読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/pid/2542590/1/1
1
男衾三郎絵詞
2~4空白
5
昔 東海道のすえに武蔵の大介といふ大名あり
其子に吉見二郎をふすまの三郎とてゆゝしき
二人の兵ありけり 常に聖賢の教をまもり侍けれは
よの兵よりも花族栄輝世にいみしくそ聞えける
吉見の二郎は色をこのみたる男にて みやつかへしける
ある上臈女房を迎てたかひなくかしつきたてまつり
田舎の習にひきかへて いえいすまひよりはしめて侍女
房にいたるまてことひわをひき月花に心をすまし
てあらくらし給ふほとに なへてならすうつくしき姫きみ
一人いてき給へり 観音に申たりしかはやかて慈悲と
いはむとてさそなつけ給ける おとなしくなり給ふまゝに
いとゝなまめき給へり 八ヶ国の中に聞及てこゝろを
昔、東海道の末に武蔵大介(むさしのだいすけ)という大名あり。
その子に吉見二郎(よしみのじろう)、男衾三郎(おぶすまのさぶろう)とて由々しき
二人の兵ありけり。常に聖賢の教えを守り侍りければ
世の兵よりも華族栄輝、世にいみじくぞ聞こえける。
吉見二郎は色を好みたる男にて、宮仕えしける
或る上臈女房を迎えて、違い無く傅き奉り、
田舎の習いに引き換えて家居住まいより始めて、侍、女房
に至るまで、琴、琵琶を弾き、月花に心を澄まし
て在ら暮らし給う程に、並べてならず美しき姫君
一人出で来給えり。観音に申したりしかば、やがて慈悲と
言わんとて、さそ名付け給いける。大人しくなり給うままに
いとど艶めき給えり。八カ国の中に聞き及びて心を
6
(十行目から)
かけぬ大名小名はなかりける 其中に上野国難波の
権守か子息難波の太郎をむこになさんとて難波より
吉見へふみをつかはしけれはこれをはきらふへきに
あらすとて陰陽に吉日をみせられけれは占ますやう
今三年と申八月十一日いぬの時よりこのかた吉日見えす
候といふにこの様を返事したりけれは権守いつ
まても約束変改あるましくいとそ悦ひける
掛けぬ大名、小名は無かりける。その中に上野国、難波の
権守(なにわのごんのかみ)が子息、難波の太郎を聟に成さんとて、難波より
吉見へ文を遣わしければ、「これをば嫌うべきに
非ず」とて、陰陽に吉日を見せられければ、「占います様
今三年」と申し、「八月十一日戌の時よりこの方、吉日見えず
候」と言うに、この様を返事したりければ、権守「いつ
迄も約束変改有るまじく」いとぞ悦びける。
7~16(絵巻)
17
おふすまの三郎あにとは一様かはりたり 弓矢とるものゝ
家よく作てはなにかはせん庭草ひくな俄事のあらん時乗
飼にせんするそ馬庭のすえになまくひたやすな切掛よ
此門外とをらん乞食修行者めらはやうある物そひきのかふら
にてかけたて/\おもの射にせよ 若者共政すみ武勇の家
にむまれたれは其道をたしなむへし月花のこゝろを
すまして歌をよみ管弦を習ては何のせんかあらん軍の
陣に向て琴をひき笛をふくへきかこの家の中にあらん
ものともは女わらへにいたるまてならふへくはこのみたし
なめ荒馬したかへ馳引して大矢誇よ弓このむへし惣
しては兵のみめよき妻もちたるは命もろき相に
