仮想空間

趣味の変体仮名

菅原伝授手習鑑 第三

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html

      浄瑠璃本データベース ニ10-01216

 

59(左頁)

  第三

鳥の子の巣に放れ魚(うを)陸(くが)に上るとは 浪人の身の喩種(たとへぐさ) 菅丞相の舎人

梅王丸 主君流罪なされてより都の事共取賄ひ。御台のお行衛尋んと笠ふか/\゛と

深緑 土手の並木に指しかゝれば向ふも深編笠我に違はぬ其出立 互に夫(それ)ぞと

近く寄 梅王丸か コレハ/\桜丸 ヤレそちに逢たかつた マア咄す事聞事有りと兄弟こかげに笠

傾け 扨先づといふ其方は 日外(いつぞや)加茂堤より 宮姫君の跡を慕ひ尋行しと 内宝八重の物

語り 何とお二方に尋ね逢たか 成程道にて追付き奉り 菅丞相御流罪と聞より対面な

 

 

60

さしめ奉らんと 安居の岸迄御供せしに御対面叶はず 輝国殿の計ひにて 御帰洛

願ひの妨げとお二方の御縁も切られ 姫君は土師の里伯母君の方へ御出 斎世の宮様は

法皇の御所へ供奉し奉る事治りしと云ながら 納らぬは我身の上 冥加に叶ひお車を引其

有がたい事得忘れ 賎しい身にて恋の取持ち 終に身の怨と成り宮御謀叛と讒言の種拵へ

御恩請たる菅丞相御流罪にならせ給ひしも皆此桜丸がなす業(わざ)と思へば胸も張裂く

ごとく けふや切腹 あすや命を捨ふかと 思ひ詰は詰たれど 佐太におはする一人の親人今年七十

の賀を祝ひ 兄弟三人嫁三人 並べて見ると当春ゟ悦びいさみおはするに 我一人闕(かけ)るならば不

 

忠の上に不孝の罪 せめて御祝儀祝ふた上と詮なき命けふ迄もm ながらへる面目なさ

推量有れ梅王と。拳を握り歯を喰しめ 先非を悔たる其有様 梅王も理り

と暫し詞もなかりしが ヲゝ道理/\ 我迚も主君流罪に逢給ふ上は 都にとゞまる筈

なけれど 御館没落以後御台様のお行衛しれず先此方(かた)を尋ふか筑紫の配所へ

行ふかと取つ置つ心ははやれど 其方がいふごとく 年寄た親人の七十の賀の祝ひも此月 是

も心にかゝる故思はず延引 互に思ひは須弥大海 是非もなき世の有様と 兄弟顔を見

合せて涙催す折からに 鉄棒引て先払ひ先退て片寄れと雑式がいかつ声 梅王立ち

 

 

61

寄どなたぞと尋れば 本院の左大臣時平公吉田への御参籠 出しやばつて鉄棒くらふな

と云捨て急ぎ行 何と聞たか桜丸 斎世の身や菅丞相を憂目に逢せし時平の大臣存分い

はふじや有まいか 成程/\よい所で出つくはしたと兄弟道の左右に別れ 尻引からげ身構へし今や

来ると待居たる 程なく轟く車の音 商人旅人も道をよぎる時平の大臣が路次の行粧(ぎやうさう)さ

ながら天子の御幸(みゆき)のごとく 随臣青侍(せいし)前後に列し大路せばしと輾(きし)らせたり 両人こかげを飛ん

で出車やらぬと立ふさがる ヤア何者なれば狼藉すると顔を見れば松王が兄弟 梅王丸桜丸

ムゝ聞へた 主に放れ扶持に離れ 気が違ふての狼藉か 但しは又此車時平公としつて

 

とめたかしらいでとめたか 返答次第兄弟迚用捨はせぬと 白張(はくちやう)の袖まくり上げ掴みひしがん其

勢ひ 梅王丸えせ笑ひ ヤアいふな/\ 気も違はねば此車見違ふもせぬ時平の大臣 斎世陰嚢

菅丞相讒言によつて御沈落 其無念骨髄に徹し 出合所が百年めと思ひ設けし今日只今 桜

丸と此梅王牛に手馴し牛追竹 位自慢で喰ひ絶た時平殿の臗(しりこぶら) 二つ三つ五六百くらはさねば

堪忍ならぬ いはれぬ主(しう)の肩持ち顔出しやばつて怪家ひろぐな ヤア法に過た案外者 ソレぶち

のめせ引くゝれと 供の侍声々に前後左右に追取巻く。兄弟は事共せず取ては投退け掴んではふち付け/\投

付くれば傍に近付く者もmなし 松王いらつて ヤア命しらずのあばれ者 いづれもはお構ひ有な 御主人の目通り

 

