仮想空間

趣味の変体仮名

源平布引瀧 第壱

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html

      浄瑠璃本データベース ニ10-01428

 

3

待宵侍従

優美蔵人 源平布引瀧

壇強(だんきやう)の不臣神宗(しんそう)の盛業(せいげう)を妨げ 邦家陽九(やうきう)

の厄に当り 一朝(いつてう)馭(ぎよ)を失ふて生民塗炭に堕(おつ)とは

今此時代(ときよ)七十七代後白河院の御宇(ぎよう) 赤白(しやくびやく)の籏

颺(ひるがへり) 鐘鼓(しゃうこ)も響く大内山 叡慮穏やかならざりし 源平

両家の戦ひいかゞあらんと 南面の簾(みす)高々と上させ 玉

座をしめてましませば 大納言成忠(なりたゞ)卿 百司(じ)百官座を

 

 

4

列(つらね)評議 區(まち/\)なる所へ 瀧口の官人罷出 安芸守清盛の使ひ

とし 平家の侍集りしと しらせと供に出来るは長田の太郎末宗(すへむね)

白木の台に白旗のせ家来に持す首桶を 恐れもなく庭(てい)

上に畏り 此度待賢門の軍(いくさ)破れ 源の義朝野間の内海(うつみ)へ

逃下りしを 親にて候庄司忠宗 首取て叡覧に備へ奉る 則(すなはち)

是が源氏の伝る白旗也と指し上れば 成忠取て玉座に備へ

叡慮の趣承り 御階(みはし)近く立出 末宗近ふと呼寄せ 汝が親は源

 

氏の譜代 主を討たる高名 君叡感浅からずといへ共 誠や源氏は

多田の満仲(まんちう)ゟ(より)武勇の家筋 一類も多からんに待賢門へは出合

ずやと 心に含む情の詞 末宗から/\と笑ひ 其満仲が末葉(ばつよう)に多

田の蔵人行綱といふやつ 紀州新宮(しんぐう)に隠れ 一(ひと)とせ清盛熊野詣での

道を遮り 既に生捕るへきを運つよく逃げ延び 草を分けて捜せ共今

に行方しれず 有にかいなき頼政は重病外に近い一類とでは木曽の

先生(せんじやう)義賢斗(ばかり) こやつ元来(もとより)大腰ぬけ 現在兄の義朝が討るゝに 逃馬

 

 

5

一疋出さぬ臆病者 おそらく平家の太刀先にはまけい修羅も叶

はずと 広言追従半分いはせず イヤこりや長田 此成忠は娘園生(そのお)

を重盛へ遣はし 平家とは親しき縁者なれ共 清盛の不行跡汝抔(ら)迄が

広言過言 行末何共覚束なし 其の首を持帰り宜敷葬り 源氏に

も恨みを残さぬやう 重盛に云聞せよ 罷立との一言に工合(ぐあい)違ふて

長田の太郎 恩賞褒美も云出し兼 せめては親の長田には 一ヶ国

でもくれそな物とつぶやき/\立帰る 主上玉座の内よりも 成忠

 

卿を近く召され 朕が思ふ子細有り 木曽の先生義賢を 召寄せよとの勅

諚にて 御簾(ぎよれん)さがれば百司百官其旨早く云伝へ 成忠卿も諸共

に暫く次へ立給ふ 召しに随ひ先生義賢衣紋繕ひ逸(いちはや)く 階下に

膝を屈すれば しらせの鈴の音聞へ勿体なくも天皇は 御階間近く出御(しゆつぎよ)

なり 此度兄義朝が兵乱(ひやうらん) 其身都に有なばら 出合さる心底不審さよ

との勅命に はつと義賢頭(かうべ)をさげ 兄にて候義朝 左衛門督(さえもんのかみ)信頼(のぶより)に組し

平家の奢りを砕かんと都を騒がす 其身不肖ながら禁廷守護の

 

 

6

役を蒙り 兄弟迚朝家(てうか)を捨て味方にも参られず 無念の敗北不便(ふびん)

の最期 恐れながら御賢察下されよと涙と共に奏すれば 君御涙をうか

め給ひ 奢る平家は日に栄へ 頼みに思ふ源氏は亡び 朕が不徳のなるわざと

思へば いとゞ悲しきぞよ 同源氏の末の子に 多田の蔵人行綱といふ者有る由

心を合せ義朝が追善供養 跡念頃に弔ふべし 密かに送る布施物(もつ)と御衣(ぎよい)の

袖ゟ白旗を 下し給へば義賢は夢かと斗走り寄り 直(じき)には恐れと大紋の 袖

にも余る有がたさ ハゝゝはつと庭上へ頭を擦り付け三拝有る ヤ人に語るな悟られ

 

