仮想空間

趣味の変体仮名

浪速文章夕霧塚 第十冊目

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html

     浄瑠璃本データベース  イ14-00002-603

 

74(左頁)

  第十冊目

名に高き 四条川原の夕景色床(とこ)の 詠めも早過て 秋風さむく吹すさひゆきゝも浪

の石はしる 水音迄も秋は猶 いとしん/\と物すごし 心から身の置所難波がた あしに任せておち

こちの人目を忍ぶ官宅が 顔に見しりも編笠で隠すひとへもあかづきし 身はしよげ鳥の肌さむ

き川原西をうそ/\と よい仕業(しごと)かな働いて直ぐに他国へふけらんと 窺ひ居る共しろ/\と夜目

にもしるき錦帽子 上着の小袖かいはさみ風呂敷片手に提燈ぶら/\さげて来る女 こりや能

仕物と向ふへ立 申といふに恟りし ヲゝヲ名にじやぞいの イヤ気遣ひな物ではない やつぱり人でござります ハアゝ

 

 

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ほんに人じや いそぎの用で心はせく 錦帽子で見へませなんだ サア其見へぬと申は私が事でござります ムゝ

扨は目の悪いお人か イヤ/\外の物は何でも見へれど いろはのいの字も存ませねば あき盲同前で

書た物に迷惑致します 御無心ながらちよつと是を見さしやつて下さりませおt 一通の文指出せば 提燈

の灯で上書見て アとゝ様参るいわゟ それ/\其上書の岩と申まするは私が娘 在所に住でおりますが

定めて叶はぬ用事が有て わざ/\書ておこしたか 何事もなければえいが とかく中の様子がしれねば どうも

気が落付ませぬ 御苦労ながら読で聞して下さりませと 頼むにいや共急にわざ そんなら提燈持たしやん

せと 封め切て押ひらき ナニ/\わざと一筆申上まいらせそうろう いよ/\御機嫌よく御入なされ候や 私方かはる事も

 

なく無事に暮しまいらせそうろう ハアゝ嬉しや 娘が無事に暮すと有ばマアこれ安堵致します ア物をかくといふは結

構な事でござります 互に顔は合さいでも ついソレそれで埒が明ますじや シテ其奥はどふでござります

な サゝゝ左様に候へばせんもじ御申越なされ候金の事 やう/\金子三歩 才覚致し遣はし申候儘 御受取下さるべく候

折節ナニかと閙(いそが)はしく あら/\申上まいらせそうろうかしく 此通りじや アイ/\成程聞へました いかい御苦労様じや ヘゝゝゝア忝

なうござります イヤ苦労な事はないがわしや急ぎの用 是そこへと文を渡して提燈取り 行んとすればアゝこれ

待て下さりませ ホウ待てとはまだ何ぞ用が有かへ イヤ外の用ではない 今の三歩の金下んせ ヤア金とは ハアテ状

の中に有やのを イヤ状の文には書て有れど 中には何にもなかつたぞへ ハテない物を書ておこ筈がない 今の程

 

 

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金三歩才覚致し遣はし申候 /\ アゝじやらくらいはずと出して下んせ テモない物無理ばつかり 但落しはせなんだか

と提燈片手に尋ればアゝいやこれ/\とぼけたふりせまい 大かたしれて有こつちや しれて有とはハテうつしたのか 詞

あまい中きり/\出せば其通り うぢかはするとえらいがな イヤコレそれは何共迷惑 人様の物一銭も掠る様な

者じやない わしは五条坂に隠れもない 口よせのべんといふ巫女 今夜先斗町の借し座敷 藤屋の伊左衛門様から

呼にきていくのじやが 生き口でも死口でも 寄せさすればどれ共に しつかりとした礼も取ます 今の金が見へぬはわ

じや覚へなけれど 笑止に思へば戻りにしんじよ 待てござれと聞て耳より一為業と 心に點きコレ巫女主(みこす) 口

手間入てくど/\と 言訳も何にも入らぬ 覚へがなくばソレ 帯といて着る物ふるふて見せたがよい そふなけりや疑ひ

 

