仮想空間

趣味の変体仮名

加賀国篠原合戦 第二

読んだ本 http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=0084-000907

 

26

  第二

浮き沈む憂(うき)を浮世の浪風や 人の心のあら海を渡りくらべてかへり

みる 身の信楽の片邊(ほとり)に稲津の刑部俊治(としはる)と云者あり 元来源

氏の被官なりしが浪人の身の上に 重なり不孝と着しに別れひとりの

孫を守りそだつる 心はたけき弓馬の言え 木曽義仲に心をはこび加

勢をあつむる忍びの忠義 東山道(とうせんだう)の往来を隣あるきと足軽く わ

ざと夜道をふみわくる 草津に露のたまがしは 石部を右に信夫(しのぶ)がは

 

並木の堤にさしかゝる 二かい余りの榎木の陰より 雲つく男の唐犬

びたひ俊治が行道の 十間斗向ふのかた立はたかつてしはぶけば あひ

図とおぼしく後のかた又しはぶいてぬつと立つ しててんあたまのさほ

竹男 引ずるごときに大わき指し さながら山だち辻ぎりと看板うた

ぬ斗なり 俊治もとより不敵の老人 それぞと見るより心得て ヤア

そち達は新米の追はぎか 目利きがちがふた 用心のわるい道と知て今時(じ)

分に通る者 びたひらなる懐中でぬ よし又持合が有とて わいら酒

 

 

27

手とらるゝやうな男ではない のいて通せとせんかけられて二人の盗(すり) きよつ

とせしがおくせぬ顔 此海道の夜ばたらきこちとらが見こんでからは すでの

孫左ではいなさぬはい ない酒手をとろふとはいはぬ 其腰にさいた犬おどし

身にひつぱつた目ぬぐひも おびもといてぬいてゆけ そふなけりや一寸

もさきへはやらぬと立ふさがる 跡へはおれがもどさぬと 中にはさんでうで

ひんまくり 鍔をならしてゆするにぞ はて扨いはれぬきもせい あだ骨

の笑止さよと前につゝはるどろぼが かた先ひつつかんでつきのくる ヤアこ

 

いつ手間くらひばらさずばなるまいと 脇指ぬかんとする腕先 かい

つかんでぬかしもやらず二三間なけ付くる 跡なる男が心へてせなかを

ちやうど切付れば 横飛ひらりとはづし脚(すね)をかいてもんどり打せ

ば 堤のはらへこけ落しが双方一度におき上り はがではやらじとむしや

ぶりつく ヤアしやうもこりもないやつと ふりはなしふみたをし さゝんと

すればふみ付け/\ 二人が腰ぼね生海鼠(なまこ)のごとく 藁にも縄にもかゝら

ばこそ 命から/\゛逃帰る エゝ埒もないやつらに出合て 半道のうへも

 

 

28

ちがふたと つぶやき/\行足もと蹴あてしはなんじやなあ 腰の廻りが我

懐なにおとした物もないが 扨は今のすりめらがと取上てすかし見れば

嶋のさいふの重さもしつとり 石を入たかごろたを入たか よもや金

では有まいと 明けて見ればやつはり金じや しかも小判四五十両

エゝ聞へた 今のやつらが年々の取溜 くびにかけておつたで有ふが 余り

手ひどふ投られうろたへ廻つて逃げ様に 落してうでたにちがひは

ない 非道の金を取てもゆかれず 呼かへしてこまさふにも 名を知ねば

 

あてどもなし 捨置て他の者の手に入れろも故ないこと ハアどふせふなと

とつ置いつ思案をせしがハアはつと心付き 大望を思ひ立給ふ我御主

人に此かねを さし上て忠義にせよと 天道のあたふる所有がたし/\と おし

いたゞいて懐中し 身の武運のひらき口と心もいそ/\いそぎしが

是はしたり又時雨が 一通りでやむではあろが幸いの雨やどり 松かげで一

ふくせふと木の根に腰をかけて しばらく息を続(つぎ)ぎせる ほくちに

燃る石の火の光りはかなき浮世とは 後にぞ思ひ合すらん あたりにし

 

 

