仮想空間

趣味の変体仮名

源平布引瀧 第弐

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html

      浄瑠璃本データベース ニ10-01428

 

 

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  第弐

おらが女房はナ ナ ナン/\ナ こりやよい女房エ たらいかたげてナ ナ ナン/\ナ こりや布

さらすエと諷ひ連れ 所も名高き石山寺 大慈大悲の御誓引きも ちぎらぬ

群集には知た顔にも粟津の 辻堂親子の地蔵 誰いふとなく願(ぐはん)込めに ちん

ばが直る目がひらく頭痛疝気の筋ばりも 霊験あらたあら不思議と 毎日参

詣夥し 道の邊りの水茶屋に暫しとたばこ足休め 何とおか様 きつい参りて嘸

銭儲け ナア申 取分けけふは観音様の御縁日殊に日和もよしきつい参詣

 

と 出端を汲で指出せば イヤいつでも時花(はやり)観音 八景は一目に見ゆる ヤ見ゆる次

手に此辻堂の地蔵様 ひよつと目の願かけたれば 忽ち目が明いたといふて 夫から又此

参り さればいの 此地蔵の奇瑞を 清盛殿へしらせて信心さしたい 石仏でさへふしぎ

が有るに 勿体ない王様を鳥羽へ押こめ困窮させまし 一門一家は栄耀栄華 どふ

で果はよう有まいと京中の取沙汰 まだ重殿がござりやこそ こちとらが夜がね

よい とかく信心/\ 此地蔵へも早う願かけるが仕合 悪口の世の中得ては狐の官

上り 狸の宿替じやのといひ立る それ/\皆人の気の廻り イヤおか様過分と茶

 

 

27

の銭払ひ 我家/\へ帰りける 参詣多き其中に女乗物並べさせ 嬪附き/\京

家の奥方 石山詣の御下向 親子の地蔵へ御立寄りお先を払ふお供先 はい/\/\ 肩

ふる手をふる年栄(ばへ)も廿四五丁長羽織 徒士(かち)侍には惜しかりし 茶店の脇に乗

物立てさせ手をつかへ 最早是ゟ辻堂へも一丁斗 御乗物斗にてはお気づまり 暫く

おひろひ遊ばすも お気ばらしと伺へば アゝ早かりしと乗物を出る姿のうづ高き 葵御

前と聞へしは 木曽の先生義賢の御台所 茶店の床几にお腰有り のふ行平

けふ自らが石山詣でと云立て 此粟津の辻堂へ来りしは 此頃人の風説に 親子の地

 

蔵は 霊験あらたにましますとの事故 只の身ならぬ自ら初産の願込め 何とぞ

親子身二つと 思ふも女の愚痴心 義賢様へ申なばお叱りはしれた事 願ひの為

に持たせし絵馬 そなたの細工の切張も いかふ見事に出来ました 其絵馬是へと

有ければ ハッア是は/\御前様 結構なお詞 拙者めも先月ゟ お座敷へ御奉公仕

れば 何がら御意に預からんと 手筒の細工も当座の間似合 イヤお嬪衆 待宵姫

様には お乗物からお出なされず 葵様もお独りにてお淋しからんと 心を付くればお嬪の

柵(しがらみ) 待宵様は先程ゟ お痞(つかへ)おこつて心よからず 葵様はお先へ御参詣遊ばされ

 

 

28

お下向を待受け其間に御養生との御事也と申上れば 是はマア自らに最前からし

せなんだ ドレお見舞と乗物へ立寄り給ふがイヤ/\少しの気の結ぼれならん 自ら斗参詣

せう 供廻りは二三丁も跡にとゞまり 嬪一人家来一人連ゆかふ イヤ行平めがお供夫(それ)

は余り軽々しい イヤ/\そなたは爰に残り待宵御寮の御用も聞きや お気のうかぬは

痞のわざ そなたは又痞直すが上手じやげな 侍共 其絵馬持て供せいと心も軽

き御参詣 道もしづかにしと/\と 上美(び)て粋(すい)なは奥ゆかし 跡に小笹お乗

物に寄こぞり サアお姫様 お気ばらしにあれへお越遊ばされ居ながら近江の八景

 