なと猶有がたき詔(みことのり) 折から東門ひらく音 平の清盛参内とほの聞こゆれば

あら六敷(むつかし)と帝は玉座へ入御なる内安芸守平の清盛天位も恐れ

ぬ我慢の相 御階のもと迄つか/\と立入り ホウ義賢早くも参内 是は公家

原(ばら)も見へぬが 天奏は誰(たが)役成ぞ イヤ手前も只今参内 天奏の公卿は

何れか存ぜず ムウ貴殿もしらずや よい/\ 天奏の役人なくば直に奏聞申

さんと 階(きざはし)上るを義賢引とめ 貴公安芸守にていまだ昇殿は赦されず

玉座間近くは恐れ/\と いはせも立ずヤア何恐れ 朝敵を亡し叡慮を安くさ

 

 

7

するは誰がかげ 余人は格別此清盛に罰(ばち)も祟りもない 小しやくな事をと

叱り付け 又かけ上るを猶引留め 忝くも日の御神ゟ伝はり 天津皇(あまつひつぎ)のまします御座(みくら)

踏みあらそふとは勿体至極 身の程省み給へと 恥しむればくはつとせき上 ヤア爰な

源氏の死損ひ 冥加しらずの匹夫め 兄義朝と一所にぶち放す奴なれ共 手

指しをひろがぬしほらしさに 見遁して置くを有がたしと思はず 清盛に向ひ案外

千万 今一言ゆつて見よ 腮(あごた)二つに引さかんと 掴みつかん勢ひにちつ共臆せず イヤ禁

庭守護は爰が役儀 其階(きざはし)一寸でも足かけて見られよ 禁獄の罪遁れ

 

ずと忍びの柄に手をかくる ヤア其腮(あご)をと猶弄(いらぢ) 飛かゝつて一掴と思へどこなた

も名高き大将 寄らば切らんの其勢ひ ぢり/\と付け廻し 既にあやうく見へたる所

へ 成忠卿かけ出給ひ ヤレ勅諚有暫くと 重き仰に流石の清盛 義賢は猶

仁義の勇士はつと斗に控へいる 成忠卿笏(しやく)取直し 双方の争ひ君叡慮をいた

め給ひ いづれいづれと御批判なし 先づ清盛の直奏(ぢきそう) 承はれとの綸命(りんめい)と 宣ふ

内よりイヤ別義でなし 最前長田の太郎に義朝が首持参させしに 六条川原へ

肆(さらせ)よと有仰はなく 葬つて弔へとは何の事 源氏の族(やから)をいたはる勅諚合点が

 

 

8

いかぬ 先其指上げた白旗此方へお戻しあれ 朝家(てうか)に置くは心元なし サアただいま請

とらんと手詰めになれば成忠卿 イヤ其白旗は平家に有て益なし 御殿に置くも

穢はしと 衛士(えじ)に云付け焼き捨られしとはいはせも立ず ヤア其言訳くらい/\ 是に源

氏の余類もおれば やつたやら 焼たやら疑しい天子の御心 直に逢て直詮議

とかけ上る階の 半ば過ると玉座の簾さつと上げて怒りの龍顔 見るよりぞつと

身の毛立ち さしもの清盛目くるめき縁より下へ頭転倒(づでんだう) 我が日の本の神

の徳蹴落し給ふと見へにける 御簾さがれば清盛は 人心付きすつくと起き ヘエ口惜

 

いづれかはらぬ人間 主位迚天からもふらず地からもわかず 位おろさば常の

凡人(ぼんにん) 見よ/\鳥羽の離宮へ押込め 追付(おっつけ)此怨(あだ)報はん 一家の好(よしみ)も成忠是

切 籏の詮議は義賢とずつと寄ればすつと寄り 御殿でなくばと奥歯に劔 籏

はこやつと睨みし眼勅諚ごかしに納むる公家 右近の橘左近の桜 中に紅梅指し交わり

花ふみちらす九重や盛りあらそひ〽立帰る 頃は如月半ばの空 雲間に轟く

雷(らい)の音 発し始める其日ゟ心ときめく気色(けしき)かな 難波(なには)の六郎常俊(つねとし)は清盛の下

知を請け 其名も高き布引の 漲り落る瀧壷を 分け入見よとの仰にて身

 

 

