仮想空間

趣味の変体仮名

日高川入相花王 第三

 

読んだ本 http://archive.waseda.jp/archive/index.html
     イ14-00002-680


41(左頁)
   第三
心は文字に書かるれど絵にかゝれぬを心といふ 三徳を備へ五常を去らぬ 六孫王経
基のおはします 八条の訴目館(そめやかた) 北の方真弓御前君子のよきたぐひとや 夫を見
習ふ公事(くじ)捌き白洲に下知が十手捕り縄 訴状読みの嬪衆もけふ百の陸奥
陽名介かけたるは源氏の 内のならひかや 山科の百姓願ひの品声届けた 松崎村の庄屋
申渡した通急度相心得よ 子細有て今日は 夫の代りを勤むれば 経基のお捌きも同し事
背かば曲事早帰れ ハア罷り立て 立てませいと下知が猶威のいかつ声 ハア立ちまする 女中様のお捌き


42
なれば 御意のない先からとふから立ておりまする ヤアあだ口利かずととつとゝうせふ ハイ其こはいお
顔より 美しいお顔のお捌きのきびしさ 男よりきついかゝのかみ様 あなたを取てしめる殿様なら
右馬頭(うまのかみ)様でござりましよ まだ馬鹿尽すか引立いと 指合紛らす1皺面に 笑ひを隠す
殿様の 袖に女子を顕はせり 御門の口に下りませい/\といふ声して 糟田恵(え)平白洲に手を
つき 当夏牢舎仕る盗賊 四つ塚大作が舅四十次(よそじ) 孫力松を召し連 聟が命乞に
毎日の願ひ お取上ないと云聞かしても聞入ず ぼつかへし候はんやと伺へば 其大作は此館の宝
蔵に忍び入たれば 一通りの盗賊ならずと 様々の責めにかくれ共白状せねば 明日死罪に

極る所 日外(いつぞや)より毎日の命乞 心根も不便(ふびん)なり 暇乞させ取らせん是へよべ ハア大作が舅播
磨の四十次 孫供に出ませいと 呼つぐ声は 池の鮒手拍子聞しうき/\足 出付けぬ庭の飛石
ぐはつたり 力松よ石高なぞ走るな/\ エイ/\エ ヤア御前じやがすさらぬかと 叱られてはい/\/\
ハアさつても広い内方で 大道じや/\と うか/\来たら殿様の御前じやそふな 孫よそこでつく
ばへ 扨 毎日申上まするは 聟大作が命のお願ひ 此度のはほんの出来心 私が証人きやつも
元はよし有侍 盗みさへせねば正道な生れ付き それで娘が乞(こひ)聟 手の長いが玉に疵 異見
せふにも女房の事 長い物にはまかれいと それなりにして置く中 所こそ有れ日本の武将 経基


43
様のお屋敷へ 盗みに入たは運の尽き サア仕廻ふた百年め 娘覚悟せいと申ても女ゴの事なら ぐど
/\と苦にやんで大煩ひ 医者よ人参と騒げば 人参より何より 大作殿が助つて下さつたら
とのくどき言 此孫めは孫めで とゝ様と一所に牢へはいつて遊びたいとせがみおる 播磨と都三十
里も隔てて居る気遣ひさ 大病人ほつて置て 命乞に登りましてけふで大方四十日 定めて待ち
退屈して 弥病気も重(おも)らふと 思へば不便にござります マゝ/\/\ 結構なお慈悲深い経
基様 十が九つ ナお助けなされて下さりませう 只今迄は永々いかい御やつかい 迚もなら一日も早ふ
帰ります様に ナ申といはせも立ずだまりおらふ 下として上を計らふ慮外者め ハイ/\/\ ほんに何

がなと存じて此苞(つと)づゝみ 奥様への進上 今朝十三文で買て参つた此牛蒡(ごんぼ) 次第におせいが付
まして 此様におふとりなさるゝ様に太煮にして上りませ 早咲の白梅一枝 お家の御繁昌を
祝ふて上ます 其かはりに聟が命を エヘゝゝ 結構なお気の奥様 孫よ拝め 生きた弁財天
様 ヘゝゝゝ 結構なお役人様方 孫よ われがほしがる生き一文奴様 結構なお髭でござります
ると 見へ透く様な追従の 下手に律儀はしられける 北の方御不便顔 白梅に源氏の栄へ
を寿き 室咲に聟の帰りを 一日も早ふと待兼る 心をしらせししほらしさ 任せぬは世の政道
大作明日牢より出し 粟田口にて獄門に行はるゝぞと 聞て恟り エゝそんなら聟は殺され


44
ますか コリヤ孫よ とゝはあす切られるといやい とゝ様切らす事いやじや いやじやといふて夫レがまあ 我
が自由になろかいやい ハア悲しやと斗にて 白洲にがはと腰ぬかし立も得やらぬうろ/\涙 ヲゝ覚
悟せぬ事なれば驚くは尤ながら 是迄日を延し助け置かれしは 詮議有者故 毎日の拷問長ふ
うきめを見せふより 刑罰は却て慈悲 嘆かず共人目逢て暇乞 ソレ科人是へ ハアはつと
牢屋をひらき引出す 千里の虎も時を得ざれば野狐(やこ)の為に辱めらる 一朝に怨みを含む
藤原の純友も 縄目にかゝれば小盗の四つ塚大作と侮られ 日毎の責め苦に肉落て
赤熊(しやぐま)の月代頬骨立 こはい顔見て悦ぶ子 とつ様抱てとしがみ付 ヤア見苦しいと引退け

