仮想空間

趣味の変体仮名

加ゞ見山旧錦絵 第三

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html

      浄瑠璃本データベース  ニ10-01093

 

17(左頁)

  第三

爰に鎌倉の守護職管領足利持氏卿 三老と供に民の裁断聞こし召されん其為に 門注(もんぢう)

所に入有ば 相詰る人々に老臣仁木将監 和田左衛門紙崎主膳 其外昵近御侍衆

威儀厳重に見へにけり 将監人々に打向 先達て京都ゟの厳命くだり 細川家の御

息女操姫様を 我君の御舎弟縫之介様に云号 則御養子分になされとくゟ館へいら

せ給へか様祝言甚延引 よく/\聞は縫之介様 当所手越の傾城にうつほれ 姻礼御承引

なりと一家中の取沙汰 何にもせよ取急ぎ御祝言調はずは 上意を背くの恐れ有べしとにがり切

 

 

18

て申にぞ 紙崎は差寄て いづれにも評議の上先は御前を伺んと皆打連ておくの間へ しづ/\立

て入にけり 広間もひつそと夕日影奥寄りせはしき袴の男 大将の御舎弟縫之介何かは知ず小

姓が胸先 引立て突飛ばし 今日目見へした小姓の噂よく/\見れば其方 コリヤヤイ道芝 形を略(やつ)して入

込だは 此館に云かはした男が有に極つた サア其名をいへ/\ 此縫之介ゟ外枕をかはす者はないと

よふ偽をいふたな 放埒者徒者 人外め 手討にするかくごせいと 腹立ごへに道芝は 恨めしげに顔

ふり上 エゝ殿様どふよくな 過しゟ御館にまぬがれがたき事有りとたつた一度の文使ひ 夫からとんと便なく

逢ぬ日かづも七夜さ十夜さ 待明しても昼さへくらき胸の中 あはれぬ事に定まらばいつそ

 

死たいお手討に 合ふがせめての思ひ出と 身をすり寄て恨云 真実見へていぢらしき ムゝ スリヤ

おれに逢ふ斗で小姓姿に略(やつ)したか アイいつも御供の源蔵殿に打明て頼んだら 此様に男

に仕立 目見へとやら嘘いふて わしや爰へきたわいな お前に逢たい斗で女(おなこ)のあられぬ此姿

思ひやつても下さんせと 抱付たる涙には いかな大名高家でも ほろりとさせる睦まじさ哀れは

後にしられけり 最前ゟ物影に将監が伺ふとは 夢にも現縫之介 モウよい/\ 夫で疑ひが

とんと晴た 是から居間へ連て往て 此間から懈怠(けだひ)した 用がたんとつかへて有と 手を引連て

立上る 奥の方ゟ操姫 立出給へば二人は恟り 俄に行儀押繕ひ ホヲゝ是は/\操姫殿 何用有

 

 

19

て爰へ御出 ハイいや申殿様 あれにいるは見付けぬ小姓 お召仕でござりますか ヲゝ夫々 アレハけふ

目見へした新参者じや コリヤそこにいる新参の小姓よ ナこりや小姓よ 小姓じやはいの ムゝあなたの

お傍遣なら何の遠慮に及ぬ事 イヤ申縫之介様 今更申に及ねど義詮(よしのり)様の仰には お前と私

は云号とふから此館へ来て 朝夕お傍にくらせ共 ツイに誮(やさ)しいお詞は 露程受ぬ情なさ愚痴な

愚鈍な身を悔み よるべ初瀬の神祈り肝心儀式の新枕 いつ祝言が有事やら 月日を指に折々

は泣てくらしておりますると恨涙にくれ給ふ てんならあなたが云号のお姫様 とふから来てござるかへ

そんな事で有ふと思ふた エゝ余りじや/\ よふわしに隠さんした エゝ腹の立/\ コリヤ/\新参の小姓何をたは

 