はれぬと 帯ぐる/\と引ほどけばコレ官宅殿待ちしやれと 声かけられて恟りし ヤアわりやおれをしつて居るか ヲゝ

年月なじんだ連合いを 見忘れてよい物かいなふ コレ幾度か/\異見しても頼んでも 聞入のないわる工 天しる

地しるで親も聞 そんな人には添されぬと こらしの為に暇をとりや それ幸に荷を押さへて 着(き)のまゝにして暇

の状 いつぞや姉聟が天満へ尋にいかれたれば 近頃船場の一丁目筋へ 宿がへさしやつたと近所での噂

それに又道修町の薬やへ行 轆轤首の療治をするの何のかのと 金で頼まれ人の娘の嫁入の

邪魔をさしやつたげな 夫故に人死も出来たは 官宅といふ医者の業(わざ)じや あんなわかいやつはないといふ噂

夫で京迄もせんぎが有る テモ扨もこはい事をする人じや 其心を直して下され 本心か又人にすゝめら

 

 

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れてするのかと まだ贔屓な心あらとやかくと思ふて居たはいなふ 今も贋状拵へて女房共しらず ねだ

りかるこなたの工 とても性根は直るまい コレ今こなたを見るよりもの アゝ合点のいかぬなりかたち さとられ

まいと作り声して相手になれば モあいそもこそもこそもあいそも尽果てた サア/\早う荷物を戻して

貰ふ 今は大坂にも住居ならずどこをせうどに居やしやると せり詰られてさしもの悪者 うぢ/\としてい

たりしが アゝ又しても/\ 荷を引の戻せのと催促にほうどこまる 夫に付きちつと銭役の宛が有 マアわが

其着るている物かしてくれ フム又衒事の宛が有か コレ粟田口が近いぞや サア其仕置場へ行迄仕止れ

ぬうまい商売 小言いはずとちやつちやとぬげ 仕合したら今度こそ仕拵へて荷を戻すはい イヤモ其

 

手はくはぬはいの 置てきた荷物戻しや ヲゝ夫程荷物がほしくば早うそれぬげ アノまだ女房の物をはぎ

たらいでか コレ漸と口寄の商売を覚へ拵て着ている物迄剥で取ろとは イヤそりやならぬはいの ヤア詞甘

い内ぬぎくさらぬかと無理やりに 引剥で突放せば ヲゝどふなと仕や それ戻しやらぬと是迄の悪事を

残らず訴人する サア戻しやらぬかとむしやぶり付けば こいつ面倒な後日の怨(あた)と 相口抜て一刀 とむる手先

と肩先を ずつかりいはされ體はびり/\ ヤレ人殺し女房殺しと泣さけぶ声立てさせじとめつた切 のた打廻るた

ぶさを掴 引廻し/\ぐつと突込とゞめの相口 アゝ名医の療治で気味ようてこねた アなんまみだ /\/\

ヘエ衣装道具は残ふて有る ア忝い/\ 直ぐに巫女にならふと儘じや 女めが口ばしつた借座敷へ仕かけふ イヤ/\/\

 

 

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先は互にしつた頬 アゝどふせうな ヤ是幸 此綿ぼうし 面のかはりと一人笑悦ぶ折節人声に うろたへ廻りて

死骸を川へどんぶり打込鼻歌で 荷物がほしかめいどから しやばの便りの備後町 爰は四条のかはら

町 是からいつそ手放してぽんと町へと「行く水の 流れも庭の 塀ごしにたつた一目の先斗町 つい仮初に

借座敷住めば都に伊左衛門 思ふ人とし大坂をはしり 女夫のきさんじと 誰はゞからぬ楽しみも 苦は色かゆる

夕霧が 風の心地と打ふして 枕上らぬ看病も 爰を煎湯(せんたう)用ひても元気のないは病む日より

傍で見るめはいとゞ猶心づかひぞやるせなき 噂も京にと斗しつかりと 所しらねば爰かしこ尋廓の

喜左衛門 風呂敷包わいがけて頼んませふといふ声は どふやら聞た様ながと立出る伊左衛門 ヤア喜左か 旦那アゝ

 

お久しうござります サアまあずつと通りや/\ アゝ死ずにいればめづらしい顔を見る 扨大坂にかはる事も

ないか 何として登りやつた イヤ何とはお前方の事 其後便りもなければどふしてござるぞ 早う登つてお目

にかゝりたいと兼て存じておる所に 今別れてお目かけらるゝお客様が 女房の死骨(しこつ)を大器へ納めたい そちも同

道せうとおつしやるを幸の事と存じて 三条の宿へ急ぐと其儘とつかは尋て参りました 扨彼人参の

質物の事も 親御了哲様が埒を明けなされ さつぱりと済だ様子 是もおしらせ申たさ ヲゝよふこそ

/\ 夫はきのふ甚右衛門が女房が登つて委細に聞たが アゝおりやどふやら気にかゝるはいの そりや何

が 今の女房の死骨が トハ又なぜに サイノ夕霧は跡月からふと病み付たが 次第におもつて此間は万

 

