仮想空間

趣味の変体仮名

源平布引瀧 第三(矢橋・竹生島・九郎助住家)

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html

      浄瑠璃本データベース ニ10-01428

 

48

   第三 道行形見の奇生(やどりぎ)

忍ぶ身に 堪へ忍ぶのは心にて済ませば済みてつらからず

恋の忍びはつらけれど 逢ふて語れば晴れもする 世を忍ぶ身

のせつなさは 肌に劔や旅の空 義賢の御台葵御前夫の

別れの悲しきに たゞならぬ身の物思ひ 九郎助や太郎吉にいさ

められつゝ行く先は人に大津の町つゞき おじやれ女が目をとめ

て 見るもさがなや恥しと 笠を一目の 関の戸や 三

 

 

49

井の麓の別れ道右へ 行のか 左へか こちへ/\と ふいてよせ

たる濱風は 浪も静かに打出の濱 石場通れば舟人が 陸(くが)を

ござれば三里の廻り 舟にめせ/\ 目馴れぬ舟の櫂も艪(ろ)も

なくかき廻す 所ならひかようした物よそれも 帆かけて ひえおろし

浪にゆらるゝ 丸太舟のらぬも惜しし 乗るも物うし真野の浦

賎(しづ)の男(おのこ)の引く網に目に洩る 魚は多く共我身にかゝる網ならば

何とて遁れ負すべき 憂き目をどふで見るめとは関の 名のみぞ

 

悕(うらめし)や それも理りけふ有てあすなき命もろこ川 渡りて行けば

番場村 ぜゞの足代木(あじろき)いつしかに 愛護の若の古跡ぞ

と教へ申せば実(げに)誠 此若君は継母の妬みによりて此里で 身

まかり給ひし其恨み麻に成る共苧(を)に成るな 花は咲く共桃なるな

と いひ残されて粟飯(あはいゝ)を参らせたりし兄弟の宮居斗ぞ 沖の

嶋 かとりの浦はあれかとよ あれ/\あれを御らんぜよ 都の富士

はひえい山 近江の富士はむかで山 七巻(まき)まいて勢田の橋 射

 

 

50

留めた所を矢橋共 やぐらといふて此さきに弓矢納めし所も有り

名のみぞ残る秀郷(ひでさと)は 恋のわけしり色しりて 龍宮城の聟と

なり三国一と名も高き 見上げれば 伊吹山より立煙 さしもしらじ

なもゆる思ひはと 恋によそへし歌人も あづまのはてへうつ

されて ついには苔の下にすむ 我も夫の御最期に別れて出

てひなの土 埋(うづ)もるゝ身はいとはぬがもふ今頃は我夫(つま)が お腹めしたで

有ふかと 思へば胸も張りさける 苦しいわいのと地にふして 泣きこがれ給ふ

 

にぞ お道理様やと供に泣くに ないて渡るや雁金の 落つる浜辺は

堅田の浦 娘子供があつまりて やしき出たときや 別れて出た

が今は まがきあたりを小歌ぶしエ おふ太郎さま/\ 太郎さまを見たか 今

は思ひのたねとなるエ 諷ふ小歌に太郎吉が 腹なお子様もりして

しんじよ てうち/\あはゝ つむりてん/\や 天の教へか腰かけ

茶やで 姥(うば)がもちいやコレお茶一つ はな香(が)もよしや 梅の木の

如在もなしにいたはりて 住家も ちかき いなり山 小野村さして〽急ぎ行く

 

 

51

(矢橋の段)来る人と野に立つ人に 物とへば先へ/\と教へられ 心も関の明神もよそに見

なして走り行く 小まんは御籏肌に入れそこに隠れ爰に忍び 葵御前や爺(てて)親に

追付く足も石場道 渡しも暮て船もなく 三里廻ればおのづから 馴染の道も

長々と勢田の長橋打渡り 矢橋の浦に着きけるが 秋の月さへ曇る夜の朧月

かげ濱伝ひ 追かけ来る侍は 高橋判官が家来塩見忠太 手の者引連れヤア

待て女 儕木曽の先生義賢に頼まれ 源氏の白籏隠し持ったる由 降参の下部

が白状 急いで白籏渡せばよし さない忽ちこな微塵覚悟ひろげと呼はつたり

 

小まんは身がため帯引しめ 草津石部の留では 百人にも千人にも勝つて万と

付られて 人も知た手荒い女 覚えもない事云かけて跡で難儀を仕やんなとよはみ

を見せず云放す ヤア不敵な女 何程包隠しても訴人有ば遁ぬ/\ソレ家来共

懐へくつ/\と手を入て どこもかしこも捜せ/\ 畏たと家来の大勢取てかゝつて懐

の 白籏取んと組み付くを しつこいお方と引ぱづし 首筋取て狗猧(えのころ)投げ 抱付く家来を

其上へ 餅に重ねて男の女夫後ろからとは物好きと 腰でしやくつて負い投げ背投げ

在所の引臼投げころり/\/\ 腰骨背骨踏みつ蹴られつさしもの大勢

 