を 行平殿の道案内 サア/\お出とほのめけば ヲゝせはしなや騒しと 立出給ふ待宵姫

月の笑顔の目のはりや 男見るめは格別に 忽ち痞行平が 顔に見とれる御風情

中にも小笹は発才者 コレ行平殿 お姫様への御馳走に八景の物語 夫おいやとおつ

しやるならつもる咄しの寝物語 こちらは合点のふ柵殿 それ/\どふで石山参りじや

物 お怪家(けが)のない様に頼みますと 押やれば顔真っ赤 イヤ何様はや拙者めが口不調法も

結句お慰みアレ御らうじませ 向ふに見へましたが比良の暮雪(ぼせつ) こちらがと立上る手を

じつと取 近江八景知ている 比良の暮雪面白ない 云事有りと引寄せられて猶

 

 

29

赤面アゝ申/\ こちらが勢田の ヲゝ初心らしい 顔真赤に勢田の夕照(せきせう) いつぞやから

あの衆頼み詢(くどけ)ど一夜も粟津の晴嵐 コレそちら向かずと こちらを三井のかねての

思ひ 胸はどき/\矢橋(やばせ)の帰帆 惚れた約束堅田(かただ)の落雁是 からさきは夫婦ぞやと

思ひ切て抱(いだき)付く 柵小笹は気をのぼしよく/\お姫様 八景の濡れ事 アゝ気の尽きがな

をつたと女同士は艶かし 柵は気転者 コレ茶店のかく様 弁当ひらく所はないか アイ奥

の床几の簾の内 夫は幸サア/\お越し 追付お下向 先々お出とむりやりに今更心

恥しくいやじやおゝじやの真ん中の 簾(すだれ)引上入給ふ 早夏の日も未の刻 歩み来る侍は平

 

家譜代のお傍さらず 瀬尾の十郎兼氏 供人引連れいかつ顔 茶店にどつかと

大あぐら ヤア女郎め 茶店の主はうぬめよな 此粟津の石仏へ 夜毎日毎に往

来群集と 聞しに違はず此茶店も 参詣のやつらがあだ口場 打こぼつて仕

廻ひおらふと 平家の権威鼻高く鼻の先なるたばこ盆 蹴飛ばし蹴かへす灰ま

ぶれ 茶店の嚊(かゝ)は逃げて行 折から吹くる叡山颪(おろし)土砂共に一くるめ御座も吹ちる風

に連れ 辻堂の絵馬一枚深田の洫(いぢ)へ落ちつたり 十郎目早くソレ取上よ 畏つたと

家来共 深田へ飛込泥う打ふり手に渡せば ムゝ切張の錺(かざり)馬 願主は木曽先

 

 

30

生義賢妻 ムウかやうの事あらんと思ひ此詮議 辻堂へ人を寄せ 平家の事

共悪し様に云ふらし 源氏に心を寄せさする企て陣立の錺馬 此絵馬こそ能き証拠

清盛公へ言上し泡ふかさんとかけ行首筋 行平透さず引ずり戻し 絵馬引たくり

はね飛せば ヤアこやつ何者慮外千万 エゝ聞へた 絵馬をかばふは合点たり 其絵馬こ

そは詮議の手がゝり我に渡して縄かゝれ組踏みのめして御前へ引こか 何と/\と反り打かけ

てひしめけば から/\と打笑ひ 貴様も年に不足もない侍 一合取ても知行 万石取て

も武士といふ字に違ひはない 人の名を問はば 我が名を名乗るが武士の道 不行儀な

 

お侍 此絵馬は身が主人の奥方御産の願ごめ 風でちつたは太郎坊のわざ 泥坊

武士共指でもさゝば腕首切て切さげんと 茶店の屋根に絵馬差込め 羽

織ひらりと裾はせ折て ねめ付くれば だまれ二才め さては義賢めが家来よな

かくいふは平家の御内 瀬尾十郎兼氏 此粟津の辻堂へ人を寄せ 源氏の残

党をかたらひ平家をねらはん企て 殊には義賢化病(けびやう)を構へ出仕もせず 彼是御疑ひ

の筋も有る故 吟味に向ひし此瀬尾 洛中洛外はいふに及ばず 公家武家町人の

家居迄 平家をさみする奴原は搦め来れと清盛公の諚意に任せ 千人禿を

 

 

31

出し置け共 此辺迄は手が廻らず 其絵馬こそ能き手がゝり ソレ家来共ひつくゝれ

承はると寄る所を はり退けぶちすへ蹴飛ばせば 出るに出られぬ待宵姫 葵御前

は物かげより始終の様子見るよりも かけ寄て押隔て マア/\暫し待ってたべと押しづめ さが

れ行平さがらぬか推参者め 家来の慮外は主人の慮外 殊に物詣での道姫ごぜ

の供先 女と思ふて我儘かゆるさぬぞと気色改め 是は/\瀬尾様とやら マア御覧じ

ませ 不調法な家来を使ふも此身の不運 自は葵と申て義賢の宿の

妻 今日此辻堂へ参りし事 義賢殿に沙汰も致さず 石山詣と偽り

 

