仮想空間

趣味の変体仮名

最明寺殿百人上臈 上之巻

 

読んだ本 黒木文庫 https://iiif.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/repo/s/kuroki/page/home

          最明寺殿百人上臈

 

1

女はちの木 竹本筑後掾直伝 山本九兵衛刻板

 

中の芝居 九月替り

狂言女鉢の木

一 浦左衛門女房 中村富十郎

  月小夜

其外役?相添相勤申候

 

 

2(1に同じ)

 

 

3

  最明寺百人上臈  近松門左衛門

周書(しうしよ)にいはく 国を治(をさむ)るに三常(さんじやう)あり

一つには君兼うぃ挙(あぐ)るを以て常とし

二つには官賢に任ずるを以て常とし

士賢をうやまふを以て常とし 合て

三つのうろこがた北条五代の鎌倉や

時のときたる時頼(より)の 執権の代(よ)ぞ

 

 

4

私(わたくし)なき徳をかくして権貴(けんき)にほこらず 祝(しゆく)

髪(はつ)して最明寺殿道崇(だうそう)とがうし 名越(ごや)が

谷(やつ)のほつけ堂に 古今大将頼朝卿の尊(そん)

影(えい)を 木像に刻(きざみ)奉り大江の僧正廣(くはう)弁

を 別当に請(しやう)じすへ荘厳れいてんいます

がごとく 神易(しんえき)と名付六十四本の御くじを

こめ をよそ国家の政道に誤りありやな

 

しやとて 我身を御(み)ぐしにこゝろみてたゞし

給へる賞罰に天地自然に偽りのなき

世なりけり村しぐれ 冬至の日を吉例に

て翌年の政(まん)所始(はじめ) 御嫡子天女丸時宗

十六歳 御舎弟式部の冠者時定廿三歳

其外連署昵近(れんじよじつきん)の歴々ほつけだうに

ぐんさん有 錦の戸帳ひらくれば各はつと

 

 

5

頭(かうべ)をたれいけるに つかふるごとく也 大江の僧正太(ふと)

祝(のりと)奉り 御ぐしの御箱をしいたゞいて ちはやふる

正直正露の御ぐしの文 よみ上てこそかうじけ

れ それ千里の地をうるは一賢人をうるには

しかず 千金をつらぬるは一賢人を求(もとむ)るには

しかずと云々 此文の心は たとへば大国をした

がへ万宝を求めんと思はゞ 先臣下の賢者を

 

求むべしとの御しらせ めでたき御ぐし候とかん

がへらるば最明寺殿聞給ひ 我もかねて存

ずる所臣等が心君の冥慮に相かなへり 然

らば建暦(けんりゃく)以来御かんきむほんの輩(ともがら)の あ

がりやしきの明地多し 当代忠勤のかた/\へ

わかちあたへんそれ/\と 中原の大外記執(しゆ)筆

にて仰に したがひしるしける 先切通しのかぢ

 

 

6

原やしきは海を見はらし山にそひ 境(きやう)内ぶんに過

たれ共うつの宮の新庄司 友平にをんしある

是はこれ 父友綱がかぢ原をいとめたる旧こう

かつは其身も学問ごのみ記録をあつめぶんぶ

のたしなみ 行跡みちを守るよし外をはげまし

徳をすゝむる御ほうびとして 向後若君天女

丸殿御師範にこそさゝれけれ かさいが谷のさゝ

 

木やしき そも此佐々木兄弟は高名諸人にどつ

ほすといへ共 ざん者の為に没収せられし分地

なれば せんぞの忠節御かんにたへず 佐々木の十蔵

ひろ綱にたびけるは 古郷にかざるからにしききぬ

ばり山のもんがく屋敷 遠藤四郎に給はる所 あま

なはのもり長やしきはゆふきの友重 いもせがはの蒲

殿やしきはいなげの弥五郎 雪の下の長明やしき

 

 

7

当代わかに名を得たる かはちのかみ光行が光源

氏の講釈場 今ぞふうがの常迄も色を上たる

べにが谷 さのゝ源左衛門常世がやしきは花ずき

者の跡ぞとて 若君の御花畑御休息所にた

ひてげり 筋違橋のちゝぶやしき赤橋左衛門所望

の所 ひきが谷のとさ坊やしきは金田の頼次 松

葉が谷の佐竹やしきは城之介やすもり ふぢが

 

谷の大津やしきかねて足利望におうず 天神山

のえがらやしきは仁科のぜんじ 小林郷の朝比奈

やしき井伊嶋の景正やしき 三うらの光村泰(やす)

村に給はつたり 袖のうらのしづかやしき月かげの阿

仏やしき 稲村崎の大介やしきは平ののぶ時ひで

時 安藤左衛門光成(なり)其外そりう 二なん迄分に

おうじ功により 住宅の地をあんど有ル げに れん直(ちよく)

 

 

8

の法政やと各 したがひなびきける 最明寺殿悦

び給ひいかに天女丸 来春よりは汝をも政道の連

署にくはふべし 御影に御礼仕れ 畏て引つくろひ

宝前にさし向へばぞつと身の毛もいよだつて にん

にくにうわの仏眼もにらませ給ふと御影の御かほ

ふため共おがまれずかうべの上に大ばん石(じやく)の 落かゝつ

たるごとくにて眼(まなこ)もくらみうつぶせにかつぱとふし

 