 

52

持ち倦んで見へければ 忠太弄ってヤア女と思ひ用捨すりや 付上つたるびつ切め ふち

放して奪取れと 下知に従ひ茅(つばな)の穂先小まんも爰ぞ命の際と 用意の

懐剣逆手に持寄らばつかんと目をくばる シヤ小ざかしいふん込めと 女独りにへろ/\武士切

てかゝればひらりとはづし なぐれば飛でこなたを突き 持たる籏の威徳をかり 男勝り

に働けど大勢に切立られ モウ叶はぬと覚悟を極めヤレ待てたべ白籏渡そ

此場の命助けてと 懐の御籏をば 指し上げ見すれば忠太はえつぼ ヲゝさもあらん ソレ家

来共 助てとらせと立よつて取んとするをけさにすつぱり そりや赦すなと大勢が

 

一度にかゝれば叶はじと 青み切たる湖へざんぶとこそは飛込だり ヤレそつちへうせたこつち

へと 追かけ廻れど陸(くが)と海 小まんは元来水心浮ては沈み沈んでは 姿を隠す月夜

かげ嶋有方へと〽游(およぎ)行く竹生島遊覧の段)志賀の浦へと漕ぐ舟は平家の公達宗盛君 竹生嶋 

下向の御船飛騨左衛門お伽の役 石山の月御上覧と 夜の八景月夜かげ 向ふゟ

来る小船(しゃうせん)は斎藤市郎実盛 舟印を見るよりもやがて漕ぎ寄せ 船張に手をつ

かへ 若君の御船と見奉る 御機嫌能く御下向恐悦至極と相述ぶる 宗盛君おとなし

く 父上の代参とし 竹生嶋に道の風京詞には尽くされず 其方はいづくへ行く

 

 

53

ぞと有ければ さん候清盛公の上意によつて 源氏の胤を詮議の役 瀬尾の

十郎と其に仰付られ 瀬尾は先達て草津守山の民家を捜し あれ成明神が茶

屋にて出合う約束 一方ならぬ大事の役儀 早お暇と漕ぎ出すを飛騨左衛門暫し

と呼留め 申さば若君初ての御代参 祝ふてお盃をも頂戴し 朧月夜にしく物

はなしと申せば さへぬ月にて一献ひらに/\と留るにぞ 宗盛も供々に兄重盛のお気

に入すげなうは帰されず 是非に船へと仰も重く 然らば御意に任さんと 乗うつれば

飛騨左衛門 ソレ盃改めよと 瓶子もかはり献々に 暫く時も移りしが 何見つけ

 

けん飛騨左衛門 船張にかけ上り あれ見られよ実盛 慥勢田唐崎の邊に

多くの松明船の篝火 口論が海賊かと 宗盛君もサメモリも評議區(まち)

々成る所へ 小まんは平家の舟共しらず 游付かんと心は早浪 白籏口にひつくはへ

逆手を切て游共 向ふ風に吹き戻され浪に もまるゝ有様を 目早き実盛すかし

見るよりアレ/\ あれへ慥女と見へて 海上に游ぐ者有 正しく水に溺るゝ体 見捨て

て殺すは本意にあらず 水練手練の者はなきか アレ助けよ殺すなと いへどあせれ

ど誰有て 水底しれぬ水の面 飛込む人もなかりける 小まんは一生懸命の 気は

 

 

54

鉄石でも風と浪 次第によはる身の苦しみ ヘエゝ口惜しや 爰で死るか情なや せめて

最期に親達や我子に逢たや顔見たやと思へば いとゞ吹き流され 船を寄せても隔て

られ危うく見ゆれば実盛も 見殺しにする不便やと余所の哀を見捨兼 思ひ

付たる三間櫂 おつ取海へざんぶと打込み龍神感応いのれや女と 呼ばはる声が力草

情けの心通じてや 流るゝ櫂は小まんが傍へ 寄ると其儘しがみ付 一息ほつと次いだるは蘇(よみ)

生(がへり)たる心地也 櫂を浮木のかた游たぐり/\て御船の傍 寄ると其儘実盛が 首

筋掴んで船へ引上げ 薬を用ひ身を温め 様々いたはり気を付くれば 小まんは始終

 