 

62

御奉公は此時節 兄弟と一つでない忠義の働きお目にかけん コリヤやい 松王が引かけた此車とめらるゝ

ならとめて見よと 鼻づら取て引出す車 ホゝウ桜丸梅王丸爰になくばいさしらず 一寸なりとやつて

見よと 両人腰に手をかけてエイ/\/\と押戻せば 牛も四足を立て兼て跡へ/\とすさり行 松王車

の後(しりえ)へ廻り 両手をかけて力足やらんやらじの諍(あらそ)ひは 世にも希なる三つ子の舎人互に劣ぬ主思ひ

命限り根限りやつつ戻しつ引合車 大地は薬研と堀穿ち土ににへ込む車の轍 ヤア面倒な畜生めと

軛(くびき)を放せば逸散に牛は離れてかけり行 車の内ゆるぐと見へしが 御簾も錺(かざり)も踏み行/\踏破り 顕は

れ出たる時平の大臣 金巾子(きんこじ)の冠を着し天子にかはらぬ其粧(よそほひ) 赫々(かく/\)たる面色にて ヤア牛扶持くらふ青

 

蝿めら 轅(ながへ)にとまつて邪魔ひろがば 轍にかけて敷殺せ ヤア左いふ大臣を敷殺さんと 二人が力に車を

宙だめ 引くり返す返さじと 捻合松王右へ押せば左へ押し 上つおろしつ二三度四五度 爰をせんともみ

合しは祭りの神輿に異ならず 時平は上ゟ金剛力 どうど踏だる其響き 車も心木もこな微塵 砕けし

轅を銘々提(ひつさげ)大臣を討んと振上る ヤア時平に向ひ推参也とくはつと睨みし眼(まなこ)の光り 千世界の千日月(せんじつげつ)

一度に照らすがごとくにて 遉(さすが)の梅王桜丸 思はず跡へたぢ/\/\五体すくんで働かず無念/\と斗なり

何と我君の御威勢見たか 此上に手向ひすると御目通りで一討ちと 刀の柄に手をかくればヤア松王待て/\

と 車より飛でおり 金巾子の冠を着すれば天子同前太政大臣となつて天下の政(まつりごと)を執り行ふ時平が

 

 

63

眼前血をあへすは社参の穢れ 助けにくひやつなれ共下郎に似合ぬ松王が

働き 忠義に免じて助けてくれる ハレ命冥加なうづ虫めらと辺りを睨んですゝ

み行 ふり返つて松王丸 よい兄弟を持て両人共に仕合せ者 命を拾ふた有がたい忝いと三拝

せよと いはれて両人くはつとせき上 エゝ儕にも云分が有れ共 親人の七十の賀祝儀済む迄 ナフ

梅王 ヲゝ其上では松の枝々切折て敵の根を断ち葉を枯さん ヲゝ夫は此松王も親父の賀を祝ふ

た跡で 梅も桜も落花微塵 足元の明かい中(うち)早く去れ/\ ヤア推参な帰るを儕にならはふ

かと 詰寄/\兄弟三人 互に遺す意趣遺恨睨んで左右へ〽別れ行

 

春さきは 在々の鋤鍬迄も楽々と 遊びかちなる一農(ちものづくり)一番村で年古き人に知られし

四郎九郎 律義一遍?(とりえ:屑?)にて菅丞相の御領分 佐太に手軽き下屋敷お庭の掃除承り

松梅桜御愛樹に七かい水の養ひも 根が農(ものづくり)の鍬仕業(しごと)我身の老木厭(いとひ)なく

幹をこやしの百姓業畑の世話より気楽也 堤端の十作が鍬打かたげ門口から

四郎九郎殿内にかと這入るを見付けこりや十作畑へか イヤ今仕廻ふて戻つたりや嬶(かゝ)が

いふには 何やら目出たい祝ひじやてゝ 大きな重箱に眼へはいる様な餅七つ 朝茶の塩

にも喰足らねど貰はぬよりも忝い 礼もいひたし祝ひとはマア何んでござる サイノ 菅丞

 

 

54

相様のふつて湧た御難儀 お下に住むからうが身祝ひ所じやなけれど せにやならぬ

さかいでするはするが 世間へも遠慮が有で 彼岸団子程な餅七つ宛(づゝ)配つたは此

四郎九郎丁七十 此春年頭のお礼に登つた時おらが年をお尋 七十と申たりや

古来稀な長生き 其上めづらしい三つ子の爺親 禁裏から御扶持下され 躮共は御所

の舎人 目出たい/\ 産れ月産れ日産れ出た刻限違へず七十の賀を祝へ 其日から

名も改(かへ)とて ノウ聞かしゃれ 伊勢の御師か何ぞの様に白太夫とお付けなされた 即ち

今日が誕生日 白黒まんだらかいは掃き溜へほつてのけ けふから白太夫といふ程に そふ

 