言 イエ/\/\新参の小姓じやない お前と深ふ云かはした道芝といふ傾城じや こちやだんない/\ サア/\曲輪へご

ざんせと 縫之介の手を取ば イヤ/\/\そんな慮外はさせまいと 姫も取つく諸かづらあなたこなたへ引またふ

後ろに立聞仁木将監 操姫様お待ち有れと 聲に恟り三人は 手持ぶさたに見へにけり コレハ/\縫之介様 此

将監へは何事もおかへしなさるに及ませぬ 此お小姓は私預り 品宜敷計ひます お姫様と諸共に

奥の御殿へお出なされ アイヤかう成てはモウ隠さぬ 此姫を嫌ひはせねど サア/\合点しております 夫でも

祝言はならぬ/\ 是は扨何とお聞くなさるぞ おいやならいやに致しますてや そんなら道芝そなた

に急度預たぞ 御あんどなされて先々おくへ 早ふ/\と進められ 心は先へ道芝が後にといふをめでしらせ

 

 

20

是非なくおくへ縫之介諸共に入給ふ らうかの方ゟ足音して 持氏卿御出ぞふと呼はれは 小姓

を傍に将監は礼儀正して控ゆれは 立出給ふ持氏卿寛仁柔和の御骨柄 つゞいて出る和田

紙崎御傍小姓が御酒盃 中央の間に座し給へば 仁木将監取あへず 先刻仰付られし新参の此

小姓 とくと窺候所 姿を略せし女にて候と 申上れば一座の恟り 和田左衛門つつと寄 女を男の姿

に略し御館へ入れる事怪しみの第一 急度吟味遂ぐべき事 アイヤ/\将監こそらはぬかりませぬ 今朝入

込し此小姓合点行じと思ふゟ 態とおくへ通せしか 御舎弟縫之介様を恋慕ふ此女 去によつて云号

をきらひなさる 若殿の其病の根の此小姓 イヤ将監殿お待なされ 姫をおきらいなさるゝ事聞きも及

 

はぬ アイヤ麁相は申さぬ 元来物を諂ひかざるは此将監きらい物 有の儘に申が実義 扨々お笑止

千万と 芥かき出す舌先に根ざし有とぞ見へにけり 持氏卿気色を正し 弟縫之介事は追て沙

汰に及ぶへし 最前遠目に見たる小姓 ソレ目通りへと仰の中 アイとおめたる気色なく 御前に居直

れば コリヤ女面を上よと ためつすがめつ持氏卿 其方は梅沢の茶屋で逢ふたる女ではないか ハテ麗し

いまだ見ぬ方の花を尋んと古歌を書たる文の枝折 覚へつらん ヲゝ殿様の何をいはしやんすやらそんなお

ほへはないはいな ムゝ小姓に成て入込しは其方が物好か テモいろ/\な事問お方じや 縫様に逢たさ

に 足軽の源蔵殿と連立て来たはいな 何足軽の源蔵が連来りし女とや ムゝコリヤ将監に吟味させん

 

 

21

其源蔵を呼出せ 早く/\との給へば ハツト近習は立上り間毎に伝る声々に まだ目にも見ぬ おく

御殿初て上る縁側伝ひ恐れ入て平伏す 将監声かけ ヤア/\源蔵 今呼出したは別儀でない

是にいる小姓 見覚へて居よふがな イヤサ女を小姓の姿にやつし お館へ入たるは 其方がしわざで有ふが

な ハアゝ成程 今朝アノ女中が 途中で私を呼かけ 此お館の殿様に逢に行のじや 連て往てくれいと

有此御殿の殿様と有れは御前様何憚る事はなけれど 端手な傾城の姿で 御殿へ通つたと噂が有ては どふやら

悪そふな事じやと存じ お小姓の姿に略し 御目見へにしてはいらせました下郎の私 あぢやつたと存じ

ましたが 不調法に成ました憚りながら幾重にも 御めんを願奉ると恐入てぞ見へにけり 持氏卿打

 

