新版歌祭文(2) 野崎村の段

 

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      イ14-00002-425 

 


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   野崎村の段
年の内に春を向へて初梅の花も時しる野崎村 久作といふ小百姓せはしき中に女房
は 万事の限りの膈病(かくやまひ) 娘おみつが介抱も心一ぱい二親に 孝行臼の石よりも堅い行儀の
爪(つま)はづれ 在所に惜しき育ちかや冬編笠も燻(ふすぼ)り三味線つぼもすまたの弾語り 御評判
の繁太夫ぶし 本は上下とぢ本て六文 お夏清十郎の道行/\ あづまからげのかいしよなきこんな
形(なり)でも五里十里 通らしやれ 嬶様の煩ひで三味線も耳へは入らぬ 手の隙がない通つて
下され 清十郎涙くみお夏が手を取り顔打ながめ 同し恋とは云ながらお主の娘を連れて返り

是より上の罪もなし ヲゝ聞きとむない通りや/\といふ声に 久松は納戸を出 大坂ではや
る繁太夫ぶしそなたにも聞したけれど 病人の気に構はふ本なと読で気晴し仕やと
義理有中も子を思ふ恵みは厚き古合羽の たばこ入からこつて/\銭取出して ドレ壱
冊買ませふ ナンジヤお夏清十郎 道行恋の濡草鞋 コレ見や 此お夏手代と念頃
して姫路を欠落する道行 同し娘でも世はさま/\゛纔(わずか)三里の大坂へ芝居一つ見に
も行かず 今度の大病から目の見へぬばゞの介抱 達者なおれが喰物迄其様に気
を付けてたもる孝行娘 若し労れでも出よふかと おりや夫レを案じるはいのふ 勿体ない


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事云しやんす 煩ふて居さんす嬶様より 健(まめ)なお前のお心苦労 せめてもの手
助けと思ふた斗 其様な事苦にやんで煩ひでも出よふかと わたしや夫レが悲しう
ござんす ハテわつけもない したが百日と限(ぎ)りの有ぢゞが大病 案じるも無理ではない
ガ玄庵殿の加減の業で 今朝から末のかさにおも湯が二はい通つた 見かけに寄らぬ
巧者な医者殿 ヤ幸いけふは日和もよし 久松が親方殿へ歳暮の礼に往て来る
程に 随分ばゝに気を付きやといゝつゝ脚絆草鞋がけ 紐引しむれば ヲゝとゝ 
様とした事が 此短い日にモウ昼過 明日の事になさんせいで 何のいやい 年こそ

寄たれ此足に覚へが有 一時三里犬走り日暮迄には戻つてくる 歳暮の祝儀
コレ/\此藁苞(づと)山の芋は鰻に成る 久松が年が明たらば われは又お内儀に成 夫レ楽しみ
によふ留守せい ドリヤ往て来ふと身拵へ 藁苞肩にヤえいとこな 表へ出しが立と
まり 取訳今年は早ふ咲た此梅 何より角より能土産と 春待顔に咲花を
手折て苞に一枝を 添てひよか/\野崎村 跡に見なして 出て行 影見送りて
久松が事のみ思ひ兎や角と 胸に一ぱい半分の水はかり込薬鍋 一へぎ入れる生
姜より 辛い顔(つら)つき九三の小助 久松引連れ入口から 久作内に居やるかと づゝと這入れば


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おみつは嬉しく ヲゝ久松様よふマア戻つて下さんした 定めてあなたは送りのお方 お茶よたばこ
と嬉しさに 立たり居たり気もそゞろ エゝやかましいわい うそ穢い在所の茶飲みには
こぬ コリヤ追従せずと聞て置けよ 此久松めが親方の銀(かね) 壱貫五百目お山狂ひにちよ
ろまかしたによつて けふ連て来たはな 久作と三つがなはで詮議するのじや 親父を出せ
出せ/\/\と辰巳上り 身の過りに久松が差俯ひて詞さへ ないには若しやと思ひながら お
腹立はお道理ながら 何のマア久松様に限つてよもやそふした事は有まい 定めて是は何ぞ
の間違ひ 覚がなくばないといふ ツイ云わけをして下さんせいな ハゝべるは?(しやべ・??)るは コリヤヤイ天窓(あたま)

