仮想空間

趣味の変体仮名

心中天網島 下之巻 道行名残の橋尽し

 

 
読んだ本 https://www.waseda.jp/enpaku/db/
     イ14-00002-570


33(右頁7行目)
  下之巻

こひなさけ 爰をせにせん しゝみ川ながるゝ水も 行通ふ 人もおとせぬ
うしみつの 空十五夜の月さへて ひかりはくらきかどあんどうやまとや
伝兵衛を一字がき ねむりがち成ひやし木にばん太が足取ちどり
足 ごよざ/\も声ふけたり かこのしゆいかふふけたのと 上の町から下お
なご むかひのかどもやまとやの くゞりくはら/\つゝと入 きいの国やの小
はるさんかりやんしよ むかひと斗ほの聞え 跡は三つ四つあいさつの 程
なくくゞりによつと出 小はる様はおとまりじや かこのしゆすぐにやす


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ましやれ アゝいひ残した是くはしやさん 小はる様に気を付て下さんせ
太兵衛様への見請がすんで かね請取たりやあづかり物 酒すごさせ
てくだんすなと 門の口からあすまたぬ 治兵衛小はるが土に成たね
まきちらして帰りける ちや屋のちやがまも 夜一時やすむは八つと七つ
との間にちら付さんけいの ひかりもほそくふくる夜の 川かぜさむくし
もみてり まだ夜がふかいおくらせましよ 治兵衛様ののお帰りじや小
はる様おこしませ それよびませはていしゆが声 治兵衛くゞりをふはさと

明 コレ/\伝兵衛 小はるにさたなしみゝへいれば 夜明迄くゝられる それゆへよふ
ねさせてぬけていぬる 日が出てからおこしていなしや 我ら今から
帰るとすぐに かい物のため京へのぼる 大分の用なれば 中ばらいの
間にあふやふに帰るはふぢやう さいぜんのかねで そなたのさんやう
合も仕廻 河庄が所へも後の月見のはらひといふて 四つ百五十め請
取とつてたもらふしと ふくしまのさいえつ坊が仏だんかふたほうが ぎん
一枚えかうしやれとやつてたも 其外いかゝり合はハアそれよ/\ い


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そいちがはな銀五 是斗じや仕廻ふてねやれ さらは/\もどつて
あはふと 二足三あし行よりはやく立帰り わきざしわすれたちやつと
/\ なんと伝兵衛 町人は爰が心やすい 侍なれば其まゝせつふく
するであろの 我らあつかつて置てとんとしつ念 小刀もそ
らふと わたせば取てしつかと指し 是さへあれば千人力 もふやすみや
れと立帰る 追付おくだりなされませ よふござりますもそこ/\に跡は
くろゝをこつとりと 物音もなくしづまれり 治兵衛はつゝといぬるかほ

又引返す忍び足 やまとやの戸にすがり 内をのぞいて見る内に
まぢかき人かげびつくりしてむかひの家の物かげに過るましばし
身を忍ぶ 弟ゆへに気をくだく粉や孫右衛門は先に立 跡にでつちの三
五郎が せなかにおいの勘太郎つれ あんどうめあてにかけ来り 大和屋
の戸を打たゝき ちと物といませう 紙屋治兵衛はいませぬか ちよつとあ
わせてくだされと呼はれば 扨は兄きと治兵衛は 身うこきもせず猶忍ぶ
内から男のねほれ声 治兵衛様はまちつとさきに 京へのぼるとて


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お帰りなされた 爰にではござらぬと 重て何の音ないも なみだ
はら/\孫右衛門 帰らは道であひそな物 京へとはがてんがゆかぬ アゝ気
づかひで身がふるふ 小はるをつれてはゆかぬかと 胸にぎつくりよこたはる
心ぐるしさこたへかね 又戸をたゝけば 夜ふけてたれじやもふねました
御むしんながらま一どお尋申たい きいの国やの小はる殿はお帰りな
されたか もし治兵衛とつれ立ていきはなされぬか ヤヤ何じや小はる
どのは二かいにねてじや 先心が落付た 心中の念はないどこにかゞん