手を合せ どなた様かは存じませぬが 神か仏か有がやいお情 わたしは小まんと申て此邊

の者 年寄た親も有 七つに成子もござりまする 死ではどふもならぬ命 お助け

なされて下されし御恩はいつか報ぜんと 涙と供に一礼を 聞て実盛 イヤ其方が運

のよさ あれに御座なさるゝは 平家の御公達宗盛公 御船のおかげで助かつたお礼

申せといふに恟り 何是は平家の船とや ハアお有がたうござりまするといふ声供に

身をふるふ 飛騨左衛門目角に立 平家と聞て驚くしやつつら 先儕は何ゆへに

女の身にて海上を游しぞ イヤそれには ちつと様子が サア其様子ぬかせ アイあい

 

 

55

とはいへど云兼る 折もこそあれ高橋が家来共 小船に取乗り声々に 其女

こそ源氏方白籏隠し持たるぞ 油断有なと呼る声 扨こそこやつ曲者と

飛騨左衛門飛かゝり 腕捻上れば小まんは声上げ ナフけふはいか成悪日ぞ 死ぬる命を

助かりて 嬉しと思ふ間もなく此修羅道の責めは何事 情なや浅ましやとはぎしみ

歯ぎり身を震はし もだへ歎けばヤア何ほざく サア命惜しくば白籏渡せ イゝヤ渡さ

ぬ/\ 女ながらも見込れて 預かった物むざ/\と 譬へ死んでも白籏放さぬ ヤア胴(ど)

性骨(しやうぼね)のふとき女と 懐捜せば右手(めて)に差し上 かう握つたら金輪ならく 籏は切れ

 

てもちぎれても 一念凝った此手の内やみ/\と渡さふかと あせれど遉(さすが)女業(わざ)

既に危うき所を実盛 につくき女と籏の手を ぱつしと切て水中へ白籏諸共

なむ三宝白籏取らんと過つたり ハゝはつとげうてんは麁忽と見へて情かや

ヤア/\船頭共白籏が 水に慕ふて流れしぞ 櫓櫂をはやめて追っかけよ 早く/\と

はやての下知 畏つて船人が艪拍子揃へてえいさつさ えいさ/\えいさつさ さつさ逆

まく浪切てあてども なしに〽尋ね行く (九郎助住家の段)暖かな雪が見たくは秋又ござれ 畠(はた)は

白妙雪かて見れば 小まん小よしが綿為事(しごと) 歌に諷ふは近江路や小野

 

 

56

原村に住み馴れて 夫(つま)は九郎助娘は小まん 我は小よしの霜かづき 雪と霰を くり

わける 立て綿繰りの くる/\と廻る三里の船よりも 手廻しよいは百姓の秋の

半ばとしられたり のらはいつでも隙だらけ 主の甥矢橋の二惣太大道横に

門口から ハこりや精が出ます 今年の綿も百目喰いにくいますか ハア甥

のとのごんせ いつにない和(やは)はりと綿挨拶 九郎助殿の留主を考へ何ぞ種ま

きにか イヤ伯父貴の留主はしらぬが たつた今一寸見へて われとは不通でこち

の内へ寄せぬか 根性も直つたらちと頼む事が有る 今度都から歴々の女中を

 

お供して戻つた まさかの時力に成てくれぬかといはるゝ ハテ又十度や百度

嘩した迚 身(しん)は泣寄(より)頼まれませうと約束した 何と其女中といふは 木曽の

先生義賢様の御台 葵様といふので有ふがのと うら問(どひ)かゝれば サア顔は

青い手は真黒 どこぞの飯焚きに孕まして 連れて戻ったので有ろぞいの アゝ

わっけもない あのこんにやく玉見る様な親仁に 誰がねぶらす物で けふ石山

参りするといふて寄られ 残らず咄聞た隠すまい/\ ムウすりや孫の太郎吉

を連れて 網持ていかれたが ヤアやあとは 親父殿は草津川へ鮒取にいかれた

 

 

57

わいの それに石山参りとはまざ/\しい大きな嘘 ヲゝ奥に居る女を親父

の妾(てかけ)といふのも嘘 うそと嘘とが出合たからはいつそ誓文払いに打つまい

て聞かそふ 義賢が女房葵御前はお尋ね者 訴人すると金に成る 早先

達て申上て置たれど 有さまを仲間へ入れると つきが廻つても高ぶけりさせ

ぬ わけ口やらふが一味する気はないか ヲゝよういふて下さった マア親父殿に問ふ

てから それ問てたまる物か 其こなたの気を知て 留主の間へ来たら 骨

膾くはせといふて拵へて有るぞや アノ鮒のか インヤ倚棒(よりぼう) イヤもふそれも伯父

 