八ヶ国の内にすくれたらんみめわるかれをねかひて久目田
の四郎の女を迎て夫妻とそたのまれける たけは七尺はかり
かみはちゝみあかりて もといのまつにわたかまる顔には鼻よりほか
又みゆるものなし へ文字口なるくちつきよりいひいたすことは
ことにはか/\しき事はなかりけり 男子三人女子二人
いてき給へり
男衾三郎、兄とは一様変わりたり。弓矢取る者の
家よく作りては何かはせん、庭草引くな、俄事の有らん時、乗り
飼いに先ずるぞ、馬庭の末に生首絶やすな斬り掛けよ、
この門外通らん乞食、修行者めらは、用有る者ぞ蟇目鏑矢
にて掛けたて掛けたて追物射にせよ。若武者共、政すみ武勇の家
に生れたれば、その道を嗜むべし。月花の心を
澄まして歌を詠み、管弦を習いては何の詮かあらん。軍(いくさ)の
陣に向いて笛を吹くべきか、この家の中にあらん
者共は女、童(わらべ)に至る迄、習うべくはこの身窘
め。荒馬従え馳せ引きして、大矢、強弓(つよゆみ)好むべし。「惣
じては兵(つわもの)の見目良き妻持ちたるは命脆き相ぞ。
八カ国の内に優れたらん見目悪がな」と願いて久目田
の四郎の女(むすめ)を迎えて夫婦とぞ頼まれける。丈は七尺ばかり、
髪は縮み上がりて元結(もとい)の末(まつ)にわだかまる。顔には鼻よりほか
又見ゆるものなし。へ文字口なる口付きより言い出だす言葉、
殊に捗々しき事は無かりけり。男子三人、女子三人
出で来給えり。
18~26(絵巻)
27
かくて八月下旬の頃吉見二郎兄弟大番つとめとて
京上せられけり みつの道の山賊とも七百人遠江のたる
し山にて寄合つたくみとらぬとそ待うけたる 大勢は宿々
の煩なるへしとて をふすまの三郎は一日さきたちてのほらる
山賊とも聞おそれてそとをしたてまつる 後陣にさか
りて吉見二郎一千余騎にてのほり給ふ 吉見のめの
との(之?)うとう大夫正廣といふもの三百余騎先陣の兵士に
うちのほる 昔よりこの山は聞ふる所そとて各物異に
したりける 盗人たかし山の木のもとかやのもとにみち/\
たり 一のたうけなるせちの木の中より くろかわおとしの
甲のひつしはかりなるに あるおとこのかふとをみて山鳥の
おのませはきしたる矢 ぬりこめの弓にさしくはせて五十はかり
なる男のさしあらわれてすこしも恐たる気しきなくて
いふやうをとにもきかせ給ふらむ これも街道にはたかし
ふたむら北陸道には野をみあらちの山かり名をあけたる
盗人の張本尾張国にきこえ候 へんはいしやうしと
かくて八月下旬の頃、吉見二郎兄弟、大番勤めとて
京上せられけり。三つの道の山賊ども七百人、遠江の高
師山にて寄り合いつ、「宝取らん」とぞ待ち受けたる。「大勢は宿々
の煩いなるべし」とて、男衾三郎は一日先立ちて上(のぼ)らる。
山賊共も聞き恐れてぞ通し奉る。後陣に下が
りて吉見二郎、一千余騎にて上り給う。吉見のめの
と(乳人・傅)の善知鳥(うとう)太夫正廣という者、三百余騎先陣の兵士に
打ち上(のぼ)る。「昔よりこの山は聞こゆる所ぞ」とて、各々物異に
したりける。盗人、高師山の木の元、萱の元に満ち満ち
たり。一の峠なる節(せち)の木の中より、鉄黒縅(くろがねおどし)の
甲のひつし(必至?必死?)なるばかりに、赤縅の甲を着て山鳥の
