仮想空間

趣味の変体仮名

妹背山婦女庭訓 四の切

読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/856493

 

213

妹背山婦女庭訓

 四段目の切 竹于雀(たけにすゞめ)

 

 

214(左頁)

 妹背山婦女庭訓 四の切

されば恋する身ぞつらや

出るも入も 忍ぶ草 露踏

分て橘姫 すご/\帰る対の

屋の 障子にばらり打礫

 

 

215

ソリヤお返りのしらせぞと めい

/\庭につどひおり しをり

開いて入まいらせ おいとしや/\

御所のお庭の内さへも ついに

お拾いなされぬに恋なれば

 

こそかちはだし 嘸朝露でお裾

も濡んに打着に 召させかへんと

寄て ヤア お振袖に付いて有

此紅の糸不審と たぐりた

ぐればくる/\と 糸による身は

 

 

216

さゞがにの 雲井の庭へ引れ

くる主は床しの ヤア求馬様か

ハアはつと驚く姫よりも 騒ぎ

さゝめく局達 扨も見事

引寄せた 七年物の恋人様か

 

よふこそお入遊ばした サア/\

こちへと手を取ば イヤ手前は

つい道通り 此おだ巻を拾ひ

上るやいな めつたに引れ参つ

た者 何にも存ぜぬお赦しと

 

 

217

出る向ふを立ふさぎ エゝ手の

わるいなされ正 わたしらに御遠

慮は 内々のお咄しならどりや

お次へと立て行 姫はとかうの

詞なく 差うつむいて思案の

 

求馬 フン此御所の姫とあれば

聞に及ばず 入鹿の妹橘殿と

いはれてはつと胸せまり 入鹿が

妹と知給はゞよもお情は有まい

と 隠し包しかいもなふ御存有し

 

 

218

お前こそ 藤原の淡海さまと

いふ口ちやつと袂に覆 女なれど

敵方に 我名を知ば一大事 不便

なれ共助がたし 成程お道理御尤

生て居る程思ひの種 お手に

 

かゝるがせめての本望 かふいふ

内もお姿やお顔を見れば 輪

廻が残る サア/\殺して下さんせと

刃を持たる覚悟の合掌 フン

心底見へた ガ誠夫婦となり

 

 

219

たくば 一つの功を立られよ 一つの

功を立よとはへ ヲゝ入鹿が盗取

たるこそ 三種の神器の其

一つ 十握の御剣(とつかのみつるぎ)ばひ返して渡

されなば望の通り二世の契約

 

得心なければ叶はぬ縁 ハアぜひ

もなや 悪人にもせよ兄上も

目を掠むるは恩しらず とあつて

お望叶へねば夫婦と思ふ義理

立ず 恩にも恋はかへられず

 

 

220

恋にも恩は捨られぬ 二つの道

にからまれし 此身はいか成報ひ

ぞと忍び 歎いておはせしが ヲゝ

そふじや 親にもせよ兄にもせよ

我恋人の為といひ第一は天子

 

の為 命にかけて仕おふせ

ませふ ヲゝ出かされたり シテ

又しらせの相図はなんと

今宵御遊(ぎよゆう)の舞に事よせ

宝剣奪ひお渡し申さん

 

 

221

笛や鼓の音をしるべ奥の

亭(ちん)までお忍び有れ しからば

我は此所にくるゝを暫し

待合さんかならず首尾よふ

合点でござんす ガもし見

 

つけられ殺されたら これが

此世のお顔の見納め 譬

死でも夫婦じやと おつ

しやつてくださりませ ヲゝ運

命つたなく事あらはれ 其

 

 

222

場でむなしくなる迚も 尽(じん)

未来際(ざい)かはらぬ夫婦 エゝ忝い

嬉しやと いだきしめたる

鴛鴦の つがひし詞縁の

綱引別「れてぞ忍ばるゝ

 

迷ひはぐれし片鶉 草の

なびくをしるべにて いきせき

お三輪は走り入り エゝ此あだ巻

の糸めが 切くさつたばつかりで

道からとんと見失ふた 去

 

 

223

ながら爰より外に家はなし

大方此内へ這入たに違ひは

ない エゝ誰ぞこよかし問たやと

見ゆる先より お婢(はした)が被(かづき)まぶ

かにしやな/\と 豆腐箱

 

提げ歩み来る 申/\と呼かくれば

ヲツト呑込む早合点 ヲゝお清(きよ)所

を尋るならそこをこちらへ

かう廻つて そつちやの方を

あちらへ取り あちらのほうを

 

 

224

そちらへ取り 右の方へ這入て

左の方を真直にわき目もふらずめつたやたらにずつと

行きや イエ/\私が尋るのは

お清殿とやらではござんせぬ

 

年の頃は廿三四で 色白にくつ

きりとした よい男はまいりませ

なんだかへ ヲゝ/\/\来たげな/\

そればお姫様の恋男じや

げなの 三輪の里から跡追て

 

 

225

来た所を 何がお局達が引

とらへ 有無を云せず御寝所へ

ぐつと押込み上から蒲団を

かぶせかけ/\アゝ/\ 宵の中(うち)

