仮想空間

趣味の変体仮名

義経記 巻第五

読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1287996

 

 

2

義経記巻第五目録

 判官よし野山に入給ふ事

 しづかよし野山にすてられるゝ事

 義経よし野山を落給ふ事

 たゞのぶよし野にとゞまる事

 たゝのふよし野山の合戦の事

 よし野法師判官を追(をつ)かけ奉る事

 

 

3

義経記巻第五

 

  判官よし野山に入給ふ事

都に春はきたれ共。よし野はいまだ冬ごもる。いはんや年の

くれなれば。谷の小川もつらゝいて。一かたならぬ山なれども。

判官あかぬ名残を捨かねて。しづかを是までぐせられた

りける。さま/\のなんしよをへて。一二のはざま三四のたう

げ。すぎのだんと云所まで分(わけ)一給ひけり。武蔵房申ける

は此君の御供申ふそくなく。見する物はめんだうなり。四国

のともゝ一船(せん)に十よ人取のり奉り給て。心やすくもなか

りしに。此深山(しんさん)までぐそくし給ふこそ心得ね。かく御供し

てありき。ふもとの里へ聞えなば。いやしきやつばらが手に

かゝりなどして。いころされて名をながさん事は口おしかる

 

 

4

べし。いかゞはからふ。かたをかいざや一先落て身をもたすから

むと申ければ。それもさすがあるべきいかゝぞ。たゝめなみあは

せそとこそ申ける。判官聞給ひくるしき事にぞおはしめ

しける。すづかゞ名残を捨sじとすればかれらは中をたがひぬ。

又かれらが中をたがはじとすれは。しづかゞ名残すてがたく。と

にかくに心をくたき給ひつゝ。なみだにむせび給ひけり。判

官むさしをめしておほせられけるは。人々の心中を義

経しらぬ事はなけれ供。わづかのちぎりを捨かねて。是

まで女をぐしつるこそ。身ながらもけに心得ね。是よりし

づかを都へ返さばやとおもふはいかゝあるべき。むさしばうか

しこまつて申けるは。是こそゆゝしき御はからひ候に。弁

慶もかくこそ申たく候ひつれども。おそれをなし参らせ

 

てこそ候へ。かやうにおぼしめし立て日のくれ候はぬさきに。

とく/\御急ぎ候へと申せば。なにしに返さんといひて。又思

ひかへさじといはん事も。侍の心中いかにぞやとおもは

れけれは。ちからをよばずしづかを京へ返さばやと仰られ

ければ。さふらひ二人ざうしき三人御供申べきよしを申けれ

は。ひとへに義経に命をくれたるこそおもはんずれ。み

ちのほどよく/\いたはりて都へ帰りて各々はそれより

して。いづかたへも心にまかすべしとおほせを承りて。しづ

かをめしておほせけるは。むさしつきて都へ返すには

あらず。是まてひきぐそくしたりつるも。心ざしおろか

ならぬゆへ心くるしかるべき。旅の空に人めをもかへりみ

ずぐそくしつれ共。よく/\きけば此山はえんの行

 

 

5

者のふみそめ給ひし。ぼたいのみねなれば。しやじんけ

つさいせでは。いかでかかなふましき峯なるを。わが身の

こうにをかされて是までぐし奉る事。神慮のおそれ

あり。是より帰りてぜんじのもとに忍びて。明年の春を

待候へ。義経も明年の春けにかなふまじては。出家をせ

むすれば。人も心ざしあらば。ともに様(さま)をもかへ経をもよ

み。念仏をも申さばや。今生後生などか一しよにあらざ

らんと仰られければ。しづかきゝもあへず。きぬの袖をかほ

にあてゝ。なくより外の事ぞなき。御心ざしつきせざりし

ほどは。四国の波の上までも。ぐそくせられ奉る。ちぎり

つきぬればちからをよばす。たゝうき身の程こそおもひ

しりてかなしけれ。申に付てもいかにぞや。過にし夏の頃

 

より。たゞならぬ事とかや。申はさんすべき物にもはや

さだめぬ。世にかくれもなき事にて候へば。六はらへもか

まくらへも聞えんずらん。東(あつま)の人は情なきと聞(きけ)ば。いま

にとりくだされて。いかなるうきめをか見んずらん只おぼ

しめし切て。是にていかにもなし給へ。御ためにも身づから

かためにも。中々生(いき)て物思はにょりもと。かきくどき申

ければ。たゞ都へ上り給へとおほせられけれ共。御ひざの

上にかほをあて。こえをたてゝぞなきふしける。侍共もこ

れをみて。皆たもとをぞぬらしける。判官びんのかみを取

出して。是こそあさ夕にかほをうつしつれ。見んたびに

義経を見るとおもひて。見給へとてたびにけり。是を

給はりていまなき人の様に。むねにあてゝそこがれける。

 

 

6

なみだのひまよりかくぞ詠じける

 見るとても。うれしくもなしますかゝみ。こひしき人

のかけをとめねば。とよみたれば。判官枕を取出して。身

をはなさで是をみ給へとてかくなん

 いそげども。行(ゆき)もやられず草枕。しづかになれし心な

らひに。それのみならず財宝を其数とり出してたびけ ←

り。其中にことに秘蔵せられたりける。したんのどうに

ひつじの革にてはりたりける。たくぼくのしらべの鼓を

給はりて。仰られけるは。此つゞみは義経秘蔵してもち

つるなり。白河院の御時。法住寺の長老の入唐の時、二つ

の重宝をわたされけり。めいきよくといふひば。初音と

云つゞみ是なり。めいきよくは内裏に有けるが。保元の

 

合戦の時。新院の御前にてやけてなし。はつねはさぬ

きのかみまさもり給て。ひさうして持たりけるが。ま

さもり死去の後。たゞもり是をつたへて持たりける

を。清盛の後は誰か持たりけん。八しまの合戦の時。わざ

とや海に入られけん。又取おとしてやありけん。浪にゆられ

て有けるを。いせの三郎くまでにかけて取あけたりしを。

義経とつて鎌倉に奉るとぞの給ひける。しづかなく

/\是を給てもちけり。今はなにとおもふともとゞま

るへきにあらずとて。ぜひを二つにわけゝり。判官思

ひ切給ふ時は。しづかおもひきらず。しづかおもひきる時は。

はうくわんおもひ切給はず。たがひに行もやらず帰

りては行。ゆきてはかへりし給ひけり。峯に上り谷に

 

 

7

下り行給ふほどに。すがたの見え給ふほどは。しつかは

/\と見をくりけり。たがひにすがたの見えぬほとに

へたてば。やまひこのひゝくほどにぞおめきける。五人の

者どもやう/\になくさめて。三四のたうげまでは

下りけり。二人の侍三人のざうしきをよびてかたり

けるは。をの/\いかゞはからふ。はうくわんも御こゝ

ろざしはふかく給ひつれとも。御身のをきところなくおほしめして。ゆきがたしらずうせさせ給わ

れとてもふもとに下り。落人の供しありきては。いか

でか此なん所をばのがるべき。是はふもと近き所なれば。

捨えおき奉り。とてもいかにもして。ふもとにかへり給はぬ

事はよもあらじ。いざや一先落て身をたすけんとぞ云ける

 

 

8

はぢをもはちとしり。又情をもすてまじき侍たにも。

かやうにいひければ。ましてつぎの者ともはいかやうにも

御はからひ候へかしと云ければ。あるこぼくのもとに敷革しき。

是にしばらく御やすみ候へと申けるは。此山のふもとに

十一面くわんをんのたゝせ給て候所あり。したしく候ものゝ別

当にて候へば。尋て下以て。御身のやうす申あはせて。くる

しかるまじきに候はゞいれ参らせて。しばらく御身をも

いたはり参らせて。山づたひに都へをくり参らせたくこ

そ候へと申けれは。ともかくもよきやうにをの/\はか

らひ給へとぞの給ひける

 

  しづかよし野山に捨らるゝ事

供したる者ども。判官のたびたる財宝をとりて。かきけす

 

 

9

やうにぞうせにける。しづかは日くるゝにしたがひて、今や

/\と待けれ共。帰りてこと問人もなし。せめて思ひのあま

りに。なく/\枯木(こぼく)のもとを立出て。あしにまかせてまよひける。

みゝに聞ゆるものとては。杉のかれはをわたる風。まなごにさえ

ぎるものとては。こずえまばらにてらす月。そゞろに物かなし

くてあしをはかりに行ほとに。高き峯に上りてこえをた

てゝおめきければ。谷の底に木魂(こだま)のひゞきければ。我を問かと

思はれて。なく/\谷に下て見れは雪ふかき道なれは跡ふみ

つくる人もなし。又谷にてかなしむこえの、。あらしにたぐへて

聞えけるに。みゝをそばだてゝ聞ければ。かすかに聞ゆる物と

ては。雪の下行(ゆく)ほそ谷川の水のをと。きくにつらさぞまさ

りける。なく/\峯に帰りあがりて見ければ。我あゆみ

 

たる跡より外に。雪ふみわくる人もなし。かくて谷へ下り

峯にのぼりせしほどに。はきたるくつも雪にとられ。き

たる笠も風にとらる。あしはみなふみそんじ。ながるゝ血は

くれないをそゝぐがごとし。よし野の山の白雪もそめ

ぬ所ぞなかりける。袖は涙にしほれて。たもとにたる

ひぞながれける。すそはつゆとつらゝにとぢられてか

かみをみるがごとくなり。されば身たゆくしてはた

らかず。其夜はよもすがら山路にまよひあかしけり。

十六日のひるほどに。判官にははなれ奉りぬ。けふ十

七日のくれまで。ひとり山路にまよひける。心のうちこそ

かなしけれ。雪ふみわけたる道を見て。判官の近所にやお

はすらん。又我すてしものどもの。此辺にや有らんとおもひ

 