 

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事限り 療治に疎(おろか)もなけれど どふで本復有まいと思へはせいも力もないわいの 是はしたり そんな

事は夢にも存ませなんだ ドレ/\ふぉこにござります 早うお目にかゝりたいといふにこちへと伴ひて 夕霧 大坂

から喜左が見へた コレちよつとあやはぬかと 一間の障子押明れば むざんやな夕霧はさしも名高き容色

の 芙蓉の顔ばせおとろへて 夕部待つ間の玉の緒も切れ行く心地便りなき 枕を上て寄かゝり ホウ喜左衛門

様 なつかしかつたによふきて下さんした わしがこんな大病も 此身の苦労はいとはねど 伊左衛門様の今のあのお

姿以前にかはる紙子一重 皆わし故と思へば苦にならいで何とせう とふぞ早う昔に返して進ぜたうご

ざんすと いふ顔つく/\打ながめ 扨(さって)もきついやつれやう 心元ない病人と思へど態(わざ)力を付け アゝわつけもない

 

事苦になされる 親御の御機嫌さへ直れば元の藤屋の跡取 お前も大病しやとおつしやれと中々御顔(がん)

色はよい いたが何ぼ薬をあがつても 打ふして斗ごさつてははか/\しうない物 百病も気からと申せば 気のとゞ

こほるはわるいから気で気をきつと取直し気を慰るがきつい養生 薬飲むよりよう利いて 奇妙に直る

は此喜左が聞及んでおりますと きの字尽しの口合で気をいさむるぞきどく也 伊左衛門も心付き譬此

儘死る共 せめて名残に笑ひ顔 見たり見せたりせん物と思ひ付くより打點き コレ夕霧 おれがなりを

苦に仕やるが おりや又そなたの其形が苦になる けふはちつと心持もよさそふに見へれば ナント好きの三

絃(みせん)でもちと弾て アレ喜左に一ふし聞ふじやないか 何いはんすやら此精のないに三絃所かいな したが

 

 

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いやといふたら今も死る様に思ふて案じさんすも悲しい しんど成なら休むぞへ ヲゝそりやどふなりと心任せ

サア喜左諷や/\ イヤ私も諷ましよが 其昔おまへが廓遊び 太夫様と口舌の段お久しぶりじや見

よふかい 何をいふやら今此形で傾城買をしたらば 千手観音が降ふも知れぬ 殊にあの楊枝の様な夕

霧を相手にするは 裸でふられた様で仕廻か付まい よしに仕や/\ サアこそを此喜左が御病人の薬に成る致し

様がござります さらばお目にかけふかと風呂敷といて申旦那 お小袖羽織は以前おまへに拝領

ついに一度手も通さず大事にかけて置ましたが 此度上京いたすに付き嘸御不自由に有ふと存て 持て

来たこそ幸 コレお頭巾もござります 是を召てと指出せば テモ久しい物じやなァ しがた大事にして置

 

たのでかまんざらいろもはくらんせぬ さらは此召着を以てあたらしう 傾城買を致さばやと存候 それ

こそ望む所なれ とく/\用意し給ふべし おつと心得たつた今昔の姿にかへ唱歌 諷ふた/\サア/\

ひきやと三絃を 膝元ちかく奥の間の襖引立入にけり 足音高く声うはかれて 大門いまだ

さらずして ちや屋のはしとみ 誰のこし だれじや 羽織かづいてよねくどく女郎まねく うけ切横切一つ

かい しやう なるかならぬか恋の中のてう 恋の山 情の峠越かたの衣紋のきらもそなはりて 見かはす

斗色ふかき ほうろく頭巾 此糸の 藤にまかるゝ 松の名の夕霧 こめてtろこしへに通ひたる四筋

町 わけ吉田屋に指かゝり エ喜左か久しや/\ コレハ旦那めつらしの御影向 月住吉やの大もめから

 

 

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すつきりおめにぶらさがらぬ 幸君も奥の間にとをから来迎ましませは 仏菩薩の御面想互に

