読んだ本
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四冊目 道行ひなの宮古路
春日野は けふはなやきそ若草の つまもこもれり我も又 籠れる宿に住居(すまい)兼 夜半に紛れて
遠近(おちこち)の たつきもしらぬ玉鐸(?)の 道たど/\し秋草や まのゝ萩原薄腹 思ひも深きつゝ井筒 いづゝ
の水は濁らねど にごる浮世に住み所 河原の院を心さし 背(せな)に逢瀬の兼事も 今は憂身の旅
の空 雲井にいつか帰らんと 心細くも見上ぐれば 頃しも秋の月影は 都の月にかはらねど暫しは曇る村雲
の 晴て再び惟仁君の 御代を照させたび給へと 合す手に手を鳥飼の一村二村打過て 薮の渡しもいつしか
に 果し長行けながめ有 宇治の里をば高手に見て 小倉堤にさしかゝれば 一里村に賎(しづ)の女が 夜の手業
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も月明かり 諷ふに歌の声さへて 君はまん水/\月の影曇る鏡のかげさへはれて 今は太平楽で世を
暮す ヲゝヲゝ/\嬉しやな さまははんなり/\花の影ひたく莟(つぼみ)の時さへくれば いつも太平楽で世を
くらす ヲゝヲゝ/\嬉しやな 嬉し思ひの井筒姫 業平卿も我君の御代を祝する辻占と心の願ひ
有常が詞を思ひ立どまり 御身は恬子(よしこ)内親王 此業平が宿の妻とは勿体なし 先帝の勅
定なれば 此後伊勢に下向有 斎宮となり給はれと 仰に姫は涙をうかめ 今更そんな胴
欲な 難面(つれない)仰は何事ぞ たとへ齋(いつき)の宮じゃ迚 そりや自らは知らぬ事 やつぱり井筒の底
意はなく 思ふも無理か今の世に しらぬ人なき御器量の 鏡ともなりあなたじや物 此日の
本(もと)の姫ごぜが 見ぬ恋にさへあこがれて みんなほれなさる殿御ぶり まして嬉しい
お情を うけて片時忘らりよかそれに今さら改めて 勿体ないの何のとは
アノ高安のお娘様 生駒様へお心を かよはしなさつた其時も りんきねたみも
女子じやもの 思はぬでない思へども いふたらさがない心じやと お前さまのおあいそが
つきたらわたしやすてらりよかと 胸のほむらをしんぼうし した/\゛でいふすいとやら
心をきかていはなんふぁは ほんのほんぼの妹背中 かはらぬ心と思ふたに よふも気づよい
御詞 お気にいらずはいつその事おまへの手にかけころしてと 恋のいきぢはかへ/\も べつに
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かはりはなくばかり 業平卿モコと張りの 涙とゞむるかしこのてらしごなたのあかし
さてはおつてと立あがり くさのしげみやくさかくれ 一度にたいまつふりあげて
恋の関もり立あがり ヤア/\あやしの健男 おにひとくちといふ間もなく 寄るを寄せ
じとすゝき萱原見へつ かくれるかげろふの おふつおはれつくさむらに そでを
かざしのかゝり火と 供にてらすや月のあし ふけゆくそらにさへわたり 野邊に
みちくる追てのめん/\ くさ間にあんなれわれ先に 追い行く跡は人目さへ 啼き連れ渡る明けからす
空音(そらね)に有らで関の門明けかたちかくあかねさす 山のはごしや藤の森やう/\ たどりつきにける
五冊目
実(げに)や遷せば塩竈の 月も都の最中(もなか)成る 六條河原の院と申は 遊興に事寄せて 要害堅固の
備へをも 霧の籬(まがき)の嶋隠れ 主(あるじ)世を去給ひてゟ移れば替る行平卿 此館に入給ひ 須磨の汐風なつかしみ いつ陸奥(みちのく)
の風景を 仮の御所こそ華麗なる 勅使儲けの掃除役仕丁共寄集り ヤレ/\掃除を仕廻ふた心はさつぱりと
よいしやないか又六 サイヤイ此お館は融の大臣(おとゞ)様が千賀の塩竈をうつし難波の浦から海士(あま)を呼寄せ お慰みなされた所に
今では行平様へ下され須磨からお帰りと其儘 塩浜の拵へて有る館へお入なされたは とふでも潮汲に縁の有のと見へるわいと いへ
ば与次郎が歯抜のくせに觜(はし)かるふ 潮汲に縁の有のか行平卿の御病気の元 既に以て奥庭の桜 月
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に花盛り 夫(それ)草木(そうもく)心なしとは申せ共 御主人が気遣ひなりや 桜迄が気違ひじや 誠や猿も三日養へ
ば 其恩を知て尾をふるとは此事と 取てもつかぬ引き事も 知った顔の半平が ハテ時ならぬ桜の盛もりも 根をたんだゆ
れば松風とやらいふ女子に凝てござるからじや 何やらの書にかいた通り 桜/\と諷はれて どふでも男は悪性者に極つたと
譏り笑ふも下郎の癖 主のかげ云(ごと)表の方 古郷を はる/\゛爰に記三井寺 花の都へ初旅路 見馴ぬ御所のお
庭先 恋に心もつゝか/\ 跡から仕丁の幸作が コリヤ/\待おらふ 見りや巡礼の杓ふつてどこ迄行おる 御門前へ出おらふと
いはれておづ/\ 私は須磨の浦の者 行平様に逢ればならぬ用有て ムウ何じや行平様に逢ねばならぬとは
そんなら須磨での近づきじやな アイそふじやに寄て早ふおめにかゝりたいと いひつゝ行先仕丁共 幸作此女はこりや
何じやと咎れば 申祢宜様がた 行平様の居間へはどふ参りますへ 草結びか立(たて)石が なければ知れぬとしんき顔 ハゝゝゝゝ
同気相求るで又気遣ひが涌てきたと いへば幸作 イヤ/\ちよつと聞た所が須磨の浦から来たと云からは こいつ小店(だな)への
卸(おろし)並に極つた ソリヤどふして ハテ松風のこぼち売り歯脆ふてくばしい品形(かたち) 試みに一銭が所 上がつて御覧(らふ)じたは此女子
是が須磨のなみ菓子じや ハゝゝゝゝハゝゝゝゝと高笑ひ 洩れ聞へてや一間ゟ 行平卿の閨の友 寝覚(ねざめ)御前 爰に生駒も
嬪姿 しとやかに立出 須磨の浦から行平様を尋ね来たと有るからは 扨は噂に聞及ぶ 松風殿にて有しよと 仰に剛(こは)
/\指し寄て イゝエ私は其松風が妹(いもうと)村雨 不思議の御縁で行平様 須磨の浦家へお入の節 兄弟共に浅からぬお情に
預り アノ剛い兄此長兵衛殿の目顔を忍び 夫(それ)は/\嬉しい可愛 ホゝゝゝゝ 私とした事が こんな事を皆様(さん)の前でヲゝ恥かし
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何は兎も有れ行平様に 逢して下さりませふなら ハイ有難ふ存じますと 詞は鄙や都にも稀な形は産みの儘汐吹く
風にしやれ者は 須磨の色とぞ汲みてしる 寝覚御前察し給ひ ヲゝなつかしいも逢たいも道理去ながら御帰洛の其日ゟ
お心乱れ現(うつゝ)の様に宣ふは 只松風殿やそもじの事と 聞て村雨 エゝ何行平様はお気が違ひましたとや 思ひ当れ
ば姉様(さん)の恋し/\が通してか 嘸や未来も恋の闇 迷ふてござらふいとをしやと 打しほるれば ムウ何といはつしやる そんなら姉様
の松風殿は アイ姉様は死しやんした/\わいなァ そりやマアどふして何故にと 尋に村雨涙を押へ塩汲む海士の身に
