仮想空間

趣味の変体仮名

碁盤太平記(兼好法師あとをひ)

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
     浄瑠璃本データベース イ14-00002-322


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 兼好法師あとをひ
  碁盤太平記  付く師直がさよ衣今は一様の黒羽織
         并に大勝四十七目のいし      近松門左衛門

物もふどなたぞ頼みましよ 頼みませふ
ものもふもふとひきごえも 長ろぢの
うらざしき牢人ずまいおくふかく 折
ふし嫡子の力弥は碁盤引よせ片手
ざし 三つめがゝりの大ゆびひしぎうで
さきためしていたりしが ヤイ岡平はおら


3(裏)


4
ぬか 物もふが有請とれ 岡平/\とよびkればどれい
とこたへ出にける 是は承り及ぶえんや殿牢人 初の名は八幡
六郎 今は大星由良之助殿と申御かたのお宿はこれか
中々由良之介借宅也と云ければ 愚僧は関東の所化
用事有て昨日京着致せしが 鎌倉の町大わし文
五殿と申 是も塩冶殿牢人より御状一通ことづかり 急
用也大じの用慥に届くれとのこと おとゞけ申と出しける 旦那は
他行(たぎよふ)いたされせがれ力弥宿にあり 申聞せんと入らんとす

アゝ是々 愚僧も本寺へ用有者 おめにかゝるに及ばずと云
置てこど出にけれ 岡平力弥に書状を渡し口上のべんとす
る所に 又物もふとあん内すどれいといらへ出ければ これさにし達
物さとひ申べい 我とうは常陸からつん出た巡礼さでおん
じやり申 鎌倉切通しのあたりで状をことづかり申た 大星
ゆらの介殿とい云は此屋たいにねまりめさるか いかにも是が由
良之介旅宿 シテどなたよりの御状といへば 是さお見やれ
状は十四五もおじやり申す 渡した人は小寺惣内竹森喜多


5
八 片山源太といへばさきに合点だ 頼むと有てことづかり申た
巡礼がとゞけたと返事にゆつてやりなされと いふて出れば是
旦那殿 大星ゆらの介様は是か こちは相州の馬かた 三條ほり
かは迄はやをひの通しにきました かまくらの町原郷右衛門と云
人から 状をことづかつて草臥ながらほつこしふもないと持てくる
あとおひおほたる高野ひじり 我ら此たびあづまへ下り
かまくらのほし月夜 堀井弥五郎殿と申御かたより 急用
の御状とてことづかりしとをいて行 おはらひくばりの伊勢の

御師六十六部の納め経者 関東廻しの商ひ便宜思ひ/\の
使について あん内あひづの忍びの状数(かず)四十余通 九月五日
の一時に到来するこそふしぎなれ 岡平ひとつにびんだかへ力弥
の前に手をついて 一度/\に申上んと存ぜしまに 追々に届き
申故数おほければお名も忘れ もとより無筆の私よ
むことはめくら也 状はまぎれ申せ共届けられし口々は 忘れま
せぬと申ける力弥打笑ひ 世には無筆もおほけれ共 をのれ
が年迄方々して 一もんじ引こともよむこともならぬとは 子


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共にをつつた奉公人おやじのお帰りなされたら 届けた衆を覚
て申せ ヤアついでにをのれに云こと有 きのふおのぼりなされし
女中一人は身が母じや人 お年よつたはばゞ様 となりの屋主の
ざしきをかり一両日は御とう留 うらはひとつの行き通ひ牢
人でも武家武家 常の様にじたらくにうらごしに行まいぞ
お見廻申て来る迄に用があらば切戸をたゝけと 文共たん
すに錠おろし うらへ出ればおもてより頼みませふといふこえす 力
弥聞付何ごとかと障子のかげよりうかゞふ共 思ひがけなく岡

平ははてさい/\の頼みましよ どれからぞふと立出る いや我らは
かまくらの三度飛脚 大星ゆらの介様の内衆岡平殿とはこ
なたか 高師直様のおやしきからと 状取出せばしい/\高い/\
成程合点請取たと懐中にをし入るゝ いや是々 当代の師
直様大じの御用と御念が入た 何時にとゞいたとくはしい請取
ほしうござると云ければ アゝこえ高な合点じや 請取せんと
かけ入も人は見ずとや硯水 たき本流のすみ色やなまなか常
に無筆ぞと いつはる筆の毛をふいて疵をもとむるたぐひかや

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飛脚は手がた請取て立かへれば岡平は ふうじめ切て小すみ
へよりくりかへしよむ長文の しかもさい字をつら/\と南あかり
よこれんじ かげ口びるをうごかせば無筆と云しそらごとも あらは
れわたるあじろ木や うぢ/\としてかくしかね ずん/\に引さき
茶がまの下に打くべて かどせどにめをくばる体力弥とつくと見
すまして 大きにあきれ是は扨 色ごとなどの文ならばかくすすべも
有べきが いろはもしらぬと無筆になつて人の心をゆるさせしは
そこいにたくみ有やつことに飛脚が詞のはづれかまくらよりと