下部をせいしてコリヤ/\手あらふせずと顔見せてとらせよと 涙もろくも役人の情に頭上げ
兼て 力松よう来たな 身が牢へ入た事を聞て かゝは煩ふているか さこそ/\ 毎日/\逢に
くると聞て けふは取分け逢たかつた したがもふ追付赦される われは早ふ国へいんでナ かゝに
やんがて無事な顔見せふ 待て居やといふてくれ 舅殿 連れていんで下され イヤこれ/\
聟殿 そんな間に合くふ様な坊主めじやござらぬ こなたがあす切れるといふ事たつた今
聞て 二人ながら十方(とほう)にくれて居るわいの ハイ 此上のお願ひはござります 未練なこつちやが
子の可愛は親の因果 聟がお仕置に逢たと聞たら 娘めは直ぐに取詰めまする 時には


45
科人は一人御刑罰は二人 中を取て此皺首を 聟か代りお声届け下さらば 三人四人が悦び此
上がござりませうか コレ申 御台様 さま さま様とさま/\゛に拝み嘆けば力松も とつ様の代りに
わしを殺して下されと まだ四つ子の真実さ ヤア叶はぬ願ひをませた小伜 コリヤ親めが代りに成る
と首切られるが合点か イヤ/\ 首切られたらまゝくふ事がならぬ物 首切らずについ
殺して とつ様助けて下されと あどない詞を聞く親の 千(ち)筋の縄より血筋の涙 呑込ながら
つかふど声 コレ舅殿 手は盗みしても魂は侍 親父殿や?を殺して助かりそふな大作とお
もふてか エゝごくに立たぬ事をいはずと 孫連れて帰らしやれと いふ顔を打ながめ コレ聟殿そりや

聞へぬ 侍の舅ならおれも侍 こなたが死だ跡で此坊主めが成人しても アレ/\ 日外(いつぞや)獄門
にかゝつた盗人の子じやと指さゝれ 肩身がすぼるまいか せんども隣の子の絵本をば
いあふて 盗人めがと擲れてしよげておつたを見れば 子心にも盗みするは 悪いこつちやとしつて
いるそふなと 行末思ひ 廻すに付エゝ恨めしい聟殿 それ程子が可愛くば 牛蒡からげた様
にならぬ前(さき) 娘が異見をなぜ聞ては下されぬと 恨みの有たけ数々をかぞへ立/\ 先非をくい
入るうき縄目 見るめはいとゞいぢらしし 調臺の襖音高く 武将経基公出給へば 北の方
おもはゆげに 仰に任せ暫が間 不調法な女の政道 お目にかけておはもじやと席を下がつて


46
敬せられる様夫婦中も武家なれや イヤ/\女ながらも政道曲げぬ真弓の計らひ天晴/\
ヤア大作 儕いか程陳ずる共 我宝蔵に入たるは 金銀衣服などの望にあらじ 大望有るやつ
と見た 望む物は源家の白籏か 髭切膝丸の類なるか 然らば是武士たる者の心がけ 盗
賊とはいふべからず 賤しき小盗人といはれて死ぬるは 口惜ふは思はぬかと 仁愛深き拷問に ちつ
共のらずえせ笑ひ 幾度お尋なされても 金銀の外望のない小さい盗人 それでも獄門にかけ
らるゝ 世上には歴々 知行を盗で何事なく暮す盗人も有り 憚りながら殿様も 大作が目には
盗賊と存じらるゝ 其訳は聞伝へ憚り有る 経基公平親王将門に討負け てうど此様に生け

捕れ給ひしを 大丈夫の将門 つたら敷勇士を殺す武士(ものゝふ)の本意ならずと 縄目をゆるし
助けたる恩を仇 直ぐ様 秀郷貞盛と心を合せ 命の親を討亡し 其巧に武将と仰がれ 悠々
と日を送らるゝは命盗人盗賊とは思し召れぬか ハゝゝゝはて扨そちは小盗人に似合ぬ 将門
が事委しくも知たりな 越王勾践(こうせん)呉王に助けられて呉王を亡す 是弓矢取者の鑑
一人の恩を以て朝敵を用捨する倥(うつけ)者の有べきか 天子の禄を受ながら 位を盗まんとせし
将門といふ盗人に 恩もなく礼儀もなし 今にもきやつらが余類あらば盗賊の法 汝等
と供に首をならぶるナ 聞へたか ヤア老人 明日死罪に行ふ大作 溜りにひかへ最期にあふて


47
立帰れ ソレ科人獄屋へ引立よと 重ねておりし命の錠まへ 此明けやうは白波の 立兼てこそ
別れ行 経基邊に心をくばり ヤアいつの間にかは気転の投入窓の梅は北の方の手際よ
な 春に先立つ室の花 咲きも咲いたり入れも入れたり 其風雅を見て 今日迄御身にも 埋み隠せし
我秘蔵の宝咲 只今出して生けさせんと ずんど立て廉中より匂ひけたかき雪の梅 実
神木の御莟不浄をはらつて上座にすゝめ 謹んで拝し奉れ 是こそは 朱雀(しゆじやく)天皇
一の宮 御年僅か四つなれ共 四海をしろしめされん御方 然るに御運の拙さは 帝いまだ位につ
かせ給はざる前(さき)上童(わらは)に密通有其中に生れ給ふ 君の御恥を包まん為某密かに隠し