尾の混ぜ接ぎしたる矢、塗り込めの弓に差しくわせて、五十ばかり
なる男のさし現れて、少しも恐れたる気色無くて
言う様、「音にも聞かせ給うらん。これも海道には高し
二村、北陸道には野を見、荒地の山に名を上げたる
盗人の張本、尾張国に聞こえ候、へんばい(反閉?)庄司と
28
(十行目から)
申もの きみの御宝を給はり候はゝやとてこれに候といひも
はてさせて吉見郎等荒権守家綱といふものつよくひき
とりてはこれほしかり申たからとらせんとて はなつ矢に
へんはいしやうしくひほねいさせてたふれにけり
やふれしやうしにはおとりたり 其子二村太郎おやをうた
れてやすからす宝をとりてもなにかはせむとて ひきとり
/\はなつやに 吉見御曹司よろひのひきあわせ射ぬかれ
て馬よりさかさまにおち給へは うとう大夫かたにひきかけ
たてまつりて坂のしもへそくたりける 荒権守之を見て
二村太郎に打合て生取にしてくひをきり なきなたのさき
にそつらぬきたる ほめぬものこになかりけれ 山賊共も五百人
はみなうたれぬ 吉見の侍郎等も二百余人はうたれにけり 先陣
申す者、君の御宝を給わり候ばや、とて、これに候」と言いも
果てさせて、吉見郎等荒権守家綱という者、強く引き
取りては、「それ欲しがり申す宝取らせん」とて放つ矢に、
へんばい庄司首骨射させて倒れにけり。
破れ障子には劣りたる、その子、二村太郎、親を討た
れて易からず、「宝を取りても何かはせん」とて、引き取り
引き取り放つ矢に、吉見御曹司、鎧の引き合わせ射抜かれ
て、馬より逆様に落ち給えば、善知鳥太夫肩に引き掛け
奉りて、坂の下へぞ下りける。荒権守これを見て、
二村太郎に打ち合わせて生け捕りにして首を切り、長刀の先
にぞ貫きたる。褒めぬ者、此に無かりけれ。山賊共も五百人
は皆討たれぬ。吉見の侍、郎等も二百余人は討たれにけり。先陣
29
(九行目から)
にのほる をふすま三郎のもとへ早馬たてたりけれは この事
聞ていそきうちかへる 吉見二郎悦て遺言をそせられける
三十六所の所知をは三郎殿にたてまつる 其中一所と吉見の
家とは女房とひめとそたひ給へ 正廣家綱には中田下郷
をたふへし 各々これをたしかにきけ 姫はしみはなち給ふ
なよ これそこの世におもひをく事とてついそはかなく
なり給いぬ
に上る男衾三郎の元へ早馬立てたりければ、この事
聞いて急ぎ打ち帰る。吉見二郎悦んで遺言をぞせられける。
「三十六ヶ所の所知をば三郎殿に奉る。そのうち一所と吉見の
家とは女房と姫とに賜び給え。正廣家綱には中田下郷
を賜ぶべし。各々これを確かに聞け。姫ばし見放ち給う
なよ。これぞこの世に思い置く事」とて、ついに儚く
なり給いぬ。
30~37(絵巻)
38
さてしもあるへきならねはとて三郎は京へのほる 武蔵へは
家綱かたみとくひとをひたゝれにつゝみてもちつゝはせ
くたりけるか 次日のくれ程にはするかの国清見関にそはせつき
たる 馬よりおりてしはらくやすむ程にひとつのけしき
そいてきたる 夢ともなくうつゝともおほえすして みきわより
海の中へ一町はかりありて海のうへに観音の霊像現し
給りて ひたゝれにつゝみたるくひへひかりをさし給りて
これは慈悲かなけきのあわれにおほゆれはまつふたらく(具?)