請取をかゝせて取たる次第迄 思へばかたきの入たる大(犬?)きや
つ内通に極つたり エゝだしぬかれし口おしさよとむねをさすつ
て立たりしが 我々がほつ足もけふあすに近付て 欠落(かけをち)するか
道中にてはづすか 何にもせよおめ/\と取にがしては無念なり
一刻もゆだんはならず 手討にせんとしあんを極め さあらぬかほ
にてやい/\岡平 火の廻り気を付よかんこくさいと出ければ いや
少しもくるしからぬこと 八はたあたご方々のおせんまいの包紙
只今火に上申たりと 間に合うそもあつかいな 火ばしなぶ


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りていたりけり ムゝさこそ/\ ヤさいぜんの物もふはどれからぞ 又
文などはこぬかといへば いや/\それは私用 近日お下り近付故道
中のたしなみ さらしもめんの切(キレ)を買ひ代物がをそいとて 気の
ちいさい商人ね毎日せがみにうせをる 旦那につとめる岡平
三匁だらずの銀やらずに立と思ふかと もめんは六尺一寸のがれま
ことしやかにぞいつはりける 力弥しゞうを聞届けくせ者にうたがひ
なし 下人手討は大じの物とかねて親の物語 一生の手はじめ
しそんずまじとこりや岡平 用が有こゝへこいとにこやかに云け

れば ないとこたへていざりよる いやずんどこゝへよれ 遠慮なし
にひざもとへつゝとこいといふ五いん 岡平も心付脇指ぬいて
からりと捨 丸ごしになつて出んとすヤア其まゝ脇指さいてお
れ さいてこいと重ねていへばいか様共とかく御意はそむかじと
脇指さいてこしかゞめ左かがつ手に座したりけり 力弥も小ひ
ざをたてなをし ヤレをのれはさいぜん関東の飛札をよみ 請取
迄をかきながら一文不通の無筆と偽り 主人の眼をくらまし
たぶらかしたるふとゞきによつて せいばいするぞとこえをかけぬき


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うちにはたと切る 左のかたさきあばらをかけ脇指迄切付られ
のつけにかへすを取てひつしきとゞめをさゝんとせし所へ 父ゆら
の介立帰りかど口よりこえをかけ ヤレそいつにとゞめをさすな
子さい有とはしり入力弥が脇指とらんろすれば こいつは敵の内
通者おのきなされと引はなす ヤレそれをおぬしは今しつた
か きやつがつくり無筆になり てきがたの内通とはそも/\より
此ゆらの介が見付しが只今討ては敵方二すはあらはれしと用
心の気を付させ 敵に六分の徳有てみかたに六分のそん有 内

通としるからは其まゝきやつをいけて置 はかりことをうち
かへしに白き物を黒く見せ あかき物をあをく見せきよを
じつに振まへば きやつはそれを誠とし其通を内通せん 時
には敵にうらくはせ居ながら敵のふところを しるはみかたに十
分の勝十分の徳取て 仕廻にはこいつをころしてもたすけて
も そんもえきもないこと そんえきなくは同じくはたすくるはじひ
仁の道 我がけいりやくは智より出おぬしが手討は勇の道 是
常にいふ智仁勇 弓馬の家の守りにもほぞんにも此三つ 是を


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守るを忠臣共忠義の武士共名づくるぞ エゝはやまつたりそこつ
なり 去ながらわかき者道理かな/\ 我も口にはかくいへど主君を
むざいにせつがいさせ 其あたをも報じえず主の敵とけふ迄も
同じ天をいたゞくは智仁勇も口ばかり 忠臣の道をうしなはん
口おしさよと両がんに無念涙をうかふれば 力弥もきやうくん聞に
つけ 父が涙にもよほされ落涙 とゞめかねにけり ふか手の岡
平おきなをり親子のかほをつく/\゛見て 涙をはら/\とながし しん
じつ敵の内通と思召れんはづかしや とくになのらん/\とは存

ぜしかど 一日も師直がふちをうくれば 主従の道にあらずと
延引し 此しぎに罷成る拙者が親は前殿様 御持弓の足軽
寺岡平蔵と申せし者 某は寺岡平右衛門 先年我等
九さいの時 御領内の塩焼濱 けんちのおちどに親平蔵
御ふちをはなされ るらうの身とは成ならが奉公こそは足がる
なれ 忠義の道にちがひはなし 二君にはつかへまじふだいのお主
に今一度と 十余年の渇命(かつみやう)は草のねをはみ木をひろひ
水をのんでくらせしに 去年殿様めつぼうと聞より親子が此時


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に 大手の御門を枕にして 塩冶殿の弓足軽寺岡親子が忠
心と 鑓下に名をとゞめ御恩を送り奉らんと 御城本へはせ
参じ籠城願ひなげきしかど 牢人をあつめてはむほんの
籠城同前にて 天下のとがめはゞかり有かなふまじきとをひ
かへされ 親平蔵は七十の老の望みも是迄也 めいどへ参つて
殿様へ御奉公仕らん 手ぶりのお目見へいひかひなしをのれはかたき
師直が くび取ておみやげに跡より参れと申置 去年の当月
切腹いたす親のゆいごんお主のあだ 人手にかけじと存じ立えん

