仮想空間

趣味の変体仮名

義経記 巻第一

読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1287992

 

 

2

義経記巻第一目録

 よしとも都おちの事

 ときはみやこおちの事

 うしわかくらま入の事

 しやうもんばうの事

 うしわかきぶねまうでの事

 吉次(きちじ)がおうしう物かたりの事

 しやなわう殿くらま出の事

 

 

3

義経記巻第一

 よしとも都おちの事

本朝(ほんてう)のむかしをたづぬれば。たむらとしひとまさかど

すみとも。ほうしやうらいくわうかんのはんくわいちやう

りやうは ぶようといへとも名をのみ聞てめには見ず。

まのあたりにがいをよにほどこし万事をおどろ

かし給ひしは。下野(しもつけ)のさまのかみよしとものすえの子。源(げん)

九郎よしつねとて。わか朝(てう)にならびなき名将軍にて

おはしけり。ちゝよしともは平治元年二月廿七日に。

えもんのかみふぢはらのぶより卿にくみして。京のいくさに

打まけぬ。重代の郎等共みなうたれしかば。其せい廿よ

きに成て東国のかたへそ落給ひける。成人の子共をば

 

 

4

ひきぐして。おさあひをば都にすてゝぞおちられける。ちや

くしかまくらのあく源太よしひら。二男中宮太夫しんと

もなが。十六 三男兵衛のすけよりとも十二になる。あく

源太をば北国(ほつこく)のせいをぐせとてえちぜんへ下す。それも

かなはざざるにやあふみのいし山寺にこもりけるを。平家聞

つけなんばせのおをさしつかはしていけどり都へ上り。

六条かはらにてきられけり。おとゝのともながもせん

そくがいける矢に弓手(ゆんて)のひざの口をしたゝかにいられて

みのゝ国あふはかといふ宿(しゆく)にて死にけり。其ほか子ども

方々にあまた有けり。おはりの国あつたの大ぐじのむ

すめのはらにも一人有けり。ろをきうみの国かばといふ

所にて成人し給ひて。かばの御ざうしとぞ申ける。後(のち)

 

にはみかはのかみとなのり給ふ。九条院のときはがはらに

も三人あり。いまわか七 おとわか五 うしわかけうだい子なり

きよもりこれをとつてきるべきよしをぞ申ける

 

 ときは都おちの事

えいりやく元年正月十七日のあかつき。ときは三人の子

共引ぐしてやまとの国うだの郡(こほり)きしのをかといふ所に。け

いやくのしたしき者有是を頼み尋ねて行けれ共。世

間の見たるゝおりふしなれば頼まれず。其国のたい

とうしといふ所にかくれいたりける。ときはがはゝせきやと

申者やまもゝ町(ちやう)に有けるを。六条より取出しがうもん

せらるゝよし聞えければ。ときはゝ是をかなしみ母のいのち

をたすけんとすれば三人の子共を切(きら)るべし。子共をたす

 

 

5

けんとすれば老たる母をうしなふべし。子におやをばいかゞ

思いかへさふらふべき。おやのけうやうする者をばけんらう

池神(ちしん)もほうじう有となれは。子共の為にもならなんと思

ひつゞけ。 三人の子をひきぐしてなく/\京へぞ出にける

六条へ此こと聞えけれはあく七兵衛かけきよ。けんもつ太

郎に仰付。子どもをぐして六条へ参りける。きよもりときは

を見給ひて日頃は火にも水にもと思はれけるが。今いかれ

る心もやはらぎけりときはと申は日本一の美人なり。九条

院は色好みにておはしましけれは。洛中よりようがんびれい

成女房を千人召れて。其中よりも百人えらひ。百人の中よ

り十人すぐり。十人の中より一人えらひ出されたる美人なり。ま

ことにかんのりふじんやうきひも是にはすぎじと覚えける

 

