仮想空間

趣味の変体仮名

火水風災難輯(一) 5~10ページ

読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2592140?tocOpened=1

 

1

地震風火水災綴 一

 

5

(上)

 大地震のはなし

夫山城の国平安の都は其昔桓武

天皇草創の地にして四神相応の場

万代ふえきのみやことかや 然るに当文政

十三年寅七月二日三日両日両夜大地震

にて山崩れ加茂川大井桂川あぶれて

洛中にいたる山々東山西山愛宕鞍馬

裾通さが御室高雄山 扨洛中の民家は

たおれ人多くけがあり 疵付者ニ三万人

及ぶ 死人弐千余人なり 堂塔伽藍は

両門跡を初め祇園清水知恩院八坂塔

東寺のとう大寺大塔悉くたをゝれ

武家方御屋敷公家衆御殿向こと/\く

ゆりたおす宮門政方は八方被立退き被遊

然れとも大地をふむ者みなたおれふし

一足も行事不成 四方の山に水あふれ逃

場に迷ひ人多く死す 牛馬鶏犬抔迄

数多失す 誠に目も当られぬ有様なり

 

二日三日四日

其内五六友

ほとは

殊の外

つよく

其せつは

 

をふ らいへ

たゝみ

戸なぞ

持出し

其上にて

 

老若男女にも神ふつをいのりおかけにや四日の夜あけ

七つ時よふ/\しつまり夫より大あめしきりにふり

出し殊に伏見なぞにて其三日の日しんとおいたし老

若男女きいのおもひをなし候得ともこれまつ

たく王城の地ゆへけかもなくしつまりしとかや

 

 

6

?な山

??

白根町

つはめ丁

よつた

 

此所人いへ

多く

たをるゝ

 

今町

地蔵堂

 

越後の国大地震

 

いづもざき

北うみ

佐渡

 

此山ゆりくずれうみへ

おいいだす

 

かみ?

八ひこ大明神

 

にいがた

柴田

村上

水原

新津

村松

奥州通

 

三條町 此所

 

文政十一子年

十一月十二日同く

あさ五つ時より

大地しんゆりいだし

十四日迄 三日の

あいたちうや

ゆりやます

うみへとふり

いつもざき

 

大茂丁

見つけ丁

長岡

 

(下段)

椎谷

東本くわん寺 大門

本どう

 

二間

四方

よこ

八間

四方

くり 十二間

三十三間

 

北国かい道

柏ざき

高田

 

御堂

むき

のこらず

たおるゝ

 

川つゝき

 

八彦明神の

山大にくづれて

海の中へおしいだし

 

同所

三條まち

つばめ町

また

東御門ぜきみどう大門

のこらすゆりたおし其外 

山川くずれこぼり 田はた 大地へ

あぶれいて 人馬けが人

数しれず

凡いへかず八千げん余

たをれくずれ牛馬三千余

も打ころされ

こゝんまれなる大地しん

そのあらましを

こゝにうつしぬ

 

塩沢宿(?)

信濃川

三国通り

上田行

 

 

7

此は嘉永二酉とし八月

廿四日九つ半とき弁けいはし

辺より出火折ふし北風はげ

しく此へんのこらす松枝丁

松下丁代地こんや丁九軒丁

大和丁岩井丁上納地もと

岩井丁夫より大門通亀井丁

うらおもて小伝馬一丁めより

三丁メ迄同新道油丁

片かは中ほと迄大てんま

二丁め三丁目迄(大)のこる

通りはたこ丁田所丁

はせ川丁三光新みち中ほと

人形丁のとふりいつみ丁のこり

堺丁また一口はほり止より

新材木丁杉のもりのり物丁

かくやしん道ふきや丁よし丁

甚左衛門丁大さか丁小あみ丁

壱丁めよこ丁にてやけ止り

あくる五つとき風もやみ火

しつまりて諸人やふ/\

あんどのおもひをなし候へは

?のあらましをしるしす

 

(下段)

 覚

類焼にて窮民

御小屋入相願候者は

居町町役人?届に

およばず直に当所え

願出(いづ)べきもの也

御小屋入之者日々

御賄(まかない)被下(くだされ)可稼(かせぐべき)方は

勝手次第当人えは

元手銭被下(くだされ)候事

 

 御小屋

 すじかい

 四日市

 八丁堀

  間口六坪

  奥行五十四間

 

正月十五日類焼人数

 男女六万四千三百八十五人

御すくい 米三升

     銭 弐百文つゝ

米高 三斗俵に直し

 六千四百三十八俵壱斗五升

銭壱両に六貫五百文

 

金に

 〆千九百七十一両

      壱貫五百文

 

8(空白)

 

 

9

かゝる目出度御代に天命のなす

処是非なき珎事おしむへし

爰に弘化四未年三月廿四日夜四つ

時頃ゟ信州水内郡えん近大

地震細仰神善光寺ヲ初メつよ

くゆりうこき堂塔伽藍かへ堂末

社寺院其外人家夥しくゆり崩

れ村里ノ類焼川々のこう水あん

夜の事にて夜もすからしんどうし

然八人馬の損毛も有由

東は丹波嶋川田■松代屋代

戸倉坂本■上田此辺殊につよく

してかい道筋大石道にゆり出

大地さけ田中■小諸追分くつかけ

かるい沢上州口處まで

南は稲荷山青柳会田刈屋原

岡田■松本辺是亦殊外しん

どうし人家やら焼失してさうとふ

大かたならす近へんの大川水夥しく

善光寺境内」

「たすけ??」

 

(下段)

是がいに人馬の損耗有り

西は長沼へん村々あら町柏原

野尻越後口まで其外遠近

の村里其数あげてかそへ人

と(?)も貴賤の男女老たるを

助け幼ヲいたいてなけきかな

しむこへ野にみつ山にひゞき

あはれにも亦あまりあり

されは善光寺本堂は聊

破損のうれいなく安泰なる

は三国一の霊仏の

威徳殊に尊き事

ともなり然に御代官亦は

御領主の御手配り殊外

行届類焼洪水のふせきもよく

よく朝六つ時頃にはこと/\く止ぬ

兎角人馬の死亡なきは

是そ治る御代印なるべし

他国の親族此書を見て安堵成へし

 

 

10

   鹿嶋神託所より鯰共一統に申渡しの事

 

一 鯰共の義は古来より申渡し置通り九八は病ひ五七が

雨に四つ日でり六つ八つならば風としるべしとの御詠歌を

守り時候不順の折を見あわせ質素に渡世致す

べき處諸神出雲へ御出仕の御跡にて先例の

掟を背き御府内近在とも乱妨いたし家蔵

身体を

ゆすりちらす

のみならず

どうるいの

出火を

誘引(さそひ)

出し

格別の

風もこれ

なきに

数ヶ所焼

はらひ候段

八百万の神

恐れざる

いたし方

ぬらち至極に付

四つ手を以て

一疋ももらさず

すくひあげ

蒲やき所に

おいて大道ざきの

うへ火あふりにも

行ふべきところ

格別の御慈悲を

もつて日本六十余州追放

仰付らるゝものなり若此後御構ひ場所へ立寄いたぶりがましき義これ有においては

早速地引をもつてからめ取急度酒菜に行ふべきものなり 太平元年 おち月十日目