仮想空間

趣味の変体仮名

鎌倉三代記 (十段続) 第二

 

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      ニ10-02434 


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   第二
年々卯月 中の申 山王の祭迚坂本の御城に御神事を移され 諸士の面々末
明より御社参有ば きね原鼓神楽歌 おゆるし請て町家の子供 玄関広間お
白洲迄鼓太鼓で囃子立て とんつくどんなぶ拍子も 時に取ては狂言尽し獅子の
ほら入身重きこんくはい 俄練物そろへの提燈 てうさや/\ 千ざいらくじや 万ざい
楽人若隠居 粋(すい)の高慢いやみの美男 只居よりも城の内拝見赦され立
帰る 折から向ふの番場より 鎌倉の上使松田左近朝光 素襖袴も足利様の 烏

帽子の着ふり古実を正し 供人引具し御門外に立休らひ 鎌倉の上使松田左近朝光 登城
なりとうつたふる 宇治の方の召使朝路は神事の役目に来かゝり 見れば恋しき朝光様
のふなつかしやと走出しか供人の手前いかゞとはぢ紅葉色目見て取家来を遠ざけ 扨久し
い朝路殿 先ずは御無事で重畳/\ お前様に御息もじ マア何から申そふやら 去年の初春大
内にて 桜のお能拝見の時 いとしらしい夫御(とのご)じやと思ひ初めたが縁の端 供に恋しさ床しさを
心にいはせ目でしらせお使者にお越の度ごとに ほんにせいもん 其お顔を見るのを私が楽しみ
とあはぬ恨みの涙さへ素襖の露と見へぬらん 某迚も其通 京鎌倉の矛楯(むしゆん)より 供


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に逢も見もせまいと思ふに違(たが)ふ今度の和睦 御神事の此使者を願ふて来たもそなたに逢
たさ 夫レは嬉しい御心底 今のお出を幸に アノ幾日も/\御逗留 其中には首尾見合せ日頃の思ひを
恥かしやいの/\と寄添ばせいもんおれもそこに如在はなけれ共 上のお傍を離ぬそなた よい首尾
が有共/\ お目高な宇治の方様 二人の色目御推量なされたやら お伽の夜はお前の噂 夫で猶し
も忘れぬと つい立ながらさゝめ言 遉武家の女中迚あどなう見へてかはいらしまだ咄したい事有
ど余所の人目を奴の関内 お旦那おかへ草履 エゝ不気転な僕め咄しの腰を折平参れ朝路殿 
後刻/\と使者は三つ指こなたの奏者は アゝしんき/\とかんさしでとやせんかくやと案じ煩ふ其

中に 供人引具し松田左近御門の内へぞ入にけり 引違へて出来るは 当時の執権大庭の三郎
景義 ヤア朝路門前に何して居る アイイヤ町の子供の祇園はやしか面白さに思はずしらずつい
爰迄 物見たかいは女(おなご)の常 御赦されてと入らんとするを どこへ/\ 祇園はやしは聞たがれど おれがいふ
事は聞てくれぬ 大江入道が相果てより此大庭が執権職 大名に惚れられるは口果報サア成かな
らぬか返事はとふじや サア其返事は後に/\ そふいふてはつすのか そふはさせぬととゞむる折から 大庭
が組下海野の次郎あはたゝ敷罷出 ヤア大庭様是にこさなさるゝか御神事の義に付鎌倉より松田
左近」使者に参ると先達ての御諚意 其義にて和田兵衛様急に御意得たいと有て御評


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定の間に待兼 早々御出なさるべしと いふ間に朝路は幸と逃て内にぞ入にける エゝ埒もないわが口
上を聞中に 朝路めは早城内へいたそふな 扨は朝路殿に何ぞ御用か 有共/\ きやつ宇治様のお
気に入なれば お上へ直に申上にくい事共は 朝路を頼んでいはする分別と間に合嘘も恋故と うん
と呑込海野か気転 然らば呼で参らんと又引かえしかけり行 けふ御神事の役目を蒙り 佐々木四郎
左衛門高綱 仰に続て三浦の助義村 袴のひだも折目高なる大名格 是は/\大庭殿早い御
登城 高綱殿三浦殿 今日は御苦労千万和田兵衛殿も未明より登城にて待ち退屈と 三人途中
の挨拶半ば 御門前より十四五才の前髪柄糸切し脇差も よし有けなる風体にておづ/\ 此方に手を

