仮想空間

趣味の変体仮名

加賀国篠原合戦 第三

読んだ本 http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=0084-000907

 

47(左頁)

   第三

民に臨むこと凛乎として 朽ちたる索(なは)を以て六馬(りくば)を馭(ぎょ)するごとしとかや

西八条の侍大将越中次郎兵衛盛続(もりつぐ) 御領を預る代官職江州大津の所

司として 民の訴へ公事(くじ)裁判いとまなき身も朝ごとに 都へ出仕の帰りがけ駕(のりもの)

土圭(どけい)の刻限も 五つと四つの追分や八町の職人共 そりや殿様のお帰りと 遠

目に見付る針屋のてい主 えやの親父が地に付ける 天窓の皿や絵具皿筆を捨てて

ぞ敬ひいる 関の清水の片陰より出仕の帰り待顔に 立出る二人づれ 先にたて

 

 

48

たる幼子のめもとくり/\ 栗梅の袴のきこなし二腰を さすがと見ゆる生れだち跡に付

たる後家親の 女房盛を男わげ すんと木櫛に色すてゝ 取繕はぬなりふりに人を

恥らふ気色もなく お駕(のりもの)へ御訴訟と 懐中の一通を差出せば 手ふり共口々に辻

訴訟は御法度 願ひあらばやしきへこられ お供先へそこつの女中ちいさいのを連て立れ

と さすがあらぎに得いはぬも武士と見らるゝ徳なれや 女はしつと両手をつき 私

は此お国の傍らに住む浪人の妻(つま)子 殿様へお願ひ申格式作法も弁ぬ 無調法は女童(わらべ)

御免なされて下さりませ 憚りながらどなた成り共お取次をと頼め共 イヤサ途中では

 

叶はぬことのきやれ/\とけんい声 押かへして申上るも近頃慮外なことなれどゝ くど/\

云て立さらねば駕にひつそふたる草履取の甚五平生れ付きたる逸哲者 ヤア

聞き分けのない女が有る のきやれといはゞあつといふて 重ねての御用目に玄関迄きたが

よいと しかり/\見合す顔ヤアお前はとつ様か わりや娘かといはんとせいがちやくととゞ

め こな女中何を云 終に見たこともない人が此奴めをとらまへてとつ様とは何ごとエゝ聞へ

た気違ひだな まだ若さふなが不便なこと はてせうしやとそしらぬふり 女は誤りふ

ぜいにてお気に背いたわたしなれば 気違いとおつしやるも御無理とは思はねど とつ様にも

 

 

49

紛れはなし娘にもちがひのない せうこは互に忘れぬ顔 お前のお手をはなれたも きのふ

けふのやうなれど 此子が丁ど十二になればかぞへねど十二年 お腹立は有にもせよたつ

た一言久しいなと おつしやるが親のじひおつむりも薄ふなり お顔の艶もぬけた

れど昔にかはらぬ我(が)つよいお気 是わたしに物がいひともなくば此子にせめて祖父(ぢい)孫

のなのりをして下さんせと泣わぶれ共きよろりくはん 子心にもふしん顔 おりやすつ

きり合点がいかぬ わしが祖父様が定ならばこなたの為にはとつ様 懇ろに物いはしやる筈

人ちがひでござろぞや 何を云こゝな者 たとへ百年あはねばとて見忘れてよいものか

 

いや/\そふかたいぢにいはしやるな 常々の咄しとはちがふた 祖父様はお侍 れつきとした

お方じやといはしやつたは皆嘘か 草履取のやつこらさを祖父様にすることは いや

でござるかゝ様と遠慮もなげに云放す ヲゝそふいやるも道理/\ 思ひもよら

ぬとつ様のなり形 此かゝも肝がつぶれた 何故に其お姿と子細を聞こにも尋ふに

も 取て付かれぬお腹立 かゝが身の誤りを 祖父様にわびしてたもとかこつを打けす

甚五平 ヤアかしましい気違のよまいごと お供先で見ぐるしいかまはずとお駕やつ

た/\とふり捨行く父にすがるて是申 余りむごいもぎとふなと 歎くもいとはずふり

 

 

50

はなしつき飛してもしがみ付く イヤ放さぬか 放しませぬもちつと待て下され

サテくたびれためろうが有るともてあつかふてせり合たり 主人越中の盛続駕(のりもの)

より立出給ひ 両人共にしづまれよと詞をかくればつき/\゛が 御意が有/\とせい

する声に甚五平 二人の者も驚きてはつとしさつて畏まる 盛続女に差し向ひ

何かはしらず其に願ふべきこと有とな 最前にけらい共は申通り途中の訴訟は

聞届けぬ ことの勝手をしらぬ上は其方がそこつもなし やしきへ参つて願ひの品書き

付けを以て言上よ 御政道を以て善悪のさたに及ばん ヤイ甚五平 両人の女子

 

共其方に云付ん随分といたはつて 役所迄伴へ不便をかけてとらせい 参れ/\と

温和なる詞にはあつと随ふけらい 甚五平も御主人のこもる情にみやうが涙 殿様の

お詞有がたふ思ひませ 両人共に見に付いて来たれ/\とふつて行 姿は昔にかへ草履

杖のふしぎに廻りあふ 親のあないにさそはれて打つれ 帰る〽さゞ路や 志賀の

郡(こほり)の訴目屋形 越中次郎兵衛盛続は女世伜が願ひの趣 聞届けえさすべしと

決断所に出らるゝ 近習の用人共お召成るぞ訴訟人 出ませ/\と呼伝ふ 声に

随ひ親子づれおめずおくせず縁がわの はるかそなたにひざまづく ちいさけれども

 