 

10

つゝ。あしをはかりに行程に。やう/\大道にぞ出にけり

是はいつかたへゆくみちやらんとおもひて。しばらく立や

すらひけるが。後にきけば宇多へかよふ道なり。にしを

さして行ほどに。はるかなる深き谷に、ともし火かすか

に見えければ。いかなるさとやらん。売炭(ばいたん)の翁もかよは

ざれは。たゝすみがまの火にてもなし。秋のくれならば。さ

はべの蛍かともうたがふべき。かくてやう/\近付てみけ

れば。ざわうごんげんの御前の。とうろうの火にてぞ有

ける。さしいりて見たりけれは。寺中にはだうしや大も

むにみち/\たり。しづかこれをみていかなる所にてわ

たらせ給ふらんとおもひて。ある御だうのあたはらに

しばらくやすみ。これはいづくぞと人にとひけれは。

 

 

11

よしのゝみたけとぞ申ける。しづかうれしきかきりなし。月

日こそおほけれ。けふは十七日この御えん日ぞかし。たう

とくおもひければ。道者にまぎれ御正面にちかづき

て。拝み参らせければ。内陣外陣の貴賤。中々数をしら

す。大しゆの所作の間は。くるしみのあまりに。きぬ引か

づきふしたりけり。つとめもはてしかば。しづかもおき

いてねんしゆしてぞいたりける。げいにしたがひてお

もひ/\のなれこまひする。中にもおもしろかりしこ

とは。あふみの国より参りける。さるがく。いせの国より

参りけるしらびやうしも。一ばんまふてぞ入にける。し

づか是を見て。あはれ我もうちとけたりせば。だん

せいをばこはざらん。ねがはくはごんげんの。此たびあん

 

 

12

おんに都に返し給へ。又あかでわかれしはうぐわんを。

ことゆへなく今一たび引あはせさせ給へ。さもあらば

母のぜんじと。わざと参らんとぞ祈り申ける。道者は

みな下向して後しづか正面に参りて念珠していた

りける所に。わか大しゆの申けるは。あらうつくしの女の

すがたや。たゞ人ともおぼえず。いかなる人にておはすらん。

何のやうの人の中にこそ。おもしろき事もあれ。いざや

すゝめて見んとて。正面にちかづきしに。そけんの衣

をきたりける。老僧の。はんしやうぞくの数珠もちて立し

が。あはれごんげんの御前にて。なに事にても御入候

へ。御ほうらく候へかしとありしかば。しづか是を聞て

何事を申べき共おぼえず候。ちかきほとのものにて候。

 

毎日小さんろう申なり。させるげいのふある身にて

も候はゞこそと申ければ。あはれ此ごんげんはれいけん

無双にわたらせ給ふものを。かつうは罪障懺悔のた

めにてこそ候へ。この垂跡(すいしやく)は芸ある人の御前にてたん

せいはこばぬはおもひに思ひを重(かさね)給ふ。面白からぬ事

なりとも。わか身にしる事のほどを。たんせいをはこ

びぬれば。よろこびに又よろこびをかさね給ふ。ごんげんに

てわたらせ給ふ。是わたくしに申にはあらず。ひとへに

ごんげんの託宣にてぞわたらせ給ふと申されければ。

しづか是を聞て。おそろしや我はこの世中に。名をえた

るものぞかし。神は正直のかうべにやどり給ふなれば。か

くてむなしからん事もおそれあり。舞までなくとも

 

 

13

ほうらくの事はくるしかるまじ。我を見しりたる人

はよもあらじとおもひければ。ものはおほくならひし

いたりけれども。別にsてしらびやうし上ずにてあり

ければ。おんきよくもじうつり。心もことばもをよば

れず。きく人なみだをながし。袖をしぼらぬはなかりけ

り。ついにかくぞうたひける

ありのすさみのにくきだに。ありきのあとは恋しき

に。ありてはなれしおもかげを。いつのよにかはわす

るべき。わかれのことにかなしきは。おやのわかれ子のわか

れ。すぐれてげにかなしきは。ふさいのわかれなりけ

りと。なみだのしきりにすみけれは。きぬ引かづきふし

にけり。人々是を聞(きゝ)音声(をんじやう)のきゝ事かな。なにさまたゞ

 

人にてはなし。ことにつまをこふる人とおぼゆるぞ。いか

なる人の此人のつまとなり。是程心をこがるらんとぞ

申ける。ちふの法眼(ほうけん)と申人是を聞て。おもしろきこ

そことはりよ。誰とおもひければ。是こそ声に聞え

ししづかよと申ければ。同宿きゝていかにして見しり

たるぞといへば。一とせ都に百日のひでりのありしに。

院の御幸(こかう)ありて。百人のしらびやうしの中にも。し

つかゞまひたりしこそ。三日のこうずいながれたり。さてこ

そ日本一といふせんじを下されたりしが。其とき見た

りしなりと申ければ。わか大衆ども申けるは。さて

は判官殿の御ゆく衛をば。此人こそ知たるらん。いざや

とゞめてきかんと申ければ。をの/\同心に尤(もっとも)然るべし

 

 

14

とて。修行の坊のまへにせきをすへて。道者の下向

を待所に。人に紛れて下向しけるを。大衆とゞめて

しづかと見奉る。判官はいづくにおはしますぞととひ

ければ。御行衛しらず候とぞ申ける。小法師原あらゝ

かにいひけるは。女なりとも所になをきそ。たゞはう

いつにあたれとのゝしりければ。しづかいかにもして

かくさばやとおもへども。女のこゝろのはかなきは。我身

うきめにあはん事のおそろしさに。なく/\有のまゝ

にぞかたりける。さればこそ情有ける人にて有ける物

をとて。修行の坊にとりいれて。やう/\にいたは

り。その日は一日とゞめて。あけゝれば馬にのせて。人を

つけ北白河へぞをくりける。是はしゆとの情とぞ申ける

 

  義経よし野山を落給ふ事

扨明(あけ)ければ。衆徒かうだうの庭に衆会して。九郎

判官殿はちういん谷におはすなり。いざやよせてう

ちとりて。鎌倉殿のげんざんにいらんとぞ申ける。老僧

是を聞て。あはれせんなきせんぎかな。我ためのてき

にもあらず。さればとて朝敵にてもなし。たゝ兵衛の

佐(すけ)殿のためにこそ。不和なれさんえをすみにそめなか

ら。甲冑をよろに弓箭をとつて。戦場(せんは)に出ん事。かつう

はをんびんならずといさめければ。わか大衆是を聞て。

それはきる事似て候へども。いにしへ治承の事をきゝ

給へ。たかくらの宮の御謀叛に。三井寺などくみし参ら

せ候しかども。山は心がはり仕り。三井寺法師は忠を

 

 

15

いたしなんとはいまだ参らず。宮はならへおちさせ給

ひけるが。光明山の鳥井のまへにて。ながれ矢にあたつ

てかくれさせ給ひぬ。南都はいまたまいらずといへど

も。宮にくみし参らせたるとがによつて。太政の入道

どの。がらんをほろぼし奉りし事を。人の上と思ふべき

にあらず。判官此山におはするよし関東に聞えなば。

東国の武士共承て。わか山にをしよせて。きんめい天

皇のみづから末代までと建立し給ひし所。せつな

にやきほろぼさん事。口おしき事にはあらすやと申

ければ。老僧達も此上はともかくもといひければ。大がねを

待くらし明(あく)れば廿日のあかつき。大衆せんぎの大がねを

そつくにける。判官は中院谷といふ所におはしけるが

 

雪郡山(ぐんさん)にふりつみて。谷の小河(こかは)もひそかなり。こまのひ

つめも通はねば。くらかいぐもつけず。下人共をぐせされば。

兵粮米(ひやうらうまい)ももたれず。みな人つかれにのぞみて。前後もしら

すふしにけり。いまだあけぼのゝ事なるに。遥(はるか)のふもとに

鐘のこえの聞えければ。判官あやしく思召て。侍どもを

めして仰られけるは。じんでうのかねすぎて又かねのなる

こそあやしけれ。この山のふもとゝ申は。きんめい天皇の御

建立のよし野のみたけ。ざわうごんげんとて。れいけんぶ

さうのかたのはつだいこんがうどうし。かつてひめくりし

きわうじ。さうげやこさうげの明神とて。いらかをならべ給

へる山上なり。されはにや修行を初として。しゆとくはし

よく世にこえて。公家にも武家にもしたがはず。かならず

 

 

16

せんじ院宣はなくとも。関東へ忠節のために。甲冑を

よるに大衆のせんぎするかやとその給ひける。備前の平

四郎はしぜんの事候はんするに。一先落べきかや。又返し

て討死するか腹をきるか其時に望んで。あはてふため

きてはかなはじ。よきやうに人々はからひ申され候へ

やと申ければ。いせの三郎申に付て。おくびやうのいたす

ところに候へども。見えたるしるしもなくて。自害むやく

なり。衆徒にあふて討死せんなし。たゝいくだいひもあし

きのよからんかたへ。一先落さえ給へやと申けれは。ひたち

はう是を聞て。いしくも申され候ものかな。誰もかくこ

そ存じ候へ。尤と申ければ。むさしばう申けるは。くせ事

を仰られ候ぞとよ。寺中近所にいて。ふもとにかねの

 

きこゆるを。敵のよするとて。落ゆかんいはてきよせぬ

/\はよもあらじ。たゞ君はしばし是にわたらせおは

しませ。弁慶ふもとに罷下り。寺中のさうどうを

見て参り候はんと申ければ。尤さこそ有たけれども。

御辺はひえの山にてそせいしたりし人なり。よしの

とつ河のものどもにも。見しられてやあるらんと仰

られければ。武蔵房かしこまつて申けるは。桜もとに

ひさしく候しかども。きやつばらには見しられたること

も候はずと申もあへず。やがて御前を立かちんのひたゝ

れに。黒糸おどしのよろひきて。法師なれ共つねにか

しらをそらざりければ。三寸ばかりおひたるかしらに。

もみえぼしにゆひかしらして。四尺二寸有ける。こくしつ

 