で此くをかける 一門一家親兄弟が かたづをのんでざうふをもむとは
よもしるまい しうとの恨に我身をわすれ むふんべつも出やうかと
いけんのたねに勘太郎を つれて尋るかひもなく 今迄あはぬは何
ごとゝ おろ/\涙のひとりこと かくるゝあいたのへたてねば 聞えて治兵衛も
いきをつめ涙のみ込斗也 ヤイ三五郎 あほうめが夜る/\うせる所外にはしら
ぬかと いへはあほうは我名ぞと心得て しつていれど爰では恥しうていは
れぬ しつているとはサアどこじやいふて聞せ 聞跡でしからしやんな


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まいばんちよこ/\ゆくところは いちのかはのなやの下 大だはけめそ
れをたれがぎんみする サアこいうあら町を尋て見ん 勘太郎にかぜひかすな
ごくにもたゝぬとゝめを持て かはいやつめたいめをするな 此つめたさでし
まへばよいが ひよつとういめは見せまいか にくや/\のそこしんは ふびん
/\のうら町を いさ尋んと行過る 影へたゝれはかけ出て 跡なつかしげに
のび上り 心に物をいわせては 十悪人の此治兵衛 しい次第共猶おか
れず 跡から跡迄御やつかい もつたいなやと手をあはせ ふしおかみ/\

猶此うへのおじひには 子共がことをと斗にてしばし 涙にむせひしが
とてもかくごをきはめしうへ 小はるやまたんとやまとやの くゞりの
すき間さしのぞけば 内にちら付人かげは小はるじやないか 待て
としらせのあいづのしはぶき エヘン/\かつち/\えへんにひやうし木
打まぜて 上の町からばん太郎が くる/\たぐる風の夜は せき/\
廻る火やうじん ごよざ /\/\も人忍ぶ 我にはつらきかづらきの
神がくれしてやり過し すきをうかゝひ立よれば くゞり内からそつと


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あく 小はるか 待てか 治兵衛様 はやふでたいと気をせけば せく程
まはるくるま戸の あくるを人や聞付んと しやくつてあくれはしや
くつてひゞき みゝにとゞろく胸の内 治兵衛がそとから手をそへても
心ふるひに手さきもふるひ 三ぶ四ぶ五ぶ一寸の さきの地こくの
くるしみより おにの見ぬまとやう/\に明て 嬉しき年の朝 小はるは内
をぬけ出て たかひに手に手を取かはし 北へいかふか南へか にしかひがしか行
末も 心のはやせしゝみ川なかるゝ月にさからひてあしを はかりに

    名こりの橋づくし
はしりかき うたひの本はこのへりう やらうぼうしはわかむらさき あ
くしよふるひの 身のはては かく成行と 定まりし しやかのおしへも
有ことか見たしうき身のいんぐはきやう あすは世上のことくさに か
みや次兵衛が心中と あだ名ちり行さくら木に ねほり葉ほり
をえざうしの はんするかみの其中に有共しらぬ死かみに さそはれ
行もしやうばいに うときむくひとくはん念も とすれは心ひかされて


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あゆみ なやむぞ道理成 頃は「十月十五夜の月にも見へぬ 身
のうへは 心のやみの印かや 今おくしもはあすきゆるはかなきたとへのそ
れよりも先へきへ行ねやの内 いとしかはひとしめてねし うつりがも何と なが
れの しゝみ川 西に見て 朝夕渡る 此橋の天神橋は其むかし かんせうじやうと
申せし時つくしへながされ給ひしに 君をしたひてだざいふへたつた一とび梅田ばし
跡おひ松のみとりばし わかれをなげき かなしみて跡にこがるゝ桜ばし 今に
咄を聞渡る 一首の歌の御いとく かゝるたつときあら神の 氏子と生れし

