仮想空間

趣味の変体仮名

最明寺殿百人上臈 下之巻 

読んだ本 黒木文庫 https://iiif.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/repo/s/kuroki/page/home

              最明寺殿百人上臈

 

 

46(左頁)

  女鉢の木  最明寺殿道行

〽ゆくえさだめぬ道なれば /\ こしかた

もいづくならまし 是は一しよふぢうの

しやもんにて候 我此ほどはしなのゝ国に

候ひしが あまりに雪ふかく成候程に 先此

たびはかまくらにのぼり ざぜんにこもり春

になりしゅぎやうに出ばやと思ひ候 てふの

 

 

47

つばさのおしろいをくさにこぼしてこずえ

には つるのしもげをぬぎかくる 雪は花より

花おほき きそのみさかの たにかぜは ふけ共

袖に さむからで 名もねたましき風ごし

の みねのふゞきぞ身にはしむ 身はすみ海(染?)の

すみ衣 さながら雪の一ふでがらす おはうち

かれししゆ行のたび ぶつをんほうしやのため

 

にもあらず じゝやうぼだいの道にもあらず うき

よのたみに おほふかな おほへどもるゝ竹のかさ

にやはぬ身にも引しめてしやんとめしたる御あり

様 有がたし共頼み有 いくへこしてもしなのぢは

まだたにみねの大井山人ざと遠くはなれざか

ちくまのかはにわたしよぶこえも あらしにうづもれて

かさでまねけばかさのはに あられ たばしるつらゝ

 

 

48

から/\かるいざは 見あぐれば朝ぼらけ あさまのだけ

に立けふり その一すぢを様/\゛に かすみにえいじ雲

に見て 歌人は思ひをのぶるとかや われはけふりのたち

いにも たみのかまどのにぎはひを天にいのりのちはや

ふる ゆきを袂にぬさとれば 雪は五こくのせいたりと

もろこし人も とよ年をいはふしるしのあれ/\/\ぢgw

もざい所もにぎ/\ふく/\ふく嶋の しつのいもせの

 

いもはもみする せなはよねつくむぎつく もちつく/\

もち月の さとゞよむ迄えいとん/\サアとん/\

サアとん/\/\ときねのをと うすひとうげにさし

かゝり のぼれば下るたにがはのこほらぬ程はこえたてゝ

春もちかしといはま水 木々のこのはをふきためて

けふ山始のきぬくばり ものたちよしと色々の にく

きたつなるいたはなのしゆくを 〽ふもとのさか本や

 

 

49

すはの水かみをさえて かもやかもめやおしのつがひ

もかりがねも をりぬる程はをしなへて みな白さぎと

みやまおろしが さら/\/\さつとふいてはばつとむら

だちはらふ つばさにおのがとり/\゛色しなを わけて

見せたるゆきのそら のこのんの月はうかめども

うさぎはなづむ あつごほりえきろの馬ぞ

なみはしる はしる馬にもむちあぶみ むさし

 

もちかきちゝぶ山 八王子山の山がつも とやまのつま

木こりつくしゆきをくゆらす すみがまや ふかやの

しゆくのふか/\゛とふゆごもりせし 一えだも はるま

ちがほにはつばなのさきかけんとや一二のかけ くまがへ

むらにさかづきのさのゝくゝたちさかなにて しい

とゞめんとよみをきし古歌を ぎんじてしのげとも

雪のさむさのさのみやはさのゝ わたりにつき給ふ

 

 

50

やどりもかなと夕かほのそれにはあらぬ小家の

のき たるきまばらにかたむきし雪おれ竹の

あげすどや あるしはひん女とおぼしきが年も三

五の玉はゞき ひさしのゆきをかきおとし おと

せばえりに袖口に くびすぢもとにひや/\/\

アゝつめたやと手をふくもげすぢかふしてなをや

さし 最明寺殿まがきにたゝずみ 申々お女郎

 

越後より下総(しもふさ)のだんりんへ通る所化の僧

今日の大雪さきへも跡へも参りかたし すの

こおはしにたゞ一夜頼みますると有ければ ハアゝ

おやすいことながら あるしのるすに私がとめま

するもいかゞ也 わきをお頼みなされませおいと

し様やとあいさきやうある ムゝウあるじのおる

すとは扨はこなたは御内衆(みうちしゆ)か いえ/\あるしは私が

 