 

17

の太刀かもめじりいぞはきなしたり。見る月のこと

くにそりたる長刀つえにつき。くまの皮つらぬき

はきて。きのふふりたる雪を。時の落花のごとくけちら

し。山下(さんげ)をさして下りけり。みろくだうのひがし。大日

だうの上より見わたせば。寺中さうどうして。大衆

南大門にせんぎし。上下を下へ返したり。しゆくらうは

かうだうにあり。小ぼうしばらはせんぎの中をし

さつてはやりける。わか大しゆのかねくろまるか。はら

まきにそでつけて。かぶとのをゝしめ。しこの矢は

ずさがりにおひなして。ゆんづえにすきなぎな

た手に/\ひつさげて。しゅくらうよりさきに

たち。百人ばかりみな/\やまぐちにこそのぞみけれ。

 

 

18

弁慶是をみて。あはやとおもひとつて返して。中院の

谷に参りて。さはぐまでこそかたからめ。敵こそ矢ごろ

になりて候へと申ければ。判官是を聞給ひて東国の

武士か。よし野ほう師かと仰られければ。ふもとのしゆと

にて候と申ければ。さてはかなふまじ。それらは所の案

内者なり。すくやかものさきにたて。悪所にむかひて

おひかけられてかなふまじ。誰かこの山の案内をしり

たる者あらば。さきだて一先落んと仰られける。武蔵坊

申けるは。此山の案内しるものおほろけにても候はす。

いてうをとふらふに。いわう山かうふ山しゆこうせんとて

三の山あり。いちぜうとはかづらき。ぼたいとは此山の事な

り。えんの行者と申奉りし。貴僧精進けつさいし給

 

 

19

ひて。うばそくのみやのうつろいをもみし。とり手をたてし

かば。河せのなみにやめうちけんとあがめたてまつりし。

しやうじんの不動立給へり。去(さる)間この山は不浄にて

はおぼろけにても。人のいる山ならず。それもたち入て

見る事は候はねども。あら/\承候。三ばうはなん所にて

候。一方は敵の矢さき。にしはふかき谷にて。鳥のねも

かすかなり。北はりう返しとて。おちとまる所は山河

のたぎりてながるゝなり。ひかしは大和国宇多へつゞ

きて候ぞなたへ落させ給へやと申ける

 

  たゝのふよし野にとゝまる事

十六人おもひ/\におりかゝる所に。をとに聞えたるかう

のものあり。せんぞをくはしく尋るに。かまたりの大臣の

 

御すえ。たんかいこうのこういん。佐藤のりたかゞまご。し

のふの佐藤庄司が二男。四郎兵衛藤原のたゝのぶといふ

さふらひあり。人もおほく候に。御前にすゝみ出。雪の上にひ

さまづきて申けれは。君の御有さまと我らが身を。も

のによく/\たとふれば。どしよにをもむくひつじ。ふう

ふのおもひもいかでか是にはまさるべき。君は御心や

すく落させ給ひ候へ。忠信は是にとゞまり候て。ふもとの

大衆を待えて。一方のふせぎ矢仕り。一先おとし参らせ

候はゝやと申ければ。尤心ざしはうれしけれ共。御へんの

あに次信が八嶋のいくさの時。義経がために命をすて。能

登殿の矢さきにあたりてうせしかども。是まで御へん

のつき給たれば。次信も兄弟なから。いまだ有心ちして

 

 

20

こそおもひつれ。年のうちはおもへばいくほどもなし。人

も命(いのち)あり。我もながらへたらば、明年のむ月のすえ。き

さらぎはじめにはみちのくへ下らんすれば。御へんも下

りてひでひらをも見よかし。またしのぶの里にとゞめを

きし。妻子をも今一度み給へかしと仰られば。さ承

候ぬ治承二年の秋の頃。みちのくをまかり出候しとき

も。けふよりして君に命(めい)を奉りて。名を後代にあげ

よ。矢にもあたり死(しゝ)けるときかば。けうやうはひでひ

らがちうをいたすべし。高名度々(と/\)にをよばは。くんこう

は君の御はからひとこそ申ふくめられしが。命をいき

て故郷へ帰れと申たる事も候はず。しのぶにとゝめ候し

母一人候も。其時をさいごとばかりこそ申きりて候

 

しか弓箭とる身のならひ。けふは人の上あすは御身の上

みなかくこそ候はん。君こそ御心よはくわたらせ給ひ候と

も。人々それよきやうに申させ給ひ候へやとそ申ける。

武蔵房是を聞て申けるは。弓矢とる者のことはゝ

りんげんにおなじ。こと葉に出つる事をひる返す事

は候まじ。たゞ心やすく御いとまを給りたしとそ申

ける。判官しばらくものをも仰られさりけるか。やゝあ

りておしむともかなふまじ。さらば心にまかせよとぞ

仰られける。忠信承てうれしげにおもひて。たゞ一人

吉野のおくにぞとゞまりける。されば夕部(ゆふへ)には月星(けつしやう)

の光をいたゞき。あしたにはけうくんのきりをはらひ

玄冬そせつの冬の夜も。九夏三伏(きうかさんぷく)の夏のあしたにも。

 

 

21

日夜朝暮かた時もはなれ奉らずつかへ奉りし。御主

の御名残も。今ばかりなりければ日頃は坂の上のた

むら丸。藤原のとしひとにもおとらじと思ひしか。さすが

に今は心ぼそくぞおもひける。十六人の人々の面々に

いとまごいして。前後ふかくに成にける。又判官忠信を近

くめして仰られけれは。御辺がはきたる太刀は寸のな

がき太刀なれば。ながれにのぞんではかふまじ。身のつ

かれたる時。太刀のゝびたるはあしかりなん。是をもつて最期

のいくさせよとて。金(こかね)作りの太刀の二尺七寸有けるに。

けんのひかきて地はだ心もをよばざるを。取いだして給

りけり。此太刀寸こそ見じかけれども。みにをいては一ふ

つにてあるぞ。よしつねも身にかへておもふ太刀なり

 

それをいかにと云に。平家の兵ども兵船をそろへし時

に。くまのゝ別当のごんげんの御けんを申おろして給しを。

信心をいたしたりしによりてや。三とせに朝敵をたい

らげて。よしともの会稽のはぢをすゝぎたりき。命

にかへておもへども。御へんも身にかへれはとらするぞ。義

経に舟そdふたりとおもへとぞ仰られける。四郎兵衛是を

給はりていたゞき。あはれ御はかせや。是御覧候へ兄に

て候し次信は。八嶋の合戦に君の御命にかはり参ら

せて候しかば。奥州のもとひらが参らせて候し。太夫

くろといづ馬を給はりて。めいどまても乗候ぬ。たゞの

ぶ忠をいたし候へば。御ひさうの御はかせ給りて候ぬ。是を

人のうへとおぼしめすべからず。誰も/\みなかくこそ候は

 

 

22

むずれと申ければ。をの/\涙をぞながしける。判官仰

られけるは。何事かおもひをくる事のある。御いとま給はり

候ぬ。なに事をおもひをくべしともおぼえ候はず。但(たゝし)末

代まても弓矢の瑕瑾()かきんなるべし。すこし申上たき事

の候へども。おそれをなして申さず候と申ければ。最期にて

有に何事にても申せと仰w承り。ひざまづきて申

けるは。君は大せいにて落させ給はゝ。それかしはこれに一人

とゞまり候べし。よし野の修行をしよせ候て。是に九郎

判官殿のわたらせ給ひ候かと申候はんに。たゝのぶと名

乗候はゞ。大衆きはめたるくわしよくのものにて候へは。

大将軍もおはしまさゞらん所にて。わたくしいくいさえき

なしとて。帰り候はん事こそ。末代まで恥辱になりぬ

 

べく候へ。けふばあkりせいわ天皇の御号を預かるべく候はん

 

とぞ申ける。尤さるべき事なれども。すみともまさかど

も天命をそむき参らせしかば。終にほろびぬかして

やいはんよす常は院宣にもかなはす。日頃よしみ有つる

者共心かわりしつる上。力を力をよばすかふをくらしゆふへをあ

かすべき身にてもなければ。終にのがれなからんものゆへに。

清和の名をゆるしけりといはれん事は。他(た)のそしりを

ばいかゝすべきと仰られければ。忠信申けるは。やうにこ

そより候はむずれ。大衆をしよせて候はゞ。えびらの矢

をさん/\にいつくし。矢たえんつきば太刀をぬき。大勢の中

へみだれ入きりて後。刀をぬきはらを切候はん時。まことに

是は九郎判官とおもひ参らせ候はんづれ。げには御内

 

 

23

に佐藤四郎兵衛といふ者なり。君の御号をかり参

せて。合戦に忠をいたしつるなり。くびをとつてかま

くら殿のげんざんにいれよとて。はらかきゝりしなんの

ちは。君の御号もなにかくるしく候はんとぞ申ける。

尤さいごの時かやうにだに申わけて死候なばなにか

くるしかるべきとのばらと仰られて。清和天皇の御

号をあづかる。これを現世の名聞(みやうもん)後の世のうつたへとも

思つける。御へんがきたるよろひはいかなるよろひぞと仰あ

りければ。是は次信がさいごの時きて候しと申せは。そ

れは能登守の矢にたまらず。とをりたりしよろひの頼

む所なし。衆徒には聞ゆるせひやうの有けるぞ。是

をきよとてひおどしの鎧に白星のかぶとをそへて給りけり。

 

