仮想空間

趣味の変体仮名

浪花文章夕霧塚 第三冊目

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html

     浄瑠璃本データベース  イ14-00002-603

 

18(6行目)

  第三冊目

鳩の峯松に巣をくむ雄(おとこ)山 東谷の賑はしさ社務神主も集りて 勅使のお入と不

 

浄をはらひ褥を設相待ば 早御出と下(しも)男箒片手の注進に 皆々出向ひ待居たり 山城

の中将春房卿社参終て別家の休足 坂本坊に入給へば 社家中務(なかづかさ)御前に出 種々の饗

応事終り御休足の間を見合せ 改て手をつかへ 最前より阿州児嶋殿の御家来 平岡左太夫

と申者伏見の里にておめ見へ致し 宿坊にて相待との仰故指ひかへ罷有 御賢慮次第御呼

出しと申上れば春房卿 伏見の里にて左様の者対面したる覚なし ふしぎの取次心得ず麁忽な

らんと有ければ イヤ使者の仁体年ばいと申麁忽にも相見へず お出を待中使者の趣を尋し

に 児嶋の家の重宝小倉の色紙 指上よとの仰に寄て持参致せし由 御覚へも候やと尋

 

 

19

申せば打點頭(うなづか)せ給ひ 其色紙の事は先達て申遣はし此方に覚へ有共 伏見の里にて其使

者に逢た覚へさらになし 何にもせよ色紙持参と有からは呼出して対面せん それ/\との仰に随

ひやがてかくとぞいひ伝ふ 平岡の老人は摺かへられしを夢にだに 白髪あたまを押さげて御目

通りに畏り 先達て伏見の里にて申上し通り家の重宝小倉の色紙 御落手有て国元

への御返書願ひ奉ると畳に ひれふしいひ上る 春房卿は先達て伏見の里の対面とは 心得ず

と思ひながら 兼て望の定家の色紙 先ず拝見と箱取上 ふた取て色紙をば つく/\と打詠めさせ

給ひ ハアゝよく是は定家やうを書覚し贋筆 是は児嶋の家の重宝なるか 歌道の家と聞

 

けるが汝が主はぶこつ者よと 仰に左太夫恟りし 何と御意遊ばす 此色紙が贋筆とはお目違か

御麁相かと 血眼に成て摺寄り 御顔見るよりためつすがめつ 御分様は伏見にて御意得し山城

の中将様 春房様ではムウ扨は御子息か御舎弟かと 思はず慮外の仰天顔 傍よ神主これ/\

麁相いふまい あなたが則中将春房卿近寄は恐れ有と 制してもいや/\/\ 身共が伏見でお目

見へしたは六十に余る御面体 則其場に贋筆有て見出し給ひし中将様はあなたでなし外にありと

摺かへられたに気も付ず詞争ひ云募る 老の心ぞいぢらしき 中将殿は御機嫌よからずヤアうろ

たへたる侍 勅を以て集むる色紙是にも三枚所持したり 合せ見よとお文庫より取出して

 

 

20

見せ給ひ 筆勢はよくにたれ共 今書し墨色と古筆の墨色かほどの違ひ よく見合せて疑

はらせと長袖の 老人たけにことわけて仰につく/\゛打詠め 黒白違ひし筆の跡はつと斗に胸ふさ

がり赤面詞もなかりけり 春房卿は件の色紙取納め 此贋筆は詮議の種 此方にも疑

かゝる よもや児嶋の家に正筆ならぬを重宝とはせまじ 伏見の里にて中将に逢しといふもふし

ぎ よく/\吟味致せよと 心を付て春房卿御座を立て入給へば 禰宜神主も仰に付 御休足

の一間へと奥へ招待なしにける 跡に左太夫途方にくれ 暫し性根もなかりしが ふいと立て袴ぬ

き捨身をかため ハア最前伏見にて中将といひしは贋者 摺かへ取たに極つたり 儕追かけ一ひしぎ

 

と かけ出しがイヤ/\/\ 気のせく儘に宛所(あてど)なき思案 今一度春房卿の了簡受んと 奥をさしてかけ

行しが ハアいや是も叶はぬ事 とはいへ国へも帰られず何とせんかとせんと 立たり居たり身をもだへ 武士

の冥加に尽果しが 無念な口惜しと 霰の様なる涙をば 袂に受てどふどふし前後 ふかくに

泣けるが ハツア是も又迷ふたり 指当つて勅使へ言訳国へは元より 火宅を出んと両肌ぬぎ 指添

ぬいて左の脇腹ぐつと指込血煙に 出合頭の禰宜神主是はと斗騒立 神社穢勅使へ

恐れ殺すな死なとてん手に取付き 坊方へのしらせの使外科本道の呼使い上を下へと返し

ける 左近夫婦は八幡へ参詣宿坊に待合せ 斯と聞より逸参にかけ来り エゝこは情ない

 

