仮想空間

趣味の変体仮名

傾城阿波の鳴門 第六


読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
     ニ10-01136


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  第六
とん/\/\とんと世上の色の湊は京の女房に 江戸のいきはり大坂の揚屋で長崎衣装着
せて 一ふう三四五六七八九新町 師走の果も色里は 別世界なる賑ひに胸の煤掃き衣
装着せ紋日の日和吉田屋の 庭は餅搗手毬つく春より先に春めけり せき候 だい/\
/\ 是はせはしない 今やう/\と搗きかける所へもふ催促か 五六間行廻つておじや あんまり早いと顔見
合せ ヤア太四郎様 こりや珎らしい 何の間にトの字へお這入り ハテ喜八田舎者 貴様はかご舁おれ
は大牽持(たいこもち) 貴様やおいらは旦那衆をせぶつて喰ふせき候と同じ身ぶん こいつはえい お沢どん

お上へ申上さんせ イヤ聞て居ると伊左衛門 太四郎喜八隙(ひま)がいると思ふたが 龍宮の踊の拵へ 此
浦嶋を待せて置て 乙姫はどこにいる 染之丞どふじや イエ太夫さんはしやくでつむりが
ふらつく迚 わたしをさきへ コレハしたりそんなれば此子も此子 つきましていたがえいわいの 手
鞠斗ついていずと 最一つ走り呼ましておじや コレ コレ これいなふ ヲゝ 聾 アイ 夫でも手鞠
がわしや面白い とん/\/\走り行 イヤ又夕霧様もきついきしましやう 旦那に戸へお出なされ
半年もお通ひなかつたに 此頃久しぶりのお帰り 磁石の様にひつ付てござりそふな所 扨は葭
原でのお楽しみを 少しひぞりの筋と見へる イエそふじやないぞへ 住吉やの阿波のお客 身


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情の噂でおこつた癪 どふぞ伊州様の方へ ちやつと見受さしましたいと こちの旦那様が気
をせいて 京の藤屋の手代衆に逢ふて 金のおりのりしてくると それでおとゝい京のぼり
何じや 喜左衛門はおれに隠して本家へいたか 気転は利たが親共は悪いくせで女郎が嫌ひ しく
ぢつて戻らにやよいが アゝ旦那 そんな先折おつしやるな 大事の祝儀日 神様へ早ふお鏡備へまし
お二人中もまん丸に重なり合ふてござる様に エゝ喜八下手じや 是から太四郎が一臼参らふ 臼取は
かゝの役 お沢どん お徳どん 二人を仮の本妻妾(てかけ)旦那はやして貰ひましよ コリヤ/\おナイ こちのかゝら
やおてかや色めが 紅(もみ)の襷をしんどろもんどろかけて しんどろりと 磨ぎやりましたをつこなら今じや

旦那は金持 太夫は癪持我抔は牽頭持 喜八は荷物 中居は懐妊(みもち)お沢が尻餅 てんがうさんすな お徳
がやきもち送りの長持もち込取込吉慶吉田や さらば是からせんざいちく まんざいらくと舌皷打連れ
奥へ騒行 公界(くかい)の中の楽しみは 勤と色と二つ葉の 音に聞へし全盛と 名に夕霧の立ち姿 雲の黛
筆にさへ 誰書なさん越後町しどけ媚(なまめ)くかい取の 跡に身体やれ編笠 紙子のひうち朝
夕の煙も其日の貰ひ喰 お情に預りませふ 太夫様 申太夫様と 付て廓の揚や町 鑓人(やりて)が
見付て走り付き テモ扨も此乞食殿は 伊勢参りの道か名にぞの様に 太夫様の傍へきたないなりで
しつかい花畑の鳥おどし 見なりの悪いのいて貰をとつかふどに 夕霧つく/\打守り コレのふ はしたなふ