 

51

武士の種 こつがらと云行儀と云 後家育ちとは見へざりき 披露の役人杉本

軍次(ぐんじ) 願ひの趣き認めし一通是へ/\と声掛る 女につこと会釈して恐れ多きことな

がら 我々が訴訟の品人に深く隠すこと 認め参りし一通を 殿様の直に御覧な

されて下されなば 有がたふ存じませふと思ひこふで願ふにぞ 軍次を始め用人

共ヤア慮外千万 定め置るゝ決断日に罷出よと御意有か 又は取次を以て

御聞届け有とてもぜひなきはお上の御威光 然れ共御じひを以て格外の判

断 お白砂へも召されず世伜が刀にめんじられ 御そば近く召出さるを有がたい

 

とは存じもせで 直々の御披見とはあまへ過た好みごと 上を恐れぬ緩怠(くはんたい)者す

され/\としからるゝ 盛続せいしてアゝさないひそ旁(かた/\) 他聞を憚る密事と

あれば直の披見と願ふは断(ことはり) 其一通こなたへとけんいにほこらぬ慈愛の詞 ハアゝ

有かたやと願い書懐中より取出せば 冥加に叶ひし女子共悦びませいと取次

役 一通を請取て膝元にさし置けば 盛ツフ気取上訴状の面(おもて)さも懇ろに読み終り 彼

抔(ら)二人が願ひの趣密かに云渡す子細有 近習の役人共残らず次へ罷立よ 又

彼抔を召つれし草履取の甚五平に尋とふ一義有り罷出よと云付よ ハツトこたへて

 

 

52

おそばの人々いか成ことを願ひしやと 心にふしんを打つれて皆々次へ立て行 甚五平は

血を分けし娘や孫の願ひの品も聊か白砂にかつつくまひ けんじやう向きの他人顔 甚

五平めで こはりまらす御用いかゞと窺へば ヲゝ甚五平近く参れ 是にいる両人は

其方が娘孫 親子のなのりを盛続がさせんと思ひ呼たるぞ 久しぶりの対面さぞ

満足に思はん 娘も孫も嬉しいかと 詞の内より甚五平ハア有がたき殿の御意

かへすは緩怠至極ながら 先刻途中でも此女が 父よ親よと申せ共 更々此

方に左様の覚と いはせも果ずハテ隠すない甚五平 娘は娘に極まれ共 そちが

 

心を背いて密通の男をかたらひ立退きたるを憤り 娘でない親でないと

かたいぢに云出したは日頃の気質尤ながら 其が詫てとらすかんにんせよ

なんと盛続が推量ちがひはせまい女そふかと尋られ お恥しいことながら

殿様の御すいもじ 見通し様と申さふかみぢんもちがはぬ御仰 若い時の跡先

なく夫に引かるゝ心より 大事の親をふりすてゝ家を出し不孝の程 おんも

送らぬ悔しさは此子を設けて一入に 思ひ知たる身の誤り ほんに朝ばん神

仏にお詫申して立願かけた 印はまさに有がたき殿様の御恵み 申とつ様何ことも 御

 

 

53

ゆるされて下さんせと 父がいかりうぇお泣詫びる 甚五平天窓を上 冥加に余る御主

人の御賢察 歩中間(ぶちうげん)ふぜいの娘がこと お詞に掛らるゝは恐れとや申さん勿

体なし 殿様の御意を聞に付けてもにつくい女め 侍に連そふと じまんぬかさん

斗に世伜に迄刀をさゝせ おこがましく六はらの御代官所広縁にのし立るを

いせいと思ふか手がらと思ふか 現在の爺(てゝ)親はこんの大なし一枚でお白砂にうづく

まる 娘や孫は高々と 祖父(ぢい)を下に見おろして人間の路が立か なま年よつた

此つらに くし払ひの作り髭尻ふと股(もゝ)をかんざらし 下主下郎かす奴といはするは

 

儕故 貯へなき浪人の儕が行衛方々と尋迷ひて路銀につき 一夜の宿かる

しまつもなく 或は野ぶせり人の軒うろたへあるくを我殿の御じひの御めに

とまりし故 命をつなぐ中間(ちうけん)奉公 此おやかたに有ぞとはどふして知てけふの訴訟

御主人の威光をかる身が腹立をやめさせて 権付の親子の因みよふもお願ひ

申たな 御諚意の重ければいはいはならぬ親子の名乗 不孝の上に不孝のうは

ぬり 連れそふ夫が差図よな 女房子に馬鹿つくさす聟は天晴鮟鱇侍

名はなんと云たわけ者 ほざき上れと怒るにぞ ナフそれは気の廻り お願ひ申は外の

 

 

54

ことそふしたことではないはいの 連そふ夫はたわけ者とおしかりも道理ながら 余り

しいにくて口 此わしがつむり付き後家がおめにかゝらぬか 四年以前に仮初めの風の

こゝちと病み付かれ 養生叶はぬめいどの旅 世をはやふこそせられたれ 人にしられた

武士の果 名めうじ聞て疑ひはらしきげん直して下さんせと いふを盛続打けし

て ヤア/\女名をなのるな 只今夫の名をいふては此願ひの妨げならん 甚五平が疑ひ

をはらすは訴訟の一通り よんで見よと投げ出せば あつと取上押ひらき 恐れながら書き付け

を以断り申上候 私共 当国信楽里に住居仕候浪人の後家世伜にて御座候

 