過ぎた 雲井に近き御方と 一枕の添臥(そいぶし)は 女子の冥加に叶ふた ノウ妹 姉様と 悦び逢たかひもなふ 俄に帰洛
と立別れ いなばの山といふ歌に 烏帽子(えぼし)狩衣(かりぎぬ)取添て 筐とおつしやる其悲しさ 暇乞さへつく/\になる事か 情を
しらぬ都の使 早お舟を漕出す コレのふ待てといふても泣ても悔んでも 返らぬ追風(おいて)の怖(うらめし)く 筐の烏帽子狩衣を
見ては泣抱しめては泣 礒はたに延上り 見送る中に波立て 中を隔る汐煙 見へつ隠れつ跡しら波 所詮添れぬ此身
の上 魂御跡慕はんと 云も終らず姉様は 其儘波の泡ときへ 死骸さへ行方なふ 成果し身を何れも様 哀と思し給は
れと いふ声さへもないじやくり 涙のしぐれ村雨が 袂を絞る斗也 寝覚御前も供涙 扨も/\いとをしや 三歳(みとせ)の
契りに百歳(もゝとせ)の命を捨 行平様をしたふとは 鰭振(ひれふる)山と云伝ふ 其貞女にお劣らぬ操 夫に引かへ自らは 配所にござる我君
に 御宦(みやづか)へが仕たふても 行たふても 高位の家に嫁入(かしづけ)ば 世を憚りてはしたなふ したふ事さへ叶はぬ身の上 自らに成かはり 三
年が間配所の徒然(つれ/\゛) お慰め申して下さつた心さし 忘れは置かぬ嬉しいぞや 此上は御所に止(とゞま)り 松風と名も改め宦へ有
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ならば 未来の松風殿も嘸本望 そふしてたべと妬なき 詞に貞女顕はれて 深き情も有難さ 村雨は涙を払ひ
お心さしは嬉しけれど 姉様の菩提の為 三十三所の巡礼と 思ひ寄りし此姿 様子申上ましたればモウ用もない私 行平様に
逢たけれど ひよつと未練な心が出れば迷いの種 もふお暇と立上れば イヤノウ夫は余りな思ひ切 譬巡礼有に
もせよ 此館に暫しは逗留 恋し床しと思し召す そもじにお逢遊ばしたらお心の結ぼれふもとけまい物でもない 行平様
の御病気の 助け共なる村雨殿 ひらに止り下されと 余儀なき仰お時宜致すは却てお慮外 左様なら暫しが中
サア案内致しませふ イサこなたへと女中達 連て一間へ入にける 跡打ながめ 寝覚御前は兎や角と けふにつゞまる
勅使の返答 何と並居る仕丁共 今朝程より皆大義/\ 追付勅使お入の刻限 部屋へ早ふは休めの御諚 ハツト
一度に我先と 立て行跡幸作が 傍り窺ひ小声に成り 数ならぬ下郎めに一大事のお頼み 勅使来たらば拙者
が思案 ガ憚乍爰は端近 成程/\委しい事は奥の間でと 詞の半ば勅使のお入と披露の声 ヤア最早
お勅使お入とな 過急の談合幸作斯うおじや 先々お入と主従が 伴ひ奥に入る間程なく 惟喬の随
身懸廣連(あがたひろつら) 鞠岡龍太 坪坂丹内 各(おの/\)素袍の角ひし立て 勅使の権柄会釈もなく のさ/\上座
に打通る 出迎ふ生駒嬪に やつす取なり手をつけば 廣連邪見の眼剥出し 惟喬君の勅を蒙り 毎日/\
足手を引く懸の廣連 宝剣を請取るか雪平が首討つか 今日が絶対絶命とはきのふにも知れて有る勅使を踏
付けこりや何じや 男たいした家来でも有る事か 召使の女童(わらべ)が出迎ひ存外千万寝覚御前は何れに有
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行平を是へ出しやれ サゝゝゝゝどふじや/\と喚く声 翻簾(みす)に響いて騒がしし ハツア其お腹立は御尤 寝覚の御前早速に
お出迎ひ申筈なれ共 女の嗜む髪かざり 見苦しいはお勅使様へ不礼と有て暫しが程 男たいした名代は 却て
お気にも立ふかと 思ひ過しは不調法ながら 私が名代 お赦しなされて下さりませふなくば 有かたふ存じますと 会釈
余りし靨(えくぼ)にはさしもの廣連向ふ猪(しゝ) やにはにしかんだ頰(つら)打やはらき ムウシテ行平にはどれに居召さる ハツアノ向ふの
別館にて御養生 スリヤ行平は別館にとな ソレ早く参つて引立召れい 畏つたと鞠岡坪坂 つゝ立上れば一間
より 寝覚御前は転び出 先々暫くお勅使様 うつゝない我夫(つま) 譬御詮議有迚も 誠の品はわかるまじ 夫(おっと)の
かはり自らを ヤアならぬ/\ 行平をこそ詮議の役 女を詮議のすべがない 構はずと連召れい ハツトかけ出す両人を 止る
両人刎退け蹴退け別館さしけかけ行向ふに 塩汲車僅かなる浮世に廻るはかなさよ 恋草の露も思ひも
乱れつゝ心狂気になれ衣の ハアゝ誠に我恋は因果か縁か縁と因果は一落に擔(にな)ふ汐汲桶の 水洩ら
さじと契りしも 只仮初の戯れならず 三年(みとせ)は爰に須磨の浦 其別れに松風が筐にくれた汐汲桶 是を
見る度にいやましの思ひ竹 葉末に結ぶ露の間も 忘ればこそ燭(あじき)なや 筐こそ 今は仇なれ是なくば
忘るゝ隙(ひま)も有ふ物と 思ふ程猶思ひが増て アゝイヤ/\よしない筐いつそ捨ふか 捨てても置れず 取れば又俤に
立勝り 起き伏しわかで枕より 跡ゟ恋の攻めくれば 詮方涙に伏沈む事ぞ悲しき ねざめ生駒は立寄て 情な
や誰有ふ中納言行平様共云るゝお身が 浅ましい病ふの体四躰(だい)もない此お姿 心を鎮め給はれと 介抱すれば目を
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ひらき 誰じや/\ 行平を起すは エゝ誰じやと思へば塩焼きの太郎左が内儀やお娘(むす)か モウ仕業(しごと)仕廻やつたの 早
かつた/\ 又けふも茶込咄しで庄屋のお婆々を譏らふかい そりや何事を御意遊ばす 今日は是非禁庭ゟのお召
でござりますはいなァ ヤ何じやお飯(めっし)じや 禁廷のお飯ゟやつぱり須磨の麦飯がよいてや イゝエイナア御参内な
されねばと 半分聞てヤア/\/\ 産臺とはムウ又長三のかゝが子を産ん
だか テモ扨もよふ産むの おれが三年居る
中(うち)年子にて丁ど三人 サア/\是程の騒動に松風は何所へいた又塩竃のわきで悪生(あくしやう)やなどして居やせぬ
か ドレ吟味せふと立上り ハゝゝゝゝ人事いはゞ目代(めしろ)置と しやんと爰へ松風が 行平と召され候ぞや アゝ申またうつゝない事ばつ
かり あれは松でござりまする 何じや松じや 待つも道理 ソレは因幡の遠山松 是はなつかし君爰に アレ見や松風
月は一つ影は二つ三つかなはでは呑めぬ/\ ヤゝゝゝ何といふ お月様とたつた二人酒呑でお楽しみなされmせ といふて此場をはづすのか
そふはさゝぬ 放せ 放さぬ せり合中に膵(すい)を聞して月はいつ地へ アレ/\/\ 暁の明星が 西へちろり とかけ出す向ふを支へる龍太 東へ
ちろり ちろり/\とする時は 行平何国へ動くなと 詰寄る丹内 ヲゝ/\/\扇子(あふぎ)追取刀さいて 太刀の柄に手うちかけて逝(いな)ふ
よ戻らふよ 逝ふ共戻らふ共 何共そなたの御ぱからひと いふて小腰に取付く鞠岡ハリイと蹴退け いとしにはきりんの きり
りん/\ きり/\立ちやれと引立る坪坂を 押かゝつて車投げ こな/\恋へ恋しやと 狂人くるへば不狂人 供に狂ひくる/\苦しやと あなた
