仮想空間

趣味の変体仮名

御所桜堀川夜討 第二

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html

       浄瑠璃本データベース  イ14-00002-308

 

18

  第二

施しは財(たから)と法と無畏の三つ 権者(ごんじや)の詞さかんなる 九郎判官義経いまだ牛

若たりし時 五条の橋の千人切と 世の取ざたも年月も早十三年 千人供養とぐ

べしと橋詰にかりやをうたせ 幕の中には駿河次郎清重切れし者の月日刻限

日次(ひなみ)の控へに引合せ 御施行をひかるべしと高札を立ければ 洛中洛外の町人百

姓聞伝へ/\ おれも切れたかも切れたと毎日五人十人宛 疵云立にさゝはらを橋

詰にこそ詰かけたり かゝる所へ源八兵衛廣綱 御廟参のついでながらお見舞申と

 

かりやに通じれば 是は/\廣綱殿 今日は頭(かう)の殿の命日 御菩提所へ御代参か嘸御

苦労 いや/\何の苦労 誰あらふ義朝公の御命日 源氏の禄をくらふ者 月々

の三日は廟参せいではかなはぬ して御自分が役目の千人供養は されば/\日をおつて漸

と人数のつごふも今少し あれへ詰たる三四人で九百九十九人 さりとは我君御若年の

時なれ共 僧正坊に習ひ給ふ剣術の手ひとさいつかな/\むかふやつもないと見へて

毎日/\くる人に手疵おはぬ者はなく 其時は平家の世盛り 往来(ゆきゝ)の剛億を

見て見方に付る御所存なれば 一命をはたす程の深手もなく 万死たる者には

 

 

19

親類によらず 縁者の端にも格別に弔料(とむらひれう)下さるゝ フウしたり/\今草木も

なびく源氏の御代 かやうの施しなされぬ迚誰(たが)くづといはね共 舌を恵む御仁心天晴源

家のよき石ずへ ヤア何か云間に御代参おそなはる さらば/\と源八兵衛 別れて御墓

へまふでける 駿河次郎日次(ひなみ)の大帳押ひらき コリヤ/\汝ら 最前も云ごとく我君

の覚書に少しにても相違有は御施行は渡されず めい/\其夜の物語早とく/\と

有ければ 雑色(ざうしき)供人いかつげに出ませ/\のこへに随ひ立出る 年は四十のかたて風ふう

/\仲間のたて者と 人より先に鳥羽の里車つかひの其中で 腕に覚の若盛り

 

往来をなやます天狗の若衆 出合て見たさにわざ/\と一里余りをきさら

ぎの 晦日(つごもり)の夜にくらがりから牛若様とは重荷に小附け いはひびたいを此ごとく切ら

れましたは丑の時 もふとふ違ひござりませぬと語りける ヲゝ其詞もあいさめの

ふるびた一腰さつするに 禰宜の中でもかすげの天窓(あたま)頤(おとがい)かけてきられしは口先斗で世

を渡り 商売とては千本通軍書歌書の講釈師 其頃は地主祭夜講釈して

帰るさ しかも春雨しきりに降てきみわるくたゞ一人橋だいに指しかゝれば くらさは

くらしまつしくらに討てかゝる受つ ひらいつ追つまくつつ 判官様は欄干伝ひ 擬宝珠(ぎぼうし)

 

 

20

にかた足立 慥切たと思たは違はず さうりのはなをふみ切てこけつまろびつのふ悲しや

人殺しと たつた一声夕顔の 五条あたりのしるべへかけ込み あまの命をひらいしと おのが家業

の仕形(しかた)咄し今見る様にしやべりける それにちがひもない/\/\身共は御所のお道具持ち

御覧のごとくやつこめが髭と尻とははれ道具 其尻をしたゝかに切れたは一昔 土用八

専寒の入は慥に卯月の十八日 お観音の下向道清水の坂に契りをむすび 安物

に通ひ樽ころりと明た酔機嫌 しやつふり一太刀扨もおれるは大悲の誓ひ まさ

かのときはかなはぬ 夫からふたゝび此橋へ紺のだいなしかんばんを うたぬ斗の逃疵跡 御施

 

行も疵相応に ずつしりでこはりませふとかつつくばふ 駿河次郎は月日刻限一々

に引合せ 汝めらが詞に違はぬ 是で九百九十九人の帳面済む 必々お上の御恩仇おろ

そかに存るなと 銀子も一枚平等に足り不足なくあたふれば やれ忝や有がたや

お銀子(かね)貰ふて尻切るゝとは正真のたとへのうら かやうの事なら千人切にまあ五六

度もあふたらば 閏の有大晦日の払いのたしにと打笑ひ別れ/\に帰りける 跡へ来

たるは 誰ぞ共 三十余りの女房綿帽子まぶかに顔隠し世帯しみても爪はつ

れ只ならぬ日の物もふでしきみに念珠くりそへて かりやの前に手をつかへ 私は日

 