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しからぬがよい 心有げな物貰ひ 紙子姿は粋(すい)の果 昔はどんなお方やら おいとしぼやと美し
い 詞に取付 さすが名にしあふ太夫様 お見立の通其以前は 分相応の花もやつて参りました かう
した風体のものを結構な御挨拶 あんまり有難ふて物貰ひます所じやない 何とお礼の
申様も此身分 さもしい物じやが 私の志どふぞお受下さりませと 貰ひだめの銭一文 破れ
扇に差出せば ヲゝきたな 太夫様ありや気ちがいじや 相手にならずとサアお出と いへど諾(いら)へず銭取
上 繻子縮緬が恋はせず 身に襤褸(つゞれ:ぼろ)をかけふ共 心に錦が着たいとは 昔の粋な女郎衆
の詞 御念もじのお礼忝ふ存じます そんならお受なされて下さりますか エゝ有難い/\ 其お情に

あまへて 申出すも近頃お恥かしい事ながら 太夫様 私はお前に惚ました もふ/\惚たといふ段ではない
忘れもせぬ跡の月の廿日の朝 時分柄物参りも少なし 気の大きい色町へ行たら 手の中も
多かろかと 九軒の方へ来たが因果 夕霧様の道中 ふつと眼にかゝつてから テモ美しい こんな物を
抱て寝る人も有にと思ふと 銭貰ふ事も喰事もとんと忘れて 毎日/\外へは行ず
に 此廓の中斗 お前の姿見る度に あんまりめつそふな事じやと思ふて見ても どうも
/\忘れられず つがずぼうの上に恋煩ひで 糸より細く疲(やつ)れたと小歌の通り 此通なら
どふで死るでござりましよ 不便なやつじやと思し召 どうぞ御報謝にたつた一夜さ 抱れ


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て寝てくださりませ お慈悲じや お情/\と手をする涙あみ笠の辻に ひれ伏泣いたる
さすが名取の夕霧太夫 扨も/\深切なお方 勤の身でもそれ程に 真実惚た
といはるゝは 誓文嬉しい忝い 聞届ましたぞへ スリヤ叶へて下さりますか サイナ お志と女郎のいきぢ
立なからでは咄しも成まい サアまあこちへと吉田屋の 内へ手を引連て入 すぎが恟り興
さめ顔 コレ太夫様 其乞食をお前は色にする気かいな イヤ色じやない 高ふても低ふて
も お客様に買れるは勤めの習ひ 此お方のおあし一つは 世に有人の千万両 それで夕霧が
買れたはいの エゝあの銭壱文で売のかへ お前それでも 揚(ああげ)のお客が有ぞへ ハテかしかりは女

郎の儘 したが其姿では宿の思はく コレ染の丞 幸伊州さんの替衣装 召かへさせてつれ
ましておじや わしや奥へいて居るぞや アイ と禿が長持の夜具に添たる大尽小袖 着かへ
さすがのやり人は軻れ いかにはきゝの女郎さんじやてゝ 物好きもよいかげん 太夫様を乞食に
借すとは 狗に伽羅嗅がす様なせんさく 揚げのお客へしれぬ先に 早ふ戻して貰ひましよ
ぞうあ コレ夕霧さんの禿衆 染之丞/\ 銭壱文の太夫さん呼ましややいとわめいて
びんしやん出てゆく とかくする間に取繕ふ 破れ紙子はときの間にたちまち
かはる粋模様 鬢撫付つ撫さすられ 物貰ひは夢見心地 有難過て身はがち/\


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太四郎喜八飛で出 やつちやお出 初対面の判官様 北か南か粋と見た眼は違は
ぬと そやし立られひや汗ながら ヲゝ南共/\ 所は長町 イヤ南堺筋九丁目 ヘエそれが
あなたの御本家かい ヲゝ/\本卦当卦うらやさんの筋むかい ハゝゝそりやお下屋敷
有ろ あたまからおなぶりは ちつとてうでござりましよ サア其お長とは我等相住 したり あなたのお妾
を お長局と申ますか サアそれはおれによふなついて 戻ると尾をふつて手をくれる ふとんの替り
に抱て寝ると 温ふてよい物じやが 時々足をねぶるにはこまるてや エゝいやらしいお契りじやな そふ
した色様有ながら 此廓へお出かけは しやれ木の金毘羅大尽様 先お通りとそゝり立 足元にころり