こそ前髪なれ其素早さ 朋輩には時宜もなしに 取て置のお娘迄 此跡は云ずにこま
す 裾貧乏のはつた行き過ぎ丁稚め 首綱のかゝる事云訳ぶ如才が有ろかい 小倉の屋敷へ
請取に往た為替の銀 御役人から改めて渡つたは正真(じん) 内へ戻つて明けた所がわやひんのどふ
みやく 道の間ですりかへた品玉の太夫 早咲久松でございます ハリトウ/\ 白眼剥くは無念
なり 無念なら銀立るか 有まいがな サア久作は何所に居る 出さらずば引出さふと 欠入る袂を
久松引とめ 成程銀を摺かへられたは皆私が無調法 身の明かりの立迄は在所へ行けと 後
室様の結構な御了簡 それをそなたが ヤイ/\/\何ぬかすぞい そりやわれが勝手了簡


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の聞き損ひ おれには此詮議しぬいてこいと 内証で後家様の云付け じやによつてめつき
しやつきするか何じや ひんこめ出されと大声を おみつが押へて コレ申御尤でござんすけれど
奥の病人に能事がましふ聞かしましては 病気の障り最(も)そつと静に イヤ高ふいふのじや/\
是程わめくに聞耳潰すは親仁にもぐる仕事じやな イヤとゝ様はあなたの方へ 歳暮の
礼に往かれました どふして道が違ふた事 若し持病やなど発(おこ)りはせぬかと 外も気がゝり
病架への聞へも気づかひ久松が 身の云訳に差込だ 癪を覚へる斗也 弱みに付込悪
者根性 大坂へ往たが定なら否ながら道で逢ふ筈 そんなてれんむかすなやい ドレ最(もふ)家(や)

捜しと出かけざ成まい 邪魔ひろぐなとおみつを引退け 取付く久松面倒なと 踏むやら蹴る
やら無法の打擲 詮方もなき折からに道引返しいつきせき戻る久作かけ入つて 小助を
引退け突飛ばし 留主の間へ来てわつぱさつぱ様子に寄って了簡せぬぞ ヲゝよふ戻つて
下さんした 最前から久松様をな ヲゝよいてや 久作が戻るからは娘もじやと落付けと 納
める程猶ごふ腹にやし 大まいの銀引負はした其ばりめ 詮議に来た小助は親方の
代 夫レをわりや何で投たのじや 是は迷惑な ひばり骨見る様な手で 血気な
こなた投たのではない怪家のはづみ 出端(はづ)れの曲り途で道が違ふて 留主の間へ


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大坂から息子が来たぞやと 若い者がしらしてくれたで 行戻り又六里を助つた
徳安堤引返して戻つたが そんなら何か其引負いで久松は戻つたのか アゝ夫聞てマア落
付た マア/\何角は持置て朋輩衆のお世話で有ふと 影ながら云てばつかり居ます
はいの 寒い時分によふ連れて来て下さつたなふ ソレおみつよ茶なと汲んかいやい コリヤ
納めな/\ わりや爰に見た事も有まいが 壱貫五百目といふ銀高 子の科は親に
かゝる 銀立るか 但しは又願はふか 二つ一つの返答聞こはい ハテよいわいの 其様に息せいするは大き
な毒 兎角人間は長ふ持つのが薬じや ヤ其薬で思ひ出した 土産にせふと思ふた

此山の芋をとろゝにして 出来合の麦飯を進ぜふかい 置けやい 見せかけ斗の正直倒し
麦飯のとろゝのと ぬらくらとは抜けさせぬ あんだらくさいと蹴ちらす藁苞 破れて
ぐはらりと出る丁銀 ソレ久松が引負の銀 渡したからは云分有まい とつとゝ持ていな
しやれと 聞ておみつも久松も思ひがけなき驚きに 小助もぎよつとしながらも
包改め こりや正真じや テモ出にくい所からよふ出たな 吹きや飛様な内のざまで
泥亀三つで壱貫五百目請取からは云分ないわい ヲゝそつちに云分がなふても こつ
ちにぐつと云分が有る といふも古い物じや是迄お世話に成た親方様 御恩こそ有れ


