仮想空間

趣味の変体仮名

宝永千歳記 巻之四(コマ15~20下段のみ)

読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2554613?tocOpened=1

 

 

(巻之四:コマ20まで下段を続けて読みます)

 

15

宝永千歳記巻之第四

宝永二年三月朔日より京大坂伊勢路に於て金銀米(べい)

銭(せん)衣服器財食物等にカフィラズぬけ参に志をなす人数帳(にんじゆてう)

(上段)

  京都の部 二十二  

▲京室町三井より。毎年両宮(ぐう)

へ。百両づゝの太太神楽を奉る。

当年は此金子二百両を千貫

の銭となし。ぬけ参に施す。

但一人に百文づゝ也。亦勢州松

坂にて。米五百石を小豆の飯(いひ)

となし。ほどこす

▲同室町富山より。右に同じき

 

 

16

程ほとこす。松坂にても此家

には。銭五百貫を。五十文づゝ与(あたふ)

▲同いづ蔵より。手拭に銭五十

文づゝ添毎日銭五十貫。木綿百

たんづゝほどこす

▲三条室町の角より。布壱尺

五寸を袋とし。内に銭廿五文を

入。心ざす

室町通。加賀屋平三郎より。

金百両を銭となし。三十文づゝ心

ざす。此かゞやは霊性(れいしやう)俗(ぞく)たりし

ときの主人なり

 

三条通蚊帳(かや)屋道祝(どうしう)より。金

百両を銭となし。心ざす

▲同町松葉屋十右衛門より。米

百石を。一升づゝ紙ぶくろに入。白(しら)

河(かわ)ばしに出。ほどこす

▲三木撞十郎より。大津にいで。

毎日米十石づゝ飯となし。四月

朔日より。十三日まで施す

▲しなのや善五郎より。十二三

より下の童(わらは)にはだぢばん

五千を。こゝとざす右もめん代。

百十六両なり

 

 

17

▲たまや妙寿(めうじゆ)より。三条大橋

つめに出。きやはん手ぬぐひ

を心ざす。五貫六百目が木綿を買(かふ)

▲同所にて銭二百文づゝ。何れか

屋敷がたより。ほどこす

三条小橋の角。おびや太郎兵衛

より。すげ笠をほどこす。卯

月朔日より。同十六日まで。壱

万八千がい。三貫八百九十目が。

かさなり

▲五条の橋東へ二丁目角万(よろつ)屋

喜兵衛かたにても。丸に五の字

 

をかく。すげ笠をほどこす。是は

閏四月九日より。廿三日まで。十

二日の間に。八千七百五十かい。也

五条の橋東へ一丁目。大和屋利

兵衛より。わらんずかけを施す。

閏卯月六日より。廿二日まで千

弐百そくなり

五条通八なんのまへの。町中

として。金百五十両を。銭となし

ほどこす

四条松屋宗貞(てい)より。半紙五十

丸を。一帖づゝほどこす

 

 

18

三条通室町東へ入町。ひしや

権兵衛より。大津へ出むかい。夜(よ)

に入京へ下こうの人に。ちやう燈

に火ともし施す。卯月六日ゟ

晦日まで提ちんかず六千八百。

らうそくもとに。銀高四貫五

百目なり

たこ薬師通。大宮東へ入ル十万

人講より。右におなじき。ちやう

ちん五十をほどこす

右之外洛中の町々ごとに。十

貫弐十貫。銭をあつめ。三条に

 

出ほどこす人その数をしらず

あるひはたばこきせるつえ

我いちと心ざしをなす亦せつ

たいの茶などは家ごとに煮(たき)

ほどこす大津川口町衆として

銭五百貫を三十づゝ施し又札

の辻に出五月が間酒をほどこす

毎日十石づゝなり肴に塩鯛

をいだす

▲八丁の宿屋ぬけ参りのぶん。

六日があいだ。いか程にても。こゝ

ろざしにやどをかす

 

 

19

▲大津百艘中間(なかま)より。船三どう

をきしん船として。ぬけ参を

やばせに。わたす

▲やばせ舟もち中より。寄進

舟五そうを出し。参り下向

をのせ渡すあるひは大津の

ふな場に下向の船着ときは。

参宮人勝手あしきゆへ。この

たびは。膳所(ぜぜ)御城下のほとりへ。

舟を付さしめ給ふ。御城主ゟ

御奉行を出し。船場にてけが

なきやうに。仰付らる

 