取り 我子の経為が乳母を兼 忍び/\の乳房にて是迄育て参らせしが 佞姦邪智の
忠文是を聞付け 若宮を隠し置くは経基が謀反なりと 悪し様の讒言にて帝も却て逆
鱗有り 今日七つ迄に宮の御首を討ち 禁庭へ捧げよとの勅諚 進退爰に逼(せま)つてはつ
たと当惑 此難儀を捌かん者御身ならで外になし 一日政道を預けしも此捌きをさせん為 刻
限とても今一時分別いかに思案いかにと せりかけ給へば 成程 様子段々承はれば気の毒な事
ながら 殿の御思案に及ばぬ事 女ゴの智恵にそれがマア 御無体な事斗 イヤサ無体でない お
ことが生けし此梅も枝を切て花を生ける 一の宮は花の兄 まつ此ごとく切て生ける思案こそあら


48
まほし 兎角小枝を用捨しては 肝心の花が生けられぬ 小枝を切て切捨る 工夫をせよと花
生けの 底に節有る二重切 一の宮の御手を取一間に 誘ひ入給ふ 跡につつぽり物いはぬ花を心
の談合相手 日にしほれたる投げ首し ムゝムゝ小枝を切れとは我子の経若 切れとの謎はとけながら わら
はが為には義理有る接木 むごらしう何と切られうぞ 悪名受るはいとはねど花の様なるあの
若を 切れとはつらやどうよくや智恵も思案も今いふて 今の難儀を何とせん うたてやせ
はしい冬の日の 短い縁の端なるかと 心一つに身をあせる お主の命我子の命 聟の命の助け
たさ おづ/\白洲へはい戻る播磨の四十次 奥様 しつこいお願ひながら是御らうじてと

懐中より 開いて抜出す願ひ書き エゝそこ所じやないわいの そつちよりこつちに助けて貰ひたい
さがりや/\と云ながら つい目にかゝる二字三字 四十次 そんなら始終の様子 いかにも 残
らず承つて ヲゝでかした/\ 聟が命は助た 夫のお目にかゝらぬ様に早ふ/\と牢屋の鑰(かぎ)
エゝ有がたい忝いと 孫を御台の手に渡し 獄屋へ忍ぶ指し足も人に聞すな 白砂のちゞに
砕くる時計の刻み せはし七つのりん/\/\ 凛然と装束改め時刻移ると出給ふ 夫に隠
す此場の時宜 声のふるひをくろめ兼 用意とくより致せしと 心は跡に奥の方 表の方
には早使 刻限遅し経基卿 只今参内候べしと 呼はり捨てて立帰る 時刻もてうど太


49
刀音の 殺すと 助る牢屋の戸 明けて出たる四つ塚大作 是はと恟り経基公 見せじと
出る北の方 サア実検と差出す首桶 いぶかしながら取上る 目くばり気配り心のふた
明けてぴつしやり二度恟り ナント殿 御所望のお花はお心に入ましたかな ムゝ面白き小枝
のあしらひ 彼といひ是といひ生けたり/\ 籠の中の鶯も 梅花がちれば古郷へ 帰して
やるも是仁政 去ながら 花のちつたはまだしらぬ鳥類の浅ましさ 経でも読んで泣
おらふと 余所に見なして出給ふと しらぬ大作立へだつ 裲一重不破の関 表御門と
裏御門 虎口を遁れ出て行 やり過して走り出 奥様有かたうござります ノウ其拝む

はこつちから 前腹(せんばら)の経若 殺さねばならぬ悲しさ 助つた今の嬉しさにくらべて 孫を殺し
たそもじの胸 はりさくやうに有ふのふ アノおつしやります事は 孫めを殺したは聟を助け
たい斗じやござりませぬ 私も鋳物師で 昔は禁裏様の御用も聞まし 大恩の日天(につてん)様のお身
がはりに 立ました有がたさ 私も侍のはしくれ 何悲しうござりましよ したが申大切な
宮様切て仕廻ふたといふて置て やつぱり此お館に置きまして ひよつと見付られたら
今度は一大事 かけ構ひのない私が内へお預り申て帰りましよ 勿体ない事ながら
孫がかはりに お育て申たうござります ヲゝよう気が付た 御身がはりに孫を切るそもじ


50
に預け置ば安堵 宮様是へと御手を取妻手(めて)にむざんや力松が けさの形もなきからを
見るより其儘いだき付わつと泣たら笑はりよかと かひなき手足撫さすり 坊
主よ わが望の通りとゝがかはりになつて嬉しいか でかしおりましてござります ア聟めは
子の死だ事はしらずに とつぱらは先へいにおつて 嬶めが嘸悦ぶでござりましよ マゝゝゝと
紛らせど いんで娘が孫が事 とふたらなんと云訳も涙に孝の腰もぬけよろぼひ
ながらこて/\と 達者祝ふて持てきた 牛蒡のかはりふごの中 入る心は輿車コレのふ
恩有大事の死骸 せめては野辺の送りなと びゞしうわらはにさしてたもと の給へば

