仮想空間

趣味の変体仮名

薩摩歌妓鑑 第十

 

 読んだ本 https://www.waseda.jp/enpaku/db/

      ニ10-02059


73(右頁4行目)
  第十 掟の段       
むざんやな五々作は 身の罪科に我が名も 姿も埋む畑中 しかも頻りに雨の夜や 責め
苦を受くる水責も 天の咎と観念し 娘につるゝ縁の蔓 西瓜畑の西向は自然とかゝる
はた物に さもいまはしき所の掟目もあてられぬしだいなり おまんは漸源太郎が 手を引き爰に

走り付 一目見るより胸せまり物も得云はず息切し かさ指おくれどしだらでん 涙の雨の我が身
に かゝる親持娘となる報ひは何の因果ぞと 思はずしらず声立てわつと斗に伏沈む 雨
のおやみと娘の声に 五々作は目をひらき おまんか 源太か エゝ面目なし かふしたざまを見せまいと
色々に嘘ついて 百姓衆迄頼み 娘へもさたなしに埋づんで下され 今夜の七つには聟の出世の
門出 此様な浅ましい姿を見せまいと 様々に心を砕けど悪事千里 コリヤこれが事は構はず共
孫連れていんでくれ 源五兵衛殿の出世は 源太が出世 殊に寝冷して居る坊主め かはい
そふに此降るのにはだしつるはぎ 若し大病発こしたりや何とする わりや子は可愛はないか エゝ


74
親の思ふ様にも サゝゝ早ふいねよけな者じやいんでくれよと斗にて身をふるはせば土崩て
秋まだわかき虫けらに五体をさゝれ喰破られ 喰破られても苦しみを 隠す此世の
苦しみは殷紂王の虫の責 ほうらくの刑も今爰に思ひやられて不便也 おまんはとかふなき
沈み エゝ情ないとゝ様 めい/\の心でこそ 娘可愛の孫不便なのと 様々の悪事も子故の闇
の一寸先 他人の目からはあれ見よ あの娘故五々作が盗した いや孫故に衒事と 世の
人毎に指さゝれ わたしを笑ふに気が付ぬはそりや可愛のじやない憎いのじや むごいつれ
ないどふよくなとつ様と 心のたけをかきくどきかきくどく手に源太引寄せ コリヤうつかりよ 祖父様

じやはいやい さつきにからなぜ物いはぬ それお顔見やと突付くれば 祖父様何として埋られ
さつしやつた 毎夜/\のなら茶舟 余所の伯父様を喰らはんかいと きたなそふに云しやつた
が其罰(ばち)でか コレ団子持てきた ひだるかろ喰はつしやれと 手づから口へくゝむれど 咽(のんど)につまりか
ぶりふる コレそふぞ喰て下され祖父様 アレかゝ様見やしやれ 何ぼやつても喰はんはいのと 其
儘そこにどふど伏 足ずりしたるいぢらしさ祖父も娘も心根を思ひやつたる正体なき 涙は
落て川水の堤の切る思ひなり 五々作漸涙をとゞめ アゝおまん悪い合点 何のそちや孫が
仮にも憎ふてよい物か 此苦しみはそち達が罪ではない 勿体ない事ながらも 天子様が元(がん)


75
朝(てう)から 四方拜とやらの祈り祈祷 毎朝毎日の祭り事は 皆五穀成就の祈 其お下
に住む百姓 體を渋紙の様に炎天に照付けられても水を絶やさず 畑大事と満作を
願ひ 殊にことしは二百十日に天赦日も有る年なれば 十分の世の中じやと悦んでいる百
姓衆の 其骨を盗み 真瓜西瓜藍の類を舟に積み 夜の内に市の側へ代(しろ)なした此
五々作 罰が当らいでよい物か まだ罰の当るはおれも人間の内か 朝夕念ずる祖師日蓮様 仏
のお身でさへ九月十二日由井が濱にて 死罪と極りし時 法華経の功力にてまぬかれ
給ふ?の口の御難 其後十月十日には佐渡が嶋にての御難儀 人の通ひなければ食

物も あたへ奉らずして崩れたる堂に御住居 雨降れば棟や 軒端/\にもり落て様々の御難
義 仏と拝む祖師上人様でも其ごとし 此五々作はナそちといふ孫子持た故 源太がくゝめ
てくれる此団子 そちが又雨をふせぐ傘(からかさ)唐の廿四孝の内に王褒とやらいふ人は 死だ親御
の墓へ参つて 雷嫌ひの石塔に抱付き 是におりまする こはい事はござりませぬと 死だ
親への孝行 其孝行に微塵も違はぬそなたの傘 少しの間でも雨を凌ぎ 雷嫌ひの
此親へ心遣ひ 忝いぞや嬉しいぞや 今責殺されてもおりや仏 一人も一人から そなたの様なよい子
を持や果報者 サアこりやちやつといんで 戸棚の金を聟殿へ渡し めでたう旅立祝ふて