 

21

の岡に住む浪人の妻 連れ合の父御わらはが舅 其時はまだ六十にたるたらす 春の

日の長きをくらし兼都は花の最中 気延しに見物と浪人のさび刀 衣装はよご

れ垢づきても心はよごれぬ武士の浪人 嫁女るす能かもしやと 暇乞なされし

其俤が此世の見納め しらせによつてかけ付見れば此橋に切殺され あへなき御最

期取ませて 夫は奉公かせぎのるす姑御を始め わらはが歎きを御推量 跡で切

人(て)は判官様と聞たれ共 恨つらみも人により時によると思ひくらせし年月も 十三

年のお弔ひ 是はまだしもきどくな事 望有舅の命外々(ほか/\)よりも経念仏

 

たんととなへてめいどのもうしう はらしてしんぜて給はれとめには涙を持ながら 云程

の事しとやかに武士の妻とはしられける 語る中より駿河次郎只フウ/\と小首を

かたむけ先(まず)待て女 見る通千人供養も 最前の三人にて九百九十九人の人数悉く

揃ひ 千人めは武蔵坊弁慶にてお帳面もしまる所に 思ひもよらぬ只今の物

語一図に合点ゆかず 其又月日は アイ則今日が舅御のしやう月命日 とき

米持て墓参りが慥な証拠 見す/\きられていた人を覚ないとは御卑怯おつとは

武士の浪人と聞お主思ひの偽りと せきにせいて詰かくれば だまれ女 天下はれた千人

 

 

22

供養 そちが夫を鬼神にもせよ武士のきよごんを云べきか 我君の手にかけ給はぬ

といふ称呼せかず共心をしづめとつと見よ 月の三日は休日と日次の控へに印有る

は御父義朝の御命日 人は勿論魚鳥の殺生さへ 戒め給ふお精進日 其日に限り

汝舅何故殺し給ふべき ナ 合点がいたかとくゝめる様に詰れば驚きエゝイ そんな

りや外に殺してが ある/\ さつする所老人に意趣有やつ 切殺して千人につきま

ぜ置しに疑ひなしと 聞て女はハアはつとしばし詞もなかりしが 御覧のごとく身貧な

私 ない事も有様に云なし 施行のお銀(かね)をむさほるかと御さげしみも 恥かしや 外に殺し

 

人(て)有ふとは夢にも思ひがけもなく せいた儘の悪口雑言ごゆるされてと立上れば

ヲゝ疑ふも尤 親を討れし夫が心根推量せり 身共は駿河次郎清重 用事

有ば館へ来れと慈愛の詞に一礼のべ春の日脚(あし)も八頭 くれるにはまだ程遠き

日の岡さして立帰る 折から梶原平次景高頼む鮫嶋蔵人は 義経に討取れ

盗取たる廻文も奪れ 若しは尋る手がゝりもやと せんぎのめてども雲をつかむひば

りげに打またかり 清重をちらと見付わるい所の出合頭 駒の頭もうなたれてしらぬ

顔に乗廻る 見ぬ顔させぬと駿河次郎向ふにすつくと立はたかり ヤア珎らしや

 

 

23

梶原に 汝上洛せばさつそく主人の御舘(たち)へ参るへきに面(つら)たしもせず 洛中は主君の膝元

馬の蹄にかけ乗打するはフウ合点/\ 平家亡びてより鎌倉殿と御兄弟御中むつまじ

からす 汝親子が讒言にて討手にきたるに違はぬ/\ サア堀川の御所へ参つて有の儘に

白状せよと詰かけられ 返答ぎちとつまりしが よはみを見せじとから/\と嘲り笑

景高が大名左様の礼儀をしるまいと思ふか 此度鎌倉殿より御不審の条々一

々承つて 上洛したる梶原は御上使 汝らふぜいが乗打をとがむるが先緩怠 一つには

又判官殿言訳の筋も立 御兄弟の御中御和睦も有様にと 加茂祇園

 

野の社にきせいをかけ 只今参詣する所と 口から出次第神あつめうそ八百に云廻せ

ば サア其御ふしんの一々いへ聞ふ イヤこしやくな汝か聞て何とはんだんなすべきと たづ

なかいくり乗出す おつゝをつかんで待て/\/\いあhぬは曲者何分主君の館へ参れ 異

義に及はゞ鞍つぼにくゝり付け引ずつて行かくごせよと 二三間引戻し尻居にどう

ど投付くれは 梶原馬上に反橋形(そりはしなり) エゝにつくき清重 上使に向つて重々の狼

藉それ引くゝれと 声に随ひ数多の家来 ばら/\と立かゝるを駿河次郎 え

たりやおふと取ては投退け つかんでは打付/\梶原めがけ飛てかゝる こはかなはじと一(ひと)

 

 