29

げる篠原より がつさ/\とくる足音 人か犬か狼かと心を付るはなの先

十ふくつぎの大火ざら ちよつとこゝへすひ付けさしてくだはれと もらひかけ

る非人のどす声 やるはやるがそまつにすな 跡をよふふみけせとすひ

がらあくれば吸付けて 面桶(めんつ)のそこをはひ吹きに すつは/\はすつはの目付き

俊治をじろ/\守り コレさつきにからかこふていかに きり/\やつてくた

はれませ 夜は長けれど明けるに間がない はやふやつてくだはれませいの

イヤサくれいとゆつたによつてたばこの火はやつたが 其外に何をくれい イヤ

 

つき上りなやつが有るとしかり付れば 其かねをくだはれのふ其かねを

金くれいとはなんのこと あれば我仕合じゃがとたばこ入の底打さがし

仕合とあつたはと鳥目(てうもく)四五銭なげだせば お侍とぼけまいて よふお

もふても見たがよい 銭なら一もんか二文もらおとて ねぬくもつた筵(むしろ)の

しとね なんの因果におきよぞいの 其懐な財布の小判それがほしさ

におきてきた そこへ出して置ていきやと のぶとふかゝればあざ笑ひ ムゝ扨は

最前からの様子を見たな ねがひらひ(拾い)物と高くゝり 手づよふ出てうぬは

 

 

30

ゆするな 様子によつて少々はこますまい物でもなけれど ぬかしやうが

存外な 身の程をしらぬ無財餓鬼 つちをくらひ泥おくらふもくほう

づれにも蚓(みゝづ)にもおとつたるざまをして のび過たおとぼねぶちはなすやつ

なれど 刀の穢れ命はこますと しかり付けて立て行 おまちやれ侍 命助

けてほしうない 其かねをしてやるか 此首をとられるか かた付ねばい

かな/\一足も動さぬ と筵ぬぎすて腕まくり はち巻の手ぬぐひも

破れかぶれと見へにける 俊治ももてあつかひ しばしあぐみていたりしが 詞

 

をからめ 是さ非人そちと我と今こゝでぶちあふても益ないこと 所

詮此かねを半分わけ 此料簡はいかゞ思ふと 談合すれば打うなづき

とうふからそふ出たがよいはいの どれ半分おこさつしやれと いふまとく

/\財布の紐 おし明けて金取わけ 是でよいかと投げ出せば はてめつ

ほうな此くらいに まきちらかすは何ごとゝ さぐり尋る後よりするりと

抜てきりかけ 心得たりと飛かはす のがしはやらじと切なぐる 刀をはづ

みに踏落せば さし添に手をかくる 俊治が運命の柄袋に手も

 

 

31

すべり 思はぬたるみを付入る非人 おちたる刀ひろひ上かた先ずつはときり

さぐれば わざ物にや有たりけん只一刀にうんと斗 此世の息はたへ果つる

あはれはかあんきさいごなり しすましたりと打うなづき 財布をうばひ

逸参にかけ出しが ヤア誠にまきちらしたる以前のこ盤 すでのことに

忘りよとしたと さぐりありく堤の上 榎木のえだにもれ出る 廿三夜の

まよなる月 はつと光るは乱(みだ)けし小判 こゝに一両前にも三両 かしこに五

両 忝いとひろひあつめてつゞれの袖に 黄金(こがね)をつゝむも定めなき世の

 

有様は時雨の空 又かきくもる月のかげ ばら/\とふりくる雨ぬれじと

走り行く足に 笠迄あたる此仕合とつてかづいて隠れ笠 身のおさま

りは宝の槌うち出の 濱へと〽いそぎけり 布をかやらばヨウヤ/\ヨ近

江でかやれ さとの小娘がころびあふて ころび/\ころびかゝるトヨエ あ

たのうき名をさらし臼 筑摩祭(つくままつり)の鍋ならでかづくたらひの底意なき

曝し上手の名物娘 男えらみのべたつきなく しよりゝとしたる生れ付

 

 

32

だての口べに赤前だれ 紅(もみ)の鼻緒のぬり木履(ぼくり) かほも手足も白

妙の姿は是なん都鳥 手おりの布に手もたゆく 曝しの雪をやちらす

らん 志賀の山路の春ならば花のふゞきと人や見ん こゝはところも

野洲(やす)のかは 賤(しづ)が手わざのやさしさよ あふみの国の住人高橋判官

長綱が家来共 主人の外行を迎ひの馬ぶんに過たる鞍鐙(くらあぶみ) おのか

領地といかづげに田畑の容赦もあらしこ共 馬のすねやら髭脚(すね)