自らが初参の願ひも女の鼻の先 必ずお疑はらしてたべ 夫義賢の病気も

常ならず 御出仕も怠りし故 第一は其願ごめ 此上は清盛公へあじからぬ様にお取成し

瀬尾様頼み上げます お意路のよいはお顔で知れる 物和らかな御生れ付きコリヤ行平

憚りながらあなたを手本以後を嗜め ナア申瀬尾様 /\/\と口車 さしもの十郎

くにやとおれ 是は/\御挨拶 先程からとやかくと申も忠義を存るから シテ義賢

殿には御病気ちと御快全かな 御用に取紛れお見舞も申さず 宜敷御

伝へイザお下向さなれ 然らば家来が慮外は お許しなされて下さりますか ハテ何の

 

 

32

/\ 最早お別れまだ見分の役目有 しづかに/\おさらばと 家来引連れ行過る 跡

には待宵葵御前 どふやらかうやら云くるめた 憎い瀬尾の十郎めが内兜

見てからりころりは済だれど 穢れし此絵馬上げられず 爰に捨るも名の穢れ館

へ持て早帰れ 乗物参れにはい/\と心は済めど葵御前 木曽の名字の

錺馬 深田へ落しも末の世に思ひ 合する〽しらせかや 水上は流れも清き

白河に美麗を好む一構へ 源氏の末孫木曽の先生義賢 近曽(さいつころ)兄義

朝 野間の内海にて討死の 思ひは血筋胸一つ心よからねば 出仕打止(やめ)病

 

気いひ立引籠る世の成り行きは是非もなし 館は物音しと/\と葵御前待

宵姫 次の間に立出給ひ なふ待宵様 殿も今すや/\と御寝(ぎよしん)なる 此笛は

こちらが気ばらし そもじも嘸お心づかひ 嬪共琴持てこいと有ければ イヤ申葵

様 なぜ其様に自に結構過ぎた御挨拶 義賢様の娘なればやはり前の娘

同然 夫をまあ小姑応答(あしらい)迷惑に存じます さればいな此葵は お前の母御

様へ宮仕へ お果て遊ばしてより引上られ 申さばお主 殊に只ならぬ身の自 慥に

左孕みは御男子のしるし ましてや初参うみならひはない物と 覚有る女中さへ

 

 

33

其時々の祈り祈祷 日外(いつぞや)粟津の辻堂親子の地蔵尊は 霊験あらた

と聞及んでの願ごめ 絵馬の細工の錺馬武士の第一と 心をこめし自が願ひ

夫さへも俄風に吹ちらされ 深田へ落しが気にかゝり 何とぞ身にさゝはりも

なく御誕生有れかし 母が身は先立つ共と 思ふ程猶そもじが大切 ものがたい挨拶

はおなかのやゝの教へにもと 真実見へし御めもと 待宵姫もお道理と しほれ入

たる折からに 表使ひ罷り出 先刻ゟ門前に近江の百姓九郎介と申者 親子と

見へて三人連れ 行平に逢いしくれよと申故 暫く待せ置き候へ共 殿へ直(じき)に御願ひ

 

の筋も有ると 何分聞入れ申さず いかゞはからひ申さんやと 伺へば葵御前 殿にはお

疾(しつら)ひ故御出仕もなされず 行平は大切のお使い故帰りもしらず 自らが逢はふ苦しう

ない 是へ通せのお指図に 其儘表へ急ぎ行く 引違くる耕作親仁 在所育ちの

ほつか/\ 小まんよ 太郎吉よ 爺(とゝ)に逢すぞこい/\と 勝手白洲の縁先を見る

よりはつと手をつかへ 小まんよ坊主よアレ拝め 打敷きの様な結構な着物きてござます

が これんの旦那殿のおか様そふな こちらの振袖の姉様は旦那殿の妹御か アゝ尊

や有難やと 伏し拝むこそ殊勝なる 葵御前はしとやかに 行平に逢たいと 尋

 

 

34

の有るはそなた衆か 遠い所を遥々と 折節悪ふ行平は殿の御用 帰りは知れず其間

は 休足仕や苦しうない心安ふのお詞に 風呂敷包みこて/\と心も吉野の丸盆

に はつたいの紙袋(かんぶくろ)手に持ながらホゝゝゝ 是にマアさもしけれど私がおみや 花の都

へこんな物と母も𠮟られましたれど しれた在所のふつゝかを直ぐにみやげて下さりま

せ マア是迄は行平殿せんどお世話に預かられました お礼やら何やらかやらお恥しう

ござりますと 目元口元取形(とりなり)も浅黄帽子のこぼれ梅 こぼれかゝれる物ごしは

京恥しき風情也 待宵姫も御挨拶御らうじませ葵様 いたいけな稚な子

 