貴が切々くはして味覚て居る 扨は留主にも拵て置たか しかも筋鉄(すじがね)の

入ったのが ハテ念の入た事 あほう律儀で金儲けしらぬわろ達 あた面倒

ないんでくりよ ハテまあ遊んで一本まいれ イヤ又馳走に逢ふより おとゝい来

ましよと足早に いふた事共はげ天窓帰らぬ内と出て行く 世に連れてかはる

住居や憂き思ひ 義賢の御台葵御前 只ならぬ身の満(みつる)月 影を隠

する一間ゟ 打しほれ出給ひ ナフ内儀 いかふ烏の鳴く音(ね)も悪し 心にかゝるは

小まんの事 便りもないか音もせぬか 九郎助も太郎吉もまだ戻らず

 

 

58

やゝ有ければ 又わけもないお案じ 連れ合いの咄の様子では まんは大かた行

平の跡を慕ひ あてどもなしにいた物でかなござりましよ 烏鳴きが悪い

とおつしやれど ありや御平産が有ふと悦び烏 親父殿はお前へ上げます

るといふて 近江の名物源太鮒 打にいかれました 網の目に風溜ると

惣々の息精(いきせい)でも お産を安うさせますると 力付けても付けられても 昔に

かはる落人の御身の上ぞいたはしき 主九郎助網提(ひっさげ)戻るを太郎吉先走り 祖母(ばゝ)

さん 大きな物がかゝつた おれが見付たおれが取たと小踊りして悦ぶにぞ ヲゝでか

 

しやつた/\ アレお聞遊ばせ御運のふなをり 大きな物がかゝつたといな ドレ見ま

せうか親父殿 ホウ見せう共/\ 気疎(けうとい)物じや恟りすなよ 飛びも弾(はね)もせ

ず動(いごき)もせぬ 廿四五年物の人魚 隠すが秘密と表引立て よつ程希有な

源五郎鮒 驚くないと網よりもほふり出したは女の片腕 娘の手共しらで恟り

ソリヤ見たか 羅生門から奪ひに来る きをひ口でも叔母に見せなと 怨口いふて

も傍へも寄らず 太郎吉はおかしがり テモ臆病な死だ手が何でこはいと打笑ふ

イヤ又気味がようもない コレ親父殿こりやまあどこから取てござつた されば

 

 

59

草津川の下(しも)は湖からの入り込み 鮒の溜ったが有ふと網持てかゝつた向ふへ 其肘(かいな)が

流れてくる 孫めが見付て取てくれとせがむ よしない物と思へど手に持た物が

好もしさに 一網くらはして引上げ 握り詰めている白絹を放して見れ共放れぬ いか成る

者の肘ぞと弔ふてもやらふし 第一此絹をはづして見たさに持て戻つた 御台

様とそちとして 腕首しつかり持て居よ 力に任せもぎ放そふ サア持て/\と

指し付けられ こは/\゛ながら御台と供に手をかけて 引けどしやくれど放ればこそ

ほつとあぐんでこりやいかぬは いつそ手の内切わろと立つを太郎吉コレぢさま

 

おれ放そふかと立寄れば アゝおけ/\人形の首ぬくとは違ふ 持たきぬをはやぶり

おろと 叱れど聞かずいや/\/\ あの持た指を一本づゝ放せば放れると 大ませ者

のわんばくが手を懸(かく)れば忽ちに 五つの指は一度にひらき 白絹我子へ渡せしは 肘に

残る一念の思ひは いとゞ哀なり 不思議ながらも絹押ひらき 見るより御台はヤア

是は源氏の白籏 自らが家の重宝 スリヤ此白籏持た此手は といふた斗に九郎

助御台 虫がしらして女房も若しや娘の肘かと いはず語らず三人が顔見合

て一時にほつと溜息つく斗 かゝる折から平家の侍 斎藤市郎実盛 瀬尾

 

 

60

の十郎兼氏 二惣太が訴人に依て葵御前を詮議の使い 村の庄屋付従ひ

則ち是が九郎助が所 御案内と戸口にかけ寄り打たゝき お上ゟお尋ねの事有り 明けた/\

とつかふど声 扨はと九郎助コリヤ女房 平家方ゟ源氏の胤を杁(さが)すと聞た 先

御台様を忍ばせよ まさかの時はコリヤ/\かうと 耳へ吹込み奥へ追やり 門口明くれ

ば両人はやがて内へぞ入にける わけてにくき瀬尾の十郎床几にかゝり 何九郎

助といふは儕か 木曽先生義賢が女房 葵といふ孕み女かくまひ置たる

由 是へ引出せ 詮議する事有とてつべい押しを少しもひるまず 是は思ひも

 