やら道をけたてゝ岸陰に 息を休むる其折から 木曽冠者義仲は

 

山吹姫を信濃に送り 其身は都へ引かへす心はきさんじ野洲の里

かはべづたひに来りしが件の馬をちらと見て 天晴名馬や俊足やそ

も何者の乗がへぞと 思へばそゞろにうら山しくしばし見とれて柳かげ

心をつながれ立とまる 馬取り頭(かしら)とおぼしきがなんと思ふ皆の者 まだ

お迎ひの時刻にはふた時もはやかるべい 願ふてもないよい次手 此かはへ

お馬を追こみ足ひやさせてゆこではないか 誠に是はよいことゆつた

鞍もはづし泥障(あをり)もとつて手ばしかく あらつてしまへと手々(てんで)に用意を

 

 

33

かは下に 気の毒がる娘共 アゝ是々奴(やっこ)衆 大事の布をさらしている かは上へ

廻つて馬の足をあらふとは あんまりな無遠慮 非杯で叶はぬことなら

下の方へ廻つてもらを 仕ごとのじやまして下さんなといふを聞てなんと

いふ 此お馬をあらへばおのれらが 曝しのじやまに成るはめろう共 これを

どなたのお馬と思ふ 此所の殿様高橋様のお乗がへ 知行所のかはなれ

ば馬だらひになされふ共 居(すへ)風呂になされふ共何をほざくことが有る

水が濁つて曝しがならずば さらしておらぬがよいはい あごの過たひきさかれと

 

しかりちらせば待て/\関内(せきない) 其やうにしからず共あいらがなんぎする

ことなら 談合ずくにしたがよい 成程そち達がいふ通り 馬の四下(すそ)は

やめてやろが 其かはりにはだいてねて わいらが四下をしてこます 其

時じやらをふむなよとなぶれば是はよかんべい とりや面白いと口々に

サア女子共返事はどふじや なんと/\と細目する 娘共打笑ひさつ

てもふとい奴(やっこ)共 昼休みがてらになぶつて遊ぼじや有まいかと めま

ぜうなづきさゝやきあひ 忝い御料簡なんのいなと申ませふ いかにも

 

 

34

だかれてねませふが こつちは五人そつちは四人 ひとりでも手明きがあれば

かたみうらみが気の毒な アゝしんきやとつむぐにぞ ほんにひとり手明が

あるのムウよい/\ 四人の内から達者な者がふた役勤むるぶんのこと こん

なことに隙(ひま)どればえてはじやまが入りたがる 善は急げじや何かなし目に

入たのをより取りと のばす鼻毛に主人の馬つないだやらつながぬやら 色

に忘れる下郎のならひ 気を関内が一番手丸顔殿に致さふと ずつと

よつてだき付く手さき おかねにしつかとしめ付られ あいたタゝゝゝゝこりや

 

きびしい手の握りやう 情過て嬉しがなしい 脉(みやく)所がひしげるとつら

しかむればつきはなし さつてもこらへぜうのない男 こちらはいやぞと

はなあかされ すつこめば入かはり おらはずんど心中者 そ様のお手に

かゝつてなら寒の中でも水びたし 曝しになつてもいとはぬとしなだれよるを

そつ首とらへ 曝しの曲より今はやる独楽廻しとふり廻せば くる/\くる/\

こりや目がまふ 此やうにまふからはとうふの上でもまひかねまいと 茶

筅のあはれなへらず口奴ふつてぞしり込す 残りの馬取奴方より一度に

 

 

35

よつておかねが腰 命取りめとだきしむれば ヲゝ望なら命もとろ初(しよ)

対面からなめ過たと かひな車に打かへせば右もころち左もころり

くゝり合せた二百の新銭人にすぐれて背も長く つらをあかめてみ

だけちる 義仲は只一途馬に見とれておはせしが たわけをつくす口取りめが

すきまを考へばひとらんと 心をつくしぬき足して眠(いねむ)る馬の後に廻り 菅

笠持てばた/\/\けはしくも打立れば 此音に驚きて身ぶるひして

馬いなゝき逸参にかけ出す 馬取共はうろたへ眼やれお馬が欠出すは

 

