仮想空間

趣味の変体仮名

義經将棊經 第一

読んだ本 https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100109445/5?ln=jal

      浄瑠璃本データベース 

 

 

5

  義經将棊經(よしつねしょうぎきょう)  加賀掾正本

宮商角緻羽(きうしやうかくちう)の五音。変宮変緻の二声

是を合せて七声(せい)とす。忠孝礼儀の花の庭

恩愛恋慕の月の筵。此声なくして其物

とゝのほらず。玉しきのもみぢの御遊にはしき

りに治世の響(ひゞき)を奏し。はこやの山の雪の御

賀には甚萬歳のしらべを合す。指櫛(さしぐし)我門(かど)の

律(りつ)の歌田中のいどに力なき姫の声も呂(りよ)の

 

 

6

歌と〽伝へわかれて。様々に。ながれ/\の水の川

くもでにかけし八橋や。三河国矢はぎの宿長者の娘

浄つち御前。過し安元の頃かとよ金売吉次信高(のぶたか)

が。馬の口取綱帯とけてねもyき笛竹の。一夜契りし

其ときは判官殿共白はたや。源氏の御代と成て今。さがなき

虎口のさんげんによつて鎌倉殿と御兄弟。御中不和の

関々すはり。奥州のをとづれはたへ行中を恋したひ。せ

めて思ひも。はるゝやと。牛若君と我身の上。人しれぬ忍び

 

ねを十二段の物語りに作り。みづから是にふしはかせを付。冷

十五夜月さゆ更科なんど云女房は。琴三味線さゞ

やか成人形に色々の衣裳をきせ。是は若君御ざうし。是は又

数ならぬみのゝお山と夕時雨。ふりとふしとに情しる中

立とこそ。成にけれ。かゝる所に鎌倉殿の御諚有て。北條

の家臣人見の与一来臨の由案内有。浄るり御前母諸共

何ごとやらんと尊仰し。上だんの間に請じける上使親子に挨

拶し。仰といつは余の義にあらず。御代継万寿君当年七

 

 

7

歳御名乗始め有て。頼家公と申奉る御けいがの為。諸国

より名馬名剣を治め花鳥さいくぐはとの類。其外さる楽

でんがく日夜の御遊品々也。是によつておこと此度めづらしき

うたひ物を作り。人形にうつしまなぶ由高ぶんに及ぶ近々に御

迎ひ下さるべし。御前へ参り一曲仕り若君を慰め奉れと。北條殿

の承り有がたく。思はれよとぞのべにける。親子はかうべを畳に付

。むげい無能のしづのめのひとり居の口ずさみ。御みゝに立しこと

冥加もはかりがたけれ共。御じたい申も恐れ有お笑ひ草の

 

たねならんと。詞すくなき品かたち娘らしうてぼつとりと。女

の上品浄るり姫。牛若君のつのもじにともししもしも

ことはりや。然らば日限は極り次第。内意を通じ申さんと与一

座敷を立ければ姫も送りて一礼し我身の恋の慰みを

おざしき行きとは思ひきや思ひの袖のしたげいこ。ふし付急ぐ

朱硯やからくれなひにひおとしの切合人形大将の。衣裳は錦

あやつりの。しぐみにてをぞ〽こむらさき。藤代に住。鈴木

三郎重家は。義経の御せんど弟の亀井が身の上なつかしく

 

 

8

。ひそかに古郷をたつか弓矢はぎの宿に着けるが。日かげも西

に落人をしたふ身なればいづくにか。宿かり衣うらふれて長者の

門にぞたゝずみける。奥にはえならぬ糸竹のしらべ。謡にあらず今

様朗詠を。やゝうつしたるうたひ物。かゝるあづまのはてにても。か様

のわざの有けるかや。糸のねじめのけたかさよ。きの通りたる合

の手や。一とせ判官殿。堀川に御座の時忍び。/\に御供して

。一條殿や二條殿近衛松殿花山の院。町は六條清水坂。土

手町うらのみそぎがは。ながれの末は。難波がた。江口神崎三軒

 

