仮想空間

趣味の変体仮名

信州川中島合戦 第一

 

「本朝二十四孝」の元となる作だそうです。近松節炸裂してます。

 

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
     浄瑠璃本データベース ニ10-02296


2
   信州川中嶋合戦  作者近松門左衛門
森々(しん/\)たる人品(じんぴん)千丈の松のことし。磥々(りゝ)として
節多(ふしおほく)砢々(かゝ)として目(もく)たかしといへ共 大廈(か)に
施す時(ときん)ば 棟梁の功用大哉(おほひなるかな) 勇将は人を
見智将は人を知り 是を兼る名将新羅
三郎十九代の後胤 甲斐の専城(せんじやう)武田
大膳ノ太夫晴信(はるのぶ)入道信玄居士 御世子(せいし)四郎


3
御曹子勝頼君「家に紫蘭の芽を出
せり 此たび御父信玄の上洛 官位の願ひ成
就武運長久のいのり ならびの国信州諏訪
明神に参籠有 寄進の絵馬に珠玉を錺
うつし馬 舎人をひつ立?(すゝみ)嘶(いはふ)る狩野か丹青
馬も祈願もかけ奉る御神前 祢宜みやつこは祝(のつと)
をくりて幣帛を 大床にさゝけかんなぎおとめは

裙帯(くんたい)を引て 透(すい)廊に舞奏(かなつ)り儀式も「さらに
かう/\゛し 勝頼庭(てい)上に再拝しはいでんにあがらんと
し給へば 執権高坂弾正御袖をひかへ 見申でばはい
でんにしとねを敷座をかまへ候 是々祢宜衆 あ
れは此方のためか但外の儲(もうけ)成かと問ければ さん候
越後の太守長尾景虎殿の御息女衛門の
姫君 あの松の木陰に春駒かいたる絵馬をあげ


4
追付御社参の用意たゞ今 神主方に御休息と申
に付て伝に聞 えもんの姫是幸に見まほしと
おぼせ共 高坂が女中同日の参り合時節わろしと
思ふ気迄 はあkりかねてまします所に 長尾の家の
子直江大和之介時綱 する/\と立出 御遠慮痛入候
主人景虎願ひ有て上京に付 其いのりとして
さんけい信玄公にも御上洛とや 定て同じ御祈(いのり)茵(しとね)

も新調 御えしやくに及ず御ちやく座有様に仰上られい
高坂殿 扨々御ていねいの至(いたり)忝し 此方はおそからず先
姫君様より いや是非共/\そなたより いやいつ迄もと辞儀
もなかばにえもんの姫 つゝむ人めをもれ出ておじぎの有は
男どし 殊に親御様と我身親水と魚とのおちなみや
女なれ共其子なれは 身をうき魚のよるべを頼む さそふ水は
そもし様いざ拝殿へも一所にと 手をとれば取かはす越


5
後ちゞみの雪しやれは 京も及ぬ手ざはりに 勝頼
おめず打つれてひとつにすがる鉦の緒や 互に見ぬ
恋聞こひの今こそ諸願成就と神に誓のさゝやきは
いか成仇の鰐口もいひさかされぬ中ならし 時に廊もんの
神人(じにん)あはたゞ敷 当国の殿様村上左衛門義清公各人(おの/\)へたいめん
有へきとて 唯今是へと申上れば勝頼あしらひもむ
つかし両人逢て挨拶あれ 我はとれへぞ外(はつ)したこと の

給ふ間に村上が馬のいなゝく声 幸此方の姫神主かたに
寄宿くるしからずはこなたへと 思はずしらず案内する 大和之介
に乗移り此仲人や諏訪の神 海よりふかき縁とかや むら
上左衛門義清神前迄道具立させ 莞尓(につこ)共せずヤア直江
高坂 ぬし達は一国の家老 弓矢の法存ぜすとはいはせぬ
たとへ道中筋にても他の分国を通りには 先へ使者をもつて
案内する法 況(いはんや)当しやは我分内一応のとゞけもなく踏込(ふんごむ)