こなたとかけめぐり どふと臥たる有様は 詮方なくぞ見へにける 縣の廣連むくりをにやし 扨々取所もないどう気違ひ 詮議
する我々が馬鹿になる事 此体で参内さするも禁庭の穢れ よい/\此上は首にして 持帰るが勅使の規模 エゝ と
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といへば大方待てくれいと侘ぶるは治定 イヤモ彼是と問答も無益(むやく) こつちから了簡付けて暫く休足致してくれふ 暫時
の中に本性となり参内して申訳立つるか 但し宝剣差上るか さもなくば首にするぞ イザ奥殿(でん)へ案内召れ 必馳
走は無用の沙汰 どふ有ても用捨はないと いがみ詞の釘鎹(かすがい)打連れ奥へ生駒が案内 あはさう〽もなく入にける 寝
覚御前は夫(それ)の有様 何と詮方こなたの一間 村雨は走り出 恋しなつかし立寄て 折角お目にかゝつても いふても泣
ても片便宜(びんぎ) 申奥様 村雨殿 うつゝないお姿 エゝ聞へぬ病を恨み泣き押動かし抱付き やゝ伏沈み居たりしが 思
ひ寄たる風呂敷包 アゝ思ひ出すもいとゝ猶 涙の種と取出す 此えぼし狩衣(かりぎぬ)は姉様へのお筐 今は又
松風の筐となりしも不思議の縁 是を御覧なされたら 少しはお気の結ぼれも 解けまい物でもなァ奥様
ヲゝ夫/\暫しにつゞまるお身の上 どふぞして本性に仕立るは 幸いのそもじ 一間へ入ってしつぽりと つもる咄しも有ならば
是に上越す介抱なし 兎角頼むは村雨殿 アゝ其様におつしやつても 積もる咄しに姉様の 死にしやんした事お聞きなされ
ら 猶しかお気が結ぼれふ物 成程/\必お耳に入られぬよふに合点か アイ あいと返事も涙ながら 筐のえぼし
狩衣を 着せて結びし羅(うすもの)の 薄き契りに執着の 魂宙有(ちうう)に有原の 君に憧(こが)るゝ瞋恚(しんい)の炎(ほむら)立ち上m地に 媚(なまめ)く
形(なり)ふりすつくと立て なつかしや行平の御跡を したひて爰に松風が 死霊は體を狩衣に 付き纏はつて 放れがたなや妹
村雨 エゝそなたは姉を見忘れてか 申そりや何おつしやるお心か付いたかと思へばやつぱり狂気でござんすかいはァ イゝヤ
松風が最期の一念 筐のえぼし狩衣に 付添来しとは知らざるか エゝそんなら姉様 松風殿の死霊見入か情なや
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と取付き縋る両人を 右と左りへ突退け刎ね退け エゝ怖(うらめ)しや妹村雨 妬(ねたま)しいは寝覚御前 此松風は先立て 恋の呵責
に身を苦しむ 何のおめ/\行平様を 此世に置て添さふぞ 供に冥途へ伴はん 参らせ給へと我と我が 愛着心に
身を焦がす 嫉妬の念ぞ浅ましき 聞にたまらず村雨は こはげも何の恋の意地 引寄せて声ふるはし エゝ情ない姉様
此村雨が思ひ立し三十三所の巡礼も お前の未来を助ふため 跡に残つて睦(むつま)じう 行平様に添遂げ
いと いふて下
さんした迚も まんざら罰(ばち)も当つまい それにマア有ふ事か 大事の/\行平様を取殺し 極楽へ往て家借りて蓮(はちす)の
上の宿這入り 指し合いくらぬ指向ひに お前斗(ばっかり)添(そは)ふとは 余(あんま)り気強い幽霊に なれば邪見に其様に 意地悪ふ成る
物か 何ぼでもそふはさゝぬ ヲゝよふいふて下さつた マア聞へぬは松風殿 此寝覚に恨が有らば なぜ自らは苦しめず 行平様
に取付くとじゃ むごいぞや胴欲と 恨の数々両人が 涙に訳も亡魂(なきたま)の 猶も逆立ち イゝヤイヤ/\/\ あび焦熱大ぐれん三途八難
の苦しみ受るも何故ぞ 行平様に添たいばつかり 此世に置くは迷ひの迷ひ 妨げすると其方も 供にならくの憂き目を見せん ヲゝ
譬憂き目を見る迚も お前には添さぬ/\ 添て見せふと詰寄る兄弟が 忽ち恋の修羅道は あの世の嫉妬 此世の
悋気 魂通ふ友千鳥 中を隔つる寝覚の関 心は蛻(もぬけ)の君爰に 須磨の浦はの松の行平 我も冥途にイザ立寄りて
磯馴(そなれ)松のなつかしや 松に吹きくる風も狂(きやう)じて庭の草葉もどう/\/\ どふと転(まろ)びてくるひ臥す 立まふ中(うち)に村雨が 隠し持たる
懐劔ひらりと突かくるを 支へとゞむる寝覚御前 あはやこなたに窺ふ幸作 一間に見聞く縣の廣連 寝覚は声かけ
悋気に事寄せ我君様に 刃向ふ村雨合点が行ぬ イゝヤ形は兎も有れ魂は姉松風 恨の刃思ひ知れと 猶も付け入る小腕(がいな)
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しつかと刃向ふ曲者詮議が有る 詮議は跡で殺さにや置かぬと 争ふ中へ縣の廣連 最前からの様子は聞た 狂気の上に
死霊の付いた行平 何いふた迚所詮埒の明かぬ事 首にして持ち帰らん 龍太丹内早く/\ 畏つたと両人が 双方より抜討ちに 切
付くる腕どつこいと 支へる幸作鞠岡を 衣紋流しにころ/\/\ 続いて切込む坪坂が 首筋掴んで頭顚倒(づでんだう) 蹴すへ蹴飛ばし行平を 後ろに
かこふてつゝ立たり ヤア下郎めが手向ひかと 追取廻せばぐつとねめ付け 下郎とは案外千万 勅使 ナゝゝゝ何と 染殿皇后の御内勅を
承はりし度会(わたらひ)の右大弁勝成 廣連を始め武官の者共座が高い 下がれやつと高声(かうしやう)に 自然と備わる勅使の勿体 思はず一度にはつと 恐れ入っ
てぞ見へにける 勝成悠々と上座に着き 其斯く姿をやつし入込しは 行平の病気といひ 十握の宝剣紛失の義も心得難く 実否(じっぷ)を
糺さん我計略 惟喬親王ゟ斯くせいきうの勅諚も有らば其時こそ 勅使と名乗り事明白に糺すべしと 皇后の勅諚 謹んで承はれ
と詞に廣連れにじり寄 コハ思ひ寄ぬ皇后の御内勅 行平が科明白にお糺し有る勝成卿 此落着はいかゝなさる御所存と 尋れ
は莞爾(くはんじ)と打笑(えみ) 三年以前に紛失の宝剣 殊に病気に相違なき行平 過急に有所知ぬも理り 今日ゟ五十日の日延申付る 其
日数の中に右紛失の宝剣 詮議致して差上召されい 此当奥方承知有ろ 寛仁大度の捌きに廣連赤顔もつ立 イヤそふは成ま
すまい 先達て惟喬君よりふんしつの劔詮議して差上るか 但し参内して申訳立るかと 毎日/\の勅使 参内もせず元来(もとより)劔の詮議
もせず 狂気とはとふやら怪しい 正しく惟仁に心を寄る行平が胸中と 御難禁に違ひは有まい 夫故今日此廣連が罷越たは
絶体絶命 首ぶつて立帰るは惟喬君の勅諚 我々か私の計らひならずとかさ高に罵れば ムウ勅諚に寄て首討つとは尤ながら
其勅諚有惟喬親王 皇后の為には何へ ヤ何と イヤサ惟喬君勅諚を立て 御母君の勅諚は軽(かろ)しめても大事ないか 親子の
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道を知らぬそち達 勅使なとゝは ハゝゝゝゝ イヤ覚束ないと やり込られて壷様鞠岡しや/\り出 イヤ天子に父母なし 今惟喬親
