仮想空間

趣味の変体仮名

傾城阿波の鳴門 第一


読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
     ニ10-01136


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傾城阿波の鳴門   座本 近松門左衛門

 第壱
唐(から)の七賢 ?廣(しうくはう)阮籍(きせき)元咸(げんかん)向秀(しやうしう)王戎(わうじう)山濤(さんとう)
列伶(れつれい)思ひ/\に出立て 離山(りさん)の麓 長林竹(ちやうりんちく)に会合
あり 「種々の遊宴たのしけれ ?廣各(おの/\)に打む
かひ 誠や琴侍酒(きんししゆ)の三つの友 あら面白の気色(けしき)やな
竹の林に猛虎住み 地中は龍の住家(すみか)といへ共 此七賢は


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異(こと)かはり 竹中(ちくちう)に酒を愛して蛇呑(じやのみ)といふ 異名も殊にこつぷ
の盃酌(くみ)かはしたる不老不死 さいつ押へつ盃の間(あい)の手元を見
ての間(あい) 廻る酒宴に唐歌の ちやんほんりんとん すべろんちや ぶく
すい べい/\ひん/\ろじつ/\ はい/\すべい ろんびん/\ えい/\さ
諷ふしやうがのあやもなき サ是からは拳(けん)酒と又つぎかけて呑(のめ)や
諷へや糸竹の 縁に雀の一踊 拳を拍子の踊ぶり ムテ チエイ
ロマ ヤツトセイヨイヨイ ウ キウ ムテ ヤツトセイヨイヨイ ゴウ

チエイ パマヤツトセイヨイヨイ こんな踊が日本にあろか 有は既(き)
籍(せき)が懐中と 一巻を取出せば 六人立寄さら/\さつと押披(ひら)き 立別
れ読む有様は 屏風襖の絵そら云(ごと) 嘘八百の文言と笑ふに 太夫
引舟禿 ばら/\/\と走り寄 ?廣す エゝ憎(にく)と捻(つめり)擲(たゝか)れあいたしこ 是
は七賢けんによもない 赦せ/\と逃廻れば 亭主九八押へだて アゝ申高
雄様 お恨は御尤 是は一番我抔が貰ひと いへ共太夫はイエ/\/\ 此間から心
のたけを書た文 一つに継で嘘八百のと今のしだら わたしや腹が立わいなァ


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ヲゝ太夫すのが皆道理 私迚もノウ三弥 アイ私も供にと立かゝればアゝ
コリヤ待て/\ わしは真実に思へ共 此末社の賢人共が おだてかけての口拍子 祭
の俄 下稽古 もふ七賢人取置て 中直しに奥座敷て酒にせう かん
にん仕やといふに太夫は嬉しさの 笑顔に取付く牽頭持(たいこもち)サア御機嫌が直
つたぞ九八様 いかにも/\ 東(たう)助 西助 佐渡七弁助大助合点か 合点じや
/\ 旦那太夫しお先へ/\手を引合て先に立つ 跡に皆々声揃へ七賢人じや
西楽人じや 俄じや/\/\と騒ぎ立てぞ奥ざしき 廓賑はふ大紋日 機

嫌も吉原巴屋に居続け遊びの大名客 玉木衛門之助が大騒ぎ 美麗輝く
燭台の 火数まばゆき有様は暉見城(きけんじやう)共いひつべし 大名風も打砕け 姿衛門も
しどけなく 太夫末社を引連て 皆々座敷に入来り サア/\是から酒にせう ソレお銚
子 お盃 中居の政が会釈こぼしてつぎかくれば ヲツトこりや強い酌 にくさも憎し助て
くれ ソリヤ大将の御無理が出た したが憎けれど 助けて上いと 無息にずつと呑み自慢 テモ
けなやつと引受て サア太夫 中直りの盃と さらりと呑で指す盃 高雄取上下戸の
気さんじちよつと受 中直りの盃は済だれど 堅けれ共お慮外なからと 指しかゝれば次の間より


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しばらく/\其間を仕らふと 襖押明けいか物作り一腰ぼつ込 胸に一物邪面(いがみづら)のつた/\
と入来れば たいこ持もじ気味悪く 座敷の興も覚にけり 衛門の助身繕ひ ムン
ついに見馴ぬ男 太夫が間(あい)を好むは様子あらん マア其方は何者成ぞ アイ此やらうめ
は 蛇河(じやが)の団八といふ者でえんす ムンシテ此座敷へは何用有て踏込だ サア/\子細を
語れと 気色するどく見へければ 団八は猶強付(こつき) イヤコレこはい顔さんすないの 阿州の
大名玉木衛門之助殿でも 此廓へ入込は わしらと同じ客揚屋のざしき酒間をす
る事は ならぬ法でごんすかなと 物工(たくみ)成詞の端 衛門之助推量し じつとおさへる