コリヤ何じや うそ穢(きたな)い米袋 乞食が爰へこふ様はないが 捨てて仕まへと門の口 アゝ勿体ない
大事の物 一握りを大体ではくれぬぞい コリヤきつい しはいと見せる悪じやれは 是もちよぼくりちょんがれかい
ヤア貴様もこちの町から出たか よつ程下地が有はいのと 素性顕はすあるきぶり され共此人夜は
くれ共昼見へずどふやらしゆんだ謡じやと 思へどしらぬ牽頭持 旦那上じやと付て行 そぶり見
付た伊左衛門 一人小腹の立つ居つ 生き傾城の四つ足め 乞食にさへ惚るからは 撰(えり)嫌ひなしの助兵衛
女郎 だまされたが悔しい あれなら身請の仕人(して)さへ有ば どつこへでもうせるで有ろ 引ずり出して
踏ふか それもあんまりやほじや どふぞ粋らしい頬(つら)打の仕様が 有そふな物じやと悋気


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の仕様に手を組で 工夫の半ばお沢が走て 申/\新住の阿波のお侍様 お前様に逢ふとて
屹相かへて見へたはいな おなじか逢しましとむない それでちよつとしらしますといひ捨出れば
何の侍こはい事はみじんもない 逢ふてこまそと強い事 いふては見たが侍客 慥に意路悪の
郡兵衛め 追放の身の伊左衛門 コリヤ逢れぬ/\ 隠れふも所も何の其 夕霧が色の根を持つ郡
兵衛 いつその事せりふせふか イヤそふしては どうせうな 太夫めが性根も見たし 破るはやすし 隠れ
て見んと疑ひ心を長持の 底に納めて忍び居る 上の女が詫るも聞ず 郡兵衛が高呼
はり 伊左衛門の大ずろめ 三ヶの津お構ひの身を持て 大坂の廓通ひ 夕霧が虫に成て

立づきだてしやらくさい 爰へ引出せ仕様が有る どの様におつしやつても 伊左衛門様は爰には イヤサ隠
すとうぬらが為にならぬ よい/\家捜しして国元へ引ずつて行 案内せいとそこら当傍り睨
廻して入跡へ 亭主吉田屋喜左衛門 船上りの合羽がけ 太四郎喜八来て居るか ヲゝ喜左様待て
居る/\ 京の首尾はどふじや かね請取てお帰りか 今も今阿波の客がひがおこして 伊左衛門
様に直に逢ふと 一へん三がい迄家さがしすれど めにょふな伊左様が いつの間にどこへやら とんと
姿が見へませぬ マア早ふ金の顔が見たいときをひかゝつて尋れば ナンジヤ 伊左衛門様が見へぬ
か そりやこそな アゝなんまみだ/\ アゝいま/\しい何じやぞいの まあ伊左様に逢し


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たい お沢殿最一度尋て コリヤ/\ もふ尋るに及ばぬ 伊左様は死しやつた サゝ違ひなし正真(まつ)
の事じや 藤屋の本家へ尋ていて様子を聞ば 伊左衛門様は此夏江戸の店(たな)で死しやるちゃ しかも
大名の名を衒たぼくで 成敗に合しやつたと 早速店からいふて来て 遠(とふ)に體(からだ)見の葬
礼 けふ石塔を立る日じやと 坊様が経やら百万辺やら 始めてあふた御隠居が わしつかまへて泣か
つしやる コレ戒名も書て貰ふてきた 好色院粋客美男信士 たつた今迄姿の見へた
は 夕霧様に心が残て 逢にござつた幽霊に極つた 悲しや跡の月からの揚代雑用
香典になつたはいの なんまみだ/\ ハアしまふた 筐こそ今は仇なれ此紙花代正月に

