仮想空間

趣味の変体仮名

北條時政記(下)

読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10301572

 

 (意味不明の単語は調べた上で適宜漢字を当て嵌めました)

 

 

20

辛 卯 の

春 新版

 

徳升作

貞房え

 

 

21

徳升さく  全五冊

貞房え    後へん

 

北条時政記(ほうじやうじせいき)

 

文政辛卯の春   森屋

 しんばん       治ひやうえ はん

 

かくて

きまさ

申されけるは重

忠が申スごとく

此うへはいづの

しゆごにんを

ぎんみとげ

ズとし まづ/\

げは

たい出

いたすべしときゝ

いなげはこかうを

のがれてしりぞきぬ

これよりしていなげ入道

北じやうがつま まきの

方とみつだんなしてじや

ぼうをめぐらし はたけやま

重忠をうしなはんとはかる

いこんのはじまりにしてつひに

あだとなる さてもいなげがじやぼうむなしくなりければ とき政

心に思ふやういづのぜんしつよりいへ卿

そのまゝにさしおいてはつひにとうけの

あだとなるべしと思ひ ふくしんの郎等に▲

 

▲申ふくめ いづへつかはし

くだんの書ひろうに及び

御むほんめい白なりと

申たてさせければ

よりいへ卿大に

おどろかせ給ふと

いへどもせん方なく

いかゞはせんとあんじ

わづらふおりから

つき/\のものい みなほう

じやうがしんなればいそぎ

がい

かる

べし

すゝめ

けれは

つひに

けん久

元ねん

きのへ子

どし

「次へ」

 

 

22

「つゞき」七月十八日御とし

二十三才にて御じがいある

此ことをかまくらにちうしん

なす 時まさ さねとも卿

にくんへうつたへければ うりん

此ほどの御?かまくら

うつたへし上は御むほんの

めいはくなるによりせん

ひをくひて御じがいありし

なりとひろうおよ

ばれければ 御しよ

ちうのひと/\゛大に

なげきかなしみぬ 此せつ

はたけ山しげたゞは本ごく

むさしへ引こもりせいを

やしなひいたるるす

いなげ入道いろ/\の

ばうしよを

こしらへ重忠

むほんのよし

をふうぶんす

時まさこれを

さねともきやう

にかうへうつたへ しげ

たゞをうたんと

(左頁)

はかるといへども

ほうじやうが

ちやくしよし

ときこれを

いさめ しげ

たゞはじんぎ

たゞしきものゝふ

なればかりにもむほんいたすものに

あらず よく/\

御けんりよあつて

しかるべしと申と

いへども ときまさ

これをもちひず

はたけ山

ふしを

うたんと

はかる かく

ともしらず

しげたゞはほん

ごくよりかま

くらへのぼらん

とて ちやくし六郎

しげやすは「右ノ下へ」

 

「左ノ上ゟ」二日さき

にたちて元久

二巳どし六月

廿一日夜に いりて

かまくら

さんちやくす

かくていなげ

にうどう

とぢに

ものみを

さしおき

はたけ

山が

ちやくと

きゝ

とき政と

しめし

あはせ

まづ

しげ

やすをうち

とるべし

とて

小ざは

次郎

しげ まさ

(左頁)

さくま太郎

みつとよ

両にんに

三百よきを

さづけ

うつてとして

ゆいがはま

にまち

うけ

たり

かくとも

しらず

しげやすは

わづか

らうどう

三十きにて

とほる所を

三百き

いてを

そろへて

さん/\゛にいる

しげやす

大に

いかり

なにもの

なれば「次へ」

 

 

23

「つゝき」かゝるらうぜきなすや

と大おんじやうによばゝり

むらがるなかにうつている

此ときてきへいの

こえ/\゛に

やく

しん

はたけ山

ふしをちうりく

せよとのおほせに

よつてはせむかひし

なりとのゝしつたり

しげやすいよ/\

いかりむほん

とはなにごとぞや

じんぎ

もる

重忠なり

さいふあんぢらこそ

むほんにんなりとて

(左頁)

てきちうにきつていり

あたるをさいわいにきつて

まはるといへどもてきは大ぜい

しげやすはのこりずくなにうち

なされ今はこれまでなり

とてはら十もんじに

かき切てうせにけり

あはれむべし

あつぱれ忠たん

ぎかんのわかもの

ざんじやのぜつとうに

むやくの死をとげたるは

くちおしきしだいなり

さくまをざいがぐんぜいは

しげやすがくびをとりて

かまくらへ引かへす かくなる

うへは重たゞちうりく

せずんばあるべからず

とてほうじやうとき政

おなじくときふさ かさい 千葉

大すか おかべ さうま あしかゞ うつのみや○

(右頁下)