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慮外至極 をよそ絵馬は神馬を表(へう)する物なるに
あれ見よ 信玄乗馬(のりむま)の毛色甲斐の黒駒 馬取も
とゞめぬるかけ馬の勢(いきほひ) 必定村上が領分へ馬を入 しなの一国
押領のいせいを顕はす為な 殊にえもんの姫は親景虎
其所望しかけ女房同然 しかれは直江兄弟は家来ぶん
主従の礼儀しらぬかと いふよりこらへぬわか者なん/\と
直江兄弟を家来とは兄山城守実綱 此大和之介時綱が

事か 我々越後の国守長尾景虎公ならで 天が下に
主君なし 御辺に一粒(りう)の扶持は得ず 家来とはすいさん千万
ま一度いへ のび過た舌の根切さげんと おどり出るを高坂
弾正暫し/\ 大じの姫君御供我らも若旦那の供 理の非
のといふ所でなしひらに/\と押しづめ 案内なく御領内へ立
越しとの御いきとほり御尤去ながら 使者を以御案内申さば
道筋掃除抔伝馬以下御馳走仰付らるゝ 御心遣を遠慮


7
に存さしひかへ 不念(ぶねん)と成は心の外まつひら御宥恕(ゆうぢよ)下さるべし
と 手をつかねいんぎんの勝に乗 ヤアぬけ句いふまい勝頼と
衛門の姫密通し 其が領内を忍び合の宿にせられ
はなげをよまるゝ村上ならず不義者の男をんな 落居する
迄此義清があづかり置うごかせぬ 両人共に置て帰れ 身が
者共神主がやしきを取まき 大じの預り者油断なくけいご
/\ 絵馬ふみわれたゝき破れとひしめく所に お供の

つぼね下女嬪なふ情なや姫君様勝頼様 いつの間にかは
行方しれず床におぐみを残されしと 指出す一通弾正追
取懐中すれば直江も仰天 村上いよ/\かさにかゝり扨こそ
/\ 神前にて不義の咎顕れし 当国の神の利生を見よ
主を失ひ武士は立まじ剃こほつて頑人坊主 鉢ひらけと嘲
られ腹にすえかね 切て出る大和之介を高坂おさへて 武士
のたゝぬ事少もない 弾正にまかされよと野袴の裾たかく


8
はさんで身づくろひ是村上 姫勝頼両人は義清が預り
置く 一国の大名のつがひし詞失念は有まじ サア預り者なぜ逃
した何国(いづく)へ落せし サア聞んサアいへと気のつかぬ所の理屈づめ
村上はつととうわくすれば大和之介も力を得 本人の行衛かく
すは相見(あいけん)にて落せしな 咎のもとは預り主両所の行衛しるゝ
迄の人質 我国へつれ帰るサアこいあゆめとねだりたい程ねだ
られ 無念/\も十面斗一言の返答なく 大事の咎人直江

どのいざなはをかけまいか ヲゝ尤と手くすね引たる英雄の顔
玉しい アゝうつふん道理/\ 所詮宿したる神主めがふとゞき 腹
いせには神主始祢宜めら残らず 切て成共からめ手成共 そ
れにたらずば明神のしやだん打こぼち成共 此義清かまはぬ
/\といひ捨帰るも足はや也 高坂直江はるかに見やり打う
なづき 一通をはいけんすれば かね/\゛あき人の便にふみを通はし
けいやくの中 義清に糺さんれ恥を見んも口おしく 暫く影をかくす


9
とのかき置 両人はつとあきれしがなふ直江殿 申ても両国
守の姫君若君 御一門はひろし家来は多し 土民百姓をたのみ
給ひても御身をよせらるゝは自由 尾行先に気遣なし とかく
余所の領分にてさはぎうろたへ尋ては 面々主君のちじよくを
ふれ廻るにをなじ しゆびよくまづ当所を引取 万事国ざかひを
越てのだんがう 召具せられし下女はしたお供の旅体みだれぬ
様に御さた肝要 此方の供廻りさほうたゝしくはや行列と下