寄らぬお尋 左様なお方此内にはと いはせも立ずヤアぬかすな 儕が甥の矢橋の

二惣太 此瀬尾へ両度の注進 遁れぬ所白状ひろげ イヤ譬甥が申ませふ

が 此埴生(あばらや)に左様なお方 毛頭覚えござりませぬと云放せば実盛 コリヤ九郎助

とやら悪い合点 当時平家の威勢を以て 源氏の胤を胎内迄御詮議

懐妊の葵御前かくまひ有る事現在の甥が訴人 爰を能く聞け 譬源氏の

胤成共 女ならば助けよと小松殿の情 それに達て争ふと踏込(ふんごん)で家捜(やさが)し

為に成まい白状と事を分けたる一言に はつと吐胸(とむね)の思案も出ず 是非

 

 

61

に及ばず手をつかへ 成程故有て葵御前をおかくまひ申し 当月っが産み月 未だ

女共男共定められぬ懐胎(くはいたい) 御平産有る迄を私にお預け下されと願へは十郎

ヤアしにぶとい親仁め けふ産むかあす産むかと べん/\と待ふか 胎内迄捜せと

有御上意は腹裂て見よと有る仰 則ち裂く役は其 見分は是成実盛 葵

御前を是へ出せ 腹裂いて見て女ならば助けてくれる 隙とらずと早く/\ アノ

懐胎を腹裂けと有る ヲゝサ清盛公の仰 ホイそれはあんまりおどうよく 一人なら

ず二人の命 何とぞお情て当月中を イヤそりやならぬ サアそこを ヤアしち

 

くどい親仁め 奥へ踏込み引ずり出し源氏の胤を絶やしてくれんと 立つを九郎

助ヤレ待って お慈悲/\と手にすがり歎きとゞむる折からに 俄に騒ぐ一間の内

女房の声として 九郎助殿/\ 御台様がけが付いたちやっと/\と呼たける はつと

驚きかけ行くを瀬尾はやがて引とらへ ヤアどこへ/\腹裂かれるがせつなさに 産んだ

とぬうかすか合点がいかぬ 誠産んだが定(ぢやう)ならば其がき是へ連れてこい 但し踏込見

届けふか 何とじやどふじやとせり立られ のつ引ならぬ手ごめを見るより 是非

なく/\も女房が錦に包み抱き抅へ 果報拙き源の 御行末と斗にて涙

 

 

62

ながらに立出る 九郎助はせきにせきコリヤ女房 男の子なればお命がない 女か /\と

問へど答へず打しほれ 詞なければ瀬尾の十郎 ハアゝ男子に極た 其がき是へと

もぎ取を実盛おさへて イヤ見分は其が役改た上お渡し申さん 水子是へといだき取

男子を女子にくろめんと心配れど目先に瀬尾 油断せぬ顔工面皺面こゝぞ

全体絶命 男子共変生(へんじやう)女子と 絹引まくればコハいかに 朱(あけ)にそまりし女の

肘(かいな) 是はと驚く実盛より瀬尾は恟り 是産んだ/\と興さまし軻れ 果たる斗也

九郎助ぬからず女房引き寄せ ヤイ爰なうろたへ者め 木曽先生義賢様の御台

 

が 肘産だといはれては末代迄のお名の穢れ なぜ隠しとげおらぬと 真顔で叱れば

真顔で受け サアわしもそふ思ふたれど あんまり詮議が厳しさに 是非なう

持て出ましたと 手尓葉(てには)も品もよい手な身がはり是も娘が忠義かや

邪智深き瀬尾の十郎にが笑ひして ハア工んだり拵へたり 日本は扨置き唐天竺

にも肘を産だ例はない はとのかいの売僧(まいす)めらと 睨み廻せば実盛 イヤ例えないとは

申されず かゝるふしぎも世に有る事 ムウこりや聞き事 かゝる例が何国(いづく)に有る ホウ申さ

ぬ迚御存じあらん 唐土(もろこし)楚国(そこく)の后桃容夫人(とうようぶにん) 常にあつきを苦しんで鉄の柱

 

 

63

をいたゞく 其精霊宿りて鉄丸を産む 陰陽師占ふて劔に打す 干将(かんしやう)莫邪(ばくや)

が劔是也 察する所葵御前も常に積聚(しやくじゆ)の愁へ有て 導引鍼医(はりい)の手先

を借り 全快の心通じ自然と孕める物ならん ハテあらそはれぬ天地の道理 今より

此所を手孕村(てはらみむら)と名付ぐべしと さも有そふにいひしより今も其名を云伝ふ

遉の瀬尾も云廻され ハテめづらしい肘の講釈 其旨清盛の御前へ参り

披露する 其腕急度預けたぞ ヲゝ申訳は実盛が旨に有 ホウ腹に手が

有からは旨に思案が有る筈 先へ帰つて注進と 表へ出しが屹度思案し 思ひ付

 