をもとめ心をくだき 師直が馬屋奉公に罷出 馬の口取時
もがな只一うちと仏神に いのつて時節をうかゞへ共用心ふか
く引こもり 馬は扨置乗物でも他行とていたさねば 本
望とげん時節もなく我身のうんのつたなさと 思ひながら
も世をうらみ天をかこちて一冬は 布子の袖のかはくまも
ながき夜すがら忍びなき よししそんせばそれ迄よ切こま
んと存ぜし内 各々がたのけんみの為方々へ犬いるゝ 我らも其役
申付見ること聞こと内通し 虚言他言有まじとくまのゝ


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ごわうに血判すへ 方々へ出けるが只目にかくるは此御親
子 あん内人にしらせじと当春より御奉公 親が念頼殿様
のくさばのかげの御忠節 せめてもと存る故内通の度ごと
に ゆらの介親子の者こしがぬけて武道を忘れ 遊女にふ
けり酒えんに長じ 武具も馬具も売払ひ 主の敵を
討ことは思ひもよらず 一門も中たがひといひつかはすを誠に
して 師直が用心おこたりれんが茶のゆ花の会 ゆだんとは
此時也片時も早く御下り 本望をとげられよ サア此こと申

しまふては浮世に思ひ置ことなし はや/\とゞめをさいてたべ
くまのゝごわうの起請のばち 現世にはあり/\とお手討
にあふ現罰(げんばち) みらいのむけんもうたがひなしなゆたごうが
其間 あびのくげんはうくる共一言成共主君の忠 親の願ひ
を達することよろこばしや嬉しやな 去ながら願はくは今
少ながらへ 敵討の御供し敵の首を一め見て 一所に腹を切
ならば なんぼふ嬉しかるべきぞ 忠義は人にまけね共 誠の時に
はづるゝは是も起請のばちかとて くどきなげくもいききれ


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てあはれ なみだの玉のをの脉(みやく)も みだれて見へにけり 親子
もふかくの涙にくれおどろき入たる忠心 今一言のしらせに
て大ぜい本意をとぐること 一騎当千共いひつべし身がらこ
そ足がるなれ お主はめいどの塩冶殿我らおやこもはうばい
なり 主君の忠義に傍輩の礼を云も慮外也 ゆらの介が
こゝろざしに此度の一味の武士 我々おやこを始として以上
四十五人有 たとへ其場へ出ず共其方親子をさし加へ 四十七人
忠義の武士と末代に名をとゞむべし 是をめいどのかんでうと

親父にかたりふいてうあれ あつたら武士を残念やと涙
ぐめば嬉しげに かほさし上て一礼をいはんとすれどした
すくみ こえも出ねば手を合せかうべをさげてうなづきし
心の内こそあはれなれ 力弥は手負の顔色見てはや目
の色もかはつたり いきの有中師直が 屋かたのあん内聞をき
たしと云ければ げに是は気がついたり有ましいかにと尋
れ共 心斗に息ぎれの只ウゝ/\とくるしみてごんざつさら
にわからねば ゆらの介ごばんをよせ 是此方よりごいしをな


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らべ図をつくつて尋ぬべし あはゞうなづき合ぬ時はかぶりをふ
り ゆびをもつて引なをせ 白石はへい黒は屋かたと心得よ
こゝは東表門一目を十間づもり ならべし石かず十四目 百四
十間是皆へいか ムゝ/\折まはしに平長屋門 屋ぐらはこゝにたつみ
角玄関はこゝのほど 侍小屋は南か北かムゝ/\三方に取
まはし 馬屋は西か武具の蔵 扨はこゝらぞ遠侍広間
は是より是迄な おくのしんしよはこゝかかしこかムゝ/\出来た 然れ

ば此あひ長廊下 此間がせん水つき山広庭ならん
北はあき地かごばんのめ あいてもふさぐ手負の目 うんと
斗をさいごにて終にはかなく成にけり ヤレをとたてなさた
するな町家ずまいのきのどくさ 家主へ聞へてはけふかあ
すかのほつそくに 大じの前のさはり也となりざしきへ聞へて
も 母女房につゝむことあとはともあれ当分のがれ 是又
旅宿のちやうほうと親子うなづきたゝみをあげ ねだこぢ
はなししがいうちこみ やう/\にもとのごとくに取つくろひ たゝ


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みにこぼれしちをおしのごひ物かげにしきかへ/\ サアよい
はとはいひつ此上にも つゝしむは両どなり外より人も
来ること有 色さとられなとさゝやきて 親子ごばんにさし
むかひサアいくつで五つでか それても成まいま一つをいて
六つのかね「山寺の春のゆふべをきて見れば 入相のかね
おぎのこえ庭のきりどをおしあけて ゆらの介のおくがた
つか/\と立出 申々 謡のこえごいしのをととなりざしきへ
ひゞきまする 私はふうふの中おいとしやおふくろ様 はる/\゛

お供申せしもそもじ様のこしがぬけ お主の敵は討わす
れ盤上らんぶのあそびごと 弓矢の道はすたりしと一門
中のはら立 此いけんのため斗国もとの老母女房が 夕べ
のぼつた今朝早々内を出て今帰り 親子ごばんであほう
けな山寺所じや有まいこと 過分の所領を給はり 塩
冶判官高貞び執権とうやまはれ 三千騎五千騎の
諸さふらひの上に立 国中をなびけしは殿様の御をん
ならざるや 其敵をいけてをき御命日の精進をも 御廻向