アゝ勿体ない 是が下々(げゝ)等の身相応 此間四十日余りも嬶が懐を離れ 皺だら
けな祖父(ぢい)が肌に 毎晩抱かれて寝おりましたに 今から誰を抱ませう せめて今夜一
夜さ 胴斗なと抱て寝たうござります もふお暇とふりかたげ 宮を抱てすご/\と
立出る後ろより エイと一声恟りし 宮をかこふてふり返るをてうと打たる梅花の手裏剣 片
手に留むれば ヲゝたのもし/\ 我身を捨てて宮をかこひし身の取廻し それを見たれば
気づかひなし其花しつかと預けたぞ 一りんもちらすこつちやござりませぬ 猶道迄は心をしつ
た恵平供せい ナイ/\と 花の一矢も射たりや 射たり鋳物師は己が住家へ 「帰りける 


51
きぬ/\゛に 恨みられたるすぎはひも 妻故なれや恋の部に 是も入江の播磨潟
鋳物師が女房のい節は切なる思ひ故 重い病もきのふより 夫の帰りの嬉しさに
涙の枕乾上つて洗濯布子春拵へ 針持つ手元ちよい/\/\店はちやん/\唐
金の 釣鐘火鉢風炉鑵子(かんす) 鏡は鋳れど鋳られぬは人の心の鏡なる 団八甚九
けふのお恵(え)様の顔見たか さればい あの様にもようなる物か 九月の指し入から上がらぬ枕が
上つて からくり的の様な病気 ありやなんで有たぞい ハテ知れた事 可愛男が牢
へ入られて それからおこつた病気故 労咳じやと医者殿の見立て きのふ牢から助つて

戻らるゝと 忽ち気色がようなるとは きつい男思ひじやないかいイヤ又爰の大作殿が
巾着切で有ふとはこちとらもしらなんだ 今から旦那殿に油断すな たとへのふしに
小糠三合 高がこんな内へ入聟に来たからは ろくなやつでは有まいぞいと 其日雇ひ
の口さがなさ 洩聞妻の 苦しさを 紛らす咳が呼出して 又も指し込む胸の関 雇はれ
嬶が気を付けて お茶上ふと指し出す ヲゝお埒(らち)女郎 もふけふは茶も是でえいぞへ
旅草臥で主はよう寝て居さしやんす こんな嬉しい祝ひ事 手間取衆にも
酒(さゝ)一つ進ぜて下さんせ のふ皆の衆 主の牢舎の訳 悪名受るもほんの


52
災難 他へ為業(しごと)にいかしやんしても 必ず今の様な事 沙汰なしにして下さんせ頼み
ますると有ければ ひよんな悪口いふてのけ我天窓(あたま)さへかき兼て アゝイヤお出入の
旦那の事何の悪品(わるしな)に申ませう 御器用な旦那様 隠し芸しやと風聴して
おりまする イヤ私もあやかります様に そんなら御勝手で御酒下さりましよ アレ/\又あ
いつが 呑む事といふと一番に 大盗人め アゝこりや指し合 旦那のこつちやござりませ
ぬと いふ程悪ふ鳴る鐘の 手間取り共は逃て入る 七つさがりの日は首筋へ 禿山盆徳
御見舞と供の丁稚が鼻の下 長い羽織に短い相口 ぬかぬ太刀の 高名顔

先ず顔色よし 仕合な医者にかゝつて段々よからふが おかげできのふからとんと癪
もさがりまする さがる様にして置た 咳も大方止みまする 止むやうにして置た 今
の脉(みやく)が医書の面てに合た 見(けん)脉ぴん/\する時は 胸だく/\すといへり なぞと外の
病家では子細らしうやるけれど 何か世話になる爰の事 此埒もおれが肝煎つて
おこす 一家の様に思ふて居る故 つやをのけて正真の所をいふて聞かす 何でえす 有
やうはお内儀 せんど迄生けふとは思はなんだ もふ逃ふか/\と思ふたれど イヤ/\迚もなら
外の者の手にかけふより 念頃がいにとゞめさいてしんぜうと 辛抱して見舞ふ


53
中(うち) きのふからめき/\とようなつたは 根が男思ひの病気 まめな顔見たが万
病円 かんまへておれが薬の利たのじやと思はしやつたら罰(ばち)があたる おれが是
迄盛て覚へが有る じたい薬といふ物がきく物じやござらぬ 其代り毒はよふきく
物 必久しぶりじやと思ふて ひら/\とすべしなど用ひまいぞ ヤぼんはとこに居ま
す さればいな ぬし斗先へ帰られまして とつ様も力松もまだ跡に何して居るやら
ムゝまだ戻らぬか まあ一家揃ふて結構な年の終り 可愛ぼんにやらふと
思ふて 買て来た破魔弓 丁太郎よ それ爰へおこせ エゝこりやわしに下んすの

かと思や 爰な子にやるのかへ たはけめ 又靍の首落しおつた あの洟たれめに
はこまります 沙汰はない事 きやつ実は我等が息子 あのあほうで余所へ
奉公にはやられず 給銀かいて薬箱持ち置かふよいりはと 表向き家来にして
つかへ共 時々は病家で とさん/\をぬかして親に恥かくしおる エゝそんなら御子息様かへ
まあひへるにからげおろして爰へお上り イヤ/\癖になります 上りおんな まだ進 
ぜる物が有ると 紙入よりこて/\取出し 是は是古人の歌に 千早振る神代もき
かず立田川といふ上の句 お埒是を表に張て置かしやれ 病気祈祷の