の人おめせぬも育ちよさ そふしてそもじは行平の兄弟衆か イエ/\ 小まんはおら

が独り娘 行平と二人中の鎹(かすがい)坊主めでござります ムゝそれならあの小まん

女郎は 行平のお内儀かや ハテきよと/\した姉様 内儀共/\きつい内儀 所

に此太郎吉が生んだ晩から家出して 今年で丁ど七年 何が廿二三の油ぎ

つた結構な田地を捨て 此お屋敷に奉公も新参と聞付け お隙(ひま)貰ふて

おらは隠居様 小まんは又七年ぶりの年貢の未進 一時に取たくる気でござ

ります どふぞ行平にお暇遣はして下さりませ アイとつ様の申されます通り

 

 

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何とぞお上の御了簡 コレぼんち そなあtもお願ひ申しやいのふ アイ爺様におは

れていにたい 抱かれたいと ぐはんぜなうても真実心 ヲゝわれが抱れたいより 嚊が

先へ抱れたがると 指し合い構はぬ在所育ち 地に鼻付けて願ひ居る 待宵姫

は始終の訳聞く程心よからぬ顔 葵御前聞し召し 扨も/\しほらしい親子の願ひ

併最前も聞く通り 行平は大切のお使い帰りも知れず 夫迄は館にいや 帰り次第

自らがお暇遣はし願ひの儘 親子連れて国へ戻す かういへばこそ又気に立お

人も有ろけれど 諸事は自らが心に有る 申待宵様 此衆を奥の一間へ御同道

 

何にもおつしやるな 親子の衆 マア/\奥へのお詞に エゝ有がたや忝やと親子が

三拝 待宵姫もおとなしく 然らば皆の衆サアこちへ 夫ならばお詞にあまへ

奥座敷へ参りましよか 高上り御免成りましよ 小まにょ 太郎吉よ 草

鞋失ふなと 結び合せし親子の縁 嬪婢(こしもとはした)が案内にて打連れ奥にぞ入に

ける 時もあれお庭の切戸 行平只今罷り帰る 誰そお取次とぞ控へいる 待宵

姫は走り出思はず庭へ行平が 胸ぐら取て気のせく儘 物をもいはず身もだ

へし恨み涙ぞわりなけれ 行平一円合点行かず ヲゝ何じや待宵様 お嗜みな

 

 

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されませ 此堅いお屋敷 ひよつと殿のお耳へ入たら 行平めが首こえおりいやな

事/\ ヲゝいやであろ 小まんと云て子迄なした夫婦合 内証で呼びにやり 使いを

かこ付け道にて相談 何しらぬ顔にて隙貰はせ ほんにむごいつれにどふよくと

声を 得立てぬ忍び泣き 何小まんが屋敷へ来りしとは夢にも存ぜず 拙者めは

殿の御用にて只今帰りがけ 則ち此御文箱 ヲゝ其返翰(へんかん) 直に義賢受取らん

と 病気屈せず刀提(ひっさげ) ヤア遅かりし行平 待宵には此場に用なし奥へ行け

コリヤ/\ それ奥の小座敷に内証客も有る由 行平が使いの返事次第

 

用も有馳走せよ いけ/\行平 使いの口上 多田の蔵人行綱殿に対面

せしか お返事は何と/\ ハア殿の御口上 多田蔵人行綱様の御住宅は 烏丸

との仰を受け 何が其近辺足手かいさまに尋候共 左様のお屋敷もなく

夫故すご/\罷り帰りし不調法 今一応とつくりと承はり参るべしと申上れば ムゝして

其状箱は 則ちコレにと指上れば 文箱の紐とく/\改め状取上げ 行平 蔵人行

綱殿に対面も遂げず 手渡しもせぬ此状の封印なぜ切れて有る ヘイ いやさ

多田蔵人行綱へ遣したる密書の封印 おのれと切れたる謂れなし 行平いかに

 

 

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と尋られ イヤ其御状の封印切れやら 文箱其儘持参せし拙者め 曽以(かつもつ)て