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も寺参りも何しに仏が受給はん 御をんは何でほうぜんとや
ヤイ力弥めせがれめ 父こそこしがぬけふずれ母がはらを
かしたぞよ なぜ父ごぜにいけんはせぬ 家にあらそふ子なけ
れば家をさまらずといふことを 常にいふたがわすれたか を
のれが二さいの秋の末有がたや殿様の おひざの上にだき
あげられ 親にをとらぬ人相有成人して忠切なせと 力弥
とは殿様のおきせなされしえぼしぞや 其時に勿体なや
をさない者のならひとて 殿のおひざをぬらせしをかへつて殿

には御きげんよく でかした/\主のひざをはゞからぬ 其心では
百万騎の敵を敵共思ふまいと 御かんの詞を常々にいひ
聞せたを忘れはせまい 人でないのてゝおやはわすれても此
母は ねてもおきても主君の御をんつかのまも忘れ
はせぬ 庭ひかひかふ犬迄も主のあたにはかみつくぞや
さいた刀はけしやうかだてかさほど敵がこはいか いつ
迄命がいきたいzおく病者ひきやう者 何のいんぐは
にこしぬけを 子にもつたぞとこえをあげぜんご ふかくに


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なき給ふ うらみの程ぞ道理なる 力弥はうつむき返答せ
ずゆらの介色をかへ ヤア口上ばるな女め 主の敵を得討いで
はぢをかいても身共がはぢ 酒えん遊興長いきしてた
のしみも身がたのしみ 人をやとふことでない いせいつよき師
直を討そこなへばくびがとぶ 討おほすれば腹を切どちらへし
てもしなねばならぬ そんする者は我斗ほめられてしなん
より そしられていきたがとく一もんもえんじやも おかめ八目
そばからはいひよい物 力弥に向つて悪口我子にはいは

れふが おつとにはいはれまいサア いはれふばいふて見よとこ
えもあらく成所へ 老母はしり出給ひヲゝおつとにはいひ
にくゝ我子にはいひよいな 然らばそちはわらはが子 そちにいふ
は此母去ながら口ではいはぬ犬同前のちく生はつぶてにお
もひしらせんと ごげなる石をひつつかみかいつかみ めはなも
わかずはらり/\となげつけ/\ さん/\゛になげかけてわつと
なき出しなふおく こなたももとは他人也あの様な子をもちて
そなたの心がはづかしい何もいやるないふまいぞ サアこなたへと


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手を引て涙ながらに入給ふ さすがは武士のよめしうとめためし
なふこそ聞へけれ 力弥はないてひれふしたが御心ねもいたは
しゝ そと御しらせあれかしといへばいや/\ 一ごん大じの所 其
上母や女房も一味也といはれては 母かたの一もん妻の縁
者天下のせんぎにかゝらん時 人の心まち/\にて見ぐるしき
ことも有時は かばねの上のちじよく也百丈の木にのぼつ
て 一丈のえだよりおつるとはこゝのこと 母のうらみも妻のかこち
も 本望とぐれば今のまにはるゝこと 大じを思ひ立者が小

事にかゝはることなかれと きやうくんあれば御尤/\
ヤわすれたり かまくら下向の一味の衆 四千余人より
段々飛札到来と たんすをひらき取出せば是は/\ 扨は
鎌倉首尾能たよりと覚えたり それふうきれと親
子の人手ン々にひらき見給へば 敵師直ゆだんのじせつ到
来せり 一時もはやく御下り待奉候と 大がい同じぶんてい
なりサアめでたし/\武具はさきへ廻しをく たび立とても
此身がらあすといふも手のび也 笠もわらぢも道での


19
こと此文共を火中して 金子をはだに忘るゝな当地の
はらひ宿代は かき付に相そへてたんすの中に残し置 心に
かゝることもなし我女房はそちが母 我も老母のかほばせ
をいとまごひにたゞ一め ちよつとのぞいて立べしと手燭
さし上おく座敷の ふすま戸そつと明ければ床の前
に人ふしたり 誰なるらんとよく見ればよめしうとめのふ
えのくさり あけにそみてふし給ふ力弥是はとおどろけば
ゆらの介をししづめアゝ是でこそ我女房 是こそは我母な

れ命をすてゝ我々が 心にいさみを付られしは尤かふこそ有
べけれ 主君の敵の師直に母のあた妻のあた 三つのうら
みを一たちにはらさんと思ふかど出は 嬉しうないか嬉しうござる
足がかるいとすゝむにもさすがをんあいこつにくの かはれる形に
気をくれして父にはつゝむ力弥が涙 父は我が子をいさめの
笑ひなくも笑ふも武士の道 あはれにも又頼もしゝ 老母
むつくとおきあがりアゝ嬉しや本望や 其心がしりたさに母
はじがいをなかばにして 今の詞を待たるぞやいか成ちしきの


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すゝめより 今の詞wpいんだうにてよめしうとめは成仏す
跡のしがいの取をきも去かたに頼みをく うき世に気がゝり
露ちりなしつゝこむ脇指あひつにして あと見かへらず
門出あれあなたへ参つて殿様へ 御ひろう申さばお悦
さぞお待かね成べし 片時も早く本望とげ親子つれだち
早ふおじや くはしいことはめいどにて先それ迄はさらばやと がはと
つき立あつといふこえを聞すてふりすてゝ 行えにひゞくよは
のかね ともに孝行忠孝の武士の 道こそ「たくましき  ←