屋。浮世小路の恋草の。色品つくし聞けれ供かゝる至りの風

もなし。出さらば重家がたしなみの一節切(ひとよぎり)。しらべ合せんに若も

とがむる者あらば。山路(さんろ)が吹しは草より笛。是は修行の宿かり

笛一夜の夢のこも枕。御ほうしやあれといひかけてこよひを

あかし通らばやと。椰(やしほ)の水呑ねつけにてはや道さげたる袋

より。寒竹一管取出し干五上勺(かんごじょうしゃく)中六下口(く)はいさしらず。歌口

露に打しめし。くもいの曲といふはでを半時ばかり〽吹けれ

ば。浄るり御前のあやつりの仕組のてうしぞ狂ひける。姫は十

 

 

9

五夜冷泉引ぐし出給ひ。扨誰人がふくやらん御ざうしの笛のねと

。同じ手筋で恋深く人にほれよといふ斗。きをもたせたるくも

いの曲たゞ者で有まいぞ。のぞいておじやと有ければ冷泉十五

夜はしり出。ちよつと見るより十五夜申お姫さま。見ぬ恋したらば

よい物か。尺八聞た所はきやしやひんなりのびなんそふに思はれしに

。さつてもあてのちがふたは年頃は四十斗。かほの色はまつかいでyは

ひげつりひげ分前髪。本妻のけてよのをなごのかほも見ま

いといひそふな。あんな男の其くせに色の道には禁物の。くはいが

 

すきな物じやとてかんら/\とぞ笑ひける。跡より冷泉立帰り

いや/\笑ふ男でなし。あれこそほんのものゝふなれめんていにゐを

もつて色あさ黒くほねぶとに。どこやらひれ有こつがらのたち刀

のさしこなし。下にをかれぬ見所有。源氏びたひのさかやきは判

官殿のかたさまの。おくへ忍びて行人と此冷泉は見ちがへまじあなかし

こ。とぞさゝやきける。鈴木是を立聞し。こそ天晴聞及ぶ浄るり

御前ごさめれ。何とぞすかし宿をとり姫が思はく聞とゞけ

。我君のおみやげに物語でばやと思ひつまどをたゝいて。是は上

 

 

10

がちょりおくへ通るあんぎやのぼろ/\にて候。一夜の宿とぞいひ入れ

たる。判官がたの人と聞飛立斗なつかしくみつから〽妻戸を押明

て。なふおいとした旅の末。ことにおくへ御通りときけばお宿参ら

せ。文一つ頼みたきかた侍らへ供。鎌倉殿と判官殿御中たがはせ

給ふ故。御はつときびしき御ふれわだちゝぶかぢ腹の。手判なき

旅人は宿をかたく致さじと。母もわらはも起請をかき差上

たる上なれば。お宿とては成がたしことに独り旅人の。うさんな者を

からめよと宿々へ御下知也。北陸道はさもあらじいたはしながら道

 

かへて。どふぞ御下向候へお残多やといふけはひ。思ひいりたるていなれ

ば重家も力なく。神文なされし上となれば近頃よぎなき仕合

去ながら。行先とてもさぞ候はん。何と又起請もそむけず。其

も宿かる様のさいかくあらば一夜明させ下されふか。アゝ仰迄も

なく起請さへやぶれずは。二夜も三夜も一年もといひもあへぬ

に重家。然らば宿は御無心申まい。旅のそらでは親共主共大

事にかけるは此菅笠。一夜預け申たし是を座敷のまん中

に。きつとなをして下されと笠指出せば浄るり姫。 ヲゝ出来た

 

 

11

/\。是はさる楽狂言のかさの下のまなびならん。笠預からじとち

かひはせず。人には宿を参らせず笠に宿をかすが成。みかさはこゝ

に預かると座敷になをせば重家も。御身にからぬ宿なれ

ば人のとがめもあらしふく。一じゆのかげの木のはがさ笠をあるじ

のかりねだに。まれの一夜と打かぶりkさゝぎ我ぞとつつくり

としていたりしが。お心ざしの切なれば何とかつゝみ申べき。其こ

そ判官殿の御内亀井の六郎重清が兄。鈴木の三郎重家と申

者高舘殿へ参る也。御文にても参らせよと小声に成

 