つかへ 恐ながら御訴訟の者 御聞届け下さるべしと 頭を下て願ふにぞ大庭屹度見 下主下郎め
につくいやつ若輩者の分際で途中の願ひ叶はぬ/\罷立てと 叱付れば三浦の助 コリヤ若輩者
途中の訴訟はお上の御法度拙者共屋敷へ参れ ハア私がお願ひは高綱様へ密に御訴訟 ウゝ某
に願ひとな 聞届けてくれふ其子細は イヤ此義は密々のお願ひ 推参な小伜め身共等に聞
さぬ事ならろくな事では有まい御神事か遅なはる打捨おかしやれ いや/\申さば子供の訴訟聞
届けて遣はされい 此三浦はお先へ参つて御評定所で待ち申さふ いざ大庭殿御同道と打連れて
両人は城内へこそ入にける 高綱邊に心を付 傍近く 指寄て 兄三郎兵衛盛綱か忘筐佐々


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木三郎成人したな イエ私は ハテ苦しうない 現在の甥子当歳で見た儘なれと 兄盛綱に生写
の其顔見違てよい物か シテ高綱に訴訟とは何事成ぞ 近ふ/\と睦しき伯父の詞に小三郎 御存
知の通り親盛綱 首実検に見損せしお咎にて即座の切腹 夫より家を没収せられ母も私
も浪々の身の上 立寄方も渚の小船かゝり繋る伯父甥の血筋と思ひ私を 頼家公の御家
人に召加へ下さらば 生々世々の御厚恩と大地にひれ伏真実の 顔つく/\と打守り 扨しほらしい
志 コリヤ小三郎 わしや此伯父か首取に来たな エゝはて隠すな 親の最期を無念に思ひ時政に守
綱が首を以て 親の不忠をつくなふ所存で有ふがなと未然を察する眼力に 隠せし懐剣ひら

りと抜つか/\と立寄て 高綱殿是は是父盛綱の切腹有し 佐々木重代の九寸五分 お見
しりなされてござらふの此釼で伯父者人の御首給はり 父へ手向るサア/\勝負と詰寄/\ 思ひ詰たる
其有様 高綱涙をはら/\と流し 扨々健気に生れ付たよな 誠や鷹は雛鳥より 諸鳥をね
らふ萌有て鎌倉の百万騎に舌ふるひさす高綱を 稚心に討取んと思ひ込たる魂の手つよさ遉
は親の子成ぞや ホウ ヤモ頼もし出かしたり 我故に切腹せし其切先を見るに付天晴兄が存命にて
其立派さを見るならば いか斗悦ばんと今更うかむ血筋の涙しばし間袖を漫せしか コリヤよう物を
合点せよ 血筋の甥か事なれば不便さと云 殊には又兄盛綱への恩返しに 只今我首其方に


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くれたけれど 日本六十余州と釣かへの佐々木が一命 われが望は叶はぬ/\ 明晩にても母を伴ひ
身が屋敷へ密に参れ功を立さす思案も有ふ 長居して見咎められば此伯父迚用捨
はならぬ帰れ/\ 賽の神楽の音 最早神事と夕附日 暮ぬ間に早々と 伯父の教訓
小三郎も無念涙に暮六つの 遠寺の鐘と諸共に 伯父甥跡をふり返り 別れてこそは
「帰りける 御神事終れば評定の間毎/\へ嬪共 朝路も供にかいともし火かけ輝く銀燭
台 遉武将の奥御殿 早漏刻も初夜を告 時分はよしと大庭の景義 今夜朝路を手
に入んと 顔に似合ぬ色好み尋る形は鳶の羽 広縁伝ひを忍び声 朝路/\と呼はれと夫と

答も長廊下 扇を持てこと/\くしめせば銀燭いたづらに 闇はあやなき墨絵の襖 じり
り/\としめ明に 朝路は左近が手を取て窺ひ出る忍び足 コレ申 幸のくら紛れ 一年ぶりの私
が思ひ イヤ/\/\お夜詰を引迄は そなたがどふも 何のいな 夫に付ても 大庭様私をくどいていろ/\と付
廻さるゝいやらしさ 後に逢の知にくい 今つい爰で コレ申やいの/\と抱しめ 離がたなき風情なり
後ろに大庭が気は上釣 着たる袴も前張の大口明いて舌なめずり 先こされたる無念の顔色
何でも朝路が不義徒ら 相手を捕へ面縛させんとそろり/\と指寄て さぐる手先に烏帽子
のかけ緒 刀の小柄抜より早く 結び際よりずつと切 頼家公の御座近く 朝路と不義の不行儀侍