えみ給ひ 傾城が恋したふを 此持氏と心得 世上の聞へを思ふは神妙 見所の有下郎 小姓共 源蔵に

酒をくれよ 夫々との給へは 銚子盃三宝を縁頬(えんかは)に差置て 有難き御意の盃頂戴致せ ハゝアゝ イヤモ

有かたいと申そふか 冥加に余る御意の程 給(たべ)まするは猶慮外と 三宝の御盃押頂き/\懐へ納む

れば 持氏御きげんうるはしく ヤア/\将監 先刻申付たる事 いよ/\評議糺すべし 又源蔵には用事

有れは暫夫に控ゆべしと 御諚の下に次の間ゟ遠侍罷出 北の方ゟお使として局役岩藤中老 ←

尾上お次迄参上通し申候はんやと 伺へば持氏卿 ホヲゝ両人共是へ通せ イサとく/\と仰に連やがてかく

とぞ云次る 花の香の隙もる風に 送られて しつ/\出る長らうか遥 さがりて手をつかへ 北のかた

 

 

22

様の御口上 今日は問注所へ御入遊ばし 御政道の御評議これ有よし嘸かしお気詰 右御疑として局

岩藤中老尾上 参上と披露につれ 持氏卿も御悦喜まし/\ ヲゝ両人共大義/\ 二人の使者

のもてなしに此傾城はおくへ連行 花月の間で一献酌(くま)ふ アイ縫様のござる所へ 連ていて下さんせと 憚る

色も中々に小姓姿をほら/\と 我君に引添ば諸士は頭を下げみすや帳台 深く入給ふ 跡はひつ

そと物音も 何かは思案の三つ鉄輪(かなわ) 縁頬には源蔵が 退屈顔にきよろ/\と 欠(あくび)を隠す折から

に おくゟ使のお傍小姓 うや/\敷白台に三つ盃を取のせて 評定の間へ差出し 我君只今

酒宴の中(うち) 各へ仰出さるゝは 武門の大将常に忘れす 楽しむへき物は何成ぞ 銘々此盃に書留て

 

くらいと 謎をかけたる御上意に 皆々ハツト領掌しさかつきてん手に硯箱 筆取上るもまんかちに 初筆

は将監欲深く金銀の文字書付る 紙崎主膳か賢人と書た心は賢(かしこき)を上げて用る君子の道

次には和田が国を字を書しも常に大将の下(しも)を憐む仁者の道 各台に直しける 源蔵は延上り 申

/\ どなた様も憚りながら 私も少斗思はくがござりますが 幸最前お上から下された此盃に 書て

上たに存じますと ほつかりいへば仁木が引上 ホゝコリヤ出かした 御きげんに入た其方 却て興を催す事 存じ

寄の文字を書く 早く上い 赦す/\ ハゝ有難しと源蔵は 飛立気色懐の矢立取出しとく/\と 書認

て盃を評定の間へ差出せば 左門は手に取上 ムゝ是は酒といふ文字 武門の大将 常に楽しむ

 

 

23

べき物に 酒といふ字は甚たぶ遠慮 御憤りの恐有ば差控へよと止むれば アゝイヤ申々 憚りながら私が

心は左様ではござりませぬ 関八州の公事(くじ)裁判 御一人様の思慮ゟ御政道を行い給はればお気の結

ぼれは知れた事 御鬱散遊ばす事 お茶の廻りゟ直に減の有御酒の徳 世のたとへにも酒の事を

愁(うれい)をはらふ玉はゞきとやら とかくに御身健(すこやか)に 御養生はさけの一徳 御無病なを肝心と 酒の文字

を差上ますと 当座の頓智に小姓達 源蔵が書たるも君の興に差上んと 四つの盃とり/\に

御殿をさして入にける 跡は三人声潜(ひそめ) 御舎弟の御身の上納りいかにと評定の表の方ゟ溜りの侍

罷出て両手をつき 仁木様へ申上ます 相模八郡の郡代共 御願の筋有て直に御対談申

 

度由 大勢伺公仕る いかゞ計ひ申さんや ナニ此将監に直談せんとや 暫次に控へさせよ ハツトこ

たへて取次が 表へ急げば御殿ゟ御傍衆立出て 只今の御盃 御上覧に入し所 酒の文字を書

たるは御身の養生 源蔵が発明以の外御意に入 向後(きやかふ)侍に御取達縁頬(えんかは)の間を勤むへしと 上下

大小を下さるゝと 台の物差置ば三老共に物をも云ず 源蔵は恟り顔 下郎の私勿体ない 御

赦されて下さりませ イヤ辞するに及ばぬ御諚意じや/\と小姓達 伝手に着せる上

下も どてらの上へしやつきりぐはつさり こは/\゛紐のしめくゝり 差こなしたる乗物のしやんと居なをる

袴ぶり 此通りを言上と使はおくへ急ぎ行 紙崎は目もかけす 只今申せし御舎弟縫殿 御身

 