て申ける。浄るり御前悦ひさればこそ冷泉は。目高にて有

けるよ嬉しき人にあひ参らせ。幸な近き中鎌倉殿

の若君殿へ御遊に召るゝ仰也。其時ひそかに同道致し

義経殿にとがなき段お願ひ申させ侍らはん。先それ迄は

御逗留下部の者や見とがめん。いざ先おくへと手をひけば

鈴木も心打とけて。先吉左右を承り悦び入て候去ながら

逗留中笠きて罷在ならばかへつてあやしめ申さふかと

いへば。十五夜冷税打わらひ。ハテ若しもとがむる人あらばげんぞく

 

 

12

した西行と。こたへませふとたはふれておくの。一間に〽はじ

めて旅を東路や/\行衛。いつことさだむらん。出其頃は文治

四年四月下旬のことなりしに。八島の合戦討死せし佐藤

次信が一子鶴若は十二さい。忠信が忘れがたみ乙若が九さい

にて。二人の母が世の中を思ひ切たる黒かみも。あだにはそらぬ

あづさ弓取伝へたるものゝふの。名をつがせんとそだつれど判官

殿さへ日陰の身思ふにかひのあらざれば。責てざん者梶原が

親子の中一人が。首取て高舘殿へはせくはゝり。籠城すゝめ奉る

 

か但は鎌倉殿の御馬の口にすがつて。我君のとがなき旨じき

ぞせう申奉り。夫もかなはぬほ程ならばやつ七がう乱入。親子

四人の者共が思ふさまにらうぜきし。同じ枕にしなばやと二つ

一つに思ひ立しゆらの〽旅路に。つましあれば。はる/\゛きぬる

。から衣三河のさはにぞ着にける。宿はづれを見わたせば。飼

にかふたる引馬数十疋。月毛ひばり毛かげ足毛。栗毛

からは毛さま/\゛に木地ぐらぬりぐらかゞみぐら。金ぶくりん銀

覆輪。あつぶさ大ぶさ五色の三がい色々の染手綱。むすび

 

 

13

かけ/\とゞろ/\と八橋や。くもでの水に。打入て爪かゝせたる

御馬の足。いざひやさんとねり共ざんぶ/\と引いるゝ。乙若

はつく/\゛と見て。なふ母上さまをはごさまあれ御らんぜ。うら山しや

我らが父も忠信とて弓取にて有けるとや。あれ程多き馬

一疋なぜかひ置ては給はらぬ。父御こそつらく共をば様母さまあ

の馬を。一疋もらふて下されかしおりや乗たいとぞ涙ぐむ。靏若

はおとなしくアゝおろか也乙若殿。御身の父忠信こそ吉野法師

をせめやぶり。六はらぜいと合戦し名を後代に上給ふ日本ぶ

 

さうの勇士ぞや。我らが父も其通り八嶋の磯にて大将

ぐんの矢面に立。能登寺の大矢をたゞ中に受とめて。源平両

家のめをおどろかし一き当千成ぞかし。其おい子と生れ人の

馬がほしいとて。もらふてくれとはひきやう也ほしい馬を乗て取

。さからふとねり馬取共太刀の刃(やひば)うでのほねつゞかん程は切ちらし

。直に奥州へかけさせ判官殿のげんざんに入。次信忠信が子

成とて君の御かんにあづからん。ヲゝ尤とかけ出るを二人の母引とゞ

め。口に手をあてはら/\としばし涙にむせびしが。鶴若が母

 

 

14

やゝ有て。アゝをと高し/\。石の物いひかべにみゝ。こと更こゝはわう

くはんぞや。御身達や我らが数ならぬ身はいとはね共。そこつの

ことを仕出し鎌倉殿へ聞へては。判官さまの御身のあた かへつて

ふ忠としらざるか。弓馬の家に生れては。十歳を越ぬれば軍

といはんにあすにても。忠と恥とを忘れぬこそよき弓取とは

ほむるなれ。我君の御ひさう大夫黒と云名馬。妻の次信

殿度々所望有しかど。深くおしませ給ひしに。御命にかはつて

討死し給ふ御弔に。かの御馬を我妻のしがいに引て給はりし

 