心得て下され 夫はめでたい 次手ながら問ましよ 三つ子産むと扶持下さる 其謂れ

も聞かしやつたか サイノ死だ女房が産だ時は邊隣の外聞 ひよんな事じやと思ふた

がもつけの幸い 三つ子の爺親一代は作り取りの田地三反 日本斗じやないげな 唐(から)

迄もそふじやてゝ 男の子なりや御所の牛飼 女郎(めろ)なれば東童(あづまわらは)とやら是も御

所でつかはるゝ 法式は忝い物 旦那殿は流罪なれど おらは所も追立られず下された

田地は其儘 そちの嬶も若い程に産すならおらにあやかりやと咄しの中道

たどりくるは桜丸が女房八重 けふは舅の祝ひ日迚風呂敷包片手に提げ

 

 

65

嬉しや爰じやと笠取ば ヲゝ桜丸が女房八重か 早かつた/\ 外の嫁子も揃ふてくるか

マア/\上つて抱へも解きや アイ/\まだ皆様はお出ないか 遅かろと気がせいて 淀堤から

三十石の飛乗 私の足の早いので草臥もせず早ふ来たが仕合せでござんす

る ヤコレ四郎九殿 お客そふなもふいにましよ エゝ是四郎九とは物覚がない十作 白太夫

忘りやつたかいの イヤ忘れはせぬわいの 餅の祝ひとは格別 名酒呑ねばいつ迄も四郎九郎

ハレヤレ盛た酒を飲ぬとは 但はまだ呑足らぬか エゝぬけ/\と嘘いふわちよ おらに酒いつ盛た ヲゝさつ

きに盛た コレ樽や徳利は目に立故 餅の上へ茶筅の先で 酒塩打てやつたので二度の祝ひ

 

済だじやないか エゝ夫で聞へた 鼻が酒くさい儕じやといふた外へは遠慮でそふ仕やろと おらは日(ひ)

来(ごろ)懇ろだけ晩に来て寝酒一ぱい お客是にと出て行 嫁女アレ聞きやつたか 今の世の人はきめご

まかで おらが始抹(しまつ)の手目見付て晩にきて寝酒給(たべ)ふ ハゝゝゝゝアゝせち賢い懇ろぶり イヤ又お前も余り

な聞も及ばぬ茶筅酒ホゝゝゝゝハゝゝゝゝと嫁と舅の睦じさ 梅王松王兄弟の女房がくる道草も 女

子の手業笠に摘込蒲公(たんぼゝ)薺蒿(よめな)枸杞の垣根を目印に サア爰じやお春様(さん)マア先へ イヤお千

代様からと 相嫁同士が門での時宜合 白太夫おかしがり 一時に産れた三つ子の嫁共 先の跡の所

かい 八重がとふから待て居やる どちこちなしにはいれ/\ ほんに八重様早かつた ござんする道なれば春

 

 

66

が所へ誘ふても下さんしよかと 待た程が遅なはつて心せきな道すがら 千代様に行合ふて

連れ立てくる道転業 けふの祝ひの浸(したし)にと薺蒿蒲公二人の仕業(しごと) 夫はよふ気が付た

春様誘ふ約束も 日脚のたけたに気ぜきして寄る事も忘れたに おちよ様とはよい

お出合 サイナおはる様に逢たはわしが仕合せ にぎやかな道連れ 夫はそれじやが親父様 料

理の拵へ出来て有かへ イヤ出来てない わごぢよ達にさす合点 こて/\とむつかしい事は

入らぬ けさ搗た餅で雑煮仕や 上置きはしれた昆布 隙(ひま)の入らぬ様に茹て置た 大根(だいこ)も

芋もそこに有る 勝手は知まい ヤアえい/\と立上れば イヤ申けふの祝ひはお前が目当

 

料理方の出来る迄 何にも構はず一寝入なされませ 勝手しらねど三人寄て

何も角も取出す そふじやてゝ立た次手棚な物おろしてやろ コレ/\是見や 祖父(ぢい)の

代々伝はつた根来椀じや 折敷(おしき)も拾枚 おらが息災なも此椀折敷 堅地な迚

かんまへて手荒く当るな嫁女達 此マア躮共はなぜ遅い 来る迄に一鼾と躰を

横に差枕 堅地作りの親仁也 コレ皆様 何ぼうあの様におつしやつても 雑煮斗では

置れぬ 飯(まゝ)も焚ざなるまいし何はせいでも鰹鱠 道草の薺蒿お汁によかろ 八重様

千代様頼ます 此春は飯仕かけふと手々に俎板(まないた)擂粉鉢(すりこばち) 米かし桶にはかり込水

 