 

24

きたちける鎧をぬぎて雪の上にさしをきざうしき共に

たび候へと申ければ義経もきかへべきよろひもなしと

て。めしぞかへられける。まことにためしなき御事にぞ有

ける扨故郷はおもひをく事はなきかと仰られければ我も

人も衆生界(しゆしやうかい)のならひにて。などか故郷の事をおもは

ざらん。国を出し時三歳になり候子を一人とゞめ置(をき)て候

しぞ。かの者に心付て父はいづくにやらんと尋候べき

なれば。きかまほしく候へ。ひらいづみ出し時。君ははや御立候

しかば。とりのなきてとをるやうに。しのぶをうちとをり候

しに。母の所に立よりいとまごい候しかば。よはひをとろ

へて二人の子ども。袖にすかりてかなしみ候し事。今の

様におほえ候へ。老のすえになりて我ばかりものを思ふ

 

 

25

子どもにえんのなき身なりけり。しのぶの庄司に過

わかれ。たま/\近付てふびんにあたられし。だてのむす

めにも過わかれ。一かたならぬなけきなれ共。わとのはらを

成人させて一しよにこそなけれ共。国のうちに有とおもへば

頼もしくこそおもひつるに。ひでひらなにと思召候やら

む。二人の子どもをみな御供をさせ給へは。一たんの恨みはさる

事なれ共。子ともを成人せさせて人数におもはれ奉る

こそうれしけれ。ひまなく合戦にあふとも。臆病のふる

まひして。父のかばねに血をあへし給ふなよ。高名して

四国西国のはてにおはす共一年二年に一度も命あ

らん程は。下りて見もしみえられよ。一人とゞまりて一人

たえたるだにかなしきに。二人ながらはる/\とわかれては。

 

いかゞせんとて声もおしまずなき候しを。ふり捨てさ承候

とばかり申て打出候よりこのかた。三四年終にをとすれも

仕らず。去年(こぞ)の春のころ。わざと人を下して次信yたれ

候ぬとつけて候しかば。身もたえなんとかなしみ候けるが。次

信か事はさてちからをよばず。明年の春のころにもな

りなば。忠信が下らんといふうれしさよ。はらことしの月日

もすぎよかしほどゝ待候なるに。君の御下り候はゞ。母に

て候もの急ぎ平いづみへ参り。忠信はいづくに候ぞと申さ

は。次信は八嶋。忠信はよし野にて討れけると承て。いかば

かりなげき候はんずらん。それこそつみふかくおぼえて候へ。君の

御下候て御心やすくわたられおはしまし候はゝ。次信忠信

がけうやうは候はす共。母一人ふびんの仰をこそあづかりたく

 

 

26

候へと申もはてず。袖をかほにをしあてゝなきけれは。判

官もなみだをながし給ふ。十六人の人々もみな鎧の袖をぞ

ぬらしける。扨一人とゞまるかと仰られければ。奥州よりつれ

候し若党五十よ人候しが。あるひは死し。あるひは故郷に返

し候ぬ。今五六人候こそしなんと申げに候へ。さて義経がも

のはとゞまらぬかと仰られければ。びぜんわしの尾こそ

とゞまらむと申候へ共。君をみつぎ参らせ給やとてとゞ

め申さず。御内のざうしき二人も。なに事もあらば一所に

て候と申候あひだ。とゞまりげに候と申ければ。判官きこ

しめしてかれらが心こそ神妙(しんべう)なれとぞ仰ける

 

  忠信よし野山の合戦の事

それ師の命にかはりしは。ないこうちせうの弟子。せうくう

 

 

27(左頁へ飛ぶ)

あじやり。おつとの命にかはりしは。とうふがぜんぢよなりけり。

今命(めい)をすて身をすてゝ。主の命にかはり。名を後代(こうたい)に

残すべき事。源氏の郎等にしてはなし。上古はしらす

代にためし有がたし。義経今ははるかにのびさせ給ふらqん

と思ひ。忠信はみつしげめいゆいのひたゝれに。ひおどしの鎧

白ほしの甲のをゝしめ。たんかいこうよりつたはりたる。つゞ

らいといふ太刀三尺五寸有けるをはき。判官より給りた

る。金(かね)作りの太刀をはきそへ。にし大中ぐろの廿四さし

たる上矢は。あをほろかふらのめより。下六づんはかりある

に大のかりまたすけて。佐藤の家につたへてさす事な

れば。はちはみのはをもつてはいだる。ひとつなかざしをい

つれの矢よりも。一寸はづを出してさしたりけるを。かしら

 

 

28

高におひなし。ふし木の弓のほこみじかくいよげなるを持(もち)。

手勢七人中院の東谷にとゞまりて。雪の山を高く

つきて。ゆづりは榊葉(さかきは)をさん/\にきりさして。前には

大木を五六本さしてにとりて。ふもとの大衆二三百を。今や

/\とぞ待たりけるが。されども敵はよせざりけり。かくて

日をくらすへき様もなし。いあじゃおひつき参らせて。判官

の御供申さんと。ぢんをさりて二町(ちやう)ばかり尋ね行けれど

も。風はげしくて雪ふりければ。その跡もみなしろたえに

なりにければ。力をよばず前の前へかへりにけり酉の

時ばかりに大衆三百人ばかり。谷をへだてゝをしよせて。同音

に鬨をぞ作りける。七人もむかひの杉山の中より。幽(かすか)に鬨を

あはせけり。扨こそてきこゝに有とはしられけれ。其日は

 

 

26(左頁へ戻る)

修行の代官に。川くらぼうしと申て。悪僧あり。よせあしの

先陣をぞしたりける。法師なれ共尋常に出たちたり。もえぎ

のひたゝれにむらさき糸のよろひきて。三枚甲のをゝしめて。

しんせい作りの太刀はき。石うちのそやの廿四さしたるをかしら

高におひなして。二所藤(とう)の弓の真中とりて。我にをとらぬ悪

僧五六人前後にあゆませて。まつさきに見えたる法師は。四十

はかりに見えけるが。かちんのひたゝれに。黒かはおどしのはら

巻。こくしつの太刀をはき。椎の木の四枚たてつかせ。矢頃に

ぞよせたりける。河くらの法眼たてのおもてにすゝみ出て。大

音あげて申けるは。そも/\此山に鎌倉殿の御弟判官殿

のわたらせ給候よし承て。よし野の修行こそまかりむかひ候へ。

わたくじらは何の遺恨候はねば。一先落させ給べく候か。又討死

 

 

27(右頁)

あそばし候はんか。御まへにたれがしか御わたり候。よき様に

網さえ候へやと。さか/\しげに申たりけれは。四郎兵衛こ

れを聞て。あら事もをろかや。清和天皇の御すえ。九郎判

官殿の御わたり候とは。今まで御辺立はしらざりえるか。日

来(ころ)よりみあるはとふらひ参らせたらんは。何のくるしきぞ。人の讒

言によりて。鎌倉殿御中当時不和におはしますとも。無

実なればなどかおぼしめしなをし給はざらん。あはれすえの大

事(じ)かな。司祭をむかふてきけと云。御つかひなにものとか。おもふ

らん。かまたりの内大臣の御すえ。たんかいこうのこういん。

佐藤さえもんのりたかにはまご。しのぶの庄司が二男。四郎

兵衛のぜう藤原の忠信といふものなり。後にろんずる

なたしかにきけ。吉野小(こ)ほうしばらとぞいひける。

 

 

29

川くらの法眼是を聞て。いやしきにいはれたりとお

もひて。悪所もさらはず。谷ごしにおめきてぞかゝる。

忠信是を見て六人の者どもにあひて申けるは。是抔を

近付けてはあしかるべし。御辺達は是にて敵のもんだ

うをせよ。それかしは中ざし二三に弓持(もち)て。ほそ谷河

の水上(みなかみ)をわたりて。敵のうしろよりねらひより。かぶら

一つぞかぎりにてあらん。たてついていたる悪僧めが。く

びのほねかをしつけかを一矢いて。残るやつばらをひちら

し。たてとつて打かづき。中院の峯に上りて。つきむ

かへく敵に矢をいつくさせ。みかたも矢だねのつきは。

小太刀をぬき大勢の中へはしり入て。切しにゝしねや

とぞ申ける。大将軍がよかりければ。付そふ若党も

 

 

30

一人としてわろきはなし。残りの者ども申けるは。敵は

大勢にて候にしそんし給ふなよと申けれは。をいてもの

を見よとて中ざしかぶらや一おつ取添て。弓(ゆん)づえつき

一はんの谷をはしりあがりて。ほそ谷川の水上をわたり

て。敵のうしろのこぐらき所より。ねらひよりて見れば。

えだはやしやのかしらのことくなかふし木あり。つとのぼ

りて見れば。弓手にあひつけて矢さきにいよけに

ぞ見えたりける。三人ばりに十三束(そく)三ふせを取てはげ。

おもふさまにひきつめ。かぶらもとへからりと引かけて。

しばしかためてひらうどいる。すえづよにとをなりし

て。たてつきたるあく僧の。弓手の小がいなをたての板

をそへていきり。かりまたは手たてにたつ。矢の下にかは

 

とぞいたをしたる。大しゆ大にあきれたる所に。忠信ゆみのもとを

たゝいておめくやう。よしやものどもかつにとりて大手はすゝめ。

からめ手はめくれや。いせの三郎。くま井太郎。わしのお。備前

なきか。かたをかの八郎よ。西塔(さいたう)の武蔵坊はなきか。しやつばら

にかすかなどゝ。かげもなき人々をよばゝりおめきければ。河

くらの法眼是を聞て。まことや判官の御内にはこれらこそ

手にもたまらぬものどもなれ。矢ころに近づきてはかなふま

じとて。三方へさつとぞちりにけり。是をものに縦(たとふ)れば、たつ

たはつせのもみちはの。嵐にちるにことならす。敵をひちら

してとつて打かづき。みかたのぢんへつきむかへて。七人は手た

てのかげになみいて。敵に矢をぞつくさせける。大衆は手た

てをとられやすからぬ事におもひ。せいひやうをすぐりて。

 