給ふ 人々あはていだきのけかん病すれば気もさはやぎ

がん色もとのごとくにてふしぎ/\と斗也 最明寺殿おどろ

き給ひ 扨は神君(くん)の御内性にかなはぬと覚えたり 御

ぐしにうかゞひ奉れと僧正やがて神咒(じゆ)をとなへ 御

はこをふり上ふりたてゝ御ぐしの文をはいじゆあれば

まめをにてまめのまめがらをたく けふりたへざること

日月の千回とよみもをはらず あらふしぎや此文は

 

 

9

兄弟の中ふわにして恨(うらみ)有との御しめし 是に付てぐ

そう常々かんがへ置しにうたがひなく 天女丸殿こそ

は九郎判官義経のさいたん(再誕)候 其いはれは判官殿は

丁丑(ひのとのうし)の生れ 本卦帥(すい)の卦にあたつてぐんじゆつ

に妙を得 中秋なかばのたん生 敵をせいするけい官

向ふばそつて猿眼びんのかみのちゞみしとや 若君

の本卦支干(しかん)御たん生の年月こくげん めんていこつ

 

がら寸分さういなき上に たゞ今御影の御いかり彼

是以てかんがふれば 若君の前生は義経に極つたり

なを其しるし末々御らんじ合すべしと 三世命鑑

理をてらしかゞみにかけてとき給へば 思ひ合せて人々は

あつと手を打給ひけり 僧正重て 承ればあふ州

のでんぶ者 鎌倉殿の御かんきよむほん人よなんどゝて よし

経の御はかを馬のかひばとふみあらし 剰(あまつさへ)頼朝公より

 

 

10

錦戸に給はりし 判官誅罰の御はんの御教書国中

に口ずさみ 御かばねをはづかしむ早く御使者をつかは

され かの御はんをやきすて御はかを清めたつとみなば

御かん当のしるしもうせ判官殿のこんはくに 天然自在

の御いくはう今若君の御身にあらはれ ちぼう計略

ぐん術けん術かるわざはやわざ ぶゆうの達者と成り

給はん 其時こそ義経の生れがはりといちじるし 愚

 

僧がくつたるめいかんの易御うたがひもはれ申さん

と 見通すごとくのべらるればげに/\左様のためし

おほし 然らば二かいだう入道はあふ州に下向し 義経

の御はかをまつり同じく誅罰の御教書も召かへして

やきすつべしと仰をうけてぞたい出す かくて最明

寺殿御影の前にすゝみ出 扨かた/\に申わたす子

細有 ちかふよつて聞候へ そも我せんぞ北條の四郎

 

 

11

時政より 義時泰時打つゞき六十余州の執権

今此御えいの照覧にかけ政道わたくしなしといへ共

遠国波濤の末々民のせいずい 国主の邪正は

見るにかたく聞こと遠し もろこしの大祖皇帝は

かん王だうにひとり御(み)ゆきのためしも有 づだ修行

の身共なり諸国のあんきを見まほしく思へ共 かくと

世上にひろうせば 諸人偽りおもねりて誠の善

 

悪しりがたし されば此方丈のゆかをしつらふこと余の義

にあらず 上宮太子の身は夢殿に有ながら 魂はしんだん

天台山にせうやう有 我も年月まなびたるざぜん

三まいの力によつて 此方丈にとぢこもりくはん念をこらし

身は鎌倉のほつけだう 一心は秋津洲のうら/\さと/\巡

見すべし 其間は弟のしきぶ冠者天女丸と心を合せ 貞

永の式目をもつて政道おこたるべからず 僧正の外此所

 

 

12

あんないきんせいざぜんをはりて僧正の便次第に迎ひに

来れ 追付めで度対面せんとぜんちやうの戸を引立て

いるさの月のかげくらくせきばくとしてをともなし 若君

を初め諸大名国家の為と有上は とかふ申上がたし去

ながら みやづかへ申者もなしばんじ貴僧を頼み存候と 始

終の約束こま/\゛と皆々「本所にかへらるる かねて僧正

只ひとりにしめし置給ふ故 旅の物の具取まかなひ

 

何れも帰宅候て はや夕ぎりのくらまぎれ御旅立

あれかしと をとづれ給へばあら嬉しやすねんの望み達

したり 来年弥生末つかた立かへる迄は我こゝに 有

とさたし給へやと内よりとぼそをしひらく 花の袂を

旅衣笠より外はやどりなく こけをしきねのひら包

金ぢくのふもんぼん したんのさすが矢立の筆百八のぼ

だいじゆならで 御身にそふる物はなしのりきよ法師が世

 

 

13

をのがれ 修行のかたにかけたるはやさしき僧の歌袋 是は

浮世の人心ゆがみをためて竹の枝 月もろ共に我も又世

上のやみをてらさんと じひの眼の衣手や 民のくさば

にやつれ給ふ御有様ぞ〽有がたき 大学の道 明徳

をあきらかにせいみんを受(うけ)し天女丸 御同学には

さゝ木が嫡子花市 とひの乙靏 金子の十丸皆

物よみの御とぎにて 朝はぶげい定あmつて ひるのと

 

けいを宇都のみやのやしきに通ひ給ひける けふのお

供は上野(かうづけ)の国の住人 さのゝ源藤太経景(つねかげ) 若君の

御出なりとあん内す 友平立出学問所へともなひ

参らすれば 若君をはしめ何れもぎやうぎつく

ろひて めん/\書物ひかへらる 友平若君をつく/\゛と

打守り 扨々御きよう千万 誠のそうめいえいち

とは若君の御こと それによつて御ときの子共衆迄 我

 

 

14

をとらじと覚えつよく 小学入より日数もなきに四(し)

