仮想空間

趣味の変体仮名

競伊勢物語 三冊目(玉水渕の段 春日村の段)

読んだ本 

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2

伊勢物語 下

 

 

3

川崎てんぜん   藤川金千郎

つぼさか丹内   市山音蔵

まりをか龍太   中村龍蔵

くらがり東元    中川正五郎

大宅のたか鳥   中川正五郎

生駒ひめ      藤井花咲

堀川大臣     市山助五郎

やつこ常平    市山助五郎

いかるが藤太   三枡他人

どらのにやう八   三枡他人

すくね女ほう通路 三枡徳治郎

在原なり平    三枡徳治郎

磯の上豆四郎  三枡徳治郎

すまのむらさめ   三枡徳治郎

荒川すくね    藤川柳蔵

中納言行平   中村十

津の国おなみ   中村喜世三郎

名虎のほうこん  中村歌右衛門

気の有つね    中村歌右衛門

 

「千穐万歳楽叶 頭取 市川宗三郎 中川正五郎」

 

くるしま宮門    中村瀧?郎

茶みせ又作    市山音蔵

春日野おさき   坂本久五郎

よし渕次成    中村友十郎

鬼とり山蔵    中村友十郎

ねざめ御ぜん   市山源之深

こしもとちはや  市山源之?

これひと親王  市川吉太郎

大納言宗岡   市川宗三郎

あがたの廣連   市川宗三郎

高安左衛門   市川宗三郎

井づゝ姫     尾上条助

藤太女房関ノ戸 尾条助

春日野しのぶ   尾上条助

これたか親王   坂本岩五郎

孔雀三郎     藤川八蔵

小野のたかむら   三枡大五郎

文字橋小よし   三枡大五郎

二条の后      山岡松治郎

 

「本儀」(下) 競伊勢物語 三冊目 奈河亀助作

漢を蔑(なみし)楚に覇(は)たるも一時(いちじ)の雄たりとかや  類も同じ惟喬親王 先帝の御遺勅

に闘(さか)ひ 推て九五の位につき/\゛ 大宅の鷹鳥善渕(おおやのたかとりよしぶち)の次成(つぐなり)なんど 左右に連なる佞人

邪一等 今此時を栄花の殿(でん) 中にも次成進み出 君定位に即(つか)せ給ふ事 天の時

至るとは申ながら 三種の神器なければ 正しき天子とはいはれぬなどゝ世上の雑言 愚かの味方

聞伝へ/\ 心區(まち/\)に成ては一大事 殊に惟仁親王恙(つゝが)なく有る中(うち)は ゆつくりと帯劔解れず 捜し

出て流し者か仕廻ふて取るか 片付るが御位の根がため 御評定然るべしと申上れば惟喬親王

 

 

4

ヲゝ油断せぬ心づかひ神妙/\ 弟惟仁は東路へ逃下りしとの沙汰 東山道東海道

草を分かつて詮議せば 召とらん事案の内と 都に有り共燈台の 元来(もとかり)暗き御諚に鷹鳥

三種の神器の中(うち)八咫の鏡はとくゟ紛失 神璽は当春昭宣宗岡 討死の砌ゟ いかゞなりしか

行衛知れず 十握の剣は行平が 奪ひ取られし誤りに寄て 須磨へ流人 併彼が胸中の程不審(いぶかし)と 奏聞(そうもん)

すれば打諾(うなづ)き ヲゝ朕もとく其心付きし故 赦免状を下し先年融(とおる)が物好きしたる 六条川原の院を行平

につかはし 恩を見せて尋落さん計略 然るに帰洛と其儘難病と号し 参内せぬは猶々胡乱(うろん) ヤア/\

懸(あがた)の廣連(ひろつら) 汝参つて行平が病気 見届け帰れと御諚の中 玉水の郷代官川嶋典膳(てんぜん)言上と階下に

 

ひれふし 玉水の郷玉水の渕は往古(そのかみ)元明天皇の御宇 所々に殺生禁断の地を置給ふ其一つ 然る所

何者が見出せしやらん 集りし鳥飛事叶はず 殊に彼(かの)渕夜に入れば鳴動するとの義 早速見分

仕るに 噂に違はず玉水の渕鳴渡る 其始めは存ぜね共 聞付けしは漸(やう/\)頃日(このころ) 不思議に存じ

御注進仕るといふに各々顔見合せ いかゞと詮議に善渕次成 三種の神器紛失の時節

に希有の注進玉水の渕鳴動して 集る鳥の立つ事難きは神宝の徳を顕はす奇特ならん

と 詞に鷹鳥成程/\ 神宝を奪ひしやつ 隠し所に事をかき 殺生禁断の場所手さしなら

ぬを見込みみ 渕へはめ置く事も有らん 此方ゟ水練の者をつかはし捜し求めん 夫迄は番人を据置き

 

 

5

万一禁断の場所へ入る者有らば 早速召捕り作法のごとく ふしづけの罪に行ふべしと云付ける

折も折 紀の有常参内と訴ふれば惟喬親王 何 有常が参内とや ソレ廣連 ぬかるな

やつと暴悪は 邪智が呑込む綸言勅答 典膳は罷立 はつと此場を巽(たつみ)ずみ 玉水さして退出す

君の為死するも忠義助かるも忠義の二字はたゞよしと 読みはかへても惟仁に 忠義倦(たゆま)ぬ紀の有常

昔の束帯引かへて今は武官となりふりも 歳筋(さいきん)を顧(かへりみ)ぬ 大紋の袖たぶやかに 悠然と大床に

頭(かうべ)をさげ 此程ゟ病中に寄て 漸(やうやく)の参内 麗しき龍顔を拝し奉 有常が大慶此上なしと 烏帽子を板

に摺付けて恐れ敬ふ有様に 惟喬寛々(くはん/\)と見やり給ひ いかに有常 高位を剥いで武士になせしは 我所存

 

有ての事 夫をむやくし共思はず 参内せしは満足/\ ソレ廣連 引出物/\と 御諚にソリヤと声に

連れ 坪坂(つぼさか)鞠岡(まりおか)覚への力者 追取廻してサア有常 縄をかゝれと組付くを 直ぐにほどいて頭転倒(づでんだう) 文武に長ぜし

手練の有常 勅諚に手向ひかと 権威を功に廣連も きつぱ廻せば事共せず 此有常を召捕給ふは

何故の逆鱗 叡慮の程覚束なしと いはせも立てず惟喬親王 ヤアうはべ斗の忠臣顔 其手はくはぬ 兄

名虎には似ても似付かぬ賢人立て 既に廿年余り以前 兄名虎に不興を請け 陸奥(みちのく)にて土民となりしを 惟仁が

誕生の悦び 染殿皇后の取成を以て 勘当を赦されし 其恩を忘れず惟仁に心を寄る証拠といつぱ 朕が

とくゟ心をかけし井筒姫 業平と密通し行衛知れず 尋出し后にせば 元の公卿に引上げられんと 申付たる詞を用ひ

 

 

6

ず打捨置く汝が心底 業平は惟仁が忠臣 ソレ故の用捨と睨付しに相違有まじ 言訳有ばいへ聞かん

何と/\と臺を打て掴み殺さん勢ひに ちつ共臆せず コハ御諚共覚へず 一旦の恩を思ひ 惟仁親王の御為に心を寄せし

其なれ共 天の授くる君の御位 時節を知てつかへる所存に二心なし 又娘井筒を尋出し差上ぬは君の御為 御后(きさき)

に奉らば計らずも天子の御身で 畜生道に落給はん事歎かはしと 詞の先折る次成鷹鳥 尾籠

一言何を以てと詰寄ば 有常猶も詞を正し 先帝文徳天皇御祈願の事有て 姫宮を伊勢の

斎宮に立てんとの勅諚 御母后名残を惜ませ給ひ 其を竊(ひそか)に召され 何卒斎宮のかはりw立て 姫宮は

其方が娘となしくれよとの御頼みに随ひ 井筒姫と号(なづけ)守(もり)育てしは先帝の御姫宮 恬子(よしこ)内親王 君とは

 

紛れもなき御兄弟にて渡らせ給ふと 明白に言上すれば いつかな/\其言訳呑込みぬ 譬へ誠の兄弟に

もせよ 天子に父母なし 妹で有ふが姉で有ふが構はぬ/\ 一旦申出せしは汗のごとし 尋出して后に立つるか 承

引せずば首にせよと 強気(がうき)不道の綸言に 違背せは惟仁に心を寄する証拠明白 二心なくば君の勅諚承はるか

と鷹鳥次成 おもねり諂ふ廣連が 御諚を背かば縄ぶたふか サア/\どふじやと詰寄せ詰寄る絶体絶命

何と返答有常が 思案を極め謹んで ハツア左程に重き君の勅諚此上は是非に及ばず尋出して御后に奉るか 承

引なくば首にして 叡覧に備へ奉らんと勅答すれば悦喜の龍顔 出かした有常併(しかし)べん/\とした詮議でない

今日ゟ三日が中に業平諸共召捕り来たれ 廣連は行平が病気見届け宝剣の詮議をとげよ 鷹鳥次成

 

 

7

イザ奥の殿にて天盃を促(うなか)さん 来れやつとせい急に 玉座を蹴立て入給ふ サア有常大切の役目なるぞ 心を

定め打立めされと 懸が権柄 ヲゝ其方も大事の役目 宝剣の詮議見事召さるか しれた事さ お

見事仕果せるか かんでもない事 追付吉左右互にさらばと 此場を立が弓取の やたけ心は直ぐなれど

君の仰の横車 おさぬは逸物有常が 所存は後に〽七里通ふて帯迄といてナ 枕取る間に夜が明け

て済まぬ心のしんきへ しんき身も名も道くさに うさを張籠(はりかご)文字摺の絹を商ふ京通ひ 女子の足

の跡やおさきが世話やき顔 お谷お三輪と呼び連れて 此忍ぶさんは何をしてと いふ中漸ヲゝしんど もそつとしづかに

あるきいなァ ヲゝ何いゝじややら お前の心取て居るぞへ 豆四郎様といふよい聟様を持たしゃんした故 わしらを先へ出し

 

ぬいて 跡からそろ/\ チゝチン/\道行踊りをする気で有らふ 羨ましいとほのめけば ヲゝ何じやいなおだてゝおく

れな 豆四郎様(さん)が跡にやら先にやら知らぬけれど 待合さずと先へ逝(いぬ)ると こちの豆四郎様が叱つてじや

叱られるとこちやこいと いへば傍から ヨウ/\こちの豆四郎様 叱られるとこはいで様ァ よふ/\/\となぶられて アレ

まだいなと袖覆ふ 日脚(ひあし)も西に肩休め 小あげ雇ふて豆四郎 ヲゝイ/\と呼ぶ声に アレ豆四郎様じや

ヲゝイ/\と招き招かれいつきせき ヤレ/\皆早い足と いふに忍ぶがなァにを私らが早いのじやない お前は跡に何

してと 寄添へば ソリヤ/\お悋(りん)が初つた お谷もお三輪もこちら向きやと おさきが睡顔豆四郎 イヤモ跡

に何する間もないが 余(あんま)り肩が痛む故 此人雇ふて爰迄を持て?(もら)ふ程の事 ちつとは遅い事も

 