6

きよもり御心をうつされ我にだにしたがふ物ならば。す

えの世には此もの共のしそんのいかなるかたきともならば

なれ。三人の子共をもたすけばやと思はれける。よりかた

かけきよに仰付て。七条しゆしやかにぞをかれける。日

はんをもよりたかはからひにてしゆごしける。きよ盛

つねはときはがもとへふみをつかはされけれ共とりてだに

見ず。され共ふみの数もかさなりければ。ていちよ両夫

にまみえずといふことばにもはづれ。又世の人のそしり

をも思はれけれ共。たゝ三人の子共をたすけん為にな

れぬふすまの下に。にいまくらをならべ給ひけり。扨

こそときはは三人の子共をば。所々にて成人させ給ひ

けり。いまわか八さいと申春の頃よりくわんをん寺(じ)に

 

 

7

上せがくもんさせて。十八のとししやうかいぜんじ君とぞ

申ける。後にはするがの国ふしのすそ野におはしけるが。

あくぜんじと申けり 八条におはしけるはそしにておはし

けれ共。はらあしくおそろしき人にて。かもかひがいなり

ぎをんの御まつりことに。平家をねらふ後には紀伊国

有ける。しんぐうの十郎よしもり世をみだりし時。とうかい

道のすのまた河にてうたれけり。うしわか四の年まで

母のもとに有けるが。よのおさあひものよりも心さまふる

まひ人にすぐれしかば。きよもり常は心にかけての給ひけ

るは。かたきの子を一所にてそだてゝはついにはいかゝ有べきと

思召ければ。京よりひかし山やましなといふ所に。源氏さう

でんのとんせいしてかすかなるすまいにて有ける所い

 

七さいまでそだて給ひけり

 

 うしわかくらま入の事

ときはが子どもせいじんするにしたがひて。中々心くる

しくはじめて人にしたがはせんもよしなし。ならはねば

天上にもまじはるべくもなし。たゞほうしになして

あとをもとふらひてなんどおもひて。くらまのべつたう

とうくわうばうのあじやりは。よしとものいのりの

師にておはしけるほどに御つかひをつかはして給けるは。

よしともの御すえの子うしわか殿と申候を。かつうは

しろしめしてこそ候らめ。へいけ世ざかりにて候い女の

身としてもちたるも心くるしく候へば。くらまへまいらせ

候べし たけくともなだしきこゝろもつけ。ふみの一くはん

 

 

8

をもよませきやうの一字をもおほえさせてたまはり

候へと申されければ。とうくわうばうの御へんじには

こかうの殿のきんだちにてわたらせ給ひ候こそ。ことに

よろこび入て候へとて。やましなへいそぎ御むかひに人を

そまいらせける。七さいと申きさらぎはじめにくらま

へとてぞ上られける。そのゝちひるはひねもすに

師の御ばうの御まえにてきやうをよみふみがく

して。せきじつにしにかたふけば夜(よの)ふけゆくに

ほとけの御(み)あかしのきゆるまでは。ともに物をよみ五更(かう)

の天にもなれ共。あまもよひもすくまてがくもんに

心をのみぞつくしける。とうくわうぼうも山三井(みい)

寺(てら)にもこれほどのちごあるべしともおぼえす

 

 

9

がくもんのせいと申心さま みめかたちるいなくおはしけれは。

りやうちぼうのあじやり。がくにち坊のりつしも。かくて廿(はたち)

ばかりまでもがくもんし給ひ候はゝ。くらまのとうぐはう

坊よりのちもぶつほうのたねをつき。たもんの御たから

にも成(なり)給はんずる人とそ申されける。はゝもこれをきゝ

うしわかかくもんのせいよく候とも。里につねにはなん

とし候はゞ心もふようになり。がくもんをもをこたり

なんずこひしく見たけれと申候はゞ。 わざと人を給

り候て母はそれまて参り。見もし人い見えられて

かへし候はんと申されける。さなしともちごをさとへ

くだす事おぼろけならぬにて候とて。一とせに一度二

年に一度もくださる。かゝるがくもんのせいいみしき人

 

 

10

のいかなる天まのすゝめにやありけん。十五と申秋の頃

よりがくもんの心もつてのほかにかはりけり。そのゆへは

ふるきらうどうのむほんをすゝむるにてぞ有ける

 