をなし ゆう/\として立帰り高坂弾正鑓だん正と 名におふ
武士の一分別 名将の家風かうばしき せんだんのはやしこん
ろんの石 玉の光の世々ながき武田の家ぞ「たぐひなき
爰もむかしの都ぞと名にし近江の水うみや ことの葉にのり舟に
のりわたる北国七里半 くはいせんの問丸(といまる)や表には駄荷山の
ことく はまには数百の舟にそひ 桐のとうの印立させそろひ
のあらしこ走ちがひ によいがだけは早お越 お先手はそれそこへ


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御荷物つんでなぜ舟にねまらないと 北国訛のはんかうひたひ
越後の国主長尾殿 しがの山ごへ此津より御帰国 とこそしら
れけれ 大津八町の方より武田信玄の足がる 五十人組の小がしら
横田兵介といやの門に大息つぎ 舟しはいする家は是な ていしゆ
にあはふと呼出し 音にも聞らんかひの国のあるじ 今日帰国米原
迄舟にめされうとの仰 しんら明神へ御さんけいのため 三い寺
に御きうそく追付是へ 大船廿そう小せん六十そう きつと用意

申渡いた急げ/\と呼はれば ていしゆおどろき越後の殿さま
長尾殿より 先達て仰付られ御覧のことく 浦々の舟迄かり
あつめ 外にはあみふねつり舟ならで一そうも候はず 御大儀ながあらせ
たへお廻り 今日の舟の御用御めんとかうべを地に付れば 身が殿は
しんら三郎義光公の末孫 清和源氏のちやく/\ しゆびよくさんだい
いんざん忝くも大そう正にん官 あしかゞの将軍も御そんきやうの
節目 越後の長尾も上らくはめされしが 漸将ぐん義輝公の輝


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のじをもらひ 景虎を改てるとらと名のれば迚おこがましい 先
祖はかまくらの権五郎かげまさ 代々源氏のひくはん筋 其てるとらに舟
をかし此みなとに一そうもないと申されうか 舟印追たくつて此方
の印に立かへろとどよめく内 てるとらの足がる進藤小平といやの
内よりゆるぎ出 聞たくない 武田信玄が大そう正腰ぬけの坊
主官 すねつはぎのざまで身か殿を 信玄がひくはん舟印追たくれ
とは 首かなくてもたくゝればたくつて見よと ぬくよりはやくきりかけ

たり ひらりとはづしぬき合せ口も口うでも腕 かけぬけ切かけ受つ
はづしつ 命を露ちり土砂ふみ立一寸さらずいどみ合 両家の先
手一時に来かゝりどつと落合 漸左右に引わけ声々に 甲州
御家来横田兵介 越後の御家来進藤小平けんくは それおむま
とめませいひかへませいと呼はれば せかぬ信玄血気のてるとら一参
に馬乗すゝめ 両方あぶみふみはなし馬上にしきれい下々迄列
をそろへてつくばへり 相手共是へ呼出せ 畏たと両人をつれ出れば


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両将馬よりおり立てるとら大声上 供先のけんくはゝあまねく
諸家に禁(いましむ)る所 いしゆ討か時の口論か 品によつて主人と主人の
確執と成義有 次第まつずぐに申わけよと有ければ 進藤小平つゝしんで
事のおこりは舟争ひ 長尾の家は権五郎かげ政の末孫 源氏のひくはん
との悪言かんに罷成かたく かくの仕合お申内より横田兵介 信玄が
大そう正は腰ぬけの坊主官と申 ざう口聞せし無念 御免をかうふり
しんんみやうはたし申度と 二人が詞有のまゝにぞうつたへける てるとらから/\

と打笑ひお聞なされ信玄 ひくはん筋がほまれを取主筋がおく
れをとる事も有べし 武辺は氏(うぢ)けいづによらず てるとらいさゝかちじよく
とは存ぜぬが して何と覚しめす 仰のことく腰ぬけの坊主くはんはおろ
か 座頭のくはんでも弓矢の疵には少もならず 信玄努々(ゆめ/\)心にかゝらず
去ながら 足がる体にはきとく/\ はつくんのけなげ者 かれらかいこんもはるゝ為進藤小
平とやらん申請 愚息勝頼が手廻りにつかはせたし信玄に給はるまじや ムゝ然らば横田兵介
とやらん馬廻りに召使鑓一本の用に立たし てるとらに下さるまいか 何がさて