9

には腹巻 小手脚当(すねあて) さしもりゝ敷出立て 岩根岨(そば)立岸かげに窺ひ

寄るぞ不敵なる 跡ゟ山路を しづ/\と立出給ふ小松の重盛 ひつ添ひ来るは高

橋判官長常 見分役承り いかつがましく付慕ふ 重盛岩根に腰を休め

何高橋 我此所へ来りし事 全く遊覧慰みならず 又是成る六郎は 思ひもよらぬ

役目を受けし子細を語らん 父清盛常に弁天を信じ 平家の長久を祈りし所

不思議の霊夢を蒙り 此瀧壷の中にて 家の盛衰を心見よとの御告げ

去に依て水連手練の其方に云付くる 併(しかし)幾尋(いくひろ)と知れぬ水底へ分け入る事

 

例なき大役と 仰に六郎はつとひれ伏戦場の討死も 清盛の御心に叶ずば

犬死も同然 譬(たとへ)水底にて相果る共 君命に従ふは武士の本意 御賢慮

いため下さるなと詞立派に云放せば 佞人邪欲の高橋も御尤/\ いづれの道に

相果る共主命御用意よくば早御出 成程雨もおだやみ 御見分の御苦労なき

中(うち) 若し水底にて毒気(き)に当らば 我君にも是がお別れ ホゝ随分堅固で立

帰れ 是にて暫く安否を待たん はつと斗に立上り 彼(かの)瀧壷に指のぞめば 落瀧

つのせの涛々(たう/\)と渦巻 立る水煙渕水(えんすい)岸に 満々と藍を染なす水の面(おも) 岩

 

 

10

角に飛上り 瀧壷きつとねめ付けて まつさかさまに飛入を見るに肝をひやし

ける 高橋も負けぬ顔つか/\と指し寄り ハアゝ水練も一通りは武士の嗜み 難波は

遖(あっぱれ)銘人/\ 併合戦の場にて逆(さか)とんぼうもうたれまい とかく我抔が鍛錬した

弓馬の道が肝要と へらず口いふ折も折いづくよりかは射たりけん 矢一つ来て重盛

の 身を除け給へば長絹(ちやうけん)の 袖をふはとぞぬふたりけり 高橋見るより立上り ヤア/\者

共油断すな 此山陰に忍び者こそごさんめれ 君に錆矢を射かけし狼藉 扖(さがし)

出してくゝし上 それ追出せと下知に従ひ郎等共 爰よかしこと山陰松が根

 

狩り立る 重盛少しも騒がせ給はず かゝる山中 狩人なんど徘徊してのそれ矢ならん

是式に驚く事ならずと 宣ふ折節山間ゟ追立かこむ曲者 狩人出立のほく

そ頭巾 頬(つら)見へわかぬ作り髭 弓矢手挟(たばさみ)飛で出有あふ者をはり退け投退け ヤア

蝿虫めら 悪くたかつて首と胴との二つ物 怪家(けが)まくるなと訇(のゝしつ)たり 高橋いらつて

手ぬるし旁(かた/\゛) 物ないはせそ縄打ち搦めとひしめけ共 動ぜぬ曲者大将めがけ真一文字

につつと寄る 智勇兼備の重盛公はつたとにらませ給ふにぞ 覚へずしさつて

たぢ/\/\ つまづく所を大勢透さず落合て 組伏せ縄をぞかけたりける 邪智深

 

 

11

き高橋判官 曲者を御前に引すへ 定めてこいつ源氏の余類 一とせ清盛公

熊野詣での折から狼藉せし 多田の満仲が末葉(ばつよう)多田の蔵人行綱といふ

やつならん サア有やうに白状ひろげと 星をさゝれてはつととむね 遁れる

たけはと膝立直し コハ思ひ寄ざる御尋 其義は此辺の狩人 年経(ふる)鹿をめ

がけ切て放したそれ矢 思はずも御大将の袖を貫きしは 言語に余る不調法 何とぞ

此場を遁れんと狼藉の働きも 妻子を育む命の惜しさ 御了簡の筋

もあらば冥加に余る仕合(しあわせ)と 地に鼻付けて詫びれ共 ヤアぬけ/\とした言訳其

 

手をくはふうや頬を彩(えどつ)て作り髭 ほくそ頭巾で面体を隠すは源氏の残党に

極つた あやちの知れぬしやつ頬瀧壷で洗ふて見んと 引立行を重盛ヤレ待てしばし

と呼とゞめ 高橋が疑ひ尤なれ共コリヤ是を見よ 当代用ぬめづらしき鏑矢と

とつくと見給ひ ムゝ彼が白状の通り猟師ならん 頬を隈取り隠せしは 狐を釣る者

狐の皮をかぶると聞く 人間に㤡(おぢ)る獣(けだもの)姿を隠すは一理有去ながら うろたへた猟師

め 僅かの鹿一疋を目かけ 本望とげんとは小さい/\ 近国他国の狩人を集め 今

日本にはびこる熊猪の一類を 一つに集めて討取ふとはなぜ思はぬ 迚も一人(にん)にて

 