こゝにかまくら 高の武蔵の守師直がいい嶋のやしきがまへ 東
面にせきへき高く西には大河みなぎりて 南のかたに入海の
舟の往反(わうへん)じざいにして 悉けんごのようがい也忠功ぶゆうのえんや
が郎等 此ようがいに気をつくし今はねらふ人なしと 聞より師
直ゆだんを生じ くせのおごりのくはんらくはうんの末とぞ聞へける
文和三年そらさへて冬もなかばのくもこほり あられみだるゝ
夜あらしに口切の夜会を催し すはいの客人かつ手がた はては
らんぶの酒もりにさよもやう/\ふけにけり やゝ有て表の門を


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たゝき 薬師寺三郎左衛門公能(きんよし) 初雪の御茶のゆにしかう致
すとよばゝれば 門ばん立出 はやおふる舞は相済みお客も残らず御帰 お
くも漸仕廻にてお夜づめもひけ申 明日お出とこたへける いやく
るしからず 宵より参るはづなれ共 典厩(てんきう)の御所に御用有て遅
参せり 師直公のおねまにてお咄申ことも有 こよひは是に一
宿(しゆく)いたすお心やすき薬師寺 ゆめ/\気遣なきことこゝ明られよと
云ければ げにもいつもの薬師寺殿いざ御通り候へと 門をひらけ
ばつゝと入 ばんの衆大義/\ もはや夜なかで有ふか 塩冶判官が

家老こしぬけのゆらの介 今は町人同前成たるとは聞たれ共 やき鳥
に経緒(へを)用心にあきはない 拍子木をたやさずかはり/\゛にねずの
ばん必ゆだんめさるな ヤイ身が供の者 あす昼じぶんに迎にこひ 朝
めしはこなたでくふおれが食(めし)はたかするなと 玄関に入ければ広間
は雨戸しむる音 やしきのめぐり拍子木の音しん /\とぞ「ふけ
わたる 夫(それ)柔能剛をせいし弱能強をせいするとは 張良に石公
が伝へしひほう也 塩冶判官高貞の家臣大星ゆらの介 是を守
てすでに一味の勇士四十余騎 露命を亡君になげ打死ぬを


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一せんに極めて 猟船に取乗てとまふか/\゛と身をかくし 稲村崎を
こぎ出し天にみちたる暁の 霜もするどき白波のきしのいはねに
こぎよせたり 嫡子大星力弥苫をしのけてへいたの上につゝと出
しのび挑灯さし上敵のようがいはるかに見て 時こそよけれあれ
御らんぜ 人しづまつて清気はしづみ空に朝ぎりよこおれて 濁気
上をおほへり拍子木のてうし金にして 数は九つ老陽金尅(らうやうきんこく)木火(もくくは)
尅金(こくきん) じめつのさう顕はれたりはぐんはたつみに向ふたり 東の門より
南へついてのれや/\と下知すれば 心へたりと片山源太鑓ひつさげ

てぞ出にける 竹森喜多八大長刀奥山孫七須田五郎 勝田早
水(み)東(とう)ノ森七筋合せのくさりにて 板がねつなぎのきごみを着しわり
筏わりふくべ 家金らんのぬりごてをそろへてこそはさしもげにをと
に 聞へし原郷右衛門 大鷲文五かけやの大槌 ひつさげ/\おり立ば吉
田岡嶋不破前原 各々すやりよこたへてれつをそろへて打たりけり
小寺藤田立川甚平 仙崎弥五郎河瀬忠太夫かれら四人は半
弓たばさみ 敵もし遠見を付をくか 又は落行こぼれ者介勢(すけぜい)
あらば射とめよと ゆらの介が下知によつて 左右を見定め前後にき


23
を付 しんづ/\とあゆみゆく 芦野菅谷千馬村松村橋伝次
大だちはいてぞつゞきける 塩田あかねは長刀かまへ 中にも磯川十
郎は十もんじのさやはづし 遠松甚六かたかまかたげ 杉野木村三村ノ
二郎 皆一様の花田(くはでん)のはゞきゆらの介がちりやくにて八尺斗の大竹に 弦(つる)
をかけてぞ持たりける いさむ心ははるめきて雪にひいづる雪の梅
白梅そねむ白出立白小袖にくろばをり 金の札に面々のけみやう
実名(じつみやう)書付て 袖じるしに付たれば有明月に光あひ白石 黒石 打
ちらすみだれ ごばんに金銀の すなごをまきしに「ことならず

扨其次に堀井弥惣七十二さい一子弥九郎廿さい おやこ名にあふ
覚の者ゆらり/\と出ければ 矢ざまの庄司六十八さい嫡子矢ざま
重太郎 廿六さい音に聞へしおやこの武士 けふをかぎりの死軍と
につこと笑ふて出たるは 獅子と虎とが子をつれて狐山(こざん)をめぐるごと
く也 扨其外吉田奥山小寺が嫡子 由良がいとこの大星瀬平
岡野中村矢嶋ノ衛門平賀ノ左衛門牧野ノ平次 ゆらの介は後陣のを
さへ忠臣以上四十五騎 義を太山(たいさん)よりおもんじ命を鵝毛(がもう)とかろんじ
心を金石(きんせき)にたぐへしは いか成天まはじゆん成共たまりつべうはなかり