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進ぜいでは 過分/\此方も進上申 コリヤ/\今日より進藤小平 武田
の御家来 横田兵介長尾殿の御家人ぞ はつと左右に入かはりすぐに
め見への礼有義有和(くわ)も有て なふ武田殿舟数もなき此はまさぞ
御難儀 船中せばく共暫しの海上いざ御同舟申まいか 仰なく共所望の
存念しうちやくと 舟のいこんの波風たゞすひらの ぼせつと打とけてみやる
かたゝのらくがんと 共におりいるせうぎのうへ いしやうのくはい共いひつへし 時に
しなのゝ国 村上殿より御使者とてるとらのそうしや番ひらうして

使者は年頃あたま付粕尾玄蕃と名のり 三荷三種の樽肴白銀
巻物てるとらの御前にならぶれば 是へ/\御口上承らんとぞ仰ける 玄
蕃つゝしんで 此度将軍家よりてるの一字を御はいりやう 年来御くん
こうの印御家の眉目是に過ず したがつて御そく女えもんの姫君 主
人義清度々所望いたせ共御許容なし 年たくる迄縁付おそき娘は
必不義のうき名立 後にはむかへ取人なく 一期やまめと成のみならず 親一門
の名を下すためし 若さやうの事候ては長尾のお家の疵 はやく義清が


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妻と定給へは 世間の人口をふさぎ且はてるとら公のおため 御入国を待ず道
中迄使者を以頼みの御祝儀 目録のことく進上目出度御受納こひね
がひ奉ると 口上もおはらぬに気ばやきてるとらはつたとにらみ 北ろく道
に弓矢を取ては 五畿七道にかくれなき長尾輝虎をしらぬか 娘を
所望すれ共いやおうの返事せず けいやくも定ぬにびろう至極な 押
付て頼とは信州のかた角に てるとらが厩にもたらぬ小城持たると
憚(たかぶ)つて我をあなどるか 縁付おそき娘は不義の浮名立 親一門のちじよく

に成とは人も頼ぬ為思ひ 我娘に不義あれば相手を糺しどうざいに行ふ
越後の国風恥をすゝぐに義清はやとはぬ 道中なれば生て帰す進物
持てとつく帰れ 誰が有使者め引ずり戻せと かみ付様成大音声
あらぎもとられ胴ふるへ共めいらぬ顔 さすが大国の大将共覚えぬ無骨
に候 信州に武士多けれ共村上がふだいの家老かす尾玄蕃此音物(いんもつ)お気
に入らずば其方より使者を以返弁あれ 此玄蕃すご/\持ては帰ら
ぬと たゝんとすればにつくい親仁め それきやつにおはせて帰せ承はると


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わか手のきんじゆ大小もぎ取はがいじめ 樽さかな進物共一つに荷つくり
せなかにおはせ からげ付/\ サア本国へ戻り馬たちんは主の義清から請とれと
手足を取て追出せば エゝ無法な主人持たゆへ 思はぬめんぼく失ふたと 主
のしがからさきに立 家老の身にていけんせぬ 我非は見へぬかゞみ山頬(つら)
押のごひ逃うせけり 両家の上下どつと笑人はてるとらもえつぼに入
なんと武田殿 甲斐越後両国にはさまれたるしなのゝむら上
貴殿我らの家風 聞ならひもいたさぬか 扨不作法千万 さぞ家のじだ