とめよ/\とさはぎ立 おかねを始め娘共 怪我が有てはいかゞぞと かし

この庵に立忍ぶ 馬は猶もはね上りおどり上る堤のはら 口綱かけに取付かんと

かけよればふみ飛し あたりを蹴立てかけ出す四足にはおひつかれず あれよ

/\といふ声斗雲を霞におふて行 しすましたりと木曽義仲 なん

条手ごはき逸物なり共いだきとめて乗りしづめ 我乗りがへにせん物をと

ともにしたひて〽走り行 おかねははるかに道を見やり 扨もこきみ

のよいことや 殿様風を吹かして女子の仕ごろにじやま入れる さらしのばちははぢ

 

 

36

さらし主の馬を取逃し うろたへるよいなりのとひとり悦ぶ向ふより ひつ

かへしかけつてくる馬の蹄の砂煙 まつくろにふみ立/\おかねが目の前

かけ通り 跡に引ずる口取なは思はずふみ付ける 足はなまめくぬり

ぼくりさしものあら馬ふみ留められ 欠出さんとあがけ共木履のはさ

きは百人力 たけりいなゝき騣(たてがみ)ふり石共ならん馬の汗 白あはかんで行き

なづむ おかねもさすがにきよつとして 初めてしつたる我大力 我もお

どろく斗なり 義仲もひつかへしさくりをしるしにはせ付きしが 始終を見る

 

よりよこ手をうち ハゝアあればある物あつはれ大力 女のよれる髪す

ぢに大象(だいざう)も能(よく)つなぐと 威徳陀羅尼に説かれしは色に引るゝ人心

と 世をいましめの仏の金言それは方ベん是は現在 ちからに任せて

とゞむる馬 古今にまれなる希代の女武士たる者のめとらんには 彼

に過たることあらじ ことに器量も六人なみと思へばしきりに恋の重

荷 馬もほしし きゃつもほしし アゝどふいふてたよろふぞとしあん取々

おもひ付き 女房と馬とを一くちに褒め詞でしびいて見んと 出ほうだい

 

 

37

にぞほめたりける あつはれお馬候や おつさま向ふよこはたばりそれ

はともあれ当世がほ 髪のはへぎはひたひのかゝり 目もとに鈴を春

の風こぼれかゝりし梅のえくぼや桜のはなすぢ つぼ/\ぐちのつぼ

すみれ 大坪流の馬上の大事 こしのすはりが肝心かんもんじつとしめ

たきやなぎこし 手綱よりなをかゝへおび まきはいづれのまき成ぞや

水野のまきか鳥飼か かんの李夫人王昭君 楊貴妃もはだし馬

かゝる名馬も有物かあはれ一期の思ひ出に一馬場乗りたい御かほ

 

ばせ ちよい/\見ごとゝ褒めるにぞ おかねもにつこと打笑ひ どなた様かは

存ぜぬが 聞きことな褒詞 しいといひたいがめつたにお礼も申されぬ

馬のことやらわしが身やら あやちが立ぬともたせぶり 義仲ぬれにも

名大将 べつたりじかけはむかぬ風(ふう)と 馬引出しくつわづら しつかととらへ

てヤイ馬よ いつそ我蹄にかけおれをとんと踏ころせ 長ふはいはぬと

一口商ひ 売り詞に買い詞おかねもくつわにしつかとすがり ヤイ馬よ よふ

聞けよ 男馬のくせとしてあの馬にも此馬にもちよこ/\と乗かへる 飛乗りならば

 

 

38

わしやいやじや 此世はおろか二世迄も通し馬なら談合せふ さいでは/\ 二世

はおろか三世相 相性も見て置た 人くひ馬にも相口とずんど中がよいげな

狐馬に乗せたやうなきよろ/\したことではないぞへ ムウしらぬ 百貫の馬

にもたりが有ると 見かけとはえて違ふ通し馬が定(ぢやう)ならば せい文で聞きたい

な 何が扨/\ 通し馬のせうこには三宝荒神(さんぼうくはうじん)二宝荒神 馬頭観音も照

覧あれ 違ひはないとせい文だて ほんにそれは定かいな 是此刀が目に見へぬ

か武士がなんのそらぜい文 ほんにそふじや忝いと しつかとだき付く袖と袖

 