 

51

あねむこ 此頃他国いたされてあるしといふは

姉様 ヲゝ然ればこなたもあるじどうぜん 江口

の君がかりのやどに心とむなと申したは それは

色有やさほうしすみのおれる木のはしかといふ

様な此坊主 色ごとの用心ならばきつかひある

なとの給へば 娘もにつこと打笑ひ尤色といふ

物は みめかたちとはいひながらどふやら時のはづみ

 

ては はなそげでもいぐちでもゆだんがならぬとはし

りこむ天下をさばく御身にも 此へんたうは行くれ

てたゝすみ給ふぞしゆせうなる世の中が 何かつね

よがるす住(すま)い 妻は手あしもつち大根蕪(かぶら)えぐ

なもつみ持て かへる山路の白たへにアふつたるゆき

かな いかに世に有人のさぞおもしろふ見給ふらん

〽(文弥)それ雪はがもうに似て飛でさんらんし 人はくはくせうを

 

 

52

着て立てはいくはいすといへり されば今ふるゆきも

もと見し雪にはかはらね共 我はくはくせうを着て立

てはいくはいすべき 袂もくちて袖せばき ほそぬの

衣 みちのくの けふのさむさをいかにせん あらおもしろ

からずの雪の日やな 最明寺殿是こそはいぜんの女が

姉ならめと なふ/\あるじのおかたに候か 御らんのごとく度

僧の身おやどの御無心申せしかど あるじのおるす

 

とありし故待もうけたる御帰り せんごをばうずる

大雪こよひ斗の御めぐみ 頼み入とぞ仰ける げに

/\やすき御ことながら見くるしきしづがふせ屋 何

とておやどゝ申べき いや/\たびといひ三がひの家を

出たる世すて人 くさのむしろも我ための玉のう

てなと有がたしぜひに一夜との給へ共 あれ御らんぜ我々

ふうふ兄弟さへ すまいかねたるていなればとゞめ申

 

 

53

さん様もなく 是より十八町あなたに 山本のさとゝ申

てよきとまりの候へば くれぬ間に一あしも いそがせ給へ

といひすてゝいほりの内へぞ入にける あらきよくも

なやよしなき人を待つるよ うきよの人の情なきも

我あやまりとかへり見てあゆみ〽つかるゝ斗也 いもと

の玉づさ涙ぐみ いたはしや御出家様さいぜんおやどゝ

有しか共 姉様の心いかゝと存じ 外にたゝせ置ませし

 

かくおりぶれしもぜんぜのいんぐは せめて出家にち

ぐうせば つねよ様のぶうんもひらけ後世の為にも

わるいこと なされた様にはよも有まじ とめてさへしん

ぜませば別にちそうは入まいと わしや思ひます

といひければ ヲゝやさしやよふぞきがついた 是程

の大雪に遠くはよもやとおもてに出 なふ/\旅人

おやど参らせふなふ 余りの大雪に申こともきこへぬ

 

 

54

よの いたはしの有様やな もとふる雪に道を忘れ

今づる雪に行がたをうしなひ ひとつ所にたゝずみ

て袖なる雪を打はらひ/\し給ふけしき 古歌の

心に似たるぞや 駒とめて 袖打はらふかげもなし さのゝ

わたりの雪の夕ぐれ か様によみしは大和路やみわ(三輪)

がさき(崎)成さのゝわたり 是はあづまぢのさのゝわたりの

雪のくれに まよひつかれ給はんより見ぐるしく侍へど

 

一夜はとまり給へやなふたびの僧たびのおそうと

まねかれて それはうれしき心ざしかりのうき世に

かりのやど かりそめながらちぐのえん一じゆのかげの

やどりも 此世ならぬちぎりなり それは雨のこかげ

是は雪の軒ふりてうきねながらの草枕 是へとこそ

はしやうじけれ いや是玉づさ せつかくおやど申て

もくやういたさん物もなし おさびしからふがとふせうぞ

 

 