書(しよ)古文三体詩(さんていし) きんしうだん此上に遊ばされんは

五経もんぜん 其外せいけんの経書(けいしよ)詩文の書 かぎ

りなく候へ共 それ迄に及ず 弓馬の家には孫子呉子

三略六韜(りくたう)司馬法など申て 合戦せうぶのりひ

をのべやる七書を能々御得心あり かねては史記を御らん

あり古人の心をあふぃはふを ゆみや取身の学問とは申

 

なれ 大江の僧正広弁(くはうべん)が 三世命鑑を考九郎判

義経の生れかはりと申されしに ゆめ/\うたがひ候は

ず 末頼もしき御器量いよ/\ぶんぶの御たしなみこそ

かんようなれ それに付て先物よみのはじめには 実語教

童子教わかん朗詠かん家往来(わうらい) 扨は判官殿の

こしごへ状お家の式目 これらは諸人存じの書 こゝ

にいまだるふせざるひでんの一くはん 是を御でんじゆ致

 

 

15

さんと たんすのそこよりとり出し これは君の前生

判官殿 高だちにて御しやうがいの時一期のいこん

をかきあらはし くちにふくんでうせ給ひしふくみでう

と申もの ぶんほうやはらかに候へ共むてんのものに

候へば 一へんをしへ奉らんとをしひらけば天女丸 扨は我生

れぬさきの筆跡かと 見ぬ世のむかしなつかしく

なみだをこえにうかへならが とうをんにこそよまれけれ

 

  よし経ふくみ状

そも/\よしつねまつごにつゝしんで申す い

やしくもせいわのうてなを出 たゞのまんぢうの

家をつぎしより此かた けいふきよもりにへだ

てられへんどをんごくをすみかとし どみん百姓

らにぶくじせらる しかりといへ共たうけの御

うんをひらきちよくせんの 其一つにえらはれある

 

 

16

ときは 野にふし山にふし又ある時はまん/\たるかい

しやうに ふうはのなんをしのぎてきとのくびを切て

けい/\゛のあぎとにさらし三年三月にせめなびけ 大

じん殿父子をいけどり京かまくらをわたし 源氏

くはいけいのちじよくをすゝぐといへ共 かぢ原がざん

げんによつてむなしくはくたいのくんこうをもだされ

したしき兄弟をわづかのさふらひ一人に思召かへらる たゞ

 

是ふうんと存ずはた又ぜんぜのごういんをかんずるに

似たり あをぎ願はくはかじ原父子が頭をはね 義経

に手向らればこん生 後生のうらみ有べからず 万たん筆(ひつ)

紙につくしがたし 恐惶(きょうこう)うやまつてまうす ぶんぢ五年

閏四月廿八日 きん上かまkらの右大将殿源の義

経と よみもをはらず若君なみだにむせび給へ

ば どうがくお供の少年迄 みな/\袖をぬらしける

 

 

17

友平涙をおさへ誠に義経(ぎけい)の 御かたみ斗にあらず

末世のをしへに成べき物 其子細といつは 頼朝程の

御大将かぢ原がかんきよくにたぼらかされ 実否(じつふ)を

たゞさず御舎弟を亡し給ふこと火の中にある宝にめ

でゝかた手をやくにことならず されば大将としては先

よく人をしるべきをしへならずや 又かぢ原は君のてう

にほこつてをのれを忘れ 一たんの利に眼くらみ人をがい

 

すと思へ共 かへつて我身をがいすると 天に向つてつば

きばきすと四十二章経(しやうけい)にはとかれたり 扨こそ頼朝

公御せいきよの後 あだちのかげ盛を頼家公へざんげんし

ゆふきの朝光を左将軍へざんそう申ける程に 頼朝

御ぞんめいの間こそ諸人うやまひ恐れけめ 年来うと

むかぢ原父子何に心を置ばきと 和田小山はたけ山三

うらの義むらちばの介 八田をがさ原藤九郎 もり長以下

 

 

18

御家人六十六人 靏がをかに会合しかげ時がつみ五十

余ヶ条 連判の訴状をしたゝめいなばの守廣元を

以て 頼家公へ奉りすでにちうせらるべきに極つしかば

まういをふるふかぢ原が日頃の弁舌弁口も 矢はづの

紋の矢もたても大ぜいにたまらばあこそ ほし月夜のあみ

笠や鎌倉山を夜ぬけにして さがみの国一の宮へほう

/\にけてかくれしが はやりにはやる我(が)武者共あま

 

さじ物と在々所々 手ひどくきびしくをつさがされ鵜

川の小鮎たかに雉 ねこにをはれしのら鼠あなあさまし

やかぢ原父子 郎等下人もちり/\゛に馬に乗ても舎人(となり)

なく くらはをけ共あぶみはさゝず都の方へと心ざし するがの

国をかけ通る代々我らが本国也 父弥三郎友綱一族あ

つめ小的いて せうぶをたのしむ堋(あづち)の前 御免もこはず乗

打す 友綱弓と矢取て打つがひ大音上てかふぃ原殿と

 

 

19

見かけたり かち立にて通るにも的場には古実のそふ

れいぎもなしに乗打は かくいふを宇都の宮としらずに

なせる慮外か よししらばしるにも世よ 傍輩の情

に人と人はゆるしも有 弓矢に向つて乗打は正八まんの

神罰の矢うけて見よと白木の弓 大中黒の的矢い

たつきかけて引しぼり かけ行駒にこぶしをつけつる音

高く切てはなせば あやまたず跡に乗たる嫡子

 

源太景末が をし付をむないたへぐつといぬいて余る矢

が 親平三景時がみゝのねをかたさき迄 のどぶえかかえて

いとおされをや子一所に馬上より ゆん手めてへ遠近(をちこち)

