仮想空間

趣味の変体仮名

源平布引瀧 第四

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      浄瑠璃本データベース ニ10-01428

 

72(左頁)

   第四

天をも計り地を計りつべし 量りがたきは人の心なるとかや 安芸守平の

清盛 しか/\の御企て有迚後白河の帝 大納言成忠卿を鳥羽の北

殿に押込め置き 遉天理を恐れてや日毎/\の院参に 百姓共は田

畑を止(や)め道に盛砂箒目入れ 敬ひ恐るゝ平家の威勢 上り下りの旅人

も道を横ぎる斗也 四つ塚東寺の庄屋年寄袴羽織でかけ廻り 最

早あれへお乗物往来も先退けて 片寄/\下に居よと地に鼻付くれ

 

 

73

ば程もなく 先払ひの徒の者 二行に立て対の陸尺(ろくしやく)揃へのかんばん 先乗り

物は父の清盛 跡乗物は次男宗盛物見より顔指し出し しらぬ野山

を詠め行まだ児髷(ちごまげ)の公達姿 常の権威に事かはり 行粧(ぎやうそう)かるき供廻り

鳥羽の御所ゟ見送りの為に迚多田蔵人行綱 今は名もかへ姿さへかはり

果たる仕丁(じてう)の藤作布衣(ほい)の出立りゝ敷も 御乗物に引添ふたり 早夕暮

も程近くおぼろに見ゆる鳥羽大路の 並木のかげゟ誰共しれず 甲頭巾

に目斗出せし侍一人 出ると見へしが二人の先(さき)手を弓手馬手へ踏み倒せば 数多

 

の家来徒士(かち)若党 狼藉者遁さじと右往左往に追取まくを はり退け

ぶち退け取ては投げ掴んでは打付け 間もなくかゝるを宙に提(ひっさげ)がはと投げ つゞいてかゝ

るを前後左右へ投付け/\ 投げちらしたる手垂れの曲者 稚けれ共宗盛乗物

よりおどり出 人はなきかあれ組留めよと下知有ば 跡に扣へし仕丁の藤作たまり

兼て飛で出 儕何やつなれば 当時清盛公の御乗物先にて狼藉を働くは

命しらず 搦め捕ぞと布衣の袖まくり上げ 用意の早縄すびきしてずつと寄るを

寄せ付けぬ 白刃の切っ先藤作が 眉間を矩(かね)に切付くるを引ぱづしかいくゞり 刀持つ手

 

 

74

むずと取る とられながら後ろさまに突っかゝるを身をひらき 横間(あい)ゟ急所を一っ

真(しん)の当て うんとのるを引っかづきもんどり打せのつかゝり 両腕捻上げ早縄たぐつてぐつ

/\と くゝり上れば彼曲者 エゝ無念口惜と立上るを引据へ/\ おこがましう候へ共 仰に任

せ仕丁の藤作 搦め捕り候と御目通りへ引据れば 乗物の戸をひらき立出るは清

盛ならで 嫡子小松の重盛也 藤作はつと驚けば しづ/\と囚人(めしうど)に打向ひ 儕

は正しく武士の浪人よな 其いやしき風体にて 重盛に向ひ意趣遺恨有べ

き様なし 察する所保元平治に討漏らされたる 為義 義朝が一類ならん 都へ引

 

せ一々に白状させんづ ヲゝ汝 仕丁には似合ざる武芸の剣練でkしたりと 詞に

行綱身をへり下り コハ有がたき御仰 身不肖の藤作 狼藉者を搦めしは全く

我が働きならず 平家の御威勢を頭(かうべ)に戴き ねんなう仕り終(おほ)せし也 儕今日の

御院参は我々迄も御父君とこそ存ぜしに 思ひ寄らざる重盛公と したつて頭

を地に付くれば ヲゝ左思ふも理り 此度父清盛 帝を鳥羽の離宮に押込奉り

普く天下に悪逆無道の清盛といはるゝは平家の歎き 子として父の非を改め

達て御教訓申したれ共 一円に承引なければ我密かに父にかはり 毎日/\鳥

 