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証拠の有に三郎がえぼしのかけ緒切置いたり ヤア/\嬪中燭台に火を上られと高らかに
呼はれば 和田兵衛佐々木三浦の助 ばら/\と立出しが 目さすも知ぬくら紛れ 朝光はな
三宝 につくい大庭め只一討 かへす刀に切腹と 火を上る迄我身の安否十(と)方にくれ
たる折こそ有 宇治の方御声高く ヤア/\いづれも 自らが思ふ子細有れば暫く灯火上ず共 此座
に有合人々 面々えぼしのかけ緒を切 其後灯火上べしと 仰に面々指し添の小刀抜て押
切ば 燈台燭台ばら/\/\只白日と輝けど 伺候の武士に疵付ず事を納むる宇治
殿の御はからひぞたぐひなき 三郎はむくりをにやし ヤア不行儀侍引出し頬(つら)恥をかゝさんと思ひし

に いはれざる御采配 不義者は知て有 覚悟して居おらふと 睨付るも恋の意趣 さめぬ
体に宇治の方 城内の神事にて鎌倉より遙々と使者に参りし朝光は 時政殿の名代
疎には成がたし 対客の間へ誘ひ饗宴(もてなし)の役目朝路 随分と心を付 馳走致せと宇治殿
の情のお詞身にこたへ 有難き御厚恩 いつかは報じ奉らんと心に思へどさあらぬ体 式礼目礼に
が笑ひ二人はいそ/\対客の一間の内へ入にける 宇治殿重ねて 頼家も終日の神事にて殊ない労
此後天下太平の 評定を頼入と 仰に和田兵衛大欠(あくび)アゝ退屈や 未明から登城して能
評定でも有かと思へば ごくにも立ぬ好色の詮議 サア/\何れも何ぞ評定なさるゝか 但身共


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は罷らふか いか様性急な和田兵衛殿御退屈も御尤 大庭は頼家公の名代 何れもの御評
議を承はつて批判申さふ ホゝ左様ならば此和田兵衛が申出そふ 両家の和睦調ふといへ共 去年
近江一国は合戦故 百姓他所へ逃隠れて 田畠じゃ不作する 去によつて忠義の武士に宛行ふ
知行もなく 又鎌倉へ拝借を願へ共 一円に聞入ず干し殺しにする計略むさ/\と餓(かつえ)死せふより 時政
の上京こそ幸 美濃尾張迄出張して時政父子が首を見るか 但京方残らず討死するか 一つ
二つの分別 此一決より外はなし いや/\其評定なれば此大庭は不得心 此方より和睦を破り 血判を反古にして
仏神の天罰にて 軍の勝利心得ず 又美濃尾張迄出張りせば 金銀兵糧に事をかき 長途

に労るゝ京方討死するは知れて有 我々東国へ向ひし跡 坂本は明き城 近国は鎌倉方 不意に
寄せなば誰か防がん 此三つは味方の難義 去によつて和睦を破るは敗軍の基 此評定は和田兵衛
殿御無用/\ムウすりや此和田兵衛が申す事 気にくはぬじや迄 ハテせうことがおりない 昼夜妻子の傍
を離れず歓楽に暮す気と 甲が舎利に成る迄 命を的にかけ怨敵退散するならば頼家公は
天下の武将 さきんずる時は人を制すと云 鎌倉から和睦を破つて攻め来るを待つ迄は 主君は押籠め隠
居同前 かうわれ/\では おんでもない事勝利は得られぬ 命を捨て其様なあぶない軍せんよりも 今
日より元の四斗兵衛 ドリヤ又仕付た駕舁して 十二文のたんぽ酒 心よう呑ませう 其かはりに何れも