たる詮議の種 それよ/\と點頭(うなづい)て逸(いち)足出して走り行く 音しづまれば葵御

前 太郎吉連れて立出給ひ 聞き及びし実盛殿 お目にかゝるは初て 段々のお情

忘れ置じと有ければ 是は/\御挨拶 其元は源氏の家臣 新院の御謀叛

ゟ思はずも平家に従ひ 清盛の禄を喰むといへ共旧恩は忘れず 今日の役

目乞い受けたも危うきを救はん為 然るにふしぎなは此肘(かいな) 矢橋の船中にて其が切

落した覚え有 慥に此手に白籏を持つらん 御存じなきやと尋ねれば 成程/\其籏も

手に入しが 其切たと有者の年恰好は ホウ年頃は廿三四 せい高く色白成女

 

 

64

慥に名は小まんと聞より九郎助夫婦共 のふ夫はわしが娘の小まんじや mんじや

とうろたへ歎けば御台も供に 扨こそそれよと骨身にこたへ 太郎吉は只うろ/\と

わけも涙にくれいたる 九郎助は老いの一徹息も涙もせぐるかけ コレ実盛殿

娘が肘は何科有て切たぞ むごたらしい事仕やつたのふ 此娘には六十に余る親も

有 七つに成子も有ぞや よもや盗も衒もせまい 何誤りで何科で サア

それ聞ふ/\ とせちがひかゝれば女房も そふじや/\親父殿 體はどこに捨てて有

次手に夫も聞て下され ヲゝ夫も 今頃は犬の餌食 当座に死たか 生きて

 

いるか サア有やうにいへ いはぬか 情じやいふて下されと夫婦が 泣出す心根を思ひ

やつて実持ち 扨は其方達が娘よな 聞も及ばん宗盛公 竹生嶋詣で下向

の御船 勢田唐崎の方へ漕ぎ出す所に 矢橋の方ゟ廿(はたち)余りの女 口に白絹を

引くはへ ぬき手を切てさつ/\と 浮(うい)つ沈みつ游(およぎ)くる あれ助けよあれ殺すなと舷(ふなばた)たゝいて

あせれ共 折からひえの山颪(おろし)柴船の助けもなく 水におぼれる不便さに三間櫂

を投げ込んで ねんなう御船へ助け乗せいか成者ぞと尋る内 追手と見へて声々に

其女こそ源氏方 白籏隠し持たるぞ 奪取れ ばひ取れと 呼ばゝる声を聞しより

 

 

65

船に居合す飛騨左衛門飛かゝつてもぎ取ん イヤ渡さじと女の一念 若しや白

籏平家へ渡らば末代迄源氏は埋木(うもれぎ) 女が命にかへられずと白籏持たる肘

をば 海へざんぶと切落し水底へ沈みしと 船を汀(みぎは)へ漕ぎ戻し體は陸(くが)へ上置きしが廻り

/\て此内へ白籏諸共帰りしは 親を慕ひ子を慕ひ 流れ寄たか不便(ふびん)やと

涙 交りの物語 聞程悲しく夫婦はせき上 道理で孫が目にかゝり 取てくれいと

わんばくも 虫がしらした親子の縁 三人かゝつて放さぬ白籏心よう放したは 我

子に手柄させたさか 死でも夫程可愛いか 手にとゞまつた一念が物いふ事は

 

ならぬかと 御台諸共取すがり泣くより外の事ぞなき 涙おさへて太郎吉は ずうt

と立てヤイ侍 ようかゝ様を殺したなと ぐつとねめたる恨みの眼 自然と実

盛肝にこたへ ホウ健気也たくなしや 母が筐はソリヤそこにと いふにかけ寄肘

を抱き かゝ様呼で此手をば 體へ接(つい)で下されと あなたへ持ち行こなたへ頼み身を投げ伏し

て泣きしづむ かゝる歎きの折も折 所の者共死骸を持ち込み コレ/\是の娘が切られて

居た 肘がかたし紛失した 外はまんぞく渡しますと云捨ててこそ立帰る ヤレ太郎吉

よかゝが顔 是が見納め見て置けと いふにかけ寄りいだき付き コレなふかゝ様拝みます 無

 

 

66

理もいふまいいふ事聞かふ 物いふて下され 祖父様詫び言して下されと 泣きこが

るればヤレ詫び言に及ぶか こつちよりあつちから物いひたうて成まいけれど 此世

の縁が切てはナ 互に詞はかはされぬ 死骸の有所をどふぞまあ 尋ふかと思ふたれど

なまなかに持て戻り顔見せたらたまるまいと そりがねる迄待ていた ヘエ男勝り

な女で有たが それが却って身の怨と 成て死ぬるか可愛やと 悔やみ涙に女房も

嘸死にしなにこなたやおれに 云たい事が有たであろ 太郎吉よ水汲で 樒(しきみ)の

花で手向けてくれ イヤ/\おりやいやじや かゝ様が物いはにや聞かぬ/\とわんばくも 夫

 