 

24

持放埒は 傾城が根さしなれば 此根ざしを打切て仕廻ふゟ外はない ヲゝ此左衛門も其通り 仁木殿い

かゞ致さふ サレハ/\ 傾城をさつぱりと打切て仕廻ふも近道 此義は御両所いか様共 勝手次第と意

地有詞 源蔵はつつと寄り お見出しに預つた私甲にきて申ではござりませぬが 傾城をお切

なさるは 大根を切ゟ安けれど 最前から見受まするに アノ道芝は持氏卿の御きげんにも入って有り第一

は傾城が お手付に成やいな 世上へばつと沙汰広がり 縫之介様の御放埒が 我君の不徳と成

て 京都へ聞へし時 取返しは成ますまい 此道芝が納め方 私にお任せと いふに将監手を打ち

驚入たる源蔵の計ひ 尤しごく致したと 此評定も源蔵が 主君へ尽す忠義也 重ておくゟ

 

御傍衆将監様へ御諚意有 只今源蔵の評議上聞に達せし所 忠切(せつ)の趣なれば我君甚御

感有て 只今ゟ苗字を赦し 大杉源蔵と名乗 評定の間を勤 知行座席も各と同格

則衣服長袴下し置る者也と 高らかに相述れば 和田紙崎は口を閉じ 取持顔の将監も

軻れ 入たる気色也 大杉はつと白台を押戴けば小姓達 イサ召されよと立かゝり 又着せかへる

誉れの公着(はれぎ) 同じくおくゟ傍の使左衛門殿御諚意有 紙崎主膳事 先達て光明寺

普請 只 花美(くはひ)を表にして 役目実義を失ふ越度 続て今日傾城を刑罰して われに

恥辱を与へんとしたる短慮の至り 只今ゟ評定の間を下がり 縁頬を勤よとの仰なりと 聞て

 

 

25

恟り紙崎主膳差うつむいて詞なし 良(や)有て面(おもて)を上 いさい畏り奉る 又改て拙者が願お取次頼み

入る 大杉殿は才智を以て高禄を給はれと 氏系図正しからず 仁木業此主膳か家柄は 三老の

格式にて おく御殿を相勤る 大杉殿には此評定の間を限り おく御殿の出勤を御無用になし下さ

れと 我君への御願と詞を残ししづ/\と縁頬の間へ引さがり どつかと座せば件の使言上せんと立て行

墨付悪き左衛門も無念隠して将監と 共に大杉同座の礼儀 評定の間へ招すればこなたも 詞

改り 水際立し受答へ とり/\挨拶有所へ 当番の侍罷出先刻申達したる相模一国の郡代

将監様へ直談お御願 今朝ゟ相待おります ホゝ郡代願裁判をして取らせん 只今是へ通すべしと

 

将監が計ひに 相模の郡代打連立 庇の間に畏り 郡代頭罷出 此度光明寺普請成

就に付き 我々が領分は仁木殿の御支配故 大盤若経料として 高割の金子出すべき

旨 先達て仰付らるゝ所 領内へ急度申付しが 先年建長寺造営の節 経料出金致し

たれば 此度は御赦免と領分の百姓共我々が屋敷へ詰かけ 歎きの願一党す 権を以て押す時は

忽に事の乱れ いかゞ計ひ申さんや 仁木公の御意次第 我々も覚悟有と思ひ込だる願いの

筋 将監いらるて居丈高 ヤアうつけたる郡代共 百姓に欺されて臆病風の腰抜武士 此

将監が一旦申出せし事 異変有ば其方共一々に首を刎 梟木(けうぼく)に肆(さら?)さんと睨廻してのゝし 

 

 