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が軍に負てお逃なさるゝ時は そこでこそ我等が駕 値段安ふて借しませふ さらば罷帰らふと 立を
引とめ イヤマゝゝゝ先々夫は逸徹と 留むる三浦をふり放し アゝイヤ/\お留なされな まだ/\と明かぬ評定 聞て居る
気はござらぬと 席を蹴立て立帰る 城中評議の破れ口一座しらけて見へにける 高綱は最前より
黙然として居たりしが 和田兵衛殿の申条 一理有共勇有て思慮薄きににたり 大庭殿の御了
簡 遉は執権職の御器量 格別/\ 拙者も存ずる旨有れ共 此頃はいかゞ御機嫌損ぜしやらん 頼
家公御対面遊ばされず 何とぞ大庭殿の御吹挙(すいきょ)願ひ奉ると 聞につらさは宇治の方 人々心尽
さるゝ其かいもなき頼家卿 けふも酒宴に評議を忘れ寝殿を出給はず 高綱へ対面の事 自らが

申上ん 成程/\大切の評議 言上せでは叶ふまじと 宇治の方の御供申 大庭は奥へ諸大名皆々
立て入にける 三浦は近く差寄て若年者の指出がましけれど 妻子を思ひ身をかばふ 大庭に同
心なさるゝ心底 いぶかしさよと詰かくれば ヲゝ不審尤 戦場に臨んで敵を破る一時の謀は高綱が
手に覚たれ共 今四海の諸大名 時政に帰復する 此天運には敵対れず 其敵の運を取ひしくは
頼家公の御胸一つ ムゝシテ/\其子細は ヲゝ今より直ぐに頼家公の御供申 禁中に参内して当城に天子を
供奉し奉るか さなくんば時政多勢を引率し攻め登る時こそ 禁中に馳せ入 南門又は陽明
門の禁門を指しかため 天子御一人取奉れば鎌倉の大敵成り共中々恐るゝ事あらじ 弓鉄砲も十善


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の君に向ひ奉らば 念なう射られじ討れまじ さしもの時政朝敵の名に気おくれて 暫く京地
を引退かん 其虚に乗て日月の御籏真先に押立/\攻め寄/\ 千変万化の術(てだて)を廻らし鎌
倉方の大敵を他方千里に切ちらし 軍の勝利頼家公の天下と成る事疑ひなしと 手に取
ごとく語るにぞ ハアゝ妙計/\ 一刻片時も猶予はならず 宇治様諸共三浦の助 一命を投打て
お進め申さん ホゝウ天晴/\ 御供の手配りは先達て用意すれば 御承知次第直様出逹 貴殿
此義を仕果せなば 我君天下再興の第一の忠臣/\ ハアハゝゝゝ有がたし/\追付け吉左右申上んと
勇むにいさんで奥と口 高綱は評定の一間の内へぞ入にける 対客の間の襖を明け追取刀で

松田左近 とゞむる朝路を突退け刎ね退けとつがと座し ヘエ侍の嗜むべき好色の道 宇治の方
の御情にて 命拾ひし其上に そちに聞たる密事の評定 立帰つて時政公に残らず語れば御恩
を仇で返す道理 云ねば主人へ不忠と成 夫故の此切腹 サア/\/\尤は尤なれどお前に何の誤り
が有ぞいの いはひでもよい事をほんに夫を思ひ過し大事の事をうか/\と打明た科人は此朝路
わしから先へ殺してたべ 生有る中は何ぼでもお前は殺さぬ/\と 早女房気の一筋に夫思ひぞ わ
りなけれ ヲゝ其嘆きは理なれど死ねば成らぬ其子細 今度和睦を取結ばれしは 北條殿の深
き計略 四方の砦を取はらひ用害あしき此城へ 北国中国九州の鎌倉方と諜し合せ 其


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身は密かに 中山道より討て登袋の鼠を取ごとく 攻め落す御支度 早鎌倉を御出逹 此事
語るが宇治の方への恩報じ サア主人の計略打明けたれば弥生きて居られぬ命 朝路さらばと氷
の刃突立んとする所 誰か射たる共白羽の矢 松田が弓手の袂より畳にずつぱと討込れ
て 何者成ぞとふり返れば 鎌倉の使松田左近 犬死するかと声高綱 弓矢携へ立出る
ハゝ佐々木殿の情の一矢忝くは存ずれ共 鎌倉の計略を敵方へ漏らした拙者 イヤ了簡は小さい/\
抑和睦の最初より今度二度めの合戦には まつかうして攻来らんと 北條の腹中残らず存じて居る
佐々木 御邊の口から漏れはせぬ 又此方の計略を朝路が口から聞れし故 時政へ注進しては 宇治

