玉藻前曦袂 三段目 清水寺の段

 

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     ニ10-01240 

 

35 右頁
是より日本
第三    清水寺の段     爰に うつして「ひさしけれ

禹湯(うとう)己を罪して興桀(こうけつ)す 紂人(ちうにん)を罰して身を亡す 殷の妲己が顔艶
も 周の勇将雷震が打砕いたる斧の柄の 長き例(ためし)を今爰に 伝へ/\て

十四代 鳥羽の院のしろし召 御聖徳ぞ いみしけれ いで其比は永治四年卯
花月 当今の御兄薄雲の王子 清水参籠有べし迚 地主(ぢしゆ)のお庭に大幕打たせ
設けのしとねに着き給へば 御かたはらには犬渕源蔵友景 其外近侍従者の面々
烈を正して控へ居る 皇子緩(くはん)々と席を見下し 我当今の兄とはいへ共日蝕の生れ故 
弟宮に帝位を越られし欝憤やむ事なく 何卒して万乗の位を奪はんと陰
謀を企て 摂家清花の分ちなく大半は味方に属し 只気ぶざいない右大臣道
春め 討取んと思ひし内くたばつたはもつけの幸 誰憚る者もなく大望成就はまたゝく


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中 あら心よや悦はしう 飽迄募る放逸我慢 犬渕はつと頭を下 先達て鷲
塚金藤次に仰付られし通り なんなく道春が館へ忍び入 うばひ取て差上けし獅子
王の釼 伝へ聞く天竺天羅国 班足太子の后花陽婦人 誠は金毛九尾の狐にて
仏法を滅し魔界にせんと謀りし所 彼の名釼の威徳に恐れ唐土(もろこし)へ飛去りし例
此釼の徳をもつて諸国の武士を味方に招き 君を位に進めん事掌(たなごゝろ)に候と 何
がなお気に犬渕が 取しめもなき追従口 王子重ねてヤア源蔵 道春が
娘桂姫 朕兼々心をかけ毎度催促致せ共 打捨置条奇怪至極 彼

が館へ立越て得心せずば首討て立帰れと金藤次に申付けよ 心得たるかと烈
火の勢ひ 云捨座を立 大鵬の 一挙九万里計りなき 心の奢りいつとなく暫し
は曇る薄雲の 王子に引添犬渕は方丈さして入にける 春更て風も薫る
や振袖に とめ木が誘ふ御所育ち道春の秘蔵娘 桂姫と名付しも 年
はいざよふ月の影 幾夜か 一人思ひ寝の心のたけを清水の一と木のかげに嬪が
敷く毛氈の色もよき 女中同士はなまめかし爰に陰陽の頭安倍の泰成
が弟釆女の助泰清 大小さしも立派の若者 桜が元にあゆみ寄 夫と見た


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より慇懃に 是は/\お姫様存じがけない御参詣 殊に天気快晴にて木々
の葉桜御遊覧も一入の御慰みと 挨拶すれば桂姫 兼て心をかけまくも
さし向へては今更に顔は上気の櫨(はぢ)もみぢ 穂にあらはるゝ物ごしを 嬪共はもどかし
く イヤ申し釆女様 お姫様があの様に云兼なさるも無理じやない お前様に
首だけで 是程違つた状文についに一度の返しもない故 何でもけふは色よい返
事 いやでも応でもかぶせにやならぬ ノウしげみ殿 ヲゝそれ/\斯出合たが百
年め 取付き引付おつしやれと 突やられてももじ/\と だくつく胸を押しつめ 皆

の者がいふ通り妹や母様の目顔を忍び 千束(ちつか)の文 返り云さへ長の夜に泣明したる
礒千鳥 是程思ふに胴欲な つれないわいのと寄添て 恨涙は五月雨に露
うく野辺の かほよ花風にもまるゝ風情なり 釆女の助ももて余し 是は
又迷惑千万 又しても拙者めを おなぶり給なとふり切袂 袖をひかへてそりや
余りじや胴欲な 殿様に惚たといふ事を姫ござの身で恥かしい 嘘か誠は
此通りと 釆女の助が差添を抜取り給へばコハ一興 ヤレ短気なあふなやと
嬪はしたとり/\になだめいさむる折こそ有 思ひがけなき犬渕源蔵 下部引連お


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どり出 囚人王子の云付故此所に待請た 姫を渡せば其通り 左なくは儕等此
刀 其首筋へひや/\/\ サアつめたい目をせふよりは すなをに置て立帰れと
かみ付くやうに罵つたり 釆女の助はつと出 ヤアしほらしいうんさいめら 主に劣ら
ぬやま犬渕 皮引ぱいでほへづらかゝさん ソレお姫様を裏道から 早ふ/\に呑込で
そんならお先へお供せう 跡から随分お早ふと 皆々付添姫君は 館をさし
て帰らるゝ そふはさせぬと犬渕が 欠出すえりがみ引掴み何の苦もなく頭転
倒 コリヤ遁さむと家来共取てかゝるを刎倒し 向ふて来るを引寄て 大

地へどさり後ろから むしやぶり付くをふりほどき 前へくるりと 米俵 二段返りや
三段四段 五段は例の段平物 はげ敷き手並みに尾をふつて 逃出す犬渕
下部共 コリヤ叶はぬとかけ出すをあとをしたふて おふてゆく