をやま

あだ

ちw

はじめ

として

三万

よにんしげ

たゞが

うつてと

して

はせむかふ

此とき

はたけやま

重たゞは

いへのらうどう

百三十余人

しかもかつ いうは

ちやくせず

むさしのくに

ふたまた川にて

ちやくし六郎

しげやす

ざんじやのために

(左頁)

うたれしときゝ

大におどろくと

いへどもすこしもどうぜずなをもすゝ

むところにおひ/\

ちうしんには重

たゞぎやくしん

たるにより

北じやうを

はじめと

して

かまくら

しよし

うつてと

してまちかく

来るよし きゝ

わが子らく

めいにおよぶ

のうへは

いかでかわが

身あんおんなる

べきや 天のめい

なりひたんするに

かひなしとて「次へ」

 

 

24

「つゝき」ゆう/\

としてこまの

かしらをひかへし

けり 本多の次郎

ちかつねすゝみ

いで ざんじやの

ために一めいを

うしなふこと

くちおしき

しだい也

ひとまづ

本ごくへ

(左頁)

ひつかへし

うつてをひきうけ

十ぶんにはたらき

うちじにを

とげんとすゝめ

ければ しげたゝ

わつて そのぎ

はなはだしかるべからず

われ生がい ひぎひどうを

ことゝせず正ぢきを

むねとして然る

まもよこしま

なく せい忠を

まもるといへ

ども むじつの

つみをえて しせんとす

これ天のめい

なにをか

うらむべき

本ごくへ

引かへしなば

かねていんぼう

あるににたり たち

まちふちうの(一)

(右頁中)

(二)しんとよばれ

しごにくひくゆるとも

えきなし たゞ此まゝにて

てきを引うけいさぎ

よくさいごをとげんと

まちうけ たり

あるさかやに

いりて

しゆう/\゛

さけくみ

かはし(三)

 

(四)らうどう百四十人ひつしをきはめ

まんまるにそなへてまち

うけたり

このとき

かまくら

うつて

三万よにん

もみに

もんで

来り

けるが

しげ

たゞか

ぜい

かつ

ちうを

たいせし

もの

一にんも

なし

かまくら ぜい

おつとり

こめて

うたんと

百四十人の

(左頁)

らう どう を

つゝ

んで

せめ

たゝ

かふ

しげ

たゞが

らう

どの

百四十人(五)

 

(六)ひつしと

なるて

きりたる ゆへ

さしもの 大ぐん

色めき

わたつて

見へければ

今はそうがゝりと

なつてせめたつる 日ほん

ぶそうのしげたゞもその

身きんてつにあらざれば

いるやはみのけのごとく

らうどうもわつか五六人に

うちなされければせん

かたなく今はこれまで也

とてはら十もんじに

かききつて「次へ」

 

 

25

「つゞき」死たりける ときは元久二年

六月廿二日しやうねん四十二才なり

あゝ今日いかなる日ぞや 本ちやう

ためしなきけんりやうのちうしん

かんとのために身をほろぼすこと

天なんぞこれをおしまざらんや

かくて重忠がくびをとり

とき政よりよし時にわたす よしとき

らくるいなしていくさはかつとも

いさみなくしうせうをもよふし

かまくらへ引かへす さてしげたゞが

くびをほうじやうよしとき御下に

ぢさんしかつせんのしだいを申あげ

重たゞをしきにびしやうす

よしもり御ぜんにすゝみ

いでゝしげたゞこと

ぎやく

しんとは▲

(下)

▲申がたし

その

さいと

申は

らう

どう一手

をあつめても

二千三千には

あるべし

しかるにわづか

百五十人にたら

ざる兵を引

ぐしてかま

くらへ

のぼる

あまつ

さへ

かつ

ちうを

ちやくせず

かつせんの

よういせ

ざるをもて

(左頁)

ぎやくしんなき

ことめいはく也

とてなみだを

あ(な)かしあるひはいかり

なか(ある)ひはかなしみ よし

ときもともになみだ

にくれにける とき政は

せきめんあしてひかへたり

此ときほうじやうとき政

すゝみ出てしげたゞをそにん

ありしはいなげ入どう

しげ成なり かれを

ちうりやくあちて

重忠がぼうこんを

なぐさめ給はんと

せめてしんめいの

いかりを

なぐさめ

たま

はん

こと

しん

めいを

「次へ」

 

 

26

「つゞき」

なだ め

らるゝ

どう

りに 候

はん

ければ

よしもり

はじめどう

りしごく

なることゆへ

さねとも卿

御じやくねんには

ましませども

あたら忠しんを

うしなひしとて

らくるいす こゝに

およばれける とき政は

身におぼえあること

ゆへ はりのむしろにざす

こゝちなり 此とき      (挿絵) 「牧の方」「やす時」

(左頁)