の方へ立ぬと思ふも尤なれど 天下の大事を女杯に聞そふか 苦しからず 立帰つて聞た通注進
めされ かゝる小事に捨る命 戦場で捨てこそ松田の家も相続し 忠孝全はるべしと 情の
詞に朝光は感じて諾(いらへ)もなかりしが 懐中より一通を取出し 左近が心底此内に候と渡せば高綱押
披(ひら)き ナニ/\躮左近に書残す一通 抑松田は源家譜代の侍なれど 京鎌倉と引わかれ暫
時政に仕ゆれど 頼朝の御恩忘れがたし 此後和睦破る共 其時汝は京方へ馳参じ 忠勤を
励むべき者也 ムゝすりや御邊は坂本の味方する心底よな コレ仰のごとく当春親共病死
の砌書残したる父の遺言 然れ共一旦北條の禄を喰らひし此左近 御疑ひの心を計り態と包みし


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我心底 あはれ今より御味方に差加へ下されなば 死たる父が本望と しさつて頭を下ければ
ムゝ志は神妙ながら 好色といふ病有て魂のすはらぬ武士 味方に取て益もなし 其願ひは叶
はぬ/\ ハアはつと胸を定て弓と矢追取きり/\と引しぼれば 衿押くつろげ覚悟の朝路
サア/\/\爰を/\と立向ふ ヲゝ夫でこそ我女房 未来の縁を楽しめと 切て放つ矢真中に しつか
と取て 心底見へた 坂本の籠城赦す サア血判 ハア有難しと血判の固めは主従 夫婦のかため
も此序でと朝路が悦び 御殿の襖押開せ 宇治の方御声高く 佐々木が詞を御用ひ有て
只今大将頼家公 禁庭へ参内有ぞと 仰の下より三浦の助 佐々木殿お聞なされたか 三浦

殿 お手がら/\ 当家の御運の開け時 大願成就ヘエゝ忝し有がたしと天を礼(らい)し地を拝し暫時も
急ぎ御出逹 行烈早くと悦喜の眉 素襖の袖の左右さへ勇みにいさんで入にける 左近もつゞ
いて行んとす コレ/\新参の松田左近 奉公初に東国へ帰り 敵の様子を告げしらす忍びの使い 表は
やつはり鎌倉のお使者御苦労コリヤ/\朝路 左近を送つて使者の発足お〆切の番にしらせよ
そちは又不義の科にて今宵より暇を遣はす エゝハテ何驚く事が有此館を出てから 好いた者に添ひ成と
そちが勝手と抜目なき 仰にはつと有がた涙 御後かげ伏拝み今こそ本の夫婦連 我夫と云
東路へ悦び 打つれ「行空の 早刻限も寅の一天頼家公の御上京 お成門より輝す笹りん


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どうの高提燈お先手をふる対のお道具挟箱 持弓持筒威儀を正し 佐々木高綱
浦の助御乗物の前後を囲み 跡備へは大庭三郎馬場先狭しと打て通る 弓手の松のこ
かげより 主は誰友白刃の手裏剣 御乗物にはつしと立 是はと皆々驚騒ぎ狼藉者を搦めよ
と 三浦に引添徒若党 右往左往とかり廻す 高綱かけ寄乗物を開けば君は熟酔の 御
目覚ねば戸を引立て打込釼抜取て見れば覚の九寸五分 我を目宛に打かけし 主は夫レよと心に納め
我君に別条なし 乗物参れと呼はれば ヤア佐々木殿お待なされ 狼藉者の実否も遂げず 万一
途中で我君に凶事あらば何と召るゝ 大切の御門出にかゝる不吉 先御上京御無用/\ イヤ/\/\譬え

いか程の曲者有共 高綱御守護申す上は君に少ッ共気遣ひなし お乗物早く/\イヤ乗物待
イヤサ早急げと 忠臣佞者の争ひ半ば息を切て三浦の助 狼藉者を仕留たり 御安堵有と
声かくる ホゝ手柄/\ シテ曲者は狼藉召されしか イヤ生捕と存ぜしに己と自殺致せし故 ぜひなく
掻首 御覧なれと指付くれば コリヤ是 身共が組下宇治美の平次 ハテ心得ぬ 此大庭が組下
に狼藉者有ては身共が不吟味 徒党の奴原屹度詮議を遂ぐる迄は 猶以て乗物やる事
ならぬ イヤサ貴殿の組下と有れば詮議は追て 小事にかはる場所でない 一刻も早く御上京お先参れと
呼はる折から 御城内より嬪衆追々にかけ出/\ 我君のお乗物へ狼藉を致せし由 母君様異(こと)ない