 

67

いらずの相嫁同士(どし)菜刀(ながたな)取て切刻む ちよき/\/\と手品能 味噌摺音も賑はしし

太夫目を覚し こりや躮友はまだこぬか 正月からしれて有おらが祝ひ日 油断

せふ筈はないが アゝ此中誰やら ヲゝそれ/\ 今いんだ十作が咄しには 時平殿の車先で三

人の子供が大喧嘩 聞てかとしらしてくれた 喧嘩の様子嬶達はしつて居よ 車先

での事と有ば 時平殿に奉公sる松王が女房 爰へ来て様子をいやと名さしに合た

は千代が迷惑お祝ひ事の儕迄はお前の耳へ入れぬがよいと 三人ながら其心 いらぬ事喋ら

れて隠されねば申ます 梅王様桜丸様 二人の相手にこちの人日頃の短気云上つて兄弟喧

 

嘩 したが気づかひなされますな 三人ながら怪家もなく 其場は夫で済だれ共 もちや

くちやいふて居られます 春様八重様お前方もそふであろ 気の毒な男の不

機嫌 成程/\ 千代様のいはんす通り けふの祝ひを云立てて兄弟御な中直し 親御の

お詞かゝらいではと 男思ひの壁訴訟 エゝわごりよ達に問たらば知れふと思ふた

喧嘩の筋知て居てもいはぬか 同じ胤腹 一時に生れた躮でも心は別(べち)々 よふ似た

顔を二子といへど 夫もそれには極らぬ 女夫子も有又顔の似ぬ子も有 マア

大概顔が似れば心もよふ似て 兄弟の中も能物じや ガおらが躮共誰(たが)見ても一作

 

 

68

とは思はぬ生ぬるい桜丸が顔付 理屈めいた梅王が人相 見るからどふやら根性の

悪そふな松王か面がまへ ヤちよが傍て麁相いふた 気にかけてたもんな マア怪家

がなふて嬉しうおりやる 怪家の次手に孫めは健(まめ)なか 連て来て顔見せいで

ヤアとかいふ中もふ七つじや おれが生れたは申の刻限 料理も大かた出来た

であろ 嫁達膳を出さぬかい アイ/\/\ 刻限の過る迄連合い衆はなぜ見へぬ ちよ

様八重様道迄いて見てこまいか 爰で待とより三人ながらござんせいかふ ヤア嬶達何云ふ

ぞい子供共は来て居るはい アノ来てじやとはどこに/\ エゝどんな嫁共 そこに居るを

 

得しらぬかい コレ三本のあの木が子供抔 梅王松王桜丸 顔は残らず揃ふ

て有る 勿体ない菅丞相様 くゝめる様にはいはしやました 生れ日の刻限が違や

悪い 祝儀にかげの膳も据(すへ)るならひ サア/\早ふと白太夫かいふに有余も成がたく

俄に盛るやら箸打つやら 椀の向ふの小皿鱓(ごまめ) 先づ一番に親父様コレでお居(すは)り

なされませと給仕は元よりならはねど見馴れ聞き馴れ挙動(たちふるま)ひ八重が配膳御所

めけり イヤおれもあそこへいこ イヤ古間(ごま)では冷へが上ります やつぱり爰でと押備へ

是から面々夫(おっと)の給仕膳を捧げて庭におり 此梅の木が梅王殿 枝ふりすんと

 

 

69

日頃の気質(かたぎ) 八重は連れ添ふ男ぶり 木ぶりも吉野の桜丸 是は千代迄添遂ぐる

女夫が中の若緑父も艶々勢ひよい松王殿で子達も揃ふ サア親父様

目出たふお箸なされませ ホゝなされふ共/\ 親がひに座が高い 子供共へドレ挨拶

ハテ」もづそれには及びませぬお加減のさめぬ内 イヤ/\お春そでおしやらぬ 親で

も子でも極つた時宜作法と庭におりるもまめやかに樹の前に畏り

イヤ是子供衆 何にもござらず共よふまいつて下されい 親が折角おりての時宜

時宜返しが仕たふてもいどかれぬはしれて有る 爰で/\ ハゝゝゝゝ嬶達餅を替やいのと

 