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恨みはなけれど 人に騙され取れた銀引負の悪遣ひのと ない名を付けて貰ふて
は世間が済まぬ といふて無理隙取るではない 親が暫く預つて置程に此通りいふ
たがよい モウ廿年おれが若いと わこれにはぐつと馳走も有れど入らさる殺生 サア/\
早ふ逝んだらよかろと 云れてどふやら底気味悪く 銀の出入さへ済で仕廻や外の事はお
構ひない さらばお暇申さふと 打違(うちがひ)取出し捻込押込 ハゝア命冥加な壱貫五百
目 内へ逝で出した所が蟇(ひきかへる)になつて居やせまいか ハテ仇口を聞ず共足元の明い中は
ヲゝ逝ないじや 銀こそは主の物 何の其おれがでに おれが旁(かた)げて おれが足で おれが歩行(あるい)て

おれが體が逝ぬるに ぐつ共云分ない筈と へらず口して とつぱ門口柱で天窓 アいたし
小助は足早に 大坂の方(かた)へ立帰る おみつは親の気を兼て諾(いら)へなければ久松すり
寄り 此身の手詰は遁れても此お暮しで余程の銀 跡でお前の御難儀に
は ハテおれじや迚相応のかくまひはせまい物か 始末してためたあの銀は黒谷の方
丈へ上げる冥加銀 気づかひしやんな まんざらあれ斗でもないわいの 改めていふではな
けれど 末はわがみとひとつにする約束で此おみつばゞが連れ子 あれも否でもない
そふなり 折も有らば親方殿へ隙の事を願はふと思ふて居たが 是がほんのもつけ


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重宝 最大坂へ逝れはせぬ 早却(さつきやく)されど日がらもよしけふ祝言の盃さすぞ 何とおみつよ
嬉しいか/\/\ 我等は又天窓を丸め参り下向に打かゝらふと 頼み寺へふて袈裟も衣
もちやんと請て置たてや 幸い餅は搗て有り 酒も組重も正月前で用意はして有
サア/\早ふ拵やと 藪から棒をつゝかけた 親の詞に吐胸も久松 しらぬ娘は嬉しいやら又
恥かしき殿もふけ 顔は上気の茜裏袂くはへるおぼこさを 見るに付けても今更に
否応ならぬ親の前急に思案も出の口の 壁にいの字を垣一重 裏の病架
に咳嗽(しはぶく)声 ホンニこちらの事に取込で定めてばゞが淋しからふ 久しぶりで久松にも逢はして 此

事を聞したら薬より利目がよい ハテ俯ぶいて斗居ずとおみつ鱠も刻んでおけ 久松
おじやと 先に立悦びいさむ親の気を しつて破らぬ間似合紙襖 「引立入にけり   ←
跡に娘は気もいそ/\日頃の願ひが叶ふたも 天神様や観音様第一は親のおかげ
エゝこんな事なら今朝あたり髪も結て置かふ物 鉄漿(かね)の付け様 挨拶もどふ云て能
かろなら覚束鱠拵へも 祝ふ大根の友白髪 末菜刀と気もいさみ手元も
軽ふちよき/\/\ 切ても切ぬ恋衣や本の白地をなま中に お染は思ひ久松が 跡を
したふて野崎村 堤伝ひに漸と 梅を目当に軒のつま 供のおよしが声高に 申


