

刀をぬいてとんでかゝる。御ざうしも小たちをぬいてつい

ぢのもとにはしりより給ふ。むさし坊是を見てきじん

ともいへ。当時われをあひてにすべきものこそおほえぬ

とて。もつてひらいて丁どうつ御ざうしきやつはけな

げものかなとて。いなづまのことくにゆん手のわきへつと

入給へばうちひらく太刀にて。ついぢのはらいきつさき

うち立てぬかんとしけるひまに。御ざうしはしりよりて

ゆんでのあしをさし出して。べんけいがむねをしたゝかに

ふみ給へば。もちたるたちをからりとすてたるを取

てえいやといふこえのうちに九尺ばかり有けるついぢに

ゆらりととびのぼり給ふ。べんけいむねいたくふまれぬ

きじんに太刀とられたる心ちして。あきれてぞ太刀たりける

 

 

27

御ざうし是より後にかゝるらうぜきすな。さるをこの者

ありとかねて聞つるぞ。太刀も取てゆかんとおもへども

ほしさに取たると思はんするほどにとらするぞとて。つ

いぢのおほひにをしあてゝふみゆがめてそなげかけ給

ふ。太刀つつてをしなをし御ざうしのかたをつらげにみ

やりて。ねんなく御へんはせられて候物かな。つねに此

へんにおはする人と見るぞ。こよひこそしそんずると

も是より後にをいては心ゆるすまじきものをと。つ

ぶやき/\ぞ行ける。御ざうし是をみ給ひてなに

ともあれきやつは山ほうしにおてぞ有らんとおほしめ

しければ。山ほうし人のきりやうににざりけりと

の給へともへんじもせず。なにともあれついぢよりお

 

 

28

り給はん所をきらんずるものをと思ひて待かけたり。

ついぢよりゆらりととびおり給へはべんけい太刀う

ちふりてつとよる。九尺のついぢよりおり給へるとお

ほえしが。三尺ばかりおちつかて中(ちう)におはしけるが。又

とつて返しうへにゆらりととびあがり給ふ。大国のぼくわ

うはりくたうをよみ八尺のかべをふんで天にあかりしを

こそ。上古のふしぎと思ひしに末代といへ共。九郎御ざうしは

りくたうをよみて九尺のついぢを一とびのうちに中(ちう)

よりとび帰り給ふ。べんけいはこよひはむなしく帰りける

 

  よしつね弁慶と君臣のけいやくの事

ころは六月十八日なるに清水のくわんをんに上下さん

ろうす。べんけいも何ともあれゆふべのおとこ清水にこそ

 

有らんに参て見ばやとおもひて参りける。あからさまに

清水に参り惣門にたゝずみて待けれ共見え給はず。

こよひもかくて帰らんとする所に。いつものくせなれば夜

ふけて清水ざかのへんにれいのふえこそ聞えけれ。べんけい

聞てあらおもしろのふえのねやあれをこそまちつれ。

此くわんをんと申はさかの上のたむら丸のこんりうし奉

りし御仏なり。我三十三べんの身をへんじて衆生のねが

ひを見てすば。ぎをん精舎の雲にまじはりながくしやう

かくをとらじとちかひ。わかちにいらんものにはふくとくを

さづけんとちかひ給ふ。御仏なり。され共弁慶はふくとくも

ほしからす。たゝこのおとこの持たる太刀をとらせてたべと

きせいして門前にて待かけたり。御ざうしともすれば

 

 

29

いぶせくおぼしめしければさかの上を見あげ給ふに。かの

ほうしこそきのふに引かへて腹まききて。太刀わきには

さみ長刀つえにつき待かけたり。御さうし見給ひてくせ

ものかな又こよひも是に有けるやと思ひ給ひて。少も

しりぞかて門をさして上り給へば。弁慶たゝ今参り

給ふ人はきのふの夜。天神にて見参に入て候御かたにや

と申けれは。御ざうしさる事もやとの給へば。さてもち給

へる太刀をばたび候まじきかとぞ申ける。御ざうしいく

たびもたゞはとらすまじほしくはよりてとれとの給へ

ば。いつもこはことばかはらざりけりとて長刀うちふり

まくだりにおめいてかゝる。御ざうし太刀ぬきあはせて

かゝり給ふ。弁慶が大長刀をうちながして手なみのほど

 