身を持て そなたもころし我もしぬ もとはと とへは分別のあのいたいけ
なかいがらに 一はいもなきしゞみばし 見じかき物は我々が 此世のすまい秋の日よ
十九と 廿八年の けふのこよひをかぎりにて ふたりいのちのすてどころ ぢ
いとばゝとの末迄もまめでそはんとちきりしに 丸三年も なじまひで 此さ
いなんに大江橋あれ見やなには小橋から 舟入ばしのはまづたひ 是迄くれば
くる程はめいどの道が近付と なげゝば女もすがり寄 もう此道がめいどかと見か
わす顔も見えぬ程 落る涙にほりかはのはしも水にやひたるらん 北へあゆめば


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我宿を一めに見るも見返らず 子共の行末女房の あはれも胸におし
つゝみ 南へ「渡る橋ばしら数もかきらぬ家々を いかに名付て八けんや 誰
と伏見のくたり舟つかぬ内にと道いそぐ 此世をすてゝ 行身には 聞もおそろし
天満ばし よどとやまとのふた川を二つながれの大川や水と魚とはつれて行
我も小はるとふたりつれ 一つやいばの三瀬川 たむけの水に請たやな 何か
なけかん 此世てこそはそはず共 みらいは いふに及ばずこんどの/\ つつとこんど
の其 さきの世迄も夫婦ぞや 一つはちすの頼には 一げに一ぶ げがきせし 大じ大

ひのふもんぼんめうほうれんげ京ばしをこゆれはいたるかのきしの玉のう
てなにのりをへて 仏のすがだに身をなり橋 しゆじやうさいどがまゝ
ならばながれの人の此後は たへて心中せぬ様に 守りたいぞと およびなき ね
がひも世上の よまいごと 思ひやられてあはれなり野田の入口の水けふり 山の
はしろくほの/\と あれ寺々の かねのこえこう/\  かうしていつ迄か とてもながらへは
てぬ身をさいごいそがんこなたへと手に百八の玉のおを 涙の玉にくりまぜてな
むあみ嶋の大長寺 やぶのそとものいさゝかは ながれみなぎるひのうへをさいご所と着にける


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なふいつ迄うか/\あゆみても 爰ぞ人のしにばとてさだまりし
所もなし いざ爰をわうじやうばと手を取土にざしければ さればこそ
しにばはいづくもをなしことゝいひながら わたしが道々思ふにもふたりがし
にがほならべて 小はると紙や治兵衛と心中とさたあらば おさん様より
頼にてころしてくれるなころすまい あいさつきると取かはせしそのふみを
ほうぐにし 大じの男をそゝのかしての心中は さすが一ざながれのつとめの者
ぎりしらずいつはり者と世の人千人万人より おさん様ひとりのさげしみ 恨

ねたみもさぞと思ひやり みらいのまよひは是一つ わたしを爰でころして
こなさんどこぞ所をかへ ついとわきでと打もたれくどけばともにくどき泣 アゝ
ぐちなこと斗おさんはしうとに取かやされ いとまをやれば他人とたにん
りべつの女に何のぎり 道すがらいふ通りこんどの/\ずんどこんどの先の世
迄もめをとゝちぎる此ふたり 枕をならべしぬるにたれがそしるたがね
たむ サア其りべつはたれがわざわたしよりこなさん猶ぐちな からだがあの
世へつれ立か 所々のしにをしてたとへ此からだはとびからずにつゝかれても


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ふたりの玉しいいつきまつはり 地ごくへもごくらくへもつれ立て下さんせ
と又ふししづみ泣ければ ヲゝそれよ/\此からだは ちすいくはふうしぬればくうにかへ
る ごしやう七生くちせぬ 夫婦の玉しいはなれぬ印がつてんと わきざし
ずはとぬきはなしもとひぎはより我くろかみ ふつゝと切て是見やこはる
此かみの有中は紙や治兵衛といふおさんが夫 かみ切たればしゆつけの
身三がいの縁を出 さいしちんぼうふずいしやのほうし おさんといふ女房な
ければ おぬしがたつるぎりもなしと涙ながらなげ出す アゝ嬉しうござんすと