。是をこそ武士のほまれ共手がら共。いこくはしらず本朝に又

とたぐひの有べきか。其次信が子ならずや世に有ふるゝやせ馬

を。百疋千疋つながせても何のえきの有べきぞ。大夫黒にをし

ならぶ名馬をかはんと思はぬは。ふがひなの心やな父にはなれて

をさなきより。後家にそだての侍とうしろゆびばしさゝるゝな

。口惜の世の中やとないついさめつ教訓す。親子の様ぞ哀

なる。しばらく有て黒栗毛の其たけ八寸いなづまかいたる

蒔絵のくら。さんごじゆにて二矢はづのめぬき紋かゝやく斗に

 

 

15

すつて付。口付四人を引立/\。四足を付ず打たりしは天にも

。あがるいきほひ也。馬別当と覚しきがいかつらしげにこりや/\

其沢にて。此御馬の足ひやさん其やせ馬共引上よ。ころさ

れてはらかくなとぞよばゝつたる。とねり共あざ笑ひ。けん

へい成云分かな。是は忝くも鎌倉殿の若君様へ諸大名よ

り献上の御馬共。ふみ馬ならば引てのけ。用捨もなふてふ

ませたらば馬も人もいけてはやらぬとのゝしれば かの男はらを

立。やあうぬら斗がけん上¥り。是は先年うぢ川の先陣しつる

 

するすみといふ名馬。即ち梶原平三景時がけん上かくいふはナ

。景時が次男平次景高を見しらざるかとわめきける。梶原

といふ声にはつと恐れてとねり共。としやをそしと馬引のけ

はひつくばひしけんいの程。聞てにくまぬ者はなし。かくと聞

より親子の人もとより望む所也。義を見てせざるは勇みなし

口論しかけ景高が首取て判官殿のうつふんをさんぜんとめく

ばせし。さあらぬていに近よつて先馬をこそほめたりけれ。あつ

はれ御馬候や。爪かみの切様は鎌倉様候な。をつさまむかふよこ

 

 

16

はたばりおぐちそふどうつまねのくさり。ほね合しゝなみよめの

ふしつくり付たるごとく也。みけん龍づら眼の鈴かぜにそびへし

そなれ松。こずえをくゞつて朝日影いはほにうつるもかくやらん

。はなのあらしをたとふれば池の面の紅(かう)れんげ。こいのをどつて時

ならずつぼみをひらくにことならず。三十三にまき立しのがみ取

がみしめのかみ。ひつはらやとばらかみのふし前ずねは唐土の黄(くはう)

岡(かう)の二また竹干将莫耶(かんしやうばくや)の名剣にてずんど切てつき立から

み付たるごとく也。ともは万象牧場(ばんせうぼくば)のびわ二面取てをし合せ

 

つつ立たり共いつべし。おづゝふつさと筋わかれ六田の段のはる

風に。しだれ柳が一もみ二もみさつ/\/\。さつと乱れて桜がは

花の波立ごとく也。くら下くつうら口心二六五七の駿馬のさうすい

ざう雲龍しゝふんじん。天晴俊足御馬ぞいづれの牧よりひ

かれしぞや。みつのみまきか鳥かひか信濃に桐原望月か

。はりまに家嶋するがに三穂武蔵にほざかをのゝ牧。かひ

にたち野小がさ原をふちあだちのおくの牧。かゝる良馬も有

物か異国の呂布赤兎馬(せきとめ)も是にはいかでまさるべき。天

 

 

17

晴御馬したり/\とながるゝごとくほめ給ふ。おごり長ぜし梶原

はつたとにらんで。ヤアいづくのめらうがきめらなれば此景時が前と

いひ。けん上の御馬の前に立はたかつての長ぼえ馬やら牛やら存じ

もなさず。ことしりづらの慮外あれ引のけよといかりける。靏

若すそをねぢ上つゝと出。是さ梶原。馬には乗て見よ身とにはそふて

見よといふ。いづくの誰共しらずして。我々を馬共牛ともしるまいとは

呑ののびたるざうごんかな。惣じて馬も乗手による。あのするす

みが生唼(いけづき:佐々木高綱ささきたかつなが源頼朝から賜った名馬の名。→宇治川の先陣争い.)にをとる馬にあらね共。をのれが親が天罰あたり

 