らくすいりやういたせしと 詞の下より越後に残されし甘数(あまかず)近江方より
時付の早飛脚 息を切て輝虎の御前にはせ付 去廿二日えもんの
姫君 信州すは明神へ御さんけい 武田勝頼と密通のれんぼにて つれて
国遠(こくえん)なされ直江大和之介御供より すぐに尋に出いまだ御ざい所相しれ
ずと 飛札を捧(さゝぐ)る所に甲州のるすい板垣兵衛が方より ひきやくのはや
打信玄の御前に大息つぎ 去廿二日若君勝頼公 信州すは明神へ御参
らう 越後の姫君とかねての恋路 御前所つれて行方なく 御供の


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高坂弾正都に罷出る趣 くはしく是にと指あぐる両家の飛札
飛脚の口状(こうぜう)わりふを合せしことく 両将息をつめ給へば 諸武士も御きげんはかり
かねしみこほつてぞ見えにける がう気のてるとら歯を切(くいしば)り 縁付おそ
き娘は必不義の悪名立と 申こしたる村上 此次第しつたりしらぬか き
やつが詞にひつしと中(あたっ)て此方閉口 長尾の家の士大将にも たらぬ程
の村上般(づれ)に非太刀をうたれしてるとらが 一期の無念とめん色変じ
て火のことく 此ちぢよく何とすゝがんとにらみやつたるしなのぢや かうべに

のぼるいけふりは浅間のだけかとうたはがる 信玄どうぜず せがれ勝頼其方
の姫は いふにたらぬわかき者女性 ほまれもちじよくも親と親の間に
有 村上はけんくはの行司かまはぬ事 所詮御ぶんと信玄敵たいし人数を
てうれんし しなのゝ国をいくさの場と定め 雌雄を決し信州はいふに
及ず 越後の国をも切取か甲州をとらるゝか 其時恥をすゝがんに何程
のこと 勝負は貴殿と信玄がぐん慮の浅深(せんじん)に有べしと事もなげにの給へば
ヲゝかねて武田殿にたいし てるとらが弓矢も心見たく望む所 たゝ今より刃


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をあらそふ敵と敵 新参の横田兵介是へ来れ はつといふより信玄も進藤
小平是へ出よ おのれはもとてるとらの家来 敵方の首取初(はじめ) ヲゝ汝はもと信
玄が家人 軍神の血まつりと 両方両人一度にぬき打両将つゝたち サア
入魂は是迄重てせんじやうたい陣の外 いんしん不通の印の盃 さいた
ヲさすぞと提(さげ)たる首をかつはとなげ合 いさんでわかるゝものゝふの 矢橋(やばせ)
の波の音かへて時の 声とぞ「音に聞 名も山ふかき しなのぢや
岩間はこけにうづもれて 雲こそ雲をさそひ行 みねには伐木とう

/\として 谷の水音深々たり 爰に三州牛窪の浪人 山本勘介晴(はる)
幸(よし)といふ者有 幼少にて父にはなれ母の撫育に長(ひとゝな)り まなばずして
石公孫呉(せきこうそんご)の兵術に通達(つうだつ)し 其名央々とかくれなく 近国他国の大名
より招け共 頼むべき主君を撰(えらみ)諸葛臥龍が跡を追 今此国に預
かくす片山人となら柴の 腰に草がま山朸(おうこ) 暫し世渡る しづの男
の木曽のあさ衣袖せばき 草の細道つたひ行 爰ぞきゝやうが原
とかや 勘介まゆにしはをよせ 当国しなのは山ふかく 常に雲はさはげ共


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やあら心得ぬけふの雲気 南は甲斐につゞきてしほじりとうげ
北は越後に隣つて鳥井がだけ 両方のちやう/\゛より二筋出る しら
雲の 中にあたつて見だれちりさながら軍の ばのことく さつする所甲
斐越後両家の確執うたかひなし 信玄は良将てるとらは勇将 あら
おもしろの雲のたゝかひ いづれ勝共まくる共 主持ぬ身の気さんじと
なかむる空も秋の日のみじかききせる取出し 打石の火に立けふり 浅間
をらうにくらべつゝたばこによねんなかりけり 武田四郎勝頼 えもんの姫