二世とおかねが妻定め 仲人は宵の程なれや まち/\したるうまのつら長

きふしの初め也 わらやのおくよりいもとせのことぶき悦ふ老女の声 大君

きませ聟にせん三国一と謡(うたひ)つれ 三方土器(かはらけ)のしこんぶ敬ひ捧ぐる目八分 長

柄のてうし押(おさへ)のだい皆それ/\に賤のめが 前たれ姿の待ち女郎かいぞへの役

加への役 中にも老女は手をつかへ 賤しいばゝがそだて上げしおかねふぜいを勿体

なや 木曽冠者義仲様の二世迄もかはるなと 冥加ないお詞を あれにて聞き

たる有がたさ 廻らぬ舌にくど/\とお礼申も恐れ有 此上ながら年老(おひ)たる

 

 

39

母が心も娘か気も あんどの為のお卮願ひ上ると敬ふにぞ 何人と思ひし

に扨はおかねの老母よな 仰の通りふとしたえん互に思ひあふとも かりそめ

ならぬ契りなれば 望に任せ卮せん去ながら 心へぬは其が名乗らぬさき 木曽の

冠者義仲と面体をしられたる いぶかしさよとの給へば 知らいてなんと致しま

しよ お前を育て参らせし 権頭兼遠に契りをこめし隠し妻 中に設けし

此娘 兼遠の一字を取りおかねと名付けそだてしが 子細有て兼遠とは遁れぬ

義理にあふぎの別れ 此在所に隠れ住ば御存じはない筈と かたれば扨は重なる

 

縁 一方ならぬいもせの契り かたむる印の三々九度 それ/\の詞の下長柄を

指ておくめが役 加へにおたつが式作法常と違ふて姫ごぜから 呑でさすが

の義仲も恥らふけしきに土器を 取々はやす祝ひの詞母がめでたふ納る

手に 寿福をいだく千秋楽互の心汲かはし 悦ぶ老のほや/\きげん是といふも

此母が 常々たつとむ神の利生義仲様も拝(はい)遊ばせと 後の障子おし明くれば

朱(あけ)の玉がき神々しくかたそぎ作りの小社(ほこら)を建て いとも殊勝に注連(みしめ)なは いか成

神の勧請ぞや聞かもほしと仰けり さん候此母が娘の行末安穏に 守

 

 

40

らせ給へと願ひをかける鞭崎(むちざき)の八幡宮 程近しとは云ながら老のあゆみのまゝ

ならねば 我が屋の内に勧請申明けくれ祈りしかひ有て けふといふけふ殿

様に一人の娘をつかへさせ 我が身もお目見へ致すこと 偏に此御神の御利生

ぞやとぬかづけば おかねは殊更有がたき神のあたへのおとこ山 高きみかげも

よそならずあらたうとやと伏し拝む 義仲大きに悦び給ひ 時節と云い折と云

八幡宮の御社思はず拝奉るも 偏に大願成就のしるし 一通の願書をかいて

宝前に納奉らん 御老母いかにとの給へば 天晴源氏の御大将 八幡宮

 

きこしめし願書とのお志 御尤のおことやな 近頃出すぎたことなれど 此筆

とりは此母がお願ひ申老の望 つたなき文も廻らぬ筆も心さへ誠な

れば納受あるは神の教(のり) わらはに仰付られよとくどき願へばいかにも/\ 兼

て権神兼遠は 文筆に達したる女房をぐせられしと 聞及びしはそなた

よの よきにはからひ給はれと御頼みの一ごんに たそ紙硯の用意あれとおかねが

さし図おしとゞめ イヤ/\紙も硯もいらぬ 此ばゞがお願ひ申て認(したゝめ)る願書

の硯はさいぜん納めた此盃 又紙のかはりには母が年頃手おりのさらし 八つの旗に

 

 

41

かたどりて拵へ置しと神前より 取出してかしこに立て筆も墨も是に

ありと 懐の守り刀左の手に抜きもつて 右の小指をてうどきれば 義仲も

御驚きありあふ女中立さはぐ おかねははつとそばにより是はまあなんとし

て ひよんなこと遊ばしたお年寄りのあられぬこと お目がまふたら何とせふ

薬よ気つけと気をもめばイヤ/\ 心に合点して切はなした指なれば

目も廻ずさのみもいたまず 気遣ばしし給ふなと切たる指に土器

さし当て 血をよゝとしぼり込 やうすいはねばふしんにあろ 義仲様も

 