 

8

有らふ ヲゝわしやそんな事とはしらず 跡の茶店に美しう 髪ゆふた女中様 若しそこで休んでかと 大てい案じ

た事ではない アゝyいかげんな事いや シタガおれもその女子はどふやら斯 このもしさに 前へ廻つて見ただけ

損 あれがほんの尊㚑(そんじよ)あんど 髪ばつかりて持てて有るのじや ソレ見やしやんせ 前へ廻つて見る心が モウ移り

気なヲゝ憎(にく)と 太股(ふともゝ)ふつつり アイタゝゝゝゝ 見とれて思はず床几から どつさりあたまを徒(かち)荷物 腰かけ悋気

の傍に居て 独りころびの砂払ひ ヤレ/\耳もない癖に耳の早い躮め 親の心をわく/\わく/\さしおつ

て アノ爰な不孝者めと襠(ふんどし)ごしに擲きすへ しやがお前がたもお前がたじや 寡(やもめ)のじねんじよを傍に置

て是見よがしのじなつきは 余りひどいと夕がほの 腹立てさすは胴欲な 荷を旁(かたげ)て居る時ゟ 休んで居る

 

間に何じややら 白酒の様な汗かいた エゝ気味のわる身に耳四郎 傍へ気の毒指し合の 咄しをわきへ

約束の茶店 極めの外にソレ酒手 皆も爰で支度して用心の能街道 夜道かけて逝(いな)ふじやないか

いかさまそふが葦簀(よしず)のかげ 我等もちわの相伴で 少々やつた其かはり貰ふた酒手で一ぱいしよと 連て

堤の茶店のうち 支度時分も八つ下がり追付七つ何事か 所の代官川嶋典膳 家来引連れ門口

より 亭主/\と呼立れば ハイ/\廃忘(はいもう)這(はい)かゞみ コレハ/\お代官様 何の御用と土べに天窓(あたま)をすり付れば

其方共も知る通り 当所玉水の渕弐丁四面は殺生禁断の地 夫故数多の鳥集る所 いか成

事にや飛ぶ事叶はず 渕の鳴り渡る故 今朝都へ御注進申せしに 正しく三種の神器 渕に沈み

 

 

9

有らんとの御評定此所ゟ程近ければ 番抔厳しく申合せ 万一禁断の場所へ踏(ふん)込む者有らば 太鼓(たいこ)柝(ひやうしぎ)

の相図を以て搦め取らん 此旨村次に申合せ置く きつと申渡したぞ はつと委細に承はり 亭主内へ代

官は元(もと)来し道へ引かへす 様子立聞く耳四郎 心はやれど何気なく 皆打連れて表に出 コレ忍ぶ大事のことを忘れて来た

弁の少将様からお誂への絹地 お玄関に置たなりで エゝこりや気にかゝる事をした おりや引かじぇして京へのぼる

皆は先へと気も夕陽(せきやう) 行くも逝(いぬ)るもどぢらの夜道 同し夜道も逝る方にはせいが有る 忍ぶ様

もいつしよに先へ イエ/\わたしや豆四郎様が京へいてなら 又京へ さつてもきつい引っつきだこ そんならわしらは先へ

いの あちらへいたりこちらへいたり まだ其上に忍ぶ様も いたり来たりの根(こん)のよさ 健(まめ)な豆四郎健男と

 

評判するが無理じやない 怪我せぬ様に随分早ふ戻らしやんせへ アイ/\/\嚊様(かヽさん)よい様に 合点

じやわいな そんならコレ皆静かになんせいやと 友達もおれそれの 挨拶取々別れ行 跡は差し合い

媚(なまめ)ける信夫(しのぶ)は心いそ/\と 是から又京へ行のはしんどいけれど 誰憚らぬ夜の道 手に手を引てヲゝ

嬉し イヤ是信夫 京へ引かへすといふたは友達衆をまかふばつかり ムゝそんならそろ/\たつた二人 咄しもつていね

のかへ イヤそふでもない そんなら爰にとまるのかいなァ 豆四郎は両手を組み思案工夫も遅くて詮なし

暮れるを待て ソレヨそふじやとかけ出す 袖に縋つてコレ申 お前のそぶりは玉水の渕 コレ声が高い 渕の中(うち)

鳴動するは三種の神宝ましまさんと都の評定 今代官の詞を聞けば追付捜し求むると覚へたり 惟喬方(かた)

 

 

10

へ取られては悔やんでも返らぬ事 夫じやに寄てと振放すを 猶も縋つて マア/\待て下さんせ 是いなァ

其玉水の渕は禁制の場所そこへお前が行かしやんすと 科人になりますはいなァ イゝヤ譬科人にならふ

が殺されふが 忠義にはかへられぬ 邪魔でずと退いた/\ イエ/\待てともみ合後ろへ茶店の五作 様子は

聞た二人ながら代官所へ連れ行くと 引立かゝる首筋捕へぐつとしめ以前の雲助 ぎゆつと斗を此世の暇

死骸を直に傍(かたへ)に蹴込み コレ剛(こは)い事はないこなん方の尻持ちは此鉦(どら)の繞八(にやうはち)じや 斯してしまはざすむ

まいがと 人吠(かみ)犬が尾を降るごとく 気味悪ながら半分は 落つき顔に豆四郎 そんならこなさん何角(か)の

様子を ハテ知て居る故しめ殺したは 高で訴人をさすまい為 シタガこなんの思ひ付き悪いぞへ 禁断の

 

場所へはいつて首尾よふいけばよけれど 取る物も取らず簀巻になつたらほんの鼠の水壷死(つぼしに) 都から捜すと

いふても今夜や翌(あす9の事では有まい とつくりと勘弁して 迚も取らにやならぬ事なら 水練をエた者を頼

んで捜してもらはざ手に入るまいと いふ理屈は聞こへても事を延ばすも気つかひ也 いかゞと思案信夫は小声に コレ

申豆四郎様 アノあちら村の彦六様はきつい水練(すいり)の名人 殊に頼とさへいふたら命にかけて夫は/\頼もしい人

是非アノ人を頼んでと 聞く耳より夫は幸い アノ彦六が水練に達しているとは知らなんだ そんならそなたのいやる通り 今夜

はいんであすの事 此場の時宜は必沙汰なし ヲゝおれが人殺した事も 互に沙汰なし 合点がてん 様子は道々信夫か

じや 早ふいなんせ お礼は重ねておさらばと 思ひはひとつ兎や角と 心もくもる雨もよふ 足をはやめて立帰る 見送る繞(にやう)

 

 

11

八以前の死骸 天窓を持上げもふよいか まんまと味(うま)ふやり付たと 一つ所に寄こぞり 代官の口触れ何ても渕

に宝物が サア夫で二人が云合して せしめふと相談の中 先越さふと仕おつた故 云合せての此仕業 雨気付いた

は幸いじや 蓑笠て形(なり)を隠してヲゝ水練得て居る此繞八 禁制(きんぜい)の場の案内は 此五作が知て居る

人の見ぬ間に堤のはらから 合点と取出す蓑笠宵闇の 更けぬ中にと夕立は 馬の背越すや逸散に かけ

出してこそ〽急ぎ行 扨も神鏡隠れます 奇特ぞ将に玉水の 渕物凄く鳴動せり

雨の芦原かき分け押分け欲の鵰(くまたか)眼をひらかせ 窺ふ大胆禁断の渕はどう/\どろ/\/\ 音をしるべに繞八が

水練得たる身もかるく 飛込む水に音ましていと物凄きこなたの道 むざんやるかな夫(つま)故に 夫をも忍ぶ

 

身も信夫(しのぶ) 人目を隠れ蓑笠は泣にも濡れた袖袂 夫に心引かされて猶振りしきる雨よりも 落る

涙の玉水ヤ漸走りつく/\゛と 思ひ頽堕(?:くづおれ)立どまり 道迄連れ立はぐれたふりで 此様な醜(おそろ)しい こはいめするも

夫の為 そふとはしらず今頃は 嘸尋て居やしやんせふ 豆四郎様 わしや爰に居るはいなァ 若し咎められ

殺されたら 道々の嬉しい咄しが此世の別れでござんすわいなァ/\ 声も得上げぬ忍び泣 むせび伏して見へけるが

思ひ直して泣く目を払ひ アゝ歎くまい何事も夫の為 ならぬ迄も其宝を首尾能ふ持ていんだなら 嘸悦

ばしやんすで有ふもの 夫(それ)ばつかりが一つの楽しみ 譬此儘死する共夫を思ふ一念力 かづき上げいで置ふか 渕は何国(いづく)

ぞ そこか爰かと尋ねさまよふ水の音 恋と欲とのくらまぎれ なんなく御鏡(みかゞみ)かづきあげ によつと出たる

 

 

12

繞八が 何じやしらぬがしてやつた 五作/\と尋る手先信夫が手先にさはつた鏡 思はすも引取て

かけ出す なむ三ぼうと取付繞八 せり合ふ人音柝の 音は四方に騒がしく禁断の場所へ忍んだ曲者 搦め

取遁すなと 声に集数多の人も 寄るに寄られぬ禁断地 こなたはせり合ふ萱原(かやわら)芦原 闇は

あやなし集る鳥のばら/\/\ 羽音人音水の音 どう/\泥田へどうど落るも地神の助け ねん

なふ鏡は貞女の鏡 忝いとかけ上る どつこいどふはも及びごし 引ぱる袂ふり切る袖 はづみにばつさり

群鳥(むらとり)の立つ足さへもしごろにて 我家をさしてぞ〽帰りける むかし 男 ういかう

むりしてならの京 春日の里といゝけんも 今は都の放れ庵(いほ) 主(あるじ)の姥(うば)は陸奥(みちのく)に 住み馴たりし

 

年月も 移りかはりて此里に 夜渡る業(わざ)も忍ぶ摺り 年は六十(むそじ)か七歳(なゝとせ)に 当る夫の供養ぞと 秋

の初米(はつよね)挽き臼の廻る祥月命日は 昔男ぞ恋しけれ こいと云た迚行るゝ道か 道は四十五里波のうへ

唱歌に思ひくもり声 伝ふ嚊が見咎めて コレかみ様(さん)機嫌よふ歌諷ふてかと思へは涙くんで

何が悲しうござんすと いふによしは手拭ひ目に当て さればいのふ けふは死なしやつた親仁殿の命日 卅

年の長の馴染をふり捨て 七年跡に先立たしやつた 此婆はもふくるか/\と 待て居やしやるで有らふ

けれど 此世の業がみてねば こいといふた迚行るゝ道かと 諷ふに付けて悲しうなり どふ???迎ひを 待

て居ますの真実は 昔を今の涙也 サツテモかみ様はアゝきつい男思ひ わしらはとさまと喧嘩のしづめ(←?)