存じ申さず だまれ行平 此使いは大切の密書成ぞと 口上迄云付け遣はせし

に 存ぜぬとは紛はし 但し途中にて披見し 六波羅へ訴人せしか イヤ訴人何どゝは勿

体ない 其御状に左程の御大事御座有共さら/\存ぜず 憚りながらとつくと御

賢慮をめぐらされ 下さるべしと手をつけば 然らば知らぬに一定(ぢやう)せり えいは勝手へ

参つて休息せよ ハアはつといへ共立兼る 早行け 罷り奉ると すご/\歩む切戸

口 行綱お待ちやれ ナゝ何と イヤ多田蔵人行綱殿 義賢が物語る子細

 

有 先づお待ちやれと呼かけられ つか/\と立帰り顔きつと見上げ 此行平を行綱と

呼かへす所存はいかに ホゝ此義賢が眼力慥に貴殿と見極めたり 封印切し

其返翰 早く見たしと星をさせ共ちつ共臆せず 其行綱といふ者は源氏

の末孫 兼て平家のお尋者 扨は貴殿詮議仕出し 清盛へ訴ふる所存

よな ホゝ疑ひは尤 心底を顕はさんと ずんど立て縁先の 元に植たる小松の

一本かなぐり抜き 心をこめたる覚えの手の内てうど打たる手水鉢 片側微塵に

飛ちつたり サア義賢が心底斯くの通り 行平屹度ながめ入 ムゝ水は陰 木は

 

 

38

洛中の陽也 陰陽合体せし石面 打かいた心は ヲゝサ二つに破(わる)べき手水(てうづ)

鉢 破ぬは持(たもつ)水の源 扨は貴殿は昔を忘れず 源氏に心を ヲゝ推量の通り

木を以て岩を砕き 舌を以て人を損ふ平家の我儘 今義賢が心底を云聞か

さん 和殿も遁ぬ源氏の末 打明けて語られよと のつぴきならぬ詞の端 行平

辞する色目なく 懐中ゟ認め置きし密書取出し 封印切し其返翰と手に渡

せば はyクも披(ひら)き逐一に読み語り 横手を打てさこそ/\ 源氏を忘れぬ思案

の底 そこは端近先々是へと式礼に 然らば夫へ推参とおめず臆せず鰭

 

ふりたる 魚と水との源氏の流 誠に武士は武士也ける 義賢は懐中より

正八幡の白旗恭々敷 底柱のかけ竿取てかけ置き席を改め 同じ源

氏の身なれ共時代に連れて下様の奉公 嘸無念に思されん 貴殿日外

此館へ新参に参られしより 只者ならぬ面体と 思へどうかつに問れもせず

多田蔵人行綱へ名宛の使い きやつ下郎ならば其儘に立帰らん 破れ名を以

て我への使と心付ば 途中にて披見せぬ事よもあらじと 心をくだく義賢

が思案の的 はつれず当たる弓矢の道 包まずも明かされたり 是も偏に此御

 

 

39

籏の源氏を守りの威徳ぞと籏に向ひ頭をさげ 悦び涙ぞ理なる

蔵人眉をひそめ 第一不思議は此御旗 平氏の軍に義朝の首諸共 清

盛が手に入しと伝へ聞く 貴公の手に入たるは子細有べし 是に付いても清盛が我

儘 時至らねば力なし 我も源氏の略流多田の満仲(まんぢう)の末孫たりしが 為

義の勘当受け様々に身を隠し近江の片辺り九郎助といふ土民の方に隠れ

住み 時節を待ちし此年月 時こそ有れ当春津の国布引の瀧にて 重盛

に出くはし 能き敵に向ふたり只一矢にと引しぼり ひゝふつと放すねらひはそれし

 

運の尽き弓 やみ/\と搦め捕れ既にあやうき我命 清盛重盛狩人に云

ほぐし 命助り其場を去 恩を怨にと貴方へ奉公 時有は此無念打明んと 折

を窺ふ行平が身の武運 ひらかぬ事の残念/\ なふ其無念より義賢が参

内の時しも有れ 足にて候義朝が首 此白旗諸共に清盛が下知を受け 長岡の

太郎が実検に備へし時 胸に盤石 おされぬは平家の権威 義朝が首大

にさらせよと 六はらの衢に獄門にかけさせ 源氏の司我為の兄の首 鴟烏

の餌食となし 現在弟は平家に件礼儀の烏帽子大紋着し いかめしき供

 

 