尻もちつてい悦び笑ひ 我膳に押直り箸を取より ムウ/\扨塩梅じや

味(うま)い/\ 三人の嫁女達 給仕も片いきせぬ様に 三ばいは喰合点で おじやらしまするじや

なんよえ ハゝゝゝゝ新しい三方土器(かはらけ)誰が持て来ましたぞ イヤ夫は八重様の ハテ気が

付て忝い 春も何ぞくれるかい ほんに忘れておりましたと扇三本訴で土産 中の

絵は梅松桜お子達の数を祝ふて 三本ながら末広がり目出たふ祝ふて上まする

こりやめでたい忝い 中の絵も咄しで知れた 明けて見るに及ばぬ此儘/\ コレ戴きます/\と

機嫌に千代が袂から 是は切の有り合で私が縫ふた手づゝ頭巾 つむりに合ずは縫い

 

 

70

直さふ お召なされて下さんせ ヲゝどれも/\不足もない心付きなおくりやり

もの サア盃も済だは おれが膳から上てたも 子供抔が膳は盛た儘

冷たで有ふ盛直してコレ嬶達 二人前づゝ喰てたもや イエ/\私抔はまそつと

待て 主達が見へてから打並んで祝ひましよ そんなら夫よ おれは村の氏神

様へ参つて来ませう そんならお参りなされませ ヲゝ往きましよ 拵へて置た

十二銅そこに有ろ取てたも 三本のこの尾扇末廣ふに 子供の生先氏神

頼んだり見せたりせう ヤア八重はまだ参るまい 次手ながら連れ達ふ サアこちへと機嫌よふ

 

表を〽さして出て行 コレちよ様 年寄らしやつても物覚へがよい事 こな様や此春

氏神様しつて居る 八重様は今が始め いはしやんすりや其通り 物覚へのよい親

御に違ひ 物忘れする子供達 松王殿なぜ遅いぞ こちの夫もなぜ見へぬ但しはこぬ

気か けふ見へいでよい物かいな それこそそこへ松王殿 エゝコレ女房を立そに立たし

て 刻限過たをしらずかい ヤアべり/\とかしましい 時平様の御用有て其仕廻(しまは)

ねばいごかれぬ 先へ参つて其訳いへと云付たを忘れたか 梅王も桜丸もまだこぬそふ

な 親仁殿も内にござらぬ サア其親父様は八重様を同道で もちつと先に氏神参り

 

 

71

兄弟衆はまだ見へぬか ソレ見いな 遅いといふおれは主持 梅王も桜丸も主なし

の扶持放され 用もないわろ達が遅いのがおhんのおそいの おはる殿そじや

ないかと 詞の端にも残る意趣 梅王も日脚はたけるせいて来かゝりつつかゝり

松王には顔ふり背けお千代殿けふは大義 コリヤ女共 親人とさくら丸八重も爰

にはなぜ居やらぬ イヤ今も松王様のお尋 さくら丸様はまだ見へぬお二人は宮参り ムゝ

さくら丸はどふしてこぬな ア待兼る者はこいで 胸のわる見とむない顔がまへと 梅王

に当こすられ 松王丸逸轍短慮 あたぶの悪いねすり云(ごと)いひ分有ば直に

 

いやれさ 何のわれに遠慮せう わが頬(つら)がまへを見る度々ゲイ/\と虫唾が出る

ハゝゝゝゝハレ申たり腹の皮 此松王は生れ付て涙もろい 桜丸やそちが様に 扶持

放されの痩せ頤い 肚饑(ひだる)からふと思ふてやるが兄弟のよしみだけ ホゝ扶持放さ

れと笑ふやつが 喰ふ扶持がろくな扶持か 鉄丸(てつぐはん)を食すといへ共 穢れたる

人の物を請けずとは 八幡𦬇(ぼさつ)の御託宣 心汚れた時平が扶持有がたふ思ふはな 人で

なしの猫畜生 ヤア畜生とは舌長な梅王 今一言いふて見よ ホゝ望みなら安い事 畜

生/\どふ畜生 最(もふ)赦されぬと松王丸刀の柄に手をかくれば 梅王も反り打かへし 詰寄

 

 

72

詰よる二人の女房 是はマアおとましい気が違ふたか松王殿と ちよが夫を抱とむ

れば 七十の賀を祝ひに来て親父様に逢もせず 反打ってどふさしやる 祝ひ日に

抜てよいかこちの人梅王殿と 刀の柄にしがみ付く 女房春を取て突退け 七十の賀でも

祝ひ日でも 堪へふくろのやぶれかぶれ留め立てして怪家するな コリヤ松王後れたな 女房

が留るを幸いに頬げたに似ぬ腕なしめ ヲゝ留らるゝを幸とは 我心に引くらべて松王には

慮外の雑言 身が女房が留たによりそちが女房が 親にもまだとの一言 肝先へきつと

当り こらへ/\こらへたがもふたまらぬ 真剣の勝負は親人に逢ての後 夫迄の腹いせに

 