 しやうもんばうの事

四条むろ町にふりたるらうどうの有ける。すりほうし

なりけるが是はおそろしきものゝしそんなり。さまのかう

の殿の御めのと子かまだの次郎まさきよが子なり。へいぢ

のらんの時は十一さいに成けるをおさだのしやうじ是

をきるべきよし聞えければ。げしやくしたしき者あり

けるがやう/\にかくしをきて。十九にておとこになし

てかまだの三郎まさちかとぞ申ける。まさちか廿一のと

し思ひけるはほうげんにためよしうたれ給ひぬ。へいぢ

 

によしとも打れ給ひて後はしそんたえはてゝ。きう

ばの名をうづむて星霜(せいさう)をゝくり給ふ。其時きよもりに

ほろぼされしものなれば出家してしよこくをしゆぎや

うして。しうの御ぼたひをもとふらひおやのごせをもと

ふらひ候はゞやと思ひければ。ちんぜいのかたへぞしゆぎやう

しける。ちくぜんの国見さかのこほり。ださいふのあんらくじ

といふ所にがくもんしてありけるが。ふる里の事をおもひ

出して都に上りて。四でうの御だうにをこなひすま

していたりけり。ほうめうをはしやうもん坊とぞ申ける。

又四条のひじりとも申けり つとめのひまには平家

のはんじやうしけるを見てめさましくぞおもひける。いか

なれば平家の太政大臣のくわんにあがりすえまても

 

 

11

しんかけいしやうになり給ふらん。けんじはほうがんへい

ぢのかせんにみなほろぼされて。おとなしきはきられおさ

あひはこゝかしこにをしこめられて。今までかしらをさし

出し給はすくわほうも生れかはり。心もかうにあらんずる

けんじの。あはれおぼしめし立給へかし。いづかたへ成とも御

ともして世をみだし本意をとげはやとぞ思ひける。つ

とめのひま/\にはゆびを折て国々のげんじをぞかぞへ

ける。紀伊国にはしんぐうの十郎よしもり。かはちの国には

石かはの判官(はうくはん)よしみち。摂津国にはたゞ蔵人ゆきつな。

都には源三位よりまさの卿。きやうのきみえんしん。あふみ

の国にはさゝ木の源三ひでよし。おはりの国にはかばのくは

んじや。するかの国にはあのゝせんじ。いづの国には兵衛の

 

すけよりとも。ひたちの国にはしだの三郎せんじやう

よしのり。さたけのべつたうまさよし。上野(かうつけ)の国には

とねあかつまこれは国をへだてゝとをければちからをよは

す。都ちかき所にはくらまにこそかうの殿のすえの御子。う

しわか殿とておはするものを参りて見奉り。心からけ

に/\敷おはしまさばふみ給はりて。伊豆の国へ下り兵

衛のすけ殿の御かたに参り。国をもよほして世をみた

さばやと思ひければ。折ふし其ころ四条の御だうも夏

の時分にて有けるを。うちすてゝやがてくらまへとてぞ

のぼりける。べつたうのえんにたゝずみけるほどに四条

のひじりおはしたりと申ければ。承り候と申されけれ

は。さらばとてとうくわう坊のもとにそをかれける。ない

 

 

12

/\にはあくしんをさしはさみ。むほんをおこして来れ

るともしらざりけり。有(ある)夜のつれ/\に人しづまりてう

しわか殿のおはする所へ参りて。御みゝに口をあてゝ申け

るはしろしめされず候や。今までおほしめし立候はぬのは

せいわ天皇十代の御すえ。さまのかうの殿の御子。かく申は

かうの殿の御めのと子にかまだの次郎兵衛が子にて候。御

一門の源氏国々に打こめられておはするをば心うしとはお

ほしめされす候やと申ければ。其頃平家の世を取てさ

かりなれば。たばかりていふやらんと打とけ給はざりければ。

源氏重代の事をくはしく申ける。身こそしり給はね共

かねてさやうのものあると聞しかば。さては一所にては

かなふまじとところ/\にてとてしやうもん坊をば帰されけり。

 

 