40

廻り草葉のかげゟ見給はゞ嘸口惜しう思されん ナフ行綱殿 義賢殿 ヶ程拙き

源氏の末 いつか会稽の春に逢ひ 家名の花実を咲かせんと 拳を握り牙

を噛み 身をふるはせし血の涙五臓をしぼる斗也 アゝよしなき落涙に肝心の事失念

せり 迚もかくてもながらへぬ其が一命 夫故何とぞ和殿を機關(かたらひ) 始終の本意

を達せんと 思ひ廻する折に幸い 近江の九郎助といふ百姓 貴殿を尋来りたる

様子は残らず聞置くたり 我娘待宵姫はからず貴殿とかたらひしも 我大望

の能き便り先ずは因みの盃させん 九郎助小まんに対面有れと詞も終わらん表の方 清

 

盛公の御上使と呼はる声 騒ぬ義賢読めたり/\ 此御旗の詮議なるべし

構はずと先奥へ諸事は葵に云付け置く 委細聞れよ早とく/\と進めやり 御

白籏を取納め心静かに入にける 待つ間程なく 上使の一役たかがし判官長常 引続

て長田太郎末宗 首桶携へのつさ/\上使にならひ着座する 館の主木曽

前生義賢出向ひ 二人が前に両手をつき 何れも御苦労千万 此間より

風邪(ふうじや)に犯され出仕も怠り候故 無礼の長髪略着の此儘 御用捨に預りたし

と挨拶有ば イヤ義賢殿長口上取置いて 高橋が上使の旨を能く聞れよ 此

 

 

41

後白河院を鳥羽の離宮へ押籠め奉る 清盛公の御憤りは 貴殿の

兄義朝が首討取り 源氏の重宝の白籏手柄の印 叡覧に備へし所其白

籏は焼き捨てしと 成忠卿のぬるぺり是御咎めの第一 此籏の行所も大方合

点たり 所に貴殿の病気心得がたく思召 白籏の義存ぜぬか存ぜしか 急度

糺し来れよと 長田太郎両人承りし上使の趣 斯くの通りと相述ぶれば コハ存じも寄らざる

御疑ひ 御尋ねの白籏 後白河院の御手に入しは 清盛公こそ能く御存知 義

賢曾て存じ申さず 立帰つて此旨申上られよ ヤア過言也義賢 高橋判

 

官は清盛公の上使 御辺源氏の末なればこそ御疑の筋も有 所詮論は無

益(やく)ソレ末宗 ヲゝサ合点と首桶取出し蓋押退け是見られよ 義朝がくたば

り首 鴟烏の喰らひ残し籏の詮議の責め道具 存ぜぬに極らば此髑髏

脚(すね)にかけて誓言せられよ 現在兄でも調敵 いやかおうか是かうと 蹴やり

蹴飛す傍若無人 一間に窺ふ行綱が切て出んのはやる気を まふたで止める

気の張り弓 高橋長田はね袴 股立(もゝだち)きりゝと中に取巻き ヤア猶豫す

るはしれ者 ナア髑髏を蹴るか白籏を渡すか 何と/\ときめ付ればにつこと笑ひ

 

 

42

ぎやう/\敷詮議呼はり 白籏の義は元来(もとより)二(ふた)心なき義賢が 髑髏蹴て

疑ひを晴らさんと ずんど立ちは立ながら肉身分けし兄親 いかに時代(ときしろ)なればとて経陀羅

尼の弔ひなく土足にかけん勿体なやと 身の毛逆立つ苦しみは地獄の呵責

目のあたり 障子一重の行綱が柄も砕けと握り詰め 息を呑でぞ 扣へいる 長

田太郎大口明きハゝゝゝ 義賢が二心 ひつくらつて清盛公の目通り 水からはせて白

状させん腕を廻せと寄る所 其手を直ぐにひつ潜(かつぎ)まつさか様に頭転倒 高橋

透さず飛かゝる 首筋掴で六七間投られひるまず切かゝる 得たりと行

 

綱死物狂ひ まつしぐらに切立てられ さしもの高橋受流してたぢ/\/\ 叶はぬ

赦せと逃帰る 長追い無用と呼とゞめ 長田を引上げ縁板にづしり付け ヤイ天

罰しらぬ獄卒め 三代相恩の主人を失ひ 剰さへ白骨迄土足にかけし其報ひ

義朝の頭にてうぬが頭の弔ひ軍 思ひしつたか人畜めと頭微塵に打ち砕

かれ 無念/\のあをち死天罰の程ぞ心地よし 音に驚き葵御前待宵諸

共出給へば 行綱はつと心付き 高橋めを討もらしたれば此所に猶豫ならず 片時も

早く落用意と せき立ればイヤ/\ 義賢が運命今此時に相当り譬(たとへ)此場

 

 