▲勢田の橋づめ酒や六左衛門ゟ

銭二十づゝほどこす。あるひは酒

を乞ものには酒をあたふ

草津うばが餅屋にも。まづ

しき。ぬけ参りにはもち十ヲ

づゝほどこす。此外すべて道

中茶や酒や抔(とう)つねにかわり。

それ/\の心ざしをなす。或は

宿々(しゆく/\)等(とう)も所の御司(つかさ)より。奉

行衆に仰付られ。過分なる

はたご。木ちん。取まじき

よし。猶まづしきぬけ参は。

 

 

20

大切に致(いたす)べじよし仰付らす。

是によつて。泊り/\も。まづし

きものは。あたひをとらず。食

事のぞみに。ほどこす。関。地

蔵のまへにて。所のはたごや

中として。わらんず三ぞくに。

ぜに五十文づゝ。人別(にんべつ)にほどこす。

別(べつし)て津。松坂に心ざしなす

人多くあり。且(かつ)又此度は宿や

に。こと/\くとまること。なりが

たきゆへ。在(ざい)/\にわけ入。のふ

家(か)に宿をとらせ。あるひは。農

 

家へ道の程とをき所は。野原

にかり家(や)を。たてさせ。宿をな

さしめたまふ。又宮川の垢離(こうり)。

此度は御ゆるしとして。手水(てうず)

にて身をきよむ。あるひはす

べての御師かたに。酒食たく

さんに。もてなしたもふ。其膳

部。家ごとに。いく千万の限り

なく。其高つもりがたし又

御師がたより。宮川に出。御祓

に。つくね飯(いひ)をそへてあたふ。又

路銭にも。不自由の者には。与(あたへ) たまふ

 

(コマ15下段へつづく)

 

15(下段)

  大坂の部

片町ならや勘右衛門よち。銭

五十文づゝ閏卯月十六日より。

同廿一日まて。毎日五十貫づゝ

ほどこす。合て三百貫なり。是

大坂にてぬけまいりに。銭を

ほとこす始(はじめ)なり

▲同町山城屋清左衛門より。わ

らんず五万足を。六日が間。施(ほどこす)

 

 

16

▲同町かめや平九郎ゟ。もめん

の切。手ぬぐひ下帯ゆもじな

ど。其人々の望に。したがい施

▲閏卯月廿二日に。おびたゝしき

雨ふりければ。天満池田や茂三

郎より。手しまこざ千五百枚

を。片町に出ほどこす。およそ閏

卯月廿二三日ごろゟ。大坂中の

人ぬけ参を。もつはらに心ざす

是よりして。町々家々より

我一とほどこすをなす。其体(てい)

京都に勝りて猶おびたゝし

 

▲北濱備前屋七左衛門ゟ。片町に

出。紙ぶくろに米一升つゝ詰五百

石ほどこす

▲今橋。両がいや中間ゟ。道中

へ出。人別に弐朱づゝ。ほどこす

▲中の嶋。なだや平右衛門方ゟ

も。京橋に出。米五号に。銭三十を

そへて。ほどこす

▲土佐堀。千種(ちくさ)や善吉より。

右におなし

▲鴻(かう)の池(いけ)一統(とう)として。天神橋の

はまに出。壱人に銭百文づゝ

 

 

17

ほどこし。そのうへ大船(せん)六そうを

毎日仕立(したて)。ぬけ参りを。伏見迄

おくらしめ。下りにも又ふしみゟ

のせ下る

▲北濱(ばま)壱丁目。二丁目ゟ。天神

ばしの濱に出。銭五十文づゝ。あ?(た)

へて後。酒食のぞみ次第に施

▲今橋一町目より。銭五百貫を

あつめ。三十文づゝほどこし。外に

ちやうちん百をこしらへ。かち

にて夜(よる)行(ゆく)。ぬけ参りを。佐太

平方までも。よのあらん限り

 