13

 うしわかきぶねまうでの事

しやうもんにあひ給ひて後は。がくもんの事あとかたな

くわすれはてゝ。あけくれむほんの事をのみぞおぼしめし

がる。むほんをおこす程ならばはやわざをせではかなふまじ。

まづはやわざをならはんとて此ばうは諸人のよりあひ

所なり。いかにもかるひがたきとてくらまのおくにそうし

へうが谷といふ所あり。むかしはいかなる人のあがめ奉り

けん。きふねの明神とてれいかんしゆしやうにわたらせ

給ひける。ちえある上人もをこなひけり。れいのこえもをこ

たらず。かんぬしも有けるが御神楽のつゞみの音もた

えずあらたにわたらせ給ひしか共。世すえになれば仏

のはうべんも神のがんとくもをとらせ給ひて。人すみあ

 

 

14

らしひとへに天狗のすみかとなりて。夕日(せきしつ)にしにかたふけ

ばものゝけおめきさけぶ。されば参りよる人をも取なやま

す間さんろうする人もなかりけり。され共うしわかかゝる所

の有よしを聞給ひ。ひるはがくもんをし給ふていにもて

なし。よるは日頃一所にてともかくも成参らせんと申つ

る大しゆにもしらせずして。べつたうのおまもりに参ら

せたるしきたいといふはらまきに。こかね作りの太刀は

きて。たゞ一人きぶねの明神に参り給ひねんじゆ申さ

せ給ひけるは。なむだいじの明神。八まん大ぼさつたな心

をあはせてげんじをまもらせ給へ。しゆくぐはんまことじや

うじゆあらば。玉のおほうでんつくり。千町(ちやう)のしよれうを

きしんし奉らんときせいして。正めんよりひつじさるに

 

むかひて太刀給ふ。よものくさ木をば平家の一類いと名

づけ。大木二本有けるを一ほんをばきよもりとなづ

け。たちをぬきてさん/\にきり。ふところよりぎち

ちやうの玉のへうなるものをとりいだし。木のえだにかけ

一つをばしけもりがくびと名つけ。一つをばきよも

りがくびとてかけられけるが。かくてあかつきにもなれ

ば我かたにかへり きぬひきかつきてふし給ふ。是をしら

ずいづみと申もうしのおかいしやく申けるが。此有さま

たゝ事にはあらじとおもひてめをはなさず。ある夜

御あとをしたひてかくれてくさむらのかけに忍ひ出

見ければ。かやうにふるまひ給ふ間。いそぎくらまにか

へりてとう光(くはう)坊に此よし申ければ。あじやり大きに

 

 

15

おどろきれうしばうのあじやりにつげ。てらにふれ

てうしわかとのゝ御くしそり奉れとぞ申されける。れう

ちぼう此事を聞給ひておさなき人もやうにこ

そよれ。ようがん世にこえておはすればことしの

じゆかいいたはしくこそおはすれ。明年のはるの頃

そり参らせ給へと申ければ。たれも御名こり

はさこそおもひ候へとも かやうに御心ふようになり

て御わたり候へば。わがため御身のためしかるべからす候。

たゝそりたてまつれとの給ひければ。うしわか殿なに

ともあれよりてそらんとするものをばつかんずる

ものをと。かたなのつかに手をかけておはしければ。

さうなくよりてそるべしとも見えさりけり

 

 

16

がくにち坊の律師(りつし)申されけるは。是は諸人のよりあひ

所にてしづかならぬ間。がくもんも御心にいらず候へは。そ

れがしが所はかたはらにて候へは。御心しづかに御がくもん候へ

かしと申されければ。とう光坊もさすがいたはしく思はれ

けん。さらばとてがくにち坊へ入奉り給ひけり。御名をばかへら

れてしやなわう殿とぞ申ける。それより後はきぶねまう

でもとゞまりぬ。日々に多聞に日参してむほんの事をぞ祈(いのり)ける

 

 吉次(きちじ)がおうしう物かたりの事

かくて年もくれくれば御年十六にぞ成給ふ。多聞の御

前に参りてしよさしておはしける所に。其頃三条に大

ふく長者有。其名を吉次のぶたかとぞ申ける。毎年奥

州に下るかねあき人なりけるが。くらまを信し奉りける

 

 

17

間。それも多聞に参りてねんじゆしていあtりけるが。此おさ

なひ人を見奉りてあらうつくしの御稚児や。いかなる人の君(きん)