一つ 先月廿三日の夜 草津守山の間信夫(しのぶ)がはの堤において一人の舅を何者共しれ

ず討て立退申候 ムウ扨は舅を討れたな ハなむあみだ仏 是によつて方々敵

のありかを相尋候所 大方御当地に彼(かの)敵 大方 大方御当地に彼敵住宅仕候

やうに相知れ申候 見逢ひ次第本望とげ申度存奉り候 御聞届けなさせられ

御赦免願ひ奉ると 読みもおはらず面を和らげ 親に背いて添ひ果んと思ひ込

だ夫にも 程なく別れて後家になつたは はかない縁でありしよな 舅は後の親

なれば 其敵を討んとはされ共/\でかしおつた けさ追分の町中で 思はす廻りあふた時

 

 

55

久しぶりの娘が顔 見て腹立る親心根をたんだゆればかわいひから 初めて見たりつ

ぱな孫 嬉しいと思ふ程なのられぬ身の風体 そち達が恥辱を思ふ 是が真

実底心から悪(にく)まぬと云せうこ也 親子の名乗致せよと有がたき殿の御意 敵

討ちの願ひとしらず 権付けに親をこまらす押付けわざと気がひかみ 終にあはぬ聟

迄を たわけよばかよと悪口したは 娘ながらも面目ない 料簡してこらへてくれと詞

も心もしほるゝにぞ 扨は御きげんなをりしか嬉しやな有がたや 是と申も殿様

の お影/\と母も子も悦びあふこそ道理なれ 甚五平も嬉し涙押拭ひコリヤ

 

娘 訴状の面に敵のありか 大方に知れたるとは然と决定(けつぢやう)せぬ文言 何を以て彼敵 御

当地に住居と云子細はいかに さればのこと舅の老人 聊かの用有て一日(ひとひ)二日の旅の

るす 夢見あしきもきがゝりの折からさたsる人殺し 心元なくかけ付けて見れば違(たが)は

ぬ我舅 盗賊のしわざかと心を付れば身の廻り 大に提げ物きせるづゝありのまゝに

て懐中のはな紙一枚紛失(ふんじつ)なく 只一刀に切とめしは武士の手ぎはと見へながらそばに

落ちる菰面桶(こもめんつう) 外にせんぎの種もなければ 相手は非人と心を付く野末濱々

橋の下 窺ひ歩くかひ有て一昨日のくれつがた 三井寺常の塵塚にて見付出したる

 

 

56

手がゝりは破れほつれし信楽笠 類(たぐひ)は多き物ながら我手にかけて縫付けし 此

麻衣(あさぎぬ)の笠のいたゞき こゝに捨置くふしぎさと思ひ合せば其夜の時雨 舅を討

て立退き様かつき逃しにちがひなし 扨はとあたりの里人に 此塵塚のぬしはと問ば

大津中のはきだめ場(ば) 誰がぬしといふことはないと聞届けて帰りしが かしこにすつる破

れ笠 敵の忍ぶ隠れ家は此大津に極りしと気つきしよりの願ひ書 神仏の力にて

舅様を討た非人めあの子に討せて祖父(ぢい)様のしゆらのくげんが休めたい 力をそへて下

さんせと涙ながらの物がたり 甚五平も娘の利発あつとかんずる斗也 盛続始終

 

を聞届け ヲゝきどく成女のさいちものゝふも及ぶまじ 去ながら此敵は 一かいに非人乞

食共定めがたし それをいかにと云に 行衛しれぬ旅人を殺すは山賊夜盗のわざ 今

女が語るを聞けば着類(きるい)もはがす物もとらず益なきことに人は殺さじ 日頃に意趣

を含む者 非人をかたらひ討せしか不審(いぶかしさ)さいごのしだら よし何にもせよ其笠の此

近辺に有からは 心を付てせんぎせよ天命は遁るまじ 甚五平か為には相舅(あひやけ)遠から

ぬ縁者の仇 孫や娘が後見していさぎよふ敵を討せい 此盛続がしはいの地に 人

を殺せし科人の隠れ住と聞ながら せんぎせざるは政道のおほよそ成に似たれ共 代

 

 

57

官所の威光を以てさがしだせば天下の科人 彼抔が舅の敵とて討ことはあたはず

こゝを存じて盛続が科人のせんさくを暫くの内延引する 随分とさがし出し天運

に任せせうぶせよ いさぎよう討たり共 又は敵の運強くかへり討にあふたり共 ぜひの

あんひを盛続に早速に告しらせよ 娘や孫がけなげにめんじけふよりは甚五平

侍に取上る白砂には不相応 是へ/\と主命の身に余りたる外慶亀鏡(ぐはいけいきけい) 御

恩も厚き板縁ににじり上りて頭を付け 有かたし共忝なし共 申上んに詞なし

迚ものことに今日すぐ様 おやしきを罷出敵のありかをさがし出し 彼抔に本望遂げ

 

させたし 此上の御願ひと恐れ入て相述ぶれば ヲゝ一時も早く/\ いで門出の餞(はな)

別(むけ)せんと一腰を差出し 侍に故立る印は覚の此刀 つかの間もはや急げ 最前に

彼抔が假名 なのるなと差留めしは 此盛続がけらいの内にも敵の有まい物でもなし

假名をそれぞと聞ならば 胸にこたゆる身の覚立退くまじき物にもあらず いか成

ことが本文の妨げに成りもやせんと 思ふ様にとゞめしなれば 其方が昔の名も只今は

聞ぬぞよ 敵討ちのあんひを知らせ 其後なのれ氏系図 先それ迄は呼付けたる甚

五平と云侍 娘や孫をとく誘へと仰も重き金作り 下し置かるゝ有がたき武

 