胸の中 こらへず中居が引取て コレ申 お近付でもないお方 頼もせぬに間(あい)せふとは ヲゝす
かん お前はほんに梶原平次 間をせふとはそりやむりじや 横間から指出ずと だまつて去(いん)
で下さんせ エゝあたやかましう囀るまい そもじにや構はぬ 今の跡をいふて聞そふ高がかう
じや 此高雄を見初てから 我抔首尺(たけ)は愚か四五尺をまだ其上 登り詰た梯子の曲が 軻(あきれ)
て居るぢやけれ共 こなんが昼夜の揚詰 おれが手には廻らぬ故 けふ此座敷へしかけたは
太夫を貰(もらひ)に来たのじや こふ団八が云出すからは 金輪際貰ぬく 衛門殿 下あれ/\貰
たと 腕まくりする竪横縞 並いる者もあぶ/\と 手に汗握る斗なり 衛門之助


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詞を和らげ ハテ思ひ寄らぬ事を聞 成程太夫に夫(それ)程執心ならば 其方に遣はそふといひ
たいがマアならぬ 身が寵愛の此女 殊に見受も今日相済み 今晩身が屋敷へ
連帰る 夫に何ぞや 下郎の分際で 身が座敷へ踏込慮外者 生け置かぬ奴なれ
共 遊興の妨げにもなれば今は赦す 叶はぬ願ひ早帰れと きつと答ふる鸚鵡返し イヤ帰る
まい 是非太夫を貰にやいなぬと 聞より中居はむしやくしや腹 コレ夫は餘り長(ちやう)であ
らふ あなたのお慈悲有がたいと思ふて 早ふいなんせ あたいやらしいあの顔わいと 恥しめられ
ても蛙の面 そふいへばもふ腕づく サア衛門くれる気か 今一言いへ聞ふと 場所のあしきを

付込で 喧嘩しかけの面魂 たいこの佐渡七押隔て アゝ申/\団八様 最前から旦那のお
つしやる事を 打消ておつしやるは きつい御無理 かふ座敷がしらけては 私が商売たいこ持も
上つたり 御機嫌直して一つ上つてお帰りなされて下さりませと 佗る程猶付上り そりや
何ほざく うぬらが知た事でない 似合た様にすつ込でけつかれと立蹴にかゝる足首捕へ
ハテ聞分けのないお方 何ぼたいこ持じや迚同じ人間 お前のお脚(すね)でけらふとは そりや余りお
胴欲 足元のあかい内 此お脚の満足な中(うち)に 早ふお帰りなされませと 足首しつかと痛む
れば 顔をしかめて アイタゝゝこりや痛いがな/\ 巳りやコリヤ手向ひをひろぐな イヤ手向ひじやな


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い足向ひじや アイタゝゝたいこ持に似合ぬ こりや手ひどいめに合しおつた モウ堪忍がならぬはと ずは
と抜て切かける 腕首掴でねぢ上る 最前から詞甘い中に帰れば こんな痛いめに合さ
ぬ 御名を出されぬ遊里のお慈悲 腰骨に覚へたかと 蹴飛す早業向ふへ軽わざ
間拍子もよいたいこ持 頓作もよき男也 団八漸起上り 腰をかゝへて アイタゝゝこりや
又ふくりんかけたな 云分の有やつなれど 了簡していんでこますは 巳(おのれ)腰骨によふ覚へ
たぞ 必覚へてけつかれと ちんが/\達者な物は口目玉 痛々もにらみ付け足を引ずり帰り
ける ヲゝ佐渡七出かした/\ たいこ持に似合ぬ働 そちは見上た者じやなァ ハイいやもふ二才