達(たち)やらん然べき人にてましまさば。大衆もあまた付参ら

すべきに。度々(と)見申に唯一人おはしますこそあやしけれ。

此山にさまのかうの殿の君(きん)だちおはする物を。まことやらん

ひで平(ひら)もくらまと申山寺にさまのかうの殿の君達おは

しますなれば。ださいの大二位きよもりの。日本六十六か

国をしたがへんと。常はの給ふなるに源氏の御君達(きんだち)を一人

下し参らせ。いはいのこほりに京をたて二人の子共を

両国のりやうしゆさせて。ひで平いきたらん程はおほいの

介に成て。けんじを君とかしづき奉り。うへみぬわしのごと

くにてあらばやとの給ひ候ものをといひ奉り。かどはかし参

 

らせ。御供してひでひらのげんざんに入ひきで物取てとく付(つか)

ばやと思ひ御前(まへ)にかしこまつて申けるは。君は都にいかなる

人の君だちにておはしますやらん。是は京の者にて候か金(こかね)

をあきなひて毎年おうしうへ下る者にて候が。おくかたに

しろしめしたる人や御入候と申ければ。かたほとりの者なり

と仰られて返事もし給はず。これこさん聞ゆるこがねあ

き人吉次といふ者なり。奥州の案内しややらん かれにとはゞや

と思召て。みちのくにといふはいかほどのひろき国かととひ給

へば。大過の国にて候ひたちの国とみりのくにとのさかひ。き

んたのせきと申て てはと奥州とのさかひをば。ほんせき

と申其中五十四くんと申ければ。其中に源平のらん

出来(いできた)らんに用に立べき者いか程有べきととひ給へは。国の案

 

 

18

内はしりたり吉次くらからずぞ申ける。むかし両国の大将

軍をばをかの太夫とぞ申ける。かれが一人の子ありちゃくし

くりや河の次郎さだたう。二男とりのうみの三郎むねたう。

いえたうもりたうしげたうとて六人のすえの子に、さか

ひのくわんじやりやうそくとて。きりをのこしかすみたてき

をこる時は水のそこ。うみの中にて日ををくりなどするく

せ者なり。これら兄弟たけのたかさから人にもこえたり。さ

たたうがたけは九尺五寸。むねたうがたけは八尺五寸。いづれ

も八尺にをとるはなし中にもさかいのくわんじやは一丈三

寸候ける。あべのごんのかみの世まではせんしいんぜんにもを

それて。毎年上洛してげきりんをやすめて奉る。あべのこ

んのかみ死去の後はせんじをそむき。たま/\いんぜんなる

 

時はほくろく道七か国のかたみちを給りて。上洛仕るべきよし

申され候ければ。 かたみち給はるべきとて下さるべかりしを。く

きやうせんぎ有てこれ天命をそむくにこそ候へ。源平の大

将をくだしついたうせさせ給へと申されければ。源のよりよしちょくせんを承はりて十一万ぎの軍兵をそつして

あべをついたうのためにみちのくにへ下り給ふ。するがの国

の十人たかはし大蔵太夫にせんぢんをさせて。しもつけの

国いもうといふ所につき。さだとう是を聞てくりや河の

城(じやう)をさつて。あつかしえのなか中をうしろにあてゝあたりのこ

ほりにきどをたて。ゆきがたの原にはせむかひて源氏をま

つ。大蔵太夫大将として五百よき白河のせきを打こえ

て。ゆきがたの原にはせつき。さだとうをせむ。其日の軍(いくさ)

 

 

19

に打まけてあさかのぬまへ引しりぞく。だての郡あつかし

えの中山にたてこもり。源氏は忍ぶのさとするかみ河のはた

はやしろと云所にぢんをとつて。七年よるひるたゝかひくら

すに。源氏の十一万ぎみなうたれてかなはじとや思ひけん。頼

よし京へ上りてだいりに参り。頼よしかなふまじきよし

を申されければ。なんぢかなはすば代官をくだし急ぎつい

たうせよと。かさねてせんじを下されければ。急ぎ六条ほり

河の宿所へ帰り十三になる子息をたいりに参らせけり。

なんぢが名をばなにといふそと御尋有けるに。たつの年のた

つの日のたつの時に生れ候とて。名をばくわんたと申候

と申けれは。むくわんの者にかせんの大将さするれいなしとて。

元服せさせよとて後藤内のりあきらをさしそへられて。

 