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御寮人様 かの人に逢ふ斗寒い時分の野崎参り 今船の上り場で 教へて貰ふた目
しるしの此梅 大かた爰でござりませふぞへ ヲゝもそつと静にいやいのふ 久松に逢たさに来(き)事は
来ても在所の事 目立ては気の毒そなたは船へ早ふ/\と追やり/\ 立寄りながら越かぬる
恋の峠の敷居高く 物申お頼み申しませふと いふもこは/\゛暖簾ごし 百姓の内へ改つ
た用が有なら這入らしやんせ ハイ/\卒爾ながら久作様は内方でござんすかへ 左様なら大坂から
久松といふ人が けふ戻つて見へた筈 ちよつと逢はして下さんせと いふ詞つき形かたち 常々聞た
油屋の扨は お染と悋気の初物胸はもや/\かき交ぜ鱠まな板 押やり 戸口に立寄り

見れば見る程美しい あた可愛らしい其顔で 久松様に逢はしてくれ そんなお方はこちやしらぬ 余所
を尋ねて見やしやんせ あほうらしいと腹立声 心付かねば ホンニまあ何ぞ土産と思ふても
急な事 コレ/\女子衆 さもしけれ共是成とゝ 夢にも夫レと白玉か露を巾沙(ふくさ)に包の儘 差出
せば こりや何じやへ 大所の御寮人様 様/\/\と云れても心が至らぬ置かしやんせ在所の女 と侮つ
てか ほしくばお前にやるはいなと やら腹立に門口へほればほどけてばら/\と 草に露銀(がね)けし人形
微塵に香箱割れ出した中へつか/\親子連れ 出てくる久作どふじや鱠は出来たで有ふ 扨祝言の事
婆が聞てきつい悦び じやが年は寄るまい物 さつきのやつさもつさで 取上(のぼ)したか頭痛もする いかふ肩が


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つかへて来た アゝ橙の数は争はれぬ物じやはいの 左様ならそろ/\私がもんで上ませふか ソリヤ久
松忝い 老ては子に随へじや 孝行にかたみ恨みのはい様に おみつよ 三里をすへてくれ アイ/\そんなら風の来ぬ
様にと何がら表へ当り眼門の戸ぴつしやりさしもぐさ 燃ゆる思ひは娘気の 細き線香に立
煙 サア/\親子しや迚遠慮はない 艾も痃癖(けんへき)も大掴みにやつてくれ アイ/\きつふつかへてござります
ぞへ そふで有ふ/\ 次手に七九をやつてたも ヲツトこたへるぞ/\ アツゝ/\えらいぞ/\ あ
すが日死なふと火葬は止めにして貰ひませふ 丈夫に見へてももふ古る家 やねもねだもこりや一
時に割普請じや アツゝゝゝ ヲゝ爺様の仰山な 皮切は仕廻いでござんす ホンニ風が当ると思や 誰じや表

を明けたそふな しめて参じよと立つを引とめ よいわいの 昼中に鬱としい ノウ久松/\/\コリヤ
久松 余所見斗して居ずとしか/\ともまぬかいの サア余所見はせぬけれど エゝ覗くが悪い
折が悪い悪い /\/\と目顔の仕かた ヤ悪いの覗くのと 足に灸こそ据ていれ 何所もおみつ
は覗きはせぬ サアアノ悪いと云ましたは 慥今日は瘟廣(うんくはう)日 夫レに灸は悪い/\/\といふたので
ござります エゝ愚痴な事を 此様に達者なは ちよこ/\灸をすへ 作りをするそこで久作
アツゝゝ エゝ何じやはい わがみ達も 達者な様に灸でもすへるのがおいらへの孝行じやぞや ヲ
そふでござんす共 久松様には振袖の美しい持病が有て 招いたり呼出したり にくてらしい アノ


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病ひづらが這入らぬ様に 敷居の上へ大きふしてすへて置きたい コレおみつ殿 振袖の持病の
と いろ/\の耳こすり はしたない事聞ては居ぬぞや ホゝゝゝゝかはつた事がお気に障つた ヲゝ障ら
いじや こりやおかしい 其訳聞くぞへ いふぞやと 我を忘れていさかいを 外に聞身の気の毒
さ 振りの肌着に玉の汗 久作も持てあつかい アゝコリヤ肩も足もひり/\するがな/\ まだ祝言
もせぬ先から 女夫いさかいの取越かい 灸業(やいとけう)のかはり 喧嘩の行司さすのかいやい 二人ながら
嗜め/\ イエ/\構ふて下さんすな 今の様なあいそづかしも 病ひつらめがいはしくつさる 何を
いふやらモウ/\両方共 おれが貰ひじや ヨヨ中直しが直ぐに取結びの盃 髪も結たり鉄漿