 

31

やおもてにたちさん/\にいる。弓のつかの音杉山にひゞく

事おびたゝし。たてもおもてに矢のあたる事。板屋の上にふ

るあられ。いさごをりらすことくなり。半時(はんじ)ばかりいけれ共矢を

射ざりけり。六人の者共おもひきりたる事なれば。いつの

ために命(いのち)をばおしむべき。いざや軍(いくさ)せんとぞ申ける。四郎兵

衛これを聞て申けるは。たゞをきて矢だねをつくさせよ。

吉野法師はけふこそいくさのはじめなるらん。やがて矢も

なき弓を持そのもんていとう。すまいたらんするすきをま

もり。さん/\にいはらひてみかたの矢たねつきば。うち物

のさやをはづし乱(みたれ)入て。討死せよといひも果ざりけるに。

大衆ところ/\にたゝずみていたり。あはれひまやいざや

いくさせんとて。いんけの袖をたてとして。さん/\にこそいた

 

りけれ。暫くありてうしろへさつとのきて見れは。六人の郎等

も四人はうたれて二人になる。二人も思ひ切たる事なれは。忠信

をいさせじ思ひけん。矢おもてに立てぞふせぎける。一人はいは

うせんじかいける矢に。くびの骨をいられてしぬ。一人は治部の

法眼がいける矢に。わきつほいられて失にけり。六人の郎等

みなうたれければ。忠信一人になりて。中々えせかやうそあ

りつるは。あしにまぎれてわろかりつるにといひて。えびら

をさぐり見ければ。とかり矢一つかりまた一つぞいのこして有

ける。あはれよからん敵(かたき)の来れかし。尋常なる矢一ついて

腹きらんとぞ思ひける。河つらの法眼は其日の矢合(やあはせ)に

しそんじて。何の用にもあはせで。そのもんてい三十人ば

かりまばらにうすまひてたちたるうしろより。そのたけ

 

 

32

六尺ばかりなる法師の。きはめて色くろかりけるか。しやう

ぞくもまつくろにぞしたりけるが。かちんのひたゝれにくろかは

を二寸に切て。一寸はたゝみておどしたるよろひに。五枚甲

のためしたるをいくひにきなして。三尺九寸有けるこくしつ

の太刀に。くまのかはのしりざやいれてぞはきたりける。さか

つらえびら矢くばり尋常なるに。ぬりのにくろはをも

つてはぎたる矢の。ふとさは笛竹などのやうなるが。のま

きよりかみ十四そくにたふ/\ときりたるを。つかみさしにさ

してかしらたかにおひなし。いとづゝみの弓の九尺ばかり有

かる。四人ばりをつえにつき。ふし木にのぼりて申けるは。そ

/\此たび衆徒のいくさを見候に。まことにおくちもなく

しなされて候ものかな。源氏を小せいなればとて。あざむき

 

てしそんせられて候かや。九郎判官と申は。世にこえたる

大将軍なり。めしつかはるゝ者一人当千ならぬはなし。源氏の

郎等共みなうたれ候ぬ。みかたの衆徒大勢死候ぬ。源氏の大将

軍と大衆のそやとおほしめす。紀伊国の住人鈴木たうも

中に。さる者ありとはかねてきこしめしてもや候はん。いぜん

に候ひつる河つらの法眼と申。不覚人には似候まじ。幼少の

時よりして。はらしきえせものゝ名をえ候て。紀伊国

追出されてならの都東大寺に候し。悪僧たつるくせ者

にて。東大寺も追出されて。よ河と申所に候しが。それも

寺中をおひ出されて。河つらの法眼と申ものをたのみて。

此二年こそよし野には候へ。さればとてよ河より出来候とて

 

 

33

其異名を横河(よかは)の前司(ぜんし)かくはんと申者にて候が。中ざし

参らせて現世の名聞とそんせうするに。御手はづ給ては

後世のうつたへとこそ存候はんすれと申て。四人ばりに十四

束をとつてはげ。かなぐり引によつひきてひやうどはなつ。

たゝのぶ弓(ゆん)づえつきて立けるを。弓手の太刀うちをはい

ていこし。うしろの椎の木にくつまきせめてたつ。士郎兵衛

是を見て。はしたなくいたるものかな。保元の合戦にちんせ

いの八郎御ざうしの。七人ばりに十五束をもつてあそばし

たりしに。よろひきたるものをいぬき給ひしか。それは上

古の事。末代にはいかでか是程の弓せいあるべし共おほ

えず。一の矢いそんじて二の矢をは。たゝ中をいんとやおもふ

らん。どう中いられてかなはじとおもひければ。とがりやをさし

 

はげてあてゝは。さしゆるし/\二三度しけるが。矢ころす

こしとをし。風は谷より吹あげる。おもふ所へはよもゆかし。た

とひあてたりとも大力(ちから)にて有なれば。よろひの下にさね

よきはらまきなどやきたるらん。うらかゝせずしては弓箭の

疵に成なん。ぬしをいばいそんずる事もあるべし。弓をいばやと

ぞおもひける。大唐(たいとう)の養由(ようゆう)は。柳のはを百ほに立て。もゝ

矢をいけるに。百矢はあたりけるとかや。我朝の忠信は。こう

かいを五たんにたてゝいはづさず。ましてゆんでのものをや。

矢ころはすこし遠けれども。なにしにいはづすへきとぞ

おもひけるが。はげたる矢をば雪の上にたて。小がりまたを

さしはげて小引に引て待所に。かくはん一の矢をいそんじ

てねんなく思ひなして。二の矢をとつてつがひそゞろひく

 

 

34

所を。よつひいてひやうどいる。かくはんが弓のとりうちをわた

といられて。弓手へなげ捨こしなるえびらかなくり捨。我も

人の運のきはめはぜんごう限りあり。さらはげんざんせん

とて。三尺九寸の太刀ぬき稲妻のやうにふえいて。まつか

うにあてゝおめきてかゝる。四郎兵衛もおもひまうけたる

事なれば。弓とえびらをなけ捨て。三尺五寸のつゝら

いといふ太刀抜て待かけたり。かくはんは象の牙をみがくがこ

とくおめていかゝる。四郎兵衛もしゝのいかりをなして待けkれ

たり。近づくかとすれば。はやりきたる太刀のゆん手もめ

てもきらはす。なきうちにさん/\にうつてかゝる。忠信も

入ちがへてぞ切あひける。うちあはするをとのはためく事。み

かぐらのとびやうしをうつがことし。敵は太刀をもつてひらい

 

たるわきの下よりつとよりて。あらたかの鳥屋(とや)をくゝらん

ことする様に。しころをかたむけみたれ入てそ切たりける。大

の法師せめたてられて。ひたいにあせをながし。今はかうと

ぞおもひける。忠信は酒飯(しゆはん)をもしたゝめずして。けふ三日に

成けれは。かつ太刀もよはりける。大衆は是を見てよしや

かくはんかつにのれ。源氏はうけ太刀に見え給ぞ。すきな

あらせそと力をそへてぞきらせける。しばしはすゝみて切かゝ

るかいかゞしたりけん。是もうけ太刀にそ成にける。大衆こ

れをみてかくはんこそうけ太刀にみゆれ。いざやおりあひて

助けんといひければ。尤さあるべしとておりあふ大衆はたれ

/\ぞ。いわうせんじ。ひたちのせんじ。とのものすけ。やくいの

かみ。かへりさかの小ひじり。治部の法眼。山しなの法眼とて。

 

 

35

究竟のもの七人おめきてかゝる。忠信これをみて。ゆめを見

るやうにおもふ所に。かくはんしかつて申けるは。こはいかに衆

徒狼藉に見え候ぞや。大将軍のいくさをば。はなちあはせて

こそ物を見れ。おちあひては末代の瑕瑾にいはんずるため

かや。すえの世のてきとおもはんずるぞやと申間。おちあ

ひたりとてもうれしともいはざらんものゆへに。たゞはなちあ

はせてものを見よとて。一人も立あはず。忠信はにくし

きやつ一ひき引て見ばやとぞ思ひける。もちたる太刀を打

ふりて。甲のはちの上にからりとなげかけて。すこしひる

む所を。はきそへの太刀をぬきて。はしりかゝりて丁と

うつ。内甲へ太刀のきつさきをいれたりけり。あはやと見ゆ

る所を。かたむけてちやうどつく。はちつけをしたゝかにつか

 

れけれども。くびには子細なし。忠信は三四たんばかり

ひいて行。大のふし木のあり。たまらずゆらりとぞこえに

ける。かくはんおひかけてむずとうつ。うちはづしてふし木

に太刀を打つらぬきて。ぬかん/\とするひまに。忠信

三たんばかりする/\ととびて。さしのぞきてみれば。下

は四十丈ばかりなる盤石なり。是ぞ龍返しとて人も

むかはぬ難所なり。弓手もめてもあしのたてともなき

ふかき谷の。面(おもて)をむくべき様もなし。てきはうしろに雲(うん)

霞(か)のごとくにつゞきたり。爰にてきられたらば。あへなく

討れたるぞいはれんずる。かしこにて死たらは自害し

たりといはんと思ひて。草すりつかんで盤石にむかひて。

えいこえを出してはねおりけり。二ちやうばかりとび落てい

 

 