八幡宮にて元服させて八幡太郎義家とかうす。其時御門(みかと)よ

り給はりたるよろひをこそ くわんたかうふきぬと申けり。ちゝぶの十

郎しげくに先陣を給はりて奥州へうち下る。あつかしえの城(しやう)を

せめけるに猶もけんじ打まけて事あしかりなんとて。急ぎ都hw

はや馬をたて此由を申けれは。年号があしければとてかう

平元年にあらためられ。同年四月廿一日あつかしえの城をおひ

落す。しからざるにかゝりていさむ関をせめこえて。もかみのこ

ほりにこもる。源氏つゞひてせめ給ひしかはおからの中山をうち

こえて。せんぼくかなざはの城に引こもり。それにて一両年を

をくりたゝかひつれ共。かまくらのごん五郎かげまさ。三うらの

太夫為つき。大蔵太夫光任(みつたふ)これらが命をすてゝせめけ

る程に。かなさばの城をも落されて。白き山にかゝりて

 

 

20

衣河の城にこもる。為つぎ かけまさ かさねてせめかゝる。かうへ

い三年六月廿一日にさだたうは大事の手をひ。くちな

しい色のきぬをきていはでの野べにぞふしにける。弟のむね

たうはかう人となる。さかいの冠者後藤内いけどりにして

やがてきられぬ。よし家都にはせ上りうちのげんさんに入

て末代までの名をあげ給ふ。其時奥州へ御供申候し三つ

うの少将に十一代のすえ。たんかいのこういん藤原のきよひ

らと申もの国のけいごにとめられて候けるが。わたのほり

に有ければわだのきよひらと申候し。両国を手ににぎつ

候し十四道の弓取五十万ぎ。ひでひらがしかうのらうどう

十八万ふぃもちて候。是こそ源平のらんいできたりたらば。

御かたうど共なりぬべき者にて候へと申ける

 

 

21

 しやなわう殿くらま出の事

しやなわう殿是を聞給ひて。がねて聞しにすこしもたが

はず。よに有ものこさんなれ あはれ下らばや さうなくたの

まれたらば。十八万ぎのせいを十万ぎをば国にとゞめ。八

万ぎをばそつしてばんどうにうち出。八か国はげんじに

心ざし有国なり。下野殿の国なりこれをはじめとし

て。十二万ぎをもよほし廿万ぎに成て。十万ぎをはいふ

の国兵衛佑(のすけ)殿に奉り。十万ぎをば木曽殿につけて

わが身はえちごの国にうちこえ。うかわ さはし かなつ おく

山のせいをもよほして。越中 のと かゞ えちぜんのぐんび

へうをなびけて十万ぎに成て。あらちの中山をはせ越

てにしあふみにかゝりて大津のうらに付て。ばんどうの

 

 

22

廿万ぎをまちえて。あふさかの関を打こえて都にせめ

上り。十万きをば天下の御所に参らせて。げんじす

ごさんよしを申さんに。平家猶も都にちんじやうして

むなしかるべくは。名をば後のよいんとゞめ かばねをば都

にさらさん事。身にとつてはなにのふそくか有べきと

思ひ立給ふも。十六のさかりにはおそろしくぞおぼえける。

此おとこめにしらせばやとおぼしめしちかくめして仰られ

けるは。なんぢなればしらするぞ人にひろふ有べからず。

われこそさまのかみよしともが子にてあれ。ひてひらが

もとへふみひとつことつてばや。いつの頃返じを取てくれ

んずかそと仰られければ。吉次ざしきをすべりおりえほ

しのさきを地につけて申けるは。御ことをばひて平以前

 