をみしかばあやときもをけす。さもあれ手にもたまらぬ人

かなと思ひけり。御ざうしよもすがらかくてあそびたくあれ

ども。くわんをんにしゆくぐわんありとてうち行給ひぬ。

弁慶ひとりことに手に取たるものをうしなひたる心ち

するとぞ申ける。御ざうしなにともあれきやつはけなげ

なる者なり。あはれあかつきにてあれかしもちたる太刀

長刀うちおとして。うす手おふせていけ取にしてひとり

ありくはつれ/\なるに。さうでんにしてめしつるはゞ

やとぞおぼしめしける。べんけい此たくみをしらず太刀に

めをかけてあとにつきてぞ参りける。きよ水の正面

に参りて御だうの内をおがみ奉れば。人のつとめの

こえはとり/\なりと申せば。ことに正面のうちのかうし

 

 

30

のきはにほけきやうの一のまきのはじめを。たつとく

よみ給ふこえを聞て。弁慶思ひけるはあらふしぎや

な此きやうよみたるこえは。ありつるをとこのにくいやつ

といひつるこえにさもにたる物かな。よりて見んと思ひ

てもちたる長刀をば正めんのなげしの上にさしあげ

て。はきたる太刀ばかりもちて大せいのいたる中を御だ

うのやくにんにて候。とをさせ給へとて人のかたなも

きらはずをさへてとをりけり。御ざうしの経あそばし

てい給へるうしろにふみはたばりて立あがりけり。

みあかしのかげより人是を見てあらいかめしのほうし

のたけのたかさよとぞ申ける。なにとしてしりてこれ

まできたるらんと御ざうしは見給へとも。弁慶は見

 

つからず。たゝ今まではおとこにておはしつるが。女のし

やうぞくにてきぬうちかつきい給ひけり。むさしぼう思

ひわづらひてぞ有ける中とぜひなくすいさんせばやと

思ひ。太刀のしりざやにてわきの下をしたゝかにつきう

ごかして。ちごか女ばうかこれも参りにて候そあなたへ

よらせ給へと申けれ共。返事もし給はずべんけいされば

こそたゝものにてはあらず。ありつる人ぞと思ひ又

したゝかにこそついたりけれ。其時御ざうし仰られける

はふしぎのやつかなをのれがやうなるあつじきは。木の

下かやのもとにて申共ほとけのほうべんいてましま

せばきこしめし入られんぞ。かた/\おはします所にて

らうぜきなりそこのき候へとおほせられけれ共。べん

 

 

31

けいなさけなくものたまふものかな。きのふの夜より見参

に入て候かひもなく候そなたへ参り候はんと申もはたさ

ず。二でうのたゝみをのりこえ御そばへ参る人すいさんび

ろうなりとにくみける。かゝりける所に御ざうしのもち

給へる御きやうをおほとりてさつとひらいて。あはれ御経

や御へんの経か人の経かと申ける。されども返じもし給

はず御へんもよみ給へ我もよみ候はんといひてよみ

けり。

弁慶はさしとうに聞えたる地経者なり。御ざうし

はくらまのちごにてならひ給たれは。べんけいがかうの

こえ御ざうしのをつのこえ。入ちがへて二のまき半ぐわん

ばかりそよまれたり。参る人のえいやつきもはたとしづま

り行人のすゞのこえもlとゞめて是をちやうもんしけり。

 

萬々(ばん/\)せけんすみわたりてたつとさ心もよばす。しはら

くありてしる人のあるに立よみて。又こそ見参せめとて

立給ふ。弁慶是を聞てげんざいめの前におはする時

だにも。たまらぬ人のいつをか待奉るべき御出候へとて

御手をとつて引たてみなみおもての戸ひらのもとにゆ

きて申けるは。もち給へる太刀のしんじつほしく候にそれ

たび候へと申ければ。是はぢうだいの太刀にてかあんふまじ。

さ候はゞいさゝせ給へぶげいに付(つけ)てしやうぶしだいに給はり候は

んと申ければ。それならば参りあふべしとの給へは弁慶

やがて太刀をぬく。御ざうしもぬきあはせさん/\にうち

あふ。人これを見てこはいかに御坊の是ほどぶんないも

せばき所にて。しかもおさなき人とたはふれは何事

 

 