砂かぶらせねば堪忍ならぬ ちよに是を預けると両腰抜てほうり出し 裾引

からげて身拵へ ホゝ畜生めがこりやよい了簡 桜丸が来る迄は松王が命松王

に預けると 同じく両腰ほうり捨 刃物を渡せば血はあやさぬ 女房共邪魔する

なとつつと寄て縁より下へ踏落せば 早足(さそく)の松王落さまに諸足かけば梅王丸

真逆様に落かさなり 掴み合い擲き合い 組では放れ離れては又組合 捻付け引伏蹴つ踏んづ

双方力も同年血気盛りの根くらべ 千代と春とは二人の両腰取られもせうかと気

づかひ半分傍へも寄られず ハア/\/\と心をあせり気をもみ上 どちらが勝ちも負けもせず擲き

 

 

73

合たが二人の存分 梅王殿もふよいわいな 松王殿もふ置かしやんせ やめて/\といふをも聞ず

勝負つかではむだ働き 投てくれんと松王丸 かさにかゝつて押す力 ひるまぬ梅王つゝかくる

肩先ひねつてかつくりさせ 横に抱へる松の木腕 劣らぬ肘骨梅の木腕 からみもぢつ

て押合ふ力 双方一度にこけかゝり もたるゝ拍子桜の立木 土際四五寸残る木の上は

ほつきりぐはつたりと 折たに驚く相嫁同士 二人が勝負も破角力(われすまふ)供に軻れて

手を打払ひ うろつく中へ早下向 アレ親父様のお帰りじや 白太夫様のといふ声に

二人は肩入裾おろし 腰刀指す間も有らず戻られし年は寄てもこはいは親 上へも上がらず

 

犬蹲踞(つくばい) けふの御祝儀お目出たいと 祝儀は述ても赤面し塵をひねらぬ斗なり

親はほや/\と機嫌顔 嬶達が先へ来て七十の賀を祝ふてくれたで けふの祝ひはさらり

と仕廻た しれて有る刻限遅いは何で障りが有てこぬあに極めた 梅王松王よふこそ

/\来てくれた コレ二(ふた)嫁煮くちたで有ふが雑煮は祝はしてたもつたかと 折た桜は見な

がらも誰仕わざぞと咎めもせず 叱る所を叱らぬ親一物 有りとしられたり 梅王丸懐

中ゟ用意の一通取出し 祝儀済で候へば私の所存の願ひ コレに書付け候と親の前に

指し出せば 松王も又一通身の上の願ひ是に有と同じ所へ直せしはいひ合せたるごとく也

 

 

74

太夫打笑ひ 心安い親子兄弟夫婦 斯(かう)並んだ中願ひ有らばいはひで ぎつとした

此書付 さらばおらもぎつとして代官所の格で捌こと 願ひ書き手に取上つぶ/\読むも

口の中 願ひは何やら聞へねど 春と千代とは夫の心知て居る筈跡先を しらねば案じる八重一人

三人の兄弟闘諍(いさかひ)親父様お頼み申し けふ中直しと云合したちよ様春様こりや何ぞい 何を

いふてもこちtの人 桜丸殿ござらぬ故心当が皆違ふた 道で眩暈(げんうん)が發(おこ)つたかと

見へぬ男を案じるやら 二人の願ひも気にかゝり 小首傾け案じ居る 親父は二通読み仕

廻い コリヤ梅王 そちが願ひに旅へ立隙くれとは ムゝ推量するに外でも有まい 菅丞相のござる

 

嶋か 成程/\ 結構な御殿に引かへ 埴生の小屋の御住居(すまい) 御用聞く人なければ梅王下つて

御奉公仕らん 身のお暇(いとま)と申ける ムゝ恩をしらねば人面獣心といふてな 顔は人でも心は畜生

嶋へ参つて御奉公がしたいとは まんざら恩を弁へぬ畜生けは離れた心 コリヤやい 御台様や

若君様おかはりも遊ばされず ござる所も知れた上旅立の願ひじやな イヤ御台様は

其以来お目にもかゝらず 御座所も存ませぬ 併女義の御事なれば 若君様とは又格別

菅秀才の御事は慥にといはんとせしが 松王を尻目にかけ 慥に所は存ぜども 息災に

御座有る噂 ヤイ馬鹿者 大切な菅秀才様 息災なを聞た斗お目にもかゝらず有家(ありか)も知ら

 

 