54
きついまじなひ 是迄薬で直した顔で 是でさい/\手柄した もふきゝもせぬ
薬おつしやれ お内儀さらば 家来供せい 又あま貝引ずりおるかと 実に子を捨つ
る藪医者が 帰れば跡にいそ/\と ても扨も力松は仕合な子 医者殿にさへかは
いがられ結構な正月仕やる イヤまた大事の大作殿 命乞仕?(おほせ)た手柄者 戻つ
たら褒美にやる おぼこ人形や武者人形 此破魔弓も一所にて置て
下さんせ 夕飯(まゝ)の拵はへ イヤとうから汁もしかけて 鱠も盛てござります よし/\
久しう寝て居たかはりに 取分けめでたい正月拵へ 蓬莱もいつもより大きうし

たし 坊(ぼん)の正月呉もいそぐ 何からせうやら気が落付かぬ 是は又こちの人も いつ
迄寝やしやんす事 長々の牢の草臥が 一時に寝たとて休まる物か ちつと
久しぶりの咄しもしたがよいはいの どれこそぐつて起こしてこふと しんどい
足も 気が引立る一間 押明奥に入 爰にあやしき骨柄の 六尺ゆたかの
大の男 長けにひとしき笈を負ひ実に尋常(よのつね)の修行者ならず 捕手の役人前
後をかこみ渡せ/\罵る声 耳にも入れず 門口に立はたかり 廻国の修行者
宿がかりたい 宿からんとぞ呼はりける どなはんじやこちへはいらんせと何心なく


55
出る大作 表をきつと思案顔 ハテナ 宿の無心は聞へたが 心得ぬ捕手の衆 ムゝ
指しつまる御難儀故 かくまふてくれいとのお頼み イヤそふでない 只宿がかりたい
斗 此様なあぶ蠅のよふなやつばらをこはがつて 何のお身達を頼まふぞ イヤこい
つ推参千万 未だ将門が余類詮議最中 立をぬぎ 笈の中(うち)をひらいて見せ
ずば くゝし上るがなんと/\ ハゝゝ 日本回国の此快了 笈は則身が魂 六十六ヶ
国を足下にかけ 日月より外尊(たつと)き物ない 其日月にさへ脱がぬは笠 うぬらが
差図を請てぬがふか 身が脱たい時にぬぐ コナうつけ者めら サア亭主 宿か

しやれと 大丈夫に気をのまれ さふなくも寄付かず渡せ/\と争ふたり ムゝ 修行
者の魂 見せられぬといふ笈の中が面白い 六十六ヶ国を足下に踏したかへる
大願有修行者 いかにしても耳寄な お宿致さふ お通りなされ ムゝ修行者
の魂を見たがる お身が心の内も面白い 然らば今宵は是に一宿 ヤア下郎共
左程我事が不審ならば 地頭に逢ていふて聞そふ案内せい 其間此笈の
魂を 亭主 しつかと預け置く ハア此方の魂も 後程互に打明けたらば ヲゝ其魂を
明くるは後に 侍共サアこいと 宿かる大胆かす不敵 高野聖と盗人に 笈を


56
預けてのつさ/\ 捕手を 引連れ別れ行 片付けて入相は忘れし無道思ひ出し
泣との鐘の告げ渡る行燈(あんどう)の火にさら/\と ならべ立たる稚子の 持遊(もちやそび)道具
破魔弓を 手に取上て涙ぐみ 我を先へ帰して 舅殿の帰りの遅いは 極
て力松は殺されて 其かはりに因果な命助かるとは 牢を出るときつと胸
にこたへたれど 望有る身のどうよくにも みす/\我子を見殺して帰つたわい
それとはしらず女房が 親子三人めでたい春を向へると 弓や人形錺立て
本年の聖霊にはかこぬ者を 今や戻ると待て居るじゃかはいやな 最前医

者のいふ通り 夫が牢舎と聞てさへ死ふとした程の大病 今にも舅か帰られ
て 我子が死だと聞たらばと思ひやつたる男泣 なく/\立て仏壇の御明(みあかし)の灯は明く
程 心ぼそさもいやまして 闇路をたどる稚子の 紙の位牌の書付も 戒名頼
む僧もなく 俗名力松頓生菩提と 回向の声もかきくれて 導く我は
亡者より先へ迷ひし親心 しらぬ間が仏にて妻のお節は勝手より
間鍋とさん肴鉢 持ていそ/\足音にちやつと飛のき 数珠と涙
の置き所 たばこ盆をぞだかへ居る こちの人悦んで下さんせ けふは気合もすつ


57
きりとよし 追付ぼんの顔も見よふし ほんに嬉しい事揃へ 祝ひ事に酒(さゝ)一つ 久し
ぶりのわたしが酌でとてうどつぎ きのふは猟がきいたとて 播磨の肴屋が
けさ持て来た 折も幸いめで鯛の濱焼 口祝ふて下さんせ なんじやあの
此肴を喰へか イヤもふおりやけふはそんな生ふさい物より 精進がよいわいの アノ
わつけもない こんな時に祝ふのが則ち祈祷 おまへの身祝ひぼんの身祝ひ
夕飯(まゝ)も何はせいでも焼物鱠 一所に膳据ふとちやんと拵てござん
すに ほんに遅い事では有と 妻は子を持大作は 我子の七日も立ぬ中 僧

法師こそ呼ず共精進落る胸の中 裂くる思ひを押隠し いかさま思へば悲し
い程は祝はぬ 世の中に 死に別れ程あぢきない物はない 其中にも 夫に別れ
ると子に別れるとは どちらが悲しからふと思やる さればいな どちらをどちら共
いはれぬ物なれど 力松に僅か一ト月程別れて居てさへ どふやら便りない事を
思へば 子に離れた人の心は たまる物じや有まいとわしや思ひますわいな
ヲゝ尤 其通りといふより外は詞なく背ける 顔の横しぶき 外もふらねどしよん
ぼりと四十次はふごも明きがらの 孫は冥途へ置て来て足に力も精もぬけ