拝ませ申べし いざお通りといふ儘に 槌で庭掃杓子で味噌摺 其間にずつと奥座敷つか

/\と傍により ナント太夫 又逢に来たはいのといふたればそなたが ナアニヲよい手な事ばつかり 此頃はふつつり

ばつたり便のないこそ道理 茨木屋の春風に風かかはつたといやる そこで我等が イヤそなたを秋風で有

といふた サア其時わしがお前の胸ぐらをかふ取て それには定て様子があろ 其訳聞ふといふたれば ヲゝソレ/\

其仕形する程気情が有は嬉しい/\ そこで旦那が どふした事かけふ程胸ぐらの繁昌する

日はないとおつしやつた アノまだあんないやらしい 春風が此様に胸ぐら取てせちがふたかと 恨て泣た事も

 

有たが アゝ又なきやるかいのふ 其時おれがぬからぬ顔で かはいや/\ 傾城の涙と独参湯は 一雫こぼし

てもなんほ金めかしれぬといふが 此伊左衛門そふ/\其手は請ぬはい 儕かくさつた性根たま顕はして見せふ

かと 踏だりたゝいたり 沢山そふにしたも 今其罰で思ひに成たと打しほれ 歎けば供に喜左衛門

道理と思へど涙を隠し 申そりやどふでごさります おまへ迄じめ/\と しめつた事斗いふてそれが諌めに成

ますか モウ/\口舌の段も是切/\ さらば何ぞわつさりと 諷ひませうと声あり上 宵にかはせしかねことを

諷ふ声さへあはれそふ 袖はなみだの 玉あられ 今をかぎりのちぎりとは いとしかはいの我子さへ 国を隔つる

 

 

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さよの風 是はしたり 又お前の身の上を諷ふて泣しやますか サアイナ さつきにからおふたりが面白おかしう

気を勇めて下さんすれど わたしはとうから覚悟して居まする そりやなせに ハテ神仏様の罰でも死

なねばならぬ 十五の年から憂ふしの 客をだまし目を掠め いとし/\といふたお前を 此様にしたは皆わし故 とは云

ながら思ひ切事はならず 死で仕廻ば親御の御機嫌も直り 御出世をなさるゝと思へわたしや嬉しうござん

す 此上の願ひにはおとせ様の御難義を どふぞ助ましたい 命乞して下さんせ 其跡は態いはぬ程に 追

善も香華も おとせ様と御一所に手向る様に頼ます それを嬉しう受るぞへ 暫し成共苦をかけまい

と こたへて見てもどふも隠されぬ程じゆつない 勤めの中はうきふしで 仏の道は何にもしらず 今死る今さへ

 

も 面白さふに歌三絃 何を未来の土産ぞと 思へば悲しい/\と泣も苦敷息つかひ伊左衛門もくもり

声 扨はそふした心で有たか そなたはそれでも済まふが我身の悲しさ推量仕やと 供に悔みの男泣

喜左衛門も尤と 思ひやりつゝ目にたまる涙くめる斗也 夕霧猶もせぐり上 アゝ此世の名残 伊之助の

顔が一目見たい 逢たい どふうろたへて大事の子をやつた事ぞと明け暮れに くよ/\思ふてくだしたが 国は隔てて

居ながらも 産みの母の死ぬるのか自然と先へ通ぜしか 恋しと思ふ我迷ひか 夕部の夢に傍へ来て コレかゝ

様と取付たをヤレかはいやと引寄せて 抱しめたれば跡もなうさめては元の涙の床 猶なつかしさ恋しさも は

かない物は親子の縁ト苦しき中にくどき立 蒲団の上に沈み正たい もなく泣ければ夫は元より喜

 

 

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左衛門 こらへ兼て大声上わつとばかりに泣沈む かゝる歎きの折からに表へとつかは立帰る お辻かちよつと

顔見合せ ハアお前はどなた イヤ私は吉田屋の喜左衛門でござります ハアゝ成程/\聞及ております わ

たしや甚右衛門が女房でござります 是は/\ムゝ扨は番頭様のお内儀様 アイナわたしも夕霧様

の御病気見廻い 漸きのふから爰へ参つておりますと いひつゝお辻は病人の枕本に指寄て どふじや

お薬あがつたか お心持はどの様なと いへどいらへも涙顔 ハア又なんぞ思ひ出して泣なされたの そりや身の

毒じやぞへ とかく何にも見ず聞ず 苦になされぬが御養生 此やうに明はあんしてはお風めさふもしれま

い ちとお休なされませと障子をそつと指寄せて コレ申伊左衛門様 夫甚右衛門が申ますは 只今は嘸御不

 