さねとも卿ぢき/\に

ねいじん いなげにうどう

ちうりくすべしとめいぜられ

ける よしもりかしこまりて

大かうど三郎 うさみ与市に

めいじ いなげ三郎ふし

こと/\゛くちうせらるべしと

げちをなしけれる 此ときしよ

しんいなげがあくぎやくを

にくみわれも/\とはせつき

二千よにんの大ぐんと

なり そくじにいなげが

しゆくしょにおしよせる

このときいなげにう

どうはかんけいじやう

じゆしてしゆひよく

はたけ山をめつぼう

させ ほうじやうけ

よりおんしやうに

あづかるべしとよろこび

ありける所おもひがけ

なきうつてむにむざんに

みだれいる 入どうはじめ「次へ」

 

 

27

「つゞき」おほきにおどろき こはいかなるらうぜき

ぞやとうろたへさわぎにげいだすとき

うつてのこえ/\゛ざんじやのちやうぼん

いなげにうどうをうちとれとよば

はつて四方をかためおつとりまく にげる

まもなく大かうど三郎にとらへられ大ぜいに

なぶり

ごろしに

あふとき いな

げがちやくし次郎

しげまさ うさみ

与いちに

うたれ けり

かんあくの

むくひ

たち

まち

めぐり

きて

とき

(左頁)

ばか

りに

ふし

けんぞくめつほうせしは

こゝちよくこそおぼへける

すくにそのくびを

御しよへけんじぬ よしもり

これをひろうし よくじつ

重忠ふしのくびを

よりとも卿の▲

 

御魂(こん)くはん

ほつけ

どうの

わきに

あつく

ほうふり

いなげにう

どうふしの

くびを

もつて※

(右頁中)

れいこんをまつりぬ

かまくらのしよしん

われも/\とぐんさんして

まことに

しげたゞが▲

 

▲一世の

ちうしん

むなし

からず

とゞ

けり

さても

ほうじやう

かつま

(左頁)

まきの

かたは

此たびはたけ

山父子

めつ

ぼうは○

 

○よろこぶ所

いちじにいなげ一どうが

ちうりくせられしをきゝ

大におどろくといへども

なをかんあくやまずしてぞうちやうなし

さねとも卿をどくさつせんとはかること

大たんふてきなり これによつて

おつととき政をすゝめて同年閏七月

十九日ほうじやうがなごえのていにて

りうふうのえんをもよふし うたあはせの

御ゆうあるべしとてさねとも卿をせうじ

たてまつる きみかどう御しうしんの

ことなれば大によろこび給ふてひつじの

こくのともぞろひにて北じやうが「次へ」

 

 

28

「つゞき」たちへおんいり

ありしかば とき政

大によろこび

しゆ/\゛きやう

おふしたてまつる

そば

には

ゆうき

七郎

とも

みつ

つきまい

らせて

しじう

ゆだんなく

しゆ ご

いたすゆへ

ひるの

うちは

べつでう

なし

しか るに

北 でう

(左頁)

よしときが一子やす時は

ときまさがめいによつて

いがへげかうなせしが

そのあとにて

はたけ山しげたゞは

ふしともにちうせ

られしこときゝ

大におどろき

たんそくし

くゆると

いへども

今さら

せんかた

なく

かまくら

きちやくす

今にちさね

とも卿名

ごへのていに

御入なりと

きゝいそぎ

さんじやう

せしところ

父よし時は

御所の▲

(右頁下)

▲るすいと きゝ

さてこそ

しさい

あらんと

御ぜんに

しかうす

そのとき

まきの方

はいせんを

すゝむる

やす時

こは大事

なりとて

かはりて

これを

つとめんと いふ

まき

の方

やす時を

しかり

(左頁)

つけ われに

まかすべしといふ

さねとも卿きこし

めしてはいぜんはやす

ときにいたすべし

らう女はさぞかし

たいぎならんと

おぼせあれば

今さら

せん方なく

さしひかへ どく

さつの一けい

むなしく なる

このとき

きみ

によふに

たち給ふ

ゆふき

七郎

とも

みつ

 

△つきそひて用所におもむく

すでにらうかをすぎさせ

給ふときくせもの一にんあらはれ

いでゝきみをめがけてきつてかゝるを

こゝろえたりとゆふき七郎ともみつ

かいくゞりむんずといだきしめつけて

だいちへどつとなげつけて「次へ」

 

 