24

むちあて 一さんにかけ行ばけらいもほう/\逃ちつたり いつく迄ものがさじと追かけしが

いや/\/\ 一先主君に申上ふ 思へばにつくい梶原めと かけ出しては立戻りよし/\ 生け

てかへすも千人供養と心一つでとつおいつ 思案の底を堀川の御所を さしてそ

〽帰りける 都の出口 きて見れば 愛宕参りやいせさんぐう 引もちぎらぬ往還も夜

は旅行の跡たへて 人音まれにあはた口木々の梢も若草も 名残の霜にてりそ

ひて 姥が懐物すごく 星の光もくもる夜のあやあなき道をのつさ/\ あゆみ来る

は大津の町ふるきしにせの見せをはり みゝずも通る名も通るゆきゝもとふて池の

 

はた 針右衛門とて遠目にも光もびん付きあたまがち つよい事すく腕じまん

覚もなりより力より 心斗のうはき者京のとくいをかけ廻り 日暮てかへる道のへの

かたへに積だるいなむらより ヤイまて/\とねだれの胴声聞て恟り飛退しが ムゝ合

点/\ 爰は名代の姥か懐 狐狸のわざても有まい剥ぎめらに極た 望む所とずつ

と寄り大津八町に隠れもない 地のはたの針右衛門しらぬかい 待てとぬかすは何奴じや ヲゝ

針右衛門聞及んだ おりや見へた通の稲むら ヤこいつめつそうな 橙子(だい/\)か物いふたは見せ

物に有たれと いなむらが口きいた例(ためし)かない ばかつくさずと用が有は出さつてぬかせ

 

 

25

ヲゝ出なといふても頬(つら)見にや置ぬと によつと出たる大男力士のことくつゝ立はきよつ

とせしかひるまぬ顔 コリヤヤイ我か用は聞に及ばぬ 酒手で有ふか あたゝかに此男

鼻紙一枚やりやせぬはい 退て通せはそつちの仕合 わるふ働だてすると身内がか

ねの針右衛門 くつしや/\突てくりよとりきみかゝれど見向もせず ハテやかまし

あごたゝかすときり/\ぬげやい ヤア何じやぬげ ハゝゝゝこいつこりやねとぼけたか 相

撲じやないそよ 裸にしたくば腕先でならはさあとれ サアはげと身かまへしても

うこかばこそ ヤアおさめ過たどろぼうめ 此ぷつぷとふきでる力こつちから見せ付んと 胸

 

づくしをしつかと取 何ときついか どふも得せまい 所をずつとこふ差込み引かついて コリヤ

いかぬは めんよふ常はよづいくが さあといふと場うてがする ムゝ其筈勝手が違ふた こん

どはこふ取yんと是でもやられぬ やられぬ物は乞食の悪口 相手に成ていらぬ物赦し

てこまそと退て見てもむしやくり腹 思へば無念と又取付 腕もきはなしそつ首よはこし

ひつつかんで 深田の中どうど投れば あいたゝたさつてもひどいコリヤむごいと 身内を撫て

なむ三宝 今の拍子に財布を落した アゝまゝよ そこらに有てもくしやせまい エゝ

こんな事ならかまはなんだがかちじや物 力だてして銭出して いたいめするは盗人に

 

 

26

おい されど布子は助かつたと ほう/\逃て帰りける 財布取上是は扨 たりにもなら

ぬめくさり銭 むだ骨おつったとつぶやく向ふへ くるは/\こいつは慥に実の有奴 遁しはせじ

と咽づんばい 先はそれ共しらね共心から吹おく病かぜ ふう/\者はおらぬかとこはさ紛す

高念仏 なまいだ なむあみたいやほう ほうど出くはせコリヤやらぬは 其懐な物置

ていけと声かけられて アゝ是々持合せがありや如在はない いかな/\一銭もやないとは

いはせぬとぼけまい からたににせぬうぬが足音 重いかるいで有ないは目をかけた程しつ

ている 銭も有ふかねもしつかり持ておろと星をさゝれて コリヤきめう アゝ目高に

 

あふててめはならぬ 我らは三条釜の座の金四郎といふきん五好き 夕部大津で引かけた

りや 勝つ程に/\板銀(いたかね)一丁銭三貫 汗水ながして取た物を 又物せふとはそりやどうよく

今夜の所はかこふてもらを 重ねてしんぜるしびんも有ふ 了簡なされと云捨て逃ん

とす どつこいやらぬと飛かゝりかた先tるかんで引けばひよろ/\ アゝこりやどうじや 引戻

すはあざきりか ヤアうごくな四民をはづれのら遊びのほでてんがう 儕らに金銀

持たすは国土のついへ とても口先では渡すまい手みじかにばらしてくりよ アゝ其ばら

すはきつい禁物 まゝよてんとれ金四郎が不運 七里八地は馬でもこすに 越にこ

 

 

27

されぬ姥が懐我らが懐ぜひがない どうだいに三つを見たと皆まけたして逃て行 爰

へいきせきくる男くらさはくらし気はいらちつ 行当つてあいたしと 御ゆるされて下さりませ 少(ちょっと)