24
けり ゆらの介下知していはく 夜討の大じは奇正の変敵をあかりに
おびき出し みかたはくらみをこだてにとれ女わらべに手なおほせそ天下
をおそるゝ敵討(あだうち)矢をはなつ共へいこさすな 火の用心に心を付てつ
なぎ馬をはなさすな 折々に相図の笛吹合せ/\ 敵に中をわら
るゝな敵(かたき)をさへ討ならば 名乗て勢を引まとへあひ詞を常にし
て みかた討な同士討すな あひ詞も三どにかへ乗こむ時は山か鐘
軍になつては花か海 のき口は笠か露 向ふ者は討て捨にぐる敵
をおつかけて むやくの高名手間取な取べき首は只一つ サアせめ

よせよと手組をそろへしとしと/\ しと/\/\とつめよせて 門の
南北二手にわかり屋かたをにらんでひた/\と 塀うらに付いたりし心の
内こそ「嬉しけれ じこくはよきぞすはのれと千崎弥五郎 須
田五郎がかたをふまへて飛あがり 塀のうて木に手をかけて 乗
いらんとせし所に 夜廻り中間拍子木打て来りける 人々あつと
しづまれ共イヤ乗かゝつたる一ばん乗 やはかのらで置べきと えいやつ
と打またぎなんなくひらりと乗込ける 中間おどろきやれぬす
人よといふ所を 弥五郎取てをきへうつてすつべきやつなれ共 あんないの


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為しばらくとおびをといてくゝしあげ ひかへ柱にくゝりつけ我
拍子木を打間に 門のとびらを打はなせとへいの内外しめし合
せ 拍子木けはしく打けれ共そとより小寺河瀬忠太夫 かけ矢
ふり上どう/\と 打音に相番の中間 何ごとやらんと出る所を
弥五郎飛かゝつてきつてすて 又拍子木を打ければそとよりかけ
やどう/\/\ とがむる中間ずつはと切拍子木の音かち/\/\
かけやの音どう/\/\ 中間出ればずつはと切三人切てすつる間
に 力に任せて打かけや門のかな物打はづし くはんぬき中より

ほつきとおれ とびらみぢんに打くだかれ大門くはつとぞひらけゝる 大
将ゆらの介忍びの火さし上 内を見廻し山とこえをかけゝれば 鐘
とこたへて一どうに我も/\とこみ入しが つまり/\゛のとをしめて内
より錠はかためたり たゝきわればめをさまし内よりせんをとらるべし
左右なふ入べき様もなき所に かねてごしたるはかりこと大竹の
弓五張 戸口/\の敷居かもいにしつかとはませ 各一どに手
をそろへ刀をぬいて弓のつる ふつゝ/\と切ければ大竹にはぢかれて
かもいを四五寸持上 やりどつまどははら/\と将棋だをしと成に


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ける 力弥すかさずえんの上へかけあがり 塩冶判官高貞が家
臣大星ゆらの介よし国 同じく力弥よし道 此外忠義のものゝふ四
十五騎 亡君のあだを報ぜん為せめよせ候 武蔵ノ守の御首を
給はつて 亡君判官が黄泉(くはうせん)のやみをてらすべき 存念也とよば
はつて一もんじに切て入ば すはや夜討とこんらんして宵の茶の湯
の茶せんがみ やとぼけがほにすはだ武者太刀よ鎌よとひし
めいたり 小ぜいなれ共よせ手は今夜必死の勇者 相詞相図の
笛吹合せ/\ こゝにあつまりかしこにみだれ馬手にひらきゆん手

につぼみ秘術をつくせばゆらの介余の者に目なかけそ 只師直を
討とれと八方に下知をなしもみ立/\「せめにけり 北隣は仁木
はりまの守 南隣は石堂右馬のすけ両屋敷より何ごとかと 屋の
棟に武者を上ちやうちんほしのごとく也 軍兵やねよりこえをかけ
御やしきさうどうのこえたち音やさけにことさはがしく候故 らう
ぜき者かたうぞくか但非常のさた候か 承り届よと主人申付ら
るゝと高らかにぞよばはりける よせ手はもとより返答せず師
直がたにはうろたへて 聞入る者もなくすきまあらばと逃足も 門々


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にはよせ手の兵鑓のほさきをつゝかけて 出ばつかんと待かけたり やね
の上より口々に よし何にもせよ隣やしきのさうどうを 聞捨に
せん様もなし 御かせい申一ふせぎ仕らんとよばゝりける 大わし文五原郷
右衛門詞をそろへ 是はえんや判官高貞が家来の者共 主君のあた
を報ぜん為のはたらき候 天下へたいするらうぜきにても候はず もとよ
り両隣仁木石堂殿へ 何のいこん候へねばそつじいたさん様もなし 火
の用心はかたのごとく申付て候へば 是以御用心に及ぬこと只をん
びんに捨をかれ候へ それとてもぜひ御かせいと候へば 力なく一矢仕らん

と高声によばゝつたり 両家の人々是を聞 御神妙/\弓矢
取身は相互 我人主人もつたる身はもつともかくこそ有べけれ 御
用あらば承らんとしづまちかへつてひかへける 一時斗のたゝかひによ
せ手わづか二三人 うす手をおほたる斗にて敵の手おひは数しら
ず 討るゝ者百余人残る者はにげかくれ 今は手に立者もなし
され共大将師直 かげもかたちも見へざればゆらの介大きにせいて
年月心をくだきしはきやつ一人を討ん為 ねまとおぼしき所を
見よと ふすましやじをけやぶり/\おくへ入て見てあれば よぎ


