仮想空間

趣味の変体仮名

伊達娘恋緋鹿子(八の巻)

 

読んだ本 https://www.waseda.jp/enpaku/db/  
     イ14-00002-513

 

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   八の巻
刑罰の場所と名にふる鈴の森 歎きを爰に持運び積み重ね
たる柴薪 首鉄(くびがね)鎖からみし柱かう/\と立てたるは 物凄くも又いまはし
余所の哀れも 我人の身の戒めと諸見物 爰やかしこに寄りたかり
江戸中で今小町と噂した能娘を アノ柱に猿繋ぎ 焼き松茸する様に
四方から蒸し焼とは 惜い事じやないかいの サア夫レも其松茸が杉菜から
外の嫁菜に茄子(なすび)を嫌ひ 思はぬ罪をつくね芋 憎ひのは相人の小姓 どこに

きよろりとしておるぞい イヤ/\小姓も涙にむせて居よ かけ構はぬこちらさへ 鬼(ほう)
灯(づき)の様な涙がこぼれる ヤまだお仕置は遅かろの ヲゝ町々を引抜きされゝば もそつと 
隙が入らふかい 不覚(さめず)で一盃して来ふか 夫レもよかろと口々の噂たら/\゛打連れ行
久兵衛夫婦は歩行徒跣(かちはだし)せめて死目に余所ながら 暇乞をと気はせけ
ど 歎きに足も引き兼て杖を 力に?(漂にりっとう・たどり)着き 火罪の備へ見るよりも はつと目
も暮れ心消へ 尻居にとふど伏転(まろ)び暫し詞の出ざりしが 漸に起上り 女房
を劬(いた)はり抱き起こし 常からも気の弱ひそなた 娘が仕置に合ふを見たら 其儘


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気かな取り失はふ 内に居やと云ても聞かず跡を追て三里の余 夜の内
から走り通し 殊に二三日は物も喰はずに 可愛ひ子が苦しむを見て 命も
せもたまる物か アノ拵へを見たりやもふ娘に逢たも同然 サアそろ/\と先へ
逝にや おれはお七が臨終を 余所ながら勧めの題目 二人前を唱る程に 先へ/\
と引立れど 動きもやらず声曇らし 胴欲な事云しやんす 親子一世の別れ
じや物 死目に逢ずにどふ逝なれふ 所詮泣き死にするわしが命 娘が最期の
此場所で 気を取失ふて死ぬるが望み 親子手に手を引合て 冥途の旅を

しますはいの 思ひ廻せば廻す程 聞くへませぬ九兵衛殿 元は主でも家来
でも こな様の女房を路頭には立られぬの 譲りの家は潰さぬのと 堅意地
な心から いやがる所へ無理やりに嫁に極めた斗(ばっかり)に 一人の娘を生きながら火の地獄へ?(はめ)る
のは 訴人の武兵衛が業(わざ)じやない 皆親々の所為(しはざ)じやと 可愛や恨んで居るで有ろ
親は神にも仏にも譬た物をいぢらしや 小家一軒立ふ迚好んでした逆様事 いかな鬼
国畜生国 三千世界を尋ても こんなむごい胴欲な 難面(つれない)親が有ふかと
かつぱと伏して泣沈む ヲゝ道理じや尤じや 斯ならふと知たらば 浮世の義理も


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外聞も打やつて 親子三人橋の下に暮すなら けふの歎きは有まい物 神ならぬ身が
怖しい 思へば/\前世(さきしやう)の 敵同士が親と子に 生れて来たととふと伏供に 涙に
くれ居たる 町の名主与三右衛門杉を引連れかけ来り 夫婦共に夜の中から見へぬと
いふて 町内は上を下 可愛や杉も気違ひの様に成て捜す故 大方爰へと
云たれば お二人を迎ひがてらお七様の顔も見たいと 逹ての頼みは ア神妙なと連れ立て
迎ひに来ました 歎きは至極尤じや が最アレあそこへ先払ひの役人衆 中々爰
に置きはせぬ 杖棒一ついだゝいても恥の恥 人立ちの中に紛れて 馬に乗たお娘の顔