 

58

士の冥加に金味(かなあぢ)も さぞとしらるゝ御賜物深き情をいたゞきや信楽笠の

浅からぬ親子の縁こそ〽ふしぎなれ 世の中を忍ぶ思ひの底深き 今井の

四郎兼平は父権頭(ごんのかみ)兼遠に 不興を受て埋れ木の春しらぬ身とくらせ共

心に捨ぬたつか弓矢橋(やばせ)も近き大津の町 四宮の借店(かりだな)に仮のとせいもいはけ

なき 子共あつめて手習屋筆の命毛ほそ/\゛と からきせたいにかきくらす中に

いとなむ追善とて 心ざしの念仏講 向ひ隣のこんい中 ひとりもかけずくる数

珠の百万べん/\だら/\と 夜食くひ/\後世咄してい主ふうふが入かはり 飯をすゝ

 

める酒しいる 一人息子の槌五郎に給仕さするも馳走ぶり 講頭(こうかしら)の念西が 何

と作左市兵 お念仏のお影有がたいではないかいの 是の御てい主幸(かう)右衛門殿御ふう

ふは こなた殿の子共や娘に 目を明けてやるお師匠 町での物しりなれば宿老

殿さへそまつにはあしらはれぬ 其お内儀のおたき女郎 息子殿に給仕させて

跡はらやまずにくふ茶めし 雄豆(くろまめ)は数珠の心 とうふのぐつにも念仏のお影

受がたきにんじんのしたし物も念仏のお影 おかげ/\でおかげんのちがはぬ内に御

ふうふも 参りませいとおれそれいふ講中も口を揃へ もはや御ぜんをとらしや

 

 

59

ませ いかい御ざうさ忝い たべ立に致すると箸をからりと置やいな いぬるも律

儀な客人ぶり後生一遍食一遍 世帯仏法腹念仏いづれも御苦労よふお出

お内儀様息子殿たんとつかひ立てましたと挨拶口々くゞり口 軒にふしたる人影を小

提灯にすかし見て 市兵衛殿見さつしやれ ぬけめのない世の中 念仏付込むよるの

乞食 扣鉦(たゝきがね)の音聞てちやん/\ちやんと責よせたと噂取々立かへる 内にはてい主

が客草臥 どりやちつと横になろと枕引よせたばこぼん ヤイ槌五郎夜が更け

てねふたかろ 納戸へはいつてもふ休めと 父がゆるせばおとなしうそんならお先へ

 

ふせいrますと一間へはいる行儀そだち幸右衛門は大あくび 槌五郎斗でない父

上も迎がきた 北の方もきり/\と棚元を仕廻しやれと たはふれいふもふうふ

の中 こちの人と云ことがついわしに迄欠(あくび)を移して ほんに宵からのきあつかいせいが

盡きたも無理ではない ことにこんやのつめたささつきにからちら/\と ふり出したはこ

としの初雪 客人への馳走の残り 寝酒にかんした呑ましやんせと ちろり取出

すうさばらし猫の額の釜の前 めうとが心の千畳敷女房の膝を足もた

せ ぶん相応の楽しみ成 いやなふ是幸右衛門殿 宵から問(とわ)ふと思ふたが いそがしさに

 

 

60

取紛れ はつたりと忘れていた ほんに一年が立とても お仏だんへ向ふて拝んだことも

ないお人が いつの間にやら戒名かき こつ桶迄取てきて志の弔ひと六字詰めの

百万遍 雑作もいとはず念仏講 つんと合点がいきませぬ ムウ合点のいか

ぬは尤 此間から此ことを明かそふと思ふたれど 連そふそなたにかたるさへ恥しく 又

あぢきなく一日のび二日のび いひそゝくれて面目ないと声もしほるゝ無(む)

常心 気の廻るは女の情(じやう) 打明て云にくい恥しいといはしゃるは こりやどこぞに

ぬつくりと隠して有たこつてりが 癪でも急に取詰たか 但身持になつたのを

 

帯の祝ひの路明けのと 不養生のおどもりが重なつての難産か 腰より下は

血になつて おはりよ/\と泣悲しむうぶめのくげんを助けるのか それに違ひはござる

まいと今迄さすつた太股を つめつてうらむもあどなけれ ムゝ女房のせばい

気からそふ思ふも断り 弔ふ亡者の様子を語り 疑ひをはらさせふと仏だんより

二つ桶取出し ふさをとればこつにはやらで 五十両の金子の包女房見るより驚しが

おづ/\取上こりや小判じゃ どふしたことで此かねはとあきれ果たるふしん顔 幸

右衛門小声に成り がてんのいかぬは道理/\金が敵とせわにいふも身にしみ/\゛と思ひ

 

 

61

しる 身不肖の其が木曽義仲に頼まれ参らせ 心を通はす御みかた 諸浪人を駆(かり)

催すぐん用の金銀 貯へ度(たく)は思へ共今日の世帯さへ くろめかねたる寺子取り 五

節句の包銀(かね)畳代炭代毎日の上げざうし どこをつゞくるたしにもならねば せん

ほうつきて毎夜/\ 野山を働く非道の商売 或は山伏願人坊主 非人乞(こつ)

食(じき)と姿をかへ 旅人の路金を念がけしに 跡月廿三日の夜信夫(しのぶ)がはの永(なが)なは手

五十年余りの旅の人 此金を其に見付られしは運の尽き 不便ながら討て捨取帰り

たる五十両と 語るに女房又びつくり ぞつとこはげのかたで息 すみ/\゛を見る斗也

 