 

75

羽の離宮へ院参して 父の無道をつくなふも重盛が寸志の孝行 二つには

君の御憤りを晴らし奉らん為なるぞや 下々なれ共心剛成る藤作 父清盛に申上

武士に取立得させん 向後は心を配って帝の守護致すべし 罷り立藤作 はつと

斗に平伏し冥加に余る身の面目 仰に随ひ是よりも罷り帰り候はんと 口には

いへど心には此体ならば帝をも 念なう奪ひ奉らんといさみ/\て藤作は 鳥羽の

離宮へ立帰る 重盛跡を見送り/\ 我推量にちつ共違(たが)はず きやつが今

の働き只者ならずと 囚人(めしうど)が縄切ほどき 甲頭巾取ければ平家の侍飛騨左衛門

 

皆々はつと驚けば シイ 音高し/\ 諸事は此重盛が胸中に有 家来共乗

物やれいざさらば宗盛と兄弟打連れ悠々と 歩(かち)をひらふて西八条の館を

さして〽帰らるゝ きのふ迄秋の雲井の御住居も けふは淋しき冬がれに

憂き目は兼て後白河の帝を押籠め奉る 鳥羽の離宮の配所の軒 木

の葉を払ふとのもりの伴の宮造(みやつこ)はき掃除の仕丁ならで 御宿直(とのい)の武

士もなく 草木も靡かぬ世の中に庭の 紅葉のかうえう斗叡慮にした

が風情也 三人の仕丁共 箒さらへで頬杖つき はけば跡からちる木の葉 手

 

 

76

も足も草臥れ果た アゝいやの掃除役 コレ又五郎そふいやんな 帝様さへもの

事が自由にならいで 成忠様と諸共に押込められてござるじやないか あなたか

ら見てはこちらが術なみは何でもない しんどい時は此■木(ぬるで)や紅葉を見て

 ■=

草臥れを休みやいの ノウ平次そふじやないか エゝうまい事いふの藤作 花や椛

を楽しむは上つかた おいらは草臥れ休めにあつがんで一ぱい引請け 此寒さが凌ぎたい

ほんにぬるでの次手に彼(かの)見事人の・木の局 いつも掃除する時はちよ

こ/\とわせて 侍従の紅葉のといふ外の女中を押し退け あほうのたら/\゛

 

尽くされてよい慰みじやに けふはなぜにわせぬぞい サアあの■木殿も

顔なら姿なら 云ふ所のない器量じやに つたら事は水晶のけづり屑

で 役に立ぬおぬく女郎 大切な帝様に あの様な足らぬわろを付けて置く

清盛かうしてうまいわろと 謗るかげ口あくた口 さらへ箒を取々に はけ共尽き

ずちる木の葉風が持てくる衣(きぬ)の香に 心ときめく御所女中 名も時に合ふ

紅葉の局 眉目(みめ)も姿も恥ね共 たらぬ心のぬるでの局 跡につゞいて

待宵姫 名も小侍従とかはり行 朝な夕なの御所勤め 木々の錦を詠(ながめ)

 

 

77

めんと 縁先に打連れ出 アレ紅葉様ぬづれ様 見る度々に梢の色も一

入まさり 今が紅葉の真っ盛り 何と見事じやないかへと 半分聞て指し出る

あほうの早合点 フウあの紅葉の赤いのを見事なといふじや迄 それで

よめた事が有る わしが名は■木(ぬるで)の局 此様に真赤な緋の袴きて居る

故 夫で見事といふであろ 紅葉様も同じ様にまつかいな物きてなれど 見

事なと云人(いひて)がないはなぜにじやへ ヲゝもふよいわいな 毎日おまへの根どひ

はどひに わしもほつと草臥果る イエ/\夫でも其様子 イヤ其訳は此

 