58
はいり兼たる我家の門 ちらりと見るよりヤアとゝさん戻らしやんしたか 待かね
た/\ マア/\しんどかろし 力松がいかい世話に成たでござんしよ ちやつと顔見
しや何して居やる どこにいやると尋られ 覚悟しながら口どまくれ イヤ
あの孫は何じやわい とつと道くさして 連れの衆が跡からつれて立て見へる筈 是は
したり子供といふ物は ちやつと戻りは仕やらいで これ見やしやんせ方々から 破
魔弓や持遊貰ふてな わたしも病の片手に仕立てた 坊(ぼん)の正月呉(ご)見
て下さんせ 郡内嶋に本紅(もみ)裏 最一つは縫いかけて有る ナコレ此染模様 とちらを

着せたがよからふぞいなと 余念ない程せつない祖父(ぢい) エゝとつとともふ そんな事
はおりやしらぬ ヲゝあいそもない そんならあの子に見せてから 気に入た方に仕やん
しよ 此ぼんはなぜおそいと 門を覗いつ延びあがり 若し腹痛(はらいた)でもおこらぬかと 少(ちつと)
の間さへ案じる母 見るにはつたと胸ふさがり いとゞうろ/\表へは 若宮伴ひ来る
侍はつと驚き走り出 ちやくと抱取り御苦労様 もふお帰りと目でいなせ 見せじ
と隠せど目早きお節 ヤレ/\力松戻りやつたか 祖父様に斗あまへずと
わしにもちつと抱かりやいのと 無理に引寄せ顔を見て ヤアこりや坊が違ふ


59
たは 連れの衆が取違へてござつたか 但とつ様の麁相か 気づかひなどふぞ
いな エゝ人に斗物いはせ うつむいて居てすむかいな こちの人も引のいて時も
時と仏壇に 何してぞいのと数珠引たくり 見付ける位牌 俗名力松 ヤア
いま/\しいこりやなんぞ どふしたこつちやサア/\/\ 訳が聞たい/\と すがり付けば
祖父は声上げ 聟殿 扨はこなたも知ていたか 娘 孫に逢たくば 是を見いと投げ
出す着る物 ヤアこりやぼんが着ていた綿入 此位牌といひ 坊主め
は大作のかはりに成て 殺されたはやい ハアはつと斗気を取登し其儘

どふど 倒れ泣 ヲゝ道理じや/\ てつきり そふ有ふと思ふた故 ちつとの間
なと隠そふと たつた二日の道中なれど 死骸さへ得持て戻らず 道なか
の墓原に つい埋(うづん)で来たわいのと 背な撫でさすり介抱に 母は着る物いだき
しめ ヤレ力松よでかしたなァ 廿四孝の郭巨とやら 金(こがね)の釜をほり出すよ
り 四つや五つの稚気に爺(てゝ)御の命にかはつて死ぬる そなたの様な孝行な
子が又と世界にあろかいの 畸人(かたわ)な子でさへ可愛物 こんな子を先逹てかく
るうきめを見る事なら 先途の病に死にはせできいた薬が恨めしい 破魔


60
弓人形も何にせうと目に見る程の手道具に 涙かゝらぬ物もなく 四十次
が顔もあやちなく アゝ扨かはいや 御台の手へ渡す時 サアとゝがかはりに首討
のじやと いひ聞かしたりや泣きもせず たつた一言かゝ様にだかれたいと いふた故 ヲゝ
気遣ひすなよ とゝやかゝは 追付跡からいて抱いてやる 冥途へいて待て居い
と だまして殺してやつたれど 何のまあ親子は一世 再び逢事もならぬと
はしらず もふくるか/\と 六道の辻でうろたへてあらふと 思へば悲しい/\と嘆けば
娘は耳に手をあて もふ聞かして下さんすな 跡したはふにも死ふにも親子は一世

と定まつたは どふしたむごいどうよくな仏の教へなりけるぞと 神も仏もうら
み泣子故に 罰(ばち)も思はれず 夫は胸に逆まく涙 押さげ/\ ヤイ女房 ?
が一命 大作が代わりに斗立たりと思ふな 一天の君の御身がはり のふ舅殿 此稚子
は 経基の館にかくまひ有る当今(とうぎん)の若宮でござらふがのと 尋ぬる詞の答
もなくずんど立て一間の内 聟が一腰提(ひつさげ)出 孫が命を捨たので 日頃こな
たのねらはしやる 主人の敵がしれたぞ サア此刀で討たつしやれと 投げ出せば
きよつとして 大作が主の敵とはそりや誰を ヲゝこなたの敵は此若宮で


61
有ふがの イヤそれは ヤこれ/\あらがはしやんな 何ぼ隠しやつても舅は親
子の身の上をしらいでかいの こなたの主人と頼まれた 平親王将門殿 謀反
の本望得とげず やみ/\と討死めされた 首取たは秀郷 貞盛なれ共 討て
こいと云付けられた 誠の敵は朱雀天皇 其若宮なりや 是も敵 どふ
ぞ討たしてやりたいと それ故にこそ 可愛孫が命を 元入れにして心底見せ
若宮預つて戻つたは こなたの欝憤がはらしてやりたさ ハテ町人でこそ有れ
聟が謀叛人ならおれも謀反人 魂はすはつて有 疑ふて下さんな 伊予