内証の御祝言が有筈と

 

くれぬ中から騒いてしや エゝ

けなり こちと迄 内太股(ふともゝ)が

ぶき/\と卯月あたりのはぢけ

豆 とうふの御用が急ぐにと

しやべり廻つて出て行 サア/\/\

 

 

226

ひよんな事か出来てきた ほん

に/\油断も透もなるこつ

ちやない 大それた人の男を盗み

くさつて何じやいしこらしい内祝

言じや 餘りな踏付やう よい

 

/\ 其かはりふぉこに居よふと

尋ね出し 求馬様と手を

引て 是見よがしに逝で

のけるが腹いせじやと 行んと

せしがイヤ/\ はしたない者

 

 

227

じやと ひよつとあいそを尽か

されたら といふて此儘に 見

捨て是がどふ逝なれふ エゝ

どふせうぞと心も空登る

階(きざはし)長廊下 行こふ女中が見

 

とがめて一人が留めれば二人立

三人四人いつの間に 友呼ぶ

千鳥むら/\と爰かしこから

寄たかり ついし見なれぬ

女子じやが そなたはマア誰じや

 

 

228

何者じや ハイ/\イヤ私は内方の

ヲゝそれよ さつきのお清殿は

寺友達 奉公に出られて

から 久しう逢ぬなつかしさ

ちよつと見舞に寄ましたら

 

是はマア/\よふ来た 上れ茶々

呑 そふして たばこ呑 アノお上

には あためつそふな 御祝言

有と 聞ば聞程涙がこぼれて

あたおめでたい事じやげな

 

 

229

ほんに内方の様なよい衆(しゆ)の

祝言は その様な物じや己(おのれ)

やれ 拝んでなりと腹いよと

うか/\爰迄参りました どふ

ぞおまへ方のお心で 聟様を

 

ちよつと 拝まして貰ふたら

忝ふござりまするといふ顔

も 恨色成紫のゆかりの女と

早悟り なぶつてやると目引

袖引 マア/\そちは仕合な かう

 

 

230

いふ折に参り合 お座敷拝むと

云事は 女の身では手がら者

したがこちらが呑込で お座

敷へは出す物の 何ぞさゝずば

なるまいに何と皆様 いつその

 

事此者に酌取そでは有まいか

よかろう/\ アゝ申 其酌とやらは

ヲゝ何の又そち達が知てよい

物か 今爰でおしへてやろ 幸

爰に御酒宴の銚子嶋臺

 

 

231

有合の聟君様には紅葉の

局 梅の局は嫁君役 残りは

介添待女郎と 桜の局が指

図して いやがるお三輪に長柄の

銚子持せ持添 マア盃は三つ重ね

 

嫁君へ二度ついで 左へ二足 コレ

立のじや エゝ何じやいの うか/\

せずとよふ覚や 三度目ついで

聟君へ コレ酒がこぼれるはいのふ

不調法な 是からが乱酒諷ひ

 

 

232

物 これも嗜みなければならぬ

サア四海浪なと諷やいの エゝ エゝとは

いやか そんなら聟様拝ます事は

マアならぬサそれがいやなら早ふ

諷やと せつき立られ是がマア 何と

 

千秋万歳の千箱の玉の血

の涙声詰らせてないじやくり

ヲゝめでたふ哀に出来ました

色直しにはんなりと 梅が枝で

も蕗組でも サア/\聞たい

 

 

233

所望じや/\ エゝあられもない事

おつしやりませ 山家育ちの藪

鶯 ほう法華経も片云(かたこと)斗

上り下りのあだ口や 馬士(まご)の歌

なら聞ても居よふ もふ何事

 

もお赦しなされ サ早ふ其聟様

に サア聟様が見たくば早ふ諷や

馬士の歌なら面白からふ

次手にふりも立て仕や いや

ならこつちも成ませぬ帰りや

 

 

234

かへりやと引出され サア/\/\ 何の

いやと申ませふ サそんなら諷や

アイ/\/\ 諷ひますると泣々も

涙に しぼる振袖は 鞭よ 手綱

よ 立上り 竹にサ 雀はナア 品(しな)

 

よくとまるナ とめてサ とまらぬ

ナ 色の道かいなアゝヨ エゝ爰な

ほてつ腹めと此やうに 申

ますると打伏ば皆々一度に

手を打て 扨もきつい嗜み事

 

 

235

よい慰で我々が ほてつ腹迄

よれました馬士殿大義

云捨て 行を驚きコレ申 わたし

も供にと取すがれど ふり放

されてはがはとこけ 寝ながら

 

裾にしがみ付 引ずられて

声を上 のふ皆様お情ない

どふぞわたしも御一所に連

てござつて下さりませお慈

悲/\と手を合せ拝廻るを

 

 

236

擲退け ヲゝしつこ 迚も及ばぬ

恋争ひ お姫様と張合ふ

とは叶はぬ事じや置てたも

大胆女のしつけをせふと 耳

を引やら脇明より 手を指入て

 

こそぐるやらつめりたゝいつ突

倒し サア/\これで姫様の悋気の

名代納つた 弥めでたい 御祝

言三国一じや 聟取済ました

しやん/\ しやんと済だと打笑ひ

 