36

はのはさまにあしふみなをし。甲のしころをしのけて見れ

ば。かくはんも谷をのぞきてそ立たりけり。まさなく見えさ

せ給ふぞや返し合給へや。君の御供とだに思ひ参らせ候は

は。西は西海のはかたの津。北はほくきん佐渡の嶋東は

えぞのちしままても。御とも申さんするぞと申もはて

す。えいこえを出してはねたりけり。いかゝしたりけん運のき

はめの悲しさは。草すりをふし木のつのに引かけて。まつ

さかさまにとうどころび。忠信がうちものひつさげて待

所へ。のさ/\ところひてぞ来りける。おきあがる所をもつ

てひらいてちやうどうつ。太刀は聞ゆる宝物(ほうもつ)なり。腕はつ

よかりけり。甲のまつかうはたとうちわり。しやつらを

なからはかりぞ切つけゝる。太刀をひけばかはとふす。おき

 

/\としけれ共。たゝよりによはりて。ひざをゝさへて

 

たゝ一こえ。うんとばかりを最期にて。四十一にてぞ死(しゝ)にける。思

ふ所に切づせて。忠信はしばしやすみておさへてくひをか

きおとし。太刀のさきにさしつらぬきて。中院の峯に

上りて。大のこえをもつて大衆の中に此くびみしり

たるものやある。をとに聞えたるかくはんがくびをば義経

か取たるぞ。もんていあらば取てけうやうせよとらせんと

て。雪の中へぞなげ捨けり。さこそあらんず。いざや麓に帰

りて。後日のせんぎにせんと申ければ。きたなし共にしな

むと申者もなくて。此義に問(とう)すとぞ申て。大衆はふも

とにかへりければ。忠信ひとりよし野に捨られて東西

 

 

37を聞ければ甲斐なき命いきて。我をたすけよとい

ふ者もあり。むなしきやからもあり。忠信郎等ともをみ

けれ共。一人もいきのかよふ者なし。頃は廿日の事なれば。

暁かけて出る月こよひはいまだ闇(くら)かりけり。忠信はかならず

しなれざらん命を。しなんとせんもせんなし。大衆と寺中(じちう)の

かたへゆかんとぞ思ひける。甲をばぬいてたかひもにかけ。見

だしたるかみを取あげ。血の付たる太刀のぼひ打かつぎ。大

衆よりさきに寺中のかたへぞ行ける。大衆これを見て

こえ/\におめきける。寺中の者共は聞ざるかや。九郎判

官殿は山のいくさにまけ給て。寺哉へ落給ふぞそれに

がし奉るなとそおめきける。風はふく雪はふる。人々是を

聞つけず忠信は大門にさし入て。大ざい所のかたをふし

 

拝み。いなみ大門をまつ下り行けるが。ひだりのかた

に大なる家あり。是は山しなの法眼と申ものゝ坊なり

さし入て見れば。方丈には人一人もなし。くりのかたはら

に法師二人ちご三人いたり。さま/\のくわしどもつみ

て。へいじのくちつゝませたりけり。四郎兵衛是を見て。

これこそよき所なれ。なにともあれをのれらがさかもり

のてうしは。それんこらんと。太刀打かたげて。えんの

いたをあらゝかにふみて。うちにつと入。ちごも法しも

いかでかおどろかてあるべき。こしやぬけたりけん。とる物

もとりあへずたかばいにて三方へにげちる。忠信はおも

ふさしきにむずといなをり。くわしともひきよせて

おもふさまにしたゝめてつかれをやすめていける所

 

 

38

に。大衆はこえ/\にこそおめきけれ。忠信これを聞

てひさげさかづきまはらんほとに時刻うつしてはかな

ふまじとおもひ。さけに長じたるおとこにて。へいじの

くびに手をいれて。かたはらを引こぼしてうちのみて。

かぶとはひざのうへにさしをき。すこしもさはかず火

にてひたいをあぶりけるが。をもきよろひはきたり。

雪をばふかくこぎたり。いくさつかれにさkはのみつ。

火にはあたる。てきのよせておめくをばゆめにもし

らず。ねふり居たりけり。大衆はこゝにをしよせて。

九郎判官これに御わたり候か。出させ給へといひける声

におどろき。かぶとをき火うちけし。なにゝはゞかるぞや。

心ざしあるものは。こなたへまいれやと申けれども。

 

 

39

命を二つもちたらばこそ。さうなくもいらめ。たゝそとにう

ずまひていたり。山しなの法眼申けるは。落人を寺中にい

れて。夜をあかさん事も心みず。我ら世にだにもあらは。

是程の家一日に一つも作りけん。たゝやきいたして討

ころせとこそ申ける。忠信は内にて是をきゝて。敵にや

きころされて有といはれんするは口おしかるべし。手づ

からやけしにけるといはれんと思ひて。屏風一双に火をつけ

て天井へなげあげたり。大衆是をみてあはや内より火

を出したるぞ。出給はん所をいころせとて。矢をはけ太刀

長刀をかまへて待かけたり。やきあげて忠信はひろえん

に立て申けるは。大衆ども萬事をしづめて是をきけ。

まことに判官殿と思ひ奉るかや。君はいつか落させ給ひ

 

 

40

けん。これは九郎判官にてはわたらせ給はぬそ。御内に

佐藤四郎浄衣。藤原の忠信といふものなり。わか打とり人

の討とりたるなどゝ。後日あらそふべからず。たゝいまはらを

切ぞくひを取て。鎌倉殿のげんざんに入よやとて。刀をぬ

き左のわきにさしつらぬくやうにして。刀をばさやにさし

て内へとんで帰りはしり入。内てんのひきばしとつて天井

にのぼりてみければ。ひがしのとびのおはいまだやけざりけり。

せき板をかはとふみはなしとんて出みければ。山をきりて

かけづくりにしたるらうなれば。山と坊との間一町あまい

には過ざりけり。是程の所をはねそんじてしする程のごう

になりては。力をよばず。八幡大ぼさつちけんをたれ給へと祈(き)

誓(せい)して。えいこえをいだしてはねたりければ。うしろの山へ

 

さうなくとび付てうへの山にのぼり。松の一むら有ける所に

鎧ぶぎ。甲のはちを枕にして。敵のあはせてふためく有

様を見てぞいたりける。大衆申けれはあらおそろしや判

官殿かとおもひつれば。佐藤四郎兵衛にて有けるもの

をたばかられ。おほくの人をうたせつるこそやすからね。大将

軍ならばこそくびをとつて。かまくら殿のげんざんいも入

め。にくしたゝをきてやきころせやとぞいひける。火もき

えほのほもしづまりて後。やけたるくびをなりとも御

坊のげんざんに入よとて。手ゝにさがせども。じがいのせさ

りけれはやけたるくひもなし。さてこそ大衆は人の心

はかうにてもかうなるへきものなりと。しゝてのち

までもかばねの上のはぢを見えしとて。ちりはいにや

 

 

41

けうせたるらめと申て。寺中にぞ帰ける。忠信其夜は

ざわうごんげんの御前にて夜をあかし。よろひをはこんけんの

御前にさしをきて。廿一日の明ぼのにみたけを出て。廿三日の

くれほどにあやうき命いきて。二たひ都へぞ入にける

 

  吉野法師判官を追かけ奉る事

扨もよしつね十二月廿三日に。くうしやうのしやうしいの

みね。ゆつりはのたうげといふ難所をこして。こうしうかま

にゝかゝり。桜谷といふ所にぞおはしける。雪ふりうづみつら

らいて。一かたならぬ山路なれば。みな人つれにのぞみて。

太刀を枕にしなどして。ふしたりけり。判官心もとなくおほ

しめして。武蔵坊をめして仰られけるは。そも/\此山の

ふもとに義経に頼まれぬべきものや有。さけをこいて

 

御かれを休めて一先おちばやとぞ仰ける。弁慶申けるは。

たれか心やすく。やのまれ参らせ候はんともおほえす候。

たゞし此山の麓にみろくだうのたゝせおはしまし候。聖武

天皇の御建立の所にて。南都のくわんじやほうの別当

てわたらせ給ひ候へば。其代官にみたけ左衛門と申候もん。

すなはち別当にて候と申ければ。たのむかたは有けるこさ

んなれと仰られて。御ふみあそばしてむさしばうにたふ。ふも

とに下りてさえもんに此よしいひけれは。ちかくおはし

ましけるに。今まで仰かうふらざりけるよとて。身にした

しきもの五六人よびて。さま/\の菓子つみ酒飯(しゆはん)どもに

長びつ二かうさくら谷へぞ参らせける。これほど心やす

かりける事をと仰られて。十六人の中に二かうの長びつか

 

 

42

きすへて。酒にのぞみをなす人もあり。はんをしたゝめん

とする人もあり。おもふさまに取ちらしてをこなはんとし給ふ

所に。ひがしの杉山の方(かた)に人のこえかするに聞えけるを。あやし

とやおほしめされけん。売炭(ばいたん)の翁もかよはねば。すみやき

ともほえず。峯のほそ道遠ければ。賤がつま木のお

のゝをとともおもはれすと。うしろをきと見給へは。おとゝい

中院の谷にて四郎兵衛に打もらされたる。よし野法

師いまた憤り忘れずして。甲冑をよろひ百五十人ば

かりそいて来る。すはや敵よとの給ひければ。かばねの上

のはぢをもかへり見す。みなちり/\にぞなりにける。

ひたち房は人よりさきにおちにけり。跡をかへり見けれ

ば。武蔵坊も君もいまだもとの所にはたらかすしてい

 

給ふ。我らが是までおつるに。此人々とゝまり給は。いかな

る事をかおほしめし候やらんと。申もはてざりけるに。二か

うの長ひづを一かうつゝ取て。ひがしの盤石へむけてなけ

おとし。つみたる菓子をば雪の底に。心しづかにほりうづ

みてぞ立給ひける。弁慶ははるかのさきにのびたる。

ひたちばうにをひつき。をの/\あとをみるにくもりなき

かみを見るがどとし。たれも命をしくはくつをさかさま

にはきておち給へやとそ申ける。判官これを聞給ひ

て。武蔵坊は奇異の事を常に申ぞとよ。いかやうに

くつをばさかさまにはくべきぞと仰有ければ。武蔵坊申

けるは。扨こそ君は梶原が舟に。逆櫓といふ事を申つる ←

に御わらひ候つると申せは。まことにさかろといふこともしら

 