掾純友殿と 本名始終をしりぬいて みがき上たる鋳物師の 舅が心底
感じ入両手を くんで詞なし 女房はつと泣く目をはらひ たつた今始めて聞た
夫の素性 是からわらはも純友が妻 宮にもせよ 神にもせよ 御主人
の敵といひ指しあたる我子の敵 初(しよ)太刀は我に討たせてたべと 刀おつ取抜打
にはつしと討てどふしぎやな 刃なまつて切ばこそヤこりやどふじや とゝ様 娘
人間ならぬ天子の胤には 太刀も刀も立たざるか エゝ口惜しやと太刀なげ
捨て一度にどうど無念泣 純友あつと恐れ入 いたいけしたる手を取て 


62
上座にすゝめ奉りしさつて 拝(はい)をなしければ コレ聟殿 天子の胤のふしぎ
を見て 是程迄仕込んだ性根もくぢけ 今更降参する心か ヤア畢怯
/\と歯がみをなせばおろか/\ 天子の胤ならば何の為に敬はん 是こそ純
友が此日頃尋ね奉る 平親王将門公の胤将王丸 刃の身に立たざる
は 藤身(ふぢみ)の血筋を顕はされし 主人の若君疑ひなし 承平の乱の時
乳母の厨(くりや)が懐にいだかれ 行方なく成給ひしが 六孫王経基が方に
人質と成ておはすると密に聞付け 此実否(じつぷ)を糺さん為 盗賊と名

乗てわざと敵の擒(とりこ)と成 すはといはゞ 縄引切るは安かりけりと 牢の内
にて窺ひしに 噂に違はぬ此稚子 当今の一の宮などゝは真赤な
嘘 かく偽つて其元に渡せしは まつこふして我手にかけさせ 此純友に
主殺しの悪名を とらせんとの敵の計略 却て味方の利運と成り
手もぬらさず若君を取かへせし御運のいみじさ 今より大将軍として 亡
君の御本意を爰に至つて逹せんは ハゝゝゝゝ悦ばし/\と 肌身を離さ
ぬ繋ぎ馬の籏竿さつと押立れば 妻も舅も飛しさり おめでた


63
やとぞ祝しける 始終とつくと聞すまし下女のお埒つつと出伊予掾純
友謀叛の次第 経基公へ注進と指し添りゝ敷かけ出る お節すか
さずしつかと留め ヤア推参な下主(げす)女 命にあいそが尽きたるか 大事を
聞せ帰しは立じと てうど切る音人や聞くと 夫が目くばり舅が気くばり 若君か
こふ繋ぎ馬お埒が刀打落され かはとこけたる手水鉢直ぐにつらぬく切先
も 筧に落つ皆紅 滴々然たる血汐の紅葉嵐がさそふときの
声 時にもあらぬ鐘太鼓 純友つつ立あら心得ず 女が最期の間(あいだ)も

なく 正しく敵のよする声 ヲゝげに誠 最前軒にしるせし歌 千早振る 神代
も聞ず立田川 此下の句は から紅に 水くゞるとは 血汐を相図に攻め寄せん
との敵の術(てだて)で立つるよと 始て心つく隙も手間取後ろに窺ひより
純友やらぬと組付いたり ヤア汝等も敵の犬拵へたり/\ 軍勢いか程
有やらん いで見分(けんぶん)と突のけ/\ しづ/\ 表に又二人 立ふさがればしほ
らしやと はつたと蹴倒し踏飛ばし 弓手へかゝるを引だかへくつと一しめ
後ろより 又組付くを引かつぎ 四人一度に重ね投げすぐに體を物見の櫓


64
四方を見渡し ホゝウ敵の数も知れたるぞ 若君落すを用意せよといはせ
も立ず切付くる くはつしと花瓶金燈籠刃物も腰も打おられ
頭火鉢に当るを幸い残る二人を宙に引立 天晴儕は果報者 西海
無双の純友が手にかゝつて 成仏致せと押付くれば 頭にえ込み死て
けり ハゝア面白し/\ 天下を握るか握らぬか 善悪の境今宵の一挙
此簀戸一重も一心にて九州一の要害たり 敵を引受け目を驚か
せん 今日只今大将軍を得し上は 是迄軍勢催促の為 時の天子の

名をかりし綸旨も何業いらばこそ 今焼捨て軍の篝火 女房是へ
と火鉢引よせ投入れば炎々として燃上る 表の方には六十六部
戸をほと/\と打たゝき 最前の修行者罷り帰つた 爰明けてたべと窺ひ
声 純友きつと耳そば立 シヤ時こそあれ あやしき六部が五音(いん)の調子
此笈こそは物くさけれと錠引明くる内には稚子 弓手に小太刀めて
に采配ヤアそなたは力松 まだ生きて居やつたかいの 孫か 是はと恟り
悦び ヤア/\其子を我子とな思ひそ 朝敵純友追討の大将成るぞ 副