自由に有ふ程に 幸松原通の薬屋から 五十両くる金を上ませいといはれた故 夫を以て帰ります次

手 道から家来を巫女の所へ呼にやつたりや 追付是に見へませう アゝ巫女とは何てござります サア

夫は夕霧様の御病気が重いに付けて色々と思ひ廻せば 彼牢舎してござるおとせ様 始終の訳を

知てなれば恨の有ふ様はなけれど 国から以来真底思ふてござる伊左衛門様 若ねたましい心もあこつて 其生

霊の業でも有ろかと思ふから 五条坂に奇妙な巫女が有と聞た故 生き口寄せて貰はふと思ふて ヲゝそ

りや一段よござりましよ 若し生霊に極つたら 退くと其儘快気する物 ムゝそんなら夕霧様のかはりに お

前が相手にならしやまして随分負ぬ様になされませ 私は先お暇申ませう ハアテもそつと イヤ三

 

 

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条の定宿にお客が待てござろから ちよつと帰つてさんじましよ そんなら早うや アイつい今の間でござ

っりますと いひつゝ燈す小提燈道を照して帰りける かゝる折節表の方 どなたぞお頼申ましよ 五条

坂の巫女でござんすと やさかたにやる女の声 ワリヤこそ見へたとお辻が立出 ハア是は/\早速ようござつ

て下さりました サアこなたへ/\と いふに通つて押直り イヤコレ何も構はしやんすな お茶も御無用た

ばこはぶ調法にござんす アゝ扨お頼なさるは生き口か死に口か イヤ生き口でござります シテ子方が親方か

イヤ他人でござりますが 此方が病人 先はちと様子有て牢舎して居られますが若し其恨みも有ふかと

アゝコレ/\ 其様につど/\聞ては物がないはいな わしがしらぬ事を寄せますると お前方の胸にひつしり合ふ

 

が奇妙 したが生き口には法が有て 先の人の衣類でも 或は櫛笄の類ひでも 身にふれた物をかたしろに立て

置いて寄せねばならぬ 夫を出さしやんせ ハアいや夫はよその人の事なれは 爰には何にもござりませぬ ハアゝ

夫がなくば先の人の年をしつてか アイ年は十九とやら承はりました ムゝ夫がしれたら仕様が有とゆびを

くり ハアゝ十九なれば辛の巳で金性じやによつて 金気の物がよござんしよと いふにお辻が幸と 五十両の金

財布三方にのせ指出せば 巫女は取てうや/\敷 正面に直し置き 目をとぢ皆々合掌し 数珠を

くり引く梓弓 神おろしして寄せにける 天清淨地(せうじやう)地清淨 内外(ないげ)清淨六根清浄 天の神地の神

家(や)の内には井の神庭の神 釜の神 薄鍋やつくはんちろりの神 火入ほうらく炭消し壺 おはぐろ

 

 

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壺の神様迄あつまる所が八百万 過去の仏 未来の仏 阿弥陀薬師観世音 普賢菩薩

江口の君 文殊のちえも及びなき 人の身の上さすがみこ 釈迦の子みこといふ事もちごら尊者の

姉様ゟ伝へ給ひしいはれ也 其御教への梓弓此家へ導く弦音に ひかれ誘はれきたはいの ナフうら

めしの人の心や 我うらめしとは覚束波の寄りくるは誰ぞいの 誰とはおろか此身には いとしかはいと初めより

ふかくも思ひよりいとの 結ぶえにしは親々が定めし中をたち切られ 添れぬのみか濡衣の なき名を夫

といわみがた いなにはあらぬいなむしの かこみの内に籠められて 苦しき胸の火はもへて こがれ死んも口

惜しく 取付くとは思はねどつらい心の魂(たま)よばひ身のいたはりと成事は さだかに覚があろぞいのふ 覚有

 

とは曲もなや 夫はいつぞやくりはにてお前に切られた侍や 医者めが業じやないかいの 医者とはくすし耆婆(ぎば)