驚きは尤至極 金が敵と云はこゝ 旅人(りよじん)は金故身を果す我は金故心を苦

しむ いはゞ僅かのめくさりがね盗んで悦ぶ心から 人も盗むと心へて一時へんし気

遣いたへず 肌に付ければ人目有り あさらい住いに此金の かくし所にことをかき 思ひ付たる此こつ

桶 いまはしき物なれば盗み取る者も有まじ 一には其が手にかけし老人の 魂共白こつ

共観念しての経念仏 しゆらのくげんを休めん為と 身の理非を知る夫のさんげ世間

は雪に更けしづまり もれ聞へたる咄しの端々 門にふしたる非人の寝覚め頭(かしら)をもたげ

うなづきさゝやき 十余りの旅人を討ちしと 慥に聞へし内の噂 そちも聞たかお前も

 

 

62

聞てか 日がらもちがはぬ廿三日 サアこいつに紛れはないと三人むつくと起上れば 甚五平が

娘や孫 新助せくな小浪もせくな この祖父(ぢい)が差図せぬ内はやまつて過ちすなと

菰に包し太刀かたな面々に身繕ひ 猶も様子を窺ひ足 戸口にみゝをひつたりと

はな息もせず聞いたる 内には女房が声として たとへ刃にかゝつてもしんだ人は見通し。

身の欲になされぬこと 殊にかふしたとひ弔ひさのみ恨みも残るまい 此上ながら

月々の廿三日を心がけ 香花を手向るが老人の為身の為と 語るに三人打うなづき

心をしづめて甚五平 戸口に立よりしとやかに ちと尋度きことの有り 御無心ながら

 

明けてたべ 頼み申と云入る 女房なんの気も付す尋たいとは何ごとゝ 細目に明ける

を心へてぐはつたりと開けばかけ入て舅の敵覚たかと切付くるをひつはづせば 祖父

の敵のがさぬと続いて討込む小腕の刀 木枕取て打落す にがしはせじと又切込 心へたん

ほにとたんのうけみ甚五平は助だちの さすがに麁忽の働きならず 手に汗握つてひか

ゆるにぞ すはといはゞだきとめんと心をくばつて窺ふ女房 おくにふしたる槌五郎物音

に目を覚まし 一腰かい込かけ出て見れば危ふき此座の様 父母にめをはなさず守りつめ

たる武士の種 二人はいらつて双方より無二無三に切かくる 腕先取て働かせず 身に

 

 

63

覚有る敵討なのりかけて尋常の せうぶといはゞひきはせじ ぶこつのしわざ心外千

万すされやつとつき放せば 親子は顔を見合せて エゝ口おしい仕そんじたとはがみを

なして憤る 甚五平両人をねめ付け 侍の妻子に似合ぬはやまるは比興の基 縦(たとひ)

討共討るゝ共なぜおとなしく名をなのり 侍らしいせうぶはとげいで 匹夫下郎の辻げん

くはも同前の行跡(ふるまひ) あなたの手前も面目ない 祖父が顔迄よごするか 見さげた

るうろたへ者 とは云ながら此間心をくだく舅の敵 討たい/\と思ふやさきめぐり

あひし嬉しさに 礼儀も法も忘れはて切付しも無理ならず 年寄にめんじてかれ

 

らがぶこつ御免なれと義を立る 幸右衛門も面を和らげ 御老人の御挨拶却て其

痛み入る 女儀と云い稚いの一図に仇をはらさんと 思ひ込れしけなげの程 かんじてもなを

余り有り いかにも先月廿三日 信夫川の堤において 旅人を討ちしは其 こなたのゆかり

で有たよな 此間の無念の程さこそと思ひさつし入る 先かた/\゛の御家名(けみやう)はなんといふ

ていづくの人 聞かまほしととひかくる 女おくせず進み出 信楽の里に住いする 稲津(いなづ)

の新蔵忠治(たゞはる)が後家名は小浪(こなみ) 同じく世伜新助と云者 祖父の敵舅の敵の

がしはせぬかくごあれと なのるを聞て打驚き 其が手にかけしは行衛もしれぬ旅

 

 

64

人と只今迄思ひしが 新助殿の祖父御とあれば聞くに及ばぬ 稲津の刑部(ぎやうぶ)俊治殿

かく申其は今井の四郎兼平とて しなの源氏のばつか(幕下)にしよくし 刑部殿とはほう

ばいづから 名は先達て知たれ共面体見しらぬ残念さと かたればはつと驚きしが

刑部としらぬ云分けはさも有さふなことなれど なんの為にゆへもない旅人はなぜに

討給ふ ヲゝ其ふしんははれぬはづと 以前の金子取出し ことの起りは是此金 思ひがけ

もなきことにて刑部殿の手に入しを 傍輩とは夢にもしらず むたいにばひ取り手に

かけしは 木曽殿への御奉公 兼平が天晴忠義と心にじまんしたれ共 御身の舅は

 

此金故命をすてゝ兼平に 百倍増(まさ)る忠義の武士 其嫁御也孫御也けな

げに恥て兼平が 首さし述て討るゝ場所 無念をはらさせしんぜたいが 今

其が相果ては折角思ひ立れたる 木曽殿の大願空敷(むなしく)きゆる水の泡 近頃

比興なことながら 両手をつかねてお詫申すしばしの命を助けてたべ ヤレ女房何うつ

かりとしているぞ とも/\゛にお膝をだけと臆病至極の一こんは つよいこと云武士より

もおく頼もしくかうばしし 女房おたきはしとやかに槌五郎もこゝへおぢやと二人が

前に跪き 扨はお前が聞及ぶ忠治様の後家とや お若いお身のいとしぼや 殿

 