藤作が申て聞しませふ もとお前方の名は 帝様の御寵愛なさるゝ此

紅葉 の気に寄てお付なされたげな 取分け■木様の色が

勝(まさ)つた故 夫でおまへを見事なと御所中で申ます サア其又色が勝

つたとは どふした事じやいふて聞じや イヤもふそふ問れえては 此藤作もなが

さにやならぬ ヲゝ其事は此侍従が おまへにいふて聞しませう 色の勝ると

いふ歌に いかにせん 忍ぶの山の下栬(もみぢ) 見る度ごとに色まさるとは ■木様

合点がいたか ナア 合点かと藤作に顔でしらする合図の歌 ヲゝ其歌

 

 

78

なら■木がよう覚ている 皆も聞て下さんせと 声おかしくも拍子

とり 紅葉ふむ鹿憎いといへど恋のふみかく筆となるよいやんな コレ

わしやよう諷をがの 何と見事か/\と いふ顔付に興さめて 笑はれ

もせぬ配所の御所ぐつと吹き出す斗也 コレ皆何がおかしい フウ扨は歌諷

はして笑ふのじやな よう覚へて置しやんせ 帝様に申上勅勘を蒙ら

すと 顔をあからめ■木の局 ぴんしゃんとして入ければ なふ紅葉様 あ

ほうなくせにむくろ腹 何申あげふやら しれぬぞへ侍従様 此儘では置かれ

 

まい サア/\お出と打連れ奥へ走り行く 何と又五郎 人には様々の有物じやの

されば/\平次もおれも見ていたが あほうをなぶると得て跡は喧嘩仕(し)

廻(まひ) おいらも祟りのこぬ中に仕残した掃除して仕廻ふ 日が短い精出

そと 箒さらへをてん手に提げ奥庭深く入にける 侍従は奥の透き間

を窺ひ庭に おりしも人なきは幸いの上首尾と 紅葉の木影隈々(くま/\゛)を

尋ね廻れば藤作も 忍べと有相図の歌に奥庭より引返し 逢ふも妹

背の縁の綱 のふ行綱様 待宵かと 声をひそめて 首尾はどふじや

 

 

79

どふじやかうじやの段かいな 毎日お顔は見るけれど 一目にせかれ云たい

事も得いはず心に思ふている斗 ほんに今の相図の歌 よう合点して

来て下さんした そりやしれた事 おれもやさ蔵人迚 歌の一首もつら

ねた者 合点せいでよい物か ほんに仕馴れもなされぬ業で 御苦労

にあろお寒かろ 此手の冷える事わいのと 肌に引き入れ引しめて 是が多田

蔵人行綱様の形かいな いとをしの有様やと 声をも立ずむせ返り忍び

涙にくれければ アゝ声が高いひそかに/\ いふに及ばぬ事ながら夫婦

 

此御所へ入り込みしは 帝を奪(ばひ)取る為ならずや エゝ余(よ)の事いはずと叡慮具(つぶさ)

に物語れと 叱り付けられ涙をとゞめ 自ら迚も父上の末期の一句忘ら

れず 様々心を尽せ共 昼は重盛一度つゝ院参して 何事も心に

任せず 夜は紅葉の局■木(ぬるで)の局 御座の一間を離れねば 何を奏

する首尾もなし 此事お前に咄したさと 語るを聞て行綱も 暫し

思案にくれけるが ムウそうじや べん/\と首尾をはかり 事顕はれては

無念の無念 もふ此上は蔵人が運を天に任せ さゝへる者を切ちらし

 

 

80

帝を奪取夜に入て立のかん身拵へせよ女房と 兼て用意の

懐刀渡せば受取り脇挟み せいて仕損じ給ふなとかい/\敷力を付け しめし

合せて待宵姫一間の内へ入にける 掃除仕廻て又五郎平次 奥庭

ゟこゞへ出 エゝ藤咲悪いぞよ 平次とおれに掃除をふり向け爰に何して

いやるぞ サイノ おれもあんまり寒さに火なとたいてあたらそと思ふて

爰へ来れど 焚き物はなしふるひ上がつているはいの ヲゝそりやおいらも一当り

あたりたい 幸いな此紅葉の枝 ぶち折て焚き火にせうと 心なき仕丁共盛り

 