の時からの ほで転業が過ての此身分今のお役に立と申も 芸は身を助くる程な
不仕合せと申す様な物でござりまする いかにも/\コリヤ当座の褒美と山吹色を投出
す エゝ有難しと戴けば エゝ埒もない奴はうせおつて 興がさめた 気をかへて 離れ座敷で呑
直そふ そりやこそ旦那の御出じや 中居衆頼むぞ ヒンヨイヨイ亭主がしやべるは ヒンヨイヨイ打
連て「こそ入にけり 既に其日も黄昏に 人影闇(くらき)樹木のかげ 切戸をそつと押明けて
忍び来るは以前の団八 跡に続て定九郎 内の様子を見廻す所に 時分を窺ひ奥より
そつと佐渡七が 傍(あたり)に気配り立出て 三人見合せ點(うなづ)き指し足庭の辺に立留り 定九郎


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小声に成 コリヤ佐渡七 そちも知る通り小野田郡兵衛殿に頼まれて 衛門之助を殺す
契約 然る所此間より此廓に居続けの大騒ぎと 声を幸い其方を頼み置たれ共 吉左右(さう)心元
なく 此団八を最前入込したが 何として殺して仕廻はぬ 様子はいかゞと尋れば 佐渡七も指寄
て 成程御頼み故昨日より座敷を勤め仕課(しおほせ)たれば大金 殺すに油断は致さね共 昼夜共
末社を集めて大騒ぎ 附々(つき/\゛)が多ければ只今迄の延引したが又どふして衛門之助殿を殺し
てお仕廻なさるゝ 様子が得(とく)と承りたう存じます ヲゝ成程不審尤 殿衛門之助一国の主と
して 酒宴遊興に長じ 身持放埒妾(おもひのめ)は其数知れず 夫のみならず国中の?(みめよき:女へんに成)娘を

かり集め 或は後家がりなんどゝ金銀を費し 様々と奢りを極め 所詮生け置ては我々が
望も叶はず 郡兵衛殿と申合せ密かに殺す思案 子細といふは此通りと 我身の欲を尤
に云ならべてぞ物がたる 佐渡七は打點き ムン夫で様子が知れました したが最前団八様
見へたれ共 あの手じやいかぬと思ふた故 実事仕(じつごとし)を見しらかしたりや呑込で 投られさんした
其ぎばの甘(うま)さ イヤモウ芝居の敵役にしても金じや/\と 誉れば図に乗りイヤ下地が有る
宮嶋の芝居も一年働たてハゝゝ 扨衛門之助も今夜中にいぬる様子 殺して仕廻ふ思案
はないか サアいつその事呼出して コレ此相口で ぐつさりいはしてシイ声が高い 此定九郎が極上々の思


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案有て忍び入た ムウシテ其御思案はと夕月夜 泉水の金魚をすくひ手(てう)
水(づ)鉢に写し入 コリヤ此様に勢い能き金魚なれ共 殺す思案はコレかふと 懐中より薬取出し 水に
そゝげばこはいかに 働く魚も忽ちに色を変じて死てけり 二人の者は軻れ顔 ハテ奇妙 シテ此薬
は ヲゝ是こそ唐の蓍玉(ぎぎよく)が伝ふる毒薬 此薬を酒に入衛門之助に呑せ 殺して仕廻へば手
間隙入ず 併し仕損じまい物でもなし 団八は大門口に待伏して 衛門之助が帰るを待て只一打 爰
で逃さば出口で討取 両方遁さぬ鎹(かすがい)思案と聞より団八できた/\ 然らば佐渡七能い吉左
右を待て居る ハウツト斗に団八は大門口へと出て行 コリヤ佐渡七 此妙薬はそちが気転で 合

点かと 渡せば受取お気遣なされますな 今宵の中に ヲゝでかした 身共が顔を合しては後日
の邪魔 身は座敷へ罷帰る 随分ぬかるな おさらばさらばと 手筈を極め定九郎 切戸より立
帰る 跡に佐渡七一工夫 奥を窺ふ其折柄 爰へ来るは衛門之助是幸いと佐渡七は 勝手
へ急ぎ行跡へ 奥に末社を留め置て 高雄伴ひ 衛門之助は立出て コレ太夫 今奥でとつくり
と咄した通り そなたと肌ふれねられぬといふ訳は 肌身を放さず所持していやる大切な一(ひと)品
其訳さへ納まらばハテ其時はどふ成り共 合点がいたか アイとつくりと合点が参りました 忝ふござん
すと 何か二人がしめやかに 咄す間に佐渡七が銚子盃持て出 コリヤ旦那手が悪い 私抔を