も付たり 湯もつかふて花嫁御を コリヤ作つておけと打笑ひ無理に何度へ連れて行 其間
遅しとかけ入るお染 逢いたかつたと久松に縋り付けば アゝコレ是が高ふござります 思ひがけ
ない爰へはどふして 訳を聞して/\と 問れて漸顔を上 訳はそつちに覚へが有ふ 私が事は
思ひ切 山家屋へ嫁入せいと 残しておきやつたコレ此文 そなたは思ひ切る気でも わしや何
ぼでも得切らぬ 余り逢たさなつかしさ 勿体ない事ながら観音様をかっこ付て 逢に北
やら南やら しらぬ在所も厭ひはせぬ 二人一しよに添ふなら飯(まゝ)も焚ふし織つむぎ どんな
貧しい暮しでもわしや嬉しいと思ふ物 女の道を背けとは 聞へぬわいの胴欲と 恨みのたけ


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をゆふぜんの 振の袂に北時雨晴間は 更になかりけり 雲りがちなる久松も 背(せな)撫さすり
声潜め 其お恨みは聞こへて有れど 十をの年からけふか日迄 舩車にも積まれぬ御恩仇で
返す身の徒 冥加の程も恐ろしければ 委細は文に残した通り 山家屋へござるのが母御へ
孝行家の為 よふ得心なされやと いへど諾へも涙声 いやじや/\わしやいやじや 今と
なつてそふいやるは 是迄わしに隠しやつた 云号の娘御と女夫に成たい心じやの 是非
山家屋へ行ならば覚悟はとふから究めて居ると 用意の剃刀取直せば 夫レは短気と
久松が 留めてもとまらず イヤ/\/\そなたに別れ片時も 何楽しみにて生きて居よふ 留ずと殺して

/\と思ひ 詰たる其風情 そんなら是程申しても お聞わけはござりませぬか 添れぬ
時は死ぬるといふ 誓紙に嘘がつかれふかいのふ ハア達て申せば主殺し 命にかへてそれ程迄に
思ふが無理か女房じや物 叶はぬ時は私もいつしよに お染様 久松と互に手に手取
かはす悪縁 深き契りかや 始終後ろに立聞く親 其思案悪からふと いはれてはつと久
松お染さはぐを押さへてアゝ大事ない/\ マア/\下に居や 因縁とは云ながら 和泉の国石津の
御家中 相良丈太夫様といふれこさの息子殿 聊かの事で家が潰れてから 吾儕(わがみ)の
乳母はおれが妹 其縁で十の年迄育て上げた此久作は後の親 草深い在所に置こ


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より 知恵付けの為油屋へ丁稚奉公 夫程迄に成人して商ひの道読書き迄 人並に
成たはコリヤ親方の大恩 其恩も義理も弁へぬは 是見や 先に買ふたお夏清十郎の道行
本 嫁入の極つて有る主の娘をそゝなかすとは 道しらずめ 人でなしめ サこりや清十郎が
咄しじやわいの とふから異見もしたかつたけれど てうど今の様な事が有ふかと 夫レが悲しさ
一日延び 二日延ばしにする間 ふつてわいた銀のもめ事 是云立に隙を貰ひ 分けて置くのが
上分別と思ふから 引負の銀の工面 どの様に気ばつても高のしれた水呑百姓 僅か
の田地着類着そけ おみつめが櫛笄迄売り代なし 漸拵へたさつきの銀 なさぬ中で