の紅葉をへし折り踏み折り落花狼藉 木の葉かき寄せ摺り火爐(ひばち) ほく

ちにうつせば 秋の山のはげ敷嵐に吹き付けられ 咸陽宮の煙の中

サア/\藤作来てあたれと 足を投出し尻もつ立て アゝ心地よや 是で惣

身が温まり とんと寒さを忘れたと 暖気を衛士の篝火ならで三人

たき火に余念なく しらぬ小歌の折こそあれ 一間の内ゟぬるでの局つか

/\と立出 ホゝウ大事の紅葉を たき木にしてほつぽらぽ 王様の聞しやつたら

大抵や大かたの事じやないと いふに三人恟りはいもふたき火を打消し踏み

 

 

81

消して あんまり寒さに大事の紅葉共ぞんぜず 折てたいたは不調法

と詫び言たら/\゛なる所へ 侍従紅葉は銀(しろがね)の銚子土器(かはらけ)携へ しとやかに

立出 仕丁共御寵愛の紅葉をあらせしと 君ほのかに聞し召 中々御

怒りの色目なく 紅葉を折てたき火とせしは 狼藉に似て狼藉に

あらず 林間に酒を温めて 紅葉(かうよう)をたくといふ詩の心 下(した)々には心ある

者共と叡感有り 寒夜には御衣(ぎょい)を脱ぎし帝も有 嘸寒からんと

君ゟ九献を下さるゝ 皆有がたう思やいのと 聞くより三人蘇生(よみがへり)たる

 

心地にて おづ/\と這出 科を御赦さるゝさへ有るに 勿体ない我々にお

酒迄下さるゝは ナア又五郎平次 有がたいと申ませうか 忝いと申ませふ

か ぬるで様 侍従様 お礼おつしやつて下さりませ ヲゝそりや侍従がよい

様に 必ず/\酒過ごして大事を忘れまいぞやと いふに■木がでかし顔 コリヤ

仕丁共 酒がきれたら長廊下の鈴をならしやかへにこふと 侍従紅葉

も諸共に打連れ奥に入にける アゝ大きなめに逢はふかと 案じたとは違

て忝い マア一ぱい呑ふ/\ かん仕や藤作合点かと 木の葉落ち葉を

 

 

82

かき寄せ/\吹付けたき付け 是を見よ 綸言に酒を温め紅葉をたくじや

の 殿上から御赦された酒なれば 是はほんの天井ぬけ サア/\かんもよい又

五郎平次と 大土器を取出し 是で一つ宛 マア/\藤作から ハテ年役に又五郎

初(はじ)みや ヲゝそんならそふしやう 帝様から下された御酒ならば こちらが呑む

並酒と違ふて うまい/\と舌鼓なるは瀧呑み引受/\ 藤作おさ

えふ そんなら平次が間をせう てうど/\とさいつ さゝれつ数重なりて と

ろ/\目 なんと藤作平次 忝い事じやないか さつきにはしばり首も討た

 

れうと思ふたに 火いらずと下されて此様にたべ酔といふは 誓文ぞ此又

五郎 有がたうて涙がごぼれる お慈悲ぶかうは有り 御酒は結構也 是が

泣かずにいられうかと むせび入ば藤作 ハツゝゝゝ ハワハゝゝゝ泣くは/\ ワツハゝゝゝ こりやお

かしい ねはん像にもわれ程泣く物はない おりや又われが笑ふので猶

悲しい/\と 霰の様な涙をこぼし いしゃくり上れば こりやたまらぬ ハアハゝゝゝ/\

臍がよれると打こけて 腹をかゝへる笑ひ上戸泣き上戸 中に平次がむつ

と顔 わいらは泣いたり笑ったりするが 天子から下された酒が不足でそふ

 