とのうき恋路義清にいひさがされ すは明神よりたちのき爰に迷ひ
かしこにかくれ 足もやぶれて血にそまるいばらかやのねおざゝはら 野路
ふく風も追手かと心は先にめは跡に 見帰り/\えもんの姫勘介にはた
と行あたり アゝ御免成ませとにつくりおどろく斗也 勘介じろ/\゛しりめ
にかけ わかい女子わかい男水入らずのふたりづれ ムゝハゝ/\/\聞た 親の極る縁は
いや 貴様ならでとうなづき合むこの大事のあつらへまんぢう ほつ
かりわるは思案の外 野でも山でも此道/\ こつちもちやつと柴かつて


19
まんぢうはくはず共 かゝがまめぢやをしやうくはんいたそと打過る 勝
頼袖を引とゝめ すいりやうにたかはず我々は 親のゆるさぬいもせの中
人めを忍ぶ者なれ共 互にめなし夫なしいさゝか不義にはあらね共 脇
からじやまのよこれんほ 此姫をうばいとらんとの敵ゆへにひやうはく
せり 近頃わりなき事ながら夫婦をかくまひ得させよかし 武運ひら
かば武士となし今の恩をほうぜんと 生れ付たる大名風(ふう) 勘介につこと
打笑ひ 我迚も胎内から柴かりではなけれ共 かくになひ瘤でかせしは

独(ひとり)の母に孝のため すは奉公望程ならば おそらく百貫弐百貫
の所領は胸に覚え有 去ながら主取すれば討死し命を捨 禄の恩を
ほうずるが是忠の道 母かう/\迚身をかばへは禄ぬす人の不忠者
孝をたつれば忠にかけ忠をつくせば不孝と成 此理にせまつて
刀をやめ身は山ざると成たれ共 母の寝覚のよき顔ばせ 百万貫に
もかへるべきか 頼むと有に身を引も孝行ゆへ 頼すくなきうき世迚
心みじかく持給ふな 此所はそのかみやまとだけの尊 とういせいばつの御時


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一葉をむすんでうらかたとし吉凶を心見 せい運ひらき給ひし
より 吉凶の声をかたどりきゝやうが原と申也 爰迄落のひ給ふ
事行末めでたきずいさう 此かやわらをたへ行ば越後かい道 此道しる
べが我らの寸志 アゝ千変ばんくはの浮世やと おうこかたげて別れ行
忠孝仁義のものゝふも へんくはが玉のうもれいて光なきこそ
ぜひなけれ エゝあつはれ侍かな 大将たる身の七珎万宝(しちちんまんほう)にも かへまく
ほしきは仁義の武士 家名をとはざる残念さよ いざ先おしへし道筋へと

かたふみわけて入給ふが 急度思案しのふえもんのまへむさしばう弁
けいか せつ中のわらぐつさかさまにはきたるためし 今此草わくる跡に心を
付敵したふは必定 此しげりに伏して敵をたばかり落のびんと よもぎ
むくらを押わくれは萩のもとあら下はれて 幾年(とし)ふりしいのしゝ
ののつたりとふしたるかたち アゝこはやとえもんの姫すかり給へは大じ
ない/\ すさまじいもうじうなれどつねは人に害せず 疵を請ては
手負しらの千人力 さもなき中はあちから人をこはがるせうこ かり人を恐


21
れかゞみ臥(ふす)と覚えたり 我も暫くかくれがとならびふすいの萩の床 草
引おほひ忍はるゝうきめぞ恋のならひ成 村上が郎等落合藤太鉄砲
引さげかけ来り あの風上より見たはたつた今 どつちへうせたと手ンゝにさが
す足かる共 こりやこそ爰に足跡有 高名せんと追かくる藤太おさへ
てせくな者共 此かや原が物くさい心見に鉄砲くれんと 筒先さがり打
込つき込二つ三つ玉とう/\/\ 重てひゞく手こたへ 慥に勝頼してやつた
いで首とらんと立寄草柴さは/\/\ 小山のことくせを持上によつと出たる