 

65

御に別れ其上に大事の/\舅君 あへなくも人に討たれ重ね/\のお力おとし お

取込の其中へ心もないお詫なれど 段々主のいはるゝ通り大切なあのからだ 助けて

やつて下さりませ 是女房子が拝みます 是申後家御様 是申新助様お年はい

かねどお利発な 物のかみ分け聞分けの悟りばやいあのめもと 槌五郎あなたを見

ならふておとなしうなつてたもと 追従いふも夫(つま)の為 後家はいらへも当惑しし

ばしうつむきいたりしが しあんにくれたる顔を上げ 是新助よふきゝや そなたの祖父

様とつ様に御恩厚き義仲様 頼みになさるゝ兼平殿 今の咄しを聞ながら無体

 

に敵とせうぶせば聞分けもなく情も知らぬ拙い武士と世の嘲り 義仲様へ

対しても不忠の筋にならふかと 母は思ふがそなたはなんと 心一つの料簡では助

けまい共助ける共 さばけかねるとうらどへば はてしれたこと何いはしやる 兼

平様が祖父様を殺さしやつたもお主の為 敵討つには及びませぬ しなしやつた

とつ様が 親でも子でもお主には見かへなといはしやつた 是申兼平様 お命は

助けました 其かはりには新助がぶんどり高名するやうに武芸を教へて下

さんせと ゆるす詞に兼平ふうふ はつと悦ぶあんどの思ひ六さきくゝつたすごろくに くゞれ

 

 

66

松山一六をふり出したるごとく也 甚五平は最前より黙然として控へしが ヤア埒も

なき長ぜりふ 目の前に敵を置きのめ/\と命を助け もつて廻つた忠義達(だて) 差

当つて武士が立まい 先程の働きに手おぢしての尻込か 口車かけられて助

ける奴も助ける奴 のがるゝわろも遁るゝわろ 女童をだましすかしうな付きあふて

仕廻はふとはのぶとし/\ こりやこそなあほうめら かういふ内にも切かけてな

ぜ本望をとげおらぬ はやまるも人一ばん おくれるも人一ばん 程を知らぬうろ

たへ者としかられて新助親子 最前からの様子をばこなたはなんと聞しやつた

 

垣破りなこと斗 まだ/\たは言はき出すか ごつめには甚五平ふん込でうて/\と いは

せも果ず女房おたき ヤア舌長な老ぼれ殿 女子童をだましかける口車

のなんおとは こちの人を嘲るのか さつきに孫御や娘御をはやまりおつたとにらみ

付け しからしやつた其時はちえの有る侍と 心にかんじた誉めぞこなひ 兼平殿が

あのおかたにむざ/\きられる人でもなし 返り討にしかねはせねど侍の義を思ひ

詞をさげて命の詫び 姫ごぜも稚いも義を弁へて利発の料簡 それには似

ぬ無分別な親父様 いはれぬことによこつゝはり置いてもらをとやり込る 甚五平は

 

 

67

アハゝゝゝと猶嘲弄の高笑ひ 何を女のしつたこと 六はらの代官職 越中の次郎兵衛

盛続(もりつぐ)の御前にて さしづを蒙る敵討の後見(うしろみ) 本望をとげたる共又返り討に

あふたり共 ぜひのあんひをしらせよと主人の仰を受ながら 敵討は相戦いにて

ことすんだりといはれふか よしそれはいふにもせよことの子細をお尋あらば 木曽義

仲がけらい共今井の四郎兼平 稲津の新助なんどゝ云 一味とたうの浪人共と

有のまゝにいはねばならず いへば益なき人のそにん 主命を蒙る甚五平が

役目は 敵討の一通り 見分の外いふことなし とあつて又みす/\に討ちもらせぬ敵討

 

につくらしう偽りもいはれす 是でも非でもせうぶを見ねば 甚五平此場は

さらぬ 兼平いかにと りくつばる 今井もはつと りに伏(ふく)し 木は親によつて直(なを)く

人は人によつて賢しと 尤の一通り承はつて其がながらへる所存なし サア両人共に立

れよ 尋常にせうぶせんと 刀かけなる重代提(ひつさげ)高からげして待かくれば 女房

はすがり付きのつひきならぬ一通り 聞てかくごのこなたの心底 二人の衆に討るる気

じやの 武士の夫に連そへば義にせまつての命の別れは 明きらめもしませふが

年頃日頃心をつくしてお主へなされた志 届きもせずむさ/\としなしやるは ほいな

 

 

68

かろと 思ふて是が悲しいと裾にすがつて歎くにぞ アゝおろか/\ 彼等二人が心底を

いか程不便に思へばとて 大事をかゝへた此兼平 むごい共情ない共思はゞ思へ返り

討ち 遁れるたけは遁れて見て 木曽殿に仕へるこそ畢竟の誉也と みぢんもたゆ

まぬ詞の中 新助親子身繕ひできた/\今井殿 ねらふ敵に廻りあひ本望

を達せんより 返り討に討るゝが手がら也 忠義也 必会釈し給ふなと互に目釘

をしめし合い 母もにつこり子もにつこりみちんたゆまぬ勇気の体 見て悲しむ

は女房一人情有る人々を 返り討に討せては義理も背けいぢらしし とあつて夫

 