 

83

するのか もふあなたには構はせぬ 平次が帝の尻持て びやくらい

此訳立てねば置かぬ ぐつとでもいふて見よと 睨み廻す腹立上戸 二人は

只一心不乱 泣いつ笑ふつ巻かける くだももつれて目もちろ/\ 何をいふ

のも夢半分将棋倒しにばた/\と 笑ひねいり泣きないり 腹立て

ねいりに正体なく 入相告ぐる鐘諸共 がう/\/\と高いびき御所も

〽ひつそとしづまりぬ時も移さず 藤作は空寝入の頭を上げ 邊を

見廻しすはよき時節と 二人が寝息を窺ひ/\ してやつたりと小

 

踊りし 布衣をひらりとぬぎ捨てれば 肌には兼て用意の着込 大

床(ゆか)の下に隠せし腰刀 おつ取て脇ばさみ いづくより入べきと ためら

ふ所へ妻の侍従 一腰ほつ込み走り出 サア行綱様 君のお傍に人も

なうてよい時節 案内は此侍従サア/\早うと気をいらてば ヲゝ女房

でかした 何条刃向ふやつばらは 追まくり切ちらし帝を奪ひ奉らん

きやつらが目のさめぬ中と夫婦諸共階(きざはし)を 上る足音しらさじと

ぬき足指し足女房しづかに ヲゝ合点とときつく胸を押しづめ 虎の

 

 

84

尾を踏み毒蛇の口なんなく奥へ忍び入る 二人の仕丁むつくと起き 盛次

見たか ヲゝ忠光見付けた/\ 油断するなと布衣をぬげば同じ着込 箒

さらへに仕込し刀提げ/\ 今や出ると待ち居たる かく共しらず蔵人は 帝

に薄衣着せまいらせ 背中にしつかと負ひ奉り 妻も跡に引添ふて

天へも上る其勢ひいさみ/\て立出れば 庭にすつくと越中上総

行き先をさへぎつたり 行綱夫婦もはつと仰天 次郎兵衛すゝみ出 汝此

御所へ仕丁と成て入込しが只者ならずと見付し故 かくいふは越中次郎兵衛

 

盛次 上総五郎兵衛忠光 重盛の仰によつて諸共に仕丁と成り 昼夜

付添ひはかるとことに 主君の賢慮にちつ共違(たが)はず 帝を奪(ばい)取立退かん

とする曲者 必定源氏の残党ならん 越中上総が搦め捕る 覚悟/\

といあhせもあへずから/\と笑ひ ヲゝ子細有て帝を奪取る此藤作 遖

手柄に組み留めよと庭にひらりとおり立たり 盛次えたりと飛かゝるをどふ

と踏みすへ 向ふてかゝる上総が頭(かうべ) 刀の鍔にてはつしと打つ うたれてひるまず

左右ゟ両人一度に取付けば 蔵人はびく共せず ヤア我を組みとめんとはしほら

 

 

85

敷(しき)越中上総 サア ならば見事搦めて見よと 二人が首筋ひつ掴み 弓手

馬手へ投げ退け/\ 阿修羅王の荒れたるごとくにふんぢかつてつつ立たり 帝は

侍従が膁(よはごし)掴んでどうど投げ 足下にふまへめしたる薄衣(うすぎぬ)袍(うへのきぬ) ぬぎ捨て給へば

こはいかに 肌に着込みの荒くれ武士 よく/\見れば布引にて 雷(らい)にうたれ

死だりし 難波六郎常俊也 蔵人はつと驚けば 難波六郎大音上げ ヤア/\藤

作とやらよつtき聞け 此度君の御謀叛隠れなきによつて 清盛公の御憤り

ふかく帝并(ならびに)成忠卿を 此御所へ押込め置け共 手のうら返す清盛公

 