の 人のうつふん世のいこん此時にこそはれてげれ 父友綱

其時の御をん賞のよけいによつて 此かぢ原やしきを今

度某拝領し 土砂あらため候へ朋あれに候紅梅のはや

咲こそ 景時が二度のかけのえびらの梅のなごりとて

 

 

20

植(うへ)置たると承る末の世のしるしに引残し候が 折々雨

の夕ぐれなどはかぢ原が一念の火 梅のこずえに来るよし

下女下郎などが申ふらし候へ共 某はついに見ずいかで左

様のことあらんと かたり給へば人々もあつとかんじておはします

さのゝ源藤太経景(つねかげ)次の間より罷出 よきじぶんに御供

いたし若君のおかげによつて 御講釈承り我らの仕合

一代の徳 扨々かぢ原めは武士たる者の風上にもいみ

 

たる者 其じせつ経景生れ合せ有ならば さんげん

はきだす舌引ぬき えらぼね引さきふみにしつての

けんずもの エゝ四十年をそふ生れたなあ あの紅梅が

かぢ原梅かなんのきやつがえびらの梅 二度のかけも

半分うそ軽薄らしい花の色 につくいかぢ原めが

しやつつらふんでくれんすと 広にはにとんでをりもゝだち

つかんでふる木の梅の 枝もおれよねもくだけよ どう/\

 

 

21

どう/\どうとふみ付 こぶしをあげてうつやうるぼの

ほつきとおれて 落花すこふるらうぜきたるヲゝさも

そふず景時と ざうごんはいて立かへれば あいさつなく

も人々はにが笑ひにぞ成にける 時しもさえ行しぐれの

雲の雪をもよほすそらすさまじく 山かぜ落葉を

吹立/\ふきあぐれば 紅葉(かうはう)天にへんほんしてくはえんの

うづまくごとく成に かぢ原がしやれかうべこくうにひ

 

らめきまひさがりまひあがり 源藤太がもとゞりに

しつかとこそはくひ付けれ され共人めに見へざれば 其

身はさしもなをしらず心ももとの心ながら 気はぎやく

上し酩酊と酒に酔るがごとく也 かゝる所に安藤左衛門

光成(みつなり)かたより 急々の御注進使者をはしらせ候と 大

いきついて伺公する若君おどろき 其使者是へ急々

の注進とは 何ごとやらんとの給へば さん候 御おぢ式部の冠

 

 

22

者時定殿 御家の重宝三つ鱗の御はたをうばひ

取 本国伊豆のみさきへをし渡り給ひ候 いきほひ全(まったく)

逆心の御くはたてと見へ候 大殿ざぜんに御こもりの内と

申 延引にては御大じたるべし きつと御征伐しかるべしsとの

注進也とぞ申ける 天女丸よこ手を打てこはいかに

其はたといつはせんぞ時政に えの嶋の弁才天じきに

あたへ給はつたる 三枚のうろこをはたの紋と勧請し

 

守り共宝共是で立たる北條家 おぢは一家と云

ながら庶子(そし:しょし)へわたさん様はなし しや何ごとかあらんいつの

みさきは扨置ぬ きかいかうらいけんたん国雲のはて海

のはて くがならば駒のひづめの立かぎり 海ならばろかい

のたゝんず所迄 せめよせ/\取かへさで置べきか 天女丸時

宗がよろこひ始のういぢんに おぢの首ひつさげずんば

鎌倉へは帰るまじ 山路をまはつて人馬の足をつからすな

 

 

23

ゆいの濱より兵船出し たゞ一時にもみつぶせ 馬にくらを

け物のぐせよといさみすゝみし御有さま げに義経のさい

たんと ふだをうたざる斗也 かぢ原が死りやうにおかさ

れし源藤太すゝみ出 此たびの先陣は此経景が給

はつて まつさきかけふずるにて候 仰付られ候へとこその

ぞみけれ 若君聞もあへずイヤサ 先陣も後陣も此

時宗がなくばこそ 先陣は某よ いや/\殿は大将ぐん

 

ぜひ先陣は経景に給はれかしと詞をかへせば いやとよ

大将軍とは父最明寺殿ならで外になく 我も汝ら

同前よ高名はしがちぞよ 親にも子みの遠慮なし

急げやいそげはやければ 待こと有てしづか也をそくて

はしる道は物うしと 名将のよみしぞかしと口ずさみ

出給へば 源藤太御袖をひかへ 然らばこんどの御ふねには

おらんだろを立申べし ムゝウしておらんだろとはなんぞ さん候

 

 

24

馬は乗手の心に任せ引もかくるも自由なれ共 すはや

ひかんと思ふ時舟をしまはすにまゝならず ふかくの負(まけ)

を取物候 艫舳にろを立ちがへわいかぢを入 いづかたへも

まはしやすい様にといはせもあへず エゝ門出あししいま/\

し 一足もひかじと思ふさへ引は軍(いくさ)のならひ也 かねて

左様の逃(にげ)用意 おく病神の末社殿と笑ひ給へば同

学の十四十五のともがら迄手をたゝいてぞ笑ひける

 

藤太大きに赤面し 惣じてものゝふはかけ引をわき

まへ 命をまつたふして敵をほろぼすを以てよき弓取

とは名付たり わ殿の様に口広いくせに 尾のほそいを

あんごう武者とてなんおやくに立ぬもの 近頃笑止/\と

いへば若君はらにすへかね 汝はたつた今迄かぢ原をそ

しりながら 梶原同前の悪口我に向つてすいさん千万

サア今一ごんいふて見よとたちに手をかけ給ひける ヤア最

 

 