聞てたべ もと此母は加賀の生れ 父の名は倉光次郎成澄とて

累代源氏の侍なれ共 女の身の定めなさ平家につかへおはし

ます 兼遠殿になれなじみ此おかねをまふけしに 兼遠殿は情の

武士娘をそへてえんをきり いとまをたびし其心は 次第に傾く平

家の運猶行末を思ひやり 不便に思ふ娘のおかね 源氏の武士に

そはせふ為 あかれぬ中をのきざりして 此年月をくらせしが神の恵

のかご有て 今日のたゞ今源氏の大将義仲様をむこにとれば 兼

 

 

42

遠殿もさぞ悦び 母が身のうれしさはひえの山より猶高く みづうみ

よりも猶ふかし され共夫は平家の武士のきさりはしたれ共 心に

あかれぬ互の契りからだは夫に任せしからだ 義仲に味方はせじと

天罰の起請文 かゝれたる兼遠殿に縁をむすんだ此母が 源氏がたに

参つては女の道の義理立たず いつ迄もからだは平家又血を分けてもらひ

たる 父は源氏の武士なれば此血は直ぐに源氏の血筋 義仲様の御用に

立てなき父が忠の道 立るもおかねが行末を 御見捨ばし下さるなとお頼み

 

申寸志ぞやと 一つのからだを源平につかへる心の云ほどき 女子の道を

たて板に水をながする弁舌は 疵いたみせぬ年寄也 おかねは父の心

根と母のいたはりあさからぬ じひを思へば勿体なく 親の心にくをかける

わたしがとかく不孝者と 歎けばするどき義仲も目を打たゝきおはします

母は態と高笑ひ是程めでたいことはないに ムゝ聞へた嬉しなきか 其はづでおじやらし

ますと 娘が歎きに目もやらずつゝ立上つて立て置きたる 旗に小指を差し付け

て 人の誠をしぼり出す血には穢も恐れもなき 神は元より大武神などか

 

 

43

納受なからんやと つゝしんでこそ認めけれ 帰命頂礼(きめいてうらい)八幡大ぼさつは 日域朝(にちいきてう)

廷の本主 累世明君(るいせいめいくん)の農祖(のうそ)たり こゝに頻りの年より以来(このかた) 平相国(へいしやうこく)と

いふ者あつて 四海を掌(たなごゝろ)にし 万民を悩乱せしむ是仏法のあた 王法

のかたきなり なふ娘 年よつては目もかすみ手も震ひ 文字のはこ

びもさだまらねば 釘のおれを見るやうでさぞ見ふるしいでお

じやろふなふ えい/\おわかい時分から しこまれた御手跡あつは

れ見ごとでござんする 其やうにほめてくださるほど猶はづかしい

 

  木曽願書

そも/\曽祖父さきの陸奥守名を 宗廟の氏族に

帰附(きふ)す 義仲いやしくも其後胤として此大功をおこす者也

かつことを極めつゝ仇を四方にしりぞけ給はゞ 社頭造営申

へし 先五十余町に地をひらかせ 宮殿楼閣あざやかに

瑪瑙のうつばり玻璃(はり)のはしら 瑠璃のかうらん硨磲(しゃこ)の

擬宝珠 玉のれんだい錦のみちやう 壁には七宝 池には

 

 

44

玉の橋をはけ 柵(い)がきはかうえうらんけいし廻廊 拝殿しき

のもん金剛さつたを移すべし とうりやうのむねをうきやかに 無

量の桜珞(おうらく)結びさげ 華鬘(けまん)のはたは雲をわけ 常楽我浄の

風ふかば むねの蓮(はちす)空にひらき 蘭奢の香(にほ)ひ四方にみち無明の

眠り覚めぬべし 香の煙諸経の声 二六時中にたへまなく 綾のへいはく

白銀(しろかね)の獅子(しゝ)狛(こまいぬ) きざはしは唐木を以て作らすべし 軽薄

堂いかにも高く 空の上に光りをはなつて作らせ 四季のさいれい

 

おこたらず さんご琥珀いらかをのべ九品のとりい石の塔こんがう

かいの曼荼羅 胎蔵界のまんだら 鎧はらまき太刀かたな

唐土てんぢく我朝 二国のたからの数宝殿におさむべしそも/\

神と申はしんぞくたるを姿とし 正直たるを心とす 和光同塵

くもりなく はやく素懐をとげしめ給へ 南無帰命稽首敬白 寿

永元年霜月下旬 木曽冠者義仲と 八つのはたにかきしるせば文

と云い筆と云 天晴きたいの老女やとしばし かんじておはします

 