 

 

13

米櫃(げびつ)には蜘蛛の巣の張づめ 夫でも死なふかやれこらさ共はぬに 何くらからぬかみ様 死たいとは悪い思ひ

付きじやぞへ イヤ思ひ付きで思ひ出した いつたいアノしのぶ摺りの思ひ付きはどふした物でござんすと とへば咄しに𦥑の手

とめ サアあの忍ぶ摺りの始めは思ひ付て拵へた事ではない しつての通りわしは元陸奥の者 親仁殿が生き用

の中(うち)秘蔵さつしやつたアレアノ石 筐(かたみ)じやと思ふて撫でては泣きさすつては泣き毎日/\石に取付て泣き暮す中

着る物が 石に摺れて天然と模様に染まつたは不思議な事じやと思ふて居た折節 河原の左大臣融様

といふお公家様が 千賀の塩竈尾見物にお下り こちの内にお宿申たれば 其咄しをお聞なされ そちに

かはつて手向けの歌を詠でやらふと 陸奥の忍ぶもぢずり誰故に乱れそめにし我ならなくにと 此模様を

 

しのぶ文字摺と名付た歌の心 此石を持て上方へこいとお世話に成て 融様の御領分此春日野へ引越て

今此様に世渡りの胤に成たアノ石も 親父殿じやと思ひ出す 色気放れて恋したふ 是ぞ恋路の極意

なれ ア又かみ様の咄しのとまりは連れ合いへこかしてじや よく/\昔能かつた物 よい男じゃ有たかへ イヤよい男の次手に

日本国へ聞へた色事仕のかいさん 業平様といふ人が しのぶ摺の狩衣とやら かし衣とやらを着やしやつてから 忍ぶ摺を

着さへすりや よい男に見へるかと思ふて めつたやたらにしのぶ摺のはやるも仕合せ 其かげてこちらのめろめも

相応に銭儲け サイノウ夫で京のとくい衆へ娘や聟が一昨日から じやか夕部戻る筈を いんまに戻つてこぬといふは

アゝかみ様案じる事はござんせぬ 権の所のおさきや こちのめろも一連(ひとつれ)なりや 気づかひな事はないと 噂半ばへ

 

 

14

どいや/\かみ様今戻つたぞへ ヲゝ今か そふしてしのぶや豆四郎はと 尋に三人口々に 豆四郎様はしれた物じやが有ると

いふて玉水から引かへしての京登り こちらは夜通しに戻らふと思ふたけれど 夕立がしたによつて下木津で木賃泊り

漸今に成ました そんなら信夫も付ていたかいの 大がいな事なら戻りやせいで 付ていかいでも能事じや有ふ

に アゝ夜道を怪家(けが)せにやよいがのふ イヤモウ一たい戻りの遅なつたも信夫様や豆四郎様からおこつた事道々

もちよぼくりあやくりいおらひ合て果る事か 夫見るとわしや腹が立て 斧(よき)の刃も立たぬ様に有たわいなと

ひよつかすか ヲゝお傍女郎の大口を ホゝゝゝハゝゝゝ 笑ひに案じ取交ぜて訳も奈良道いきせきと我家へ帰る豆四郎

様子は何と庵りの口 母者人今帰りました ヲゝ聟殿 こなた何やら用が有て又京へと聞ましたが 早かつた/\

 

イエハイ京へ用も有たれど 定めてお前のお案じと いつその事帰りましてござります ヲゝそりやよふ戻つて

下さつた そふして信夫はどふしてと尋に恟りエゝあの信夫はまだ帰りませぬか コレ/\婿殿 そんなら

こなた連立ては戻りはせぬかいのふ ハイ連れ立て帰ります道で そろ/\先へ往てくれいと それからとん

とはぐれまして 夜の明ける迄尋ても居ぬは 大方木津の別れ道から間違ふて先へ戻つているで

有ふと いつきせきして漸只今 夫に今迄戻らぬはと 気づかふ聟ゟ案じは百倍 ヤア/\/\そんならアノ 狐に

でもつまゝりやせぬか アゝ心元なや 婿殿皆の衆 どふしませふもおろ/\声 傍から案じの百歩(ぶ)一

コリヤくわい/\に極つた シタガ常からじんじやうな信夫様 喰へといふたてゝめつたに小豆餅くてゞも有まい

 

 

15

じやか風呂かと思ふて池へはいつて顔すりむいてじや有まいかの サイノウ夫(それ)が気づかひなと 目には仏

も内証で いふて居ては埒明ぬ お傍の所の繞八殿(どん)と こちのとさまと連れ立たして尋たそふと立騒

げば 梅田村の藤兵衛殿は聟殿と信夫が中の仲人 一門も同然 ひよつと寄て居よふもしれぬ 次(つい)

手に寄て尋ねてと いふに合点アノかみ様 梅田村の藤兵衛殿は そんならこれの一家衆か 梅

田藤兵衛殿と信夫様は一家かへ左様じや/\ あだ口交りも如在なき在所の嚊は出て行 見送(?)る母

は立つ居つ案じに胸も落つかぬ 戻つたなりに豆四郎 草鞋とく/\気もそゞろ 母者人アノあちら村

の彦六は 水練(すいり)の名人でござりますかと薮から棒 ヲゝ聟殿のかてゝくはへていろ/\なの事とはつしやる そふして

 

彦六が水練とはとつけもない 池のはた通るのさへ剛(こは)がる程の臆病者 エゝスリヤ彦六が水練の名人

といふたは嘘 ムゝウと猶更済まぬ気の 傍にお三輪が指出口 ほんにきのふ長池で彦六に逢ふた時

連れにならふとじやら/\ばつかり 若し信夫様が連れ立て戻つてかいなァお谷様 それも知まいと 咄しも

どふやら心がゝり アノそんなら彦六めが信夫にじやら/\ サア/\/\扨はそふじやもむつと顔 母者人もふお

案じなされますな 信夫は追付彦六と連れ立て戻りませふ ソリヤマアどふしてどふいふ訳と 老の

案じに根ほり葉ほり イエ/\お前に咄される様な事じやござりませぬ マア先そろ/\いけとわし

を出しぬき 跡へ戻つて長池の何所ぞの宿屋で エゝこりやもふ気の済まぬ事になつてきた

 

 

16

母者人 信夫は何でもこりや彦六とてつきり 何でも何でっして居るのでござりますはいなァ エゝ思や思ふ程

いま/\しうて あほうくさいと引寄せる たばこ盆にも腹立ちの 科をきせるのみしやげる程灰吹ぐはつた

/\ぐはた/\/\ アゝ是聟殿其様に思はしやるも無理ではなけれど 娘に限つてそんな事が イエ/\/\合点

が参りませぬ 何じややら彦六は水練(すいり)の名人頼もしい男じいやの 何のかのと嘘八百 頼もしい筈じや 昼から

約束のして有る事 エゝこりやもふとつと五臓が抜け参り仕そふなわい コレハしたり いかに若いといふて

きつい腹の立よふ 其様に機嫌の悪い顔見たら ハツト思ふて姉に虫が出りやわるいモウ/\/\そんな気づかひ

の有娘じやない程に どふぞ機嫌を直して下され ヤコレ母が拝みますと 聟の機嫌を取なしも おろ/\声に

 

合す手を無理に引わけ アゝ申/\ お前様は信夫斗贔屓なされまして 聟の私は拝み倒しになされまする 是が

腹が立たいで何が立ませふ サゝゝゝそこをどふぞ母が詫び言 夫はそふとこなた飯もまだで有ふ 洗足の湯も涌かして

置いたと 母の詞もうはの空 夜通ふしに尋ねさしおつて めんめい定めて夜通しに エゝいま/\しい トレ奥へ往

て寝てこまそふと むしやくしや腹を立て切る障子 ぐはつたひしして入にける お谷お三輪も気の毒の

立端なれば申かみ様 何をいふても信夫様の顔見にや訳の立たぬ品 こちらも供々友達同士 尋てこふ

をしほにして 打連れ帰れば母小よし 心細さも弥(いや)増して聟殿の今の詞 まんざら狐の業では有まい とはいへ

今迄何をして なぜに戻りの遅いぞや アゝ気づかひな事では有と 案じに老のしほ/\と 心は外へ奥に

 

 

17

入る かゝる折節表の方 大身と見へて立派の乗物 供廻りも花やかに 前後を取巻あらくれ武士

跡押へは鞠岡龍太仲武(なかたけ)眼を配つて引添たり ヤアぎやう/\しき警固の有様 見苦し/\ 有常が

家来乗物立てよと高声(かうじやう)にハツト傍(かたへ)に乗物の戸をひらかせて立出る其勿体 遉雲井に交

はりし 昔かうばし今は又 武家の作法も紀の有常 悠然たる声はげまし 惟喬親王の勅命蒙り

当所へ罷り越したる有常 逃げ走らん謂れなし なんぞや罪人(つみんど)同然に 弓箭(や)を以て取かこむは ハゝゝゝ不忽(こつ)とや

云ん扣へ召れと詞に鞠岡 ヤア納めた一言ふはとは乗らぬ 御不審のかゝつて有る有常 斯く取巻しは鷹鳥

卿の戴配(さいばい) 又此春日野の出口/\も取かこみ置たれば 井筒姫業平は籠の中(うち)の鳥同然 討ち

 

取るに手間隙入らず 龍太は検使の役 早く埒明け惟喬君に忠臣たる 性根を見しやれと権

柄づら イヤ左様の勅諚此有常は承はらぬ 井筒姫に得心させ 何卒后に奉るが忠臣の第一 事

も乱さず首討とは 鷹鳥卿の仰を守り 勅命を反故(ほぐ)にしても苦しうないか サア夫は サ何とゝ

サア斯いへば役目の角ひし夫も気の毒得とシアンの有べき義と 聞て諾(うなづ)き成程/\ こりや尤

しかし公家落の貴殿 形は武士でも武士の役目は覚束ないと 何がな検使の負おしみ ハゝゝ以前

は兎も有れ今武官と成たる魂は侍 万民の掟と成る 惟喬親王の勅諚を守り 三更(かう)の

時刻迄に納得せば御后 異議に及はゞ首にして相渡さんず 役所に待ちやれと 詞すゞしくいひ

 

 

19

放つ 矢先を伏せて鞠岡龍太 然らば時刻違(たが)へぬ様 役所にて相待ち申 家来つゞけと見届けの 役目を功

に肩肘をいかつがましく退(しりぞ)きける 跡に有常家来を招き それと指図にさし心得 門口から慇懃に 文字摺り

の小よし様とは此宅な 御対面申度き義に寄て 紀の有常推参と案内の声に納戸より どなた

じや是へおはいりなされと 老女のこたへ 然らば御免と挨拶も 勇備の骨柄供人引連れ内に入る

小よしは立出手をつかへ コレハマア御大身様のみギルシイ茅家(あばらや)へお越は何の御用ぞや そふしてあなたはどな

た様でどれからお出なされしと いふ顔つく/\゛涙をうかめ ハツア思へば一昔廿年も逢ぬ其 見忘れ召され

たも尤 コレおりや葛(かつら)村の太郎助でござるわいのふ マアと恟りよく/\見れば ヲゝほんに太郎助殿

 