も親子といふ名が有からは 肉心分けた子も同然 可愛ふなふて何とせふ コレお
染様ではない 此本のお夏とやら 清十郎を可愛がつて下さるは 嬉しい様で恨めしい
わいの 聞ての通りおみつめと女夫にするを楽しみに 病苦をこたへて居るアノ婆様
に 今の様な事聞かしたら 何と命がござりませふぞいの 若い水の出端には そこらの
義理もへちまのかはと 投やつてこな様といつ迄も 添遂げられるにしてからが戸は
立てられぬ世上の口じやはい エゝアノ久松めは辛抱さいた女房嫌ふて 身上の能油屋の聟
に成たは コレ栄耀がしたさじや皆欲じや 人の皮着た畜生めと 在所は勿論大坂


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中に指さゝれ 人交りが成ませふかいの コレ/\/\爰の道理を聞き訳て 思ひ切て下さ
れ 申コレ拝みますはいの/\ 是程いふても聞入れず 親御達が満足に産付けて置か
しやつた其體を 切さいて浅ましふ死ぬるのが女ゴの道か心中か サ久松も其通り
不義密夫(まおとこ)の悪名請け 実親(しん)の名を汚す斗か 世間の義理も主の恩も む
ちやくちやにして仕廻ふのが 侍の子か人間か 返事次第で思案が有と 真実真身
の剛(こは)異見 骨身にこたへて久松お染 何と返事もないじやくり 是程いふても返
答のないは 二人ながら不得心じやの アゝ勿体ない 実の親にも勝つた御恩 送らぬのみ

か苦をうけるも 私が不所存から イヤ/\そなたの科ではない 皆此身の徒から 親にも身
にもかへまいと 思ひ詰ても世の中の 義理にはどふもかへられぬ 成程思ひ切ませふ
ヲゝよふ御合点なされました わたしもふつつり思ひ切 おみつと祝言致しまする そんならそな
たも お前もと 互に目と目にしらせ合心の覚悟は白髪の親仁 アノさつぱりと思ひ
切て周玄をしてたもるか 何の嘘を申しませふ 娘御も今の詞に 微塵も違ひはご
ざりませぬか 久松の事は是限り わしや嫁入をするはいの ヲゝ出来た/\ むくつけな親仁め
と腹も立てず よふ聞入れて下さりました 晩の間のしれぬ婆が命 息の有中祝言が済だと


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聞かして下さるが 大きな善根 善は急げじや 今爰で盃さそ おみつ /\/\と呼び立る声聞へて
や 病架より 母漸探り出 親仁殿 久松もそこにか 待ちに待た娘が祝言嬉しうて
/\ 此間にない気色のよさ 大煩ひの上目迄潰れた因果人仏様のお迎ひを待ち
兼たに 難面(つれない)命が有たりやこそ 悦ぶ声を聞くといふも 孝行な久松が蔭 ふつゝか
な在所生れ 心には入るまいけれど 末の面倒見てくだされ 頼みまするといふ中も 痰
火(くは)は胸にせき上ぼせば エゝ此寒いのに寝所にやつぱり居たがよござります 冷れば悪いと
蒲団の上 抱きかゝへて久松が 介抱如在納戸より 親子の中も丸盆に乗せた盃

銚子鍋運ぶ久作 コレおばゝ やつぱり寝ては居やらいで したが嶋臺
のないかはり 世話事の尉と姥も新しい 目の見へぬは目出度秀句
しや ハゝゝゝ 目出たい次手に 此嫁は何所に居るぞい おみつ/\と尻軽に 立て
一間を差覗き ハテ出くすみをして居るに 夫レでは果ぬと手を取て サア/\マア/\嫁
の座へ直たり/\ エゝトキニ一家一門着の儘の祝言に 改つた綿帽子 鬱としからふ取て遣(やろ)
と 脱がすをはづみに笄も ぬけて惜しげも投嶋田 根よりふつゝと切髪
を 見るに驚く久松お染 久作あきれてこりやどふじやと いふ口おさへて コレ


29
申しとゝ様もおふたり様も 何にもいふて下さんすな 最前から何事も
残らず聞ておりました 思ひ切たといはしやんすは 義理にせまつた表向き
底の心はお二人ながら 死ぬる覚悟でござんしよがな サ死る覚悟で居やしや
んす 嬶様の大病 どふぞ命が取とめたさ わしやもふとんと思ひ切た ナ切て
祝ふた髪かたち 見て下さんせと両肌を 脱だ下着は白無垢の首にかけ
たる五条袈裟 思ひ切たる目の中に浮む涙呑込でこたゆるつらさ久松お染 久作も手を

