仮想空間

趣味の変体仮名

浪花文章夕霧塚 第二冊目

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html

     浄瑠璃本データベース  イ14-00002-603

 

13(2行目)

 第弐冊目             人々は礼儀を のべて「出て行

世の中は憂き事しげき 呉竹の 伏見の賑ひ 稲荷海道東路の道の衢(ちまた)に枝茂る

藤の森迚名も高く茶店の軒のいよ簾 端香(はなが)に色を添にける 御香(ごかう)の宮の方ゟも一

僕連し老人は 阿波の侍平岡左太夫 老の足なみとぼ/\と杖に腰伸(のす)一休み 跡から家来が

申旦那 お腰がいたくばおかごにと いへ共老の気はかんぢやう イヤ/\子の街道は賑はしうて気もはれる

そろ/\歩むが勝手/\と 行向ふより旅姿 夫婦連にて来かゝる侍 左太夫が嫡子平岡左近

 

女房お雪が目早くもアレ/\親父様 是はと左近もかけ寄ば こなたも恟り テモよい所で出合

た 堅固で有たかそち達夫婦は殿の御病気故 多賀明神へ代参 女房は御台所の御名代 先

悦べ お上の御病気日を追て御快全 おとせも息災で勤ておるぞ 嫁のお雪はなぜかごにでも

乗り召さぬ イエ/\わたしは道が達者 お前は又上下めしておひろひ なぜかごにでもめしませぬへ イヤ/\此

杖が有とまだ二里や三里は慥 イヤ申親父様 拙者が国を立迄はお登の御さたもなし まして

他国への御用筋はお上ゟも御用捨 何故の御上京と問ば左太夫 サレバ/\そち達が立た跡へ 山

城の中将殿より定家の色紙を指上なば 百石百貫の御礼物(れいもつ)有ふとめづらしいお使者 殿に

 

 

14

は礼物のお望はなけれ共 家の重宝天子へ指上るは 末代の規模と有て身共に仰付ら

れ 七日以前に当所伏見へ着せしに 又持病の疝気で豊後橋の舟宿に逗留 夕部から

漸腰ものされ持病の徳は一てきに心よい 聞ば中将殿には今日八幡へ御参詣 幸かな道に

待受先おめ見へをと思ふから 上下ため付けかごにも乗ずお出を相待 よい所でそち達に逢て 無事

な顔見て安堵/\と 悦ぶ親より嬉しがる 嫁は舅の腰撫さすり ヤレ/\御大切な御用 御持病の

發(おこつ)たも舟の中(うち)でお冷なされた物じやあろ 待合してお供して帰りましよ イヤ/\そち達は序に

八幡へ参詣し あれから舟に乗召れ 若し身共を待合すなら東谷の中の坊が殿の宿坊 弓

 

矢神なれば左近も参詣するがよい 勅使の対面遅なはる今日の御用仕廻れずば 先へ帰れと

人を走らそ 舟借切て待ておいやれ ハゝ 然らばお先へ参るべし 首尾よう御用お仕廻遊ばせ 八

幡でお目にかゝりましよと いへば供々女房も遠道出向ひなされず共 どこぞ爰らで待合せおめ

見へ仕廻ふて早う御出 此杖は丈夫なかと つく杖に迄心付け 立別れたる伏見の里 男山へと急ぎ

行 跡見おくりて左太夫 いか様嫁がいふ通り どふで此道へお出の勅使 此所で待合そふ 幸の茶店

関介来たれと引連て 暫く爰を借申と 簾を上て休足の 時も移るや 辰の刻 足取軽(かろ)く

しと/\と行義乱さぬ乗物に 供の雑掌(ざつしやう)股(もゝ)立も折目正敷引添ふて来る向ふゟ若侍 上下

 

 

15

立派さはやかに 小腰をかゝめ両手をさげ 憚りながら此御乗物は 山城の中将様と見奉り申上度き

子細有 暫く御控へ下されよと 願へば雑掌 ヤア何者なれば途中の訴へ 願ひ有らばお館へ参れ

イヤ是は先達て仰付られた定家の色紙を持参の者 途中ながら御め見へと断りいへ共雑掌

あらく お尋の色紙を持参ならば猶以てお館へ参れ 御参詣の邪魔そこ退け立と公家の権柄

ヤレあらくいふな乗物立よと 仰にハツト舁据て下部は 遥に引さがる 乗物の戸を明給へば 六十(むそじ)

に余る御年ばい御声もたをやかに 定家卿の御色紙を持参せしとは重畳/\ 勅命に随

ひ大半は集めしかど 国々へわかち有れば一時には参らず いづれの方より持参せしと 仰にはつと頭(かうべ)を

 