じやテモ扨もなつかしや よふマア健でと立寄れば家来供 ヤイ/\/\御大身の傍近く慮外なやつと口/\に きつぱ

廻せば有常声かけ そりや何事 主の詞も待たず尾籠至極 扣へておらふときめ付れば イエ/\是は

じゞが誤り 陸奥での隣同士太郎助殿か 小よしかと壁越しにも咄し合た心安立て 今ではきつい御立身

じやと 噂に聞てかげながら悦んでおりました マゝゝゝおめでたやと下げる手を 取て引上げ是はしたり どふでござる小

よし殿 慇懃は却て迷惑 イヤ何家来共用事仕廻はゞ代官方迄帰るで有ふ 用事用事を納(こめ)し挟箱は其

儘に皆/\役所で帰るを待て 早いけ/\ はつと一度に家来共 役所をさして出て行 跡には二人差合いも 馴

染同士の気も安々 コレ小よし殿 家来残らず帰したれば誰憚る事もなし やつぱり昔の太郎助と思ひ

 

 

19

隣同士の心で咄し合て下されい ジヤテゝ今は御大身もどふやらそこが ハテ扨夫はいらぬ遠慮じや アゝ夫もそふ

かい双方が 打寛いで太郎助殿や ほんにマア珎らしい 何と思ふて尋ねてきて下さつた イヤもふ余(あんま)り昔なつかし

さに 尋て来ました 夫はよふこそ/\ 陸奥で別れてから 十六七年も逢ぬ中 扨も/\老くろしう年の寄た

事はいのふ アゝ寄りもせふかい こなたも真白になりましたぞや なつた/\ 夫でも歯も足もやつぱりかはらぬ

イヤもふ達者そふでめでたい/\ こな様も健そふでよい事やの お公家様にならしやつたと聞てモウ逢ふ

事も有まいと 有やうは思ふて居たが 太郎助殿 小よし殿 アゝ命有ればじやのふ そふしてアノ六太夫殿は

今に五調(かんでう)にござるかのと とはれて答へも涙ぐむ 顔をながめて コレとさまはどふじや 健(まめ)なかいのふ イゝヤ

 

親仁殿は死ましたわいのふ ヤアそんならもふ六太夫殿は アゝしらぬ事迚悔みにもおこしませなんだと 打しほ

るれば 戒名秋口(しうこう)信士といひます 馴染じや回向して下され アゝ夫はいかい力落し 誠に六太夫殿は何

角にいかい世話やきで おれもたんと世話に成ました なむあみだ仏/\ 回向も真身しみ/\゛と 塩茶に世話を

焼き米の粉(こ)れも涙の程ならん 親仁殿の七年けふが丁ど祥月命日 志にわしが挽た焼き米のはつたい

さもしいけれど一つ飲で下されと 指出せば押戴き アゝ是はよい所へ来ました 六太夫殿にも逢て 前方の礼もいはふと

思ひの外 はつたいに成らしやつた そんなら志じや?(たん:糸へんに太?)ますると 茶碗片手に秋口居士俗名は六太夫殿早七年

と杉楊枝祥月命日仏果菩提 念仏と供にかき立て/\ 一口飲でアゝ親仁殿の気の様な かうばしい事で

 

 

20

ござるわいの コレ能うたくさんに有る せい出してまいつて下され そんなら今一つ飲ましよかと 昔忘れぬ付合は おく

底見へた茶碗かたむけ ヤレ/\久しぶりのはつたい茶 アゝ味(うま)い事でござつた ジヤガ陸奥ではつたい茶飲だ時分は いろ/\

の艱難 どふ斯(かう)やら兄親の勘当が赦(ゆり)て前の通りの公家交はり こなたにも此春日野へ引越て見へ

たといふ噂 聞かぬでもなけれど かけ走つてもこられぬ身分 漸とけふに成て来た所が六太夫殿の祥月命

日 アゝ縁といふ物はあぢいな深い物じやてのふ イヤコレ/\其縁て思ひ出した こなさんにいつちいはにやならぬ事

が有る 悲しみの中の悦びと 娘の信夫が大きふなつての ほんにそふでござらふ もふ今年で丁ど ヲゝ重質になり

ます それは/\よい女房になりましたぞいの ムンそふしてこなたに孝行なかの イヤモ廿四考そこ退けじや

 

よい聟も取て中もよいて イヤ夫(それ)はめでたい/\ ちよつと逢たい物じやがのふ ヲゝ逢しましよ/\ シタガ一昨日から

京へ商ひにいて今に戻りませぬ ガもづ追付戻るでごあらふ そんなら暫く待ましやうか ヲゝそふはかいの

ツイ咄す事も十六七年の長物語 それいの ちよつきりちよつと云れもせぬ マア/\奥へ往て一寝入り

やらしやんせ 然らば左様 小よし殿 太郎助殿 後刻御意得イヤ後に逢ましよ 口と形はそくはくに いづ

れ馴染も長袴踏した〽いてぞ入相の 鐘は無情を告げ渡るアゝもふ日?暮るに此信夫は どふ

して戻つてくれぬぞと いとゞ案じぞますかゞみ 鏡大事と懐に信夫は不便や夫(つま)思ふ 心のたゆみなく

/\も虎口(ここう)の難は遁れても遁れ難なき身の科を 思へば思ひ頽墜(?:くづをれ)て 帰る戸口に彳(たゝず)む母 信夫じやない

 

 

21

かヲゝ嚊様(さん) 嘸待ち兼といふ間も待兼 コレイナフ そなたの戻りが遅いといふて 聟殿の機嫌は悪し 珎らし

いお客は有り どふして戻りが遅い事じやと わし独りがきもせやいているわいのふ サア/\/\はいりや ガよふ戻りやつた

よふ戻つてたもつたと 老の嬉しさどきまぎと取じめもなふ内に入り 母は信夫が形(なり)そ?見ればそなたはちんば

引てそふしてマア此着る物は 何所で着かへてどうして隙が入たぞと 問へど明けては云れぬ時宜 サア是はな

わしやアノとつと堤で転(こけ)てな ヲゝあぶない事の 大きな怪家して隠して居や仕やらぬかや イエ/\ちつと斗足を蹴

かいて 泥だらけに成たによつて 梅田村へ寄て髪結たり 着る物借(かつ)たり それで隙(ひま)が入ましたと 間に合詞奥の間

より 母者人/\ 信夫はまだ戻りませぬかと立出る豆四郎 ヲゝコレ/\信夫とおはとふから戻つて居るけれど こなたが寝

 

入ていたに寄てしらさなんだ ノウ信夫 とふから戻つていやるのふと 娘の取なし言訳も そしらぬ顔で見むきも

せっず ハイそりやよふ帰りましたなァ 私はもふ戻りやせまいと思ふておりました ホゝゝゝゝ聟殿のとでもない 我内へ

戻らいでよい物かいのふ 信夫が遅ふ戻つた訳はの イヤ夫(それ)も聞ておりました どこやらの堤で転けたとやら 夫も合

点転けたのか転けてかゝつたのか 押付られて夢中に成り それでアノ泥だらけ 髪のみだける程あた好きなと つゝけり

云れてアレ嚊様 エゝ/\胴欲なあんな事いふてじやわいなと 立寄る信夫をなだむる母 サア/\よい何にもいやんな

イヤモウ若い同士の女夫は 誰と物いふたといふてはせり合い 目づかひしたがくせ事じやと 喧嘩する中(うち)が花じや

シタガ女夫喧嘩は帯が直すとやら歌にも諷ふ ホゝゝゝゝ何コレ聟殿 わしが昔の馴染の人が 奥へ来て居やしやる

 

 

22

こなたにも近付にせにやならぬ 夫(それ)に不機嫌では悪い程に 信夫や 奥の間にはお客が有り 納戸も端

近(ちか)物置きへなと連れ立ていて 中直りに ツイあの ソレ何 エゝどふなとせい なむあみだ仏ぶつ/\と 詞の色や

念仏の 恋と無常を噛みまぜて 辛い気(け)のない母親は 睟(すい)を通して立って行 跡に女夫がつきほさへ 涙拭ふ

て信夫はすり寄 コレ申 私が遅ふ戻つたを 腹立てて下さんすはやつぱり私を可愛と思ふお前のお心 嬉しいは

嬉しいながら聞へませぬ 心をしらぬかなんぞの様に 外心も有ふかと窺はしやんすは胴欲な 祝言したは去年

なれど 陸奥から此里へくると馴染の友遊び お前は十三わしは十(とを) 供にあどなきうなひ子の 中のよかつた女夫事

信夫様と豆四郎様とは女夫 おかし シツシ しごろくばんじやと悪口を 余所へ流して汲かはす井筒の本(もと)の水かゞみ わしが思へば

 

おまへにも 思ひあふた隣同士 心はひとつ一本(ひともと)薄穂(すゝきほ)に顕はれて行末は 二世も三世も神かけて 放れまい

ぞや放れじと 云かはした一首の歌 お前覚へて居やしやんすかへ 夫(それ)を忘れてよい物か つゝいづゝ井筒にかけし

まつがたけ すぎにけらしないもみざるまに サア其歌が媒酌(なかだち)して ツイ嚊様の耳にも入り好き合ている事ならと

表向き仲人を拵へて嬉しい祝言 ヲゝ結納(たのみ)のしるしも忍ぶ摺の絹に書いて送つた 一昔は春日野の若葉のすり衣

忍ぶの乱れ限りしられず 私が方にも取あへず 陸奥のしのぶ文字摺誰彼に乱れそめにし我ならなくに

サア其歌は左大臣融公の遊ばされし 此家には故有る一首 夫(それ)をこつちへ聟引出(ひきで)と 斯く逸(いつ)早に互のかためは 肌身

放さぬ袖と袖 垣間(かいま)見初た始めから 深いと人にもいはれた中を振切て 道ではぐれた体に見せ 跡へ残つて

 

 

23

泥だらけ 今迄どこに何していた サア夫はな コレで隙が入ましたと 懐ゟ取出す袋 錦は水に朽たれど 朽ぬ

和光は日の本に二つとならび内侍(ないし)所 ヤア夫はと恟り豆四郎 すり寄てとつtくと見 こりや紛れもない八咫の

御鏡どふしてそなたの手に入た 斯した事での隙入とはしらず 最前からの隘阻づかし堪忍仕や 此御鏡が手に

入しは 忠義を立ぬく心さしを憐れみ給ふ神の賜物 といふもやつぱりそなたの働き エゝ嬉しいぞや忝いと 悦びいさむ夫(おっと)