32

ぞ。其太刀さし給へといへ共聞もいれず。御ざうし上な

るきぬをぬぎてすて給へば。下はひたゝれはらまきを

ぞき給へり。此人もたゝ人にはおはせざりけりとて人め

をすます。女やあまわらべ共あはてふためきえんより下へお

つる者もあり。御(み)だうの戸をたて入じとする者もあり。

され共二人はやがてぶたいへひいておりあふて。たゝかひける。

ひいつすゝんず打あひける間。はじめは人もおぢてよらざり

けるか。後にはおもしろさにぎやうだうをするやうにつき

てめぐり是をみる。よそ人いひけるは抑(そも/\)児(ちご)がまさるか法しが

まさるか。いやちごこそまさるよ法しはものにてもなきそ。

はやよはりてみゆるぞと申ければ。弁慶是を聞て扨は

はやわれはしたになるこさんなれとて心ぼそく思ひける。

 

 

33

御ざうしも思ひきり給ふ。べんけいは思ひきつてぞうち

あひける。弁慶すこしうちはづす所を御ざうしはしり

かゝつてきり給へば。弁慶がゆん手のわきの下にきつさ

きを打こまれて。ひるむ所を太刀のむねにてさん/\

にうちひしぎ。まくらに打ふして上に打のりいて。さて

したがふやいなやと仰られければ。是もぜんぜの事に

てこそ候らんさらばしたがひ参らせんと申ければ。きた

るはらmきを御ざうしかさねてき給ひて二ふりの

太刀をとり弁慶をさきに立て。其夜のうちに山しなへ

ぐしておはしまし。きずをいやして其後つれて京

へおはして弁慶と二人して。平家をねらひ給ひける

其時げんざんに入はじめてより。心ざし又二つなく。身に

 

 

34

そふかげのごとくつきそひ奉り。三とせにせめおとし給

ひしにも度々(どゝ)のかうみやうをきはめぬ。おうしう衣河(ころもかは)

のさいごのかつせんまで御ともしてついにうちじにして

がるむさし坊弁慶これなり。かくて都には九郎よしつね

むさし坊といふつはものをかたらひて。平家をねらふと

聞え有けり。おはしける所は四条の上人がもとにおはする

よし六はらへこそうつたへたり。六はらより大せいをしよ

せて上人をとる。其時御ざうしおはしけれ共手にもたま

らずうしなひ給ひけれ。御さうし此こともれぬほどにて

あれ。いさやおくへ下らんとて都を出給ひ。とうせんだう

にかゝりて木そがもとにおはして。都のすまいかなひ

がたくおうしうへくだり候へ。かくて御わたり候へば万事は

 

もしくこそ思ひ奉れ東国北国のつはものをもよほし

給へ。よしつねもおうしうよりさしあはせて本意をとげ

候はんとこそ思ひ候へ。是はいづのくにちかく候へばつねに兵

衛佐(すけ)殿の御かたへも御をとつれ候へとて。木そがもとよりを

くられて上野(かうつけ)のいせの三郎がもとまでおはしけれ。是

よりよしもち御ともしてひらいづみへくだりけり。

 

  よりともむほんの事

ぢせう四年8月十七日によりともむほんおこし給ひて

いづみの判官かねたかを夜うちにして同十九日さかみの国

こはや河のかせんにうちまけて。とひのすぎ山に引こもり

給ふ。大ばの三郎またのゝ五郎とひのすき山をせむる。廿

六日のあけほのにいづの国まなつるがさきよりふねに

 

 

35

のりて三うらを心ざしてをし出す。折ふし風はげしくて

みさきへ舟をよせかねて。廿八日の夕ぐれにあはの国すの

さきといふ所に御舟をはせあげて、其夜はたきのくち

の大明神に御つや有てよどもにきせいをぞ申され

けるに。明神のしめし給ふかとおぼしくて御ほうでんの

御戸(みと)をいつくしき御手にてをしひらき。一しゆのyた

をそあそばしける

  みなもとはおなじながれぞいはし水。たれせきあげよ

くものうへまで。兵衛のすけ殿ゆめうちさめて明神

を三度はいし奉りて

  みやもとはおなじながれそいはし水。せきあげてたべ雲

のうへまて。と申てあくれはすのさきを立てばんどう

 

