仮想空間

趣味の変体仮名

傾城阿波の鳴門 第七


読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
     ニ10-01136


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  道行思ひの富士 第七
かね付けは 娘のはなれ時 はご板のえの雛様に 恋といふ物しり初めて 殿御持つ
夜の辻よ辻 お辻は二世と 親/\の其約束も名斗に 只思ひねの夢にだに 藤やを
見たしなつかしの いづくをあてに大坂のまち/\なりし世の噂 若しも此世におはせずば 長き未来へ
嫁入と思ひ 詰ても振袖に涙かたしく手枕に 馴し家居を立出て親の闇に迷ひ行 心の
内ぞやるせなき 恋風や 其扇やのかな山と 名に立登る夕霧が ふりみふらずみ空情 あはぬ客
衆はいくよさか 裏紫の頬かむり深いと人も赦し色 ゆかり藤やの伊左衛門しのぶぶとすれど古の花へ


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嵐に落果し 身の行末と定めなき水の流れのうきくがい紋日/\の八もんじ 禿立から生花の水上初めし
昔より かはい男は只一人 外の客衆へ空言の せいしの烏きぬ/\゛に 泣すも熊野の御罰かや過し口舌は
吉田やの二かいざしきに揚の客 夫をひそかの廻り気な 万才傾城置てくれ 見るもいやに
まします心のくさつたけちまんざい よく客にごまんざい けふ立帰るあしたより 外の色と立かへけるは誠
にめでたふ侍ける そりや何いはんす伊州さん 夕霧をこな様はまだ傾城と思ふてか 去年
の冬から丸一年 二年越に音信(おとづれ)なくそれがこうじて癪の種 せん薬とねり薬と鍼の力
で漸と命繋でいた物を あいそづかしは何事と泣は女郎のお定まり 客に逢ての空涙 雨の

ごとくにふらす故 大雨と是を名付たり アレまだむごい事斗 癪がうそなら是見てと
じつと取手にさすが又 いなにはあらぬ引舟の綱がきてんの一つ夜具 後は互にいふ事も何
のかはいが高ぞかし おなじ恋路の迷ひ道お辻は見るより走り寄り のふ伊左衛門様かいのと其儘
ひざにうく露のたまにあふてもそれぞとは 得も夕霧が気を兼て ついに見しらぬ女中
様 いづくの誰とよそめけば覚へがないとは余りぞや 親と親とのいひ名付 嫁といふ名
は有ながら袖も得詰ず此儘で 尼に成れとのお心か 夫(それ)も誰故川たけの つれなき霧に隔て
られ水に数書くうかれ舟 こがれ死とはどうよくと うき年月の溜涙 早汲取し粋の徳 お辻様


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とはあなたかへ おいとしぼい共お道理共 こふした定る奥様のわたし故共思さふが ほんにせい
もんおふたりの中をへだつる心はない それ斗は辻さんの お気の廻りのすね詞 そも逢かゝる
始めから女房はないと間に合な 今さらのくにものかれぬはいとしらしいが病じやと かんにんし
てとかきくどきすがる袂の妻と妻 町とくるわの品かはり色はかはらぬ一筋や 傾城の真
実誠がしらせたい コチヤ真実殿御に思はれて色里の一夜は勤がして見たい 一夜の情有も
せぬつらき恋しさかはいさの ぎりとぎりとにからまれて ふじやも心ばら/\の一村雨を誘ひくる 嵐を人と
忍ふ身は そこよ木かげを尋詫走れと跡へ夢心覚ては現 空蝉の泣く音斗や「のこるらん

夢の浮世に借駕籠の 仮寝の夢や結ぶらん ヤイ権よ 旦那殿はきつい魘(おそはれ) ホンニナア どりや起
そふと駕籠のたれを引上て 申/\とゆり起せばふつと目覚す伊左衛門 走り出れば引とゞめ ア申/\どこへ
お出なされますと 云にはつと心付 ムゝ正(まさ)しふお辻と夕霧が悋気のほむら 扨は夢で有たかとほつ
と溜息つく斗 二人の駕籠は合点行ず エゝ聞へた コリヤ夢かな見やしやりました物で有ふ サア申し
極の長町裏 毘沙門でござります ヲゝいかひ大義でござつた ソレ駕籠 ハイ/\/\ そんならお
静にお出なされませい 又住吉参りの節は お乗なされて下さりませ サア/\こいと駕籠舁
上げ 別れてこそは帰りける かゝる所へいつきせき とつぱかふの武太六は 夫と見るよりハツト斗 笠傾け


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て行んとする コリヤ伊左衛門おれを見て逃ふとは横着 われに合ふと思ふて今長町へ行く所 よい所で出くはした
取かへた銀今更取ふサア渡せ 成程御尤去ながら 昨日も状で申した通り今と云ては調はぬ どふぞ此月
中に ヤアだまれ コリヤ一昨日といふた日限が切れたぞよ われも昔は藤屋の伊左衛門と云大身体 今すかんぴん
になつても 別家の手代が貢ではくれますけれど つど/\には云にくい 身分にちつと入用な銀 男と見込
で頼ますと 手をすつて頼んだ故取かへた五十両かゝりう人の夕霧めと われが中に遣ふた銀半時も待
事ならぬ サア今渡せ サア今といふては ないとぬかすのか こちにも急に入用な事か有 サア今渡
待つ事ならぬ ソリヤ余り無理といふ物 何がむりじや/\ 金借てまだ其上に無理と云斗 了簡