 

12

狩出す事叶はずばな 弓を袋に詰て次節を待て 判官縄解け追っ払へと 寛仁(くはんじん)

大度(たいと)の仰には さしもの行綱今更に面目なくも顔隠す 高橋は呑込ず ヤア

余り御了簡過る 今草を分けて尋る多田の蔵人行綱ならば 助けた跡で清盛

公の御咎め仰分けられ有べきや ホゝ譬行綱にもせよ ねらひし矢つぼははづれめし

捕らるゝ程の運命 何程の事仕出さん父清盛の咎めあらば 日本は庭籠(にはご)の

鳥 何時でも重盛が取得させんコリヤ狩人 小松のかげの獣は一疋も取得

る事叶はぬ ナ 此場を早く立され/\それ縄とけとの仰にほどくる高手小

 

手 仁者に刃向ふ劔もなくすご/\立て行綱は 過分と礼も目の中に角を立

てぞ別れ行 程なく件の瀧壷より水逆立て巻上るに 連れて六郎浮かみ出

浪かき分けて游(およぎ)寄り こなたの岸につつ立上り 浮き沓しごいて一息つぎ 物をも

いはず茫然たり ヤア六郎が帰りしぞ 心気労れん介抱と仰に従ひ高橋諸共

抱き抱へんと立寄れば イヤ御介抱に及ばず それへ参つて言上と重盛の 御傍

に畏り 仰に従ひ瀧壷の水底にわけ入 十町斗沈むと存ぜしが龍宮城

共云つべき気色 楼門高く麗々として 宮殿閣錦の戸帳の其

 

 

13

中に さもうづ高き女性(によしやう)まし/\ 何国(いづく)よりいか成者ぞと御咎め 其は平家

の家臣難波の六郎常俊と申者 主君清盛弁財天へ家の繁栄をい

のりし所 盛衰は布引の 瀧壷の中にて尋よとの夢の告げ 去るによつて其

に仰付られ 是迄分け入候と申上しに 㚑女(れいぢよ)答て宣はく アゝラいらざる弁天の

教へやな 清盛儕(おのれ)が武威にほこり 日の御神の御末(みすへ)を恐れず 帝を鳥羽

離宮に押込め奉り 終には天の咎めを請け 其身斗か子孫迄絶え果てん

事眼前たり 譬此事告しらす共おのが高慢の邪智に従ひ かへつ

 

て神社仏閣を破却せん事疑ひなし 必ず帰つて云聞すな 我詞を背きなば

汝が命立ち所に失はんと 微妙(みめう)の御声いかつて聞へ 立去給ふと思ふと早身の

毛もよだち忽然と 浪にゆられて瀧壷へ立帰り候と 語る中ゟはたゝ

がみ物さはがしく成ければ ヤレ六郎 制せられたる物語 云顕したる咎によつて 龍

神祟りをなすと見へたり 急いで此場を立されと 御意をも待たず イヤ害有事は

其覚悟 君には早く御帰国と すゝむればいやとよ 求めかたきは一人の勇士難

を見捨る法や有る 汝此場を立さらずば 我身も供にと有かがき 恵みの上意

 

 

14

に違背もならず 然らば暫く岩窟にも身を忍び害を遁れん おさらばと

立上る 又も頻りに雷電の耳をつく(ら?)ぬき五体に響き 稲妻眼をとづるに

恐れず 天を睨み地を蹴立て 谷合さしてかけり行 猶も雨風震動して篠を

乱せば高橋わな/\ ヤレ者共御傘持て 二階の有家(ありか)居はなきか ヶ様の時は耳が

邪魔 目をふさぎ御帰宅と すゝむる中にくらは/\ひつしやり 重盛四方を見廻した

まひ 正しく今のは落たる音 六郎が身の上気づかはし 高橋参つて見届け帰れ

イヤもふ拙者は御免/\ かうした時の多くの御家来 お出/\とすゝめに従ひ下部

 

共 多勢を頼みに走り行 高橋はうろ/\きよろ/\ いらざる六郎長物語 エゝいふな

といふ事いはぬがよいに 人迄肝を冷やさする 武勇は勝れて居ながらも 所構ぬ

めつぽう人 落かゝつたらどふせうと 逃げ廻る其中に空晴渡れば家来共 追

々に立帰り 難波どのは掴れしと相見へ 太刀も刀も此ごとくこだ/\に打おり

着せし着込みもちぎれ/\ 小手脚当迄拾ひ集め帰りしと 申上れば重盛公 御

涙を浮め給ひ 人の運命ははかられず 最前我に錆矢を射かけし曲者は 助かる

命時の運 遖忠義の六郎があへなき最期も時の運 委細の事を高橋判

 