を討せては主人のなんぎ我身の歎きどふぞどちらも死ぬやうのせうぶの仕やうは

ないことか 是申親御様先程はやゝ腹立ち 云過しはかんにんなされどふぞ此場の敵討 料

簡して下さりませと頼むに 先立涙也 甚五平打うなづき尤の御頼み つく/\゛と

双方の心底をさつするに 銘々が身をすてゝ互に相手を助けんと 容赦する

心よりいつ迄もせうぶは討まじ こゝを思ふて其が一つの料簡ありながら よも

承引は有まじと云に取付きハテ申御料簡と有からはなんのいはい致しませふ いや

/\なま中いひ出してならぬ時は気の毒 それ共に何ごと也と 身が料簡に背くまいと

 

 

69

仰あらばと詞詰 はて疑ひのつよいお方かゝるなんぎの場に及んで なんのいなと

申ませふしかとそふでござるぞやと 石にねつぎのねを押して 料簡といふて

外はない 此槌五郎が名を改め 寺子取の幸右衛門となのらすれば親のかはり 稲

津の刑部を討たる敵 新助にせうぶさすれ共 敵討の見分する甚五平がぶん

も立ち 今井殿のお身の上に きよじもなければ忠義も立呑こまれしか御内室と

いはれてきよつと早速に 返事もえせぬ親心 槌五郎は進み出こりや面白い

料簡 とつ様の名をもらい 幸右衛門となのるからは新助殿とは敵(かたき)どし 一時もはやふ

 

せうぶせふと 尻ひつからげるりゝしさにす母も泣たい涙をこらへ 皺面(しうめん)作るもあは

れ也 兼平甚五平に打向ひ 道理至極の御さいばい忝しと一礼述べ 仏だんの下

よりも千八十の数珠取出し ぶしと/\の敵討は前日より場所を極め やらいを

ゆふ故実有り 此数珠をやらいになぞらへ 二人の子共を内に入れ 百万遍の念仏の間(ま)

にせうぶさせばみらいのくげん 助からんは疑ひなし はやとく/\用意せよといふに

おくせぬ二人の子共かゝ様はよふとせがむにぞ ぜひもなく/\数珠くりかけ 二人を中に

だき入て 左右に別れて母と母 真ん中には甚五平鐘木携へ鉦(せう)の役 兼平は念

 

 

70

仏のたづまの数取涙の玉 内には子共が互の身がまへ光明遍照十万世界の義

理と哀れをまろめし数珠 念仏衆生摂取不捨と唱ふる下より抜はなす 劔の

光の目にさへぎる親々がくもり声 なむあみだ仏/\/\/\ なむあみだ仏/\/\/\涙

くり出す数珠く出すくるり/\と付け廻し ヤア/\のかけ声に共に力を〽付けそへて

弥陀の利剣も即ち是 打かくればはつしと受け ひらいて結ぶきつ先合せ はつし/\と

たゝきがね鐘木もしとろに危き思ひ ハアハハアハは母が思ひ目をふさぎ顔をふり

見まいとする程めにかゝり有にもあられぬ六字詰 なむあみだ仏/\/\なむあみだ仏/\/\/\

 

なむ三宝新助が付込む刀に幸右衛門かた先ずつはと切付られよろぼう気色(けしき)に 甚

五平まん中にとんで入敵討は是迄せうぶは付たとのゝしるにぞ 手は負ひながら我(が)武者

もの いや/\せうぶはまだ知らぬ なんのこんなかすり疵返り討にせにや置かぬ のいた/\と

きをいらせばヲゝ道理/\ 無念をはらしおまさふと 幸右衛門が刀のつか手にもちそへて

表げさ 我と我身を切さぐれば切てあきれる幸右衛門 新助親子こは何ごと とふ

うろたへてあられぬけが悲しさよと取付けば 今井ふうふも立よつて狂乱ばしし給ふかと

共に あきれて介抱する 深手にひるまぬ丈夫の魂につこりと打えみて 子さいを

 

 

71

語らぬことなれば狂乱かとは尤々 是兼平の御内室 こなたのお名はおたきとな アイ

たきと申ますがそれがなんと致しました ヲゝ世を信夫夫につれ世間を憚るおた

き女郎 誠の名は戸那瀬と云て 御親父(しんぶ)は儒家たる人 くらんど道広の御息女

かと 問れて扨もよふ御存じそれを何故お尋と 詞も引ぬにコリヤヤイ 戸那瀬そちは

おれが子じやはいやい エゝイかういふた斗では猶気違と思ふであろ 其が古は落合

五郎左衛門兼行とて そつとした北国(ほっこく)武士 世を我まゝに主取りせず 性急成る生れ付き

初めて設けし娘の子 なんのごくに立ぬ女郎のがきと わらの上より蔵人に一生不通の約束

 

にて 養子にやつた誠の親 其後に設けし子もやつはり続いて女の子 産みがひなしとや

思ひけん 母はさんごの気もよはり七夜の中に空敷なれば 忘れがたみをいじらしく

かわゆう成に随ふて 惣領娘を他人にやり 短気はそんきのくやしさと返らぬことをお

もふに付け 猶あまやかす妹娘 是こゝにいる小娘がこと 年はいけ共親のめにわらべ/\と

ゆだんして 夫を持たす気も付かずうか/\そだつる其内に 稲津新蔵となれなじみ 立退きし

は縁の道畢竟は我不念と ゆくえを尋さまよふにも 思ひ出すはおことがこと よそ

ながら噂を聞けば 養父蔵人道広は 娘となせを兼平にめあはせ 其身は南都に剃(てい)