ばつかりが道理じやと思ひやる程いぢらしし 実盛始終手を拱(こまねき)人々の愁嘆

に涙といかむ一工夫 思ひ付て傍に立寄り 斯くかい/\゛敷女 譬片腕切たる迚 即

座に息も絶へまじきが 白籏を渡さじと一つ心に凝りかたまり 五体に残る

魂なし 再び肘を接ぎ合さば 霊魂帰り息する事もあらん 誠に彼(かの)眉間尺

が首 三日三夜煮られても凝ったる一念 恨みを報ぜし例も有り 今此肘に温まりの

有るもふしぎ 又は御籏の威徳もて 切たる肘に白籏持たせ 物は試しと接ぎ合

せば 我子を慕ふ魂魄も御籏の徳にや立帰り 息次返し 目をひらき

 

 

67

太郎吉どこにぞ 太郎吉と いふに恟りヤレ蘇生(よみがへつ)たは爰に居る 爰に/\と

取縋る ナフ御台様 白籏はお手に入たか 太郎吉にたつた一言いひたい事がと斗

にて今ぞはかなく成にけり ヤアこりや小まにょ コレ小まん 小まんやい ハア可

愛やな モウそれが遺言か 云たい事とはヲゝ合点じや/\ そちが節目の事で

あろ 何を隠しませうぞ此者は 二人が中の娘でもござりませぬ 堅田の浦に

捨ててござりました コレ御らふじて下さりませ 此懐に持ております用心合口

金刺(かなざし)といふ銘をほり付け 氏は平家何某が娘と 書付もござりますれば

 

若し親達が尋てもこふか 取返しにもこふかと 夫ばつかりを案じて居て 今

死ふとは存じませなんだ 生き返つたふぁ猶思ひ あんまり是はどうよくな ほいないわ

かれと取り付いてわつと 斗に泣きいたる 供に悲しむ葵御前只ならぬ身にせき

のほす 五臓の苦しみ御産の悩み 実盛驚きヤアこりや夫婦の者 泣て居

る所でなし 御台は産の悩み有 いたはり申せと一間へ伴ふ間もなく 用意の

屏風引廻し お腰抱くやらはやめやら伯父叔母(うば)が介抱に 心利いたる実盛が

彼白籏うを押立れば 実も源氏を守りの印 若君安々御誕生初声

 

 

68

高く上げ給ふ 父義賢の稚(おさな)名を直ぐに用ひて駒王丸 後に木曽の義

仲と名乗り給ひし大将は 此若君の事なりし 九郎助歎きも打忘れ お生まれ

なされたいと様の 御家来には此太郎吉 ヲゝそれ/\ かゝるめでたい折なれば 実盛

様御執成しと 願へば點(うなづ)きホウ幸々 死たる女の忠義を思へば 體は灰に成共

一心の凝り塊りし肘 うかつには焼捨かたし 其手を直ぐに塚に築き 太郎吉が

名を今日ゟ 手塚の太郎光盛と名のらせ 御誕生の若君木曽殿へ御

奉公 則ち是が片腕のよい御家来と披露する 御台は気色を改め給ひ

 

尤父は源氏なれ共 母は平家何某が娘と 九郎助の物語 一家一門

広い平家 若し清盛が落とし子もしれず まつ成人して一つの功を立てた

上でと 仰に実盛ハゝア御尤至極/\ 先此所に御座有て 若君御誕生

と聞へては一大事 義賢の御生国信州諏訪へ立越え 御家来権の守

兼任に預け 御聖人の後再び義兵を上げ給へ 九郎助夫婦御供とすゝめに

任する表の方 いつの間にかは瀬尾の十郎 小柴垣ゟ顕れ出 ヤアそりや

ならぬ/\ 斯く有らんと思ひし故 死骸を持たせて窺ひ聞く 義賢が躮男子

 

 

69

とあれば見遁しならず いで請取んとかけ入れば実盛やがて立ふさがり

アゝこれ 貴殿も生き通しにもせまい 海共山共しれぬ水子 見遁しやるが

武士の情 ヤアいふな実盛 扨は汝二(ふた)心な 平家の禄を喰んで源氏の胤

を見遁す不忠 ぐつとでも云て見よ じたい此くたばつた女めが 白籏奪ひ

取たるゆへ 平家方へ夜がねられず 思へば/\重罪人めと 死骸を立ち

蹴にはつたと蹴飛ばし サア生まれたがきめ渡せ 異議に及ぶとなで

切と飛でかゝるを太郎吉が母の譲りの九寸五分抜くより早く瀬尾が

 