急用が有れはきのせく儘の麁相 イヤ麁相は赦す アイ/\ 其代りに酒手せふはい エゝイ

といふより身はわな/\サア出せ アイ/\ 出さぬか アイ/\ 出しおるまいかと引とらへ わつとさけ

ぶをむりむたい懐さがし コレ/\是程有物をこはい奴じやと つき飛されてとうどふし 涙

はら/\大声上 テモ扨も情ない たゞさへづゝない暮しをするに 一人の親が大煩ひ今を

もしらぬ危ふい命 せめて髭人参でもしんぜたら取とめる事も有ふと 心はせけ

 

共何をとうとのあだてもなく せんほうつきて京の妹が給銀の内 拾匁かつてもら

ひ 一足も早ふいんでと力に思ふたかいもなふ 此やうなめにあふてすご/\戻つて何と

せふ みす/\親を見殺すは テモ扨も情ないと大地をたゝき身をもだへたゞわつ/\

と泣より 外の事ぞなき ムウ何じや親の大病人参が呑せたさに 妹が給金かつた

のか アイ漸と拾匁 夫をおまへにしてやられて 親父様はしにやります 悲しいめを

見よふよりいつそ殺して下されろ 歎けば共に涙ぐみ ムゝ身共も煩ふ母一人孝行は

同じ事 コリヤ銀戻す 大切な場に成て髭ぐらひではとゞくまい 大人参で養生

 

 

28

せいと板銀(かね)一丁投出せば エゝイ是をわしに下さりますか ヲゝ孝行をかんじて儕に

やる 人の親も我親も大事に思ふは同じ事 親の為にする追剥むごい銀は取

ぬはい エツエ忝いじひぶかひけつかうな盗人様 お銀を下さる冥加の為 せめて

は布子を脱ましよかと帯ときかゝれば ヤイばかめ剥ぐ程なれば銀はやらぬ暇入ず

と早うせて 養生しおれとつきやられ 是はまあ夢ではないか追剥様に銀

もらふは命めうがな親父様 人参が切たらば又はがれに参りましよと 銀にたゞいて

帰りけり エゝほへおつた斗(ばっかり)におた一丁ついもめたと 跡ふりかへれはしづ/\と雪かと見ゆ

 

るぼんぼりわた 引しめきなす女のしよていむまい/\まつぱだかにしてこまそと あゆみ

くる先つゝぱつて コリヤめつさい わんぼう脱げといふに驚きアゝこはと 跡へ逃るを引つかま

へ顔見合せて ヤア女房共か郷右衛門殿か是は扨 こなたはまあどうして爰へ ムゝ聞

へた此間毎夜/\出さしやるを 合点がいかぬと思ふたが よふも/\此やうなこはい事 ヲゝ

思ひ付たも母を助る営み 武士の落めに切取強盗恥にもならず それ共非道

の銀はとらぬが そふいふわりや母の病気の介抱を 隣の嬶に誂へて今迄どこに

はいつていた サアわしじやて母御のそば常は一寸放れねど けづは父御の御命日 せ

 

 

29

めてお墓へ水なりと手向と 参つた戻りに五条の橋 千人供養の所へいての ヤア

おのりや施行受にうせたな ハテなんのいの イヤサ夫受る程なりや此ざまになつ

てはいかぬはい コレそんな事じやない大切な今の事 ヤ今の事とは ハテ彼相手が違ふ

たはいの ヤアそりやどうじや サレバ段々訳は有共長い事 爰で咄すも内が気

づかひ ヲゝそれよ 道々聞ふサア/\こいと打つれて 帰る夜あらし山おろし梢この間

もさら/\さつと ふけばちるてづ身の住家急ぎて こそは〽越へわぶる 浮世の

峠せぐるしき 大津と京の世渡り道向ふ脚(ずね)から出る日の岡に住む浪人有 南蛮の

骨つぎ郷右衛門と名をしるし 桐の古木の看板も琴の音ならで世にひゞき

つめりくる療治人切疵打撲(うちみ)骨違い 式はかつけ頤はづれ其夫ゞの膏薬

を 妻も見馴て習はねどのべて離ぬ女夫中 人の痛みは直せ共夫(おっと)の老母の御

大病 薬も術も尽はてゝ夫(それ)故心の痛には 付ふ薬もなかりけり 女房

膏薬延べしまひ奥を覗て申/\ 御療治人が三四人も待てござる おつと心

得立出る郷右衛門 紙子羽織の大廣袖金気(け)はなれしつか廻り 内でもふだん大

だらをさすかに武士の牢人と いはねど見ゆる其ふぜい ヲゝ皆待どをにござらふ 身

 

 