25

明寺殿より外大将軍はなき物を 御身も我も同前

あんごう(鮟鱇)共ふくとう(河豚)共 いふて見せんとのゝしりあふヲゝあん

ごう武者のきつさき受て見よとぬきはなし給へば 土肥

さゝ木なんど云一騎当千の嫡子共 一どに小たちをはら

えいとぬきまん中にをつ取こめ 我討とらんとひしめく

所を 友平すがつて アゝもつたいなし 大じの前の御つゝし

み最明寺殿思召もをんびんならずと 御はかせおさめ

 

させ罷たて経景しづまり候へ少人達(せうどんたち)と屋かたに御

供有ければ 光成の使者経景が小がひな取て引出

す さかろのいこんとゞまつて今たましひに入かはり 身はから

ふねの梶原が心と 成こそ〽あさましき 宝治二年

十一月みぞれまじりの玉あられ 雪の下の広小路一はい

にふるくろrばをり やつこが髭につらゝいて(凍て)おくばにかじる唐(から)

がらし あかぐまの馬印御馬北風(ほくふう)にいなゝかせ うつて出たる大

 

 

26

名こそ最明寺殿の御舎弟式部の冠者時定公と

いきほひもう成供さきを いかつらしくきほうかぶり若たう

二三輩(はい)引ぐし をしわつて通らんとすかちの者供ひつとらへ

こりやめくらめ冠者殿を見しらぬかと ほうかぶりひつ

たくればさのゝ源藤太経景也 馬上よりこえをかけヤア

経景か 時定直(じき)に尋ぬべし つゝと是へとよび付はつた

とにらみ 御分は身代不相応に かる/\敷忍ぶ体はいぶ

 

かしし 兄最明寺ざぜんにこもりおはする内は 此冠者が

執権成に供さきわるはくはんたい者 申し分によつてきつ

とくはたいにいひ付んと 返たうあしくはあぶみのはなにてけ

ころしのけんず面色也 経景つちにひざまづき御とがめ

至極仕る 去ながらいさゝか慮外に候はず 直に注進申

上る義候故 人めを忍び右の仕合まつひら御免かうふるべし

扨御注進の趣(おもむき)は 先某が兄さのゝ兵衛政経 先年人しれ

 

 

27

ずやみ討にうたれ 其子源左衛門経世はあほうばらひに

仰付られ 兄政経がゆいせきさのゝ庄此経景に給はつて

奉公の忠をはげみ候 然るにべにが谷(やつ)経世がやしき某

望み申せ共 御用の場所とてりん借(しゃく)有 此度故もな

き者にさへ いやが上の屋敷地を給はり 多年懇望の

我らにはかへ地の御さたにも及ず 経世がやしきを若君

のお花畑に成拙者ははなをあく斗 国をたもつ者は 一坪

 

の地も功有武士にあたへ弓馬の用に立てこそ なんぞ

や若君のまだちゝのまふまゝくはふを 義経のさいたんとはと

のかひの僧正にたぶらかされかまくらの御かとくとて大ぶんの

地を花ばたけについやし もしもの時に草木の花が鑓一

本の役にはたゝず 当家にをいて天下の執権には 誰有ふ

冠者公と諸人こぞつて申所 殿のつがせ給はんに誰がぐつ

共申べき さればこそ天女丸殿をけふたく思はれ 最明寺

 

 

28

殿ざぜんの内にせめほろぼさんもよほしにて 即物よみ

の師匠うつの宮友平 安藤左衛門光成以下をかたらひ合

戦の用意こときうに候 かた/\゛御ゆだん有べからずとまつかい

さまにぞざんしける 冠者はかれに物が付ていはするとは夢

にもしらず 馬よりとんでをり ヲゝ/\神妙の注進大けい/\

わきからさへはがゆきに我にゆだん有物か ぬからぬせうこを

見せ申さんと首にかけたる錦の袋を取出し 是ぞ弁才

 

天せんぞにさづけ給はりし 三つうろこの家のはた先此主に

成からは北條家の大将也 御ぶんは急ぎ此はたを伊豆の御

崎へもり奉り うがの社にこめをき湊のふなばにせきを

すへ とかいのふねをとゞむべし追付跡よりかばん(加番)として さゝ木

の十蔵広綱をつかはさん 我鎌倉を持かため安藤宇

都の宮に閉門させ 天女丸をおしこめえをかん兄きのばう

ずがとがめなば せいひつの世をさはがするむほん人とうつ

 

 

29

たふべし 我願ひかなひなば屋敷などはかるいこと 一ヶ国は

極つて其外の兼国望次第 弁才天も照覧あれ虚

言なしとぞかたりける 経景思ふ図にざんげんし 是殿 とて

ものことに其兄きのぼん殿ぐるめにしてやらふとは思さぬか

ヤレそれを高ふはいはぬこと心に斗持ていよ 向後御意

は一方の大将と頼むからは いせいをつくるほうびとして一

家となつて北條の家の定紋ゆづるぞとひれを付たる

 

うろこがた 北條殿や包丁殿にかゝらん末こそ

〽あやうけれ 去程に 式部の冠者時定は天女丸時宗

むたいにをさへむほん人とがうし松が岡のみろくだうに 取て

をしこめ重代のあかはたをいづのみさきにかくし置 山手

には二重三重のさくをふり 海手にすか所の物見ばん

りやうぜんが崎のふなばにはさのゝ源藤太経景に さゝ木

の十蔵広綱役所をかまへ ひかた遠くさかも木引き渡

 

 