脇腹ぐつと突いたる小腕の力 是はと人々驚く中(うち) ようかゝ様の死かい

をば 踏だな蹴たなと えぐりくる/\流石の瀬尾 急所の痛手に

どつかと伏す ヤレでかしやつた/\とほめそやしても夫婦共 跡の難儀

を思ひやり胸轟す斗也 暫く有て瀬尾の十郎 何と葵御前

是で太郎吉は駒王丸の 御家来にならぶがの 平家譜代の侍 瀬

尾の十郎兼氏を 討ちとめた一つの功 成人を待たず共 召つかはれて下さり

ませ 誠に思へば一昔 都や住の折から 手廻りの女に懐胎させ 堅田

 

 

70

浦へ捨たる 平家の何某は其 又廻り逢ふ印にと相添置きたる此劔 廻り

/\て我體 豁(あばら)をかけて金刺と成たも孫めが 不便さ故初めての御

家来に平家の縁と嫌はれては 娘が未来の迷ひといひ 一生埋れる

土百姓 七つの年から奉公せば 木曽の御内に 一といふて二のなき家来 取

なし頼む実盛殿 サア瀬尾が首取て初(うい)奉公の手柄にせよと非道に

根強い侍も 孫に心も乱れ焼き すらりとぬいて我首へ しつかと当てて両

手をかけ えい/\/\と引落す 難波瀬尾と平家でも 悪に名高き其一人

 

最期は遉健気也 夫婦もなく/\其首を太郎に持たせ御目見へ 葵御前

は若君抱き 初めての見参に 平家に名高き侍を討ち取たる高名 主従三世の

きえんぞと 仰を聞くより太郎はつつ立 サア是からはおれは侍 侍なればかゝ様の

敵 実盛やらぬと詰めかけたり ホヲゝ遖々去ながら 四十近き其が 稚き汝に討たれて

は 情としれて手柄に成まい 若君と諸共に信濃国諏訪へ立越え成人して

義兵を上げよ 其時実盛討手を乞い請け 故郷へ帰る錦の袖ひるがへして討死

せん 先づ夫迄はさらば/\ 何れもさらば 家来共のりがへ引けと呼はれば はつ

 

 

71

と答へて月額(びたい) 栗毛の駒を引出す 手綱追取乗る中に何国に隠れ居

たりけん 矢橋の二惣太踊り出 ヤア先達て注進の褒美を無にした其

かはり 実盛か二心で 駒王丸を北国へ下す段々直(じき)に注進 詞つがふた争ふな

と云捨てかけ出す 実盛透さず馬上ゟ用意の鑰(かぎ)縄打かくれば 首に

かゝつてきり/\/\ 引き寄せ上げひっ掴み 遖儕は日本一の大欲無道の曲者めと 鞍

の前鑰に押し付けて 首かき切て捨てけり 其後手塚の太郎 母が筐の小

相口 金刺取て腰にぼつ込み綿繰馬にひらりと乗り ヤア/\実盛 かゝ様

 

殺して逃ぐるかいぬか もふおれが名は手塚の太郎コリヤ 此 金刺の光盛也 いな

ずと爰で勝負/\と呼はつたり ヲゝでかした/\ 蛇(じや)は一寸にして其気を得(う)る

自然と備はる軍の広原 成人して母の怨 顔見覚えて恨みをはらせ イヤ/\

申孫めが大きう成中には 其元様は顔に皺 髪はしらがで其顔かはろ ムウ

成程其時こそ 鬢髭を墨に染め 若やいで勝負をとげん 坂東声

の首とらば池の溜りで洗ふて見よ 軍の場所は北国篠原 加賀

の国にて見参/\ げに其時に此若が 恩を思ふて討たすまい いき

 

 

72

ながらへておつたらば 此親父めが御籏持ち 兵粮焚くはわたしが役

首切る役は此手塚 ホウ ヲゝ互に馬上でむんずと組み 両馬が間に

落る共 老武者の悲しさは 軍にしつかれ 風にちゞめる古木の

力もおれん其時手塚 合点/\ ついに首をも掻き落とされ 篠

原の土となる共 名は北国の衢に上げん さらば/\と引別れ 帰るや

駒の染手綱隠れ なかりし弓とりの名は 末代にあり

明けの 月もる家をあとになし駒を はやめて立かへる

 

 

草津線手原駅前の碑(1)

 

草津線手原駅前の碑(2)

 

 

小まんのモデル「おとせ伝説」おとせの片腕を祀る「おとせの石」と堅田の浦