おくらしむ。又二丁目尼が崎町

も右におなし

▲今橋一丁目。ひのや九兵衛ゟ

自分に心ざし。壱人に銭二百

文づゝ。三日ほどこす

▲同町さかいやより。半紙一帖

づゝほどこす毎日十丸づゝ也

▲高麗(かうらい)橋一丁目ゟ。天神ばしの

はまに出。毎日四五百貫づゝ入次

第にほどこす。同町もみ屋。

日野やなどにも。一分の心ざし

をなし、見せにてほどこす

 

 

18

▲同二丁目古手や町より道

中水口(みなくち)に出毎日三百貫づゝ

ほどこす是は道中にて若(もし)

路銭遣切たるものゝ為を思(おもひ)

しかなり

▲同町西川屋治兵衛ほかに

自分の心さし見せにて銭を

ほとこす人別二十文づゝ

▲道修(どうしゆ)町一丁目ゟ。銭千貫を

あつめ堺すぢ角にて。ほどこ

す。同町小西三四郎ゟ。外に

自分の心ざし。銭三百貫を施

 

▲同二丁目より。大船(せん)五そう

を仕たて。毎日ぬけ参りを。

ふしみまでおくらしむ。但船

中へ。赤飯を入あたふ

▲平野町一丁目。二丁目。内平

野町など。すべて千貫づゝ

ほどこす。此外すべての町内

に。何れも銭をほどこし。或は

本町壱丁目には肌ぢばんを

心ざす人有。閏卯月廿三日ゟ。

晦日まで。ぢばん千六百也。

日本橋にて。うちわを。あた

 

 

19

ゆる事。まい日二万五六千。

あるひは三万本をほどこす

▲新うつぼ町中ゟ。天神橋

に出。かつをぶし一節づゝ。あたふ。

是は道中にて。肴とぼしき

こと。聞つたえてなり

▲しあん橋のつめ。はりまや

忠次郎ゟ。めしがうりと貫ざ

しをいたす。毎日二万五千余也

▲北国(ほつこく)たより。すぐに此かう

りに食(めし)をつめ。ならづけ香の

ものを。入あたゆる

 

▲長堀ちくさや市郎左衛門よち。

八間(はちけん)屋の濱に出。もゝ引 きや

はん。うちかけ。其人の望に

まかせ。毎日ほどこす

▲中の嶋ひごや藤蔵より。八

間屋に出。すげ笠に。布づ

きんをそへ。ほどこす

▲伏見ごふく町より。八間や

に出。毎日二万七八千人づゝ。染(そめ)ゆ

たんをほどこす

▲堺すじ。小間物や中より。八

間やのはまに出。下向の者に

 

 

20

何にても望にまかせ小間物

をほどこす

油(あぶら)町。鰯屋四郎兵衛ゟ。銭三十

文づゝほとこす

右の外茶たばこ。くわし類

にたるまで。八間屋の濱に出。

あたゆる事言語(ごんご)におよばず

  堺の部

海部(かいふ)屋より。人別銭百文づゝ

三日が間ほどこす

▲具足屋より。食ごをりに

めし干肴(ほしさかな)かうの物を入て。施

 

▲いびすいゟ。すけ笠に銭

三十文づゝそへてほどこす

胡麻屋より。半紙一帖づゝ

三日ほどこす

▲たかさぶゟ米一升づゝ。袋に

入てほどこす

▲いわしやゟ。手ぬぐひに銭三

十文づゝそへて。ほとこす

▲えびすの丁布や善兵衛ゟ

新ばしに出すげ笠に丸に堺

と云字を書ほどこす。此外大(おほ)

小路(しようじ)又南橋(みなみのはし)・北橋(きたのはし)にて施人多し

 

 

21

右の外関東より。参宮人数数万なるゆへ。江戸中の町人ゟ。

しな川表(おもて)へ出。ほどこしをなす事あげてかぞへがたし。依て

是をりやくす。且又大坂において。閏卯月中旬より。爰かし

こに御はらひふらせ給ふ。はじめのほどは皆人いぶかしく。

おもひしかど。眼前(がんぜん)に。見およびしゆへ。略(ほゞ)こゝにしるす

   大坂御霊(ごりやう)の宮(みや)へ納(おさめ)たてまつる御祓(おはらい)