の顔 見る嬉しさも見納めと 名残惜しさのいやまして そんなら夫(それ)で遅なつた疑ひは晴たかへ イヤモ晴た所か疑

がふた心が今では面目ない エゝ嬉しうござんず其お詞 聞たら譬此儘死でもわたしや本望と いふにいはれぬ

身の科を 隠し涙ぞあぢきなき 始終の様子最前より 窺ふ鉦(どら)の繞八(にやうはち)が 心の鬼を隠し角(つの) 門口に咳ばらひ

 

戸を押明けて ヲゝ爰じや ヤレ/\一遍尋たと ずつとはいれば ヤアこなたはきのふ玉水の茶店で ヲゝ近付きに成た繞

八じやと うそ/\見廻し ヲゝ信夫女郎とうあら ちやんと爰へ戻つてじやと いはれて底気味悪い所へよふお出 そふ

してお前何ぞ用が ヲゝ売たい物が有て来た 其代物はコレでゑすと 取出す片袖忍ぶずり 信夫は恟り

豆四郎 様子しらねど胸にこたへ 何と詞もなかりけり ナント此袖 買う気はないかと指出せば豆四郎 春日野の

若草と読みさして 信夫こりや其方(そなた)の肌着の袖 どふしてこなたが ヲゝ玉水の禁断所に落て有た此片

袖 代官所へ売りに行たら 大まいの金になれど 殺生するがみめでもない 望みなら金次第で売てやらふとゆすり

かけ 弱みに付込む疫病の神さまがふとしられたり 思ひ極めし覚悟の信夫所詮買ふても此身の科は ヤア

 

 

24

イゝエイナア 此身のはゞに合ぬ袖 勝手な所へ売らしやんせと 思ひ切たるひつしよ泣き 立派涙ぞいぢらしし ハゝゝゝゝコリヤ

手強い代物のひやかしよふ買気がなくば代官所と ずんど立つを豆四郎 立ふさがつて コレ待た 其片袖私が買ま

せふ アノこなたが此片袖を サア買は買が今といふては其値(あたひ)が ヲゝ金がなりかたしやるはい ムゝかたとは何を ハテ信夫女

郎が持て戻つた ノソレ丸い物が預かりたいと 夫(それ)と云ねど御鏡をほしがる曲者豆四郎 懐中ゟ取出しかたにほしいは此

鏡か ヲゝそれ預らふの声ゟ早く井戸へざんぶと投込だり 鏡は見るよりやたけたの 井戸へこたまのとんきよ声 形(かた)に取ふ

といふ代物を 井戸の中へほりこんだは モウ此袖を消変(しよんべん)か イヤ変改(へんがへ)はせぬ買いませふ ガとつちにも入用な鏡 手放し

ては渡されぬ といふてこつちの手に有ては訳が立たぬ じやによつて此井戸へ投込だは 井戸ぐちかたに取て貰を ヲゝ合点

 

と井戸がはとらへ エゝ井戸ぐち是がどふなるぞい サアついは取られぬ其かたを そつちへ渡すが片袖のかはり ムゝよいは そん

なら此井戸はマアおれが物じやの いかにも値の金拵へたら ヲゝ早速に此かたを取にござれ 共いはれぬ此井戸 取たかたを

爰に置いて手ぶりさこでも逝にくひ イヤモ金拵へるも暫しの中(うち)アノ物置で 合点じやそんなら金の出来る迄

ドリヤ一鼾やつてくりよと 遠慮会釈もあら男 胸に工みの悪者は 物置へこそ入にける 見送て豆四郎 立

寄て信夫が顔 見るも涙にかきくれて コレ何にも云ぬ忝い 其身は簀巻の科にかへ 此豆四郎を夫(それ)程迄大切に

思ふ心ざし 忘れは置かぬ嬉しいぞやと 手を合すればアゝ申 女房に何の礼 お前に忠義を立させたさ 所詮此身は覚悟

の上 シタガ今いはしやんした値の金心当てが イヤ何の有ふ 待たして置いた様子は斯々(かう/\)囁けば エゝそんならアノ繞八を アゝコレ声が

 

 

25

高い 大事を知た繞八めを討て捨 忍びまします業平京 井筒姫様諸共此所を立退けく用意 早ふ/\とせり立れ

ば そんならそふと女気の 立上ればコレしのぶ 母者人に勘当請きや エゝ イヤサ何驚く 我々が立退く跡にて 玉水の渕

へ忍びし詮議 又人殺しの難義迄母人にかゝるは治定(ぢぢやう) じやに寄て勘当受ければ他人向き 御難義はかゝらぬ道理 サア

夫じやといふて嚊様が何の私に勘当を 不孝に仕や 不孝にせいとは サア今でも爰へ母者人が見へたらば投げ打ち仕

たりいはつしやる事に口答へ よいはづみには足で斯 サ勿体ない事ながら そふして見せたらいかな結構な母者人でも テモ

憎いやつじや出てうせい勘当じやと おつしやるは定の物 サ其不孝が却て孝行 繞八が訴人をとめたは そなたの命を

貯(かば)ふ斗の事ではない 禁断の地へ忍び科親一門迄簀巻の罪(ざい) 母者人へのお身の上 夫(それ)か悲しいとしさきにと 語るを聞て

 

信夫はせき上げかゝ様の身を夫程に エゝ忝いお心ざし わたしやお前が大切なと斗(ばっかり) そこへ心が付かなんだ 思へば

私は不孝者 アゝコレ泣て居る所でない 何をいふも事急な 孝行の為不孝に仕や 成程勘当請ませふ とは

云物の夫がマア 何と納戸に母の声信夫や 娘と聞ゆるにぞ ソレ母人が合点かと 呑込ます身も呑

込むも 供に涙を呑込で かしこに隠るゝ其中に 立出る母小よしヲゝ信夫爰にかコレ久しぶりで逢す人が有る

サア/\奥へと勧むる母 しのぶは胸にせぐりくる 涙w無理につきやつて コレかゝ様 わしやけふから不孝にする 気に

入らずばちやつと勘当仕くされと めつたに不孝をせふどなき 詞に不審立寄て ヲゝ何じややらいかふ腹立てて居やる

? ムゝ何かこりやまだ聟殿と中直りがないの 夫で機嫌が悪いのか そふか/\も猫なでごへ 親にさかふが道ぞ

 

 

26

とは 畜生道に落たかと 思へば不孝に四苦八苦の 心を心で取直し わしや機嫌が悪い/\ 何じや

有ふと角(か)じや有ふと かまひなさりくさる事はないすつこんで居くされ ヲゝ/\すつこんで居てようすつこんで

居ませふ イヤもづわがみの腹の立つのは尤じや ちつとやそつと戻りが遅いてゝ 聟殿があの様に云しやる

事もない シタガこれ連合いには負けうちの物じや程に 腹が立たふと堪忍仕や 其様に腹立ると 持病

の虫がのぼつて 又一昨年の様に煩らやると 大てい案じる事じやない程に ヤ堅い者じや 機嫌直してたもい

のと 背(せな)撫でさすりうろ/\おろ/\ エゝあたやかましい 何所の国にか子の機嫌を損なふといふ様の不孝な親が有る

物かいなァ こちや腹が立ていま/\しうて ならぬ/\も半分は 涙にわけもないじやくり 孝行故の不孝共 知らで案じ

 

る親心 茶釜の下も燻(ふすぼ)りし 娘の心汲もつて コレしのぶ よい飲みかげんじや一つ飲で気をしつみや ナア賢い者

じや 虫しづめに茶(ぶゞ)一口のみや 飲でたもと指出す茶碗引取て エゝいやじやわいな 飲たふもない茶を打明けて

いはれぬ上べの腹立顔 振上げは上げながら 親に刃向ふ同然の アゝコレも母を助る為 なむ神様仏様 赦してたべと心

願 くはんと茶碗の我が身にのみ当たれかし アゝ/\勿体投げ打ち驚く母 こりや大ていの事じやないと寄添ふ手先

つき退けられてひよろ/\/\ 恟り思はず立かゝれば ヲゝ/\だんない/\ そなたがちよつとさはりやつたのに おりやひよろ/\としたはい

の ちいさい時はかよはい産れ どふで達者にしたいと思ふたが 大分力が強ふなつて いかふ身ができたわいの 嬉しうござる ヲゝ

出かしやつた/\と何に付ても可愛がる 母の情の有がたさ 思へば思ひ廻す程 不孝にせねば孝行に ならぬとは何

 

 

27

事ぞ 扨も/\いつの世の なんたる罰(ばち)で報ひぞと 心に泣けど口先に 不孝の数々いぢらしき 見る母親の

気はそゞろ ついに覚へぬ腹の立てやう 子の母に何ぞ又恨みが有らば誤らふ 了簡してたもいのと 合す両手に取縋り

申嚊様 子の様に不孝にしても お前は私が憎ふもなし 勘当する気はないかいなァ ヤレめつそふな事いやる どの様にしやる

といふて なんのそなたが憎からふ 機嫌の悪いはどふした事じやと苦になつて 案じに案じが重る程 かはゆふてお/\

ならぬわいのと引き寄せ/\ コレ子の母が気休めじや 機嫌直して袂に縋り抱(いだ)き付き 歎きしつめばこたへ兼 なんぼ

不孝の有たけを せふと思へど是がマア こりやもふどふも泣き叫ぶは理り せめて哀れ也 不便の様を奥の

間より供に涙の声あらゝか イゝヤしのぶ不孝を尽しあいそ尽かされ 親子の縁を切らずんば 母への孝は立まじと

 

立出る紀の有常 あなたはどなたとしのぶが不審 ヲゝ子のお人は陸奥に居た時分の古い馴染のお人じや

そなたにも近付にせにやならぬと 詞に有常違義を正し 改め申に及ばね共 幼少にて遣はしたる其が

娘 長々の御介抱お礼は重ねて申入ん ガ指当る今日の時義向後(けうこう)の親子の縁を切て お戻しなされ下され

い 只今引連れ帰らんと 思ひがけなき一言に 娘が恟り母小よし イヤ申有常様 いかに立身出世した迚 そりや余(あんま)り

な云いたいがい 大事の/\子のしのうを我物顔に縁切て戻せとは何事と腹立声にコレ嚊様わしやとんと

合点がいかぬ ヲゝ/\合点のいかぬは尤成人の後若しや若し隔てた心も出よふかと 深ふつゝんでおのれやれ 一生隠し

遂げふぞと 思ふたも水の泡 そなたの為に子の母は 養ひ親と聞く娘 エゝそんなら私が真実の 親といふはと見

 

 