合せ 何にも云ぬ此通りじや/\/\ 女夫にしたいばつかりに そこらあたりに心もつかず
莟の花をちらしてのけたは皆おれがどんなから 赦してくれも口の内 声憚る
忍び泣 アゝ冥加ない事おつしやります 所詮望みは叶ふまいと思ひの外祝言
の 盃する様になつて 嬉しかつたはたつた半時 無理にわたしが添ふとすれば 死なしやん
すをしりながら どふ盃が成ませふぞいな おみつの何をいやるやら 女夫になりやる
を此母も 悦びこそすれ何の死の ノウ親仁殿 ワシヤワイノ迚も此世はない縁でも
せめて未来は アゝイヤ未来迄もかはらぬといふ盃さそと立上り 口に唱名ぶつ/\と


30
仏壇明けて取出す 花瓶の松に靍亀もあの世を 契る心の嶋臺 サア/\
斯してなりと盃さすのが せめてもの 心ゆかし エゝ云たい事だらけじやけれど 此やう
な座敷には たべ付けぬ此親仁 三々くどふは云ぬが花嫁 一つのんで久松へ アゝ目
出たい/\ ばゞも嘸かし嬉しかろ ヲゝ嬉しい段かいの 一世一度の娘が晴 定めて
髪も美しう出来たであろ さき笄に結やつたか イエそんなら両輪か ヲゝ両
輪共/\ 思ひがけなふすつぱりと アいやさつぱりと能ふ出来たはいの 親仁殿の云はしやる
通り 自慢じやないが髪は大てい上手じやござらぬ ホンニ前方大坂行の土産に貰

やつた薄の簪 けふの晴にさしやつたかや 着物は取て置の花色 加賀
の裾模様 それか アイそれ着て居やるか アイナ ヲゝ吾儕にはよふ似合ぞいの
成らふ事なら鉄漿水付けて 顔直しやつたおとなしさを たつた一目見て死だら 善光
寺様の御印文にも勝つて 未来は極楽往生 ホゝゝゝ わしとした事が 目出
たい中でいまはしいと 久松必ず気にかけてたもんなやいのと子に迷ふ 暗き目盲に
夫レぞとも しらず悦ぶ母親の 心を察し誰/\も泣き声せじと?(くひしば)る四人の
涙八つの袖 榎並八ヶの落し水膝の 堤や越ぬらん 見聞つらさに忍び兼


31
お染は覚悟の以前の剃刀 なむあみだ仏と自害の体 久松あはて
押とゞめコレ娘御何が不足で死ぬるのじやと 聞間違ふて娘ぞと 母は
驚きコレおみつ待て/\と這ひ寄て 探る手先に五条袈裟 ヤア此袈裟といひ此つむり
どふして髪を切たのじや 訳を聞かして/\と せけばせく程咳のぼし 病苦に
悩む母親を 見るに娘は猶悲しく 嬶様こらへて下さんせ 添ふに添れぬ
品になり わしや尼に成たはいな ヤア/\/\そんならさつきにから母が気を
休ふ為 ヲイノ来世の縁を結ぶ盃 此世の縁は切れて有はいの ハア ヲゝ尤じや/\

そなたは見へぬがいつそまし 傍でまじ/\見て居る心推量してたもいのと 云声
咽に詰まらせば サア/\/\其悲しみをかけるのも此お染から起つた事 死るがせめ
て身の云訳 イエ/\ 死ねばならぬ此久松 わしから先へと欠寄るを 久作剃刀引たくり
是程いふても聞入れず 是非死たくばおれから先へ 物の見事に死で見せふか 爺
様が死なしやんすりや わたしも生きては居ませぬぞへ ヲゝ娘出かしやつた むさい在
所に育つても貞女の道を弁へて よふ尼になりやつたのふ そこにござるが
噂に聞たお染様か お前様や久松を殺しとむないばつかりに 蝶よ花よと楽しん