に申され候。御ふみよりもたゝ御下り候へ道の程御とゝの

い仕候はんずると申ければ。ふみの返事またんも心もと

なく。さらばつれて下らはやとおぼしめしける。いつの頃

下り候はんずるそとの給へは。明(みやう)日吉日にて候間かたの

ごとくのかど出仕候はんずると申ければ。さらばあはた口十

ぜんじの御まへにて。またんずるぞとの給けれは。吉次さ承

り候とて下かうしてげり。しやなわう殿べつたう

の坊にはえりて心のうちばかりに出立給ふ。七さいの春の

頃より十六の今にいたるまで。あしたにはけうくんのき

りをはらいゆふべには三光のほしをいたゞき。日夜朝暮(てうぼ)な

れしなぢみの師匠の御名ごりも今ばかりと思はれけ

ればしきりに忍ふとし給へ共。なみだにむせび給ひけり。

 

 

23

されども心よはくてはかなふべきにあらされば。せうあん二

年二月二日のあけぼのにくらまをぞ出給ふ。白き小袖一

かさねにうらあやをきかさね。はりまあさぎのかたびらを上

にめし白き大口にからをり物のひたゝれめし。しきたへとい

ふはらまききごめにして。こんぢのにしきにてつかさやつ

つみたるまぼりがたな。こかね作りの太刀はいて うすげ

しやうにまゆほそく作りて。かみたかくゆひあげ心ぼぞ

げにてかうべをへだてゝ出たち給ふが。我ならぬ人のをと

つれてとをらんたびに。さる物是にありしぞと思ひ

出て。あとをもとふらひ給へかしと思はれければ。かんちくの

ようでうをとりいだし半時(はんじ)ばかりふきて。ねをだに

あとのかた見とて なく/\くらまを出給ひ。其夜は四条

 

のしやうもん坊の宿(やと)へ出給て。おうしうへ下るよし仰ら

れければ。ぜんあく御とも申候はんと出立かゝり。しやなわう

殿の給ひけるは御へんは都にとゞまりて。平家のなりゆ

くさまを見てしらせよとて京にぞとゞめられける。さて

しやなわう殿あはた口まで出給ふ。しやもん坊もそれ

までをくり奉り。十ぜんじの御前(まへ)にて吉次を待給へば。

吉次いまだ夜ふかに京を出てあはた口に出来(いてきた)る。種

々のたからを二十よひきにおづせてさきにたて。わかみ

は京をじんじやうにぞ出たちける。あひ/\ひきかき

したるすりすくしのひたゝれに。秋毛のむかばきはいて

くろくりげなるむまに。つのぶくりんのくらをたてぞ

のりたりける。ちごをのせ奉らんとてつきげなる馬に

 

 

24

いかけぢのくらをきて。大まだらのむかばきくらおほひ

にてぞ出きたり。しやなわう殿いかにや/\そくせばやと

の給へは。馬よりいそぎとんでをり馬引よせのせ奉り。

かゝるえんにあひけるよとよにうれしくぞおもひける。吉

次をまねきての給ひけるは。やどのむまのはらすぢ

はせきつてざうにんめらがをひつらん。かへり見るにかけ

あしになりて下らんとおぼゆるなり。くらまになしといはゞ

都にたづぬべし都になしといはゞ大いしゅどもさだめて

東海道にぞ下らんずらんとて。すりはり山よりこなた

にてをつかけられて帰れといはんずる物なり。帰らざら

むもじんぎれいちしんにもはづれなん。みやこはてき

のへんなり あしかあら山をこえんまでこそ大事なれ。

 

 

25

ばんどうといふはけんじに心ざしの有国なり。ことばの

すえをもつてしゆく/\のむま取てのり下るべし。しら

河のせきをだにもこえば ひで平かちぎやうの所なれ

ば。雨のふるやらん風のふくやらんもしるまじきぞとの

給へば。吉次是を聞てかゝるおそろしきことあらじ。毛の

なだらかならん馬一ひきをだにものり給はずして。はぢ

あるらうどうの一きをだにもくし給はで。げんざいのかた

きのちきやうする国の馬を取て。管s難ことの給ふこそお

そろしけれとぞ思ひける。されども命(めい)にしたがひこまを

はやめて下る程に。まつさはをもこえて四のみやがはら

をみてすぎ。あふさかのせきをうちこえて大津のはまを

もとをちつゝ。せたのからはし打わたりかゝみのしゆくに

 

 

26

つき給ふ。長者は吉次がとし頃のしる人なりければ女

ばうあまた出し。色/\にこそもてなしけれ

 

義経記巻第一終