30

海の舟さへ停止あれば 漁村のしづも鰹つり鯛つり

かねてあみの手を よそに見るめをかづきするあまもさか

手を打休み 波の遊興っもとぶ鳥も通ふかたなきよう

がい也 折しもよふけ波しづかにばん所のかゞりしめり行ば

天女丸は漸にかこみをまぬかれ忍び出 うつの宮たゞ一

人かたらひみなとにまぎれつき給ひ サアじぶんはよきぞ友

平 両板書もしづまつてかい上は引しほ也 命かぎりに

 

わたりこし向ふへつきたらば 番のやつ原きりちらしはた

をうばひかへすべし よししそんじてしする友取かへさではいきがひ

なし しぬるに極ていざこいと 飛いらんとし給ふをうつの宮

いだきとめ いかに引しほなればとて思召ても御らんせよ 三

里に余りし海の面(おも) かちわたりの人間わざにかなふべき様候

はず うしほにおぼしき御しがいをざう人原に引さがされ

恥辱といひざん者に利潤付といひ かた/\゛そこつの御ふる

 

 

31

まひ御しあんのいる所と せいすればはがみをなし エゝ口おしゝ

是しきのことをおさめかね 父最明寺殿へ言上しざぜんのさ

またげ御大願をやぶらんは 後代迄のそしりのたね親にはな

れし我ならば めいどへとひにやらるゝかとあざけりはれきぜん

たり エゝつばさもがなひれもがなとへいさに両足ふみこん

で こぶしをにぎりはら/\と無念涙はせきあへず 友まどはせ

る さよちどり おどろくかたの人足や年の頃は十八九 初夜

 

の月さへはやにしひがしさまよふふりにて人々を ちらりと

見付足ばやに逃んとす うつの宮はしりよりむずと

とらへこりや女め 必定此番所へよばれしけいせいじやな

我々こゝに有体をばんの者にしらするふりと見へた 是

からすぐにをのれが宿へかへればよし 番所へなど入ならば

うみへ切てつゝはめん サアどふじやとおどしける アゝつがも

ない なんのそんなわしらであろ 此うらのかづきのあま 此頃御

 

 

32

はつときびしうわかめ一本みる一かぶ 取ことならねば朝

夕のめいわくさ よるはばん衆のすきまもとそつと見にきた

ばつかり ほんに男に手をとられた一ごの始にあたどうよく

な 跡がひり/\ひり/\する あの若衆様やつはりとしめ

なをしてもらひたいと うらのあまさへ当代はたゞは通さぬ

ならはし也 友平是はくつきやうきやつをすかして 海のあさ

せをとはんと思ひ ヲゝゆかせ/\しらなんだ そちにとひたい

 

ことが有 返礼には銭やらふ隙は取まい サアあの濱へちよつと

こいと手をとれば エイ銭取てはまへいく様な者じやござん

せんとてひんとする 若者見かねて是々あま人 我々は念

願有て向ふのみさきへ忍ぶ者 此本望たつすればあまの

かづきもれうせんも前の通にじゆう也 此なだをこす様あら

ばどふぞ指南は成まいか わりないことよとの給へば推量

やしたりけん 何が扨お尋ねといひ世上の為つゝまん様はな

 

 

33

けれ共 むかしより此入海かちわたりはさたにも聞ず 去な

がらいか成ちひろの大かいにも しほがしらしほわかれのぼ

りしほおちしほ かたしほもろしほめをとじほなげ

しほわきしほなんどゝ申 しほあひを見てかづきのあま

の竜宮城へも入なれば かなはぬこと共申がたしあれ/\月

かげの二つにわれて一筋におばなのなびくごとく成 波のわ

かれの末こそはあまの通ひのしほぢなれと ゆびざしして

 

ぞをしへける 若君も友平も今はあん内ござんなれと

すそかゝげてざんぶ/\と入給ふ なふ/\たとへしほ道覚え

てもあまならぬ身であぶないこと けが遊ばすな先あ

とへといへ共みゝに聞入れず 三だん斗は足もたつ 次第/\に波

は高しそこふかし さすがの友平力なく 先々跡へと御手を

とりもとのいそべに打あがり おこしの物んい水いらぬか やれ

先お足をのごふてしんぜてくれ 頼む/\とまくり手には

 

 

34

かまをしぼる斗也 それ/\人のいふこと聞分けなふじやうの

こはいお身のそん 若衆さまのお足のごふにも手拭(ぬぐひ)はなし

私がしほやき衣お慮外と うはがい下がいもみくさにし

て 足のくから足くび迄ムゝ/\やはらかなおはだやな こゝ

はおひざこゝはふともゝ内もゝの 此もゝよならわしや小町

お前は四位の少将で車のしゞにといだき付 若君とび

のき慮外者めと つかに手をかけ給ひしを友平しばし

 

とゞめ参らせ 是女あなたは鎌倉殿の若君 こんどの

さはぎかくれなければしつつらん 汝めが力に海をこへ御はた

をうばひ参らせなば 財宝の願ひは云に及ず たとへ一夜

のお情でもさういあらじと申さるゝ あま嬉しげに打

えみて さこそは見付参らせたり誠にいやしきあまの

子のお情とははゞかり有うろこかたの御紋付の おはだぎ一

重下されば世の思ひ出にはだにつけ 千里万里のあら海

 

 

35

なり共波をくゞり水をわくるもあまのわざ うはひ返して

奉らんと申せば若君うつの宮 それやすいこと是也共と

表紋のからきぬに からぬひしたる柳からひらりとぬい

でたびければ あまはいたゞき打かづきいはさきにかけあがり

みづからは小ぶくろ坂金龍水の池のほとりに 年へて

住もの成がえの嶋のをば君より 給はつたるはだのうぶ

ぎを悪人よりうばゝれ 五たいの力つきはてしに今北條家

 