手おひ者 八まんゆるせ人たがひ御免/\と逃まよふ 勝頼も姫をかこひ打
物ぬいて指むかへば あれにあれたる獅子ふんじん 眼をいからし牙をむき
敵も味方もしやべつなく かんぜきてつへきかけわり/\追立れば 岸ふみはづし
ころ/\/\ 爰の岩かげかしこの谷 右往左往に逃ちりしは危 かりける「次第也 はや夕(せき)
陽の山のはの下枝真柴かりあつめ 人の十荷(か)を勘介が一荷にて 立帰るもと
の道 草ふみちらし地をあばき山をへだつる人声の こたまにひゞく斗也 ムゝ
扨はいぜんの若者的に出合たかふか あゝら心元なやと案じ煩ひ立たる所


22
に 尾先を廻る猪の 思ひがけなき後よりゆん手の股(ふともゝ)くはらりとかけ 一ふりふつ
たるいくびの力 一丈斗はね上たり 勘介ひるまず足ふみなをし につくいちく生
かはひつぱいでふとんにせん かやせ戻せの声にたけつて一もんじ 二の身をかはしやり
過し もとせばひらき四五へんなやましひらりと乗 ゆん手におづゝめてにかま かき切
あばらしゝの血と人の血に 猪の毛変じて猩々皮のせはつげしと古木にすり
付 岩に当ればどうと落 上に成下に成半時斗ぞ「もみ合けり 勘介
数ヶ所の疵の上右の眼を突つぶされ ながるゝ血にめもくらいたゞよふ所を牙に

かけそこ共しらぬ谷ぞこへ落ると身へしが松がえに かゝる手先も孝の徳 ひらり
と取付早わざは木つたふさる共いひつへし しゝは見上ていかりをなし 木の根を
うがつはなあらし吹立/\ 石も砂も一まくり 土をかへすいきほひはからすきつかふごとく也
若木の松が根次第にほれてゆさ/\/\ 大地へどうと付よりはやく追
取のべ 惣身の力うでに入れなぐり立たるめつた打 うたれてたぢ/\ よはる平
首むんずとしめなんなくしゝを組とめたり 勝頼すはやと見るよりはやくかけ
寄て しゝのきう所を三刀四刀指つらぬき 両手を取て引たつたれば こん気つ


23
かれて正体なし ムゝ道理/\ いぜんの情今又しゝのがいをさけ 重々ふかき恩の
人 我こそ武田信玄が一子四郎勝頼 我は長尾てるとらが姫えもんのまへ 村上
に妨られわりなき恋路にくるしむぞや 親にもまさる命の親心はいかにと
の給へは 勘介一眼くはつと見開き 扨は両家の君達かや 其は山本勘介晴
幸と申者 てるとらの御家臣直江山城 我ために妹むこかた/\゛縁有おふたり
の つゝがなきこそ珎重/\ 村上が領分に片時(へんし)も猶予御無用 早とく/\との
詞の下 供人引つれ落合藤太あれのがすなとどつと来る ムゝ打そろふて

大義せんばんもうくたびれもやすまつたり かたなよごしのはい
さむらい此はい打くらへと 松の木取て片あし飛 ひつし/\と打
ころせばはいもうはいぼくだいしかうの 粥にあらぬぼうくらひはつと
一度に逃ちつたり 藤太すかさず勝頼やらぬと切かくる ふり返つて
こりやさせぬあおばいめと よこになぐれは二つにちぎれはらわた
みたれしゝてけり さあ/\かたきの根は切たり 国ざかひ迄お供とい
はんも此あしもと らうぼもきづかひ 御縁もあらば又重てずいぶん


24
御ぶじて そつちもぶじで さらば/\と一礼のべ わかれて帰る勘介が
仁はげんとく智はこうめいゆうはくはんうにならびなき ほまれは
三国名はたかき ふじをうつしてすはのふじみかりの手がらは
しゝにのる それはにたん我はゆだん しゝにかけられ五たいふぐ
かくれはみち みつればかくる ゆみはり月やあつさゆみ引は
かたあしちんがちか ちんばのこんぼんかんだいのいはれは是 此/\/\
しゝをとめたるかんすけがほまれを 代々につたへけれ