29

「つゞき」そのまゝきみをしゆごまいらせ

やすときにむかひごへんよろしく

くせものをがうもんあるべしと

いちごんをのこしおんとも

なしてよしときが

ていにいらせられ

ぶなんにおはしける

ほうじやうやすとき

おくにはにはせいたり

くせものを引とらへ

みればちゝの

らうどう

ちが九郎也

大におど

ろき

その

まゝ

引とらへ

ちゝよし

ときを

まつところへ

やうすいかゞと

たづねきたる

(左頁)

やすとき父よし

ときがみゝに

さゝやきければ

かやう/\あるべしと

うなづきそくじに

ときまさがまへに

いでことのよしを

申ければ

かね て

どく

さつの

ことはがてん

なれどもちが

九郎のことは

いさゝかもしら

さるゆへともにおどろき

いたりしが今さらせん

なしとてすぐにじがいと

見へければよしときやす時

これをとゞめまづ君子ぐしらに  

まかせ給へとてちが九郎をがうもん

なしそのゝちよし時やす時父子「右ノ下へ」

(右頁中)

「左ノ上ゟ」きみの御ぜんにいでゝ

申けるは こよひのけうtかう

ふぼのしんてい子なが

らもそのじつをぞんじ

申さずそれがしは

御所のるすい

たるところ

けいぼのしん

ていおぼつかなく

きみをしゆごし

たてまつらん

ため

 

▲すい

さんつかまつるところ

かくのしあはせさつそく

くせものちが九郎を

(左頁)

がうもんいたせしところ

まきの方のくわだて

むさしの守ともまさを

もつてぶせうと

せんぞんねんにて

きみをせつがいし

たてまつらんと

(右頁下)

いたせし

なりと

いへども

よし

と き や す と き に さ ま た げ

られ

こと

じやう

しゆ

つか

まつらず

とめいはくに

申けるに

より

此むねを

うつたへぬ

さねとも卿

(左頁)

よし

とき

ふしを

大に

御かん

あり□

 

□おやこ

きやうだいたり

ともそのこゝろ

おなじかるまじ

忠により義により

ふしてきみかたとなるでう

こゝんめづらしからずしかれば

なんぢらをうたがはんや「次へ」

 

 

30

「つゞき」なほ

ちうきん

おこたる

まじと

おほせ

あり

ければ

よしとき

やす

とき

ありが

たきよし

おんうけ

申しつい

ては

父母

だいざいを

おかし候

うへは

もつ

とも

ちう

りく

のがれ

がたし

なにとぞ

(左頁)

かうをめんぜられちうりくの

ぎはそれがしにおほせ

つけられくださるにおのは

ながくせいちうをつくし

ほうおんにそなへ

たてまつらんと

よぎなくねがひければ

きみよしときふしが

しんちうをあはれみ

ときまさはわれみ

ぐわいそふのなあれば

なんぢがこよひの

かうとしてときに

まかせられけるかくて

さねとも卿はかまくら

御所へ御きくはんまします

あとにてときまさがつま

まきの方はおのれがじやあく

一じにあらはれ申わけなく

じがいなしてはてにける

北じやうとき政はていはつなし▲

(右頁下)

▲しゆつけをとげ

づしうへうつり

おんしやのため

きみの御ぶ

うん

四かい

たい

へいを

いのり

たしと

ねがひ

ければ

とき

まさは

そぼ

にかうには

父のことゆへ

つみをくはへがたく

ことにまきの

かたのじめつと

いひ

よし時やす時が

ちうきんに

めでさせられ

(左頁)

とき政ほうしを

いづへおくられ

にかうの御さたと

して

よしときにちゝの

しよくをつがしめ

北でうさがみの守

よしとき

かまくら二だいの

しつけんとなる

ときに

元久(げんきう)元年

壬七月

廿日

なり

めで

たし

/\/\/\

 

 

31

これより

北でうよし

ときがいせい

さかんにして

むしや所の

べつたう和田(わだ)

さえもんのぜうよし盛卿と

両雄(りやう ゆう)ならびたゝざる

ならひつひにわだ

かつせんとなり

よしもり

めつ

ぼう

さね

とも

宋(につ そう)

ののぞみにて大船(たい せん)を

つくらしむる つるが

おかしやさんの時

禅師公卿(ぜんじ くげう)にしい 「北條武蔵守泰時(ほうでうむさしのかみやすとき)」

せられくげうちうふく よりつね卿京より

下向(げかう)代々北でうけ九代れんめんたることはおい/\出板(しゆつ はん)仕候

 

「五柳亭徳升輯」

「五亀亭貞房画」

  「筆耕 金水」

美艶仙女香

黒油美玄香

丁包畢今

京ばしの

南江

一丁

坂本氏

精製