山へむかふなれりとおほせらるゝとおもふほとに程なく
かきけすやうにうせ給ひぬ たのもしさに悦のなみた
をそなかしける
「さてしもあるべきならねば」とて、三郎は京へ上らる。武蔵へは
家綱、形見と首とを直垂に包みて持ちつつ馳せ
下りけるが、次日の暮程には駿河の国、清見の関にぞ馳せ着き
たる。馬より降りて暫く休む程に、一つの景色
ぞ出で来たる。夢ともなく現とも覚えずして、汀より
海の中へ一町ばかりありて、海の上に観音の霊像現じ
給わりて、直垂に包みたる首へ光を差し給わりて
「これは慈悲が嘆きの哀れに覚ゆれば、先ず不陀絡
山へ向かうるなり」と仰せらるると思う程に、程なく
掻き消す様に失せ給いぬ。頼もしさに悦びの涙
をぞ流しける。
39~43(絵巻)
44
武蔵の吉見にはかゝる事とも知給はす夜もすからくま
なき月をなかめて女房たちおはしけるに姫君のたまふやう
すきぬる夜の夢に家綱かきたりつるか左の手にたかをすへ
て右の手にかふとをもちてありつるか鷹はそりて西のかたへ
とひゆきかふとはつちにおちつる とのたまへは 母うへ聞給て
弓とりはたかとみゆるは魂にてあんなりかふとゝみゆるは頭にて
あるなるものを何事のあるへきやらむ とむねうちさはき
給ふほとに 暁かに家綱きたりて涙をなかしつゝ これ
御覧候へ御館の御ありさまよ とてくひとかたみとをえんに
さしをきて庭にたうふれぬす 女房おさなき人となみたに
くれてかなしみ給ふ事かきりなし 家綱ありつるありさま
清見か関の事を申にそすこしなくさみ給ひける
武蔵の吉見には、かかる事をも知り給わず、夜もすがら、隈
無き月を眺めて、女房達御座(おわ)しけるに、姫君のたまう様、
「過ぎぬる夜の夢に家綱が来たりつるが、左の手に鷹を据え
て、右の手に甲を持ちてありつるが、鷹は逸りて西の方へ
飛び行き、甲は土に落ちつる」と宣えば、母上聞き給いて
「弓取りは鷹と見ゆるは魂にてあん也。甲と見ゆるは頭にて
あるなる物を、何事のあるべきやらん」と、胸打ち騒ぎ
給う程に、暁かに家綱来たりて涙を流しつつ、「これ
御覧候え。御館の御有様よ」とて、首と形見とを縁に
差し置きて、庭に倒れぬす(臥す?)。女房幼き人と涙に
くれて、悲しみ給う事限り無し。家綱ありつる有様、
清見が関の事を申すにぞ、少し慰み給いける。
45~47(絵巻)
48
をふすまの三郎京よりくたりつゝいつしかあにの
遺言をたかふるのみこそむさんなれ 吉見のたちには
我妻子をかしつきすえて慈悲母ともにこの家をは
いて給へ 訴知も家も既より給はりたる物なれは おや
と夫にわかれたる人はかゝる祝の所には居さんなる
そとて 門外なるしつのふせやにをしこめたてまつ
るのみそなさけなかりける 一人の女房をたにも
つけさりけることそかなしけれ 難波の権守侍聞て
ふみをつかはすやう 故吉見様殿の御教養これへいらせ給
ひて訪まいらせ給へ女房姫君の御迎にまいるへし
とかきてつかはすに 使の案内をしらてうるはしく吉
見の館へとてゆきたりけれは をふすまの女房これを
みて 三郎殿これみ給へみなしこの慈悲をこはんより
は我女をこへかしわらはかはからひにして難波太郎を聟
にとらむといひてふみかき難波へつかはす 慈悲は母
もろともにおもひにしつみはかなくなりぬ いつれもおな
男衾三郎、京より下りつつ、いつしか兄の
遺言を違うるのみこそ無残なれ。「吉見の舘(たち)には
我妻子を傅き添えて、慈悲、母共にこの家をば
出で給え。所知も家も院より賜わりたる処なれば、親
と夫に別れたる人は、かかる祝いのの処には居さんなる
ぞ」とて、門外なる賤の伏屋に押し込め奉
るのみぞ情けなかりける。一人の女房をだにも
付けざりける事ぞ悲しけれ。難波の権守、侍り聞いて
文を遣わす様、「故吉見殿の御教養、これへいらせ給
いて訪れ参らせ給え。女房、姫君の御迎えに参るべし」