28

れば見合す目の中に 涙を浮め打守り 実(げに)子を捨つる薮は有れど 身を捨る薮じゃなしと世の諺 ヤイ信夫 其

こそ紀の大臣名虎が弟紀の有常 若かりし時兄名虎が不興を受け 浪人の砌陸奥にてそちを儲く 母は産後に

空しく成 都へ帰らんにも当歳子の足手まとひ いかゞせんと思ふ矢先 是成小よし殿夫婦か貰ふてやらふと

いふて下さる是幸いと養子に遣はし 夫ゟ又都に上り 不興を詫る折節 染殿の后惟仁君を産み給ふ

其悦びと有て兄名虎に推しての取成し 再び紀の有常と 殿上の交はりするも后の情 然るに文徳

天皇御祈願の子細有て 惟仁親王の姉姫宮を伊勢の斎宮に立てんとの綸言 即ち有常承はる 御

寵愛の姫宮を遠く伊勢の国に移す事 御母后深く歎かせ給ひ 此有常を竊(ひそか)に召れ 思ひ設け

 

ぬ帝の勅諚 何卒斎宮を立てし体にもてなし 姫は汝が娘となし育てくれよとくれ/\゛の御頼み 去に寄て姫君は伊

勢の斎宮に立給ふと披露し 人知れず有常が娘となして育て上し 井筒姫こそ天子の御胤 計らず此度都の騒

動 惟喬親王の悪逆神を軽んじ仏をなみし 妹姫斎宮を都に入れよとの難題 業平諸共都をひらきし井筒

姫尋出さんも安けれども 姫宮を娘となし置たるは有常が謀叛などゝ讒言の者有んは治定 二つには井

筒姫の行衛しるれば業平が有家も知れ 忍びまします惟仁君の御為にもあしかりなん いかゞばせんと心を砕く

一つの思案 此しのぶを斎宮に仕たて都に伴ひ 何れ無事に納ん計略 此有常が実の娘を姫宮と崇めんは 欲

心(しん)の様なれ共四海の為 ナニ小よし殿左程に思はゞ是迄に便り音信(おとづれ)もすべき筈と思されふが 太郎助の昔を引かへ

 

 

29

雲井に交はる紀の有常 其むs目が春日野の叢(くさむら)に成長せしと云れては家名の恥 夫故是迄音信不通

只今しのぶを連れ帰るは 伊勢の斎宮と敬はれん上もなき立身出世年寄られた小よし殿 こなたの為にもあしかるまじ

何卒御得心有て娘を戻し下さらば 此上もなき大慶至極 身共がわざ/\伺公せし 子細は斯くの通り也と

理非明白に忠臣の詞正しく述らるれば 在所気質(かたぎ)の聞き訳なき 胸は修羅くらもめん帯 ゆすり上詰寄て

コレ有常様 イヤ太郎助殿 こなたは/\人聞きのよい昔咄し よい口な事云しやんないのふ 壁隣の一人住み 当歳子を

懐に入れ 人に雇れ畑へ仕業(しごと)にいかしやつた事 よもや忘れはさつしやるまい アゝいとしい事じやと死しやつた連合いか 手

助けに抱てやりやと云しやる故 間がな透(すき)がな わしが取てもりしてやるので 馴染が重なり 麦かせの イヤ茶を呉(くれ)

 

のといはしやる程の念頃 忘れもせぬ十月の廿日か廿一日の事で有た 太郎助殿 ちつさは寝たかどふじや/\と壁越に

いふても音がせぬ どふやら気にかゝつた故往て見れば 揚(あが)り口に書いた物 身分つまらぬ故娘を捨てて上方へのぼりまする

ちつさが事を六太夫殿夫婦の衆 くれ/\゛頼むの書置 そりやこそな サア嚊おじや こちの人ござんせ 追付いて

訳も聞ふと一里斗追っかけた海道筋 松の下に休んで居るは太郎助殿じや ヤレ太郎介殿 娘を捨てて出て行くとは

よく/\の事で有ふ こちら二人に子迚はなし 縁でかな可愛っござる わしら夫婦が貰ひませふ 気つかひせずと仕合せ

してよい便りを聞して下されといふたれば エゝ有がたふござりますと 土べにくい付て泣かしやつた事こなた忘れさつしやつ

たか 少々路銀の世話迄して 別れてからけふの今迄 なしもつぶてもせずに置いて いかにそつちの勝手じや迚 娘を

 

 

30

連れていなふとはよふ云れた事じやのふ そふして何じや叢に育つたと云れては家の恥じゃの何のと コレそりや云

しやれいでも知れた在所育ちじやけれど おのれやれお公家様の娘にも負さすまいと 物もよふ書き歌も詠みます

琴三味線も弾く様に ない中から我(が)をはつて ほんに/\此身の年の寄る事は思はず アゝ嬉しや今年は娘が

いくつに成た モウ来年はいくつじや物と 指おりかぞへて撫でつ擦りつ漸と 是程迄に育て上げた大事

の娘 片時傍に居いでさへ 顔見る迄は心ならぬ 此様に思ふて居る物を 引わけて連れていなふとは エゝ立身

すれば其様に邪見放逸になる物かと 恨み歎けば娘は取付き よふいふて下さんした あなたがほんのとゝ様でも

わたしやお前が大切な 立身もいや内裏女郎になりともござんせぬ やつぱりお前の傍に居たい 必/\戻

 

さふとはしいふて下さんすなへ ヲゝけな事よふいやつた コレ聞しやつたか今の様な孝行な事いふて呉

る者 何として別れられふ何の戻さふ放しはせぬと 娘を引寄せ抱(いだ)き付き 義理恩愛の有磯海(ありそうみ

)ふかき情を聞父も

涙よせくる胸の波心の岸や穿つらん良(やゝ)有て顔ふり上 ハツア誠や父の恩は須弥ゟ高く母の恩は蒼海ゟ深し

といへ共 夫にも中/\較(たくらべ)がたき六太夫殿御夫婦の厚恩の有常 暫時も忘れは仕らぬ ガしのぶ そちや大恩を忘れた

な サなぜといへ 伊勢の海阿漕(あこぎ)か浦に引く網も度重なれば顕はれにけりと サア此古歌の心 よもやとは思へ共 若々(もし/\)殺

生禁断の場所へ忍び入まい物でもない 左ある時は親子共に簀巻の同罪身にも命にもかへて育てられた親迄

憂目に合す所存か コナ恩しらず不孝者 イヤサア左様な事が有らふとは思はね共 後悔は先に立ず ナコリヤ不孝者といは

 

 

31

れぬ様にするが孝行の極意ならめ ナ合点かと 明けて夫とはいはね共 養ひ親へ孝心を勧むる実の親 心の

誠ぞ頼もしき しのぶは覚へ有がたき 父の詞に気を取直し 思ひ極めて申かゝ様 私には縁切てあのとゝさんへ戻して

下さんせ ヤア/\何といやる 縁切て戻てくれは アイ あいの返事も泣入る娘 暫く母も供泣に にじり寄すり

寄て 恨みのたけもおろ/\ごへ コレイなふ/\ なぜそんな事いふてたもる縁切てくれいとは そりやわしに死との事か

但しはいんで立身出世がしたいのか そなたに別れて何楽しみ何を便りに暮さふぞ 年月唱へたお念仏も わしが

未来の為にはねがはぬ そなたの息災延命を祈らぬ日迚ないわいのふ 其わしを振捨てていなふとはコレしのぶ ソリヤ

胴欲じや/\と 取付き縋る母親の 慈悲は上座に有常が 行儀崩さぬこたへ泣き 娘はわつと声を上げ 道理でござんす

 

かゝ様嘸お腹が立ませふが 是には段々様子がといふを打けしコリヤ/\しのぶ詞多きは歎きの種不孝に

不孝重ねるか イヤ夫(それ)でも ハテ扨何にもいふことないぞ イヤ小よし殿 是非/\娘は連帰りまするぞ

イエイエなりませぬ ハテ夫は悪い合点 只はこなたのお為でござる イヤ為いふて貰ひますまい 縁切る事も

逝す事もヲゝならぬ/\成ませぬと 老の一図にさしもの有常 いかゝと思案工夫の折から 玉水の代官

川嶋典膳 茶店の五作が案内にて家来引連れ門の口 掟を破りし女が宅とな ソレ踏込で搦捕

畏たと家来共 ばら/\と込入て 縄をかゝれと取まけば 母は娘を後ろに囲ひ 驚く有様有常声かけ

ヤア理不尽の行跡(ふるまひ)そっちたちへ何者と 詞に典膳さし寄てムゝ左様おつしやる其元は ヲゝ我こそ先帝の寵臣紀の

 

 

32

有常と 聞くゟ皆々恐れ入 コハ思ひ寄ざる御対面 拙者義は玉水の郷代官川嶋典膳と申者 是

なる女信夫といふやつ 玉水の禁断地へ忍び入たる大罪人 親子共に召捕て簀巻の罪 夫故斯の仕合せ

と 聞て恟り母小よし 有常様子聞き咎め たあっ水の渕二丁四面は元明天皇の御宇ゟ入る事叶はぬ禁断地 忍

び入しは安からぬ科人 しかし夫には証拠ばし有るやいかにと尋る中 其証拠は我々と内と外から繞八五作 此信

夫か禁断所へ忍び込をとつくりと見届けた此繞八 引つかまえふともみ合ふ内 私が手に残つた忍ぶ摺の片

袖 慥な証拠が有に寄て 私が訴状書て五作に持してやつたのでござりますと いふに有常眉を顰め ムウ其

捕へし証拠は何国の事 ハテしれた事 玉水の渕のはたで 何と動きは取まいがと 聞ば聞程母親の身も世も

 

有られず イエ/\申娘が何のそんな事 そんな覚へはござりませぬ 此様に見へましてもmだ頑是のない娘

そんな事してからが皆あじやらでござりますと ときまぎ言訳たまりおらふ 慥な証拠有上は 遁

れは有らじときめ付る 捕手を制してヤレ待旁 計らず此家に居合す有常 事を糺さで有るべからず

身が召捕んといゝもあへず 提緒(さげを)たくつて信夫が傍 立寄る有常母小よし あはてふためき押し隔て

こりやマア何となされます ヲゝそりや知れた事 其が娘は伊勢の斎宮 いかやうの科有共 禁庭(きんてい)の評定

にて命助かる筋も有ふが 故なき小よしが娘なれば 是非に及ばず召捕ると 又立かゝれば アゝ申 縁切ました/\

ヤゝ何と イエサア信夫は勘当して縁切るからはお前の娘 縄かけいでもyいじやないか とふから縁が切たふて

 

 

33

/\ならなんだ 信夫勘当じやきり/\ちやつと出て行きやと 此場の手詰情の勘当 ムゝすりや弥(いよ/\)