大坂備後町五丁目。はりまや源右衛門借家。ふなや五兵衛と

いふ者の一子。閏卯月廿三日に。ぬけ参宮をなしぬ。年六才

なり。父五兵衛はつねに江戸上下をなしけるが。此度も先月

より。江戸に下り。やどに居ず。母一子が。おさなくて。ぬけ参を

なせし事。かぎりなく。うれへ。いまだ東西だにわかたぬ

者の。かゝるくんじゆに。定てあやまちも。いたす。へきにや。

 

人なみに。参宮の心ざしこそ。やさしけれと泣啼(りうてい)こがれて。

なげくこと。かぎりなし。内に老母あり。其年。七しゆんに。あ

まりき。此女つねに孝行なりしが。此たびも老母はおわする

夫(おつと)は留すなり。我も参りて一子に。たづねあわんことも成

がたしと。さま/\にかこちき。かゝる所に其辺の人。くんじゆ

をなし。そらより何やらんまひさがるとて。そらをなが

む。やゝはるかの空より。やう/\と舞さがり。此五兵衛が。やね

におつる。人々あやしみ。屋ねにあがり是を見るに。まことに

ふしぎや御祓に。御へいを切かけ天よりくだらせたまふ

時。女これを拝したてまつりしより。少もうれうる事なし。

まづは五兵衛いえに。此御はらひを取いれけれども。かゝる

奇瑞を諸人にもおがましめんとて。町のかしらたるひと

 

 

22

さはいして。則(すなはち)御霊(ごりやう)大明神におさめ。御神前にて諸人

におがませ奉る。難波(なには)の人尊祭(そんさい)して。此宮にくんじゆ7をなす

事。いく千万のかぎりなし。御祓あまくだらせたまふ。夫(それ)

より六日を過(すぎ)。一子つゝがなく。下向をなしぬ。誠に有難き

御奇瑞ま。のあたりに諸人の見奉りし事。うたがふべからず

   戸閉(とざゝ)ぬ御代堺の御奇瑞

長者町小(こ)にし甚左衛門かしやに。わたや伊兵衛といへる

人。つねに大神宮を。そんきやうし奉る。しかるに此度の。御きづ

い。あるひは御はらひふらせたもふを。眼(がん)ぜんに見およびしかは。

いとゞたつとみ奉り。家には外(そと)より錠をおろし家(か)ない。の

こらす参宮をなしぬ。それより二日を過。とうぞく此ていを

うかゞひ。たな下のかべを切ぬき。財ほうあらまし。に盗み

 

とり。もとの入口より出んと。くびさしいだせしに。ふしぎや

首すじ切くちのかべにとりつき。すゝむにもしりぞくにも

かなわざれば。いかゞともすべきやうなし。翌朝(よくてう)きん所の人。

是を見つけ。引出さんといたしけれども。さらにいでず。これ

神明の御きすいなれば。人力にはかないがたしいかゞはせんと口

ぐちに評議をぞなしぬ。ある人云。此あるじ下向の後。わびこと

なさば。もし五たいつゝがなくして出る事侍らん。さなくては

のがるゝ事。かなふまじきよし申に。町中せんかたなく。朝夕(てうせき)の

食事も。くゝめてくらはしめ。すでに九日をぞ過(すご)あいき。ぜん

だいみもんの御奇どくなりとて近国よりきゝつたへ けん

物(ぶつ)の人山のごとし。すでに伊兵衛下こうして。此とがゆるし侍

るよし申に。たちまち五体かべよりもはなれ。其体べち

 

 

23

儀なし。是によつて堺の人。参宮なすに。何れも家内うち

つれ出。あとに心をのこすことなし。是ぞまことの戸ざゝぬ御

代。いとめでたくぞはんべりき

   誓(ちかひ)は同し伊勢の神風

伝之助問(とふて)曰。此たび参宮いたし侍りしに。外宮内宮とて。両

宮わたらせ給ふが。何れが真(まこと)の天照大神宮にてわたらせ

たまふや。言粋(ごんすい)答て曰。此事深秘(じんひ)のその一なれども汝が

ごとく。世の人もまたまどふ事なれば。略(ほゞ)その子(し)さいをいふ

べし。尊神(そんじん)御出生の次第をいへば。外宮はさきにして國

常立尊(とこたちのみこと)内宮はのちにして天照大神なり。又御鎮座を云へば。

内宮はさきにして。外宮は内くうの御つげにより。後に

御鎮座なり。対するときは。内くうを日神と号し。外宮を

 