55

姉様幸あはのまゝさもしけれ共おなぐさみと ひつ

取出せばアゝそんな物なんのいの 折ふしわるふ九こん

もなしおくはしはないかと夕しもの をかぬたなをやさ

がすらん 是御両人たびにしあればしいのはにもると

かや あはのいひとは日本一のだいごみ 御ちそうにあづ

かりたしとの給へば やれ/\それはおうれしやせめては何

もきれいにと はぎの折ばしかはらけもよし有げ成

 

もてないsなり はづかしやお僧様此あはと申物 いに

しへ我つま世にありし時は うたによみ詩につくりたる

をこそ承はれ 今は此あはをもつて命をつぎさふらふ

ぞや げにやろせいが見しえいぐはの夢は五十年 其

かんたんのかりまくら 一すいのゆめのさめしもあはいひ

かしぐ程ぞかし あはれやげに我とも うちもね

て夢にもむかしを見るならばなぐさむこともある

 

 

56

べきに なふ御らん候へすみうかれたるふるさとの 松かぜ

さむき夜もすがらねられねば夢も見ず 何思

ひ出の有べきと そゞろに涙をうかへける 旅僧も

あはれにもよほされすみのたもとをしぼらるゝ

ふけ行まゝに夜さむさまさりひえわたる 何をか

たき火にたいてあて参らせんや 思ひ付たり我おつ

と世にありし時鉢の木にすき あまたの木をあつめ持(もた)

 

れさふらひしを か様のさまにをとろへいはれぬひん

の花ずきと 皆人々参らせて今はやう/\三本

残つて あの雪をもちたる梅桜松 わきておつと

のひさうなれ共 こよひのもてなしに是をたき

火とたゝんとすればしばらく/\ 是は思ひもよらぬ

こと 御心ざしは有がたけれ共かさねて世に出給ひて

の 御なぐさみ無用になして給はれとよ いやとても

 

 

57

此身は埋木の いつのさかりにいつの花いつのとき

をか待べきぞ たゞいたづら成鉢の木を 御身の為に

たくならば是ぞ採菓汲水(さいくはきつすい)の 法(のり)のたきゞと覚し

めせ しかも誠に雪ふりて 仙人につかへしせつせん

のたきゞ かくこそあらめ我も身をすて 人のための

鉢の木きるともよしやおしからじと 雪打はらひて

見ればおもしろやいかにせん まづふゆ木よりさき

 

そむるまどの梅の北面は 雪ほうじてさむきにも

こと木より先さき立てば 梅をきりやそむべき見しと

いふ人こそ うけれ山ざとの 折かけがきの梅をだに 情

なしとおしみしに今さらたきゞになすべしと かねて思ひき

や 桜を見れば春ごとに花すこしをそければ 此木やわ

ぶると心をつくしそだてしに 今は我のみわびて住(すむ)いへ

桜きりくべて 火桜になすぞかなしき 扨松はさしも

 

 

58

げにえだをため葉を透かして かゝりあれとうへ置し其

かひ今はあらしにて 松はもとよりけふりにて たきゞと成も

ことはりやきりくべて今ぞみかきもり えじのたく火は

お為なり よくよりて あたり給へや なをざりならぬ御しん

せつさむさを忘れ はだへはやよひきさらぎのだんきに

あたる梅桜 花見るこゝち候ぞや 扨しもいか成人の御

行末 おとこあるじのけみやうあざなは何と申候ぞ し

 

ぜんの時のお為にも 何かくるしう候べき聞まほししと仰

ける アゝ人がましやないにしへをなのるもさすがおもて

ぶせ去ながら此上は何をかさのみつゝむべき 是こそさ

のゝ源左衛門経世(つねよ)がなれるはて あはれと御らん候へや扨も

過にし仁治二年 かまくらは当最明寺殿の御兄君 経

時公の御さばき 妻の経世は将軍の御供して在京の

其跡のこと 経世が父我為にはしうと さのゝ兵衛政経(まさつね)

 

 

59

ゆへもなく人しれず やみ討にうたれ給ひしを聞とひとしく我

妻は 取てかへし下向の時一ぞくのざんによつて かまくらへも入

られず道よりすぐに御かんきとて 所領しやうえん召上ら

れ経世が親子がるい代のち行 一所も残らずおぢ源

藤太経景におう領せられいきがひもなき此有様

親の敵も大かたはすい量にまがひなけれ共 じつふを

たゞし討ん為折々他国にも身をやつし 跡ふりかくす雪の庵

 