ばんざいにかゝりまのゝたちを出。こみなとのわたりして

なこのくわんをんをふしおがみ。すゝめじまの大明神の御

前(まへ)にてかたのごとくの御かぐらを参らせて。りやうしまに

付給ひぬ加藤次申けるはかなしきかなやほうげんにため

よしきられ給ふ。へいじによしともうたれ給ひて後は源

氏のしそんみなたえはてゝ。弓馬の名うづむて星霜(せいさう)

ををくり給ふ。たま/\もげんじ思ひ立給へば不運の宮

はくみし参らせて世をそんじ給ふこそかなしけれと

申ければ。兵衛佐殿仰られけるはかく心よはくな思ひ

そ。八幡大ほさついかでかおほしめしすてさせ給ふべきといた

めたまひけるこそたのもしくおほゆれ。さる程にみうら

のわだの小太郎さはらの十郎。くりはまのうらより小舟

 

 

36

にとりのりて。むねとのともがら三百よ人。りやうしまへ

参りてげんじにつく。あはの国の住人まちの太郎あんな

いの太夫是ら二人を大将として五百よきはせきたり

げんじにつく。げんし八百よきになりいとゞちからつき

てむちを上てうつほとに。あはとかづさのさかひなるつく

しうみのわたりをして。かづさの国さぬきのえだはま

をはせいそがせ給ひて。いそがさきをうちとをりてしのへ

いかいしりといふ所に付給ふ。かづさの国の住人 いほう い

なん ちやうぼく ちやうなん。うさ 山のへ あひかく は のかみのせ

い。つがう一千よきすへかはといふ所にはせきたつてげんじ

にくはゝる。されどもすげの八郎はいまだ見えす。わたくし

にひろつね申けるはそも/\兵衛佐殿のあはかづさに

 

うちこえて二かこくのぐんびやうそろへ給ふなるに。いまだひ

ろつねがもとへ御つかひを給はらぬこそ心えね給ふ。待(まち)奉

りて仰かうふらずは。ちがかさいをもよほしてきさ

うとのはまにそいむかひて。げんじをひきたて奉らんと

ぎする所に。藤九郎もちながかちんのひたゝれにくろかは

おどしのはらまきに。くろつばの矢おひぬりごめどうの

弓もちて。すげの八郎のもとにぞ来りける。かづさの介殿

にげんざんと申ければ兵衛佐殿の御つかひと申せば。

うれしくおもひいそぎ出あひてたいめんす御教書を

給りはいけんして家の子らうとうもさしつかはせよと

仰られんとこそおもひつるに。今までひろつねがをそく

参るこそきくわいなれとかき給ひたるをうらみて。あはれ

 

 

37

とのゝ御書かなかくこそあらまほしけれとて。すなはちちば

の介のもとへをくる。かさいとよたうらの守(かみ)かづさの介のもと

へはせよりて。ちばかづさの介を大将軍として三千

よき。かいほつのはまにはせきたりげんじにつく。兵衛

のすけとの四方よsきになりてかづさのやかたに着

給ふ。かくするほどにこそかへしけれされども八かこくは源

氏に心ざしあるくになりければ。我も/\とはせまいる。

ひたちの国にはしらとなめがたしだとうてう。さたけ

のべつたうひでよし。たけちのへいむしやの太郎。しほぢ

みちつな。かうづけの国にはおほこの太郎山かみさえより

の小太郎しげふさ。同喜三郎しげよし。たうにはたん

よこ山はせまいる。はたけやまいなけはいまたまいらず。

 

 

38

ちくぶの庄司小(を)山田のべつたうは。ざい京によりて参らす。

さがみの国にはほんましぶやはせ参る。大ばまたの山の内は

参らず。ちせう四年九月十一日むさしとしもつけのさかいな

るまつとのしやういち河といふ所に付給ふ。御せい八万九千と

ぞ聞えける。こゝにばんどうに名をえたる大河一つあり。此河

のみなかみは上野国とねの庄。藤はらといふ所よりおちてみ

なかみとをし。すえにくだりてはさいご中将のすみだ河とぞ

名づけたる。うみよりしほさしあげてみなかみには雨ふり

こうずいきしをひたしてながれたり。ひとへにうみを見るごと

く水にせかれて五日とうりうし給ひ。すむたのわたり

りやうしよにぢんを取てやぐらをかき。やぐらのはしらには

馬をつないでげんじを待かけたり。兵衛佐殿は是を御覧

 