の御政道 万一帝に御過ち有ては へいけの瑕瑾家の断絶と 主君

重盛此事を深く歎き思召す是又一朝一夕ならず 去によつて 雷の発する

時刻を考へ 布引の瀧壷にて㚑女に逢ひしと偽り 雷(いかづち)にうたれあへ

なく死だる体に見せ 跡をくらまし女房紅葉諸共 此御所へ入込み帝に代り

奉り 誠の帝は主君の館へ 密かに供奉(ぐぶ)し給ひし也 サア贋帝でも大

事ならば 藤作来つて奪取れと 侍従を足にてどうど蹴やりはつたと

睨んで立たちけり エゝ重盛が計略にはおとりしな 死物狂ひに藤作か刀

 

 

86

の切れ味心見よと 切て出んとする所に いづくゟ共白羽の矢蔵人が 弓手

の袖を菱にぬふて 射通せばハゝゝゝはつと 驚く後ろに小松の重盛 重(しげ)

藤(とう)の弓携へする/\と立出給ひ 藤作が義は追ての事と御殿に向ひ

父清盛の心和らく迄は 六郎則ち後白河の院成るぞ ハアゝ恐れ多き帝

の出御(しゆつぎよう)紅葉はなきか 奥へ入御(じゆぎよ)なし奉れと神戸をさげて敬へば 辞するに及ばず

六郎も一間の内へ入にける 重盛悠々と床几にかゝり ヤア/\行綱 重

盛が肺肝を砕きし帝の尊顔 とくと拝し奉りしか 今其方が弓

 

手の袖射通せしは此重盛 汝其矢をとつくと見よ 布引の瀧に

て其方が其に 射付けし矢 其時即座に縛り首打つべきを 重

盛心中に祈願有る故 白状に及ばず命を助けかへせしが 今にいたつて

其者の名もしらず 尤面(つら)をよごしたれば 面体は猶見しらね共 桝花(しやうくは)

女(ぢよ)ゟ源の頼光に給はりし 水破兵破(ひやうは)の矢を以て 其に射付けしからは源

氏の残党 多田の蔵人行綱と見しはひが目か 今其が射かへしたる水

破の矢 わづかに袖を射通したれど 蔵人が肝のたばねを貫き命を

 

 

87

助けに大恩 五臓六腑にこたへ重盛に向ひ 一言の返答はよも有まい

と 未前をさゝれて遉の行綱黙せしが ホゝウ重盛の眼力に違

はず 我こそ多田の蔵人行綱 木曽の先生義賢と心を合せ 天晴

平家を亡ぼさんとはかりしに 事ならずして義賢もあへなく生害

我是なる娘を娶て 舅先生が遺言を守り 帝を奪ひ取り

東国に赴き 兵衛佐(ひやうえのすけ)と心を合さんとはかり 此離宮へ夫婦一所

に入込しに 布引にて其方に一命を助けられし 情の恩にからめられ

 

刃もなまり刃向はれぬは蔵人が運の尽き 再び源氏の白籏を都

の空に靡かす時節 いつの世に有べきぞ エゝ無念口惜しやと 五

臓をもみ上げ 血の涙 サア/\越中上総 一時も早く搦め捕れと 手を廻し

たる覚悟の体 早縄たぐつて盛次 づつと寄て行綱を高手小手

にいましむれば 侍従は夫にすがり付き 浅ましき此縄目と人目も恥ず

泣居たる ヲゝ行綱健気の白状 平家に弓引き敵たふ者は 親でも

子でも赦さぬといふ 依怙贔屓なき政道を見すべし それ/\上総

 

 

88

越中 用意の物こなたへと 詞の下より下部共見るもいぶせき牢輿(らうごし)

に ぬるでの局引添ふて 御庭に舁すゆる 重盛輿に立寄て 此度

成忠卿の御科 父清盛へ様々と歎きしによつて死罪をなだめ 備前

の小嶋へ流罪極る 必ず重盛が疎略と云召さるなと 聞くよりも成

忠卿物見ゟ顔さし出し 是迄聟舅の深切(しんせつ)忘れがたしと 涙に

むせび入給ふ こらへ兼てぬるでの局わつと斗に泣ければ ヲゝみだい

は悲しい筈 目前親を擒(とりこ)にせられ あほうにならずば居られまいと

 

