仮想空間

趣味の変体仮名

新版歌祭文(3) 下の巻 長町の段

 

読んだ本 

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イ14-00002-425 

 


34(左頁)
  下の巻 長町の段
鬼は外 福は内 打納めたる日暮から 昼を欺く長町の夜見せ売物家々の春を
請取り賃づき屋 賑ふ臼取り杵の音 とん/\?(とふから・繁?)せつきにくる 下女が丸顔とり粉(こ)なる 鏡
の大小子持ちかゝ 分相応の年始め実に神国のしるしなり せはしい中で油屋の小助は肩に
風呂敷包 ふら/\来る餅やの門 ヤア勘六爰にか けふは年越で一日の休み所を透さ
ず賃搗きに迄雇はれるとは きつい精の出し様じやな イヤモ是もせふ事なしじやはいの 何
が寡(やまめ)なり宿はなし 年中の飯米は饂飩か餅か 五文(げんこ)取りの代五六百 此雇ひ賃で帳消(けさ)すの


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じや ガ貴様の世話でそちの内へ 絞りに雇はれて折に付け いつぞやの座摩でも仕業(しごと) 久松め
がしる/\とおれが顔を眺めおると どふやら気味が悪いわい ハテ扨日頃に似合ぬ正直な事云ふ
わい 貴様を絞りに入て置くのも 久松めを目論(ろみ)にかけてぼい出す仕業の種油 あすは大晦日(つごもり)
仕廻仕業じや朝から来てたも 今夜は槌の子でも抱て寝る晩 そこて我等も隙貰ふ
て是から色の所へ行じや アゝそふかして月代もすつぱり アゝこりや障つてくれな たつた今床
で結ひ立てじや ムゝそれに又其風呂敷は何じやぞい 是か こりや立てに行大尽衣裳じや 内
からは来て出られぬ故爰迄小出し 羽織は則此隣りの古手屋ぶ誂へて置いた ヤコレ此間の

縮緬仕立てて有るかな ア何じや もふ追付出来ます エゝ遅い/\ 今夜色に店に行くのじや
爰から直ぐに着かへて行き 何でも今夜はえら立てじや 勘六貴様も弁慶に連れて行 其代おれ
を旦那あしらいにしてたも コレ 必久三といふまいぞと 太平楽の下稽古 隣りの恵方参りもそこ/\
にせはしう戻る久松が 摺り違ふたる提燈の 印に目早く見返る女 申し/\お若いの ハイどなた
でござります イヤ卒爾な事じやが若しお前はと 云つゝ明かりに顔見合せ 久松様か ヤア乳母の
お庄 是はとばつたり小提燈 ヲゝあぶない灯をけさずと とつくりと久しぶりの顔見ませふ 半元服


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さしやつてから お果なされた丈太夫様にとんと其儘 ヲゝきつとした能殿ぶりやの 此間の文定
めて見やしやんしたで有 乳母が日頃の念願叶ひ 今度殿様にお目出たで多くの科
人も御赦免なさるゝ折から 一つの功さへ立つならば丈太夫が?久松 和泉の本国へ帰参さする
は此時 其功の立て様は 先達て紛失の吉光の守り刀 則此度のお目出度小正月三日
鎧開きにお錺りなさるゝ それ迄に其刀を詮議して差上なば 跡目相続相違有らじと
御家老中の仰渡され まだ年も有けれど 親方様へ暇の願ひ 聞届けが有たかまだか マア
年越に健な顔見て 嬉しうござると余年なき 真身の詞に久松は 今更国へ逝なれぬ訳

  
明けていはれず 夫レはマア嬉しいが 師走の内もけふあすに成て 余りせはしい急な出世 そふして其
吉光の刀は手に入たかや さればいな 大坂谷町の質屋に有と聞た故尋に往たれば
其質は半年前に流したといふ 彼の刀の失せた折から お国を出奔した鈴木弥忠太 こい
つが盗んで立退たはしれて有る 其質の置き主の名を尋ねても云ぬからは 此質屋も相
対と思はるゝ フウ何といやる 谷町の質屋とは若し 山家屋とは云はぬか ヲゝそれ/\ 其山家
屋佐四郎 弥忠太は此長町に居るげな 慥な手かゝり有からは 必気づかひさしやんすな
まちつとの所じや煩ふまいぞ コレ 和子(わこ) ヲゝマアわしとした事が やつぱりぼん様の様に 追付千五