 

21

親人何故の御切腹 子細はお聞せ下されよと涙と供に尋れば お雪も供に取付て 今朝伏見で別

るゝ時お心がゝりな事あらばなぜおつしやつて下さんせぬ 俄の事か兼ての覚悟か 訳を聞して下さん

せと 夫婦両手にすがり付き 介抱すれば息をつぎ ヲツヲ親子の縁の尽ざる故 さいごの場所へかけ付けた

かヲゝ嬉しし/\ そち達に語るもめんぼくないが 藤の森にて勅使出立の衒に出合 贋筆と摺

かへられ今誠の中将殿に指上 面目を失ひ申訳なさの切腹 若い者はやられずとお見出しに

預かつて よい年をして此左太夫摺かへられた衒られたとどふ頬さげて国へいなれう 其方迚も親

の誤り浪人はしれた事 せめてその申訳には我切腹介錯し 首を国への土産に頼む コレお雪

 

孫のおとせめによふ心得てたもれや アツア思ひかけなき長い別れ 嘸悲しかろ道理/\ 何とぞ衒取れ

た色紙をば取かへしてくれ左近 それば第一の孝行 嫁是迄は大切にしてたもつた ついにしみ/\゛礼はいは

ねど常住心で悦んで居ました 内気な孫めにはさたなしにしてたもと いふにお雪はしやくり上 其お

礼は猶悲しい 八幡の坊にて待合せ供に舟にと有た故たのしんでおりました 今の今迄おしがいを

お国へ持ていなふとは思はなんだとせき上て わつと斗に 泣しづむ 左近はとかふ詞もなく 思ひ寄ざる御

災難御腹召たは尤々 何と衒取た盗賊の名は御存ないか イヤなふ大事をはかる曲者本名を

明そふか 一人は中将殿の姿に成 今一人は駿州の浪人と斗雑掌も付ておつたが 今思へばのり

 

 

22

物が医者乗物 公家乗物ではなかつた 其時は旅行故と思ふたが因果 最早舌ももつ

れ息もとゞかぬ 苦痛させずと早く介錯 ハアイヤ其義は現在親の首御赦されて下さり

ませ ヲゝそれ/\どふぞ此儘お国へ連ましてはいなれまいか ヤア嫁も狼狽たな 我首を持て

いなずば百石百貫の礼物有色紙 切腹と斗いふてはお疑ひがかゝるは必定 早く首打て殿

への面晴 イヤ其義はいくえにも 討ぬとわれ七生迄の勘当じやが 是は又いつおつしやれぬ

むりばつかりとお雪はせき上泣沈む 左近は涙にくれながら 段々誤り入奉る御意に任せて御

介錯と涙ながらに立上れば ヲゝ夫でこそ我子なれ 頼む/\と引廻し片手を上れば是非もなく

 

苦痛を助る孝行と早くも首を討落し わつと夫婦が溜め涙生けるを放つ放生川水は血汐と

成にけり 御遺言迚親の首羽織に包んで死骸を収め泣入女房引立て 一足遅いも殿への不忠

帰らぬ事をと泣々も伴ひ出れば一間より ヤレ待て左近中将が尋度き子細有りと立出給ひ 夫婦の愁傷

察し入る 大切成色紙衒取たる曲者の苗字知たか見しつたか 何を以て詮議するやと仰に左近頭を

さげ 親共さへ存ぜぬ名苗字殊に其場に有合さねば 何れと面(おもて)を見知らず 天理に任するより

外は候はずと申上ればホウさこそ/\ イデ其せんぎの種をくれんと 彼贋筆の色紙を取出し 此手は定

家流なれ共他流の交る筆勢有 此手を証拠にせんぎせよと指出し給へば立寄て ハゝハゝはつと

 

 

23

頂戴し 冥加に余る御情死たる父も 有がたからん 女房悦べ此上は早く帰国と立出る袖は涙にしめ

れ共 上(かみ)は直ぐなる敷嶋の道の道たる御めぐみ お礼申て夫婦づれ打しほれてぞ「立帰る