小はるもわきさし取上あらひつすいつなで付し むごやおしげもなげしまだ
はらりと切てなげ捨る かれのゝすゝき夜はのしも共にみだるゝあはれ
さよ うき世をのがれし あまほうし 夫婦のぎりとはぞくのむかし とても
のことにさつはりとしにでもかへて山と川 此ひの上を山になぞらへ
そなたがさいごば我は又 此ながれにてくびくゝりさいごはおなし時ながら
しやしんの品も所もかへておさんに立ぬく心の道 そなかゝへ帯こなたへ
と わかむらさきの色もかも むじやうのかぜにちりめんの此世あの世の


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ふたへとり ひのまないた木にしつかとくゝりさきをむすんでかりばのきし
の 妻ゆへ我もくびしめくゝるわなむすび 我と我身のしにごしらへ
見るにめもくれ心くれ こなさんそれでしなしやんするか 所をへだてしぬれば
そばにいぬるも少の間 爰へ/\と手を取あひやいばでしぬるは一思ひ さぞ
くつうなされうと 思へばいとしい/\ととゞめ かねたる忍び泣 くびくゝるもの
どつくもしぬるにおろかの有物か よしないことに気をふれさいごの念を
みださず共 にしへ/\と行月をによらいとおがみめをはなさず 只西方

をわすりやるな 心のこりのことあらばいふてしにや 何にもない/\こなさん定
ておふたりの子たちのことか気にかゝろ アレひよんなこといひ出して又なかしやる
てゝ親が今しぬる共何心なくすや/\と かはいやねかほ見る様な わすれぬは
これはかりとかつはとふして泣しづむ 声もあらそふ村からずねくらはなれてなく声は 今のあは
れをとふやとていとゝ涙をそへにける なふあれをきゝやふたりをめいとへむかひの
からす ごわうのうらにせいし一枚かくたびに くまのゝからすがお山にて三羽づゝ
しぬると むかしよりいひつたへしが 我とそなたがあら玉のとしのはじめにき


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しやうのかきぞめ 月のはじめ月がしらかきしせいしの数々 そのたびごとに
三羽づゝころせしからすはいくばくぞや つねにはかはい/\と聞こよひのみゝ
へは 其せつ生の恨のつみ むくひ/\と聞ゆるぞや むくひとはたれゆへぞ
我ゆへつらきしをとぐる ゆるしてくれとだきよすれば いやわしゆへと
しめよせて顔と顔とを打かさね 涙にとつるびんおかみのべの あらし
にこほりけり うしろにひゞく大長寺のかねのこえ なむ三ぽう長き夜
も 夫婦が命みじか夜とはや明わたり じんでうにさいごは今ぞと

引よせて 跡迄のこるしに顔になきかほのこすなのこさじと につとえかほの
しろ/\としもいこゝえて手もふるひ 我から先にめもくらみやいばのた
て共泣涙 アゝせくまい/\はやう/\と女がいさむをちからくさ かせさひくる
念仏は我にすゝむるなむあみだ仏 みだのりけんとぐつとさゝれ引すへても
のりかへり 七てん八とうこはいかに切先のとのふえをはづれ しにもやらざるさいごの
ごうく共にみだれてくるしみの 気を取なをし引よせて つばもと迄指通したる一刀 え
ぐりくるしき暁の見はてぬ夢ときへはてたり づほくめんさいうけうぐはには


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おり打きせしがいをつくろひ 泣てつきせぬなこりのたもと見すてゝかゝへをた
ぐりよせ くびにわなを引かくる寺の念仏も切えかう うえんむえんないしほう
かい 平等の声をかぎりにひのうへより 一れんたく生なむあみた仏とふみはつし暫
くるしむ なりひさごかぜにゆらるゝことくにて しだいにたゆるこきうの道
いきせきとむるひの口に 此世の縁はきれはてたり 朝出のぎよふがあみのめ
に見付て死たヤレしんだ 出あへ/\と声々にいひ廣たる物語 すくにじやう
 ぶつとくたつのちかひのあみ嶋心中とめことに なみたをかけにける