43

を落延びたり共 平家盛んの勢いに搦め捕られ 水責め火責めの生き恥より潔く

討死せん 行綱は待宵諸共此場を早く落延びよ 人に面(おもて)を見しられぬこそ

幸い 鳥羽の離宮へ宮仕へ 待宵を官女とし其実も供に姿をかへ 折を窺ひ

玉体を奪ひ取て忍び出 院宣を申請蛭ヶ子嶋の頼朝に 心を合せ籏

上げせよ 片時(へんし)も早く立退け/\ 義賢が日頃の念願時来り hツア嬉し/\有

がたしと 心詞も木曽育ち荒木を切て投出したり 待宵は涙ながら御尤とは

云ながら 今討死遊ばすを聞捨にして行れうか ヲゝ我とても武士の身の此儘

 

に捨置かれず 寄せ手を待受け一軍(いhといくさ)仕らんと 云せも立てず先生義賢 行綱が衿

かみ掴み 待宵諸共縁より飛おり 裏門口がはと突出し跡ばつたり 義賢声を

あらげ 只今にも寄せ手来らば 蔵人行綱なんどと敵に頬(つら)を見しられ 頼み置し大望

は何とする不孝者 サア行け 落ずは先へ切腹 アゝ申誤りました 夫ならばとふぞ葵様連れ

まして落ませう 義理有る今の母上様殊に常のお身でもなし おなかのやゝは自らが

現在の兄弟 是斗はお聞なされて下されませ まだぬかす 我迚も我子の事 思は

ぬにてはなけれ共な そち達は後白河院を奪ひ出すが忠義の第一 其忠義も

 

 

44

仕遂げさせず 足手まとひの葵を連れさせ 其身の難儀を果さば 腹な躮

迄不忠者にするかうろたへ者 連れ行んと思ふ心より 跡にとゞむる義賢が心 推

量有れ行綱殿と どうど伏て居たりける 蔵人手を打ちハツアそふじや実(げに)尤 一天の

君の御大事奪ひ出し奉る 気遣い有なおさらばと 待宵姫を引立て思ひ切てぞ

急ぎ行く 跡見送つて早いたか でかす/\ ア親子が一世の別れ 命を捨る役目をいひ

付け 情けらしい詞もなく 呵りまくつて追出せし 不便(ふびん)やとひたんの涙にくれ近く遠音

に響く音責め太鼓 螺(ほら)吹き立る陣場の足音物すさまじく聞ゆればふるひ/\九郎助

 

親子三人連れ 申し/\旦那様 子細は残らず聞ましたが 小まんにも呑込ませ 中/\

悋気所じやござりまぜぬ 奥様はおらが在所へ連れまして行く胸 あれ/\/\胸が踊り

ます かてゝ加へて山上(さんじやう)参りが有るかして螺貝がぶう/\ もふ爰へくるそふなとう

ろたへ廻るぞ道理なれ ヲゝ片時も早く連れ落よ 心かゝりは葵が身の上 身二つに

成たらば晴れ軍の装束せんと云に心得葵御前 小まんも供に鎧甲太刀刀 転

手に奥ゟ持運びイザオ召しすゝむれば から/\と打笑ひ 木曽先生義賢が

 

 

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討死と極めし上 平家無道の人畜めらに 甲冑にて向はんは武具の穢れ 弓

矢神への恐れ有り 螺貝太鼓に聞き例(おぢ)て 鎧甲着せんは葉武者の業(わざ) 誠

の武士にない事/\ 我に構はず早落ちよと 手づから素襖長袴取て着する後ろ

から 紐引しめる九郎助親子 エゝ構ふな/\ 最前から落ちよ/\といふに聞入れずくずら

/\と お身も武士の妻ではないか 小まんも九郎助も詞が違ふぞ 落よ/\といふに

ぐずら/\とソレ刀よこせと烏帽子のかけ緒引結ぶ 間近く寄する鐘太

鼓 音はどん/\胸はどう/\動ぜぬ義賢 エゝこれ/\葵 うろたへて搦め捕れ 腹

 

な躮も討死さすか 最前から落よ/\と云付るに エゝどれ銚子持て 腹な躮と

一世の別れ 盃せん小まんつげ/\ 我へ戻せとせき立れば御台はわつと声を上げ

是迄数度(すど)の緒陣立 ものゝ具とつて着せ参らせめでたう凱旋遊ば

せと 門出祝ひ申せしにけふといふけふ誠の別れ 顔見ぬお子にお盃 こはそも何

の因果ぞと 身をもだへ伏し転(まろ)び声も 惜しまず泣給ふ エゝ未練の涙に時移る

早くも落ちよと引立る 程なく寄らする鯨波(ときのこへ)山も崩るゝ斗也 すはこそ大事と傍(かたへ)