 

43

す。ましてくつをさかさまにはくといふ事は。いまこそはじ

めてきけ。さらは善悪はきて末代の瑕瑾にもなるまし

くは。はくへしとその給ひける。弁慶さらはかたり申さんと

て。十六の大こく五百の中国。むりやのそくさん国まて

の。代々の御門(みかと)の次第/\。そのかつせんのやうをかたり

いたれば。てきは矢ころに近づけ共。まんまるに立なら

びて。しづ/\とそかたらせて聞給ふ。十六の大国の間に。

西天竺(さいてんちく)とおぼえて候。しらない国はらないと申国有。

彼国の境にかうふ山と申山あり。ふもとに千里の廣野(ひろの)

有。此かうふさんはたからの山にて。たやすく人をもい

れさりしを。はらない国の王此山をとらんとおぼしめして。

五十一万ぎの軍兵をぐして。しらない国へ打入給ふ。かの

 

国の王も賢王にてわたらせ給ひける間。かねて是を

しり給ふ事あり。かうふ山の北のこしに。せんのほらと云

所有。これにせんすのざうあり。中に一の大象あり国

王の象をとりて飼(かい)給ふに。一日に四百石をはむ。公卿せん

き有て。此象を飼給ひては。なにの益かましまさん

と申されけれは。御門の仰にはかちかつせんにあふ事

なからんやと。宣旨をくだし給ひしに。おもひの外にこの

軍(いくさ)出きにければ。武士をむけられす此象をめして。御口

を象のみゝにあてゝちんが恩を忘るゝなと。宣旨を含め

て敵の陣へはなち給ふ。大象いかりをなして悪象なれば

天にむかひて一こえほえけれは。大なるほら貝を千揃(そろへ)て

吹かごとし。其こえこつずいにとをりてたえかたし。左の

 

 

44

あしを出してそなたをふみければ。一度に十人の武者

をふみころす。七日七夜の合戦に。五十一万ぎみなうたれ

ぬ。供奉(くぶ)の公卿さふらひ三人上下十きにうちなされ。か

うふ山の北のうへにけこもり給ふ。ころは神無月廿ヒチあ

まりの事なれば。ふもとに紅葉(もみぢ)ちりしきて。むら/\雪

のあけほのをふみしたきておち行。国皇(こくわう)御身をたすけん

ためにや。くつをさかさまにはきておち給ふ。さきは跡あとは

さきにそなりにける。をひ手是をみて。これはいわうの

賢王にてましませは。いかなるはかりことにてや有らん。

この山はとらふす山なれは。夕日にしてかたふきては。我ら

か命もはかりかたしとて。ふもとの里にぞ帰りける。国王御

命をたすかり給ひて。我国へ帰りて五十六きの勢を

 

揃て今度のかせんに打かつて。よろこびかさね給ひしても。

くつをさかさまにはき給ひしいはれなり。異朝の賢王

もかくこそましませしが。君は本朝の武士の大将軍。せいわ

天わう十代の御すえになり給へり。てきおこらば我お

こらざれ。てきおこらずは我おこれと申本文(ほんもん)あり。人を

ばしるべからず。弁慶にをいてはとてまつさきにはいて

ぞすゝみける。判官これをみ給て。奇異のことをぼえけ

るものかな。いづくにてこれをばならひけるぞと仰られ

ければ。さくらもとの僧正のもとに候し時。法相三論の

ゆいけうの中にかきて候と申けり。あはれぶんふ二道

碩学(せきかく)やとぞほめさせ給ふ。武蔵坊我よりほかに心も

かうに。あんもふかき者あらじとしせうして。心しづかにお

 

 

45

ちけるに大衆ほどなくぞつゝきける。其日の先陣は治

部のほうげんぞしりたりける。しゆとにあふて申けるは。

こゝにふしぎのあるはいかに。今まではたにへ下てあるあと

の。いまはまたたによりこなたへ来るいかゝと申けれは。ご

ちんにいわうせんじと云もの。はしりよりてこれをみて。

さる事あるらん九郎判官と申は。くらまそだちの人なり。

ぶんふ二道にこえたり。つきそふらうどう共も。一人当千

ならぬはなし。其中に法師二人あり。一人はおんじやうじの

ほうしに。ひたりばうかいぞんとてじゆがくしやなり。一人は

さくらもとの僧正のでし。むさしばうと申は。異朝我朝の

かつせんの次第を。めい/\に存じたる者にてある間。かう

ふ山の北のこしにて。一つのぞうにせめたてられて。くつ

 

をさかさまにはき。おちたるはらない国のみかどの。せんれいを

ひきたる事も有らん。すきなあらせそたゞをひかけよや

と申ける。矢ごろになるまてはをともせで。近付て同音

にときをどつと作りけれは。十六人一同におどろく所に。判

官もとよりいふことをきかでとの給ひければ。きかぬよし

にてしころをかたむけてもみにもうてぞをち行ける。こゝに

難所一つあり。よしの河のみなかみしらいとの瀧とぞ申ける。

かみを見れば五丈ばかりなる瀧のいとを見だしたるがことく。

下をみれば三丈れき/\とある紅蓮のふち。みなかみはとを

し雪のしたゝりに。みかさまさりてせゞのいはまをたゝくな

み。ほうらいをくづするごとし。こなたもむかひも水のおもては

二丈ばかりあんるはんじやくの。屏風を立たるがことし。秋のす

 

 

46

えよりふゆの今まてふりつむ雪は。さえもせて雪もこ

ほりもひとへにはくをのべたるごとし。むさしはうは人より

さきに河はたに行てみければ。いかにふして行べきとも見え

ず。され共人をいためんとやおもひけん。又例の事なれはこれ

ほどの山河を遅参し給か。これこし給へたとそ申ける。判

官の給ひけるはなにとしてこれをばこすべきぞ。たゝおも

ひきつてはらきれやとぞの給ひける。弁慶申けれは

人をばしるべからす。むさしはとて河のはたへよりけるが。

左右眼(さうがん)をふさぎきせい申ける。源氏をまもり給ふ八まん

大ぼさつは。いつのほとにわか君をば忘れ参らせ給ふ

そ。あんをんにまもり納受し給へと申。めをひらき見た

りければ四五たんばかり下に興(けう)ある節所(せつしよ)あり。はしり

 

よりて見れば。両方さし出たる山さきのごとくに。水

はふかくたぎりておちたるが。むかひを見ればきしの

くづれたる所に。竹の一むらおひたる中に。ことにたかく

おひたるたけ三本。すえはひとへつにむすぼゝれて。日ころ

ふりたる雪にをされて。河中へたはみかゝりたるが。竹のす

えにはやうらくをさげたるに似たるひぞさがりける。判

官もこれをみ給ひて。義経とてもこえつべしとはおぼえ

ねども。いでや瀬ぶみしてみん。こしそんじて河へいらば。

られもつゞきて入よと仰けれは。さ承候ぬとぞ申ける。判

官其日のしやうぞくは。あかぢの錦のひたゝれに。くれな

いすそごのよろひに。しらほしのかぶとのをゝしめ。こかね

づくりのたちはき。大中くろの矢かしらたかにおひなし。

 

 

47

ゆみにくまでを取そへ。弓手のわきにかいはさみ。河のはた

にあゆみよりて。くさずりからんでしころをかたふけ。え

いこえを出してはね給ふ。竹のすえにかはととび付て。さう

なくするりとわたり給ふ。くさずりぬれたりけるを。さつ

/\とうちはらひ。そなたよりみつるよりはものにては

なかりけり。つゞけやとのばらと仰をかうふり。こすもの

はたれ/\と。かちゃをか。いせ。くま井。ひぜん。わしのを。ひた

ちばう。さうしきするが次郎。下部に喜三太。これら

をはじめとして十六人か十四人はえぬ。今二人はむかひ

に有。一人はねのをの十郎。一人はむさいばうなり。ねのをこ

えんとする所に。むさしぼうはいむけのそでっをひかへて

申けるは。御へんのひざのふるひやうをみるに。けんご

 

かなふまじ。よろひぬぎてこせよやと申ける。みな人のき

てこゆるよろひを。それがし一人ぬくべきやうはいかにと

いひければ。判官これを聞給ひて。何ことを申ぞ弁けい

とゝひ給へは。ねのをによろひぬぎてわたれと申候し

と申せは。わきみがはからひにひらにぬかせよとぞ仰

ける。みな人は三十にもたらぬすくやかものどもなり

ねのをは其中にらうたいなり。五十六にぞ成にけ

る。りをまげて都にとゞまれと度々(とゝ)仰けれとも。君

にてわたらせ給ひえkほどは。御をんにてさいしをたす

け。君又かくならせ給へば我都にとゝまりて。はじめて

人についせうせんことなしとて。おもひきりてそこれ

まて参りける。仰にしたがひてよろひにぐそくをぬき

 

 

48

をき。かくでもかなふべしともおほえねば。ゆみのつるを

はづしあつめて一つにむすび。はしをむかひになげこし

てそなたへひけ。つよくひかへよちやうどとりつけて。し

たのもろきふちをみつにつけてぞひきこしける。べんけ

いひとり残りて。判官のこえ給ひつる所をばこさず。河かみへ

一たんばかり上りて。いはかどにふりつみたる雪を。なぎなた

のえにて打はらひて申けれは。是ほとの山河(かは)をこえかね

て。あの竹に取つきがたりひしりとし給ふこそ見ぐる

しけれ。そこのき給へ此河さうなくはねこえて。げんざんに

いらんと申ければ。判官これを聞給ひて。義経をへんし

ゆするぞめなみやりそと仰られて。つらぬきのをのと

けたるをむすばんとて。甲のしころをかたふけておはし

 