牽頭持のかた三日 買てくれるお客は有まい 肩もしれたと駕籠かきの杖に離れし涙也
伊左衛門め爰におるか うせい/\と引立出 郡兵衛が恋の妨げする なまじらけた此しやつ顔と 髻
引上 ヤアこりや違ふた ハテめんよふなとつき放せば アゝ申 伊左衛門様は死しやつた物 何のわたしが所に
ござらふ イヤサ夕霧を揚詰の客は 慥に伊左衛門と聞て来たはい イヤ申 いかにも伊左衛門と申
は私 サア同じ名は何ぼも有る中 夕霧を買ふたも私 お前様と近付でなければ 意趣請る
覚へもなし 何でかやうに打擲はなされます ソリヤ人違へさ ムゝ 二腰もさいたお人が 理不審に客の
座敷へふん込むさへ有に なぜ此様にぶたつしやつた お侍様こりや御麁相でござりますな ヲゝサ まあ


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そ相のやうな物さ 御そ相なればまつかうと 足首取てつき倒せば うぬ慮外やつ 何ひろ
ぐ サア是も麁相でござります イヤ推参と抜かくるを マア御堪忍と喜左衛門
とめる顔してつき飛せば 牽頭が詫言 もふ御了簡拝まするといふてはつめり 御尤ではふみ
こかす 尤ごかしに身はひよろ/\ ふぬけになつて ヤイ亭主 あいつぶち放すやつなれ共 そち達が
詫るが不便さ 助て帰る エゝ有難ふござります 併ながら 思へばあいつ アゝもふよござります 喧
嘩はさはりと住吉屋で酒にせう お身の痛みに瓢箪町で 瓢箪酒もよござんしよ チヤンチキチ
タホゝ チヤンチキ/\/\チン瓢箪じや/\とお留主に成た留主居の腰 押立て「こそは出てゆく

胸の晴間を夕霧は 禿に銚子盃持せ 手の悪いどこへはづしてぞ 末長ふかための盃
お上り遊ばせと 客あしらひの嬉しさじやつなさ 心は何にたとふ紙 伽羅のかほりにむせ
返る 悋気の煙あさま山 藤屋はそつと長持の二人が有様見る共しらず 此様な思ひ
がけもない 有難い事はござりませぬ コリヤまあほん/\゛にお前様を 抱てねるのでござり
ますか サレバイナ お前の望聞入れた其代りに 又わたしが願ひが有 イヤモ何也と承りましよ
サア願ひといふはナ わたしを抱て寝ずに抱て寝て下さんせ ヲゝこふいへばなぶる共思ふ
てゞ有ふが 神さんかけてそふじやない 藤屋の伊左衛門様とは うちした中じやないわいな 誓


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紙より堅い互の心任せぬは勤めの身 此間外へ見受の約束伊州様(さん)も部屋住の
急に才覚出来ぬ中(うち)若し外へ定まつたら 此夕霧は生きては居ぬ それ程心底立る身
で お前に抱れて寝よふといふたは 貧しいお方の志を立るも一つ真実はお前様と
寝たといはゞ袖乞に肌ふれた女郎と 廓でばつと噂になり 客の落るがわしや
楽しみ 身請の沙汰もやむ道理 こちから頼んでどふぞして 惚て貰ひたい所を よふ
惚て下さんした 此上の御無心には 盃斗りで了簡して 逢ずと逢たぶんにして 面(おも)
向斗りの色に成て下さんせ エ エ 夕霧が命一つ助けるはお前の心 一生恩に着ませふと 乞