王は万乗の御主と 云せも立ずヤア万乗の位呼はりまだ早い神代の昔ゟ 三種の神宝を以て御即位有か神主の位
園神主一つとして御手になき中天子とは云れぬ/\ ガ其義は格別 推して行平の首討んとは何故の刑罰夫聞たい イヤそりや
おつしやる迄もない 三年以前宝剣を紛失させしとは行平が偽り隠し置く条疑ひなし サゝゝゝ左すれば猶以て詞れまい 宝剣を隠し
持しと疑ひかゝりし行平を討取り 重ねて誰を詮議致すぞ サア其義は サア/\/\と詰かけられし有様は 返答何と将泰盤(しやうたいはん) 頭
を角の行所 並ぶ桂馬の高上りもどんな工面と成た歩に 取られしことく三人は あかめづゝて閉口す かゝる折から表門 騒ぐ門
番侍共 とゝむる声もあら嶋の 木綿きる物尻からげ入来る男は在所でも 口利くかぜのしてんあたま 一腰ほつ込ぼつか/\ 御殿(でん)
間近く慮外者 さがりませい/\と喚く仕丁をじろりと見やり ハテ扨やかましい こつきで癪を押へる様に さがりませい/\といふ程
こつちは気がのぼる といふて狂気(おやつ)じや有まいし 用もないに来れふか 慮外ながら此男は 行平様と随分念頃にした須磨の塩
焼 たいのはたの此兵衛といふ者でえすと 声聞付けて村雨が マア兄様(さん)ござんしたか ヲゝムラサメちやんと爰へ来ているか コリヤ今の
物が手に入て持て来た/\ エゝあの宝剣が有たかへと 聞くに飛立つ寝覚御前 ナニ宝剣を持参とや 仕丁共は次へ立て サアそな
人是へ/\ 宝剣が手に入しとは 夫は誠かほんかいのふ アノ云しやります事はい こんな事に嘘つかれる物かい 行平様は宝剣を紛失(ふんじつ)さし
て難義してござる どふぞ尋出して上ふとモゝゝゝゝ大ていの気遊びではなかつた 是も有りやうは兄弟思ひ 斯ういや何じやが須
磨明石からかけておれが妹め位の代ものは有にくい 浦のやつらが念がけてもよふなァ 一通りの男にはびつく共せぬ大丈夫 アゝコレ其
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咄しは追っての事 其宝剣を早ふ是へとせき立つねざめ サゝゝゝゝよござります かしやりますな 出す時分には出しますて 何が出した
がつておる胴膨(どうぶくら)へ やつしなりすふはりひんなりと 画(え)に書て有る様な行平様が見へてから 兄弟のやつらがそは/\そは/\ 諾(うなづ)き囁き とふ/\゛ぼちや
くちやの直がなつたやら 急に白粉(おしろい)するか 紅粉(べに)ぬるか 鯨の玉笄(かんざし)も間半(まなか)程なをさしこはらし 汐風でねばつた髪を 無理やり
に燈籠鬢(とうろうびん) アゝ兄様もふそんな咄しはえいわいなァ エゝだまつておれ いふ事云にや訳が知れぬ イヤ又行平様の行平様じや 兄弟の
やつらにとつくりと得心さしぬいたやら 帰洛じやと聞くかいなや 二人共にむなしくして 弐升焚ても足りぐるしい飯が 一升三合焚て
まだ小櫃(こびつ)に一ぱい余る位 道理こそ サア舟が出るといふ段には 兄弟共に声立て泣く程に/\ 其涙といふ物が堤が着ると村中
が太鼓鐘たゝかぬ斗 其あげくが松風めは 産みへ飛び込み死おりました アゝよく/\行平様のなされかたがよかつた物で有ふ 此上は行平
様の為になる事をするが 松風が吊(弔)ひじやと 思ふに付けて己やれ 宝剣を捜し出し行平様のお命を助けたら妹めが縁
でおれも公家の一家が出来れば外聞旁(かた/\゛)斯くの通り さらば宝剣差上る 謂れはさつとこんな物 妹よ茶一つ貰てくれと 口も
心もひよつかすか 真此通り此兵衛が 詮議に世話を焼塩は にがりけのない男也 ヲゝ段々の世話忘れは置かぬ嬉しいぞや
此宝剣が手に入る上は 我夫(つま)のお命に気づかひないと 悦びいさむ寝覚御前 又しや/\り出る三人が 弱り勅使の強(つよ)はり声
イゝヤ此テハくはぬ 絶体絶命の今日と知て 贋物を拵へたあやつらは 此館からの廻し者 上を謀るにつくい計略 此通り転
奏すると 聞て此兵衛むつと顔 イヤコレそなお人様 折角持て来た宝物を 贋物とは何いふのじや ヤア我々に向つて慮外な
げらめ 此宝剣を誠といふには何ぞ慥な証拠が有るか イヤそんな事は知りませぬはい ヲゝ知らずはいよ/\似せ物と 何がな悪ふ云
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廻せば勝成(かつなり)制して廣つれ待ちやれ 得と改めもせずに贋物とは麁忽/\ 誠の劔か贋物か 実否を糺さん宝剣
是へ はつと寝覚が恭敷(うや/\しく) 差出す劔受取勝成 袋の紐とく/\取出抜放せば 実神宝の奇特にや 行平むつくと声
震はし アラ恐ろしや神宝を守奉る八百万神 魍魎鬼神は穢らわしや出よ/\と攻給ふ 絶がたや苦しやと かつぱと転べば勝
成卿 ハツト劔を押戴き ハゝア争はれぬ御劔の奇特 抜放せば忽ちに 松風が死霊立たりし 今の行跡(ふるまひ)何疑ひの有べきぞ
宝剣受取る役目の廣連急ぎ此劔を惟喬キッ見へ差上よと 渡せば受取り打守り 誠に目前不思議の奇瑞 併
ながら十握の宝剣に限らず名剣でさへ有れば死霊の退くがふしぎでもない 是が誠の十握の御剣か此廣連がためして
くれふと声ゟ早く 走りかゝつて切込腕 丁ど刎退け行平卿 又切付くる柄元しつかと動かせず 御剣も尖き眼中にとつくと
見て 仁の地がね義の鍛ひ 礼と倍との焼刃迄 天然自然と悪魔降伏の此劔 誠や日の神瓊々杵尊高
間が原ゟ降臨の時 是を見る事我を見るごとくせよと あたへ給ひし神宝の一つ十握の御剣 三年以前紛失せしが
今不思議に我手に入しは ハテ不審や怪しやと 詞も忽教然たる 神宝の奇特有原氏文民を兼たる
骨柄成 廣連鞠岡坪坂も 顔差覗き詞を揃へ さいふからは行平殿 こなた本性になつたりと 尋に答へも
不審の面色 寝覚御前指寄て 御合点の行ぬは理り 須磨ゟ御帰洛の其日から 只現なふ今の今迄 物狂はし
い御有様と 有し次第をこまやかに 申上れば驚き給ひ 左程狂気の此行平 斯本性に成りし子細は ホゝウそれ
こそ正しく御劔の威徳 斯く申其は 右大弁勝成皇后の御内勅を得て事を糺す今日只今本性に成給ひし
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満足せりと 挨拶有れば行平卿 何皇后の御内勅とは 冥加至極と詞を正し 勅答経つていかに寝覚 此宝
剣はいか成者の手に有しぞ いぶかしさよと有ければ ハツ須磨の住人田井畑の此兵衛と申す人尋求めて只今持参と
聞きもあへず ハテなつかしき名を聞物かな 松風村雨が兄の此兵衛 いづれに有る対面せんと宣へば寝覚御前 申其
村雨も此兵衛も是に扣へておりまする ナニ兄弟共に是にとは どれにか居ると見渡し給へど兄妹は どふやら須
磨の者じややら 済まぬ物やら居すまいも うぢつく村雨此兵衛が 眴(めまぜ)て押さへる咳ばらひ 胸に一物大あぐら 肝を据
たる顔魂 問ぬも逸物在原の 行平卿何気なく 三年が中(うち)の馴染を忘れず宝剣を詮議仕出し 持参せし心