親子の縁を切て ハイ どふぞ此子の助かる様 お情お慈悲と伏拝めば 娘は母の慈悲心を 思ひ

やるかた中/\に 褒美が砂に成らふかと 繞八はしや/\り出 折角訴人した物を 此儘にはなるまいと

邪(いがみ)かゝればぐつとねめ付け ヤア此有常が載配の終りも待ず慮外な下郎め 儕にも詮議が有る

ハゝゝゝゝこりやおかしい 訴人した此繞八に何で詮議が ヤアぬかすまい 玉水の渕二丁四面は禁断の土地

なぜ踏込だ エゝイヤサたつた今儕が口から玉水の渕のはたで 捕へたといふ証拠の片袖 渕のはたは禁

断の土地でないか サア夫は うぬらも同罪遁れはないと きめ付られて繞八五作 あぢいに風が河舟で

 

吹流されし心地也 有常重ねて詮議を糺し其が縄打て相渡さん暫く当所の役所に待ちや

れ 然らば近頃御苦労ながら 夜半の鐘を相図とし又々参上 其時お渡しおれそれの 挨拶取々捕

手引連れ典膳が 出行跡に アゝひよんな訴人にとばしりの かゝる事とはしらなんだ 五作繞八もふお暇と 欠出

す 戸口を丁ど動くな両人 儕抔も簀巻の同罪 とはいふ物の僅かの掟を破りし迚 大勢の命を取るも

不便の次第 少しにても言訳有ば助けくれん 誠に玉水の渕夜毎に鳴動するは 正しく神宝隠れ在(ましま)さんと

禁庭の評定 其宝を取上し者は掟を破ると云ながら 是禁庭への奉公 命も助け褒美の沙汰

も有べき義と 詞の図に乗る繞八が イヤ申お詞半ばでござりまするが 左様ならハイ有様に申ませふ 何でも

 

 

34

渕の中には宝物が有と聞くと何角なしに忍び込で 渕へはいりましたは私でござります ナニ 玉水の渕へ忍び

入しは其方とな ハイ水練(すいり)は得手おりまする 底を捜しましたれば 何じや鏡の様な物 ヤアしてやつたとかけ上つた所がまつ

暗がり そふかうする中アノ信夫が 引たくつて逃ふとする やるまいとする せり合のとまりが片袖ちぎつて 向ふへ走る也 私は

転る也 チヨン/\幕でござりました と致しましたも有様はお上(かみ)の御奉公 科人はアノ信夫になされまして 御褒美は私に 迚も

の事なら金(きん)けがよい 何でもしめた塩梅と あぶらを乗せて願ひける 有常猶も詞を和らげ ムウ シテ其御鏡は何国(いづく)に有

ハイそりや此井戸にござります 井戸ぐち私が物なれば 懐に有も同然と思し召 どふぞ褒美をお早ふと 欲に其

身を果す共 知らぬ願ひも井戸のはた 茶碗ゟ猶浮雲(あぶな)けれ ホゝヲ其詞に相違なくば 其旨を一(ひと)筆書け 持ち帰つ

 

て禁庭の評定 命も助け褒美もくれんと いふにぞく/\ソレ五作 そこらに硯が 合点と 取てくる間にしはくた半紙

耳を延してハイ 何と書きましよ 何とは玉水の渕へ忍びし一通り 宝の事は書くに及ばぬ エゝ/\成程 お呼出しの上宝の事は

申上ますのじやな そふなけりや聞かけがない 上(うえ)々の智恵は先からじやと 筆追取てコリヤ五作 此繞八が書た物

跡は貰ふて茶店の掛け物 恥しからぬと贅八百 地獄で舌を釘の札 是が此世の書置共 白紙一ぱいのたくり書 ヲゝ

出かした/\是でよい 暫く傍(あた)りに扣へ居よ 都へ直ぐ様召連れんと 聞て典へも上がる心地 何でもきやうとい物置で 果報は

寝て待て五作こい エゝ/\/\有がたや嬉しやと 悦びいさむは糠味噌桶の 傍(かた)へにこそは打連れ行 跡に案じも今更に

胸撫おろし母娘 有常の傍に寄り ヤレ/\醜(おそろ)しや/\娘が命延はつたも 有常様のお影 さつきにはやら腹立ち お気に

 

 

35

さはる事斗申ましたも娘が可愛さ 堪忍なされて下さりませ シタガ夜半(よなか)の鐘を相図に科人を請取に

くるとやら やつぱり信夫が身の上に 成やうな事じやござりませぬかへ イヤ斎宮に仕立る信夫が身に 最早

難義はかゝられぬ程に 気づかひせずと落つきめさと 詞に嬉しく顔見合せ コレ助かるといのふ悦びや/\ 母もとんと

落付たと いへど信夫はコレ申 命助かり其上に 内裏女郎に成る事は 嬉しいは嬉しいながら 豆四郎様の身の上は

と 問へば有常打諾き ヲゝ豆四郎とやらんはそちが恋聟 幸い此有常に男子なければ養子として供に官

位の身とならんと聞く母は娘の心 思ひやる程猶嬉しく コレ/\信夫聟殿もお公家様にするといのふ ヤレめ

でたい/\ そふ成たらやつぱり女夫 ヲゝ嬉しかろ/\ そなたは内裏上臈聟殿はお公家様 並んで飯(まゝ)くやる

 

時は雛様のやうに有ふわいの そふして今夜はお帰りなされ あす連れてお帰りなされますか イヤ/\俗にいふ善

は急げとやら 今宵の中に同道致さふ 夫は余り といふて信夫が為に成事なら とふ成り共御勝手に シタガ

めでたい門出此儘では気が済まぬ 親父殿の命日で 肴はなくと精進物でなりと口祝ふて下さりませ 何 門

出に精進酒 アノ精進酒 ムウいか様 酒がなくば水盃でも祝儀と思ふ心が祝儀 夫々そふでござります 兎角

物は祝ひからじや ドレ盃の拵へせぐ アゝ昼からのもや/\悲しい程が悦ばぬ とはいへ今夜行きやつたら あすから何と精進

酒 後の歎きと白髪の母 とつかは納戸へ入にける 供にいそ/\娘の信夫 申とゝ様 といふても大事ないかへと 袖を

覆へば ヲゝサ/\ 今聞く通り小よし殿も得心のうへ取戻した其方 此上は身がいふ事を聞いで何と致しませふ お前のお心

 

 

36

に入る様に一時も早ふ孝行が尽したい 一時も早ふ ヲゝ/\出かした 併此儘では孝行の詮がない 寂光浄土の都入り 形(かたち)

を改め孝行を尽してくれいよ 申寂光浄土とやらいふ都へ誰でも何にも勝手をしらぬ私 お姫様達が見なさつ

たら 笑ひし者に成で有ふ とゝ様 寂光浄土へ行迄に行儀作法も何も角も お姫様(さん)に似る様に よふ教へてくだ

さんせと 何にもしらず悦ぶ娘 不便と見やる有常が 胸に観念唱名の 心をやはか悟られじと 此小よし殿は何をしてござ

るぞ コリヤ娘 今迄したしむ母の親 顔を合さば未練が發り都入の妨げ 此間に何角の用意 アイ/\したが申

今夜はあの様にかゝ様が悦んで居やしやんしても 私か行たら翌(あした)からたつた一人 嘸淋しからしやんせふ 迚もの事にかゝ様

もいつしよに都入はならぬかへ イヤモいつしよにいかず共 小よし殿も老母の事 程なふ跡から行れるて有ふぞいやいと ほろ

 

りとこぼす一雫 涙の色目千万無量 思ひを納し挟箱 明けて取出す十二ひとへ 信夫は見るゟ申

そりや何でござんすへ ヲゝコリヤ十二ひとへといふて 高位の女の着する衣 是を着せて連れ帰るはい

ムゝあの是を着るのかへと 打ひろげ身に纏ひ ヲゝこりや何所も角(か)もほら/\と 仕業(しごと)する時は襷かけ

ざなるまい テモゆきの長いしんきな物 そふしてこんな物着ても 髪はこれでも能かいなァ さげ髪にせにやならぬて

ムウ絵に書いて有るお姫様の様にかへ そりや似合ぬ物で有ふぞ イヤ丁と似合の年恰好 身共が髪も直してやらふ

そりやお慮外でござんすと いそ/\立てかしこゟ 今死ぬる共白木の挟箱携へ出て座に着けば 父は立寄り黒髪を とく

手もたゆく縝(むす)ぼれて 今ぞ娘に後(おく)れ髪 かき撫上げるうば玉の 心は闇に迷ふ共 死出の山路に行そ共 しらで

 

 

37

其身の身嗜み 扨いぢらしの有様と 思ひにくもる鏡台に 移る娘の嬉し顔 見る悲しみの顔も又 同し鏡にうつ

りやせしと 鏡に涙嗜みて 半年余り手しほにかけ 夫(それ)より別れて十七年 けふ逢てけふ別るゝとは 扨も短い

髪が短いかへ イヤサ短い親子の 何かいなァ 身は陽焔(かげろふ)の花の露 きゆるとしらぬ心根を 思へば不便とせき上(のぼ)す

思ひを何とせんげんたる 柳の下髪悠然と見かはす斗の顔容(かたち) ハツア我子ながらも遖の粧ひ 天孫たる井筒

姫に生き写し ムゝお姫様によふ似たかへ サア其似たがな 其身の因果と諦めて 覚悟せよと追取刀 思ひせまつて抜き

放す エゝと恟り飛退て 余りの事に声さへも 泣き詫るこそ道理なれ ヲゝ/\尤じや 様子云ねば驚くは理り

コリヤ簀巻にせられ鱗(うろくず)の餌食になるそちが命 井筒姫の身がはりに 死ぬるは女の身の大慶 命貰ふた 潔ふ死んで

 

くれよ サア/\/\もせつぱ際(きわ) マア/\まあ待て下さんせ そんなら井筒姫様が此内にござる事を ヲゝいふにや及ぶ業

平諸共此家に有事 早露顕して春日野の出口/\は敵の人数 最前もいふごとく 井筒姫が我実の娘ならば身

がはり立るに及ばね共 皇后より預り奉る天子の御胤 討に討れず思ひ寄たるそちを身がはり 十七年のけふが

日迄 親らしい事もなく 偶々逢て命を取る無得心なと思はふが 恩と忠にはかへられず 四海の為に子を殺す

心は鬼に成ている 此親が胸の中(うち)推量せよと忠臣に 凝りかたまりし存念も 子故に心乱れ焼き 詰寄る刃

の手もなまり どふど伏て泣居たる 信夫は兎角涙を押さへ アゝそふじや掟を破りし此身の科 迚も死ねば

ならぬ命 成程お役に立ませふが お情にどふぞ今(ま)一度 豆四郎様の顔見せて下さんせ ハテ迷ひに迷ふた

 

 