 

15

官 父清盛に言上せよ 平家の武運も空醜(おそろ)し 父のぶ道の横車直ぐなる

道の小松原 山路踏み分け帰国有心の 中こそ〽ゆゝしけれ 時は平治に改り

二条院良仁(よしひと)親王 十六歳にて御位に即(つか)せ給へば 安芸守平の清盛 西八

条に御殿を構へ威光潮(うしほ)の浦がことく 天にも登る我慢の勢ひ花館とぞ賑

はしき お家譜代の旧臣越中次郎兵衛盛次が女房桜木 跡に続て上総五郎

兵衛忠光が妻の若草 愛に愛持つ二人連れ 間(あい)の襖の立明けに行儀作法のしと

やかさ 襠(うちかけ)姿春めきて実も桜木若草の ねよげに見ゆる容儀也 イヤ申し

 

桜木様 いつ迚もお早い御出仕御苦労に存じます 是はしたり若草様 御苦労と

は勿体ない おまへもわたしも御譜代の妻 是に付けてもいとをしきは 難波六郎

常俊殿の奥方 何時知れぬは武士の身の上 戦場にての討死は皆覚悟の前 尤

此度布引の瀧の御用も 外ならぬ主君のお為に夫の別れ 夫(それ)故御出仕もな

されうは御尤 常俊殿の忠義の死を感じ入思召 跡目相続とのお上の仰 お慈悲ぶ

かいじやないかいなと 女房同士は打寄ると 男の噂跡や先悔むも誠の心也 表の方騒がし

く 下れ/\さがらぬか下主(げす)め さがりおらふを聞耳つぶし鏡とぎ/\ 飲まねばとがぬ鏡磨

 

 

16

エゝ鏡とぎとぞしやべりける 奴共口々に ヤアくらひどれの売人め 出ずは引出しぶち

のめせと 割竹持て立さはぐ ヤアやかましい口髭殿 テモはへたは/\貴様達は髭を生やす

が商売 我等は又髭をぬかすが商売 其商売の御用有て此屋敷しつて

参つた鏡とぎ 鏡とぎ/\/\ といで やりたい世の噂 ハレやくたいもない事を ハゝゝ鏡によらず

人の性根の曇をみがく商人(あきんど) 安芸守殿の奥方に用事有て参つた 又茶碗

で一つ呑でも参つたじやて ヘゝ何と奴達好(このも)いか 飲まねばふらぬ奴達 エゝ奴達とぞな

ぶられて こいつ慮外千万 ソレぶてよくはせとひしめけば待て/\下部と押鎮め 申桜

 

木様お聞遊ばせしか 御台様へ御用と有るからは 聞捨てにもナ申しと噂さ半ばへお嬪 時子の

前様是へお越としらすれば コリヤ/\下部共 下がりませい/\にナイ/\と 其儘表へ逃て行

清盛公の御台所時子の前 しづ/\と御座に付給ひ 桜木若草 様子はあれにて

聞つるぞ 自らに用事有とはあの者な 用事の子細は何事成ぞ 包まず申せと仰

ければ 何の隠す事はござりませぬ ハテモ高が鏡とぎ 鏡を人に譬へても申さば後白

河の帝様 それを鳥羽へ押こめ苦しみを見せます 其黒雲は誰でえす 清

盛様の息がかゝると忽ち曇る コリヤ/\だまれ/\と桜木若草 留めてもとまらずイヤモ

 

 

17

だまるまい かう口車の水銀(みづがね)で磨ぎかけた最中 鏡は神の御正体 三種の神器

其一つ 八咫の鏡は直ぐ成教へ 人の上にもかんがみる迚和訓の読みくせ 昔鏡の真

丸は政道の第一 今の世界はひづみ返つた髭抜き鏡 うはべはぬつぺり裏は恟(びつく)り 人の大

きう悲しむ事 何と聞へたか 又かう申が慮外と有て 御咎めあらば再び内を見す

鏡 百に一つもお聞届け有ならば 智慧ふり出した八徳鏡と 詞に角のべ鏡遖

男の天下一 時子の前始終の様子聞し召し 尤/\面白い鏡の譬 まだ聞く事も有

頼む事有奥へ/\ 桜木若草同道あれ 然らば我等も御供 慮外ながら御案

 