づかひ 過分の至りと賞美の詞 何のお礼に及ぶことと いへど心の迷ひ猫 つなぎとめられせふ事なし鰹でなつきしごとく也
行平頓て宝剣を 廣連が前に指置て 其が身の潔白此劔差上る上は 惟喬君の御前宜しく頼み入ると 仰の先
折れ縣の廣連 イゝヤ此劔の出端が暗い田井畑の下郎が持参は 松風村雨とやらいふ配所の?(辯?)其縁から劔が出たは
業平殿 こりや何か三年以前紛失さあせたとは偽り こなたが持て居たで有ふ 惟喬君の御前へ連行めんぱくさせん参内
召れ 違義に及ぶと縄ぶつて御前へ引と丹内龍太 引立かゝるを取て突退け ヤア行平にたいして尾籠の行跡宝剣を
差上る上 御不審蒙ふるいはれなし 劔持参の此兵衛は此行平か事を糺し 劔の出所身の潔白も惟喬君へ直
/\に奏聞 ガ但し又戦後も遂ず参内して 惟喬君に偽りを言上しても苦しうないかと 詞のうら釘打込れて又ぎつ
ちり詮議の落着見届けるは此勝也が勅使の規模 劔受取る役目済めば 其方共は違義なく帰れとてつへい下し
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皇后ゟの御内勅 背くが否や違勅の科召捕ふか とく帰るか サア/\何とゝ詞はげしくきめ付くれば ハアゝ帰ります/\
最前から帰らふと 此廣連は存じておつたに いらざる両人が詮議立て ハテ扨麁相千万なと まじめになれば 何をおつしやる 諸事
こなたが アゝ是さ/\詞多きは品少なし イザ此劔指上ん お勅使是で御詮議なされと 挨拶そこ/\臆病風あくの
垂(たれ)かす黒犬武士逃げ吼へしてぞ立帰る 影見へぬ迄見送り/\寝覚御前 勅使の役目大義で有た ハツト御殿を
欠おりつ 勿体崩れし出来合勅使 形(なり)は其儘勝成は やつぱり仕丁の幸作也 行平卿見やり給ひ ホゝヲ斯有んと推量の
通り 今日につゞまる我身の上 夫故の計らひよなと 仰に幸作蹲り ハツ御意の通り御台様のわりないお頼 夫ゆへ
仕付けぬ勅使呼はり ひや汗かき/\どふやら斯やら ヲゝ出来た大義/\ シタガよい所へ此兵衛の宝剣持参は天の助けと
悦ぶ寝覚 行平卿両人を近く召れ ヤイ其方共が今日此館へ来りしは われ達が巧み有てか但し人に頼れてか サア真直に
白状せよと 気色(けしき)かはつて見へければ 幸作は不審顔 ムゝムリヤ此兵衛村雨と名乗て参つたこやつは イヤモ似ても
似付かぬ偽り者と 聞て驚く寝覚御前 夫に又宝剣を持参したといひ 合点がいかぬと詞の中 誰か有此曲者
搦め取れと高声(こうしやう)に 呼はり給へば仕丁の面々 動くなやらじと追取まく びつく共せずえせ笑ひ ムゝハゝゝゝゝ 何をこしやくな 主が
主なれば家来のやつら迄 コナ恩知らずめ 譬おれが此兵衛でないにもせい 此兵衛といふて上るからはマア此兵衛よ けふ宝剣
を持て来てやらずば 行平殿はれこさじや 主が腹切たらうぬらあんぽつのあはる事 又在原の家も滅却する アゝ夫(それ)も不便な
事じやと思ふて助けてやつた恩を忘れ 何じや曲者動くな 動いたらどふさらす コナ粉たれ仕丁のかず仕丁め 大根(だいこ)にやしの骨
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も身も 当り次第いばり/\噛むぞと塩焼の 偽る事も顕はれ時 やけに成たる悪口雑言細言(こまごと)いはずと縄かゝれと
寄るを寄せじとぬからぬ身がまへ かゝるをどつこい幸作が コリヤ皆待て/\ わいらじや行まい 一番おれが持て参らふ ヤイ贋此兵衛め とふ
事が有そこへ出おらふ ムウうぬも何ぞ小言が有か ヲゝ有る段じやない 行平卿の御難義を 救ひに来たわれが又 贋宝剣
はなせかつました ハゝゝゝぬかしたりな 贋で有ふが誠で有ふが 勅使を帰しさへすれば 行平殿の難義は遁れる うぬらが知た事でない
だまつておれ イゝヤだまるまいわい 此詮議幸作が仕抜かにや置かぬ覚悟せい アイ見事なわれが詮議するか ヲゝして見せふ
サア/\/\と詰寄せ詰寄る曲者えせ者 既に斯よと見へければ 行平卿声をかけ 幸作待て 此詮議そちには頼まぬ イヤサ詮
議は頼まぬ扣へて居よ 須磨ゟ帰る其日ゟ 狂乱正体なき 行平と思ひ侮り 村雨此兵衛などゝ偽り来るは儕抔が
不運一旦其が命を救ひ又行平が命を取るべき工みと見ゆる イヤモ詮議に詮議重なる両人 ソレ広庭へ追出し 疵付け
ぬ様に生捕と下知に数多の仕丁共 捕たとかゝる腕首を しつかと取て臂落し 抹額(まつかう)破(われ)よと拳の十手 況んで投げる手
練の早業組付く大勢かせに成る 女を掴んで幸作が 引敷く強気(がうき)無念の歯がみ こなたへ捕人の手を尽せと 痿(ひるま)ぬ曲者投
退/\ 広庭さしてかけり行 跡にあせれど手強き縄目 松にしつかとくゝし上 サア此上はこいつが詮議 下郎が手際お目にかけふと
有合ふさらへ引さげて立かゝれば イゝヤ其女ゟ先ずそちが詮議 ナゝゝ何と御意なさるゝ 此幸作を御詮議とはな ヲゝ勅使に立た廣
連さへ 誠と心得持帰つたる十握の御剣 贋物とはどふしてしつた エゝ イヤサ 眼前死霊の退いたる名剣贋物と知たそちが魂
此行平が詮議すると 仰にちつ共わるびれず お姿は狂乱でも 魂狂はぬ智仁勇 眼中すゞしく瞳に精気盛ん成るは正しく術(てだて)の
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贋病気と推量したは下郎がちよこざい 憚りながらお心にお覚へござらば 下郎が推量犬の蚤の吠当てでかな ホゝウ驚き入たる
眼力 いか様やうす有へき其方 女が詮議仕兼まじ 拷問して白状させよ 又其方(そち)が身の上詮議を遂ぐるは此行平 スリヤ
拙者が身の上を御詮議とな 女が詮議早くせよ 行平是にて見物せんと 褥に席を改め給へば 九献の用意と夕暮時
取々運女中達 早汲かはす盃の 廻る因果か拷問の 呵責に苦しむ庭の面(おも) 白状せずば斯(かう)々/\/\幸作が 尩(かよは)き
體も用捨なく さらへも折れよと攻めはたるは むざんといふも余り有り 幸作さゝふと行平卿 手づから玉の盃を 指出し給へは ハゝハゝ
はつと平伏し コハ有がたしと押戴く 酒も冥加に余る程 引受け/\がぶ/\/\ いかに幸作 此行平が胸中は惟喬親王に随ふと
見ゆるか 但し惟仁親王に心を寄すると見ゆるかやと 尋ねは其意遠慮なく そりや仰迄もない惟仁親王の御忠臣 と申す
子細は 御病気と云たて参内なされぬ是一つ 二つには彼劔 廣連にお渡し有たは肌赦させん御計略 見透す
詞 遖推察 シテ彼劔を贋物と 慥に知たは何を以て ハゝゝゝゝ惟仁君にお心を寄せ給ふ行平卿 誠の御劔でござらふならば イヤモ
何のお渡しなされふぞ 心よくお渡し有るから劔はこいつ贋の劔じやと 下郎めが目の付け所違ひしやと 胸中ぐつと一呑に 憚り
ながらとさし戻す 玉の盃當意(そこい)の程 一(ひと)くせ者と見へにける ハゝア左程聡明英知を持て 此行平が仕丁づれにはハテ