と書きて遣わすに、使いの案内を知らで、麗しく吉
見の館へとて行きたりければ、男衾の女房これを
見て、「三郎殿これ見給え、孤児の慈悲を乞わんより
は、我女(むすめ)を乞えかし(越えかし?此へ貸し?)わらわが計らいにして、難波太郎を聟
にとらん」と言いて文書き、難波へ遣わす。慈悲は母
諸共に思いに沈みて儚くなりぬ。いずれも同
49
(10行目から)
し女房なれはこれのひめをまいらせむとかきたたるに
難波権守はこれを見ておもひのほかの事かなとて
えむよりしもへになけすつる されはしに給ひにける
よとて難波太郎二人の女房のためとて堂をつ
くりそとはをたてゝ あまりこゝろのやるかたなさにふち
をいかたにかけ山々寺々修行して姫君の後世をそ
訪ける をふすまの三郎は家綱正廣か所領中田下郷
めしあけておもひあたる事そなかりける 女房又のたまひ
けるは聞給へよ難波の太郎こそわ殿のむこにならし
とて世をすて国々をめくりて乞食はすなれもし慈
悲はしやぬすみとらんすらむ内にかひて目をはなたる
はしたものにつかはらやとて わつかなるこそてひとつ
じ女房なれば、「これの姫を参らせん」と書きたるに、
難波権守はこれを見て、「思いの外の事かな」とて
縁より下部に投げ捨つる。「されば、死に給いにける
よ」とて難波太郎、二人の女房の為とて堂を造
り、卒塔婆を立てて、あまり心の遣る方無さに、縁
笈肩に掛け、山々寺々修行して姫君の後世をぞ
訪れける。男衾三郎は家綱正廣が所領、中田下郷
召し上げて、思い当たる事ぞ無かりける。女房、又曰(のたま)い
けるは、「聞き給えよ、難波の太郎こそ吾殿(わどの)の聟に成らじ」
とて、世を捨て国々を巡りて、乞食はすなれ(する)もし、慈
悲ばしや盗み取らんずらん内に買いて、目を放たず
端者(端女)に遣わしばやとて、僅かなる小袖一つ
50
(10行目から)
きせつゝ かみをせなか中よりきりすてゝ からかみといふ
名をつけてそつかはれける 吉見二郎草のかけにても
いかにほいなくおもはるらん かゝるほとに武蔵国の先司は
かわりて当国司の代々なる京まてきこえたる吉見二郎
か家みむとて吉見の館へそ入給ふ 三郎さま/\もて
なしたてまつるに はしたものゝなかにこのからかみ侍り
けるを国司わりなく心つきるおもひなり給ぬ しのふ
おもひいろにいてゝをふすまの三郎にわりなく所望
ありけるを女房ねたむこゝろありけれはさらにゆるし
たてまつらむか武蔵守かへり給とて後女房三郎にのたまふ
からかみめあれていにてをきたらは なをもよしなき
事いてきなんす さまをかへて水しにつかはせ給へとて ひ
着せつつ、髪を背中(せな)が中より切り捨てて、唐紙という
名を付けてぞ遣わしける。吉見二郎、「草の陰にても
如何に本意(ほい)無く思わるらん。かかる程に武蔵国の先司は
替わりて、当国司の代々なる京迄聞こえたる吉見二郎
が家見ん」とて、吉見の館へぞ入り給う。三郎、様々饗
し奉るに、婢(はした)者の中にこの唐紙侍り
けるを、国司、理(わり)無く心付きに思いなり給いぬ。偲ぶ
思い色に出でて、男衾三郎に理無く所望
ありけるを、女房妬む心ありければ、更に許し
奉らず、武蔵守帰り給うとて後、女房、三郎に曰う。
「唐紙め、あれ体にて置きたらば、尚も由無き
事出で来なんず。様を替えて水仕に遣わせ給え」とて、一
51
(10行目より)
とつの小袖をもぬきとりて 信濃のてうたい馬のあさ
きぬといふものゝあさましけなるをきせてたてまつりて
とゝにのかんさしをもといきはよりきりすてゝ からかみと
いふ名をよにこゝろうしとおもひしに あまさへねのひと
よへて とをさふらひのむまやの水をそくませたてまつる
つゝ井の水を二十五引疋の馬によるひるくめは かへ
てのやうなる手も つるへのなわにもきれそんして あけの