65
将軍俵藤太秀郷是に有りと 六部の上着脱捨てれば錦の直垂
鎧下 簀戸蹴破つてつつ立てば 以前の捕手も小手脛当 仰に
随ひ引添たり 純友ちつ共騒がず ムゝ珎しき名を聞く物かな 其秀郷
は先年異国の舟軍(ふないくさ)に難風にあひ 海に沈みしと聞たるが 姿をかへし
子細はいかに ホゝウ東国の朝敵一人は亡びたれ共 三種の神宝行方なし
必定賊徒の所為ならんと経基卿と心を合せ 龍宮界に入たりと
沙汰し 敵の工の底を探す六十六部 神義の行方白状 /\と聞もあ

へずヤア事おかし 東国に百官を立てし 平親王の志を受継ぐ純友 三
種の神器を何にかせん 勿論行方も知たれ共 汝等に云聞かすべき
謂れなし ヲゝいはずばいはせ様有りと 弓と矢追取きり/\と引しぼり 汝が
崇むる将門が躮 只今一矢と切てはなつ ちいさき胸板精兵(せいびやう)の 矢
がら砕けていつたりけり何と/\ 大将軍の身は鉄石 おがらの様な天は
立たぬ 立されやつと睨め付くれば から/\と打わらひ 父将門さへ米噛を
ねらひ 射殺したる秀郷が 急所をよけしに気が付かぬか 此間入込し 医


66
者といふも某が手の者 又最前殺されし下女のお埒は 将門が躮
の乳母 養ひ君を助けてたべと 願ふて死したる厨が忠節 殊に六孫王
経基卿 敵ながらも将門には 一旦命助けられし恩有る故 養ひ取置かれし所
将門が子を守り立つるは逆心なりと 禁庭の御不審拠(よんどころ)なく 忝くも
経基卿 御子経若の首を切て 朝敵の子の身がはりに立てられしは 其
昔の恩がへし 其上神宝の御行方 たとへ いか程拷問する共いふまじき
魂を悟り 恩を見せて降参させ 我と我手に白状させんと 汝が

躮を討手の大将 天下の為にかく迄心を尽さるゝ 誠の仁智に及ばんや サア
悪心をひるがへせなんと /\と勇者と智者の理に責められ剛気たゆん
でふし/\゛に こたへる膝口射けづる矢先 かなぐり捨ててヤア秀郷 油断を窺ひ
だまし矢か イヤ 其矢の主は六孫王経基 見参せんと声高く 弓矢かい
込出給へば ハツト斗尻居にどふど 組む間もあらばこそ二人の子供が
持たる小太刀 手を持ち添て我腹へりぐつと突立る 聟殿是は我つま
のふ 今の一矢に気をおとしふがいない覚悟やと わつと泣けば目をしばたゝき


67
坂東の弓勢(ゆんぜい)秀郷の矢先ならば 踏み折捨んと思ひしかど 六孫王の仁義の
一矢肝先に貫き 主人と我子を助けられし有難さ 経基と聞よりも思はず
頭が下がつたる 御情の尖(するど)さを思ひ知たる我生害 小腕なれ共純友を 討ち
取し二人の子供 是を功に行末を猶々頼奉る 謀反に凝たる金鉄も
子故のたゝらにとろけしぞや 三種の神器の御行方是に有と懐中
寄り忠文が一通の書翰(かん)指し出せば 俵藤太おつ取てさつと開き扨こそ/\
神器の行方は 剛寂僧都 忠文が悪逆逐一にしるしたり いかに四十次 汝は

しらぬ事ながら 勿体なくも 帝を調伏せん為に 三井寺の鐘を摺かへ
贋物の釣鐘を鋳たる大罪有り 此科を遁れんには 桜木親王奥州
におはせしを 某浪人者と成て急難をすくひ 熊野へ落し奉れば 汝此御跡
をしたひ 宮仕へ仕れ 又彼の鐘は 叡山より元のごとく三井寺へ返し 秀郷が龍宮
より 取帰りしと伝ふへしと残る方なき情の詞 末世にひゞく三井の鐘 謂れはかく
としられける 経基悦喜浅からず 神器の行方知れ給ふ此大功に二人の
躮 秀郷経基守り育て朝家の臣となすべきぞ 彼は子故に命を捨 我


68
は子故に名を上る されば源家(げんけ)の重宝に 髭切り膝丸なんど 名有る釼は多け
れ共 鬼神より切がたき我子を切し名剣を 今より何と名付けんと 遉の名将直
垂の 露に露置く一雫 ハア有がたし/\ 朝敵亡びし其しるしと 繋ぎ馬の籏引
ちぎり 疵口しつかと引巻いて 床几にどつと 腰打かけ ハア思へばかひなき昔
語り 相馬の次郎将門と 比叡山の絶頂より 平安城を遥かに見下し 桓
天皇七代の後胤(こういん) 此純友は 太政大臣長良の苗裔(みやうえい)たり 姓(うぢ)も一系
図も誰憚る事あらん 君は天皇 我は関白 あら心よや嬉しやと 誓ひし詞

東西に 類稀なる二人の朝敵 親と思ふな力松よ 夫といふも穢はし イヤ
なんぼう朝敵でも やつぱり未来は女房じや物 四十次が聟には勿体ない
ほんに又ない弓取りを 朝敵となす悲しやと返らぬ悔み 恩愛の 二人の
稚子両大将 抱く袂も不便の涙 忝け涙に手を合せ 伏拝み/\ 君と
我子に別れの涙 泪にとくる敵味方 腹帯解(ほどけ)ば紅に 朝敵の紋
消へうせて 今こそ誠の成仏と ふえかき切てうつぶしに其儘はたと
伏したりし 天慶(てんけう)の純友が最期の ほどこそゆかしけれ