76
たも 源太よ 内へいんでとゝ様に 祖父が此形いふなよ ヨゝゝ 賢い者じやヨ いふてくれなと跡
先へ心を配る親心 恩愛深き涙の種畑にころりと伏転び 聞けば聞程親の慈悲冥
加ないやら忝いやら もろくも落る涙の露 秋としらする虫の音にいとゞ哀ぞ増りける
早更け渡る八つの鐘 約束なれば肝煎六兵衛 親方諸共かごを釣らせて畑中 コリヤこそ爰
にじや コレおまん女郎 たつた今こなたの内へ迎にいて何もかも皆聞た ヲゝこんな事
肝煎はむごい様まれど 孝行の為にさつしやる身売 さつきにこなたが親仁殿へ渡してく
れと 書付て置た此状コレ持てきた サア親方殿 金渡して下され 証文はおれが所で渡し

ませうと いへば親方呑込で コレ七拾両 改めて受取らしやれと 財布ながら指出せば アゝ念が届い
た忝い コレ六兵衛様大義ながらお前は庄屋殿百姓衆へいて とゝ様の科の赦(ゆり)る様に此金の
内で詫言云して 残つた銀はとつ様に渡して下さんせ イヤ其銀おれが受取るも心悪い やはり状も
金も親仁殿の首にかけておかるしやれ したがちつとの間も苦痛が助けて進ぜたい ほりおこして連れ
立ていきましよかい コリヤ尤と亭主諸共寄ば おまん押留マア/\待て下さんせ
お前方より私が助けて進ぜたさは山々なれど 今堀出さばあの気なとつ様 わしを何の遠い所へ
やらしやろ ちつとの間じやそふして置て早ふいて下さんせ 親の苦痛をちつとの間も助けるこそ


77
孝行 埋て置て下さんせと 頼むわたしが心の内 思ひやつてと斗にて又さめ/\゛と泣ければ ヲゝ
夫レも尤いてきませうと涙ながらに六兵衛は 庄屋は方へぞ走り行 五々作は合点行ず コリヤ
おまん 行々とはわりやどこへ行 サイナ わしが行く所も 源五兵衛殿の路銀の金も此状にくはしう
書てござんすと 五々作が首に引かけ辺りに有あふかこひの縄 源太が帯と制札の柱
に手早く結び付け コリヤ源太 随分まめで居やゝ ヤ かゝはちつとの間 遠い所へ行ぞや
必々毒な物くやんなや とつ様さらばと云捨ててかごに乗るより親方も 涙かたてに急ぎ
行 五々作は十方にくれ そりや源太よ かゝをちやつとつまかへい かゝ様もふと走れ共縄につな

がれつなぎ猿 行くも行かれずかゝ様のふ/\ 娘やい おまんやいと呼どさけべどこたへなし コリヤまあ
何たる因果ぞと身をもみあせる血の涙 源太も祖父が首筋に取付きすがり かゝ様がない かゝ様
呼でと泣さけぶ世の有様は是非もなし 折もこそ有れ源五兵衛舅の噂ちらと聞より小提燈 あ
をつ心の畑中 斯と見るより 源太か わりや一人爰に何して ヤ親父様 コリヤどふじや 扨こそ/\ 人の噂
に違はず 此方の用事に取込み 聞流して残念/\ そふしてかゝは ヤおまんはどこへ サア/\聟殿か 其お
まんが事は此おれが首にかけて有状読で下され ヲゝ合点 何にもせよ捨置れずと 制札の柱
引抜き土砂くるめ堀返し 五々作が手を取て引出しても足ひよろ/\ 尤々ドレ其状とっくり返し/\ ムゝ/\

78
扨は 親故夫故 二度の勤めにいたかいやい 夫レなれば今道で行合しかご一挺内に女の泣声 おまんで
有たか よそながら我に暇乞 過分なぞよ 忝いぞよ コレ/\親仁様 鏡山の宿と有からは 道の法(のり)は
わづかの事 いつでも逢れる 夫レ先へ庄屋百姓へこなたの云訳サアござれと 源太を背中片手に五々作
首には金 かゝる親子の3人連 身を売る女房は主と親夫の 為に憂き勤め 誠に女の鏡 山路の
  第十一 新廓の段                   露か 涙か