仮想空間

趣味の変体仮名

火水風災難輯(一) 11ページ

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地震風火水災綴 一

 

 

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信越地震

 

抑信陽は

郡数十郡高五十

四万七千三百石に及び

日本高土第一の国にて尤

山川多く四方に水流なし

上の国にて人はしつそにして名産多

五こく豊ぎようの国也然るにいかなるじ

せつにや有けん弘化四年丁未三月廿四日の

夜より古今未曾有の大ぢしんにて山川へんじ

寺社人家をつぶし人馬の亡失多く火災

水なんに苦しむ事村里の凶へんつぶさに記し

且は 御上の御仁恵良民救助の御国恩

を後代にしらしめんが為こゝにしるすもつとも

三月陽気過度なること数日廿四日夜四つ

時より山なりしんどうなし善光寺の辺則

してつよく夫ぢしんといふより早く大山は

くづれおち水はあぶれ地中mりどうなす

より五寸壱尺又は五尺壱丈と大ちさけ

黒赤のどろ吹出し火炎のごとき物もへ

上り御殿宝蔵寺中十八ヶ町の人々は

おし潰され大ちにめり込男女らう少泣声

天にひゞき殊にやぢうといひにげ迷ひ大石にう

たれ皆川にはまりらうばい大方ならず其内

八方ゟ火えん起りせうしつせり此辺の村々には北

は大峰戸がくし山上松北松しん光寺西条吉村田子

平手宝飯小平落かけ小高大高あら町柏原のじり

赤川せき川の御関所東はこんどう間の御所中の

御所あらき青木嶋大つか間嶋こしまた水沢西寺尾

田中 南の方は北ばら藤枝雨の

宮矢代向八まん志川山田小松

はらこくウ蔵山茶臼山丹波

西はあら妻たみや入山田中楠

木辺都て乍恐御代官様

御支配の分潰家五千三百

九十軒半潰れ二千二百

軒余但し木品は打

くたけ用には相立す

潰家同様にて死人は凡二千七百人けが人

?百人程馬七十三疋牛二疋大ち

にめり込家数廿軒ほど宮寺四十

六軒郷蔵廿二ヶ所是は六万石ば

かりの内の中にもあはれ成は此度善

光寺かいちやうにて諸国参詣の男女

同所止宿の者不案内にてとほうに

くれ二百人余もおし?うたれて即死

なす一生けんめい御仏に願はんと所の者

諸人本堂にかけ入一心にねんじたる者

七百八十余人かゝる大災別而此辺つ

よく災難の中に本堂山門けう蔵のみ

破損なくさすが末世の今に至る迄三国

でんらいえんぶたこんの尊ぞうにて利

益の程恐れ尊むべし本堂は廣間

十八間奥行三十六間東西南北

四方表門にて寺号は則四つ有

東は定額山善光寺西は不捨山

浄土寺南は南めい山無量寿

北は北野山雲上寺天台宗にて

寺領千石尼寺にて由来は人

のしる所也扨又「水内郡を聞

に小ふせ神代あきの大くら

かに沢今井赤沢三つ又

さかい村茂右衛門村駒たて

戸隠小泉とかり大坪曽

根北条小さかいわらひふか

さは第一飯山御城下至て

きびしきちしんにて遁ん

としてはころび足たゝず

あをのけにはうより仕方

もなく老子供は泣叫び

地はさけ土砂を吹出し山々

はくつれ男女の死亡町方