26

れば 郡代共詞なくことしらけてぞ見へにけり 大杉は立上り 郡代に打向ひ 仁木殿の詞も立 其方

達が百姓を 憐む心も立様に 此大杉が差図致そふ ハゝ有難き仕合 双方納る御仕法は ハテ

ナニの別の子細はない 先百姓へ経料の金子 赦し遣したがよからふ ハテ百姓へ赦し遣し 仁木公への申

訳は ハテそこに又手段が有 八郡の郡代知行 当年分一つにつかね 我君へ差上だれい 何 銘々が

当年の知行をな イヤサ驚は未熟の至り 百姓を憐む所存ならば 身を捨て武士道の器

量を出すは爰の事 何と得心が参つたか 将監殿の仰も破らず 百姓の心も養ひ 双方納る

武士の器量も遖々 身不肖ながら此大杉が 申受る知行を以て 八郡の郡代へ 褒美として

 

分け与ん 安堵召れと押付けて 人の器量に仕立上 ことを納る大杉が器量の程ぞ 類なし 郡代

共平伏し ハゝ有かたき大杉様御ほうび所ではござりませぬ 武士の誠の道引なされ 八郡の鑑と

板さん ヤ仁木将監様 当年分の郡代知行 経料に差上ます ホゝ夫では此仁木も大けい ハゝ私共が

誉れを取る 師匠は則大杉様 暇申て百姓共 悦ばさんと郡代はいさみ立てぞ帰りける 又もおくゟ

お傍の使 評定の間に立出て 只今の決断上聞達し 大杉殿に御上意有 我禄を捨て国

政を納る大慮の程 感ずるに余り有 今日ゟ老分の役目として 中央の間へ出金すべし 則えぼし

大紋を此印に下さるゝと 台の物差出し 又主膳殿に御上意 其身の不才を顧ず 源蔵をおく

 

 

27

御殿へ入まじとの願の条 不届しごくの次第なれば 大小を取上 門前ゟ追払へとの仰なりと 聞て遉

の紙崎も 驚く顔色大杉には 又着せかへるさほしのはゝも 大紋立烏帽子 中央の間へのつし/\

峯に朝日ののぼるがごとく 主膳は遥縁側の麓にくもる村雨と 降行身こそ是非もなき

大杉は大紋の 袖かき合せ声涼しく ヤア/\紙崎主膳殿 我匹夫ゟかゝる立身 貴殿には君の御勘

気受け 目前天地と別れ共 栄へ衰ふは世上の常 数ならね共此大杉 御前あしくは計ふまし 暫の

艱苦凌れよと いへど主膳はこたへなく 表の方へと立上る 将監は罵り声 ヤア/\原田軍平早く参れ

ソレ紙崎主膳をぼつはらへ イサ大杉殿 改て我君へ御目見へと 左衛門諸共打連て 前代未聞の出世

 

の袂翻してそ入にけり 始終の様子最前ゟ 尾上は一間立出て あたり見廻し紙崎か傍へ立寄

こへを潜め 様子は残らず承りました忠臣無二のあなた様 御勘気の此上は 心元なき御家の有様 行末迚も

おぼつかなくあんじいやます世の中やと末頼有詞のはし ヲゝやさしくも申されたり 元町人の其元

なれ共今中老とお取立 其忠臣の魂見込頼置度一大事 伯父大膳を初め方人(かたうど)の仁木将監

花の方御親子を追失はん謀 何卒貴所の忠心にて二方の御身の上 偏に頼存ると忠義にこつ

たる武士の低頭平身なしにける 折から出る奥使尾上か前に手をつかへ 只今御出なされませとの

仰られでござります ヲゝ岩藤様ゟの使とな イヤ申主膳様 最前おくにてお局の懐中ゟ落し

 

 

28

密書 拾置しも詮議の手がゝり 成程/\ 心よからぬ大膳岩藤 あの両人が立振廻其に成

かはり随分心付られよと 云ぬ色なる武士の別れてこそは出て行 おくの方ゟ大杉源蔵 道芝を小

手縛り 抱への帯を猿轡引立出る足音に 縫之介も走り出 ヤア新参の大杉源蔵其傾城を

何とする イヤお騒ぎなさるな道芝に縄かけたは私ならぬ君の仰 細川家のお姫様と御婚礼

なさるゝならば此傾城は拙者がはからい市中に隠し置き誰憚らぬお妾様 御得心か 御承知なくば道芝

は今此座にてたつた一討 アゝコレ/\めつそふな夫切てたまる物か スリヤ御祝言遊ばすか サア夫は 御承知なけれは

暇乞 サア/\/\に口ごもり応共否共云れぬ手詰 道芝は恨めしげに見上る目には腹立涙只伏沈む

 