食を拝む両の手に落て 流の涙なる つく/\゛聞て顔ふり上 太夫殿 必ず其詞を
違へず 伊左衛門様の事を一生見捨て下さるなや エゝそふいはしやんすりや お前の
心も いかにも誰も聞て居はせぬかと 見廻す後ろの長持に ヤア伊左衛門様か 助右
衛門か はつと恟り蓋ぴつしやり コレ申 隠れさしやます事はない 伊左衛門様の事に付
ては 夕霧殿に恨も有る一通り わしは今橋の綷(くけ)
屋の手代 親方の娘御お辻様は
藤屋へ嫁入さつしやる筈 親御同士(どし)のいひ約束 結納(たのみ)の金子五百両を 盗
賊に衒られたは此助右衛門が一人の誤り 藤屋への言訳に わしがでに勘当受て


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其あげくに大病やみ 少々の小道具売り喰 とう/\長町の裏屋住居(ずまい) 途
中で伊左衛門様のお目にかゝり 江戸のしだらのお咄し 京の本家へは立寄る事もならぬと
哀なお姿 いはゞ親方の聟様 おれが為にも旦那様 マア/\と内へお供して 術ない
世帯をしらしたら 気兼なさるも気の毒と 随分貧乏を隠して居れば コレ助
右衛門 おれが大坂へ来たは 夕霧に逢たさなれど 此寒いなりで廓へはいけぬ 衣装の
才覚頼むと有る お辻様の事をあれ程に思はしやるならと 小腹は立てど アゝしとのな
いがよい衆じやと 古手屋を詮議して 損料がりも一夜さかと思へば 幾夜さも/\

偶(たま/\)内にござると 本見る迚 小買の袖に燈心を 十筋も入て夜明し 昼に成と
気が重い 食が味ないといはしやるも無理ではない 謡うたひの寄せ米を喰ながら
高砂屋の羊羹をとてこいの 其間にはとつけもない 金四五十両借てくれいのと
つまんだ様にいはつしやる 廓の贅に入かね お辻様の仇になる夕霧殿 とはいへ誠
の心底なら 本妻妾も有ならひ 欲でするのか真実か こな様の性根をためして
見る乞食の色事 紙子姿に情をかける 驚き入た女郎のいきぢ なづましやつたも
無理じやない いふはくだじやが 最前のわしが姿の通り 紙子着た伊左衛門様と 随分


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添とげて 其上でお辻様の身の上も 見捨ぬ様に頼ます おぼこな娘の一筋にあなた
をこがれて 秋の頃よりぶら/\と 今に煩ふてござるげな それ程に思ひ詰さつしやつた心
根がいとしさ 袖乞の中で 茶屋遣ひの仕送りするも やつぱりお辻様へする奉公 かい
の廻らぬせんの詰り 嬶を伏見の泥町へ身売 三つに成坊主めが 乳に離てぐし
/\と 泣寝入に寝おる顔見れば浮世の義理と諦めても ほろ/\涙がごぼれます
と 歎けば道理と夕霧も お辻様に義理立て思ひ切ふと思ふ程 どふも切れぬこら
へてと 同じ思ひをかきくどく心のたけは塵紙とのべの幾重を染にけり 二人が誠肝に

しみ 衣装櫃の蓋押明け 大尽姿引かへて以前の紙子 身にまとひすご/\出る
伊左衛門 助右衛門 夕霧 おれ故段々の心遣ひ 何にもいはぬ 諸事此なりで推量しやと
いふに二人は顔見合せ 覚悟とはいひながら 室町藤屋の旦那殿の是がなれの果かい
の 此お姿を見ては 一倍思ひ得切ぬといふて 五百両といふ金がなければ 外へ身請
の極る身 ヲゝ太夫が見受は身共がすると 障子ぐはらりと田舎大尽 はつと
驚き立のけば イヤサどつちへもにがしはせぬ 見受の金子五百両 則ち亭主喜左衛門
親方と相対済だれば 夕霧が身は身共が儘 見受さへしたれば武士の一言分は立つ