雪ははるにもきえ残る夕べもしらうものゝふの 身の

上あはれみ給へやとさめ/\゛ とこそなきいたる げに/\

それは聞及びたる物がたり 何とてかまくらにのぼり

其御さたは候はぬぞ さればとよふうふもさは存ずれども

うんのつきとて最明寺殿法華堂のざぜんにこもらせ給ひ

ばんきをいろはせ給はねばあまてる神のいはとにこもり

月日の光りかくれしごろくりひのわかれん様もなし 去ながら

 

 

60

かくおちぶれてはさふらへ共 取つたへたるあづさ弓やたけ心は

はりつめて あれ御らん候へ 是に武具一領長刀一枝 又あれ

に馬も一疋つないで持て候 経世常々申せしは たゞ今に

てもあれかまくらに御大じありときかば 此公所区取てなげ

かけさびたり共長刀かいこみ やせたり共あの馬にかけくら

をいてふはと乗 女房に口とらせ一ばんにはせさんじ 御ちやくた

につからなうて扨かせんはじまらば 敵なん万ぎ有とても一ばn

 

にわつて入手にたつぐん兵より合打合 ふんとり高名誉れ

をあらはし 一方をせめやぶり君の御馬のまつさきかけ 思ふ敵

の大将と むんずとくんでさしちがへしなんず身の エゝ口おしや

此まゝならばいたづらに きかんにせまりしなん命 なんばう無念

のことざふぞと 兄弟かつはとふししづみ なきくどくこそ道理

なれ 旅僧も至極のことはりに衣の袖をぞしぼらるゝ よし

やうきよのうきしづみかくてははてしたゞ頼め 我世の中に

 

 

61

あらんかぎりはのちかひを願ひ給へやと 詞を残し残り夜も

明がた近くひましろく 雪もをやめばさらばとていとま

申と出給ふ 兄弟かりのやどながら是も御えんと覚しめし

はるお下りの折からは立より妻にもあひ給へ 命のあらば我々も

とさらば/\の御なごり しせんかまくらにおのぼりあらばお尋

あれかひ/\゛敷はなけれ共公方のえんになり申さん 御さた捨(すて)

させ給ふなと いひすてゝ出ぶねのともに 名残や〽おしむらん

 

すでにことしも 臘月下旬最明寺殿のみだい所 松下

御りやうの仰としてにはかに希有の御ふれ有 ちう

やのはやうちひまもなくきん国残らずふれにけり なふ

いそがしや/\ たゝ今我ら当国へくたること余の義にあら

ず 扨も最明寺殿天下のせいたうをかんがへなされんため

ざぜんくはんぼうの方丈にとぢこもり近習外様(とざま)の

さふらひは申に及ばず みだい若君も御たいめんなく

 

 

62

きんそくなされ御座候 此すきまをさいはいとや思

はれけん 御舎弟しきぶの冠者殿さのゝ源藤太を

かたらひ むほんをおこしついに其身もほろび源藤

太はおちうせやう/\ことをさまつて候 か様のさはぎの

出来するも最明寺殿屋かたに御座なき故 国

に執権なきは人にたましひなく我にはしらなくう

どんにすrなくなますに酢のなきがごとくとあつて

 

かたじけなくもみだい所ざぜんをお出なさるゝまでは

最明寺殿御名代との御ことにて 女中の御身に執

権職の装束をめされ 御そばには諸大名のおく

がたいづれも男の出立にて ひばん当番ひまも

なくせいたうとりをこなひ給ふこと いにしへの尼将ぐんに

あひもかはらず候 さは申ながら人のくちには戸がたてら

れず めん鳥がときをつくるか鎌倉殿はとゝかゝじやな

 

 

63

どゝあざけつて すは大じといふときにせいがつくかつか

ぬか物はためしにあつめて見よと ばんどう八ヶ国の

諸さふらひこと/\゛くものゝぐしていそぎかまくらへ御参

あれ 仰付らるゝこと有とふれさせられて候が 余り

に諸ぐんせいをそく候程に 何とてをそなはるぞさい

そくいたせとの御つかひを うけ給はつて候程に急がば

やと存候 やあ/\ 何と申ぞそれへ御まいりあるは

 