30

共が老母大病今晩もしれず 療治所じやなけれ共 せつかくわせられた物見て

進ぜう 一番は誰じや ハ私でござります なんと召れた 夜前京からの戻かけ

松坂の成敗場を通ります時 兼て追剥が出るぶつそうなと申にたがはず 太山の

様なてうどおまへ様のやうな ハテめいわくな身は追剥はいたさぬぞ イヤ/\お前

様とは申さぬ やうな男がてうどおまへ様のやうなこはいこへで 酒手をよこせと申し

ました 私もみかけとちがうふて腕に覚は有 今一倍こはいこへて大津池のはたに隠れない

針右衛門しらぬかい 剥だ物が有ばこつちへよこせといふやいなや 剥にかゝるまつかせと引かづい

 

て 深田の中へまつさかさまに投込はこみましたが 脚(すね)がかつくりといふて痛出し やう/\

杖にすがつて参りました 御療治頼上ますと則剥だ其人に まつかへさまの物語

おかしさこらへて郷右衛門夫はいかひおてがら どりや疵見てしんぜうと脚押まくり

とつくと見 コリヤ投た物じやないお身てひどく投られたな アノ夫が見へますか

投げあれた斗じやない剥れた迄か見へ申 ハテ面目もない 何を隠そふしたゝかに

投られました 去れ共心有追剥で財布に遣ひ残した銭斗 着る物はたすかつたいた

みkさへ直れば 取られた銭は一(ひと)精出せば終(つい)戻る とふぞお慈悲でござります 御療治

 

 

31

なされて下さりませ 直しておませふ女房共 あぼすとろんにあるまんすをちと

まぜて付ておましやれ 次は誰じや イヤ私でござりますと きどく帽子にて綿

きせ頤かけて引くゝり 目斗見せたは何女おやじめく者つれて出 私は山科の挽(ひき)物

師 こいつは嫁でござりますが コレ此やうにと綿も帽子もかなぐれば 頤はづれ

てぶら/\と翁の面(おもて)見るやうに 鼻から下のおもながさ 聟が達者で甘ひ物くはせ

過し頤が落た 蝿もえおはぬ様に成おつたと 舅の歎きろくろで骨をけづらる

やうな 御療治頼上ますとおろ/\涙いぢらしし いやそふでない 此名を落架風(らっかふう)と

 

いふて 男女に限らず仕事するか 物を見るかなんでも有気をつかすか 或はあほうげ

に欠(あくび)などすればえて有事 此儘で置けば物も得くはず 段々と頤がおもふは成いたみは

する 死ふより外はない そつちは一大事此方は心安い療治 直しておませふ女房共ふろ

敷よこしや エゝ残り多い京中の腹はれ共に是が有ば いつかど礼銀してやる物 しほつて

もやせ親仁よもや汁はたるまいと たはふれながらふろ敷すつほり打きせて あたまおさへて頤

をいらふ手品の一はづみ サアかゝつたはとふろ敷とれば 嫁はえしやくし手をつかへ扨も/\有がたい

コレ物いふまい二三日もあしらはねば又はづれる 薬に及ばぬのいた/\ 次は見しつた六地蔵

 

 

32

捨鞭(すてぶち)の三蔵じやないかなんとした アイ旦那殿あたぽつこしもない さきおとゝひ鎌倉いきの

卅二三貫有荷を付かへるとて 此かいながほつきりといふてから いたんでからかゞまいでから此様に

はれがきてから もふよいはから/\いふな見てとらせふ爰へこい ホゝウしたりなコリヤ大ごと 肘(ひぢしり)の

骨がくいちがふた嘸いたまふ わるふすれば死れ共なんばんの骨つぎ 郷右衛門がひみつの療治 立

所に直してやらふ 女房細引もつておじや ヲゝよい時見せて仕合者と いたむ腕(かいな)を引よせて柱に

しつかとくゝり付 羽織引ぬき身かるに成 手水はちにさしかゝりずはとぬいたるだんびら物 水

さら/\とくみかけ/\鼻の先をひらめかせば 見るに生きたる心もなく 申々夫でどふなされ

 

ます うでぶり放してつぎ直すはい なふ悲しやと大声上エゝ/\/\/\と男泣 ばかなしやつつら吼(ほゆ)

れば直るか 今切放してつぎ直せば本のごとく役に立捨置ば次第/\に腫上つて 終には一命

をはたす基と成 切放す間は一思ひ役に立は身一生 人も聞く吼まい/\ でも又是はむご

たらしい むごふなければ療治にかゝらぬ サア今切ぞとふり上ててうど切まねおつとのむ こ

きうのはづみ引く拍子腕のつがいがつくりと もふよい/\ちがふた骨がとつくとはまつた もはやい

たみがやもふがな ほんにやんだはスリヤ切はなしはなされぬか ハレやくたいもない 耆婆(ぎば)や

華駝(ぐはだ)がわせても切はなして何とつがるゝ物ぞ 臆病を見こみに身を引く拍子 手をさへず

 

 