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百石の若旦那 立派な馬に乗せまして はいしい同勢お国入 お目出たふございます 何
から何迄乳母の深切 孤子(みなしご)に成久松けふ迄命恙ないも そなたの兄久作様のお情
其刀の質請にも 定めて金が入ふがの 是はたしにも成まいけれど 重々世話の恩
返し 万分の壱歩七つ八つ 守袋を明て出す はづみに落るお染が記請 隠すを
押さへて コレ申久松様 方向人に似合ぬこがね 誰に借しやつたぞ 合点が行ぬ アゝイヤ/\気
遣ひな事じやない 此壱歩は小遣ひにせいと御寮人様が下さつた 其書た物は大事の
守り こつちへたもいの イヤ待たしやんせ ハテ情深い御寮人様じやな シタガ余り親方の情過る

もよしあしの なには兎も有れしほらしいお前の志の金預つて置ませふ 此書た物は熊
野の牛王(ごわう)か定めて大切な守りで有ふ 神様の名の書た物 そゝこしうしては今の様に
つい溝へでも取落せば守りが却て其身に祟るこりやわしが預りますと ちらりと
見付て懐へくろめる乳母は守り神胸に納めて 久松様あすは私もお家へ参り供
々に暇の願ひ 親方持ちじやマア早ふ逝なしやんせ 諸事は翌(あし)たと云残し立別れては 立帰り
コレ申必国へ行のじやぞへ アゝどふやら済まぬ顔付じや ほんに又油断のならぬ いつ迄もぼん様じや
と思ふて居る内 終坊(ぼん)の親にならんすなへ コレ怪家さんすな和子(いと?) いとしや仕なれぬ奉公を


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と 昔と思へばひとしづく涙 洩らす師走空 見返り/\ 「別れ行 往来人だへ長町の
夜店の売り声 小歌物真似 なまいたんやほ 厄払ひましよ 落しましよヤアラ目
出たいな何ぼうめでたいな こなたの御寿命申そふなら 靍は千年亀じやないか 三か
六かと一ト所へ つぶやき夜の小働き ナント能仕事したか サアひがだいの幻妻(けんさい)侍に合て
物いふ間に ちぼ引た ヤア結構な守りじやな 中には壱歩書た物も入て有 日本
橋でてうふせふ アレ/\又幻妻がこつちへうせる いせ/\とばら/\に ちる三人を見付けた勘六
跡をしたふて飛で行 非道の刀遉世を 忍び頭巾の浪人に 小腰かゞめて 付添ふお庄

うさんな者と思し召 お名をお包みなさるゝは尤 昔過ぎた事なればお見忘れなさる筈
なれど 此方にはよふ覚へております 石津の御浪人鈴木弥忠太様 其時の同家中
相良丈太夫が家来 三平が女房のお庄でござりますはいな ハテ成程そふいやれば
見請た様な シテ此弥忠太には何の用 ハイお願ひがござりますあなた様が国元を お立
退きなさるゝ折節 紛失致した吉光の刀 其誤りで主人丈太夫家退転 此刀が今でも出
れば 主人の跡目相続致す 承れば当所の質屋 山家屋に質物に成り 限(きり)月は切れ
たれと其置主さへ知れたれば 質札を買取り 此方へ請戻したさ 色々と心を砕いて金子十


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五両 才覚致して参りました どふぞ其金で質札を 私へお売下されふならヤコレ/\何と
云めす スリヤ其質の置き主を 此弥忠太じやと聞召さつたか イヤ左様でもござりませ
ねど 夫レに又麁相千万其置主は則盗賊 さし付けて身共じやといやれば 此弥忠太を盗
賊といふも同し事 女と思ひ聞流せば 慮外至極とかさ押にきめ付くる イヤ全く左様ではなけれ共
若しあなたが此置主を 御存じならばおしらせなされて下さりませいを打けして アゝ師走
の果に左様の事 相人になる馬鹿が有ふか とはいふ物の 侍は相互い尋ねてやるまい物
でもないが 其詞偽りなくば十五両の金子 そこに持て居召されふの イヤ旅宿に