のいき鱗 九万九千のかざりとなつて神べん神通じざい

をえ せつなが間にかのはたを うばひ取て参らせんと さかまく

波に飛入て わけ行うしほ八重もゝへもゝのこび有かんばせ

おははたひろの金のうろこ月にえいじておよぎ行 弁才

天のけんぞくのはたを守りの神体と思ひ しら波走りしは

ほかけしふねの〽ごとく也 波のをとに目をさまし番所

さはげばあしかりなんと 友平若君身をひそめ磯山かげに

 

 

36

忍ばるゝ 源藤太経景きどをひらかせつゝと出 風もな

きに波の音ちどりかもめのみだるゝは 天女丸が方より水

れんの忍びを大たるにうたがひなし すは/\おきに物こそ見

ゆれせん術まほうの者也共 我音上に及ばんやともと

よりぶゆう第一の かぢ原がせいれい入かはりたる其しるし

きうせんの本意此時とやがて物のぐかためける こゝに

さゝ木広綱は相ばんながら若君に かねて心をよせし故

 

聞ぬかほにてひかへしが 経景がうつ立よしともにふ

せぐふぜいにて しやつさまたげんと高よろこひはなやか

にこそ出立たれ 経景其夜の装束はむくらんぢの

ひたゝれ白かねのすり付小ざね 白いとにてひしとぢし

たるまだらおどしのよろひをき くろぼろの矢の廿四さい

たるえびらかきおひ もと重其の弓持て あま夜といつし

さび月毛のきこふる名馬にのつたりけり さゝ木が出立

 

 

37

物のぐはくれないすそごに所々四つめゆひ すつたるひ

たゝれ卯の花を黄にかへして 袖じるし付たるよろひ筋

きりふにぬりのゝ矢 吹よせ藤の弓持て 長月といふくろ

くりげの馬にぞのつたりける 二人たがひにをとらじと引かけ/\

打たりしが 経景はさゝ木に一たん斗すゝんで海へざつとぞ打

入たり 広綱せんをこされじとこえをかけて経景殿 冬

海はしほはやくはるびがのびて見へそふぞ ふかみになつて

 

くらかやさんしめ給はぬかとよばゝれば 経景さもとやお

もひけん手綱をくらのゆがみにすて左右のあぶみをふみす

かしゆづるをくはへ はるびをといて引しめ/\しむる間に

広綱ずつと乗ぬけて さゝ木が家のこつほう御めん

あれといふまゝに ざんぶと打入半町斗さきにすゝんでおよ

がせける ねつたいさゝ木殿高名せふとてふかくばしし

給ふな 此頃あまのかづきもさへみるめしげつて見へ候 馬のあし

 

 

38

まとはせてあやまちあらんせうしさよ 心へられよとたばかれば

ヲゝ親にて候高綱が つたへしならひあんあると たちをぬいて

みなそこを 切はらひ/\さんづにどうど乗さがり 手綱くり

上こえをかけ馬に力をそへたりけり ふゆもなかばのうらふく

風いそうつ波をまき上て水やそら/\かきくもり 天もこ

ほりてあられちり 雲の足さへはやしほに そこのいはかど

ぎゞとして海上はるかにくはい/\たり 是は一騎当千のたか

 

綱がちやく/\也 かれはぶんふ二道の武者かぢ原がこんはく也

いづれにせうれつあらばこそ広綱すゝめば経景つゞき

経景すゝめば広綱つゞきくつばみをひつそろへ をしな

らべてわたすとすれば切付太腹どう/\/\ 波くらつぼに

打こしてのだめがたにつきながされ 半月に乗所も有

馬の草分けむながひづくし さら/\/\/\さつと乗分けのり

わつて 一もんじに行所も有 高き波には一むちくれて えい

 

 

39

えいごえにをどりこへ ひくき波にはしつとゝあてゝ 手綱を

くつて乗おろしうづまく波の右どもえ 左どもえにくる

/\/\くるり/\のわのりにしほをまきほぐし まきもどし

まきくづしひづめにけたつるしほけふり へだてのきりと立

ふさがうて山さへ見へぬ海のおも ほしをめあてのもろあぶみ

いきもつがせずふみもためず まけじをとらじ我さきにと

おめきさけんでわたしたり 経景馬やをとりけん馬上にや

 

うとかりけん 三だん斗乗をくれあさみに駒をかけ

よせて たゞよふうき木に手をかけて一いきほつとついた

れば さゝ木はおきのながれすにこまをひかへてくらか

さにつゝたちあがり あしう候経景殿おぢもりつなが

ふぢとの一りう うみをばかふぞわたすものおさきへ

参る御めんあれと 手づなかいくり乗出すくがには両家

の郎等くみ子 波うちぎはにおりひたり かたづをのんで

 

 

40

ひかへしはぜんだいみもんといつゝべし かゝる所に式部の冠者

時定 百騎ばかりいんぞつしおめいて来り やあ/\両人天

女丸こそうつの宮をかたらひいづく共なくおちうせたり

かた/\゛かいきほひはいか成故ぞとよばゝつたり 経景馬

上ながら 扨はたゞ今此うみをおよぎこす者候故 両人かく

のごとく追かけ候 うたがひもなく天女丸ぼつつめひつ

さげ参らんと 駒のかしらをたてなをせばやれまて/\年

 