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ふとん引さばき枕斗ぞ残りける ヤア是を見よ かゝる寒夜に
此ふとんあたゝまりさめざるは 只今ぬけしに極つたりちか
くにあるぞそれさがせと 天上屋ねうらえんの下鑓をつき
こみ矢を射入 うちかへして尋ぬれ共師直はなかりけり 外
にも人をくばりをく門へ出ん様もなし をの/\あきれて立たり
しが ゆらの介あたりを見廻しよこ手を打て あの水門のはこ
どいこそ一人はふてはとおるべし 内より水をながしかけ外へま
はつてうかゞひ見よ 内に人の有なしは水のはゞにしるべきぞ

心へたりと堀井の弥惣遠松甚六 外へまはつて待かけ
しに内より水をどう/\と くみ入/\ながせ共水口われてし
だゝりの 跡へ余つておち口はいはにせかるゝごとく也 サア人あるに
極つたり 鑓を入てさがせやと 手ン々に鑓をつきこみ/\かり
立れば たまりかねてなきさけびなふ御たすけ下されと はひ
出るは薬師寺也人々はつとあきれし所へ 大星力弥はしり
よりなんのごくにもたゝぬやつ 人手間とらせしにくさもにく
しと づりあげてくび打おとせばくれないのちしほの


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といとぞながれける 由良之介大をんあげ是程迄しおほ
せて 師直を討もらすよつく天道にすてられたる我々 ぶ
うんの程こそ口おしけれ すご/\かへつてしなんより此所
にてはらかききり 四十五人のをんねんあくりやうとなつて
師直をとりころさんと おもふはいかにといひければ力弥
をはじめ原矢ざま 堀井片山四十余人いづれも左様
に存ずれ共 大将の詞を相待たり我々さきを仕らんと
面々はだをおしくつろげすでにかうよと見へし所に かねて

しんずる正八まんあたご山の御かごにや 馬屋のそばなる
小屋の内よりけふりしきりにうづまきあがる ゆらの介
きつと見てなむ三ぼう あのけふり其まゝ打すて外の人に
しづめられ 塩冶郎等四十余人師直を討そんじ うろたへ
たりといはれてはちじよくの上の名おれなりいざしづめん
尤と我も/\と小屋の戸に手をかけ えいやつと引はな
せば 中には薪炭俵けふりはきえてなかりけり 此内は
物ぐさしさがせやさがせといふこえに 内よりすみをつかみ


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かけわり木をなげかけなげつくる 矢さまの庄司は炭だわら
弓手につかんでなげのけ 無二無三に切て入師直今はかな
はじと をどり出るを重太郎あますまじと飛かゝり をし
ならべてむずとくみ一しめしめてはねたをし とつてをさへ
高(かう)のむさしのかみ師直を 矢ざま重太郎くみとめたりと
よばゝれば ゆらの介をはじめとし四十五人がこえ/\゛に 浮木
にあへる盲亀(もうき)はこえ三千年のうどんげの 花を見たりや
うれしやと首討おとしこえを上 をどりあがりとびあがり

あふきをひらきまふもあり悦びのときのこえ 首まん中
に取まはしつまをすて子にわかれ おひたる親をうしな
ひしも此くび一つ見ん為の けふはいか成吉日と首をたゝいう
くひついつ 一どにわつと嬉しなきことはり過てあはれなり
ゆらの介は師直が白むくちぎつてくびをしつゝみ 矢ざま殿
御親子はすがたをかへてへんしもはやく 我君の御ぼだい所光(くはう)
明寺の御はか迄此くびを持参あれ われ/\はあとより
とあらぬ下郎の首取あげ 同じく師直が白むく切てをし


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つゝみ 鑓にゆひ付堀井の弥五郎 大鷲文五にさしに
なはせ師直が本くびを 御(み)はか所にそなゆれば今生の
本望これ迄也 せくまい/\せくことない此やしきも今
迄は 師直が屋敷也うたれしあとは天下の地 ふみあらす
はおそれぞや第一は火の用心 ほたる程の火もしめせと
つまり/\゛をしづ/\と 心しづかにじゆんけんし敵の一類一家
の武者 追手かくるは目前也いらぬ我らが一命 かれらに
ほどこしほうしやせよと門外におりしいて 待合せ見

るぶゆうのほど天下にふるゝしのゝめや 是は高名てら
の名は光明 寺へと「いそぎける 夜も明ゆけばやつ
七がうにかくれなくざいかまくらの大小名 何ごとやらんとかぶと
はきれ共よろひはきず かた手矢はげてはしつもあり
馬のはるびをしめかねて はだせにのつてかくるもあり
つぢ/\のばん太こ 人馬東西にはせちがへ上下のさうどう
なのめならず 師直が嫡子師泰(もろやす)が郎等 光明寺の門
前に雲霞のごとく取かけ 門をひらきて御くびわたせ