33

に本腹させる是がなんばんひみつの療治 此膏薬ではれもへる 何ときめうな療

治かと 聞て皆々恟りし扨も頓智御はつめい やがての内に天下道具けがせふならば今の内

神か仏か長居恐れ是々腕(かいな)がいごきます 足が自由に成まするハア有がたい忝い サアお

いとまと女房の そば面々しや礼指し置て悦び打連帰りける 夫は奥を窺ひ見て女房

を小すみへ招き 母もまだおめがさめぬ 此間に夕部道すがら咄た事を今一度聞たい 弥夫

が治定(ぢじやう)で義経殿がおうちやらねば 親の敵は外に有嬉しや義経殿とちがふて詞にぎり

も遠慮もいらねば 其敵誰じやといふ夢程も心当がない 雲に汁ができた様で又雲を

 

つかむ様で 分別にあらはぬ 万に一つ聞た内手掛りに成そふな事はなかりしか 今一度語

れと念入れは サアそふ存で段々念を入たれば 駿河殿もくりかへし/\帳面の御吟味何月

幾日の夜幾人(いくたり)何の物着て いくつ斗でどふでかふでと小袖のもやう年かつこう 刀脇指の

拵迄明白な帳面 都合九百九十九人は其所縁(ゆかり)の衆が皆施行いたゞひて帰り 十人めは武

蔵殿で帳面さらりと相済 みぢんも胡乱な事もなく手がゝりに成筋は猶なし おい

としや誰が殺して千人切の内へつきまぜ 咎ない義経様を疑はせ大事のおまへはうづもらせ

是迄さへ有物を又此上の心つかひ 御苦労なさるが悲しいと涙催ふす折からに 表に人あま

 

 

34

たの足音して乗物かきすへ 立出る其行粧(ぎやうそう)頭(かしら)は稚髪の大男 足利やうの長羽織平

柄の刀引提立出 頼入んと案内こふ 女房立出となたそやと答れば 南蛮の骨つぎ郷

右衛門といふは此家とな 在宿ならば御意得たし ハアどなたか幸宿におりまする 然らば罷

通らんとしづ/\と奥に入 いまた不知案内御免有 郷右衛門とは和殿よな 子細有て

我名は申さぬ 骨継金瘡の療治 御巧者と承つて推参致す 頼入たしと有けれは

巧者と御聞なさるゝ上は下手と申も諛(へつらい)かまし 其がくせとして名も所も聞いでも お

頼なれば療治致す シテ其お痛は 療治してくれめされうか 忝い/\と弓手の片肌押ぬい

 

で疵さしむくれば立寄て つゝみしふくさ物ときほどきとつtくと見 ムウ疵口はわづかなれ共きつさき

骨に当つて しかも手の口定らぬなまくら疵 是は嘸お痛なされうが 療治致さば早速

御平癒 女房膏薬箱持てこい ホゝウかた先にも古疵(こきず)の跡 こちらの切口とは違ふてヲゝ

天晴な刀の跡 此時は嘸御難義 御人体に似合ぬさい/\きられさつしやるの されば/\其疵は十三年

以前 身も未浪人の時で養生にめいわくいたいたさ 何として又切れさつしやる 浪人の時なら

ば辻切追剥でもなされての事かい イヤそふでない そふでなくば押入か強盗かどうで

ろくな事では有まい ハテめいわくなそふとはれては語らずばかなふまい 物でおじやる 此疵は十

 

 

35

三年いぜん其頃は平家の世盛り 身が普代の御主人は子細有て 東国にへうはくの御身

京都の便りを窺はんと其一人都へ上る 頃は三月初めつかた 地主(ぢしゆ)権現花ざかり 太政(しやう)

入道の次男平の宗盛 湯谷(ゆや)といふ女をぐして終日花見の帰り 是ぞ能(よき)折節見参せんと

六波羅蜜寺の小藪のかげ 立忍ばんとすれば人有て らうぜきなり何者といふ 木にもかやにも心

おく身の悲しさは 平家より付置く忍びの番と心へて 返答もせずぬき打にてうど切る きやつ

もさる者得たりとぬき合せ したゝかに切付しは此疵跡 され共なんなく切殺し見れば六十余り

の老人 そばに弓と矢有 扨は此人も源氏の余類宗盛の帰りを窺ふ我同腹中(どうふくちう)と 跡

 

で心は付たれ共詮方なく 早追々にけいごの提灯星のごとく 見付られては事むつかしと死

がいを引提げ 程近き五条の橋に捨置しは 其頃いか成者やらん五条の橋にて千人切 跡で聞ば

義経公千人切の十三年 追善供養なされしとや 夫とはしらず其仕業にせん物と 一時

のけいりやく 今源氏一流の世となつて恐る方はなけれ共 好事すらなきに

はしかじ 必々他言は無用 何が扨人には語るまじして其時の御假名(けめう)は 渋谷金王丸(こんわうまる)