さげ 拙者めは阿州児嶋左兵衛が家来平岡左太夫と申者 家に伝はる重畳なれ共 君

命もだしがたく 急ぎ指上申せよと主人が云付に随ひ 持参仕り候と 色紙の箱を指上れば 中

将御悦喜まし/\ 勅命に随ふは奇特/\ 先披見と箱のふた取んとし給ふこなたより ヤレ暫く御待ち

下されよと 茶店の内より出来る老人件の武士に眼(まなこ)を付け御乗物に近付き 拙者こそ阿州

児嶋左兵衛が家来平岡左太夫 主人の云付に随ひ定家の色紙指上ん為持参仕る 急ぎ

御上覧下さるべしと 同じく箱を指出す 中将ふしぎの御顔ばせ 同じ主人に同じけらい 何れ一人は贋者

油断するなと仰に雑掌眼をくばり切刃(きつぱ)廻して控いる 以前の侍ちつ共臆せず 世には假名(けめう)実

 

 

16

名同字の者有まじき物ならねど 一点違はぬはふしぎ 定めて老人の老耄にて覚違ひも有べし 麁

忽の事をといはせむ立ず ヤアそふいふ汝が狂気したか 阿州児嶋が家来平岡左太夫とは身が事

イヤ紛はしい左太夫とは我事 イヤ我こそといとみ争ふ詞論 ヤレ双方静まれと制し給ひ コリヤ/\両

人 児嶋の家の色紙は 建保六年内裏にて歌合せの節 定家卿の詠み給ひし松尾の浦の

色紙 二枚有ふ筈がなし 定て一枚は贋物ならん 只今披見し曲者を顕はし見せんと色紙の箱

二つのふた取二枚の色紙見くらべ見合せ扨こそ/\ 其若侍動かすなと 仰の内に雑掌共に

肘(がいな)取て引立る ヤア是は何事何故と動ぜぬ顔色 中将殿御声あらく ヤア何故とは胡乱(うろん)者 勅を受け

 

て集むる色紙贋物をしるまじや 其方が持参せし此色紙こそ贋筆よ 百石百貫

貪ぼらん術か憎(にっく)いやつ ソレはからへとの仰の内 気早の老人襟かみ掴みヤア上を欺く大

罪人 憎さも憎しと引廻し大地へどうど投付る ヤレ手ぬるしと雑掌が走り寄て蹴飛し

蹴かへし翻(はね)かへし 杖追取て丁/\/\ 打れて若者手を合せコレ/\申暫くと いへ共聞ず打杖に

命もたはむ斗也 御乗物はさすが長袖 ヤレ聊爾すな 待てくれよといふからは言訳も有やせん

ナア何国(いづく)何者の家来ぞ有やうに白状させよと 仰に雑掌引立れば 面ふせくも手をつかへ 有

がたいお上の御意 申上るも恥かしながら一通り御聞下され 元私めは駿州浪人 冬当所にお

 

 

17

は打からし 一人の母を育むあだてもなく途方にくれし折から あれ成左太夫殿病気指お

こり 舟宿に七日の逗留 密かに様子を聞合せば 阿州児嶋殿より 指上らるゝ色紙の様子

歌の様子 使者の名苗字くはしく聞 私躮の時より 定家やうを書覚へしが惣事の元 今日此

所にて御出合有ふとは夢にもしらず 先達て指上 百石百貫のお礼物を受て母が露命

をつながんと 思ひ立からかふした工 よもや実否(じつぷ)は知れまじと思ひしが 恐ろしや 勅命を受給ふ 御眼力

は八岐の鏡 曇らさんとはかりし天命 今こそ思ひ しつたるぞや 我命を召されなば老いたる母が餓死(うへじに)

を仕らん 此上の御慈悲に命をお助け下されなば 生々世々の御恩ぞと涙と 供に詫居たる 憎し

 

と思へど左太夫も 上の仰を計り兼 指控ゆれば雑掌猶も声あらゝげ ヤアそふぬかすも偽り

ならん 贋筆ひろいだ其ほでを打折てくれんずと 又ふり上て丁/\/\ 初めの痛みに息も切れうんと

斗に倒れふす 乗物よりはヤレ殺すな 社参の穢ぞ過ちせぞと 制しとゞめて左太夫を傍

近く召れ かゝる非常の道の斎(いみ)払ひ清めて跡より社参 汝は是ゟ八幡へ先立神前にて相待るべし

賽(かへりもうし)の折から宿坊にて色紙を受取 国元への答へを申渡さんと 件の色紙を戻し給へばはつと

受取 仰に任せ先立てあれにて待受申べし 心静かに御参詣と礼儀をのべて雑掌にも 近頃

御苦労/\の挨拶そこ/\左太夫ハ八幡をさして急ぎ行 中将殿は乗物よりおり立給ひ 四方の

 

 

18

気色を見給ふ中 雑掌も供々に辺りをながめいる所に 打すへられた以前の侍そろ/\と起上り

雑掌諸共傅手に袴ぬぎ捨れば 中将殿と見へたるも冠装束取ければ 六十斗な白

髪の老女 侍は顔見合せ辺きよろ/\見廻して コレ母者人の色紙は ヲゝまんまと摺かへて

爰に有 ヲゝ出来ました コレ雑掌役の医者殿 此一包が雇ひ賃と乗物のかり賃 御

縁あらば重て逢ふ 母者人 ござれと引つれて飛がごとくに「かへりける