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異議におよばゝ寺の門をたゝきわり 堂もがらんも
うちくだきかたはしに坊主くび ねぢ切てうばひとれ
わたせ/\とひしめきける 寺僧の面々衣の袖に玉
だすき 棒よ杖よとふせげどもせいしかねて見へければ
住職の老僧立出 やあ/\かくいふは師泰殿の手ぜいとや
して侍か下郎かよも侍にては有まじ 塩冶殿の家臣
四十余人の人々は 師直をうち取首を塩冶のはかに手向け
本望達せしうへは 鎌倉殿の御とがめおそれ有とて 各

身をすて只今幕府の御所へ罷出 いか様共御制法に仰
付られ候べしと 御下知を相待ち申さるゝ 是をこそ弓取の
手本とはいふべけれ わとのばらは主君の親をやみ/\と討
せ 其場へおり合討手の一人も切とめず いさかひ過ての棒
ちぎり木仏場(じやう)といひ長袖にむかつて いかつがましきふる
まひ当寺の法師はこはからず 幕府の御所より御さ
しづのなき間は あのなまくびがしやりこうべに成迄もいつ
かなこと 此老僧が手足をもいてとらばとれ わたすことは


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かなはぬと発言(はちげん)はなつての給へば いや論はむやくたゞこみ入
てうばひとれ 門をしやぶれとわめきけるかゝる所に畠山 左
京ノ太夫上使なりとよばゝれば さしもの軍兵はゞかりて
門の左右に平伏す 内より門を明ければ 畠山老僧に
対面有 塩冶判官が家来共主人のあだをむくはん為 夜
前高ノ師直が舘(たち)へをしよせ 師直を討とる条武門の面
目弓高のほまれといひながら 御所近へん共はゞからず鎌
倉をさはがす 御とがめによつて則仁木石堂に御預け 今

日塩冶がはかの前にて 残らず切腹せさすべしとの御諚也
はた又師直が首は一子師泰願ひに任せ をくり遣すべし
との仰也とのべらるれば 住持御諚を承り くびおけしつ
らひよろしくまかなひ取をさめ 師泰殿の御(み)内にて 人がま
しきかた請取給へと有ければ しつけん三隅(みすみ)のぐん司と
いかめしげには名のれ共 かひなき主の首もつて すご/\とし
てかへりしは面目なふこそ見へにけれ すぐに用意有べし
とて判官の廟を中にあて 左右にたゝみしきならべ前に


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白砂つみたるは こぼれし血(のり)を清めんための用意也 後
に白幕引まはし白きぬのふとんをしき 四十余ふり
のはら切刀三方にならべたり 鎌倉中の諸侍あつはれ
武士の守り神 弓矢とる身のあやかりものといぎを
たゞして参詣す 歌人はいたみのわかをつらね文者はなげき
の韻をさぐり 上下万民老若なん女なfごりをし合我
さきにと 光明寺にくんじゆして門前 市をぞ「なし
にける すでに時刻も 牛のこく ひつじのあゆみ近付きて

けんしの大将なごやびぜんの守 光明寺につき給へば介錯
の役人をはじめとして 帳付よこ目其外の 役目/\のばを
請取こゝをはれと列座あり 用意よくは面々出られ
よと有ければ 左の幕より大星ゆらの介をさきに立 矢
ざま堀井原郷右衛門廿三人つゞいたり 右の幕より大
星力弥第一にて 小寺片山東ノ森廿二人打つれて あ
ゆみ出たる有様は古今まれ成武士のわざ ほまれを
取て世の中のにごりにしまぬ白小袖 しやばはゆめなる


35
ちぎりにてあさぎ上下あさくとも 君に三世のちう
かうと各はかにえこうして 諸役人に一礼のべ一めんに着
座して 目とめをきつと見合検使の詞をまつたるは
あつはれ名士のはらきる御尤かくこそ有べけれと しるも
しらぬも涙をうかへあつとかんずるばかり也 なごや備前
守すゝみ出 上よりの御諚には此たび塩冶判官が家臣
四十余騎 高師直を討て亡君のあたを報ずること 前
代未聞の忠臣一人当千のはたらき甚かんじおぼしめし 一

命たすけをかれたくおぼしめすといへ共 太平の御代に
干戈(かんくは)をうごかし御はた下をさはがすあやまり こくせい
よんどころなく切腹仰付らるゝ 強将の下には弱兵なし
かた/\が忠義によつてえんや判官 存生の仁徳をおぼしめし
やられ 判官が一子竹王丸父が遺跡(ゆいせき)相違なく いづもはう
き両国あてをこなはるゝとの御諚 めいどへ参つて判官に申
伝へ有がたく存奉り 早々切腹仕れと高らかにのべ給へば
はあつと一度にかうべをさげ悦び涙悦び笑ひ かたぎぬ取て


36
をしのけ/\由良之介刀頂戴して 左の小わきにつき立れば
力弥もつゞいてつき立たり 次第/\につき立つきこみ引
まはし/\ 時もちがはずばもちがはす主君のはかの左右にて
一度にはらを切たりし三世のえんこそ頼もしけれ やがて
残らずかいしやくしてすぐに御寺をはか所 万劫(ごう)まつ
だい万々年くちせぬ石に名を残し 主君の子孫家
はんじやう富貴自在のさいはいもちうとかうとの
まことの心 天地にかなひ仏神もめで度 守り給ひけり  

 

     (おしまい)