に隠るゝ間もなく 討手の大将高橋判官長常進野次郎宗政捕手(とりて)の人

 

 

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数(じゆ)小手脚当(すねあて)に身をかため 中にも高橋大音はり上げ ヤア/\義賢 汝源

氏の恩を忘れず 白籏を隠し置く事明白/\ 縄をかゝれと呼はつたり 義

賢障子押開かせ 悠々と床几にかゝり ヤア穢はしき討手呼はり 木曽先

生義賢が清盛に対面して何の用なし 無道の平家の幕下(ばっか)に付くも

胸悪く 兄義朝の弔ひに長田太郎は討ち留めたり 汝等も死出の供 源氏

の武士にあやからさん ヤア/\葵 九郎助親子諸共に早立退けとの給へば ソレ

落人遁すなと 下知より早く捕手の人数 遁すなやらじと追取巻く 心得

 

九郎助太郎吉を背中にしつかり鑓一本 刀の抜身結び付け向ふて来るを

からさほ打 小まんは小づまかい/\敷刀かざしのめつた切 さしもの捕手も

切立られ跡をも見ずして逃帰る 葵御前は緒籏大事と押隠し ぬけ

出んと見廻す所へ 高橋が郎等横田兵内 すはやと見るより葵を取て引

伏せ 何なく御籏ばい取てかけ行向ふへ真黒九郎助戻り足 横田が諸脚(もろずね)からさほな

ぐりにとんぼう返り 儕老耄遁さじとむしやぶり付けば まつかせ合点と向ふ突き 籏を

かへせ イヤ渡さじと組つ転(ころ)んづせり合う中(うち) 義賢縁ゟ片手をのべ 兵内が髑(かたほね)掴んで

 

 

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ぐつと指し上げ ヤア九郎助 爰構はずと御台を連れていけ/\/\ 命が物種合点と孫は背

御台も子持ち 仮初ながら四人連れ命から/\゛落て行く 義賢御籏引たくり 儕も源氏

の弔ひ料理太腹あばらのえしやくなく 踏み付け/\蹴飛ばせば微塵に成て死でけり

小まんは大汗大息次(つぎ) 太郎吉やい 葵様 九郎助殿と尋る声コリヤ/\小まん九郎助は葵を連れ

太郎吉諸共裏道ゟ落延びたり 此籏を汝に渡す 葵に追付き身の上迄も くれ/\゛頼む

の後ろゟ 籏はやらじと軍蔵平内取たとかゝればかいくゞる ほぐれて両人前がはにしがみ付く 跡

よりやらじの雑兵共 心得小まんがなふり立/\表をさして切結ぶ 義賢は御籏大事と

 

口にくはへ両手に軍蔵平内が 切てかゝるをかい沈む身のひねり 儕が刀合い打ちに二つ

に成て倒れ伏す 進野次郎宗政 義賢の膁(よはごし)後ろ抱きにしつかと引しめ大音上げ 木曽の

先生義賢を進野次郎が生捕たり おり合えやつといふ間もなく 刀逆手に我腹へ

ぐつと後ろへ進野次郎が背骨へ抜け 裏をかゝれて金襖に 重なりながらのた打つ血煙

栬(もみぢ)を画(えがき)しごとく也 義賢両眼くはつと見開き 小まんはなきか 小まん/\と呼ぶ声に 敵を

漸(やう/\)大わらは見るより ヤア早御最期かいたはしやとかけ上れば ヤア騒ぐな歎くな 義賢が

切腹は覚悟の前 とかく大事は此御籏 葵に追付き手渡しせよ 平家の穢れをさつ

 

 

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ぱりと 切て捨てたる我討死 潔き切腹と云聞かして悦ばせよ 思ひ置く事少しもなし

去ながら 腹な躮を只一目 是が残念/\とさしも我強い大将も子故の闇ぞ

道理なる アゝ迷ふたり/\ いではれ業の死出の供 小まん見届け物語れよと刀を抜けば

目も紅 よろめく次郎を大げさに 切て捨てたる此世の輪廻 けさは則ち経陀羅尼

弔ふ菩提の拝み打 小まん其籏大事にかけよ アイ/\/\/\も跡へひく ヤレ行け まだ行け

西方の 弥陀の御国へ帰り足道は 二筋別れ道 迷ふなはぐれなおひ

分道 源氏の末は石場道 先であふみの鮒折(ふなおり)と別れ /\に成にけり