月神と号す。月神と申奉るとて。月読(よみ)のみことの御事

にては。ましまさず月よみのみことは内くうにも外宮にも

別くうにましませば。まどふべき事ならず。猶ふかきなしひ有。

件(くだん)の子細は。その祠官(しくわん)ならずしてあまねく人の。しるべき

ことならねど。世の人二くうを偏頗(へんは)しておもふかたもあれば。

略(ほゞ)爰にしるすものなり。天照(せう)は二宮(くう)の通称。大神は大廟(たいべう)の

本(ほん)号とも古記にはんべれば。いよ/\偏頗すべからざること

歟(か)。まことに陰陽ちうや。両眼りやう手。いおづれを廃して可(か)

ならんや。二宮一光(くわう)のことはり。わきまふべし。あるうたに

  かたそぎの千木(ちぎ)はうち外(と)にかはれども

    ちかひはおなし伊勢の神かせ

かやうのうたにても。さとらるべしといふに。伝之助も悟りを

 

 

24

ひらきいよ/\尊敬(そんけう)をなし奉き

   大神宮御奇瑞問答

伝之助言粋にとい。かやうに御はらひなど。爰かしこへ降(ふり)。

又諸こくの人民老にやく。なんによ。五さい七才のわらは。其

はるかなる道を。いとはず。たやすく参ぐう。こゝろざすこ

とは。むかしもその例(れい)はんべる事にや。言粋いわく。かやうに

世の人うちうるをひ。われ一と参ぐうをなし。あるひは御

はらいふりたもふとて。諸人こぞてつ尊きやうなし。た

てまつる事は。是いにしへの垂仁(すいにん)。成務(せいむ)の聖代(せいだい)に。ひとしく。

国家豊穣(ほうによう)のずいそうと。しりたもふべし。其しさいは。古(むかし)

垂仁天皇御ざい位。二十五年に。御はらひふらせたまひ。

神変(じんへん)奇特を。あらはし給ふにより。皇女やまと姫(びめ)の命(みこと)を

 

もつて。天照大神を。いせの国。五十鈴の川上に。まつり奉り

たまふ。それより天下安穏にして。御在位九十九年。御

寿命百四十歳。万民歓らくして。目出度御代なりき。又

成務天皇の御とき。武内のすくねといふ人を。大臣として。

まつりごとを。おこなはしめ給ふに。五こくゆたかにして。天

下無事なりしかば。万民よろこび。たのしみをきわめ。いせ

参ぐうのもの。其かずをしらず。御在位六十年。御よはひ

百七歳。是また目出たき。御代なりき。又仁徳天皇あめが

した。しろしめす事。三十九年。卯月中旬。天下御はらい

ふり給ひしかば。天下にみことのりして。菖蒲(しやうぶ:あやめ)をたてま

つらしめ。はじめて五月五日に。大神宮をまつりまもふ。五月に

あやめをふく事。此ときよりぞはじまれり。これまた

 

 

25

もろこしの。堯舜(げうしゆん)の御代にも。こえつべしと。ほめ奉る。

御在位八十七年。御よはひ百十歳と云々。又雄略天皇。は

じめは人を。ころす事を。このみ。罪なきものを。おほくころ

し。たもふにより。人みなそしりて。大悪(あく)天皇と云。すでに

天下危(あやう)かりしが。天照大神の御かごにて。豊受(とよげ)大神を。いせ

の外(げ)くうにまつり。万民に米銭(べいせん)をたまはりて。参宮をなさ

しめ給ふ。これより諸人きふくして国家おほひに治る。

又顕宗(けんそう)天皇の御とき。民にくわやくをうけ給かねば。万民

とみさかへて。参宮のもの。いく千万と云ことなし。それ

より。仁賢(にんけん)天皇の御代にいたるまで。国家ぶじにして。五

こくゆたかなりき。此外あげてこと/\゛く。かぞふべからず。ま

ことに。有がやき御代に。生(うまれ)はんべりき  巻之第四終