生唼に乗たる佐々木にうぢ川の先をこされぬ。夫にもこり

ぬ広言たつた今をのれらが。ざんげんのつみあらはれゆいが濱へひかるゝ

時。くらつぼにしばり付られ気遣なしに乗てゆけと手を打

たゝいて笑ひける。景高はらにすへかねきやつはくせ者くらかけの

けいこもしたるやつとおぼえり。ふみころさせて捨んと思ひ。ムゝ然らば

此あら馬に己みごと乗べきか靏若もいひかゝり。ヲゝ乗て見せん

去ながら。乗からは此馬すぐに乗取が合点か。イヤでつちめこしやく

者。乗そんぜばおろしも立ず刀玉に上切殺すぞ。ヲゝ詞をつがふた

 

 

18

乗て取と身づくろひする其有様。二人の母は今さら引もひ

かれはせず。乗そこなふはめの前也なまじひ成ことを仕出し。恥辱

といひうきめといひいかゞならんときをくだき。うろ/\するも道

理也。かた口馬のくらそばへ土をけたてゝしりごみしのせんず気色な

かりしに。是ぞさいごと靏若丸手綱くりよせすき間を見てひら

りとこそはのつたりけれ。景高すはやとかけごえして下人とねり

手をたゝき。えい/\わつとときの声馬はおどろき飛あがり。をどり

あがりかけあがり。はねおとさんと〽いばへたり。かぢ原主従たち

 

ぬきかけおちばきらんとめをくばる。二人の母はいきをつめ色もか

はりてひやあせに生たる。こゝちはなかりけい。靏若も是迄也よし

や人手にかゝらんより。馬のひらくびかき切てかへす刀に腹きらんと

既に刀に手をかけしに。あらふしきや。父次信が幽霊白糸お

どしにしろき直垂風のまに/\おもかげは三づの上にけう

ようして乗しづめ/\。我子のくらに一念のむちをくはゆるし

あいの勇。さすがにいさむあら馬も巧の武者のたましひに。乗

ふせられて地道をばしづかにあゆむぞふしぎなる。人めにかく共

 

 

19

見へざれば靏若もさはしらず。輪乗わちがひ十もんじ乗もどし

乗かへし。鐙にかくを入ければめをりの音はしつたん/\。くつわの音は

ちんから/\。物に能々ととふればきねがつゞみにかぐらの鈴。神すゞ

しめのかさかけとじゆう〽じざいを。乗まはす母は覚えず。声

を上いや/\乗たり/\とかちどき上ていさみあふ梶原がたには

あきれはて。手をひろげ口をあけなげくびしたるおかしさよ。靏若

馬を乗とゞめ大音上。我を誰とか思ふ平家御追討の御合戦

に。大将軍の御命にかはり英雄の名を上し。佐藤次信が一子

 

鶴若丸。契約なれば此馬を乗取て我君の。家づとに奉る是

迄といふいきほひに梶原主従きをとられ。一言出す者もなし

乙若馬の口とれば。二人の母は先に立はい/\。/\/\と手ふる袖ふる

涙ふる。ふれば露ちる道しばや。みちのくさしてぞ〽立こゆる

秋も始の御遊とて鎌倉の御所には浄るり御前を召れけえる

。御たいめん所の正面に。人形ぶたいの手すりに珠玉をちりばめかざらるゝ

。御れんの内には源二位殿。みだい所の御見物しとねには頼家公。御

伽の小ごしやう衆老中は休息所に。あんざをゆるされえんけん有。御

 

 