昌俊(まさとし)今は渋谷土佐坊昌俊(しやうじゆん) 親の敵遁さぬとずはとぬてい打かくる 飛しさつてぬき合

はつしと受 コリヤ早まるな扨は今物がたり老人が世伜よな おんでもない事 さも有ん

 

 

36

せかず共名をなのれいかに/\ ヲゝ義経公の御内に去者有と呼れたる 伊勢ノ三郎義盛

千人切につきまぜし其老人は我父 伊勢の左衛門俊盛親の敵遁さぬはい どつこい先待て其

伊勢三郎は 義経公のこけうの臣何故に此有様夫聞たい ヲゝ汝が今の物語父を討たる其

時 我は駿州にさすらへ都に残せし此妻が方より しらせに驚き早速都へかけ上つたれ共

千人切も早事済で誰を敵と討べき様なく 又東国へ下つて無念の年月を送る所に

ふしぎに義経公の家臣と成て 西海四海の戦ひにも影身を離ぬ我なりしが 五条の橋

の千人切は我なりしと 去春初めて御物語 討ては主討やねば親への孝立たず奉公は猶ならず

 

母を養ひ殺しての跡は浮世を捨て坊主と がてんして暇を取 そのかみ盗賊せし時に習

覚へし此いとなみ きのふ敵は外に有と 女房がつきまぜの訳を聞出しても其名をしらず 再

び心をくるしむる所に 思はぬけふの対面は親人が是討てと 手を取て連てお出なされたか ハアゝ忝

ひ有がたいうどんげはおがんで折 親の敵は拝打立上れサア参らふとつめかけたり 待て早まる

ないふ事有 ヤア家来共尾籠千万何を立さはぐ 此家を遠ざけて帰るを待ていけ/\ 扨々

承つて御心中さつし入 いかにも爰はお相手に成 御本意とげさせたい物なれ共あつといはれぬ

其しさい 物がたる内先刀をひかれよ 今度鎌倉より義経公へ二ヶ条の御不審

 

 

37

平家一味の連判状と卿の君の首取て来れと 梶原平次景高を都へ上さる 彼梶原

父子逆櫓の遺恨によつて 義経の御事様々に讒言すれば 都へ上りいか様に事を破り

御兄弟の中悪敷(あしく)御身のひしに成てはと思ひ 鎌倉殿の御前にて一通の起請文を書き 梶

原と一所に此地へおもむく 案にたがはず堀川の御所へ忍びを入 彼連判を盗取 義経

の誤りにせんとたくむ 扨こそと其姿をかへ忍び寄 念なふ其連判は梶原が手より

うばひ取 ひそかに義経公へ渡さんと折を待 是此疵は其時の疵 梶原と一所に住む

屋形の内 龍爾の取さた聞へては返答むつかしく 御辺が名を聞て是迄龍爾を頼にき

 

たり 思いもよらぬ対面 我こど親の敵よと名乗て討るゝは安けれ共 爰をよく聞れよ

今御辺に本意をとげさせ討れては 誰か残つて義経の御身の上 事ない様に取はからひ

鎌倉殿共御中よく 梶原を鎌倉へはかへすべき かく親の敵の顕はるゝ上からは 御辺も

義経公に恨なく 主従の礼儀よもや忘るまじ 梶原を鎌倉へ返す迄了簡し 此敵討

をのべて給はれば其が初(しよ)一念も立ち 義経の御身も立つ 聞分てたべ三郎殿と 低頭平身

手をつかへ涙をながさぬ斗也 ヤア聞分ぬ/\ しらぬ中は是非もなし しつては半時も同じ

天はいたゞかれぬサア勝負/\ 夫は曲もない 所存のほいを達せんと思はゞ かへり討にうつ

 

 

38

事も有べきが夫は道ならず なふ御内所子細はお聞なさるゝ通り 歩に首を提られ

鎧をかたにかけぬ法も有偽りなし 梶原を返す迄のゆうめん お取なし頼入何が扨人にこそ

よれ昌俊様 そこに偽りは有まい三郎度の申し申しといへ共聞入ずいや/\/\ 女のしつた

事でないだまつていよ コリヤ昌俊 かへり討に討れうが討れまいが そりや互に時の運

裏釘かへすな一寸も待ぬ此座は立せぬ サア立上れといぢばる声 三郎待て義盛待て

やいと 母はふしどを立出て嫁を杖共柱共 ひかれまとはれ二人が中 ヤアえいと座をし

めて くりしきいきをつきあへず つれ合を討しやつた昌俊殿はこなたか ヲゝすかやかな能

 

器量や 義経様を御大切に思ふて上京さつしやれた咄聞ました いかひ御苦労サア緩(ゆるり)