 

 

72

髪とげ大夫坊覚明(だいふぼうかくめい)となのるよし 方々と尋しが共姉も妹もありかは知れず 十二年

が其年月死別れより生別れ くよ/\思ひくらす内尽きせぬ親子の契りとて め

ぐりあふたる妹の小浪 かゝればつながる縁者の敵 助太刀は親の役と姉娘の内共知ら

ず 乱れ入て手詰のせうぶ 今井の四郎兼平となのられし時にこそ 扨はとしつたる

我が娘 云聞さんとは思ひしが うたで叶はぬろけんの敵 姉につながる一家としらば

小浪が心せつなくて思ひ迷ふもむごらしし 妹やおいこと聞くならば不便にも又悲しく

て やり方も有まじ 姉が子にも妹が子にも手がらさせて名を上るが 祖父迄が誉

 

じや物と 思ひこんでりくつにことよとせ孫と/\にさしづのせうぶ 幸右衛門を一(ひと)太刀

うてば 新助が武士は立つ 又幸右衛門は助太刀の甚五平に手を負はせ 手がらは五歩/\十

分の首尾 どちらにひいきへんばもない 孫共がとかく可愛いぞや 是に付けても世の

中の憂きやつらきは数々に 類は多きことながら取わき武士のあぢきなさ 年はも

ゆかぬ者共の二人に一人はぜひきらるゝ せうぶをそばに見物して 手を負たのをほめそ

やし めでたがるは何ごろぞ 町人の子に生れたらかうした憂めは見まい物と 義強ふ

生れし渋紙親仁 孫にあふては吉野紙涙を 漆としぼり出す 戸那瀬は

 

 

73

漸歎きをとゞめ けふ迄しらぬ親兄弟廻りあふたるふしぎの縁 嬉しい中

にもとゝ様の此お姿は何ごと にくいことしをつたとしかるにもしかられぬ 我子も

手負の危き命 幸右衛門と名をかへても槌に生れた槌五郎 寿命がみし

かいと 云つたへしも今更に 思ひ当ると悔み泣き 妹の小浪も初めてあふ姉に詞も涙

斗 なんにもかもわしからおこるコレ甥の殿頼みます 此おばを刀次手切てくだ

され殺してたもと 心のせつなさ泣つくす 新助もおとなしふ 幸右衛門殿無念にご

さらう 疵は痛はしませぬあkと とはれていひや なん共ござらぬ 祖父様のお影

 

で わしも手柄をしましたれば無念にもござらぬ おば様もかゝ様もわしが疵は

かまはずと 祖父様に御介抱お気をもまして下さんなと やさしい詞を聞くから

に ヲゝよふいふてくれたなあ 其詞が此祖父が手疵に付ける薬となつて 死ぬる

ことではないぞよと悦びなきにむせかへる 姉も妹も正体なく 歎きをとゞめ

兼平も忍び涙をながせしが 御老身の御手疵浅手とはいひながら 其まゝ

には差置れず兼平に任されよと 納戸にかけたる暖簾(のうれん)おろし 孝と義理

とのたてわき染さら/\と引ほどき 二重三重にしつかとまけば 過分に存る今井殿

 

 

74

老が身は気遣なく共 頼み入るは孫がこと跡に心は残れ共 こなたも遁れぬ武

士の契約 新助親子を代官所へ召つれて 首尾よふ敵を討たると言上するは

孫が手がら 助太刀を討ちそんじ深手を負て候とあか恥かくは孫が手がら 落合

五郎兵衛が此上の本望なし いざお暇と立上れば 手負をいたはる親子がかた兼

平しばしと押とゞめ ヲゝ天晴成る稲津の新助 父におとらぬ忠義の武士 燧(ひうち)が

城(じやう)にて再会せん今日の手柄始め ことぶくほうびは兼平が此重代を御辺に譲る

御辺か孫に帯(たい)したる刑部殿の譲りの太刀 其に得させよと望に随ひ新助が

 

一こしを差出せば礼儀正しく取かはし 落合殿も聞てたべ 兼平が此太刀を乞ひ

受て帯する心 戦場に臨んで数万の敵をまくり切り 蜘手かくなは十もんじ

に打破りかけ通らば刑部も手柄身も高名 運つきて討死の しがいをな

す共此からだを此きつさきにはたしなば 同じく刑部があたもはれんと劔をい

たゞき脇ばさむ 扨こそ粟津(あはづ)の戦ひに太刀をくはへてまつさか様に つらぬ

かれ死したるも稲津の刑部が命の仇 是こsじがいの手本よと 末の代までも

うたはれし類まれ成勇士也 五郎左衛門大きにかんじ嬉しき人の心ざし 智仁勇を兼平殿

 

 

75

聟かねに取たるは 天晴我も果報の者 物うきしやばのくを遁れ めいどにめぐり

あいやけの刑部にも悦ばせん 是や互に別れの対面 もしながらへば此世の設け

もう参るぞと立出れば 姉様おさらば妹さらば おは様まめでと手負

の甥が おくれを見せねばこなたの甥がお暇申と礼儀をたゞす おいさきゆゝ

敷若者共と思ふに嬉しきおい/\泣き 悦びと悲しさを母と母とが身にわけてもつれ

乱るゝいとこどし つながる縁の聟舅 仁有り義有り礼厚きちえの海山信(まこと)の陸地(ろくぢ)

唱る念仏は百万べんの数珠くりかへす心の如法 忠孝二つの道々に別れ 行く身ぞ頼もしき