20

座につゞいて梶原平三土肥佐々木宇都宮。近習外様の諸

大名きら風流をよそほひす。まんまく風にひるがへりらんじやの

にほひふん/\としてたへ成御遊と聞へへる。楽屋には祝言の置鼓

しらべさせ。あげまくかゝげ浄るり姫付ぶたいの花むしろ。きくのえ

はかまふみしたきすらり/\とゆるぎ出御前に向ひ一礼し

かくこそ披露申けれ。賤がのきばのかきほ梅。大宮人の袖ふるゝ

身の大けい共たとふべき。つたなきげいのえい曲を。御遊らんの為ぞと

て在鎌倉のれき/\様。袂をつらね給ふこと。袖にも余るお嬉

 

しさ。わけてはいふに。いはつゝぢ。色品もなき一ふしながら牛若様と

自が深き思ひをつゝみかねまはらぬ筆も水ぐきの。岡のくず原

はびこりて。世上にては我名をかた取。浄るりと名付うたひかな

で候とや。都がたには猶以色々のりうぎをわけ。ふしも様々かはれ共

京も田舎もをしなへて。はやるは恋のぬれぶしにしたゞる樽の酒

えんの興。御代を悦ひの御慰。我君様諸大名のお名も姿も

人形に。まなびうつし候へば指合きんくは御堪忍。只何ごとも大様

に御一覧頼み上参らする。追付初段初りと入ぞ。たへなる〽

 

 

21

扨も其後。御ざうしは梶原がざんそうにて。都のすまい物うしと

。亀井かた岡いせするが武蔵ひたちを御供にて。なれしくもい

をよそに見てかもがは白かは。打わたりはやあふみぢに。うち

での濱いまづ。かいづの舟よばひ。我をとふかとあぢきなく。北

陸道にさしかゝり下らせ給ひける程に。七十五日と申には。みち

の国に聞へたる衣がはにぞ〽着給ふ。是は扨置。頼朝の御

前にはいづの国の住人。源籐太廣澄(げんとうたひろずみ)判官殿の家の子。鈴木の

三郎重家をからめとつて参らすれば。召とはるべきこと有とすぐ

 

しらすにひかれける。右大将殿御らんじて。九郎が郎等亀井が兄

鈴木とはわぬしよな。天晴汝はおこの者。ぶんげん相応に供をもぐ

せず。頼朝がひざもとを礼儀もなくふみこへて。いづくか罷通る申

べしとの御諚也。重家つゝしんで承り。さん候御舎弟判官ていとを御ひ

らきの刻。其本国藤代に候て御せんどの御供せず。世にもほい

なく存る所に。秀ひらが館に御座の由聞とひとしくはせ下り

候。下人の主君をしたふこと是以御ふしん立べきことにあらず。又供をも

ぐせず只一人。御きげんをもうかゞはず御膝本をのりこへ候との御と

 

 

22

とがめ御尤至極仕る去ながら。道々に新せきすはり。売買の

旅人あんぎやの僧迄御ぎんみの折から。重家こそ判官殿へ伺候

致すとうつたへんにやはか通し給はんや。尤本国の一族家来相か

たらはゞ。五十き百きはつれかぬるにも候はね共。此鈴木一人さへ

手ごはく覚する時しも藤代の八庄司。くつばみをならべ枕本を

打て通り申なば。いかにめざましき者に思召討手を出されんは

必定。憚多候へ共ぜひなく一矢仕らん。かふ申我らを始物其数に

はあらね共。山家そだちの熊野武者独前に十き廿き討取

 

共。をよそ御人数の千や二千討とめんはあんの内にて候べし。時にはかへつ

て判官殿へ御にくしみをます道理。毛を吹て疵を求んより

は一きがけの忍路御前まぢかく罷有。ざん者梶原に若も出あふ

こともがな。馬まはりけちらかしをしならべてむんずと組。ざんげんしたる

舌のねシヤ引むかんと存ぜしに。思ひの外北條殿に行あひ身

をかくれんとせし所を。いづ一ばんの大力源籐太廣澄にうしろより

いだかれたり。然れ共籐太が弓手のかたさきをだかれながらよこ

ぬひに。三刀ついて候がよも浅疵では候まじ。何条大力成共腕

 

 