 

45

高橋が郎抔犬上(いぬがみ)源五馬取しらせに任せ ひさうの馬をばひ取たるさらし女めから

めとれと 若党足軽数十人ばら/\と込入て やらぬ/\とひしめいたり おかねはちつ共おど

ろかず ヤアこと/\しい鯲(どぢやう)めら 髭くひそらして女に向ひ やらぬ遁さぬとはしやお

かしい 大事のお客におもてなし吸物のおどり子汁 みな殺しにしてやらふと裾はぎ高

くかゝへ帯 引しめ/\身がまへする 源五はいらつてのぶといめらうめ 一どによつてぶちす

えいと 詞の下より足がる共じつていふり上むら/\と一どきによるをこと共せずかいくゞつてはつ

かんで投げ けたふしけとばしよせ付けねば 源五もこたへずかけよつてむんずとだくを小

 

腕にかい込 からみ付ればはたらかれずかれ/\と泣わめく 若党二人こは/\゛ながら

後や前に取付所 ひつつかんでひとつによせ 天窓と天窓かつち/\ 三つの髻(たぶさ)を

ひとつに握り エイやつとふり切れば 首筋元よりふつつとちぎれ胴はかなたに飛ちれば 三つ

の首は手に残るおかねが力ぞ類なき 残りたる足軽共此体を見てこはや/\

胴が有ての侍達女房子を養ふ首 ふり切れてはまあならぬ逃よ/\と逃ちつ

たり 義仲ほとんど悦び給ひ ヲゝいさぎよきおかねが手がら 三つの首を取たるしるし

今より巴と名を改め 直にいさなひ北国の軍場(いくさば)へ召つれん 一時も急ぐべしとい

 

 

46

ぜんのあら馬引ほせて ゆらりと召ば巴もすゝみ はや御立と引立れば ヤレ待て母が

はつたりと 忘れたることの有しばしの内とお馬をとゞめ もしも平家のかたよりも討手

のぐん兵さし向かはゞ 僅かに取ても七万騎 源氏は小ぜいいかなる共三万騎には有べからず

僅かの勢にて平家の多せいを おびやかさん謀(はかりごと) 黒坂と云所に白籏いくらも立

置かば 平家方にはたせいと心へ取込られては叶ふまじと 礪波(となみ)山にぞおりいんずらん

其時しばらくあひしらひ 昼の軍によはけを見せ退きがほにもてなして 日をくらし夜

に入ばからめてより廻り合い 箙(えびら)のほうだて打たゝきときをどつと作るならば 思ひがけな

 

き平家のせい驚きさはぐはあんの内 其時にみかたの勢追手に向ひからめての ときの

声に合せの螺(ほら)鐘(かね)太こを打ならば くらさはくらしぜんごは敵あん内覚ぬくりからだに

若し一騎にても落行ば道有ると心へて 親も落ば子も落ん兄が落せば弟もおとし

主落れば家の子郎等続て落んは疑ひなし 馬には人 人には馬落重なり/\ さばかり

深きくりから谷を七万余騎にて押埋め みかたの勝利疑ひなし 必ず忘れ給ふなよ

拙き祖母(ばゝ)が差図なれ共 稚き時より聞置きし父がぐん法計略を 見るを見まね

に詞の土産(いへづと)申上れば此外に 用もなしなごりもなし 巴も心おくれるな母は平家

 

 

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娘は源氏 なんにもいはぬと一ごんに万事をこめたる親の思ひ 涙くろめてにこ/\

笑ひ 娘も母のいさみに恥 別れの歎きをえがほにかくし いざ御立と駒の鼻すゝ

め立れば木曽殿も 馬上ながら一礼あり げに頼もしき老母の家づと 干将(かんせう)

莫邪(ばくや)が眉間尺に劔をあたへし慈愛の恵みも 外ならずよそならず 今

身の上に三つ巴 義仲が閨の友 戦場の友冥途の友得たりや幸い

此神の 御名を聞くも有がたき八幡宮の鞭ざきに 駒も勇みて雪国や 信濃

さして打たつる 籏は白妙(しろたへ)曝し布 げに一疋なる母娘と末世の 筆にも伝へける