となされ コリヤ義盛 余り物が了簡過る 夫では思はぬ間違が有物と 日頃しかつたそ

なたが 昌俊のわけておもしやる段々の断 けづに限つてなぜ聞入ぬ 但は生死(しやうじ)不定のせかい

日をのべて其内にしにやつてはと思ふてか夫は人に寄る 梶原が都の逗留もながふて百日

か百五十日 昌俊の命夫迄は母が受合 了簡して先いなしましやいの ハア畏たと申し

上たいが是斗は御赦されう 昌俊が命は五年三年延べても ちつ共さつかひこざらね共

けつtくお受合なさるゝおまへのお命 あすをもしれぬ御大病 其病のおこりはと申せは こ

 

 

39

いつが親父様を殺した故 十三年の御歎物思ひ 又其此方より暇を取て浪人し 世の諺

にも老の入まいとこそいふに 余命なき御身に貧苦をさせましたも こいつが千人切の中

へつきまぜた故 勿体なや咎ない義経公を討れぬ敵とくい/\思召れたおどもりか つもり

積つて此度の御大病 すりや親父様斗じやない おまへを煩はせるもこいつが業 一かたなら

ぬにくさ/\ 年来の蒙霧をさんずる今日只今首取て につこりのお笑ひ顔が見たさに

了簡は得いたさぬ 女房奥へお供申せ サア昌俊を討ては父のけふやう 母人も孝行にはならぬぞよとは/\いか

 

にとからげをおろし 驚きそばへすりよれは 父御は宗盛を一矢いんと忍び出て 再びかへら

ぬ昔語り 兼々母がいふたと昌俊殿の物語ちがふたか 討た此人も討れた父ごぜも同じ源氏

の為を思ふて見方打親にかけがへの有物なら此敵は討いでも 人が卑怯物とはよもいふ

まいと思へ共 そこは女のちへに及ぬ 今討て父のけふやう母へ孝行にならぬといふわけはな

まそつと先迄義経公を 親の敵と思ひつゝも得討なんだは 三代相伝のお主故ていはなかりし

か 其お主に鎌倉ゟ御ふしんかゝり 一大事の今此時立帰つて 御用に立ふと思ふ所存はなく けつく

お為に成昌俊殿を殺して 梶原めが思ふまゝに義経公を取つぶさせて仕廻ふたら さぞめい

 

 

40

どの父ごぜがれかしたとお褒なされうぞ 武士は丁人百姓とちがふて なんぼ親に孝行でも

忠義と武勇を忘ては 弦なき弓も同じ事 恥かしや昌俊殿君の為に我を忘れ 頭をさげ手を

ついて段々の断(ことはり) 敵としは猶恥有物 ぎりを忘て何しや此座を立せぬ ヲゝ見事な武士道此上

はとめぬぞ サア討て ふり上る刀の下母が先へ死で見せうぞ エゝ悲しや其心では一生其身でうづもれ いせ

の名字も是が義理是を思へば昨日にも死したらば 此憂めは見まい物ばがらへてうき命やと 我身を

かこち子を恨かつぱとふして泣さけぶ 三郎大きに身を悔 御存生の内敵の首おめにかけたいと

思ふ一図に主君を忘し誤り まつひら御免下さるべしと妻諸共五体を投ふし詫言し ナフ土佐坊殿

 

子細はお聞なさるゝ通母の心を休むる為 梶原が鎌倉へ帰る迄 此方は敵討を延す所存 貴

殿も弥延てほしき御所存か何と/\ 是は/\忝い必定延て下されうか おんでもない事 ハア祝

着仕る 是と申も老母のお情 お礼の申様は夫よ/\ 幸の物こそ有れと懐中ゟ錦につゝむ

一軸を取出し 是こそ梶原が手ゟばい取し 平家一味の連判状 是を老母に進上申と 手に

渡せば押いたゞき あつぱれ是は何よりの賜物 我子が奉公帰参の願ひ義経公へのみやげ物 此上

の有べきかか斗心有昌俊殿 申には及ばねど我君の御事をくれ/\頼み参らする 敵討の義は格別

夫迄は義盛昌俊殿と中よふして 君への忠義を忘るゝな 命有らば又おめにかゝる所に長居して 人の

 

 

41

疑ひ受給ふな帰らせ給へ昌俊殿 実(げに)能(よく)心付られたりとつゝ立上り 伊勢三郎義盛と渋谷土佐坊

昌俊が けいやく金石のごとく 預りの大事の我命 只今持て帰り申 さらば/\/\/\と立出れば義盛もつゝ立

上り 天に不時の風雲有人に不時の煩ひ有 病気ならば養生くはへ早速にしらされよ 何が扨

/\御辺ゟ預る命 我身にかへて疎略はない随分けんごに勝負せん ヲゝ嬉しし頼もしし さらば/\と立

別るゝ鎌倉の義者都の勇者 あづまよ京よしやばめいど なづ母様の御臨終といふ声に立寄か

いもなき俤わつとさけべと歎け共帰らぬ死手の片便り 情は情仇は仇見るにたへかね忍び兼 こ

ほるゝ涙押つゝみなむあみだ仏 みだ仏と心ていふもせいぐはん力長き やみぢやてらすらん