にて四百三十人其外在方

多く此内丹波川かは付村

一同に押ながし行方しらず

更科郡は内小

じまはし本大原

和田古いち北かる

い沢よしはら竹房

今泉三水あんぞこ

小松原くぼ寺中の

うしろ丁宿家々をた

をす中にも稲荷山にて

廿八軒つぶれたる家は廿

八日には大水におしながし

ゆくえ不知こゝに岩倉山

といふ高山高サ十八九

丈にて安庭村山平林

むら両村の間に有

此山めいどうなし

あたかも大上雷の

ごとく半面両端崩れ壱ヶ所は三十丁壱ヶ所は八十丁丹波川の上手へおし入近村一同にうづまりこう水

あぶれ七八丈も高く数ヶ村湖水のごとく人馬死ぼう数しれず同少し北の方に六丈ばかりの岩山

有しが是又ぬけおち五丁程川中へ押出し土屋藤倉の両村水中へおし入「あつみ郡の分新町と申

所三百八十軒の里こと/\く潰れ其儘出火にて焼失なし夫ゟ大水二丈ばかり高くみなぎり目も

当られぬ斗にて色ぶち犬かい小梅中曽根ふみ入寺竹くまくら成金町ほそかへしうら町とゞろき村

堀金村小田井中ぼり上下鳥羽住吉長尾柏原七日市間々べ狐島池田町堀の内曽根原宮本

草尾母?むら抔大破に及ぶ「小さがた郡は秋和生づる上田御ぜうかにしは新丁上小じま下

こじま此辺山なりしんとうなし地中めいどうす今にも大ちがさけるかと此辺のもの共生たる

心ちなくされど大ちのさける程のことはなしといへど家々はつぶれけが人多く前田手つか山田別所

米沢くつかけならもと一の沢凡百四十ヶ村ほど「ちくま郡は八まんむら辺至てつよく度々ゆり返し

にんばそんじ多くほうふく寺七あらし赤ぬた洞村おかだ丁松岡ありかし水くみ松本御ぜう下辺

百二三ヶ村ふるひつよく庄内田貫ちくま新町あら井長田下新かみ新三みぞ飛騨えつちうさかいに至る「佐久郡は小諸御ぜう下西ノ方は瀧原市町歳(壱?)丁志良村

四つ谷間瀬追分かり宿?宿くつかけかるいざは赤沢峠町矢さき山浅間山より上しう口度々つよくゆり川附の方至てひどく爰より「諏訪郡は高嶋御せうか

大水高木は少々にて八重ばら大日向細谷平はやし布引此辺は少々強くゆる「はにしな郡は松代御ぜうか近へん廿四日よりゆりはじめ廿九日朝毎日夕

かたまで三度つよくふるひ大いしをおし出し山々くづれやしろへんことにきびしく人家多くつぶれ門附下手のかた山々岩はなくづれ人家をらん??

はやしかけむら赤しば関屋西条せきや川上下とくら中条よこ尾いま井ねつみ宿上下しほじりむら等同やう「高井郡の?は丹波川?東まて

すきる御ぜうか中じま御じん屋川へりの村々ふくしまたかなし中じま別府いゝ田羽場くり林大俣辺ゟ田上岩井安田坂井等つよくふるい家をたおす

事少なからずそれよりえちご路に至りて廿四日よりゆりはじめ段々つよく廿九日の牛の上こくは大へんのおゝちしんにて杉ざき??井ゆり

くづれ水はあぶれ大ばんじやくをころがし中にもながさはむらと申すに村はなさけなくも大山の水につぶれ七十人ほとち????

手足のみ相みへたりあはれと申すも中々おろかなれ其上廿九日は今町辺大なみに引入られ家々流しつすゝみなから同此度儘??ヶ日の

大ちしんは実にもきたひの珎事にていにしえよりぢしんも数度有也といえどもたいちさけ泥砂をふき出しかくの如くにんばの死亡に?