32
だ一人娘を尼にして 出かしたといふ心の中思ひやりが有ならばなぜながらへては
下されぬ 折角娘が志無足にするとは胴欲とこらへ涙一時にわつと斗に
取乱せば ヲゝ道理じや/\/\ハイノ サア/\どふ有ても死たらば 婆も娘もおれも死ぬる
三人ながら見殺す気か サア夫レは 思ひとまつて下さるか 但し死ふか サア/\/\と三方
が 義理と情と恩愛のしめ木にかゝる久松お染 死ぬる事さへ叶はぬはいか成る
過去の報ひぞと前後正体 泣倒れむせ返るこそ道理なれ 久作涙押
ぬぐひ どふやら斯やら合点が行たそふな 嘸母御様が案じてござらふ大事の娘

御慥な者に イヤそれには及びませぬ 母が慥に請取ましたと 云つゝ這入れ
ば ヤア嬶様 ハアはつと斗に詞なく差俯けば コレ/\ お染野崎参りしやつたと
聞てあんまり気遣ひさ イヤ気慰みに能からふと跡追て来て何事も
残らず聞た 夫婦の衆の深切おみつ女郎の志 最前からあの表で わしや
拝んで斗居ましたわいのふ サア観音様の御利生で怪家過ちのなかつた嬉しさ
是から直ぐにお礼参り ホンニ是はさもしい物なれど 御病人への見舞の印 麁抹(そまつ)
なからと詞数云ず出過ぬ杉折を 供の男が差置けば マア/\冥加もないお見


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舞戴きますると取上る 手元はつれて取落せば 中よりくはらりと以前
の銀 ヤアさつきに渡した銀を エオゝ表向きで請取たりや事は済む 改めて尼御へ
布施せめて娘が冥加じやはいのふ 云訳が立からは久松も元の通り 戻つて
目出たふ正月仕や 取込の中長居も不遠慮 娘もおじやと手を引て表へ
出れば久作も 門送りして 是はマア/\何とお礼を申しませふやら お時宜致すも
却て無躾 せめてものお土産に 折て置た此早咲 めでたい春を松竹梅とお
家も栄へ蓬莱の錺物 幾久松か御奉公大事に勤めて此御恩 忘れぬ証(しるし)と

差出せば ヲゝ心有りげな此早咲 譬て云へば雨露の恵を請けぬ室咲は萎むも早し
香も薄い 盛りの春を待てといふ二人の能い教訓 殊更内に口さがない者も有
ば 何角に遠慮せねばならぬ 幸いわしが乗て来たあの竹輿(かご)で コレ久松 そなたは
堤お染は船 別れ/\に逝ぬるが世上の補ひ心の遠慮 左様でござりまする
共 お志じや 乗て逝にや 娘は船へと親々の詞に否も云兼る 鴛鴦(おし)の片羽の片々に
別れて二人は乗移れば そんなら久松もふ行きやるか 来る正月の藪入を母も必待て居る 兄
様お健でお染様 もふおさらばと詞迄早改まるおみつ尼哀れを余所にみなれ棹船にも積まれぬ


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お主の御恩 親の恵の冥加ない取訳ておみつ殿斯成りくだるも前(さき)の世の定まり事と諦
て お年寄られた親達の介抱頼むと云さして泣音(ね)伏籠の面ふせ 船の中にも声上てよし
ないわし故おみつ様の 縁を切らしたお憎しみ堪忍して下さんせ アゝ訳もないお染様 浮世放れた尼
じや物 そんな心を勿体ない 短気起して下さんすな ヲゝ娘が云通り死て花実は咲かぬ梅
一本花にならぬ様にめでたい盛りを見せてくれ 随分達者で お前も御無事で お袋様
もお娘御も おさらば さらば さらば/\も遠ざかる船と堤は隔たれど 縁を引綱一筋に思ひあふたる
恋中も 義理の柵情のかせ杭 竹輿に比翼を引わくる心/\゛ぞ 「世なりけり