の給へば 園生の方涙をとゞめ ほんに世の中に自ら程 情ない身の上

が有べきか 此度君と諸共に此鳥羽の北殿に押込められてござる

は父上 押しこむるは自らが夫 中に立たる此園生 悲しい斗がどふ心が済む

物ぞ せめて囚はれの中なりと孝行が尽くしたく 君の守護やら父

上へ宮仕へやら何やらかやらに■木(ぬるで)と名をかへ 常の気では居ら 

 ■=

れぬ故 あほう/\と指ざしせられ うた/\しう暮らす中 重盛様

の執成しで 父のなんぎもけふやゆりるあすや赦(ゆり)ると 待ち暮らしたかい

 

 

88

もなふ流し者に成給ふか 地杖ひとり助け兼るふがいのない娘なれば

只いつ迄もあほう/\ あほう烏も 友ならばかはいと思ふてくれよ迚

夫を恨み身を恨みかつぱと伏して泣給ふ 三世を見ぬく重盛に つれ

添御台のあほうとは作りあほうの手本也 ヲゝ道理/\去ながら 天

下の政道を守る重盛なれば 聟舅迚用捨はならず 時節

を待て父清盛へ帰洛の願ひ申て見ん 夫迄は成忠も命目

出たうおはしませ とはいふ物の定めがたきは世の有様 重盛此度

 

帝を入かへ置たるも 父の悪事をとゞむる術(てだて) 此術を行ふも一方

は君 一方は父 孝をつれば不忠と成り 忠を立つれば不孝と成る 忠孝

二つを全くせん為昼夜心を苦しむ重盛 果報は上なき身な

れ共 匹夫下郎におとつて情なき我身の上 父の悪逆やま

ずんば一命を取てたべと 熊野権現を祈り奉れば けふやあす

やとかげろふの 死を待つ斗の我命 かほどに思ふ重盛が心の中(うち)

成忠卿 越中上総 蔵人も思ひやれやと斗にて 智勇を兼し

 

 

90

大将の世を恨み身を悔やみ 悲しみの涙はら/\/\とゞめ 兼させ給ひ

ければ 越中上総諸共に 切なる心を感じ入目をしばたゝく斗也

早鶏鳴(けいめい)の時来れりと追立ての官人共 ばら/\と立出れば さら

ば/\と成忠卿 重盛に一礼述べ名残を惜しむ親子の別れ

御台所も尽きせぬ歎き 父の卿は行く歎きあらけなき武士(もののふ)共輿の

前後を打かこめば 重盛公御声高く ヤア/\盛次 行綱は此

小松がはかあらふ旨有 汝にとつくと預けたぞ 忠光は其侍従 女

 

なれば構ひなし しるべの方へ流し者 命まつたう時節を待てと 情の

詞に忝け涙はら/\鳥と諸共に無常を告ぐる明けの鐘 侍

従はいとゞ悲しくて かくこそ思ひつゞけけり 待宵に ふけ行く鐘の音(こえ)

聞けば あかぬ別れの鳥は物かは ヲゝしほらしき別れの詠歌 我も

返歌と立とゞまり 物かはと 君がいひけん 鳥の音の 此あかつき

は 悲しかるらんと 詠じ捨たる言の葉にて 待宵の小侍従物かは

の蔵人と 呼び伝へしも 歌の徳 武勇の徳も世につきて

 

 

91

憂き目をみそじ一文字や 千筋の縄にからめられ ひかれ出れ

ば下部共早かき上る牢輿を御台所は見送りて父の顔

ばせ今一目 見せるも 涙見る涙 蔵人夫婦は引別れわつと

泣たる哀傷離別 一世と二世の別れの涙幾重の 袖をやしぼるらん

 

 

布引の滝 雄滝

 

布引の滝 夫婦滝