斗なり 大杉刀抜放し 今が最期と振上る刀の下に縫之介 マア/\待て/\ 待ならは速やかにお受の返答

承らん いかに/\と手詰の折から 当番の侍あはたゞしく 今日昼の見廻りに何者共相知ず宝蔵を

切破り 継目の御綸旨失せ候 早速注進仕るといきを切て言上す ハツト驚く縫之介 我預りの御

綸旨は何者か奪取しそ 時も時折も折かゝる悪事も重る物か こは何とせいん口惜やと無念の涙

はら/\ときこつを しほる斗なり 大杉は声高く ヤア犬渕はや参れ 其方は御舎弟を御供申君の御前へ

来るべしと 云付やれば犬渕は縫之介を伴ふておくの間へこそ入にけり 何思いけん源蔵は 道芝が縄解

ほとき縁ゟ下へ突落し 心有て赦し遣はす ワレ勝手次第に屋敷を立退け 早とく/\と詞の下 嬉しさこ

 

 

29

わさ一さんに表をさしてはしり行 一間を出る仁木将監大杉が傍へ寄 初め寄り一物有御辺とにらん

た眼に違はす 本心聞て満足致た 然ば事を急になすへし 幸手段迚外にもなし 濃茶を君に

献ずる時 毒薬を入人知ず討取ん我計略 悦ばれよ大杉と はやり切たる詞を打消 サレハ其毒薬

麁略の義は有ましけれど 互の大望分け目の大事 仕損じては事の破れと 念を押れてナニサ/\家につ

たへし秘方の毒薬 其疑いは無用/\ 万事はナかふ/\と耳に口しめし合ている所へ 早御帰館と呼

わる声 何心なく持氏卿 立出給へば仁木将監 胸にたゝえし悪事の鴆毒(ちんとく)さもうや/\敷濃

茶の手前 謹で奉れば 持氏御手にふれ給ひ ヲゝしほらしや汝が手前と既に呑んとし給ふ折しも

 

次の間ゟ声高く ヤア/\我君其御茶暫御有れと 呼はる声に仁木は恟り コレサ/\大杉 何故お茶を留

めさるゝ サレハサあのお茶は毒でござる エゝコレ大杉ソリヤ何を云めす たつた今此将監がナコレサ差上た茶毒

が有てたまる物か テモ毒に極つて有 たゞし又毒でなくば先其元毒味なされ イヤ其義は ホゝヲ

呑まれまい/\ 毒の印いで見せんと 茶碗追取庭前(にはせん)のしげみに打かくれば 数多の小鳥一時

に落てはかなく成にけり 御覧なされしか持氏公 此毒薬は南蛮ゟ伝はる秘方 兼て認め

置めさるゝ仁木将監 君をしいする謀反の次第 真直に白状と きめ付られて将監が算用

ぐはらりと イヤコレ大杉毒の事は貴殿にも ヲゝ一味と見せたは詮議の種 ふか/\と大事を明す大たわ

 

 

30

け 主君ノ御罰こたへたかと きめ付られて将監はもづこれ迄と討てかゝる 得たりと源蔵つつ立は ソレ

のがれすなと将監が下知にむらがる雑人ばら 右わう左わうになぎ立れは立つ足もなくむら/\と

逃るをやらじと追て行 透を伺ひ曲者が縫之介と姫君を 小脇いかい込欠行んとする後ゟ したい

来りし道芝がコレ縫様と欠寄を 踏倒し一さんに表をさしてかけり行 むらがる中を切抜けてかけ来る

僕(やつこ)の雪平 跡に続て藤内が大勢引ぐし追取巻 ヤア主なしの紙崎が二合半の浪人僕(やっこ) 腕を

廻せとひしめいたり ヲゝ能所へ犬渕藤内 叱りてなしの気儘のしごとイサこいやつと仁王立 ヤアくはんたい成

毛奴め物ないはせそ討取んと 藤内が下知につれ打てかゝる雑兵共 シヤこしやくなと抜かざし 多

 