75

ず 夫(それ)で儕忠義が済か 女義の身とぬかしおる御台様は主じやないか コリヤやい 尤御不

自由な配所のお住居 お傍へ参つて御用を聞く 膝行(いざり)役の奉公は此白太夫がよい

役じやはい血気盛り奉公盛り 菅丞相の所縁(ゆかり)と有れば 根掘葉掘絶やさん迚鵜の

目鷹の目 油断ならぬ讒者の所為(しはざ) すはといふ時身を惜まず 御用に立所存はなふて 膝行

役を願ふは命が惜いか 敵がこはいか 旅立の願ひは叶はぬ/\取上ぬと 願書顔へ打付てはつた

と睨む老の腹立ち 道理至極に梅王夫婦誤り入たる風情なり ヤイ松王 そちが此願ひを見

れば 勘当を請たいとな ハアハゝゝゝゝ神武天皇様以来(このかた)珎らしい願ひじやな エゝ不孝といはゞ譬へのないやつ

 

余り珎しい願ひなれば聞届けてくれるそと親の了簡 ハゝハア忝しt悦ぶ松王いさみ立 親子兄弟

の縁を切る所存も問ず赦されしは 此松王が主人へ忠義 推量有ての事なるべし ハゝゝゝゝいか様口は調

法な物じやな 主人の道立て臍がくねるはい 道も道に寄てな 横に取て行く道を 蟹忠義と云

わいやい 甲(こうら)に似せて穴を掘ると 勘当請れば兄弟の縁も離れ 時平殿へ敵対は切ても捨

ん所存よな 尤善悪差別なく主へ義は立にもせい 親の心に背くをな 天道に背くといふわい

望叶へてとらする上は人外め早帰れ 隙取らば親子の別れ竹箒くらはさふと筋骨立てて怒り声

松王は思ひの儘女房こいと引立て行 ちよは遉に親兄弟名残も惜き相嫁の 顔を見る

 

 

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めもあかれぬ涙袂絞つて出て行 ハレヤレ嬉しや面倒なやつ片付けた ヤイそこな馬鹿者

御台若君の御行衛尋にいかぬか うせぬかと 是も手つよふきめ付られ そんなら嶋へは サア

行所はおれが行わい 出て行/\をこはかるおはる 八重様跡で能やうにお詫び言をと云捨て 夫婦は

門(かど)へ白太夫は唾呑込で奥へ行 兄弟夫婦に引わかれ取残されしは八重が身の 仕廻もつかぬ

物思ひ門へ立そに待夫 思ひがけなき納戸口刀片手に莞尓(につtこ)と笑ひ 女房共嘸待つらんと声

に恟り走り寄り ヤアいつの間にやら来た共云ず 案じる女房を思はぬ仕方 兄弟衆の事に付て

親父様のお腹立 其場へは出もせいで マア何でこな様は納戸の内に エゝこれナア 訳を聞かして

 

/\と聞たがるこそ道理なれ 暫く有て白太夫挟(はみ)出し鰐の小脇指 三方に乗せしほ/\

と 出るも老の足弱車 舎人桜が前に置用意能ばとく/\といふに女房又恟り

ヤアこりや何じや親父様 桜丸殿とふぞいなァ 何で死ぬのじや腹切るのじや切ねはならぬ訳

ならば未練な根性さぎや仕ませぬ こなさんが云れずば親父様の只一言 案じる胸を休め

てたべお慈悲/\と手を合せ泣ゟ外の事ぞなき ヤア親人に何御苦労 是迄馴染む夫婦

の中所存残さず云聞かさん 其が主人と申もお恐れ多き斎世の君様 百姓の躮なれ共

菅丞相の御不便を加へられ 親人へは御扶持方 御愛樹の松梅桜 兄弟が名に象り 松王

 

 

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梅王桜丸憚り有や冥加なや えぼし子に成下され御恩は上なき築地の勤め 三人

の其中に桜丸が身の幸い 人間の胤ならぬ竹の園の御所奉公 下々の下々たる牛飼

舎人 母袋なくも身近く召され 菅丞相の姫君とわりなき中の御文使い 仕課せたか仇と

成て讒者の舌に御身の浮名 終には謀叛と云立られ 菅原の御家没落是非もなき

次第なれば 宮姫君の御安堵を見届け 義心を顕はす我生害 けさ早々爰迄来て右一(ひと)段

生きて居られぬ最期の願ひ 聞届けて切腹刀 親の手づから下されたはい女房 我にかはつてお

礼も申死後の孝行頼むぞと義を立守る夫の詞 女房わつと声を上 仇成恋路の

 