23

ねぢ上てさしとおすべかつしに。日陰の主人を持たる身。御兄弟の

御わぼく一筋に願ひ申故。とかく慮外をいたさじと心をくれて生

どられ。ふかくの御めみへ仕る思召のはづかしさよと涙を。うかへ言

上す。大将殿聞召。汝めが申所其裡有にたれ共。惣じて義理と

いふえせ者平家の討手にさしむけしは。頼朝が大群を相そへ

軍法をたゞし下知をなしたる故にこそ。西国の平家は亡びたん

なれ。なんぞや義理己一人武功におごり。院の御気色にふけり

頼朝をかたむけんとてきたいす。これにしたがふ汝等も。頼朝

 

弓ひかんする心底ならんとの給へば。重家いだけ高に成から/\と

笑ひ。そも君は六十余州の武士の棟梁にてましませ共

。弓矢の道はぶあん内かお笑止や。鎌倉の大群を付られ其大

勢故討勝給ふとならば。平家のせいとはいづれか多く候や。四

国西国きない北国をしたがへし。平家のせいには十分が一を以て

取ひしぎ給ふこと。判官殿ぶゆうの長ぜし徳ならで。たせいを付ら

れし故成とは何を以て申さんや。又鎌倉より軍法をたゞし

下知をなしたる故との仰是以てひがこと也。然らば同じ下知を

 

 

24

受給ふかば殿は何とて義理にはをとりしやらん。去ん元暦の春

一の谷の大手には。かば殿の五万余きしかも其手には。一き当

千とじまんする梶原も候し。からめ手は判官殿わづか一万

よきをいんぞつし。ひよ鳥ごへをさかおとし平家の本陣を一時

にかけちらし。西かい四かいの風波をしのぎ。八嶋だんのうらあか

まがせきもじがせき。其外うぢせた両度の合戦と故なく討

亡ぼし。源氏一たうの御代となし給ふこと是皆義経のちゆう

にあらず。頼朝公の御下知故と君は思召るれ共。世間の人はさは

 

申さず義経は逸物のたかとればとる程口へはいらず。頼

朝はかませてのむ御果報者とのちまきのさたおみゝに入

ぬうたてさよ。此度の御恩賞にはせきより西三十余国。あ

てをこなはれ候てもあしからぬ判官殿。せめて大国五ヶ国六

ヶ国の主共なし。四位の少将中将などに御じつそう有。京

鎌倉に御兄弟立ならんで文武の徳をてらし給ふはゞ。源氏

の御代はうら釘かやし。天長地久成べきに口惜や浅ましや

。いかに梶原それにてまぢ/\承れ。雀は靏の心をしら

 

 

25

ず大智は小智をはからずとや。汝肝曲へんひの佞臣せ

ばくちいさき心より。少しにてもをのれにまさるをそね

み。あつたらしき大将をざんげんのつみにしづめ。頼朝公を

も後代に賞罰くらき愚将とよばせ奉らんは今の

こと。汝親子に給はる所領は関八州のあれ地也。京わらん

べが異名を付汝親子を蚿虫(げぢ/\)といひ。又蚿虫を梶原

とよぶかのむしのごとくぶんもなきをのれらが。人のかしらに

のしあがりざんそうかまへて人のかざりをいひはがすによつて

 

さてこそ蚿虫かぢ原とむし同前にいはるゝを聞ても恥

とは思はぬかや。待て見よ蚿虫め水は山にのぼらす。車は

よこにめぐらず天地道有たつた今判官殿の御うんひらけ

をのれらをや子が手足をむしり鎌倉の大手口に。さかばり

付にさらされんはくびすをめぐらすべからずとはゞかりなく

ぞ申ける。梶原もこらへかね。ヤア口斗大きにて。くひ所なき塩

鱸め蚿虫がほそずねの。力を見よと立あがりふみ付んと

する所を。鈴木つゝ立なむ八まんといましめのなはずん/\に

 

 

26

ねぢ切/\飛かゝり蚿虫を取てふせ。くひ所なき塩すゞき

ほね鱠をきいて見よと。どうぼねふまへ首ふつゝとねぢ切

日本一の御みやげと。高館さして急ぎける。是を一しゆのすゞき

のふるまひ出来たもことはりくまのぶしと。きせん上下をしなへ

てかんぜぬ者こそなかりけれ。見物伺公の大名小名こゝち

よくや思はれけん。ヤアかたつたりつかふたり。大出来/\仕つた

あたりましたとほめらるゝ。景時景季はがみをなしにつ

くき女がしわざかな。出けころひてすでんずとぶたいに手を

 