が猶ならぬ ぜひ戻さにや代官所へ サア/\こいと引立行んとする所 とくより立聞銀重郎 武太六が手を
もぎ放し突退れば ヤア銀十郎殿 伊左衛門様 気遣せずとだまつてござれと 落付詞にヤイ銀十郎 いら
ざる所へ出て何で邪魔すつ ヲゝさつきにからの様子皆聞た 高が金ずく 此お人様の事なれば 私が世
話せねばならぬお方 其銀の出入わしにめんじて けふはマア待て貰ふ コレおれも銀十郎といふては 誰
しらぬ者もない男われも又とつぱ株の武太六といふて ぐずり中間のすい方なれど余りあや抜のせ
ぬせりふ 取かへた銀高詮議の仕様も有れど 借たが誤今は云ぬ 五十両にして 此銀十郎が待
て貰はふかい ムン挨拶人か面白い 夫なら待てやらふが 明日の晩切に急度済さふといふ証文が書て


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貰ひたい 何じや証文書け ハテそつちに違はぬ慥な証拠 それがいやなら伊左衛門を代官所へ引ずつて
行 サア/\どふじやと 弱身に付込一言に 成程/\ 気の済む事なら証文書ふ ハテ夫ではコレ/\伊左衛門
私が胸に有事気遣ひは御無用と やたての筆を追取てさら/\と書認め 是で能かと
指出せば 受取りてとつくと見 判はなふてもわれが直筆必明日の晩じやそよ ハテばか念つかずと
早ふいね ヲゝいぬるをわれに習ふかと足も心もとつぱかぶ 鼻いからして立帰る 伊左衛門打しほれ いつぞや
こなたの情により 夕霧と一しよに居れど少しなり共助右衛門の世話を助けふと思ふ揺れに此しだら 仮
初ながら五十両と云金 又もやこなたに苦労をかけ もしや別義に成まいかと 涙ぐめば ハテお前をお世

話するはお主への恩がへし 御礼には及びませぬ あすの晩迄受合た詞は金鉄 お気遣なされますな
モウ追付日も暮れば早ふお帰り そんなら今の金の事は ハテよござります 何もかも私任せ
おさらば/\と銀十郎 玉造へと立帰る 跡見送つて伊左衛門 エゝ頼母しい十郎兵衛殿と 手を合せて後影
拝む心の細道伝ひ 罪科防ぐ水晶の珠数(じゆず)も涙に笠の内 ヤアお弓殿 伊左衛門様 是は/\思ひも寄
ぬ マア此間は暫くお目に されば/\逢ぬが先とたつた今 銀十郎殿にもお目にかゝり 又我故に差しつめた
金のさいかく お弓殿の手前も気の毒 ヲゝあのおつしやる事はいの お世話致さにやならぬおまへ
夫は少しも厭はねど 只気かゝりは夫の身の上 ハテどふがなと目に溜る 涙隠せば伊左衛門 コレお弓


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殿 見ればそもじは涙ぐみ 顔の色もきつう悪いが心持でも悪いかと 尋にお弓は打しほれ 包め
共色外に顕はるゝ お咄申すも恥しき夫の身の上 幸い傍(あたり)に人もなし私が病の元 コレ是を見て下さり
ませと上着の肩を脱ければ 下には浄土の五條袈裟 かけしはいかにと伊左衛門 猶も不審は晴やらず
かゝる所へ鈍才坊勧化廻りの戻りがけ 何事やらんと立聞共 知らぬお弓は顔ふり上 御不審尤
いつぞや夫が勘当の詫 願へど叶はぬ其場のしぎ 兼て主人のお預り有し殿の重宝 紛
失して行き方しれず 其刀の詮議を仕出し 夫(それ)を切に勘当の詫言せんととつ置つ 忠義一図
に夫十郎兵衛 切取盗も刀の詮議 お主の為とは云ながら 盗賊衒と呼れたる其科は遁

難い今日や召捕らるゝか 明日や夫の身の上かと 日影を待たぬ憂思ひ コレ此袈裟はいつぞや
お寺にて 盗取たる打敷と 聞てはつとは思へ共 是幸いと我々が袈裟にかけ お仕置に
あふならば 少しは仏のお助にて せめて未来は夫と供に 成仏願ふ夫が身の上 是に付ても思ひ
出すは 三つの時国に残せし娘のお靍 嘸二親を尋ふと思ふ程猶此身の罪 命の内に今一
目推量有と泣涙 空かき曇春雨の又降しきるごとく也 伊左衛門涙にむせび アゝ段々のお咄
ガ最前我身の難義の時 五十両といふ金を明る中に戻す請合 今の様子を聞た上はとふもお世話も アゝ
イエ/\ 夫が一旦お受合申した事は返せぬきしつ 胸にせまつてあられもないお咄し 日も暮ればお別れ


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申しませふ いかふ暮ぬ中早ふお帰りおさらば/\と暇乞 伊左衛門はしほ/\と 長町さして帰りける お弓も泣目を押拭ひ立
帰らんとする所に 最前より様子を聞注進したる鈍才坊 捕人に案内し欠け来り ソレあの女遁すなと 云にお
弓は恟りし コリヤ何となされます ヤア何とはまが/\しい 最前様子は慥に聞た いつぞや寺へ盗にうせたは儕が夫 其
時盗だ打敷をけさにかけたが慥な証拠 ヤア隠してもモウ遁れん サアかせおれと立寄る鈍才 心得お弓が早足(さそく)の
やはら コリヤしれ者と取付捕人 右と左へ刎返され又取つくを向ふつき 體は撓むお弓が早業 前へどつさり投付れば 後搦
の蔦葛身をかい沈で真倒(まっさかさま)一度にかゝるをお弓が気転砂を掴で投かくれば 眼へはいつてあいたしと 狼狽廻くら紛れ
長町泊の弾語瞽女がとぼ/\行留り かつぱと伝へばしてやつたと 折重つて大勢が 押ゆる隙間嬉しやと 足早にこそ