 

237

庵々へ入る跡は 前後正体泣倒れ

暫し 消入居たりしが エゝ胴欲じや

わいの/\ 男は取れ其上に まだ

此様に恥かゝされ 何とこらへて

居られふぞ思へは/\つれない

 

男 憎いは此家の女めに見かへ

られたが口惜いと 袖も袂も

喰裂/\ 乱れ心の乱れ髪

口にくひしめ身をふるはせ エゝ

妬しや腹立や おのれおめ/\

 

 

238

寝さそふかと すがた心も

あら/\しくかけ行向ふに以前

の使者 ヲゝそなたも邪魔しに

出たのじやな もふかうなつ

たら誰(たが)出ても 構はぬ/\

 

そこのきやと 袖すり抜て

かけ入裾 しつかと踏まへ コリヤ待て

女 イヤ待たぬ 爰放しや放しや

/\と身をもがく 髷つかんで

氷の刃 脇腹ぐつと差廻せば

 

 

239

うんとのつけに倒れ伏 刀は

突捨あたりを窺ひ目を

配る 奥は豊に音楽の調

子も秋の哀なる お三輪は

むつくと起返り 扨は姫がいひ

 

付じやな エゝむごたらしい 恨は

こちから有物を却てそち

から殺さする 心は鬼か蛇(じや)

かいやい ヲゝ殺さば殺せ 一念の

生かはり死かはり 付まとふて

 

 

240

此恨 晴さいでおこふか 思ひ

知れやと奥の方 にらみ詰たる

眼尻も 叫ぶこはねもうは

がれてさもいまはしき其有様

じろりと見やり 女悦べ それ

 

でこそ遖高家の北の方

命すてたる故により汝が思ふ

御方の手柄と成 入鹿を亡す

術(てだて)の一つ ヲゝ出かしたなァ 何と

賎しい此身を北の方とは

 

 

241

ホゝヲそちがかたらひ申せし方は

忝くも中臣の長男淡海公

エゝ シテ又私が死ぬるのが いとしい

お方の手柄に成て 入鹿を

亡す術とはへ ホゝゝゝ其訳語らん

 

よつく聞け 彼が父たる蘇我

蝦夷 齢傾く頃迄も一つ子なき

をうれへ 時の博士に占はせ

白き女鹿の生き血を取母に

与へし其しるし 健なる男子

 

 

242

出生 鹿の生血(せいけつ)胎内に入るを

以て入鹿と号(なづく) 去によつてきやつ

が心をとらかすには 爪黒(つまぐろ)の鹿

の血汐と 疑着の相有る女の

生血 是を混(こん)じて此笛にそゝぎ

 

かけて調ぶる時は 実秋鹿の

妻乞ふごとく自然と鹿の

性質(しやうしつ)あらはれ 色音をかんじ

て正体なし 其虚を計て

宝剣をあやまちなく奪(ばひ)

 

 

243

返さん 鎌足公の御計略

物かげより窺ひ見るに疑着

の相有汝なれば 不便ながら

手にかけしと 件(くだん)の笛の六穴(ろっけつ)

に たばしる血汐請そゝぎ/\

 

今こど揃ふ此幻術此笛こそは

入鹿を挫(ひしぐ)火串ならん ハゝゝゝあり

がたやと押いたゞき 勇み立たる

其骨柄 実藤原の御内にて

金輪五郎今国と鍛ひに鍛し

 

 

244

忠臣也 なふ冥加なや 勿体なや

いか成縁で賎の女(しづのめ)が そふした

お方と暫しでも 枕かはした身

の果報 あなたのお為に成事

なら 死でも嬉しい忝い とは云物

 

の今一度 どふぞお顔が拝たい譬

此よは縁薄くと 未来は添て

給はれと這廻る手におだ巻の

此主様には逢れぬか どふぞ尋て

求馬様 もふ目が見へぬ なつかしい

 

 

245

恋し/\と云死にに 思ひの玉の糸

切れし おだ巻塚と今世迄鳴り

響きたる横笛堂の因縁斯と

哀也

 

 

 

今国不便いやましに せめて

葬り得させんと 背(せな)にお三輪が亡

 

骸を 追々馳くる荒しこ共 曲

者やらぬと取巻たり 見向もやら

ず悠々と几帳の綾絹引ちぎり

死骸と供に我五体ぐる/\

しつかと引結び 死人を取置

 

 

246

我抔こそ先出来合の坊主役

十念授けてこまそふにも つど/\には

邪魔らしや 一度にかためて授るが

うぬらが為には百年めいざこい

やつと力士立 ヤア広言成骨仏(こつぼとけ)と

 

前後左右より十文字 鑓先揃へて

つき出す ひらり早業そつかり

素鑓 ほぐれるかた鎌踏落

せば 後ろをつく棒しつかととり

しりへをねらふは不敵やつ左様に

 

 

247

味(むま)ふはさす股も引たくつて

打折たり 手取にせよとどつと

寄 あたるを幸ひ沙石の如く

ほり飛され逃行やつ腹餘

さじと 奥深くこそ追て行