内と 跡に付添ふ鏡とぎ 後の出世の姿見と打連てこそ奥に入 御殿のやり

戸あらゝかに立出給ふ清盛公 いつにかはりし面色も薄紅梅の小具足着し 上

には直垂悠々と 大広間に出給へば 御家の子進野次郎宗政御前に参上し

仰に従ひ大納言成忠卿御出の由言上仕り候へば 鳥羽の離宮へ御院参 御

帰館あらば直ぐに御殿へお越なりと 申上ぐればヲゝさも有なん 然らば早く是へ通せ 先づ

/\軍の陣立せん 銘々に対面ソレ呼出せと床几に座し一々次第に御覧ある

まつ先かけて飛騨の左衛門 仰も重き大鎧 金作りの太刀刀 ぴんと反たる鎌髭

 

 

18

頬(づら) いかつがましく詰かけたる 負けまじ物と高橋判官長常 総角(あげまき)高く結びさげ

草摺きらめく御殿の庭 御意に入んと出立たり 次に進むは長田が嫡子太郎末

宗 平治の軍に義朝を討て捨たる高名を したり顔なる出立に 風呂の手柄の

其印 桶革胴の鎧着て 腰に帯(たい)せしいか物作り 我一番に責入んと 勢ひ

こふでぞ 見へにける 遥か跡ゟ盛次忠光 仰は何か白糸威し 銘々の重代腰に

はせ参りたる家の子郎等 其外 近国在番の諸武士共 馬に鞍置く間

もなく ひし/\/\と暫時が中 西八条の御庭せばしと詰かけたり 清盛公にこ/\

 

顔 ホゝ花やか也神妙(しんべう)/\ 上総越中子細は未だ得知るまじ 清盛が憤りは是迄数

度の戦ひに 命を戦場に投げ打ち 君の為に民の愁(うれい)を退け 義朝が謀叛右衛門(えもんの)

督(かみ)信頼以下の逆臣悉く討亡し 天下安全に治まりしは是我勲功ならずや 夫

に何ぞや昇殿の望みも聞入ず剰さへ源氏の白旗いづくに有り共行方知れぬは正しく

木曽の先生(せんじやう)義賢に渡し 多田の蔵人行綱なんどゝいふ 源氏の残党をかたらひ

平家を亡す帝の謀叛聞捨ならず 此方ゟ打破り 帝を取て流し者 成忠成

親(ちか)親子の者異議に及はゞ切て捨よ 此事必ず重盛に沙汰無用 いざ討立

 

 

19

の御勢ひ 越中上総詞を揃へ 御憤り御尤去ながら 成忠卿は正しき重盛公

の御舅 今一応の御評議然るべしといはせも果す ヤア我詞は綸言同然 聞かぬぞ

いふなと宣ふ所へ 成忠卿御入也と知すれば 是へ通せ皆々は奥の小庭へ控へ居よ

用事あらば呼出さん急げやつとの御仰 力及ばず越中上総是非なく奥へ急ぎ

行 斯く共しらず 大納言成忠卿 何心なく長廊下 行過ぎ給ふ御後ろ進野次郎宗政

小腕(こがいな)捻上げ諚意成ぞと引すへる 清盛怒れる大声上げ ヤア科(とが)はいふに及ず

覚へあらん 鳥羽の離宮へ日毎の院参は 源氏の残党をかたらひ 白旗

 

を渡し我を亡さんと明白せり 御辺一家の好(よしみ)速やかに白状せられよ 命は助け

流し者返答有れと荒気に少しもわるびれ給はず コハ勿体なき帝への御疑ひ 侘びし

き鳥羽の御住居参り仕ふる者もなく漸(やう/\)西光法師其只二人企てなぞとは甞(かつ)

以て存じ寄らず 又昇殿の御望成忠宜敷奏問せん ヤアぬつぺりの間に合ソレ次郎

縄かけよ 承はると立寄ば 暫く/\と錦の戸帳 押退けさせて時子の前 桜木若草

伴ひ出 ヤア卒爾なと押とゞめ なふ清盛公子細あれにて承はる 成忠卿の息女

園生の方は 重盛の婦妻と定まれば舅君 館を責むれば則ち娘を責る

 

 

20

道理 親として子を悲しませぬはなき物 殊に御身は厳島明神の霊夢を請給ひ

布引の瀧にて難波六郎常俊が あへなき最期も神の告 帝を苦しめ奉らば

其罪立所に御身に蒙り 心の鬼の火の車 ぐれん大ぐれんの氷も炎と燃へ 浅間

敷(しき)死を遂給はゞ 自らが敵斗か重盛の孝行も水の泡 御本心に翻へされ思召し

止まつてたべさがなき民の口にかけ 逆臣(げきしん)よ道しらずと洛中の恨み謗る 御耳へ入ざるか 情

なやコレ成忠卿 必ず騒せ給ふなと こなたを思ひあなたをいさめ 恐るゝ事なく詰寄せ給ふ

後には二位の尼君と 云伝へしも理り也 何洛中の奴原が 悪口雑言とは皆帝

 