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お案じ 先ず今日の御上京お止め遊ばし 吉日を撰み御出逹遊ばせとのお使也と聞三郎 見られた
か入ざる諍ひ イザお乗物城内へ早く/\と下知に従ふ六尺共 高綱しつかと押留め 御乗物が城内
へ入らぬは 京都鎌倉天下のわけめ 御聞届け有迄は金輪ならくの庭迄も乗物入じと争ふ所へ 御注
進と呼はつて 高綱の物見の武士 高野十郎かけ来り 扨も時政鎌倉を当月上旬に
打ッ立 夜を日に次で只今京着 頼家公の参内を聞付け時政直に参内 いつにかはつてひゞし 
き行粧 付添来りし東国の大小名 都の中に居余つて洛外迄に陣を取 京地は中々尺寸の
明所なし我君の御参内心元なく存奉る 委しき事は追々に猶御注進申すべしと 又引かへしかけ行は

ハアはつと二人は顔見合せ エゝ遅かりし残念やと拳を握る斗也 三郎は嘲笑ひ 最前からの事
共は犬骨折て高綱殿 いかい御苦労お草臥れ 休足しられい三浦殿 サア乗物城内へ早ふ/\
としたり顔 御輿は御門に舁入れは見やる斗に詮方も 二人の義士は茫然と物をも云ず居たりし
が ヤア三浦か者共参れ最前の挟箱持参致せと取寄せて 今宵は夜と共今一詮議 夜具
は拙者が御用意に立んと 明る青皮(せいひ)の挟箱 アゝコレ/\ 三浦殿のお志 見るに及ばず慥に落手 大切の
お供先 妨げせし小伜め エゝにつくいやつとは云ながら皆天運いなす所 佐々木殿三浦殿 是非も
なき御運の末と 互に顔を見合せて無念の涙はら/\/\五臓をしぼる思ひ也 今は悔むにかい


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なしと打連入や城内は 拍子木の音喧しく五更の鳥も告渡る 子故に迷ふ夜の露母の早瀬は
足も空 小三郎は囚れしか我子はいかにと延上り 狩場の雉子の子をしたふ心半ば乱れくら紛れ
向ふにすつくと佐々木高綱 ヤア/\早瀬 大将の御輿に小剣を打かけし不敵の忰 只今断罪
死骸をくれる持て帰れと がはと投出し高綱はしつ/\御門へ入にける ヤア小三郎か かゝ様か そん
なら怪家はなかつたかと 心も解ける誡めは 夜目にも夫レと笹りんどう 是こそ去年石山にて
和田兵衛に奪ひ捕れし鎌倉の大将の籏 是を功に家を立よと 扨は伯父御のお情か
ハアゝ有がたし忝しと 親子は御籏押戴き悦び合たる折こそ有 大庭が組下海野の次郎 家来

引連れ出来り 坂本の城外を窺ふ女小ひつちよめ 鎌倉方の竊(窃)の奴に極つたり 遁すなと追
取巻 心得たりと小三郎 母を後ろに身構へたり 扨こそ知る者搦捕れと海野か下知に家来共 取付奴
原右左 透かさず来るを鎌倉流の請切提切 皆殺し 遉に母も武士の妻 我子の加勢と
付入/\切立られ 一度にとつと夜の雨 寄くる奴原引受て打合刃物の光りひらり ひらの山風太刀風に
切立られて軍兵共 片息片田に落る雁むら/\はつと逃ちつたり エゝさもあらんさもそふづ 時に近江の此出城
敵の晴嵐くもる共只一息に攻落し 父が汚命を雪(きよめ)んと 忠孝堅き石山に今そ帰帆と気も夕照(せきせう) 早東
雲の三井の鐘 雪に見紛ふ逹桜 盛の若武者若葉の梢 鳥は忠孝にしら母を伴ひ「一さんに鎌倉さして