かけ飛いらんとせし所へ。重家人形持ながら楽屋よりをど

り出ヤア久しいナげぢ/\。塩鱸がおきらひならば生てび

ち/\はたらくすゞき是にひかへたげんざんとふんぢかつたる其いき

ほひに梶原親子色ちがひ。当ばんの衆油断でござる大

名衆もおく病な。あれ見てだまつていさしやるかとそゞろ

。ふるふていたりけり。其時重家御座に向ひて涙を浮め。扨

うらめしの人心や。抑大将は国家のたましひ臣は手足にた

とへたり。たとへば此人形もつかふ者の心によつて。なかせんと思

 

 

27

へばなかせ。いさめばいさみの色をなしいかればいかりわら

へばわらひ。天をあをぎ地をにらみじゆうじざいのはたらき

まつ此ごとく臣下の善悪は大将の賢愚にあり。然るに

かへつて鎌倉殿は人形にて梶原につかはれ。父母のこつにく

わけ給ふ只ひとりの御舎弟に。思召かへ給ふこと御せんぞの御

れいこん。さこそなげかせ給ふらめ。御前伺公の諸大名上

から下に至る迄。梶原父子を佞臣とうとまぬ人はなけ

れ共。御前を憚り罷あれ共此。重家こそ誰に恐るゝ

 

かたもなし。きやつばら親子を申受なはをかけて九郎殿

は参らせん。此訴訟かなはずはらうぜきにもあれ推参共

いへ。御目通りにて一刀に討てすて候はん。若かたふどあらば

それからは。重家が死狂ひのあれいくさ見参に入奉り

。御所のお庭をはか所と定め申に候也。うむの御諚承らん

と申切てぞいたりける。頼朝とかふにあぐませ給ひ。御席を

たゝせ給ひければ御れんさつとぞおりたりける。サア是からは慮

外もいらず蚿虫殿いざござれと。飛でかゝれば梶原父子

 

 

28

かなはじとにげまどひ御れんの中へにげ入を。どつこへやらぬと

つゞいていれば有あふ諸武士すがり付。頼家御座を立給ひし

ばらくまて重家。鈴木/\としづめさせ給ひ。誠におことが

申条義者とやいはん勇者とやいふべき。礼智をそなへし

忠臣ぞや。義経殿は我為にまさしきおぢにてましま

さずや。ことにぐん法の師と頼みとらの春の伝受をえ天

下を治ん心ざし。御わぼくのいとなみかね/\゛心に存ぜし也

。其かくてあらん中は。老中にもいひ合せ折を待てわ

 

だんをむすび。在鎌倉をまねくべし罷下つて頼家が

とうかんなき心底をよき様に披露して。返/\も御なつ

かしく存る段念頃に申てくれよ。是は又其方への礼ならず

。おぢ君へなす礼儀ぞと忝くも天下のよつぎ。両の御手を

たゝみに付えぼしをさげさせ給ひければ。重家も涙に

くれ伺公の諸武士一同に。こは勿体なき次第やと各

かうべをかたふけし弓矢の礼儀ぞ殊勝なる。鈴木かん

るいとゞめかね。是聞給へ人々天晴源氏の武将にてまし

 

 

29

ますぞや。梶原父子がくび百二百取たるより。今の御意

を御みやげに判官殿へ言上せば。いか斗の御悦び此上たとへ

わだんなく。御はら召れ候とても何御恨の残るべき。此御詞

を鈴木めが奥州かどでの悦びにて。先御暇給はらん浄

るり御前はいづくにぞ源氏の御代の御祝言かたれや千秋

ひけや萬歳代々ふる。松やつらぬる枝の其一の枝二の枝の中

はれんりの御兄弟なを若松の小松の末もときはかきはに草も木も

。切なびけたる鎌くらやみなもとうぢの名は高館と祝ひ。ことぶき立にけり