の事よ イヤ安芸守平の清盛を恨み憎む其証拠 最前の鏡とぎ是へ出よ

と 仰に従ひ磨き立てたる鏡とぎ 大小立派上下も さはやかに立出たり ヤアほう

げた叩く鏡とぎはうぬめよな 誰(たが)赦して其侍 サア真っ直ぐに雑言の訳ぬかせ 陳ずる

においては首引抜て捨てんずと 掴みひしがん勢ひにちつ共臆せず ホゝ此鏡とぎめは

近年御領に付けられ 武蔵の永井に居住仕り候へば 御見忘れも御尤 公達宗

盛公の御めのとに付け置かれし 斎藤市郎実盛 此度重盛公 父清盛公の悪

心 万民の謗りを聞し召ての御歎き止む事なく 御尤と姿をかへ人の心を写し見る 鏡磨

 

 

21

に成て忍び出 洛中の取沙汰 聞けば聞く程心よからず 其口写しを申上るも忠義

の一つと 憚りも顧みぬは恐れ有り去ながら 全く我本心より出るにあらず 是皆重盛公

の御指図 伝へ聞く 酈縣山(れっけんざん)の慈童仙(じどうせん)は 菊の葉に寿量品の文をしるし 仙宮

の流れに是を流す 其川下の民百姓 是を飲めば不老不死と成りて長命也 然るに

其川の中間に隠山の烏 其流れをあふる時 水却て毒と成るまつ其ごとく 帝

の御謀叛でもなきに 半途にて云ほぐし 悪し様の評議是則ち毒と化(け)すの道

理 一応も再応も御糺し有て然るべしと 憚る事なく諌めの詞 弁舌さつぱり

 

繻子鬢(びn)男水際の立武士(ものゝふ)也 てつぺい押しの清盛 から/\と打笑ひ ヤア丁稚

めが味やるよ 現在躮重盛は今日本の聖人と云ふらす 其異見さへ聞入れぬ

此清盛 殊に儕は元源氏の家来 忠臣頼みの綸言片腹いたし 立去れやつと詞

の中 重盛公御入也としらせの声 清盛俄に仰天 何小松が来たりしかなむ三

毛虫殿 くすべ立るは知れた事と 鎧の金物押隠し まじめに成ておはします いつにかは

りし重盛公 する/\と御座に付き邊(あたり)を見廻し 其只今院参の帰るさ 承り候

へば御父清盛公には 後白河院を責崩し 日頃の御恨みを散(さん)ぜん為 軍御用

 

 

22

意有りと聞より其儘馳せ参じ候に 其御気色もなく いかゞして思召止(とゞま)り給ふ不審

さよ 重盛も兼て君に御恨み有といへ共 臣として上を苦しめ奉る事あたはず 清

盛公は誰あらん 是迄の勲功諸人のしる所 夫に何ぞや思召止り給ふ体 一旦仰出さ

れたる御事は 綸言同然何ぞとの御諚大きに相違仕り候と 多年の諌め引かへて 進む

る詞の智慧の海ふはと乗り出す清盛公 ムゝ然らば清盛が帝を責る物な

らば 重盛も同心よな コハ仰共存奉らず 子として父に背きなば 末代迄も名の

穢れ いかでか違背候はん アレ聞たか旁 うぬらが異見なんぞとは奇怪成 シテ/\重

 

盛 成忠が義は何とせん イヤそれは猶更気遣ひなし 正しき舅なる故 先づ成忠殿

から討て捨ん 諸事は重盛に御任せ ヤア/\実盛 大納言殿を引立 小松が館へ

押込置き 是より其成親の館へ踏込(ふんごみ)搦め捕らん 夫迄せかせ給ふべからずいざつゞ

け市郎と 成忠を引立させ足を早めて 出給ふ 跡に清盛ぞく/\小踊り ヤア/\上総

越中皆々来れ 何と今の子細を聞しか いつにかはりし重盛の短慮 親に似ぬ子が

有べきや 聖人と呼れたる小松さへあのごとし 清盛はまだ今迄はようこらへた コリヤ/\時

子 もふ異見取置けソレ長刀と 家に伝はる銀(しろかね)にて蛭巻(ひるまき)したる小長刀弓手

 

 