いとをひきたるやうなり くむ水もすはういろにそ見えたり
ける 母うへかなしみなくさめてよるの水をくみ給へとも
いまたならはぬ事なれはたとへやるへきかたもなし たけなる
かみをかきみたしてきぬの袖をちかへかたにかけ給候て くみ
給ふ水におつおなみたもあらそひていとゝたもとに
一つの小袖をも脱ぎ(抜き)取りて、信濃の頂戴馬(?)の麻
衣という物の浅ましげなるを着せて奉りて、
ととり(髻?)の簪を元結際より切り捨てて、唐紙と
いう名を「世に心憂し」と思いしに、剰さえ寝の一
夜経て、遠侍の厩の水を汲ませ奉る。
筒井の水を二十五匹の馬に夜昼汲めば、楓
の様なる手も釣瓶の縄にも切れ損じて、朱(あけ)の
糸を引きたる様也。汲む水も蘇芳色にぞ見えたり
ける。母上悲しみ慰めて、夜の水をば汲み給えども、
未だ倣わぬ事なれば、譬えやるべき方も無し。丈なる
髪を掻き乱して、衣の袖を違え肩に掛け給い候て、汲み
給う水に落つ涙も争いて、いとど袂に
52
(10行目より)
しほれける 十六七にてみやこにかしつかれ給へりし時は
ゆめにもかゝるありさまあるへしとこそ見へさりしか かくて
をふすまの女房三郎に申合て国司のかたへ案内
まうさせける 心は御目にかゝりし女みせたてまつりて
仰にしたかふへしと申たりけれは いそき又いり給へり
をふすまのむすめ十九になるをなのめならすとりつくろ
ひていたしたてまつる 母にに給ひたるかたちなれは
かほはよこさまにて しかもなかひの(ろ の間違い?)なり めにはかなまりを
はりそへたるやうにて まゆはぬきつくろひたる定(うえ の間違い?)なを
かきまゆなり まふしたかくてさしかたなり ひたひのかみ
ちゝみあかりてしなもなし ひとへに鬼にもにたりける
これはおやのめにはよくやみゆらん 国司こゝろもとなく
おもへるに一日のすかたにはひきかへて心うし 只一目
絞れ(萎れ)ける。十六七迄都に傅かれ給えりし時は
夢にも「かかる有様あるべし」とこそ見えざりしが、斯くて
男衾の女房、三郎に申し合わせて国司の方へ案内
申させける。「心は御目に掛かりし女、見せ奉りて
仰せに従うべし」と申したりければ、急ぎ又入り給えり。
男衾の娘、十九に成るを、斜め(なのめ)ならず取り繕
いて致し奉る。母に似給いたる容貌(かたち)なれば、
顔は横様にて、しかも中広(なかびろ:依放送大学)也。目は金鋺(かなまり)を
貼り添えたる様にて、眉毛は抜き繕いたる上、猶
描き眉也。目伏し高くて鎖し固(さしかた)なり。額の髪
縮み上がりて品(しな)も無し。偏に鬼にも似たりける。
これは親の目には能くや見ゆらん。国司心許無く
思えるに、一日の姿には引き換えて心憂し。只一目
53
(7行目より)
も見給へる そのゝちひとことは物をたにのたまはす うち
うつふしてそおはしける 色々しな/\のひきいてもの
たてまつりてこの女房をはいかにも御心にまかせ
たてまつるへしといひけれとも とかくの返事もなくて
いて給へり いとゝねのひとしのはれ給ふ 宿所にかへり
ておもひあまりに
ふたはよりみとりかはらておひたらむ
ねのひのまつのすえそゆかしき
おとにきくほらかねの井のそこまても
われわる(ひ?)しむるひとをたつねむ
も見給える。その後、一言葉、物をだに曰わず、打ち
俯してぞおわしける。色々、品々の引き出物
奉て、「この女房をば如何にも御心に任せ
奉るべし」と言いけれども、兎角の返事も無くて、
出で給えり。いとど子の日と忍ばれ給う。宿所に帰り
て思い余りに、
嫩より緑変わらで老いたらん
子の日の松の末ぞ床しき
音に聞く堀兼の井の底迄も
我悪(侘?)しむる人を訪ねん
54~56(絵巻)
56
右此大須磨三郎絵巻物は
芸州候の所蔵にして画は
土佐筆(法眼永真 極有之)詞書は二條家
為氏卿筆(畠山牛庵 極有之)也