むさしさがみの御人数と申か 先ははやきこといそいで御参

候へ あれへ見へたるは上総(かづさ)下総(しもふさ)の御人じゆじや やれ/\

きらびやか成出立かな をしとの御ことおいそぎ候へ いや是へ

見へたるがひたちの国の御人数か 道理でまつさきな武

者が つげのぼうをひつさげたはひたち坊と云心か 一だんと

はなやかな出立いづれいづれと申されぬ 此国々へは

もはや参るに及ばぬ 足をたすかつたヤア いまだ上野(かうつけ)

 

 

64

下野(しもつけの)御人数がお見へない 先上野へ参らふ 何とふぃ是へお

出有が上野の御人数じや やれ/\嬉しや参るに及ぬ

今迄の出立にをとらぬおびたゝしいことかな たゞ一こくも

御急ぎ候へ もはやこと/\゛く御参候我らはさきへ罷帰り 各鎌

倉へ御つき有よし申上ふと存る みな/\聞れ候へ関東八

州の諸ぐんぜい 是迄御つき候ぞ其ぶん心へ候へ/\と

ふれてとおりしいきほひはゆゝしくもまた〽はな/\゛し

 

  女せいそろへ

いにしへしんのしゆじよが母千余人のをんな武

者を領じて じやうやうに城をきつきぞくてきを

ふせぎ ふじんじやうと名付しは上代いてうのけんふ

ぞかし かまくらのみだい所せんひ松したぜんにのふうを

したひ みづからしつけんのよだつぞとえぼしぎはけ

たかく すいかんのえもんかきつくろひびせいごうのちやう

 

 

65

けん こがねづくりの御はかせしきもくしよのじやうだん

に ゆう/\とざし給へば左右はしらはのおこしもと 嶋

田ほどいてわかしゆわげらうかづたひの長ばかま

はなをならべしごとくにて御たちのやくてうどかけ さ

ほうたゞしきひろびさし諸大名の御前がた いづ

れも男の出立にて めん/\とのごのやく/\の座

なみ〽みださずしこうある 第一の座上には都六

 

原むつのかみ しげときの北のかたおれんの前 れんりの

わか松わか竹にひよくのほうわうがら草の ぬひ物し

たるうすひたゝれもえぎすそごのはかまごしよこはゞ

ひろくむすばれしは此月おびの御しうぎと ことのは

もじさつゝましさ袖かき合せちやくざある 次はあきたの

城之介よしかげの御れん中 おりう御前はせい人の子の

おやなれど何がしの中将殿のをと娘 えぼしなれたる

 

 

66

まゆずみに恋を そえmこむかり衣(きぬ)の つゆなが/\と

むすびさげ うらむらさきのふぢばかま 男じみたる

すり足も つまさきそつてぞ見へにける 是も同じか

ざおりにまきえのかざりたちはいたるは あしかゝさまの

かみの御ないしつお吉の君 子のはるよめつて人中をしの

ぶもじずりしのぶぬの おりめたゞしきこなせしす

あうはかまののりだちも やは/\とせしあいさつの いつれ

 

も是はお早ふと 物しづかにぞしこう有 次はさゝ木

おきの入道の息女お百の姫 めゆひのひたゝれ五色の

いとにてきくとぢし よめりざかりの花づくし袖の重ね

ににほはせておとなくろしき かけえぼし ぎやうぎたゞし

きわりひざにはかまのまちのたかければ さぞくれない

の下ひものすそやわかれん心にくさよ 同じくつゞいて四條

くらんどのおくさこんのおかた きんもんしやのかり衣うす

 

 

67

色のさしぬき 城かねの作りのたちよこたへ寺社奉行のざ

にぞつかれける 大目付は宿谷の左衛門が女房おつげの前

是もふたりの子持箱に靏亀染たるすあうはかま

うち刀さしほらしあたり近所を見廻してめをはたらかす

かんばせにおやくはさぞとしられける 是は名越きんごの

後家くま千代が母 おきいと云は年ばいもいそべのうとう

やすかたの 子をうしろ見て身をすてずかみはきつても

 