23

にかい込み床几にかゝり 重盛の返答を今や遅しと待たる所へ 斎藤市郎実盛

大汗に成てかけ戻り 只今何者共知ず軍兵を引率し 御館をめがけ押寄せ候故 重

盛公打向ひ 敵を御防ぎ候間 越中上総かけ付け給ふ 早く/\とせき立る 清盛大きに

騒ぎ給ひ 何者が寄せ来るいぶかし/\ ヤア/\面々 爰構はずと重盛が加勢せよ 急げ

/\に畏り奉ると 上総越中飛騨高橋 長田を始め其外家の子郎等共

一人も残らず実盛に引添て 重盛公へと走り行 跡に清盛只一人 コリヤ/\桜

木若草 汝抔(ら)は跡ゟ追付き 重盛が館の様子見分して我にしらせよヤレいけ/\

 

承りしといふより早く腰刀 しやんと小脇に物馴たるつま引上て急ぎ行く 清盛は

立たり居たり エゝ心せかれやコレ/\時子 表門の櫓より軍勢の様子見てま

いれと 仰も果ぬに嬪共申/\御台様 敵の大勢此館をめがけ候と泣さけ

べば 清盛猶も仰天に赤う成青うなり 切て出んも独り武者 押寄るは何者と

茫然たる時しも有れ息次あへず 桜木がこけつまろびつ立帰り 只今是へ責寄

給ふ重盛様 一天の君に刃向ひ給へば 父迚も赦されぬは臣下の道と 皆迄い

はせずヤア/\/\何じや 重盛が押寄父迚も赦さぬとな エゝ早合点せしか呑込ま

 

 

24

なんだ憎い躮め イヤモ智慧の有世伜を持ば色々の難儀 といふて今更何

とせん ふつつり我儘はいはぬと云聞せよ 早う/\に桜木は又引かへし行跡へ入かはつて

若草が申/\清盛公 エゝ合点じや皆迄いふな 帝も鳥羽ゟ助参らすると

早くいへ/\ イエ/\夫斗でござりませぬ 成忠様は何と遊ばすサゝゝゝ夫も助るといへ アゝ

嬉しや 夫で積(つかへ)がさがつたと是も同じくかけ出す 清盛ぢだんだ身をあせり エゝ

無念千万 我昇殿し位に即(つか)ばヶ程には得させまじと 一人つぶやき給ふ所へ 後白

河の御使とて 西光法師を伴ひ 重盛の御台園生の方 御前に畏(かしこまり)

 

わらは是迄参りし事余の義にあらず 只今是へ責め寄せ給ふ 夫(おっと)重盛の御心

底は 父清盛君を責むれば朝敵と成給ふ 是を諌めんとすれば聞入ぬ御短慮

忠の道孝の道 立べき為の計略 一つには君を流罪の祟もなく 二つには父の悪名

も消へ 三つには成忠卿の死罪も遁れ 彼や是やを思召ての謀 必あしく聞召て

下されなと 夫(つま)の言訳我身の願ひ 滞りなき発明は実も小松の御簾中 ムゝ

然らば親への孝行に 重盛の計略とな エゝ口惜や又誑(だまさ)れた そな坊主めは何の

用 さん候只今重盛公鳥羽へ院参有り 帝への奏問には 既に今日逆臣

 

 

25

おこり 玉体を苦しめ奉らんとせしに 父清盛公の御働きにて逆臣悉く鎮りし御悦び

愚僧を以て御使いに参上せりと相述ぶる 何じや逆臣は清盛が鎮めしとな つべこべと

嘘つきめ ハテ是非がない 此度は宥免するとのお詞に ハア忝やと園生の方 重盛

公も御安堵と 其儘御前を立給ふ 西光法師も御供と 続いて立を首筋掴んで

どうと打ち付け足下に踏まへ 憎いづくにうめ 儕常々お傍を放れず 謀叛を勧むる故此大

事 マ何がな恨みの腹いせと 細首捻折躰を縁ゟがはと蹴落し アゝ嬉しや/\ 是で少し

は胸晴れたり ヤア/\誰か有る 参れ/\に飛騨高橋 長田を始め越中上総 追々に立帰れば

 

ぐつとねめ 憎(にっく)いうぬめら 能(よく)も重盛が肩持てむごいめに合せたな 是からは逆(さか)車

何にも聞ぬ聞入れぬ 猶も帝を鳥羽に糾明 成忠成親親子の者共 元(もと)首切て捨てさせ

よ 今より我は太政大臣 宗盛を右大臣 一家(いっけ)一門悉く雲井に登り 我に背く奴原は

片端に遠島流罪 先づ義賢を討亡し 蔵人行綱さがし出して逆ばつつけ 源氏

の輩(ともがら)根を絶やさん 寄せ手かゝらば一陣に踏み破り公家にもせよ 君にもせよ 今の

無念は暫時の中(うち) エゝ腹立やきつくはいと 廊下の板敷どう/\/\ 風のおこ

れる其勢ひ 御殿に響き鳴り渡る 耳驚かす御威勢今に 其名を顕はせり