惜しい骨柄と 仰を脇へ ヤ此勢ひに白状させんとつゝ立上り 所詮責せつてうでは行かぬやつ よい/\此上は最前の曲者ぶち放し
て落つかせんと 聞て驚く女が顔色(がんしよく) 見て取る幸作欠出すを アゝ是待ってと苦しき體あせり留ればサア白状するか 譬いか
成る責め苦に合ふ共 云ふまじと胸は居(すへ)たれど いはねば大事の夫(おっと)の身の上 ヲゝ真っ二つに討放す ガすりや兄といふたは アイ私が夫でご
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ざんすはいなァ アノ兄といふたは私が夫でござんすはいなァと申しまする ムウ其夫婦が又何故に 此兵衛兄弟と名乗り入込みしぞ
有やうに白状せよ いはずば幸作曲者めを 畏つたと又かけだせば アゝ是申成程白状致しませう 今日是へ我々
が姿をやつし入込みましたは お主(しゅう)の敵行平卿を討たん為 お預りの劔が出ねば お原めすとの噂を聞付け 万一お果な
されたら 誰を敵と討つ人なし 兎やせん角やと夫婦が相談 宝剣の贋物拵へ けふの御難義救ひしは 尋常にあなたの
お首がほしい斗(ばっかり) いろ/\様々心を砕くも 冥途にござる御主人の御無念が晴らしたさ 返り討ちは覚悟のまへ 主人を思ふ我々
が心の中(うち)を思し召し 恐れながら立合て勝負をなされ下さらば 生々世々の御恩ぞやと 思ひ込だる願ひ事 聞て怪しむ
寝覚御前 心得ぬ今の詞 我が夫は御幼少から 終に人を害なされたお噂は聞及ばず 若し人違(たが)へには有らざるやと 云も切らせず
イゝヤおつしやんなそりや御比怯(ひけう) 刃で斗人を殺すと思し召すか 三寸の舌を以て我々が御主人を よふお討ちなされたのふと 怒る目
の中(うち)血走つて涙はら/\恨み泣き 様子を聞て幸作が 胸に当つて猶予の体 行平卿眉をしはめ 我が弁舌を以て人を損な
ひしとは不審の一言 併何にもせよ主人の敵と我をねらふはしほらしき所存 討たれてくれたき物なれ共惟仁君
を御代に出す迄はイヤモ大切成る我一命 情を知らぬ行平と 恨みるならば恨みもせよ 万民の為にはかへ難し 諺にいふ千
丈の堤も螻蟻(ろうぎ)の一穴ゟと 此儘には打捨置かれぬ ヤア/\寝覚を始め嬪共 皆々次へ早立ちやれと 仰にハツト寝覚
御前 嬪引連れ入る跡に 眼(まなこ)を配つて幸作は 御前近くさし寄て 千丈の堤も蟻の穴から崩るゝとの仰は 我君をねらふ
女 殊に大事を聞き知たやつ 討て捨よの御意なるかと尋れば行平卿 イゝヤそりや堤の崩るゝ目当てが違ふた ムウスリヤ
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堤を崩す蟻が外に ホゝウ汝が胸にありの喩へ 惟仁君に忠義を尽す 其が胸中よつく知たる そちが詞が自滅の
劔不便ながら命を取る 覚悟せよと抜き討ちに 切付給へば飛しさり 待ったお待下されい 故有て此幸作も 惟仁君の御
味方 併ながら今本名を名乗るならば 命おしさの偽り 比怯未練と思はるゝも残念 此上は欺(だま)し討ちになさるゝに及
ばぬ潔ふ命指上んと むづと座したる覚悟の有様 ムゝスリヤ其に安堵させんと一命を捨る所存よな ヲゝ只今御手に
かゝる共魂魄此途(ど)に止(とゞま)つて 惟仁君の御出世を見届くるは拙者が本望 早く命を召せよと ?(またゝき:眩?)もせぬ顔色を
打守り/\ ムウ劔の舌に臥す迚も 一心狂はぬ大丈夫遖々疑ひ晴た スリヤお疑ひは晴ましたか ヲゝ晴た証拠は
真つ斯うと 丁ど打たる太刀の柄 騒がぬ幸作眉間の血汐 ソレ額から血が流るゝ 故なきに疵を蒙り 無念には
思はぬか ハゝゝゝゝイヤモ命がはりに是しきの打疵 殊に御主人のなさるゝ事 無念口惜いなぞと 左様なさゝいな下郎ではござ
りませぬ ホゝウ出かした存分に疑ひ晴た 部屋へ参つて休足致せ ハゝはつと立上り 然らば休息御赦免と 小腰をかゞ
めて幸作が 心も剛に広縁を 行過ぐれば行平卿 孔雀三郎形平(なりひら)待ちやれと 声かけられてきつと形平傍り見
廻し立戻り 本名を呼で待てと有行平卿 扨は我身の上を得より御存候な ヲゝ御位定めの角力に勝て其名高き
惟仁君の仕丁孔雀三郎とは知たれ共 騒動の砌ゟ行方知れず 元が賎しき下民(げみん)なればナ万一惟喬親王に心を寄す
る事や有らんと 思ふに違(たが)ふ大忠臣 心底得(とく)と見届けた 此一巻に急いで血判 はつと立寄り劔とく/\と読み終り
先帝の御遺勅を背き給ふ惟喬親王をぼつ下し 惟仁君を御代に出すべき一味徒党の連判状 三郎が日頃の念願
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是に過ずと 姓名しつかと額の血(のり) 押さがつて満足の 色を面(おもて)に顕はせり ホゝヲ神妙(しんべう)の行跡(ふるまひ) 此上は行平が忠臣
の魂 所存も得と明かし聞けんと 一間に向ひ ヤア/\寝覚 生駒姫 二条の后高子の君を急いで是へ呼申せと 詞に
随ひ巻上る 翻簾(みす)高/\と高子の君 両人が傅きて 御階(みはし)近く出給ひ 珎らしや孔雀形平 太后の
御訴にて危ひ難を遁れしも そなたの働き 忠義たゆまず惟仁君のお味方とは 心ざしの嬉しさよと 仰を聞も身
の面目 ハゝハゝゝはつと欠伏し コハ有がたき后の御諚 数ならぬ下郎ばがら 一心は金鉄何卒して惟仁君の御代になさ
んと心を砕く折から 頼みに思ふ行平卿 須磨ゟ御気楽有やいなや 狂乱と世上の噂 御心底不審(いぶかしく) 此御所へ入込
おるも 敵が味方か憚りながら 御所存を探らん計略御本心承はつて三郎が安堵此上なし 二条の御后此館に御
座有れば 惟仁君も当御所に 御入給ふやと窺へば行平卿 ヲゝ過にし都騒動の砌より 河内の国高安の郷に
御身を忍びござ有しを伊勢の侍従の計らひにて 此館に遷し奉り 惟仁君御后諸共 奥殿(でん)の桜のもとに
守護し申と聞て三郎いさみ立 扨こそ時ならぬ花の盛りは 惟仁君の御聖徳のなす所 スリヤ先達て紛
失したる御劔(ぎよけん)も御所持なさるゝか ホゝヲ三年以前納の名虎 惟喬親王をたてにつき叛逆の企と見るゟ
預り奉る 宝剣紛失と披露し流人となりし三年(とせ)が中も心たゆまぬ我忠臣 手寄/\に惟仁君の御味方を
かり催し 佞人原を討取んず時節到来 そつ共気づかふ事なかれと 心底明かす行平の 明智(めいち)の程ぞ類ひなき 三郎横
手を丁ど打 ハアゝ驚き入たる御計略 惟仁君の御代近きに有り 此上は三郎が御目見への義を行平卿 ヲゝ夫(それ)こそ安き望み
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事 やがて龍顔拝させん ガ不審(いぶかし)は最前の曲者 此女 我をねかふは万一君に忠臣の心厚く 此行平を疑ふも
計られず 詮議を糺し 惟仁君に心を寄る者ならば 此連判に血判させよと 渡し給へば請取て 曲者夫婦は三郎が
実否を糺し 御覧に入んとつゝ立上れば 行平重ねて 此館を仮の皇居 慥に節会の御催し万歳を祝す夜陰の