ひ前代未聞の凶へんなりぜんこうじ辺は廿四日より廿五日迄きびしく松代えちご路は廿九日三十日に至て東西廿里南北三十里山川直くづし尽く

ちしんはしづまれども山々崩れこうすいあぶれわうくはんに馬の通路をふざぎ且ぢめんわれさけたる所十間住ひ筋つきみな赤のどろみづ

ふき出し山々くづれ大石ころばり落田畑こと/\く変地いたし用水所は欠崩れ谷川等ふるひうづまり山面にどろみづふき出し貯への

俵物はのこらずくつれどろ水を冠り地中にうつまり別して川中嶋は大水人力にて防く事戦く一方に泉を落し崩は一方は水なんにていか

やうにも相成も不知西の方にて防水致せば東の方ののこる村々おしながし双方共大庭にていかさま騒動にも及ばんくらいの仕合(?)にて然る所御見分

の上御下知置之内は双方共手出し致し候事御差留にて早速?割人足共さしむけられ候へとも弥こう水溢れみなぎり此辺の者は親にはなれ

子にわかれ夫婦の所在もしれず庄屋村役人其外本領を失ひ候ごとく後片付の心得もなく潰家の前に家内一同雨露のかね守もなくとほうにくれ只々頻りに

落涙に及ひ相応にくらして歳こくは土をかぶりどろ水に入食物の手たんもなく小者なんぎの者はたゞ打ふしてなき入ては死かいにすかりけが人は?びたゝしく苦つうにたへかね死あり何のむら/\

同様にてたがひにたすけ合ちからもなくさしあたり食事にさしつかへ呑水もかねて用水を持い候間皆どろ水にてきかつに及ひあわれといふもおろかにて水内高井両郡田畑

七八分はつぶれ家をつぶし道具を失い候ぶん八分斗りにて此上いかようのいん水にも相成候やもはかりがたく川ぎしの村々山林に退去致しよりやとり山々も日々鳴といたし水勢

(右頁下)

らいのことくにて一時に切候へは又々水災わかりかたく諸方御手配りこれありしに

四月十三日夕七つ時にはかに山谷鳴動なし水押ぬき左右の土手を切り

堤の上をのりこし川中嶋は申不及さい川へ送水押入中々防ぐことかな

わす松代御代下辺迄水みちて川ぞへ村々を押ながし高さ二丈斗作物はもち

ろん溺死人けが人多く村々古今希なる事にて凡三百余ヶ村おしながし廿四日

ゟ大災にて又々かく水なんはたとへんかたもなくいかに天へんとは申なからかくの

災害良民とりつゝき成兼候ほとの仕合然は御代官様御地頭様は慈母の

御れんみんにて御すぐひあそはされ候段泰平の御めくみありかたきといふも恐有

然は諸人御こくおんわすれんかため一紙につゝるのみ

 

 

 

 ()

このところ廿九日八つ過

大つなみなり       うみ

 

「今町」三り

(上部山の図)

明光山

黒ヒメ山

戸がくし山

昔此山鬼住人をくう

「水内郡」

この所むらあまたつふれ 人多く死ぬ

 

この山五丁程川押出

高座おの家

土屋組

藤倉組

水に入其上

此山ぬけ落

岩?高さ六丈ヨ

 

ほどなく

安?村

 

   水内村

間ひらは中村の

  いわくらくみ

    三十丁ホド

    川上?ヘ押出

高さ

凡十七八丈程

同村の内まごせくみ

 土の下うづまる

 

安曇郡

?二百本へ

 

????

同廿九日

水来此ゟ

二丈ヨ死人

多し

 

是より

 

(黒ヒメ山 へ戻る)

ぜん光寺

「北のもん」

「西のもん」

山門

「となえ門」 西?

「東?門」

西ヨコ丁

宿ヤ??

東門 ごんど丁

 

たんば川

 

小松原

 

こくうぞう山

山平林村 「たんば路」二り

 

追分

篠井

一り

 いなり山

  三り

(上)

岩倉山

左右??凡

則寺山ナリ

 

稲荷山

此所廿六日

?ぶれ??廿八九???

廿八日??くず

 

さるとをげ 

おば すて山

上田

 

(上)

「更科郡」

条(粂?)路撞水に入

 

松本御領内

  不和

 

松本御あづかりち

(西)

 

▲みの口

 

(冒頭「今町」三り へ戻る)

二り「くびき郡」 

「高田」

二り

 

あら井

一り半

まつざき

一り

十七?

せきノ山

一り 半

ふたき

二り 半

せき川

二り

のじり 丁

(読みにくい過ぎ。以下略)

 

春日丁

        是より北国筋

(北)

 

(以下略)