お媒介(とりもち) 親王様の御悪名 丞相様の流され給ふ園言訳に切る腹なら 此八重も生き

ては居られぬ 私は残つて孝行せいと同欲にもよふいはれた 夫レよりはまだむごい腹

切礼を申せとは それが何の礼所無理な事いふ手間で いつしよに死ねとコレヤ女房

の願ひ立てたべ 親父様の思案はないかコレ?(うつむ)いて斗ござらず共 よい智恵出してくだ

さりませ 夫の命生き死には親父様のお詞次第 お前は悲しうござりませぬか 親の手づから此三方腹

切刀は何事ぞと 恨つ頼つ身を投伏もだへ こがるゝ有様は物ぐるはしき風情也 白太夫

顔ふり上 子に死といふ腹切刀 むごい親と思ふいひ訳ではなけれどな 此暁は我身

 

 

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の祝ひ いつもより早く起き門(かど)の戸明くれば桜丸 ヤレ早ふ来てくれた 陸(かち)ならば夜通し

但しは船か サアまあこちへと呼入て様子を聞けば右の次第 白太夫づれが躮には

驚き入た健気者 とゞめても聞入れず けふの祝儀仕廻迄 女房が来ても逢はし

はせぬぞ おれが出いといふ迄は納戸の内に隠れて居いと 一寸延しに命をかばひ

助けてよいか悪いかはおらが了簡に及ばず 神明の加護に任さんと 最前祝儀に

くれた扇三本 幸い絵にいは梅松桜 子供の行末祈る顔で氏神の祠へ直し置き 信を取て

御鬮の立願 桜丸が命乞 中の絵は上から見へぬ三本の此扇 初手に桜をとらしてたへ

 

ヘエゝ上らせ給へと再拝祈念 取上た扇ひらけば梅の花 南無三コレは叶はぬ告げ

か 神の心を疑ふ御鬮の取直しせぬ物なれ共 助けたいが一ぱいで取直す次の扇

今度も違ふて又松の絵 頼みも力も落果て下向すりや折れた桜 常業

と諦めて腹切刀抜す親 思ひ切ておりや泣かぬ そなたも泣やんな ヤ ヤ ヤゝゝゝゝアレ

聞たか女房共桜丸が命惜まれて老人の心つかひ 御恩も送らず先達不孝御赦され

て下されい 下郎ながら恥をしり義の為に相果ると三方取て戴くにぞ もふコレ今が

別れかと泣くも泣かれぬ夫の覚悟 白太夫目をしばたゝき潔い躮が切腹 介錯

 

 

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は親がする 其刀コレ見やれと懐から取出すは 願ひ込んだる鉦鐘木 コレ此刀で

介錯すれば 未来永劫迷はぬ功力 劔即是弥陀号と鐘木を取て打

鳴らす 鉦もしどろに南無阿弥陀仏/\ 南無あみだ/\/\南無あみだ/\/\ 念仏の

声と諸共に襟押くつろげ九寸五分 弓手の脇へ突立れば 八重が泣く声打つ鉦も

拍子乱れて南無あみだ/\/\/\/\ 右のあばらへ引舞し憚りながら御介錯 ヲゝ介錯

後ろへ廻り鐘木ふり上南無阿弥陀仏と打や此世の別れの念仏 九寸五分

取直し 喉(ふえ)のくさりを刎ね切ってかつぱと伏して息絶えたり 八重が覚悟の此場を

 

さらず夫の血刀取上る 枳穀(きこく)のかけより梅王夫婦走り寄てこりや何

事と九寸五分もきとり捨 親の前に畏り コレ/\先程帰れと有し時表へは出た

れど 桜丸がこぬ不思議と 丞相様のお秘蔵有し 桜の折れたを詮議もなされぬ

彼是不審に存ずるから裏より忍び立戻り 始終の様子は承はつた ヘエ是非

に及ばぬあの樹と供に枯し命の桜丸 兄弟の最期余所に見て 親へ

鉦鼓に合せ 女夫の者が忍びの念仏 あつたら若者殺せしと 悔む

夫婦も聞く親も 八重も死なれぬ身のくり言 是非も涙に南無あみだ

 

 

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仏と鉦打納め 鐘木とかはる杖と笠 白太夫は片時も早く菅

丞相の御跡慕ひ嶋へ赴く現世の旅立 桜丸が魂魄は未来

へ旅立此亡骸梅王夫婦を頼むぞと 八重が事迄つど/\に頼む

詞の置土産 冥途のみやげは只念仏 南無阿弥陀仏/\/\南

阿弥陀仏/\/\ 南無阿弥陀笠打かぶり西へ行足十万億土 亡骸送る

親送る 生ての忠義死したる臣 一樹(ひとき)は枯し無常の桜残る二樹は松王梅

王 三つ子の親が住み所 末世に夫レと白太夫 佐太の社の旧跡も神の 恵みと知られける