なんの其 我子の末も君が代も万ざいえぼし引こふで 御

ひろふ所にちやくざ有㒵もつや/\ほや/\と 老て二たび

若ごけや むかしのてふのすひ残す花のつゆうく斗也 次は

山名の惣領娘おらくはことし十八さい ときの二郎が妹おふ

りと云もわきつめの 年はいかねどかつかうの 大ともだいぶの

おないぎおさち御前 思ひ/\のたちかり衣(ぎぬ)大なんど小なんど進

物所御前ばん やく所/\にちやくざある 扨其外おだい

 

 

68

所の弥惣が女房 いろりの間の加藤が女房おはひおこん

料理人の三太が女房おなべの前 油奉行らうそく奉行

酒奉行の 弥吉兵衛が女房おたるの前おかんの前 茶道

ばうずのちんさいが妻おちや/\の前に至る迄其品々の

男出立 ひたゝれかり衣ほいすあう 長ばかま切ばかまへい

れい白張(はくちやう)たいかうちやう袖をつらねしよそほひは 女ごの嶋

共いつゝべしにぎはゝし共おろか也 中にもさゝ木入道が息女今日

 

のちやくたう承はり ちうもんのとびらをしひらけば東八ヶ国の

諸ぐんぜい 召にしたがひさん上ある 当国には伊藤の一たう

長野清原そが山ごへ かはつ大場竹の下さくらい岩なが土

肥岡ざき みさき三うらさはら田原をがさ原 小山平山うつ

の宮手ぜい/\をいんぞつし はた記しかぶとのほしをかゝやかし

中門の広にはより大名小路極楽橋 きりを立べきらい

地もなく 人馬みち/\なみいたりはれがましくぞ〽見へにける

 

 

69

さのゝ源左衛門経世はこんどの出陣望む所の本望と ち

ぎれ具足のさび刀やせ馬になは手綱 女房は長刀かたげ

馬の口にひつそふて 物そのかずにあらざる気色(けしき)さぞ笑ふ

らん笑はゞわらへ 所存は誰にかをとるべきと心斗は急げ共

よはきによはき柳のいとのよれによれたるやせ馬なれば うて共

あをれ共さきへはすゝまぬ足よは車の 御所のこなたに駒をひ

かへて見わたせば 東八ヶ国よりあつまつたる数万のぐん兵是

 

を見て いか成者ぞ見ぐるしや あのざまで此中へ出づらは何ごとゝ

一どにどつと笑ふこえときをつくるがごとく也 此をとおくに聞へし

かばみだい所御えつき有 みづから女の身にて此度のせいぞ

ろへ か様にしたがひあつまること是皆殿の御いくはうめで

たきゆえ もしもかさねていか成大じ有とても まつ此ごとく

はせ来らばそくじに敵を追ちらし かまくらは千代万代心やす

やめでたやな いでぐん兵に一礼してかへさばやとの給ふ所に

 

 

70

うらの門より最明寺殿谷にやつれし御有様 みだい是はとおど

ろき給ひ扨はざぜんを御出かや めでたき上のめでたさよと

悦び給へば 若君も出立て御たい面こそにぎはしけれ 我

此度ざぜんきんそくと偽り 誠はくはい国あんぎやして民の

あんきをうかゝひし 其すき間を見て冠者めが悪逆 天の

せめ目前たり 又天女丸が武功末頼もしく 北の方のせいづかひ

彼是以て入道が妻子ぞやと御悦びはかぎりなし 扨此しよ

 

ぐんぜいの中に よこぬひのちぎれたるはらまきしてたび長刀を

持 やせたる馬に女房の口取たる武者一き有へし ふうふ共に

めしつれ来れと御諚あれば さゝ木がむすめ承り頓て〽御

門に立出る 大ぜいとは云ながら花もみぢと出立なる 見ま

がふべくもあらばこそつか/\と立よつて 是々上意成ぞ 男女

共に御前へ罷出られよ 経世おどろき何と某ふうふ御

前へ召るゝとや あら思ひよらずや人たがへにても候か 今一ど御

 

 