楽(がく) 君に心を寄る面/\調子合する今月今宵 万事は後刻 追付吉左右女うせいと引立て 入さの月の
陰さへも 暫しは曇る御身の上 后を伴ひ行平卿 折速〽奥は管弦(くはげん)の音(おと) やゝ時移るこなたゟ様子聞たか以
前の曲者 さし足抜足 向ふを屹度打ながめ 時ならぬ桜の盛りは惟仁が聖徳とな スリヤ桜の本に守護
する行平 討て本望何にもせよ 奥庭忍ばんと鯉口くつろげ刀の目釘 しめし合たる女房も いかゞして遁れ
けん 窺ひ出る同腹中(ふくちう) 夫婦正体見合す顔 こちの人 女房共 宝剣は行平が コリヤ声が高い 人や見聞くと吹き消す
燭台暗がり探り三郎が 腹に聞く共しすまし顔 イザ此隙に忍び入らん 様子をしつた私が案内 出かしたこいと引連れて
殿中深く入る影を 見送る奥庭桜の本に 正しく惟仁忍びまします 今忍んだる曲者こそ慥に夫(それ)と 工もつゞ
いて忍び足 いづれか暗き夜半の空 時の調子もしんの楽 下無平調盤渉(しもむひやうでうばんしき)の音(ね)もさへ渡る(三重)
奥殿は 名に融が物好の 跡陸奥の塩竈を うつせし庭前(ていぜん)風景も 闇はあやなし物凄く 秋風さはぐ庭の
面(おも) 音(おと)にまぎれて曲者夫婦花物云ぬ桜木の 本をしるべに香を慕ふ 寝覚御前もこなたの木陰 怪しさ足
音心得ずと 窺ふ人の有ぞとは しらぬ両人耳に口 囁やき合たる善悪は 分(わか)らぬ間毎(ごと)簾(こす)の隙(ひま) 忍びて〽爰へ
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幸作が 付込む奥庭塩竈の 御殿も千貫の浦伝ひ 暗きを頼む木の元に 洩れ聞く寝覚幸作も 猶(ため)
豫(らふ)間もなく奥殿ゟ なんなく宝剣奪取て 逃ぐるも何国(いづく)行平卿 曲者待てと声かけられ 物をも云ずかけ
出すを 透かさず宝剣しつかと取此兵衛と偽りし曲者 宝剣を奪ひ何国へかけ出す そふいふは行平か 主人の敵
覚悟せよと切付る 心得こなたも抜合せ 庭の塩浜真砂地(まさごぢ)に 踏ど定めぬ太刀捌き目先もあやなき探り
手に 三郎是にと小陰ゟ 寝覚御前も窺ひ出 声を力にめつた打ち 曲者うごくな お主の敵そこ引なと 打合ふ
真ん中支へる三郎 御剣大事と行平卿 傍(かたへ)に投やりソレ宝剣 誰が有る守護致せ 畏つたと三郎が 宝剣腰
に指寄て 行平卿か 三郎なるかと声をしるべに取て引寄せ 恨みの刃思ひしれと 脇腹ぐつとさしもの行平 うん
とのつけに反り返れば 恟り立寄る寝覚が體一(ひと)刀 切さげながら詰寄り曲者 年月ねらふ主人の敵 人手にかけし奇っ怪
千万せめては首を手向けんと 隠し持たる懐中松明 早速に照らしてかけ寄れば押隔て声あらゝか 正三位名虎が家臣渕(ふち)
邊春人(べはるんど)忠臣出かした ナゝゝゝ何と ホウ主の敵行平を付けねらふ汝が所存 行平夫婦を真(まつ)此通り 嘸本望で有つ
らんと 聞きもあへずぐつと詰寄り 深く包む我が本名 名虎公の家臣渕邊春人と知たはいかに ヲゝ身の上委しく
其方が女房に聞き届けし 我こそ紀の正三位名虎が実子 孔雀三郎形平と 詞に猶更不審晴れず
惟仁方に心を寄する孔雀三郎 名虎公の実子といふ其子細は ヲゝ日外(いつぞや)五条の館騒動の砌 名虎が亡魂
我皮肉に分け入て 細々(こま/\゛)告げし故にこそ 夫(それ)と知る名虎が血脈(けちみやく) 一天四海を横領せよと謀叛を勧むる死霊の苦
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思ひ立たる大望は 父が存念立てんか為 ムゝムリヤ御幼少にて直済(さねすみ)が養子と成し御方なるか いかにも大和国柿の本(かきのもと)
にて性長(ひとゝなり)し伴(とも)の良雄(よしを)丸とは我が事 実父名虎が生害融の大臣在原の行平なんどが所為と聞き 討取て
父が鬱憤さんせん物と思ふ中早一人(いちにん)は死に失せ相残る行平を討んす物と 心を砕きし今月今宵夫婦一時に主従
が手の下に討取るは 日頃の大望大願成就ハゝハゝ悦はしや嬉しやと並び立たる勇猛豪傑 手負の行平寝
覚も供に無念の歯がみ エゝ大悪不断の謀叛人め斯と知は討取んす物エゝ口惜や残念やと 悔み歎けば迸る
血汐に涙争へり 三郎悦喜の声はげまし儕等が息の中父名虎か存念を云聞かすが追善供養 追付惟
喬惟仁供に討取り有損を断て帝位に登 其が手にかゝつて未来仏果に至れよやと あく迄広言讒言に 父を
害せし報ひの程 思ひ知れと刀のむね打ちりう/\/\ 彼平有か死尸に鞭打つ伍子胥(ごししよ)が恨みの勢い目下(まのあたり) 劣らぬ
強気(がうき)逞しき渕邊春人すり寄て ハゝア天晴万夫不当の大将 併帝位に進む共 三種(みくさ)の宝なくしては 万民のきふく
覚束なし 十握の御剣は只今手に入る 相残る二つの神宝行衛いかにと気づかふ顔色 ヲゝ其義に置て気づかひ無用 八咫(やた)
の鏡は業平が手に入たるよしほのかに聞く イヤモ童(わらべ)の物をもぐより安し ムウシテ神璽の御箱は何と ヲゝ伴の大納言宗岡を討ち
はなし奪ひ取たる神璽の御箱は肌身放さず是に有りと 取出す神璽 春人屹度(きっと)見 ムウスリヤ夫が神璽の御箱 拝見せん
と寄るぞと見へしが 取るより早く塩竈の中へ手練の身も軽く 飛込む抜け道なむ三宝と 続いてかけ寄る三郎か 目前(めさき)遮る
火の丸かぜ ばつと忽ち一面に 雲をこがせる狼烟(のろし)と供に 四方に聞ゆる鐘太鼓 スリヤ名虎が家臣渕邊春人と見せしは
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神璽を奪ひ返さんず 計略にて有しかと さしもの三郎仰天に 五臓六腑をこみ上げ/\ 物ぐるしく見へければ 今はの両人いた
手を忘れ 申兄様此兵衛殿 ヲゝ妹村雨出かしたと 顔見合せて嬉し泣き ヤゝゝゝゝ何と スリヤうぬらも行平夫婦ではなかりしかと
恟り顚倒歯がみをなせば兄弟か 苦しき體押直り 我親塩飽の太夫ゟ 代々在原の御家には御恩を蒙るコノ此兵衛 面体似たを幸いに配所にござる三年(みとせ)が中 月代そらぬもまさかの時 お命にかきらん為 姿に贋て帰洛しても
参内せは子顕はれんと思ひ付たる狂気の上 死霊の見入れも行平様の お差図の通りにて二人が命 投出したりやこそ謀り
果せてそちが俗姓(ぞくしやう)謀叛の様子 神璽の御箱も御手に入るは エゝ忝や本望やと 悦び勇む最期の一句 健気にも又
いぢらしき 聞くに逆立つ三郎が ヘエゝ計りに謀られし奇怪やと 無念に凝たる怒りの両眼(がん)血走る涙はら/\/\ 腹いせにもむやくし
ながら観念せよと振上る 二度の太刀風一人か首 はつし/\と踏飛し せめて行平一太刀と かけ行向ふを
さゝへる捕人(とりて) 前後左右を追取まく ヤアしほらしき小鳥めら 孔雀にむかつて羽はたき かたつぱしに冥途の鳥 死
出の山にて囀らせんと いふ間有らせず突かくる さす又ことぢ事共せず 弓手になくり馬手に切ふせ
打はらひ 縦横無尽に〽なぎ立れば 叶はじ赦せと我先に 逃行く大勢嵐の庭 ちり/\ぱつと空にしられぬ雲