扁鵲(へんじやく) いかな薬も利かぬ気の 破れ車で我悪いとはしりながら 唐のかゞみやうない子に かへて殿御を一筋に

思ふは習ひ取分けて ついに一夜もねぬ夫に 迷ふも夢の浮橋や 渡りくらべてつらかりし さかしら事の其報ひ

思ひしらさで置べきか イヤさかしらの何のとは合点の行ぬいなみ云(ごと) こつちに如在ない事はよう御存なりや

今更に 恨つらみは受ぬ筈 イヤ受けぬとはいはれまい 其時のいきさくは済でも済ぬ我身の上 儘にならぬ

を幸いに 大事の殿御を連れ退いて是見よがしにぬつつくりと 添ていやるが浦山しい エゝ口惜いはいの腹が立

はいの 是はけうがるむりな事 夫共何時でもお前の科が赦(ゆり)たなら 殿御を暫く借し成共どふなと

 

 

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お前の気に入る様 此辻が受合て談合つくにせう程に 病気を助て下さりませ イヤ/\存じもよらぬ

事 あた聞ともない言訳だて どふいへばかう夕霧殿 ぜひにこなたは取殺す 夫がいやなら金出して巫女い祈

祷をして貰や 夫は何より安い事病気の直る事ならば 金の五両や十両は今上まして頼んましよ アレ

まだしはい事斗(ばっかり) 僅か五両や十両では中々利めの見へぬ物 そんなら其上まあ五両 ノウ申伊左衛門様 ハテ御苦

労な事頼からは少々のめかりはない 何かなしに廿両祈祷料に上ませふ イヤまだ夫じやすくないはいなふ 命

延(のば)はる大事の祈祷 何の惜い事が有 ざこ鰯を値切る様に下から付けずとずつかりと 一身代出さつしやつた

ら祈祷に念が入る故に どふも付いては居られぬぞや そふなけりやいつ迄も體は退かぬ取殺すが 何と/\と

 

身をづるはし怒れる声は傍に立つ 襖戸障子びり/\/\響き渡つて生き口は神あがりしてさめにけり

合点行ねど伊左衛門様子あらんとためらふ内 ぬからぬお辻が指寄て あらそはれぬ今の生き口ふしぎな

やらこはいやら 相手に成たわたしさへ いきせいはつたでほつとした お前は猶かしお草臥 サア/\ゆるりとお休みと いひ様

綿帽子ちよちと取りソリヤこそ男じや ヤア儕は医者の官宅 大衒めといはれて赤面なぶ三宝

金財布を引掴み 逃るをやらじと伊左衛門追っかくればコレ/\待た 今をもしらぬ大事の病人 お前は傍に

ござらにやならぬ アレ/\奥から呼でござる 金はわたしが取返す 気遣ひ有なといひ捨てて跡をしたふて 

かけり行 既に其夜もふけ渡りしのゝめちかき横雲の たなびく空もほの/\゛と明くるもつらき

 

 

87

官宅が 面まばゆく息切て足をはかりに逃来る 川原に小かげもあらうたてや どつちへ逃ん隠れんと

跡先見廻しうろ/\と うろ付く中にかけつてくるお辻が見付てコリヤ/\/\ 金を戻せとむしやぶり付く 肘(かいな)掴

でふり飛しヤアのぶといげんさいめ 爰迄追てはよううせた 金のかはりにかなこぶし コリヤコレくらへとぶちかゝる

手先潜(くゞつ)て懐の金の財布を引出せば とつこいならぬともぎ取て逃んとすれば又取付く 裾も袂も

引はなし かけ行跡から足首取りコリヤ/\やらぬと引とめられ 脚一本のからかさ立 風にしぶけるごとくにて

くんつころんづいどみあふ 後ろの塀の窓よりも様子見ている伊左衛門 かけ行間もなく当座の気転 庇

につつばる鴫の觜(はし) ひつはづして打かけられ はづさん逃んとあせる中 お辻はやがて起上る 取付を立

 

蹴に蹴倒し踏付るを 戻りかゝりし喜左衛門 かくと見るよりかけ寄て首筋掴取て投げ 人の目くらます

どろぼうめと 踏付られて官宅が 命のかはりと投出す金 喜左衛門が手に取中ほう/\遁れ

逃行くを ヤア卑怯者めと追かくる コリヤ/\まて/\ 金取返せば其金が野辺の送りに入るはいやい

のべの送りとは ハテ夕霧は死だはいやい ハアはつと斗に顔見合せ 涙玉ぎる心地してなく/\ 帰るぞ「浮世なれ