見るが本の暇乞 ひよつとあついの目にかゝれば 未来の迷ひ今端の未練
仕置を見ずに逝るが子の為 兎角跡の香花が大事 ソレ杉手を引て進じや サア
立たしやれと 供々に介抱すれば夫婦はよぼ/\ ア遠方を御苦労に いかいお世話に預り
ます シタガどふやらかうやら立は立たが 一足も引きにくひ ヲゝ其筈でござんす わしもね
から歩行(あるか)れぬ お道理でござります 私も爰迄どふして来たやら 夢の様なお七の
けふのお仕置 是はしたり夫婦の衆に力は付けいで 其方(そなた)迄泣て済むか サア/\歩行(あゆま)
しやれ と夫婦を肩 久兵衛は打見やり 此柴薪の中には 梅もあろ 桜も有る


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浅香上野の春毎の花見に娘を慰めた 梢もけふは火桜と 我子を焼くか
怖(うらめ)しやと 杖ふり上て丁々々 打や現の世の中に夢幻しのはかなきは 生老病死
の苦しみと 思ひ白髪の雪霜と 消ぬ命の怖しく せめて我子の未来の
為と つまぐる数珠の玉よりも 落る涙に見へわかぬ 道を漸なく/\も辿りついて
かしこに休らひぬ 跡へもや/\見物群集 夫々そこへもふ来たはと 騒ぐ多人数右
左 追退け/\先払ひ 仕置の場所へ入来る むざんやお七は最期場へ 引かるゝ姿
しよんぼりと 雨に霑(しほ)るゝ海棠の 眠れるごとく座に直る 長芝栄蔵囚人(めしうど)

に打向ひ 盗賊家焼きの類ひに違ひ 半鐘を打たる斗に重き死刑に行はるゝ
事 厳重過ぎたるお仕置と 理非をわかたぬ女心に 定めてお上を恨んなれど 先達て
触れ置たる御法度を背いたる科に 事に似て小事ならず 女童迚大罪を赦されぬが
御政道の表 何事お宿業と諦め 潔く仕置を請よ 云置度き事有らば心置か
ず申残せと 仁慈に余る情の詞 お七は重き顔を上 姫ごぜの大胆から どなた様にも
たんと御苦労かけまする 御法度を背いた科 斯なるは覚悟の前 何しにお上を恨み
ませふ 心残りも云置く事もなけれ共 今はの名残にたつた一目顔が見たいは爺様かゝ様


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恋しい人は若しや若し群集の中には見へぬかと 伸上れ共泣腫れて ?(くらむ)目先に夫レ
ぞ共 見へぬかしらぬか コリヤ娘 お七イのふ 爺も嬶も暇乞に来たはいやい 杉も来
ておりますはいのふと声をはかりに叫べ共 群集の人声かしましく 聞へぬつらさ悲しさ
に 気をもみ上て九兵衛夫婦杉も諸共眩暈の体 なむ三宝と与三右衛門気付け
よ水よと気をいらてば そりやこそ眩暈じやいとしやと 傍りの見物介抱し遥の外へ
連れ退きけり お七はやう/\なみたを拭ひ 御見物の何れも様 年も行かい
で二親の 目をくらまして徒した 罰であの形よい気味と 嘸お笑ひと思へ共 煩悩

菩提と思召し 憎いばがらも口々に 御回向頼上まする 生れ付たる気瑞の上 蝶よ
花よと親々の 御不便にあまへ過ぎ 勿体ないお寺の内 色に穢した身の罪科 仏
の御罰(ごばち)今目の前 浅ましい死ぬを致します 若い娘御有るお方は 私が身の果よい
手本 歌舞伎芝居の色事の 咄しかうじて千話文(ちわぶみ)の 転業がツイ真事(ごと)
徒事の橋渡しと 御異見なさるゝ度毎に お七が悪名口の端に 云出されて
も末の世に 娘御方の身の為と 成が責ての罪ほろぼし 此世の地獄は遁れ
ずと 後世(ごせ)を助かる種ぞやと はかなき願ひをくどき泣 余所の見るめもいぢらしし