38

なァ ヤア/\磯の上民部が躮豆四郎 用意能ば早是へと 詞にはつと磯の上豆四郎俊清(としきよ) 兼て覚悟の

腹切り刀 出る姿も死装束 ヤア其お姿はと驚く信夫 ヲゝ業平卿の御身がはり エゝそんならお前も そなたもと

跡は詞もないじやくり 豆四郎涙を払ひ 我親磯の上民部俊綱は 業平卿の御父阿保(あぼう)親王の家臣

故有て勘気を蒙り 此春日野に引籠る 今はの砌我を呼寄せ 斯く成果るも主君の御罰(ばち) 其方何

卒命にかへ 勘気御免のお詞を 手向くれよとくれ/\の遺言 所に当春都の騒動 折よくも参り合せ

スハ亡き父の勘当を 赦さるゝ時節ぞと お二方を竊に伴ひ まさかの時は夫婦の者が御身がはりと 思ひ定めた

今月今宵 有常卿の御為 夫の為 井筒様のお身がはりに 潔ふ死でたもと いふに信夫は夫の顔 見上げ

 

見おろし縋り付き 譬お頼みない迚も お前を先立何とマア 跡に存命(ながらへ)居られるか 冥途の道に迷ふ

共二人いつしよに手を引て 未来は一つ蓮葉(はちすば)の 上でもやつぱり此様に 放れ給ふな放さじと 抱寄せ抱

付き歎きしづめば有常も 斯く睦まじき聟娘 初(うい)孫の顔も見ず 父が手にかけ殺すとは 前世いか成

悪業(あくごう)の つもり/\し憂き身やと 親子夫婦が顔見合せ 一度にわつと忍び泣 涙漲る山水の 筧(かけひ)

をわるがことく也 折から奥に足音はすはやと有合ふ衝立に 隠す間もなく母小よし 子故に老の足軽

ヤレ/\待てどふにござりませふ 折悪ふ酒が切れて裏から隣在所迄 買に往たので遅ふなつた 信夫そこに居やる

かと 立寄る衝立隔ての垣 アゝイヤ小よし殿 今迄はこなたの娘 縁切たと有れば其が娘 親子は一世と申せば

 

 

39

斯隔てた衝立が生死(しやうじ)の境 逢せましては身共が心が済ませぬ ヲゝ/\せちべんな事やの シヤガ心が済ま

ずば逢ますまい ガせめて声なと聞かしてと 慕ふ母親泣く娘 申かゝ様 ヤア/\そこに居やるかいのふ アイ

私しや今遠い都へ参ります 随分お健でござつてと 今死ぬるとは得もいはいで 涙にあかす暇乞

ヲゝあの子とした事が めでたい都入に何泣く事 したがのふ 住めば都と住み慣れた在所を放れて行く事

悲しいも無理じやない ジヤガ気づかひしやんな おれもやんがて跡から行 イエ申有常様 其時は乳母じや

となりといふて あの子の傍に置かしやつて下さりませや ムゝそりや兎も角も致されいさ エゝ忝ふ

ござります 信夫や 何と見やつたかの 常からそなたの琴の稽古 子の母も廻らぬ手でやつて見れば アゝ

 

年寄のいらぬ事といやつたが 間に合事が有ぞや 乳母でござると都へ往ても 琴の一つも弾くといや

そなたの肩身がすぼらぬ イヤ何斯せふはいの めでたい首途(かどで)にそなたとおれが祝ふて連れ弾き 声を合すが

暇乞やら餞別(はなむけ)やら ばゞが願ひを有常様と 頼むが子の世の暇乞としらぬ老女の心根を 思へば胸

迄突かくる 涙呑込み押かくし ホゝウ左程の義はいか様共 コリヤ信夫 小よし殿の望みの通り 声を合すが此世

の イヤサ 親と子の暇乞 何なり共それ一曲早ふと 詞に幸い琴三味線 つい一間にといひつゝ立て 取出す琴

や三味線の いとし娘が出世の首途 思へばそゞろ嬉しくて サア此三味線を娘に渡して下さりませ サア/\信夫

何なりとめでたい事を弾き出しや そなたの三味に付て行と 聞てかけ寄娘を押へ イヤサコリヤ立騒いで何事 イヤ小よし

 

 

40

殿どふでござる イゝエ立騒ぎはせぬけれど 心かいそ/\立騒いで 悦んでおります イヤ悦んで斗ござつては済まぬ 早く

ナコリヤ早く ソレ暇乞の曲所望/\ ホゝゝゝゝしはら声を聞かせますは アゝ是も結ゆお笑ぐさ サア信夫 アイと返事

も親と子の 糸すじわけかぬる 此場の調べかきならし 子を捨る薮に生い立つ群(むら)鴉 父よ母よとなく鴉

森の子鴉夜の靏 うつゝの闇にいる雪の 思ひなき身にくらべkし 音色は我身の経陀羅尼 豆四郎

へ両肌(もろはだ)脱ぎ 氷の刃左の脇つぼ はつと信夫は気も散乱 隔つる有常立身で覆へば さるにてもうしやつま

のにせむらさきの色悪ふ やつれ顔見る悲しやと 唱歌もあひに合の手と供にきりゝと引廻す 信夫は有るにも

有れぬ思ひ 母は夫供しらべの手をとめ コレ信夫 何とぞ仕やつたか まちつとじや諷づてたも 年寄た

 

此身は何時しれぬ 跡からいかふと思ふ間に ひよつとお迎ひがござつたら コレが一世の別れじややら

子はやすかたのやすからぬ 親は空にて血の涙 思ひきはめし有常が 焼き刃尖(するど)きぬき刀

誰がふし付けて世を諷ふ扨こそうられやすかた 歌の終りが身の終り ひらめく劔両人が 首は前

にぞ落にえkる 音に恟り母親は あはてかけ寄る衝立の かげに空しき二人が亡骸 ヤア/\/\と斗

に涙さへ 出はを忘れて今更に 覚悟仕ながら有常も 可愛や不便と大声あげ むせび歎

けば母小よし こりや何で殺したのじや 是が何所に立身出世 もとの様に仕て返しやと ふり

廻し取廻し 狂気のごとく恨み泣 ハゝア其恨尤ながら 二人が最期は四海の為と 有し次第を云

 

 

41

聞かせ なだむる心も子故の闇 お二方のお身がはり 死なで叶はぬ事ならば なぜ此母も

連れていかぬ 今の今迄連れ弾きの 歌が物の云納め 信夫やァい 聟殿ィのふ いぢらしい此有

様 かはひや/\/\と首に取付きしがみつき 母をも供に連れ行けと 泣涕(りうてい)こがれ沈みしは目も当

られぬ次第なり 歎きに弱る紀の有常 斯くては果じと気を取直し 重々の歎き尤ながら

却て彼等が迷ひの種思ひ諦め一遍の 回向が誠に親の慈悲と 制する声もくもる夜

に 早三更(かう)の鐘の音(こへ) かう/\とこそ聞へけれ 待もふけたる川嶋典膳入来り 掟を破りし科人の詮

義 落着ならばお渡し有れと 高らかに呼はつたり ヲゝ其科人只今渡さん 繞八は何国に有 早く参れといふ声

 

の 寝耳にふつと物置から ハイ/\/\さつきにから一寝入 褒美を貰ふ夢ばつかり ヤアたまれ

下郎め 己が科を人にぬる極重悪人 禁断の掟をたぶりしはこやつなるぞ 急いで刑罪早く/\

畏つたと数多の捕人(とりて)有無を云せず引立れば アゝ申/\私をこりやどふなされます こつちに覚へは

ヤないとは云さぬ 科の子細を自筆にて 書かせ置たる此一書と 渡せば典膳とつくと見て 誠に

こりや訴人の訴状と同筆慥な口書き ソレ簀巻にせい ハツトいふ間もあら男 寄てかゝつてくる/\巻

顋(ほう)げた叩くな猿轡 是ぞ寝耳に水の罪(ざい) 魚(うを)の餌食とひしめく中(うち) 其様子はとかけ出る五作 抜く

手も見せず大袈裟に 其儘息は絶へ果たり 訴人を偽る同類の族(やから) 有常が成敗斯くの通り

 

 

42

ハゝア御尤 ソレ科人を引立いと 悪の報ひは立ずくみ 鉦(どら)繞八は生きながら送られ行ぞ気味よけれ

有常はつと心つき 最早三更検使の刻限泣入る母を引退けて 両手に携(さげ)る二つの首 一間に忍ぶ

業平井筒 流れ越やる井の水に 移る俤見合す首 くらべこし振分け髪もかたすぎぬ 君

ならずして誰かあくべき ハゝア出かしたなァ 出かしたと涙漲る血汐の穢れ 忽ち水かさ増井(ますい)の

内 清浄(しやうせう)水を巻上げ/\ 浮み出たる神鏡を業平やがて手にさゝげ 是こそ先年紛失せし 館八咫

の御鏡 此井の中(うち)にましますは ヲゝソレ迚も此両人が貞節忠義のなす所と 詞に小よしは立寄て 命に

かへて信夫が働きせめてはソレ其首に 誉てやつて下さりませと いふも涙見る涙 井筒姫も

 

転び出 自がかはりになり 知らぬ事迚信夫の最期 父上のお心根が アイヤ我を父とは勿体なし 娘井筒斯くの通り 今日

只今先帝の姫宮恬子(よしこ)内親王にて渡らせ給ふと敬ふにぞ 業平は身を悔み 斎宮たる御方としらで契し我

誤り 科有我は生き残り 豆四郎が忠義の身がはり 惟仁君の御為を思はずば とくに相此憂き目は見まい物 ヲゝ其

迚も此ごとく 不便を見るも惟喬に 肌赦させん一つの計略 再び神鏡手に入は 惟仁君の御盛運 御代に出すが追善供

養 とは云ながら盛りの花 惜しや不便の有様と 四人が八つの袖の海涙の干潟なかりけり 既に時刻と表の方 検使の

人音足音に 夫と御身を衝立の かげに忍ばす間(あいだ)もなく 鞠岡龍太門口ゟ声をかけ ヤア/\有常 井筒姫業平

が首討召されたか何と/\と大音上 ヲゝ是非に及ばず斯くの通り 眼をひらいて能見やれと 指し出す首に取付母 押し退??

 

 

43

首桶に 取認めて都の方へ 帰れど返らぬ親子の別れ 急ぎ此首惟喬君に申上 身の潔白はコレ此首 娘を討取忠臣

は 我子ながら恥しや 亡婦魄霊の姿はしぼめる花の色 なくても匂ふ貞女の鏡 互にかげを水鏡 紀の有常が娘共

又井筒の女共 其言の葉の玉よばひ 在五中将業平の 身にかはり行豆四郎 コレぞ在郷中将と 苗字を今も

磯の上 井筒の本(もと)に旧跡は 在原寺と末の世迄 二人が菩提一本薄 弔ふ法(のり)の陸奥を 爰に移せし春日野や

身を忍ぶ摺生き残る 二人は信夫豆四郎と 暫し其名をかり衣 馴染も昔契りも昔 むかし男の命日が 取も直さず

命日忌日 けふも昔と業平を 昔男と云伝へ 夫(それ)も昔 田舎わたらひしける人の子供と書きつゞ

りしは豆四郎が 名を其儘の豆男 井筒の姫を斎宮と 伊勢物語の因縁を 爰に残して出て行