ける時。えいや/\といふこえぞ聞えける。水ははやく岩なみに

たゝきかけられ。たゞながれになかれゆく。判官これを御ら

むじて。あはやしそんじたるはと仰られて。くまでを

取なをし河ばたにはしりより来て。とをる。あげまき

に引かけこれみよやと仰られけれは。いせの三郎つとよ

りて。くまでのえをむすとゝり。判官さしのぼきて見

たまへば。よろひきて人にすぐれたる大の法しを。くまで

にかけて中にひつさけたりけれは。水たぶ/\としてぞ

ひきあけゝる。けふの命いきて。御前ににがわらひしてそ

出きける。判官これを御覧じて。あまりににくさにいかに

口のきゝたるにはにざりけりと仰られけれは。あやまちは

つねのことくしのさはれと申事候はずやと。きやうげん

 

 

49

をぞ申ける。みな人はおもひ/\に落ゆけとも。むさし

ばうはおちもせず。一むらありける竹の中にわけ入て。

三本おひたる竹のもとに。物をいふやうにかきくごき申け

るは。竹も生(しやう)ある物我も生有人間。竹はね有物なれは。

せいやうのはるもきたらば。又子をもさしかへて見るべし。

我らはこのたびしゝては。二度(たび)かへらぬならひなれば。

竹をきるぞ我らが命にかはれとて。三本の竹をき

り。もとには雪をかけ。すえをば水にかけてぞ出した

りける。判官にをひ付参らせて。跡をかやうにしたゝ

めたると申ける。判官あとをかへりみ給へは。山河(かは)なればた

きりてたつる。むかしの事をおほしめし出て。かんじ給

ひける。歌をこのみしきよちよくは舟にのりてひる

 

 

(コマ50左頁へ)

かへし。笛をこのみしほうぢよは。竹にのりてくつが

へす。大国のほくわうはかべに上りて天にあがる。ちやう

はくばうはうき木にのりてこかいをわたる。よしつねは

竹葉(ちくよう)にのりて今の山河をわたるとぞの給ひて。上の

山にぞあがり給ふ。あるたにのほらに風すこしのどけき

所あり。てき河をこえば下矢さきに一矢いて。矢た

ねつきばはらをきれ。きやつばらわたりえすは。嘲(てう)

弄(ろ)してかへせやとぞ給ける。大衆ほどなくをしよせかし

こうそこえ給ひたり。こゝやこゆるかしこやこゆると。くち

/\にのゝしりけり。ちぶの法眼申けるは。判官なればとて

きじんにてもよもあらじ。こえたる所は有らんとむか

ひをみれば。なびきたる竹をみつけて。さればこそこれ

 

 

51

にとり付てこえんには。たれかこえざらんよれやもの

共とぞ申ける。かねぐろなる法しはらまきにそでつけて

きたるが。手ぼこ長刀わきにはさみて。三人手にてをとり

くみて。えいこえを出してぞはねたりける。竹のすえに取

付て。えいやと引たりければ。むさしがたゝ今本(もと)をきつて

さしたる竹なれば。引かづくとぞ見えしいはなみにた

たきこめられて。二たび共見えずそこのみくづとなり

にけり。むかひには上の山にて十六人。同音にどつとわ

らい給へば。大衆あまりやすからずしてをともせず。

ひかたのせんじ申けるは。これはむさしばうといふおこの

者めが所為(しよい)にてあるぞ。しばらくいてはなか/\おこ

の者がまし。又みなかみをめぐらんずるは日かずをへて

 

(コマ49左頁に戻る)

こそめくらんずれ。いざや帰りてせんぎせんとぞ申ける。

きたなしついでにはね入てしなんといふもの一人もな

し。もつとも此義につけやとて。もとのあとへぞ帰りける。

判官これを御覧じてかたをかをめして仰けるは。よしの

ほうしにあふていはんするやうは。義経が此河をこえか

ねて有つるに。これまでをくりこしたるこそうれしけれ

といひきかせよ。のちのためもこそあれと仰けれは。かたをか

しらきのゆみに大のかぶら取てつかひ。たにこしに一矢(や)

いかけて御ぢやうぞ/\と云かけけれども。聞ぬやう

にしてぞゆきける。弁慶はぬれたるよろひきて。大き

なるふし木にのぼりて。大しゆをよびて申けるは。な

さけある大しゆあらば。さいとうにきこえたるむさ

 

 

50

しがらんびやうし見よとぞ申ける。大しゆこれをきゝ

いるものもあり。かたをかはやせやと申ければ。まこ

とや中ざしにてゆみのもとをたゝいて。まんざい

らくとぞはやしける。べんけいおりふしまひたりけ

れば。大しゆもゆきかねてこれを見る。よひはお

もしろくありけれども。わらひことをぞうたひける。

はるはさくらのながるれば。よしの河ともなつけたり。

秋はもみぢのなかるれば。たつた河ともいひつべし。冬も

すえになりぬれば。ほうしももみぢてなかれたりと。

おりかへし/\まふたれは。たれとはしらずしゆとの中

より。おこのやつにてあるぞやとぞいひける。をのれ

ともなにともいはゝいへとて。其日はそこにてくらしけり。

 

 

(コマ52左頁へ)

たそかれ時にも成しかは。判官さふらひ共におほせけるは。

そもみたけ左衛門は。いしう心ざし有て参らせつる。

酒肴(しゆかう)をねんなくをひちらされたるこそほいなけれ。たれか

其用意あひかまへたる参らせよ。つかれやすめて

一まづおちんとぞ仰ける。みな人はてきのちかづき候

間。さきにといそぎ候つるほとに。相かまへたる者も候は

ずと申ければ。人々はたゞのちをこせぬそとよ。義(よし)

つねはわが身ばかりはかまへてもちたるぞとて。まお

なじやうにたち給ふぞと見えしに。いつのほどにか取

給ひけん。たちばなもちいを廿斗だんじにつゝみて引

合(あはせ)に取出させ給ひけり。べんけいをめして是一つづゝ

と仰ければ。ひたゝれの袖の上にをkちえ。ゆづりはをお

 

 

53

りてしき。一をば一せうのほとけに奉る。一をばぼだいの

ほとけに奉る。一おうぁみちの神に奉る。一をばさんしん

ごわうにとて置たりけり。もちいもみれば十六あり。

人も十六人君の御まへに一つさしをき。のこりをばめん

/\にぞくはりける。今一のこるにほとけのもちいとて。四

つをきたるに取ぐして。五つをばそれがしかとくぶんに

せんと申。みな人々これを給て。手々にもちてそな

きける。あはれ成ける世のならひかな。君のきみにて

わたらせ給はゞ。これに心ざしをおもひ参らせば。毛よ

きよろひ。ほねつよき馬などを給てこそ。御恩のやう

にも思い参らせ候べきに。是を給てしかるべき御恩の

やうに思るなし。よろこぶこそかなしけれとて。きしんを

 

あざむきさいしをもかへり見ず。命をもちりあくたとも

思はぬものゝふども。みなよろひの袖をぞぬらしける。心の

中こそかなしけれ。判官も御なみだをながし給ふ。べんけい

もしきりになみたはこぼるれ共。さらぬていにもてなし此

とのはらのやうに。人の参らせたる物をもちて。たへとてな

かれぬものをなかんとするはをのこ者にてこそあれ。かい

りきはちからにをよはざる事なり。身をたすけ候

はんばかりに。我もちたり殿ばらも手々に取てもたぬ

こそふかくなり。ことならねともこれにもちて候とて。もち

い廿斗ぞ取出しける。君もいしうしたりとおほしめし

けるに。御前にひざまづきて。ひたりのわきの下より。

くろかりけるものゝ大なるを取出し。雪の上にぞをきた

 

 

54

りける。かたをかなになるらんとおもひてさしよりてみ

れば。くりかた打たるこつゞみにさけを入て持たりけ

り。ふところよりかはらけ二取出し。一をば君の御前に

さし置て三と参らせて。つゝいふりて申やうのみ

てはおほし。さけはつゝにてちいさし。おもふほどあらはこそ

すこしづゝもとてのませ。のこるさけをば持たるかはらけ

にて。さしうけ/\三どのみて。あめもふれ風もふけ。こ

よひはおもふ事なしとて。其夜はそれにてよをあかす。

あくれば十二月廿三日なり。さのみ山路は物うしいざや

ふもとへとの給ひて。ふもとをさして下り。北のをかしげ

みがたにといふ所までは出給ひたりけるが。里ちかゝり

ければしづのをしつのめものきをならべたり。落(おち)人

 

のならひはよろひをきてはかなふまじ我ら世にだに

もあらばよろひも心にまかせぬべし。命にすぎたるもの

あらじとて。しげみがたにのこぼくのもとに。よろひはら

まき十六りやうぬぎすてゝ。ほう/\にぞおち給ふ。

明年のむ月のすえきさらぎのはじめてはおうしうへ

下らんすれば。其時かならず一でう今で河のへんに

て。行あふべしと仰ければ。承てをの/\なく/\た

ちわかれ。あるひはこはた。をつかは。だいご山しなへ。ゆく人も

あり。くらまのおくへゆくもあり。らくちうにしのぶ人も

あり。判官はさふらひ一人もぐし給はず。ざうしきを

もつれ行はす。しきたんと申はらまきめし。たちわ

きにはさみ。十二月廿三日の夜打ふけて。なんとの

 

 

55

くわんじゆばうとくこのもとへぞおはしける

 

義経記巻第五終