 

39

じてきやつがくひとれとの給へば。いそぎやぐらのはしらを

きりおとしていかだにし。市河に参りかさいの兵衛につい

て。けんざんに入べきよし申たりけれとももちう給はず。かさね

て申ければいかさまにもよりともをそねむとおもふぞいせ

の加藤次心ゆるすなと仰られける。江戸の太郎色をうし

なひける所に。ちばの介きん所に有ながらいかゞ有べき。なり

たね申さんとて御まへにかしこまつてふびんの事を申けれ

は。すけ殿仰られけるは江戸の太郎八かこくの大ふく長者

ときくに。よりともがたせい此二三日水にせかれてわたし

かねたるに。みづのわたりにうきはしをくんでよりともがせ

いをむさしのくに。わうしいたばしにつけよとぞの給ひける。江戸

の太郎承はりてくびをめさるゝ共いかでかわたすべきと申

 

處にちばの介かさいの兵衛をまねきて申けるは。いざ

や江戸の太郎をたすけんとて両人がちぎやう處。いまいく

り河。かめなしうしゝまと申所よりあまのつりふねを数千

ぞうのぼせて。いしはまと申所は江戸の太郎かちぎやう

所なり。おりふしさいこく舟のつきたるを数千ぞうあつめ

三日のうちにうきはしをくみて。江戸の太郎にかうりよく

す。すけ殿御覧じ神妙(しんへう)なるよし仰られ。さてこそふとひ

すんたうちこえていたはしにつき給ひけり。

 

  よりともむほんにより義経奥州より出給ふ事

さる程にすけ殿のむほん奥州に聞えければ。御おとうと

九郎よしつね。もとよしのくわんじややすひらをめしてひで

ひらに仰けるは。兵衛の介殿こそむほんをおこして。八か国

 

 

40をしたがへて平家をせめんと都へ上り給ふと承て候

へ。よしつねかくて候こそ心くるしく候へばをひつき奉りて。

一かたの大将軍をものぞまはやとぞ仰られける。ひでひら

申けるは今まで君のおぼしめしたらぬ御事こそひ

が事にて候へとて。いづみのくわんじやをよびてくわんとう

に事出き。げんじ打出給ふなり両国のつはもの共もよ

ほせとぞ申ける。御ざうし仰られけるは千ぎ万ぎもぐそ

くしたく候へども事のびてかなふまじとて打出給ふ。とり

あへさりければまづかつ/\三百よきを奉りける。御ざうし

のらうどうにはさいたうのむさし坊。又をんじやうじのほう

しの尋ねて参りたる。ひたち坊。いせの三郎。さとう三郎

つきのぶ。同じく四郎たゝのぶ。これらをさきとして三百

 

よき馬のはらすぢはせきり。すねくだくるをもしらず

もみにもうではせ上る。あつかしの中山はせこえてあだち

の大きうちとをり。ゆきかたのはらしゝちを見給へば。せい

こそまばらになりたるぞと仰られけるに。あるひは馬

のつめかゝせあるひはすねをはせくだきて。せう/\み

ちにとゞまり是までは百五十き御ざ候と申ければ。

百ぎが十きにならむまでもうてやものどもあとを

かへりみるべからずとて。こゝろかけにてあゆませける。きつ

かはをうちすぎてさけはしのしゆくに付て馬をやす

めて。きぬ河のわたりしてうつのみやの大明神ふしお

がみ参らせ。むろやしまをよそに見て。むさしのくにあだ

ちのこほり。こかは口につき給ふ。御ざうしの御せい八十五

 

 

41

きにぞなりにける。いたばしにはせ付て兵衛佐殿は

ととひ給へばおとゝひ是をたゝせ給ひて候と申。むさし

のこうの六所(りくしよ)の町に付(つき)てすけ殿はと仰ければ。おと

とひとをらせ給ひて候。さがみのひらづかにとぞ申け

る。ひらづかに付て聞給へばいやあしがらをこえ給ひぬ

とぞ聞えける。いとゞ心もとなくてこまをはやめてう

ち給ひけるほどに。あしがら山うちこえていづのこくふに

付給ふ。すけ殿はきのふこゝを立給ひて。するがのくに

千ぼんの松ばらうきしまがはらにと申ければ。さては

ほどちかしとてこまをはやめてぞいそがれける

 

義経記巻第三終