にもたらぬ小でつち きやつらがぶんにておよぎこすこと

思ひもよらず それはひつぢやうすいれんを入れて 其身は

此いそ山にかくれいるに極つたり われ/\山をかり出し

はまばたへ追出さん 両人うみにおり立ていとれや

いとれと下知すれば うけ給はると経景弓と矢

とつてうちつがふ さゝ木もあつとこたへながらあやまつ

ふりにて冠者めが たゞなかを一すぢと思ひこふでぞ

 

 

41

ひかへける 時をうつすなかり出せと うち物ぬきつれたい

まつふり たによみねよと〽かり立る 友平今は是

迄なりはまの手におち給へと しばしさゝゆる其隙に

わあK気味磯辺にはしりつき うしろを見れば時さだ

かた手矢はげて追かくる 今はせんかたあらいそにしづ

まばしづめとざんぶといり わたるともなくゆくとも

なくろくぢにたてるごとくにて 四五町おきにうかみ出

 

足下を見ればふしぎやな あまにあたへしうへのきぬ

なみのうへにへうようして 若君をすくひたてたるは

さながらいかだのごとくなり おきには経景矢じり

をみがきよせばいとめん其いきほひ くがには人じゆ

きつさきそろへかへさばうたんとのゝめきしは くはきやう

におちしざい人のとりつくかづらをこくびやくの ねずみ

きしつて悪りやうしたをふるといふ くかいのたとへにこと

 

 

42

ならずのがれつべうはなかりけり しかつく所に二かい

だう入道 たびしやうぞくにていきをはかりにかけつけ

しばらく/\ことの子細はぞんぜねども 是は大じの御使(つかひ)

わたくしの義にあらずかんくはをとゞめきゝ給へば こんど

それがし大殿の仰をかうふり あふしう高だちに

くだり判官殿の御はかをまつりきよめ おなじくより

ともより御かんだうのみぎやうしよをとり帰り 仰にま

 

かせたゞ今やきすて申からは 御かんだうのつみきえて

よしつねのれいこんまうしうはれ 若君の御身のうへ

ぶうんの御きたうたるべしと みぎやうしよのふうをきり

下人にもたせしせいくはをとつて うちかくればほのほ

えん/\と 天に通じて名将のじゆんいつせいち悦び

給ふ其しるし 白かねのつばさあるしらはとこくうに

まひさがり 天女丸のふところにをさまり 〽入ぞふしぎ

 

 

43

なる 判官のきよめいはれければざん者のいきほひ力

もよはり かぢ原がばうこんみやう/\としてうせてげり

経景心ばうぜんとゆめかうつゝかうつせみの もぬけ

のからのごとくにて手づなとる手も覚えなく ひらくび

にいだきつく馬もあしをたてかねて なみにたゞよひう

きぬしづみぬうたかたの 安房のうらぢにながれ行 冠

者いらつてヤア物々し たとへ生れぬぜん生は判官にも

 

せよべんけいにもせよ げんざいにては我おいなり おぢ

にむかつてぎやくしんかまへ 国をそこなひ家をやぶる

あくたうせいばつなんのはゞかりあらん ふねをうかへくま

手にかけ からめとれとかけまはり どつとあしべにお

りひたる兵術(ひやうじゆつ)ぶさうのよしつねの れいきをかんぜし

天女丸たちまちしぜんのめうをえて なみもうしほ

もことゝせずいはほのけんそにひらりととび 磯の

 

 

44

松がえをどりこへ大ぜいにかけむかひ 天狗にさづかる

ひぎやうのじゆつ鬼一(きいち)がつたへし一くはんの たちかぜさ

はぐとらのまきしゝふんじんこらんにう 前をはらへばう

しろにあり地をなぐればかすみに入 かげろふいなづ

ま水の月さながらひてうの〽ごとくなり さしもの

大ぜい一人にきりたてられ冠者も数ヶ所のいた手を

おひ いのちばかりをのがれんとすいれんはこゝろへたり 海へ

 

どうどとび入て 伊豆のみさきを心ざしぬき手を

きつておよぎける おきのうきすにひかへたるさゝ木の

ひろつな むかふ様にこまのりいれ 天道をまもる

広綱は天女丸のみかたぞや じんじやうにはらを

きり給へさなくばさゝ木が矢さきにかけて 浮世とふ

らはんといひければ冠者大ごえあげてなき出し

それはあんまりむごいしやう いかに水をえたればとて

 

 

45

三里五里はおよがれず 今の間にわにのえじ

きとなる我身 すこしのいのちをたすけてたも さゝ

木殿広綱殿と立およぎしておがみける さゝ木へん

たうにも及ず中ざし取てからりとつがひ ひやうど

きつてはなる矢にきものたばねをいとおされ まつ

かいさまにはねかへしそこのみくづとしづむを見て 残る

ぐん兵うらくづれして皆ちり/\゛に逃(にげ)ちりける 時に

 

かい上さゞ波立ッて月せい/\たるなみまより 紫(し)

金色(こんじき)のみゝある蛇(じや)うしほをまきくる其をと

は わごんのしらべのごろくにて 磯辺の松によぢ

のぼり/\こずえをくはへ尾をたれて うるこの

くぬをはら/\/\はらひのこすや〽三枚は家の

もんつくはたの手の やう/\とかゝらせ給ひけり

わかぎみ三はいくきやうして いたゞきをき

 

 

46

めかへるさの みちのようじん佐々木は馬上に

さきをうてば あとをおさへて宇都のみや君

はうぐはんのさいたんなれば 二かいだうはべんけいと

敵のすてたるやりなぎなた つくぼうさすまた

くま手をつとりうちかたげ 夜はしら/\と七つ

だうぐあけ六つ 五つ五代の北條家 四つ世

の中三つうろこ尾ひれを つけてぞかたりける