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吉三郎は逸散走り足に任せてかけ来り 群集(むらがる)見物押分け引分け 閉じたる紂馬(?やらい:柵)
に縋り付き 此吉三故非業の死 むざんや可愛や残念や そなたの影で主人
は御帰国 吉三も親の家を立れど 恩有る人を苦しい最期 思へば/\わしが身は そなた
の為には仇敵 親々達も嘸や嘸憎い共怖し共づだ/\にも切さかろ 何の因
果に悪縁を 結んでこんな死恥をと 人目も恥ず男泣 前後不覚に見へにけり
お七は更に夢心地 ヲゝよふ来て下さんしたのふ 今死ぬるせつない中でも お前の事
お思ふて泣て斗居たはいな お願ひ叶ふてお主といつしょに 世に出てさへ下さんすりや

わしや思ひ置く事ない 云号のお雛様と中能ふ添ふて 筐と思ひ 爺様やかゝ
様の事頼みます 千年も万年も 随分長生遊ばして 未来は必女夫に成て
下さんせ わしや先へ行て蓮華の上 半座を分けて待て居るぞへ ヲゝいやる迄も
ない 未来は扨置き後々(ごゝ)百生(しやう)生きかはり死にかはり 長い夫婦のしるしは是と 何の惜
げも 涙ながら 切て差出す鬢の髪 供に哀れと情け知る 下役人は取次いで
お七が衿に差入るれば ヘエゝ嬉しうござんす吉三様 此髪を肌に付ければ わしや独り
死にはせぬ 女夫連れて行くと思へば 冥途の旅のよい楽しみ 早ふ死たふござんする 去


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ながら 何ぼ覚悟極めても 苦しい最期に取乱し 恥しい形を見せたらばひよつとあい
そがつきやうかと わしや死ぬるより夫レが悲しい サア/\早ふ逝で下さんせ 顔見るさへしやに 此
様に詞迄かはしたりや もふ本望でござんすと 思ひ切たる心にも 名残を
惜しむ目は涙 長芝始め諸役人 見物群集一同に絞る袂は雨露の
恵みに枝葉はびこりて お七が最期に睨みの松と一(ひと)木に 浮名を
残しけり すは早仕置と諸見物回向の声々騒ぐ中 押合ふ人中幸いと
頬(つら)を隠して軍右衛門 恋の敵の吉三郎唯一打とねらひ寄る 両(もろ)足かいて丁

稚の弥作 背骨を押さへ高手小手 引ずり来りし太左衛門 同じ縄付き役
人の目通りに引据て 太左衛門が白状致した 軍右衛門と申す悪人の大将と 申上れば
長芝栄蔵 ホヲゝでかした/\ 吉三郎に暇乞を赦せしも 其軍右衛門を
釣り寄せん為 此方にも先達て白状の科人有り 夫々訴人の囚人(めしうど)早く/\
と声の下 悪の報ひは万屋武兵衛切縄かけて引出す 軍右衛門が
頼みとは云ながら 儕が敵に天国の釼を盗み 夫レ故に諸方の難儀 其
罪遁れず武兵衛は獄門 様子をしつて方人の太左衛門は打ち首 軍


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右衛門は吉三郎国へ引て成敗有れと 理非明白の取捌き お七
吉三が恨も晴れ 未来の迷ひも明らけく院に斯ふよと見へ
たる所へ 暫し/\と声をかけ渡邉左近一番に馳来り 扨も此度天
国の御釼差上し事 偏にお七か働きと御感の余り 罪科をゆ
るし 江州高嶋へ流し遣し 二人の者は早く成敗いたすべしとの勅
諚なり 正しき御代の御政道 治る国の伊達娘 恋の緋
鹿子色はへて来世に かたり伝へけり