か共 紛ふ桜の本に目を付け 時ならぬ花咲く事 惟仁が聖徳の印を顕はす花の王 エゝむやくし/\此上宝剣
何にかせん 此劔も惟仁も 落花微塵になしくれんと 宝剣追取桜の本 打砕かんと立寄る社 不思議や
俄に鳴動して 盛りの花もちり/\に 洑(うづま)く花びら五体をからみ 肝にめいずる斗なり アゝラ不審(いぶかし)五体にこたへ
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肉身を削るごとし 扨は天孫たる惟仁に 刃向ふ故の奇瑞なるか ヘエ口惜や残念や 譬五体は砕くる
共 斯く迄なせし我が大望 此儘で置べきかと 勇猛強気(がうき)に踏しめ/\ エイヤウンと踏砕く其飛かな物
飛ちつて 宮の中(うち)には親王ならで 形相怪しき唐冠(とうかむり) 白泡の袖欣然と 在(います)がことく名虎が骸骨
親子恩愛の紲(きづな)にや 思はずしらずハゝハゝハゝゝゝゝはつと低頭し よく/\見れば紀の名虎と 姓名しるせし父の
白骨此所に祭りしには 子細ぞ有らん去りながら 細瑾(さいきん)を見る場所に有らず 一先ず立退き時節を待て本望
遂げんと孔雀三郎羽(は)打てかけ出す左右の殿より ヤア/\正三位名虎が実子 伴の良雄暫く
待て 参議篁(たかむら)中納言行平 見参せんと声高く 翻簾(みす)巻き上ぐれば篁卿 下民の姿引かへて粧ひ気
高き参議の装束 冠正しく厳然と 神璽携へ惟仁君を 守護し立たる威猛の骨柄 こな
たの一間い行平卿 在原氏の故実の衣紋嚢(なをし)の袖をまくり手に 十握の御剣(ぎよけん)かい込で 村雨と見へし
は燕三目御前 悠々たる其有様 良雄見るより怒りの面色 玉座にかけ寄り詰寄て ヤア珎らしき名を聞く
物かな 小野の篁は入唐(につたう)のかへるさ 船中にて相果しと聞及ぶに 存命(ながらへ)有し子細は何と ホゝウ不審は尤も
逆臣四海に漫(はびこ)る事を悟りし故 病死と披露し融の大臣在原の行平などゝ申合せ 宝剣を密(ひそか)
に隠し 民間に窺ふ篁いつぞや五條の館騒動の砌 名虎が亡魂其方に謀叛を勧むる親子の名乗 人は
しると思ふならんが 宝剣の威徳に寄て 委細に聞き取り渕邊春人と見せ謀りしも 神璽を無事に取らんず為 ヲゝ行
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平迚も濁る世の 禍ひをさけん為 此兵衛村雨兄弟を 行平夫婦に仕立て置きしは計略の裏をかゝんす謀
誠十握の宝剣は是に守護し奉ると 詞も曇る村雨と 姿をやつす自らに 成かはつての此最期 此行平と
形ふりも 此兵衛がはかなき姿 四海の為とは云ながら 不便の様を見る事よと 悔み涙に良雄丸 猶も逆立つ
大音上 今更いふて返らぬ不運 此上は絶体絶命 腕限り討死して 冥途の父に言訳せんと 勢込でつゝ立
たり篁やがて制しとゞめ 其覚悟尤なれ共 父が無念を受つぐ汝は則名虎 見よ/\社の中にこそ 霊魂を祭り
衣冠(いくはん)を授け 閻羅王(えんらわう)と送り名せしかは悪念忽ち翻せし証拠は宮の本なる桜 時をも待たで花咲きしは 成仏
得脱疑ひなしと 究る両卿惟仁君 御階近く出御(しゆつぎよ)有 ヤヨ良雄丸 名虎が㚑を祭りしは 汝が心を宥めふ為 又
其方が憤りを さんずるは四海の為 猶も名虎が霊魂を祭らん事 普く世上に知らする為 所々の
衢(ちまた)に舎堂を営み 姿を残し尊(たっと)むべし 四海の為に悪念を 翻せよや良雄丸と 勿体なくも御袖に
十善万乗の位備はる御涙 慈悲心肝にめいずる良雄 ハゝ/\はつと頭(かうべ)をさげ 恐れ入て見へければ 篁重ねて
違義を正し 我入唐して径山寺(きんざんじ)の仏鑑(ふつかん)禅師を師と頼み 学び得たる微妙方(みめう)の法術 夢の中に冥
途に赴き 名虎が悪念諫言して 善に導く閻羅王 神国の衣冠恐れ有りと 告に任せし唐冠装束
必疑ふ事なかれと 詞は末世に篁の 冥途通ひと云伝ふ 六道の辻堂に 閻羅王を安置するは 名虎
が霊を祭るとかや 始終を聞て良雄丸 難有涙せきあへず 仮にも王位を奪はんとせし我悪心 御咎も
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有べき所 夫(それ)に引かへ朝敵謀叛の名を取し 父名虎が白骨(はくろ)に勿体なくも衣冠を給はり 閻羅王と尊号なし
下さるは 空醜(そらおそろ)しき身の冥加 冥途の父も嘸かし本望 此御恩を報ぜんには 此場に置いて腹かつさばき
謀叛人の刑罰を糺さん物と どつかと座せば行平卿 悪念発起し目前に 切腹とは麁忽/\ 一子出家の功
徳に寄て 九族天に生ずといへり 養父実父の追善供養 道心堅固に召されよと 勧むる善道惟仁君 得道
せば後迄の官を授けて朕(わが)帰依僧と 深き情の綸言に ハゝア重ね/\゛の御恵み 姓長(ひとゝなり)しは大和の国 柿の本に引籠り
実父が性と養父の名を ひとつに呼で紀僧正真済(きさうじやうしんせい)と改名し 仏道修行の本意を遂んと手づから髻(もとゞり)切払ひ 娑
婆の悪念吹き払ふ 四海波風治まりし代(よ)に炯然(いちじるき) 柿の本の紀僧正 真済と聞へしは 孔雀三郎が発心也 かゝる所へ
とつてかへす縣の廣連 坪坂鞠岡 庭上(ていしやう)に大音上げ 惟仁に心を寄せ贋物渡せし大罪人 速やかに腹を切れ 違義
に及はゞ目に物見せん 何と/\と呼はつたり 両卿一度に進み出 ヤア身の程しらううざいがき 汝等が頼みとする 惟
喬親王亡ぼさんと 有常の計らひにて 諸軍勢をかり催し 内裏に押し寄せ惟喬一味の青(なま)公家ばら 一々に降
参と勝鬨上げし注進を 聞き届けしと知らざるやと 仰を聞て三人が恟り廃忘(あひもう)うろ付折から えい/\おうと勝鬨の 声
いさましく紀の有常 伊勢の侍従は人質の 染殿皇后助け参らせ 業平井筒も神鏡を 持参に都合
三種の神器揃ふ忠臣声/\に 惟喬君は発心有り 山崎のあなたなる水無瀬の離宮に遷ります 付随ひし
佞臣原 刑罰せんと詞の中(うち) 国?の大納言鷹鳥次成両人を 高手に搦め引立来り 四海を騒がす悪人退治と
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勇み立てば廣連始め鞠岡坪坂 コリヤたまらぬとかけ出すを 逃しも立ず手毎の成敗 刀次手に討取る鷹鳥次成 同し
枕に敵役の終いはいつでも此通りと 各々どつと打笑ひ 佞臣亡び失ければ 民安全の御祈り治まり空に出る日の清く和らく清和
帝二條の后と御夫婦に 業平井筒生駒姫 妹背かはらぬ中よしと天も感應(かんわう)地も納受 五日の雨に宝を降し十日の
風は桟敷の幟に当つて悪魔を払ひも十分に 見入り吉田や豊年は 打続くなる君が代に 住むこそ目出度かりけれと敬白(うやまつてはくし)奉る
安永四乙未歳 辰岡万作
四月五日 作者連名 奈河直蔵
奈河丈助
吉井勢平
右は三段目四ゟ大切迄にて御座候 大序ゟ二の詰迄は上の一冊を御求御覧ノ程奉希(?)作