勢をくつせぬ手練の働き目覚しかりける次第也 一間の内ゟ持氏卿和田左衛門お供にて立出給ふ

折からに 取てかへす大杉源蔵御前に向ひ手をつかへ 本海道は将監が伏勢有べし 相模川ゟ近

道を上座敷へお帰館有 跡は其計らはん左衛門殿御供と 呼はる声と諸共に 燈し立たる数の松明

手綱かいくり召の駒 和田左衛門が引そふて相模川へと急ぎ行 折もこそ有 一さんにかけ来る畑介か

夫と見るゟ抜刀切込む切先しつかと留め ヤア心へぬ此ふるまい様子かたれと気をいらてば ヤア成上りのあん

かふ侍 うぬが舌ゟ兄主膳家はもつしゆ君には勘当 汝が首を手土産に兄への功の時到

来 観念せよと又切込飛しさつて 早まるな麁忽すな 汝か兄主膳殿を追失い まだ其

 

 

31

上に持氏公を毒がいなさんとせしは仁木将監成ぞ 謀計顕れたつた今相模川へ落行しぞ

早くぼつかけ討取て兄への功を立られよと 聞ゟ畑介立上り スリヤ兄を失い其上に家国を押領

せんと工しは仁木将監とや 合点じやまかせと畑介は川原をさして〽急ぎ行 降しきる夜半の嵐

に水音も物冷(すさま)じき相模川 ハイ/\ハイと先を払わせ 燈し連たる松明に前後を守護し押来るは

足利持氏卿川ばたちかく着き給へば 跡に引そふ和田左衛門御馬前に謹で 水は高く見へ候

上の二瀬は水勢い薄く此瀬ゟ御渡しと 申上れば持氏卿川原をさして打給へば 俄にけしとむ駒

の足鐙一当あてさせ給へど 跡へ/\とだち/\/\ 御落馬危く見へければ かけよつて四方をさつと

 

あらふしきや 水火の中も事共せさりし御召の名馬 恐る物目にかゝらず 何をきさしてけし飛やらん 夫

馬は乗人の変を知らす其妙獣察する所此辺りに 君に敵たふ其伏勢隠れ有に極つたり 立

別れて草むらをせんぎせよと下知する折から 百騎斗の隠し勢時をとつとそ上にける スハ一大事

と左衛門か真先にすゝみ出 何者なれは路次の狼藉 名乗れ/\と声かくれば 一揆の内に其有様

大将分と見へたる一人 真先に大音上 お大名のお通りと存知たる此我々 命おしくは大将の首を渡

せと罵つたり 左衛門はあさ笑ひ イテ物見せんと太刀抜かさし 爰は我等に御任せ 我君には此川を

打越給へ 御跡を取切て敵の大勢一人も此川は越せじと 群がる中へかけ入て 上段下段虚々実々入乱れ

 

 

32

てそたゝかいける 君も御馬をはやめ給へは お供の同勢えい/\声 半ば渡ると見へけるが 様子見すまし以

前の曲者水底をくゞり行き持氏卿の御馬の足 ずはと切たる覚のわざ物 アレ助まいらせよとあせ

る斗に真の闇 そこ白浪と流れ行 手々に松明照し合 川下ゟ御しがいをかき抱き見奉ればコハいかに 御首

は討れたり ハツト驚き其所へ 息を切てかけ来る左衛門軻はてたる斗也 思案を極こへを潜 首討て立退し

一揆の業に相違はなけれど 横死と有ば御家の滅亡 只何事も隠密/\御病気成と世に披露し

家中の内も外様へは此大変を深く隠し 御跡目相続迄事穏便に計るべし ソレ御乗物イサ早ふと さし

つに泣々御しがい皆々寄てかき乗すれば 左衛門も跡に立行烈迚もそこ/\に たとる玉ほこの館を

 

さして急ぎ行 こなたの岸へ曲者が ぬつと出たる其有様 血刀引提切首を川へ打込うそ/\と邊を見廻/\て しづ/\

             として落行さま不敵 成ける〽