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乞食に身の穢れた傾城 侍の妻にはならぬ 廓を出た其跡は乞食めに報謝に
くれる 勝手次第に連て行くと 財布を其儘投出せば そんなら此お金を下され 身
受して添せと有る どなたなれば此様なお慈悲深いと顔見て恟り ヤアこなたは日外(いつぞや)の
浪人衒めじやないか ヲゝサ いかにも其衒 衒た金は藤屋から息女への結納の印
其時藤屋へ返させては お辻殿と伊左衛門の縁切れる 其離縁をさせまい為 態と
衒た五百両 則ち夕霧が身受金 今伊左衛門へ返弁すれば衒のさん用済まふがの
スリヤ夫(それ)もやつぱりお情か アゝよう衒て下さりました 有難い盗人様へお礼/\に伊左衛門

見れば見しりのヤア阿波の十郎兵衛どのコレ/\阿波の客に近付きは有るまい 此一腰は主
人桜井主膳殿の魂 手討になされた伊左衛門が 爰に居よふ様がない 殿のお
姫様の為に大名の仮名して 科人に成た訳は心で誉ても誉られぬが世の
掟 そこを察して世話するは主人の心に成かはつての恩返し 金銀の貢は盗
賊の一徳 此五右衛門の銀十郎が受取た 死で仕廻ふた伊左衛門 科の帳面さらり
と消ゆる 吉田屋の幽霊客 夕霧太夫も世間晴て 幽霊殿と未来かけ
て楽しみめされと粋な捌きも主人のかはり 割符を阿波の銀十郎は 仁義正しき


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盗人成 次の間より喜左衛門 気の毒そふにおろ/\出 最前から何もかも残らず聞て
居ましたが 去とは思ひがけもない お前様が彼噂のお盗人様でござりますか お
名を聞て肝玉がひつくり返り胴ぶるひが出ましたが 人には添て見いじや 段々
聞ばさすが大きい御商売をなさるゝ程有て 訳の立た粋様 いや又こちのお客
も揃ひも揃ふた一人は幽霊一人は門立 一人は大それたお客様扨と 夕霧様の身の
代あなたの方から出ました金を 親方へ私ましてひよつと跡でぼくは来やしよま
いかな 何さ/\五右衛門の銀十郎 たとへ明日召捕れ いか体の責めにあふ迚も 同

類もいふ男じやない 勿論お手前達に難儀かけてよい物か 主人の御用達する
迄は大事の體 手足の付て有る間は めつたに捕へられもせぬ男 気遣せずと金渡し
て 親方に落付せいさ 亭主けふの世話代 有合の金子取ておきやれと打つ露も
気味悪そふにハイ おやもふ是に及ませぬ あなたに納て置しやつて ハテよいはさ どふ
で是からせき/\来申す 夫は近頃お気の毒是におこり遊ばして必お出下さりますな
ソレ中居衆ぬしう様のお帰りじや 夕霧様の廓の名残 男共駕いふて こいよ/\と手
を叩く 上の女 下女 太夫様マアおめでたい 見受は済でも伊左様のかはつたお姿おいとしや ホンニ


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なじみとしほらしい いつも門出の見送りに 傍輩(ほうばい)女郎の祝ひの発句 けふの見受は袖
乞の 泊り定めぬ旅の空 歌や連歌の訳じやない 敷嶋さんや金吾すにも跡で宜し
う伝へてえ アイ/\せめての餞別(はなむけ)に 旅の用意の三尺手拭ひ 世帯なさるりや入る
物と たすき前垂お徳が進上 お前に貰た祐天様の守でお癪の出ぬ様に
わしや太夫様にはなされて是から頼りがなく禿なく/\出る門送り いつの間にかは郡
兵衛 御詮議の盗賊 阿波の十郎兵衛のがさぬと いはせも立てず銀十郎 足
くび取て長持へ ばつたりぴつしやり跡しら波打連れてこそ「帰りけれ