71

伺ひ有べうもやと有ければ いや/\いかにも見ぐるしき出立

の武者一き 女房にやせ馬ひかせたる者有べし 召つれ参れと

の御諚の上は左様の者は外になし はやく参られ候べし 何が扨

此上は いはい申さん様はなしげに/\女房某が敵又ざんそう

申上 召出されてかうべをはねられん為と覚えたり いかゞあらん

と云ければヲゝよし/\それも力なし たとへふうふが御前にていき

くびを打るゝ共 一たびかまくら殿はいし奉悦び 一ねんは

 

いさぎよく親の敵ざん人を 三日が内にとりころし此世の

もうしうはらすべし いざゝせ給へと打わらひ大ゆかさして見渡

せば こんどのはやうちにのぼりあつまるつはもの きらほしの

ごろくなみいたり 扨御ぜんには諸さふらひ其外数人なみいつゝ

めをひきゆびをさしわらひあへる其中に よこぬひのちぎれ

たるふるはらまきにさび長刀 女房にかたげさせわろびれ

たる気色もなく 参りて御前にかしこまる やあ/\あれ成は

 

 

72

さの源左衛門経世な いかに女房 是こそいつぞやの大雪

に やどりし修行者よ見忘れて有か 其夜の情忘れがたく

召出して有つるはと の給へばふうふの者長刀からりとなげ

すてゝ あつと斗にかうべをさげかんるい袖をぞひたしける

かさねて仰出さるゝは 汝がおふぃ源藤太経景 父まさ経

をうつってあまつさへ るいせいの知行をおうりやうしたるざい

くはまぎれなく 我安房の国をめぐりし時かの者おち人と

 

なつてかくれしを 房州のたんだいに申付せいばいをとげ

させたりと 御ことばのしたよりもひとやのざつしきくび

おけもつて 経世が前にさしをいたり経世あまりのあり

がたさ ふたをとれば源藤太がくびなりけり こはかたじけ

なき御かうをんめいどの父が悦び げんぜの我らが本望

いつの世に何をもつて 此御をんをほうぜんと手を合せ涙を

ながし 大ゆかにひたひをつけあをぎいるこそ道理なれ

 

 

73

なを/\仰出さるゝむねあり ちかふ参れと御ひざちかく

めされ いでなんぢさのにて女房が申せしよな 今にて

もあれかまくらに御大じ有るとならば ちぎれたり共其具足

取てなげかけ さびたり共其長刀をもち やせたり共あの

馬にのり 一ばんにはせ参るべきよし申つる ことばの末を

たがへずして参りたるこそしんべうなれ 先々さたのはじ

めには経世が本領さのゝ庄三十余がうかへしあたふる

 

ところなり 又何よりもせつなりしは大ゆきふつてさむ

かりしを 女房がなさけにひさうせしはちの木をきり

火にたきあてたりし心ざしをばいつの世にかはしるべき

さらば女房に引出物せん いで其ときのはちの木

は梅さくら松にてありしよな 其へんほうにかゞに梅田

えつちうにさくらい かうづけに松えだ合せて三ヶの庄

子々孫々にいたる迄さういあらざる自筆のでう あん

 

 

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どにとりそへたびければ経世はこれを給はりて 三度

てうだい仕りこれ見給へや人々よ はじめわらひしとも

がらも是程の御きしよく さぞうら山しかるらん扨国々

の諸ぐんぜい 皆御いとま給はりふるさとへとてぞ帰りける

其中に経世は 其中に女房は 悦びのまゆをひらきつゝ

今こそいさめ此妻に打乗て かみつけ(上野)やさのゝふなばし

とりはなれし本領にあんどして 帰るぞうれしかりける /\ (終)

 

七行大字直々正本とあざむく類板世に

有といへ共又うつしなる故節章の長短墨譜

の甲乙(かんおつ)上下あやまり甚(はなはだ)すくなからす三写鳥焉(うえん)

馬(は)なれは文字にも又違矢多かるへし全く予が

直々正本にあらず故に今此本は山本九右衛門治重

新(あらた)に七行大写の板を彫て直(ぢき)の三本のしるし

を糺せよとの求にしたかひ予か印判を加ふる所左のことし

                 竹本筑後

大坂高麗橋壱丁目 正本屋 山本九兵衛版 山本九右衛門版