預けて置きました ムゝ手前も只今急用で 他所へ参る 明日参つてとくと談せふ お手
前の旅宿は何処だ ハイこんな事も有ふかと 則旅宿の所書き 認めて置きまし
たと 何心なふ懐へふつと気の付く守り袋 捜せど見へずはつと恟り イヤコレ/\身
も只今は心せき 重ねて緩りと早参ると 袂ふり切急ぎ行 アゝ是申し今暫く エゝ折
もおり今の守り若し人に拾はれては久松様の身の大事 それも気づかひ 今来た
道へ イヤ/\ 刀の詮議は延されぬと 我身は一つ二筋道 忠義一途に追ふて行 勘六
にしめ上られ 手をすりごうの痛い顔 アゝ申出します/\ 出しあがれ 今働いたは


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此守り 壱歩が八切れ其儘でござります まだ是斗じやない 何も角も吐き出し
おろと せごす後ろに立聞弥忠太 ヤアわしや勘六じやないか ヲゝ」弥忠太様か
弥忠太かとは横道者 うぬよふ身共をやつたな サゝゝゝ何にも云はしやますな コレ此
紙入はお前ので有ふがな ヤ何が ハテサお前のじや/\ 中にはしつかり 是が日外(いつぞや)の
入れかへ ナえいかへ ムゝ/\いかにも身共が紙入 よく盗んだな まだ/\コレ此印籠 ヲゝそれも
身共がのじや イエ/\其二た色は お前様のじやござりませぬと いふを云せずどう盗(ずり)めと
二人が寄て踏みつ蹴つ いがみの物取る大盗人に 命から/\゛逃て行 二人は跡を見廻して 弥

忠太様 先度の壱貫五百目は 丁半でころりと仕廻ふて ちぎ文もおはしまさぬ 夫レで
算用ずつてにさんせ エゝふといやつ そふして此紙入には何程有 ヤアこりやはした銭じや
ぞよ うまい人じや銀(かね)なら何のこなんにやらふ マア/\腹立てさんすな 此守り袋には
お性根が入て有たれど そりやおれが飲んで仕廻ふて 跡に書いた者が有る 慥に証文
と思はるゝ おりや読めぬによつて こな様に進上すると 渡せば取て夜店の明かり
ヤアゝこりや是 お染と久松が記請 よい物が手に入た 油屋へ仕かけてぐずりの
種 コレ/\そんなら二つ山じやぞやと 何でも取付く餅屋の隣り 待た暫く 此小助も


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其仲間へ入て貰をとぬつと出たる男ぶり 九三のどんざ引かへて 壱丁目脇差やつ仕立 当
世風の旦那衆天窓 弥忠太様何とえらいか 能事聞た 祝ひに今夜は我等立てじや
/\ そりや過分なが 未だ一口儲けの手筋 片付けて跡から参らふ ヲゝ此勘六も今一臼取てから
貴様の餅搗祝ひに行ふ そんなら勝曼で待て居る 打てくれ シヤン/\ 最一つせい しやん/\
祝ふて三度おしやしやんのしやん/\しやんと引別れ 葭簀(よしず)も折から能自分 行んとせしが
立とまり ハア併しと 久しう行かぬ馬場前(さき)の 田中屋へ行ふか アいや/\きやつが所はぶさた打
て有 それよ 勝曼の色めが醴(あまさけ)に 生姜入れて待て居る筈 先ず此方へと行ては戻り

アゝ可愛や髭剃のおふさが借銭の咄し 正月屋のぜんざいを お前と気入らずに
喰たいといふたが 是も行きたし醴も呑みたし どふせうか 斯勝曼六道の 辻に待たる以前
の丐(がい)共 こちらが仕事の 邪魔しをつた侍めはソレそいつじや たゝめ/\と三人が 有無を云さず引
立る 夢見た様な 小助が難義 恟りかけ出す勘六を そいつもぐるじやと 掴み付く
心得立て臼とり/\゛の 餅に片足踏んぎんで べつたり尻餅あも重ね 運
の杵(つき)臼掴み付く 真額(まつかう)げんのみ五文(げんこ)取り 起き上がつては又ころ/\ 取粉(こ)にまぶれて
顔(つら)真白どれがどれやら味方同士ぶつやら踏むやら暗紛れ 跡をも見すして 「走り行