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おまきのかばやき 太夫すとお二人甘(うま)いな/\ 甘い次手に何と爰で一つ上りませぬかと 口は諸白(もろはく)心
は悪酒 酔しかけてぞ進むれば ヲゝ是はよふぞ気が付た サアそんなら一つ呑ふかい サア一つつげ さらばお酌
とつぎかくれば一つ受け 何か思案し イヤ/\直(すなを)に呑では面白ない サア一拳せふ ハテマア一つ上つてから 跡で一
拳致しませふ イヤ/\どふやら呑に拍子がない サア/\是非に一拳と いふに違背も何の其 込付け
て呑さんと サア参りませふ ロマ チユイ ハマおつと三拳サア勝じや 佐渡七呑めといはれて
恟り エゝアノ此酒を私に ヲゝ拳に負たりや知れた事 アゝイエ/\めつそふな是を呑でたまる物てござ
りますか ムンすりやよふ呑ぬじや迄其筈/\ コリヤ佐渡七 此酒に毒薬が入って有ふが

なと 星をさゝれて何と イヤしるまいと思ふか 最前の物語皆聞た 遁ぬ所覚悟せい エゝ仕廻ふた
見顕はしたれば百年めモウ是非に及はぬと 相口引抜き突かくれば 衛門之助身をかはし 刃物もぎ取り
縁より下へ蹴落せば コリヤ叶はぬと佐渡七は 息も切戸にかけ出て 逸散にこそ逃て行 此物音
に亭主末社ばら/\と走出 様子を聞より廓の見せしめと 追かけ行をコリヤ待て/\ 詮議の有
奴なれ共 身が存る旨有ば逃がせ 何もかもおれが心に取ている/\ 併太夫が見受は日中
に相済 此所に長居は無用 ナニ亭主 太夫を連てモウ帰らふと いふに九八罷り出 夫はお名残
惜う存まする去ながら此間からの大騒 世上での取ざた 申管領(かんれい)の御耳へも入た様な噂


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いか様もふお帰りなされたもよふござりまする ヲゝそふなうてもいぬる心 サア太夫おじやと立上れば
そんなら旦那 又近々に御来臨を 松の位太夫様 随分おまめて/\と たいこ中居も口々に 名残
を惜む暇乞 高雄も供に尽せぬ思ひ お前方も御無事でと 馴染涙の袖の露 衛
門之助気をかへて 皆も随分まめで居い 又月見には太夫を連て大騒と 大風にはい/\/\と亭
主かそゝり コレ/\たいこ衆 大門口迄七賢人のはやしでお供はコリヤよからふ サア/\お立と浮れ立皆々
打連騒ぎ行 所は名におふ大門口 出口の柳夜の風 乱騒し折空に団八は宵よりも 佐渡七が
しらせをば 今や/\と待つ所に 息を切て佐渡七は 命から/\゛逃来れば ヤア佐渡七か 宵からほつと

待ち退屈 首尾はどふじや アゝイヤモ首尾さん/\゛ 思ひの他手強(つよ)いやつ まだ其上に客に刃向ふ大
それた狼藉者 廓中への見せしめと 私が宿を叩き上。方々と詮議する。モウ爰には居られませぬ
こなんの宿に隠れて居る 跡は貴様のお働き頼む/\と云捨て 足早にこそ走り行 エゝ埒もない よ
い/\何でもおれが一手柄と 堅唾を呑で大門の傍(かたへ)に忍び待居たり 斯共しらずうてんつ
てん 唐楽の音のはやし物 先にしづ/\舁出す 俄ねり物七賢人 待ち儲けたる団八が駕(かご)を目
充(あて)の手練の手裏剣 目充違へず打込で スハ狼藉者遁すなと 呼はる声に団八は
しすましたりと逸散に 跡をも見ずして逃失せたり 斯と聞より高雄はあはて走り寄り ノウかなしや


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衛門之助様 お心はいかゞぞと 駕の左右を引上て 見れば内には着替の風呂敷 是はと驚く後ろより 衛門
之助は爰に居ると 七賢人の出立にて ぬつと出れば又恟りヤアお前はそこにござつたかと 悦ぶ中
にも不審顔 ヲゝ合点の行ぬは尤々 宵に来りし団八と佐渡七両人云合せ 我を討ん面魂
我帰るを待伏し かゝる狼藉あらんと思ひ そなたを跡から 駕の中なは我等が身かはり 漢
の紀信がはかりこと 今ははゞかる人もなし 我身は駕に打乗て 太夫を先に道中や 廓を
ぬけしかごの鳥 跡に残りし友千鳥 大鳥大名大門口別れて こそは「帰りけれ